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お近くに自死遺族がおられる方へ

---  個人的な思い・願いですが  ---



ありがとうございます。

私は今日までに,少なくはない自死遺族の方々と接してきたと思います。
その中で,周囲の方からの「 なにげない言葉 」によって,
さらに自分自身を責め,追い込み,苦しまれる姿を見てきました。

そんな私の個人的な思いなのですが,
「 こう接していただけたら,嬉しい・・・ 」
そんな思いをここに記させていただきました。


ですから,これは,あくまでも私の個人的な見方であり,
すべてに適応するものではないことは,ご了承ください。
よろしくお願い致します。



人はひとりで生きています。
けれど,寄り添い,共に生きてもいるとも感じています。

身近に苦しみ悲しむ人がいれば,手を差し伸べたくなる気持ちは自然であるし,
とても尊いものとも思います。

けれど,ちょっと待ってほしいのです。
「 自死 」は,他の死とは,ある面において,明らかに違いがあるのです。




家族を共に生きる共同体との思いが強ければ強いほど,
家族を救えなかった自分自身を責める気持ちが,残された遺族にはあります。
なぜ,こんなにも大切に思う人を救えなかったのか・・・と悔やみます。

ですが,その一方では,共に生きるはずの家族なのに,
なぜ,自分だけが逃げたのか・・・と,故人を責める気持ちもあるのです。
時として,それは怒りの感情でもあります。

さらに,残された遺族の中でさえ,あなたが,あの時ああしたから・・・
こうしておけば・・・と,責め合う場合さえあるのです。

どれもみな,それぞれの人が故人を大切に思えばこその気持ちだと思います。


そして,その情は,どれかひとつの場合もあるし,すべてが同時の場合もあります。
意識している時もあるし,無意識の場合もあるのだと思います。

これは答えのある問いなのだろうか・・・?と,私は考えます。



ある日,突然にやってきた大切な人の自死・・・
上に記した,心の中の複雑な姿は,たったひとつの例にすぎません。
今まで信じてきたたくさんの大切なものが,自分の中ですべて否定されるのです・・・


だれが悪かったとか,良かったとか・・・
何が正しかったのか,間違っていたとか・・・

いわゆる世の中に存在する常識は,たとえ善意であっても,
何かを責め,苦しみを増す結果にしかなりません。
そして,どのような言葉であっても、遺族の,または故人への非難叱責と解釈する場合があるのです。



もし,あなたに遺族に寄せる優しい想いがおありならば,
ありきたりの慰めや,あきりたりの励ましはいりません。


できるものならば,どうか何も言わず,ただそばに寄り添い,温もりをください。
そして,矛盾だらけの私たちの言葉を聞く 心 を ほんの少し貸してほしいのです。




自死遺族は周囲の期待に答えようと元気を装っているかもしれません。
けれど,答えの存在しない永久の問いかけを自分に課しているのかもしれないのです。




混乱・後悔・不安・孤独などの気持ちを、ただ、黙って聞いていただけたら嬉しいです。
拒否されても、気持ちの状態が混乱している時ですから,怒らないで欲しいです。

食事や睡眠が十分にとれない方もたくさんおられます。
できるのであれば,食事の用意をしていただき,一緒に食べてもらえたら嬉しいです。
たった一杯の味噌汁であっても,一時であっても,温かさを感じることができるかもしれません。

日常生活を維持するための最低限の家事(掃除,洗濯など)を手伝ってもらえますでしょうか。
ほんの1日でも,体を休めることができたら,自然に涙を流せる時を持てるかもしれません。

すぐに元気になることを期待しないでもらえたら,心が少し楽になります。

ゆっくりと何年何年もかけて,心を癒すことができたとき,
いただいた数々の優しさは,生涯忘れることのない宝物になるのだと思います。




人は,ひとりで生きています。
けれど,ひとりは寂しいです。

だから,暖かさが欲しいのです。
だれかに,抱きしめて欲しいのです。


どうにもならない矛盾の中で,大切なものを守りながらも,
自分を創り,家族関係を創り,人間関係を創り,そして・・・・・・

そんな過程を一からやり直していることを,どうか理解していただけたらと思います。




とりとめもなく,申し訳ありませんでした。
聞いていただけて嬉しく思います。ありがとうございました。

はーとろーど

 

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