10901 罪悪感 剣 2006/02/04 17:22
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
私は、「かも」じゃなくて確実に弟を追い込みました。
いる価値がなかったのは、弟じゃなくて私です。けれど、以後の親の様子を見てしまったら、私は自殺なんて選べなくなりました。生きて償うしかない?でも、何をしても生き返りません。償うってどういうことでしょうか。
日が経てば、考え方も変わるのでしょうか?でも、今の私は罪悪感を持ってない自分を許せないんです。自己満足なんだろうけど、悲しんで、苦しんで、自己否定して。
いつか変われるのでしょうかね。


10902 希望はなくとも・・・ 雪野 2006/02/04 22:05
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
剣さん、こんばんは。
自分を許すことなど出来ないですよね・・・
私も弟を追い詰めた一人です。
幼い頃から仲の良い兄弟姉妹ではなかったし、
死の前日も相談したそうだったのに忙しくて無視したし、
何より家族宛の遺書が私たちの責任だということを痛感させられました。
そして、責め続けた先に「死を持って償う」という方法しかありませんでした。
しかし、剣さんも言われているように、
遺された家族を思う時に、それだけは選べないのですよね、私たちは。。
最近、生き続けるための自己防衛法として、自分を許すという方法を
とったりもしています。
そんな気持ちになるまで、精神科やカウンセリングのお世話になりながら
紆余曲折10年かかりました。

だけど、人前で笑顔でいても、外見をとりつくろっても、
心の奥底でくすぶり続けている哀しさ、むなしさ、苦しさ、悔しさ、
自分や故人への怒り・・・ありますよね。
いつかまた剣さんと分かち合いたいです。

弟が好きだったミュージシャンがいます。
彼が亡くなって私も聞き始めました。
この歌を聞きながら彼を思い出して一人よく泣きました。

人類は醜くても 人生は儚くても 愛し合える時を待つのかい?
無駄なんじゃない 大人気ない 知っちゃいながら さぁ 行こう

夢はなくとも 希望はなくとも 目の前の遥かな道を
やがて何処かで 光は射すだろう その日まで魂は燃え

意味はなくとも 歩は遅くとも 残されたわずかな時を
やがて荒野に 花は咲くだろう あらゆる国境線を越えて

さぁ 行こう
報いはなくとも 救いはなくとも 荒れ果てた険しい道を
いつかポッカリ 答えがでるかも その日まで魂は燃え

(Mr.Children『ALIVE』)

夢や希望、光が何一つ見えない暗闇の中で
一人身を潜めてもがき続ける日々かもしれませんが、
私を含め、剣さんも、とりさんもみなさんも、迷いながらも、
ゆっくりとゆっくりと歩を進めていけることを願っています。


10904 時間 kattsu2 2006/02/06 13:32
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 日本国内
時間は過ぎたけど心の中は何も変わっていません。子供たちはどんどん大きくなっているのに。


10905 kattsu2さんへ 剣 2006/02/06 15:01
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
「時間が解決する」とよく言われますが、1年半経って、私の心の中も変わっていません。
kattsu2さんのおっしゃる「変わらない」とどこまで共感できるのかわかりませんが、私の場合、「前に進めない」と「変わってはいけない」という気持ちがどこかにある気がしています。
だからなんだと言われると困ってしまうのですが…変わらないといけないんでしょうか?


10906 剣さん ななお 2006/02/07 00:38

1年半ですか・・・
私は、知り合いに「3年待てば少しだけ落ち着く」と言われました。
けど、3年過ぎて生活は何とか落ち着いたけど、心の辛さはずっと持っていました・・。

前に進めなくても、変われなくてもいいんじゃないでしょうか。
自分のペースで、いいんじゃないでしょうか。

頑張って変わろうとしても、無理して変われるはずもありませんし・・・。
自分のペースで、すごくゆっくりでものろのろでも、立ち止まっていても
いいんじゃないかな・・。


10907 私も・・・。 kazuたん 2006/02/07 21:53
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
仕事が忙しく久々にここへ着ました。
同じ弟を亡くされた方が多く、心が痛くて熱くなりました。

変わりたくない気持ちわかります。

最近主人との間で弟の話題が出ました。
主人は弟がどのように亡くなったのかなど、私が忘れてるな。と勘違いしてるのか、冗談で弟を馬鹿にしました。
その時私は「「あの子は何も間違った生き方してない!」」と怒鳴りました。
すると主人は目を丸くして驚いていました。

冗談でも弟を馬鹿にできない。
弟は私が殺してしまったようなもの。
責める気持ちはあの日から変わりません。

償い・・。
私の償いは、弟の事を思い出すと、救えなかった後悔の念をも思い出し自分を責め、苦しみます。
でもそれでも、前に進み続けなければならないという事実こそが、自分に対する罰だと思っています。

会社で嫌な事があると、弟の亡くなった場所へ行きたくなります。
そこで死ねなかったら生きようって思いながら。。
でもそこの場所すら行けない。

もう忘れたい。
逃げたい。

そんな葛藤の中で、弟を想い続けて、
忘れられずにいて、
弟が最期に何を考えていて実行してしまったかまで想像して・・。

それでも明日が来る苦しさを味わう事が償いかもしれない・・。
それでも幸せでい続ける事が自分に対する罰かもしれない。

私は弟を見殺しにしたのに、自分だけ幸せになっている罪悪感を持ちながら、生きていることが・・。

でもkattsu2さんの「「変わらなくては・・」」という気持ちもわかります。
私にも娘がいます。
弟が亡くなった時は0歳でしたが今では2歳。
弟への悲しい気持ちのまま子育てをしてて不安になる時があります。
あとひとつ、今の精神状態で二人目が妊娠できるかとか・・。

本当に苦しいですよね・・。



10908 罪 でぃー 2006/02/08 07:50
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内
わたしもずっと自分を責めつづけてきました。
そして、そろそろ、もう充分だというところまで
きたようです。

そして思い出すのが、息子が逝って二ヶ月の頃の出会いです。
初めて会って、彼女のやっている静岡の内観研究所に
行くことにしました。内観というのは、一週間の間、自分と向き合って、
「母にどんなことをしていただいたか」「なにをしてさしあげたか」
を内観するという、日本発のセラピーです。
あんまり苦しくて、三日で逃げて帰ってきました。

でも、その時に、彼女の言ったことを最近思い出します。
「息子さんには息子さんの使命があったのよ。あなたとは
関係のないことよ。」

時間が解決してくれるのは、慣れるということだけのような気がします。
わたしは息子がいないことに、ずいぶん慣れました。

でも、自死遺族の場合は、慣れることだけでは解決しない何かが
あると思うのです。

わたしが、たった一度のわたしの人生をあと何十年か、
悔いなく生きるために、何が必要なのでしょうか。
きっと、罪悪感は必要ではないのです。
わたしは、息子が与えてくれた苦しみを無駄にしたくないです。
あの子に会ったとき、心から、感謝したいです。

まだまだ迷いは大きいけれど、
いつかきっと、春の芽吹きが訪れてくれることを祈って。


10909 どん底でした betasuke 2006/02/08 09:47
女性 / 40歳台 / 弟 / 1年以内 / 関東
昨日の朝、自分でも驚くほど酷い形相をしていました。
それなのに空腹を感じる自分が卑しい人間にも思えました。
ろくな食事もしないまま逝った弟のことを考えると、食事をする事にすら罪悪感を覚えるのです。
でもこのままじゃいけないという気持ちがふと湧き上がりました。
私はこの辛い経験をプラスに変えてみます。
「あなたのおかげで私はこんな大切な事に気づくことができたんだよ、ありがとう」
いつか弟にこんな言葉をかけてみたい。そう思いました。
そういえば遺書に「私の幸せを心から願っています」と書いていました。
当初はこんな状況になって幸せになってなれるわけない。身勝手な事をしておいて、ふざけたことを言わないでよ、と怒りすら感じていました。
私の弟に限らず、先に逝ってしまった人達は皆、残された人の幸福を祈っているのではないかと思います。もしも逆の立場だったら私もそう願うでしょう。
これから先もまた負の感情の大波や小波に苦しむことがあると思いますが、今は前を向いて生きてみようという気持ちでいっぱいです。




10910 一番ほしかったもの 雪野 2006/02/08 21:35
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
今日も掲示板を見ながら涙しました。
思い出し、胸が痛み、共感し、励ましと慰めを受けて・・・

ずっと一人でうずくまり「ごめんなさい!」「許して!」「助けて!」と
泣き叫んでいました。
一人でいても人前にいても心はいつも叫んでいました。

一番ほしかったのは罪の許し・・・彼からの許しの言葉でした。
仏壇や写真に語りかけ、「許して・・・」と呻いていました。
自分が許せなくてリストカットしたり、現実逃避で危ないお酒の飲み方をしていました。
今でも現実生活で上手く行かないことがあると、彼を亡くした自責の念がふつふつと
湧き上がり、取り乱します。

そんな姉の姿を10年近く見続けた弟も痛んでいるような気がします。
天国で泣いているような気がします。

これからも不安定で上手く生きれないお姉ちゃんだと思うけど、
それでも生き続けている姿を、彼は見守ってくれていると信じてみたいです。

遺された私たちがふらつきながらも、うづくまりながらも歩み続けた先に
彼や会いたかった人との再会があると信じて、今日一日、今日一日を過ごしています。

今晩もお酒を飲んでいます。
飲み過ぎないように気をつけます。
みなさまのことも想っています。


10911 胸の内 マーサ 2006/02/12 13:37
女性 / 60歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
この苦しい苦しい胸の内どうすればいいの!!
何をしていても頭の中は息子の事ばかり・・・
どうしてこんな事になってしまったのか・・・
無念で残念でやりきれない!!

義兄に「もう5カ月たったから立ち直ったか?」と聞かれたが
一生かかっても立ち直る事なんか出来ない!
亡くなった事は近親者だけに知らしたのですが
最近になって「大変な事があったそうで・・」と聞かれるたび
胸が苦しく涙がこみあげ・・お願いだからそっとしておいて欲しい

あの子のお嫁さんも1人になって寂しいと思うけれど
どうしてあげたら良いのかそこまで考えられない
私1人生きていくのがやっとです



10912 生きる勇気  死ぬ勇気 ロンリーウーマン 2006/02/13 19:47

 わたしの父と母


10913 マーサさんへ 剣 2006/02/13 21:32
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
文章をお読みし,私の(=弟の)両親の気持ちのように思いました。
父は,妹(私からみて叔母)に励まされ,思わず「何がわかる!」と喧嘩をしてしまったそうです。母は,後から知った人がお参りに来られる度に泣いているそうです。いまだに遺影は押し入れにしまわれたままです。
1年間は,毎日欠かさず電話をしました。今も3日に1度は電話をしています。でも、弟のことには触れません。もう1人の長男である弟は,離婚してでも実家の近くに戻ることを決意しました。
マーサさん,あなたを支えたいと思っている人もいるのではないでしょうか?どうか、1人で抱え込まないで下さい。
先日の投稿が,今までの穏やかな雰囲気と違っていたのでおせっかいさせて頂きました。お気に障ったら申し訳ありません。





10914 剣さん有難うございます マーサ 2006/02/14 16:47
女性 / 60歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
剣さん有難うございます
ここにこられる方は皆さん同じでしょうか?
姪に薦められた本を読んでいる時はすこし心が安らいでいますが
少しは穏やかな日・・・でも心の中は息子の事ばかり考えています

たまらなく悲しく苦しい日・・・
知り合いから慰めの言葉をかけられる時一番つらいです
そんな言葉よりもそっとしておいて欲しい・・・
主人の辛そうな態度を見ているのも辛く私はもっと辛くなってきます
そんな時早く死ねたらな〜と考えてしまう・・
でも私はそんな勇気はありません
私の残された人生は息子を弔っていく事だけと考えております




10915 職場で 剣 2006/02/17 06:27
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
昨日、職場の昼休みに自分たちの子ども(幼児から中学生)の話になりました。
その時,『もし大きくなっても親のすねをかじるようなら、殺してしまうかもしれん。」「働けん位なら死んだらええ。」という発言がありました。
私の弟,周りに適応できず働けない、親に迷惑をかけている,こんな自分に生きている価値はない,と死を選びました。
発言した人はきっと本気ではないでしょう。でも、冗談にしてもそんな考えをするのか,とショックでした。あまりに辛くて,本気で怒ってしまいそうで,私は会話に参加することができませんでした。
生きているだけでいいのに…生き方や仕事なんて,生きていてこその話なのに…。やっぱり、経験しないとわからないことなのでしょうか。



10916 雑音 でぃー 2006/02/17 18:28
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
そうですよね。
ここに集う人たちはみな、
生きているだけで感謝できるのですよね。

それは、とても尊いことのような気がします。

まわりの雑音に気をとられることもあるけれど、
どうぞ、静かでいましょう。
気をとられると、まいってしまいます。

私は雑音が聞こえそうになると、
そっと、離れるようにするか、
聞こえないように耳を閉じます。

その達人になるのは、とても難しいことだけれど、
わたしたちが、生きていくためにとても大切な
やり方なのではないでしょうか。

いつも、心安らかでいられると
あの世の人たちが喜んでくれるような気がして・・・


10917 剣さん ゆか 2006/02/17 20:42
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
始めまして。私も弟を亡くしました。
お気持ちとても分かります。
生きていることがどれほどありがたいことかということは
やはり経験しないと分からないことでしょうね。

私の弟は父に30歳過ぎても結婚できないことを
責めて責めて責められ続け、生きることをあきらめてしまいました。

弟が亡くなった後、父に「生きていてくれるだけでよかったのに」と
責めました。

私には2人の娘がいますが、けんかをして「死ね」と言っていると、
真剣に怒ってしまいます。
私もそうやって弟とけんかしたものですが、
本当になってしまうなんて、考えもしなかった。

ほんとに生きていてくれさえすれば、よかったのに。


10919 【お詫び】わかちあいの会 「風舎」の開催日について。 leeron(共同管理人) 2006/02/20 10:04
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
3月の開催日を19日と掲示していましたが、
正しくは12日の間違いでした。
申し訳ありません。
お詫びして訂正します。


10920 初めまして 雪ん子 2006/02/20 19:11
女性 / 50歳台 / 夫 / 10年以上 / 中部
数年前にここを娘に教えてもらい毎日のように
皆さんの心の叫びを読ませていただきました。
そして、いっしょに泣いていました。
小学生だった一番下の娘も成人しました。
私の苦しんでいる姿を見ているのがとても辛かったのだと
思います。
お母さん、辛いのはお母さんだけではない、私たちもすごく
辛いのだから。でも頑張って・・・。泣かないで!とその時
まだ小学3年だった娘に悲願されました
息子たちも今だに様々の苦しみや心の葛藤の中にいると
思われます。でも今やっと傍目には普通の生活になっていると
思います。
お父さんが生きていてくれたら、大きく成長した息子たちと
大好きなお酒を飲み交わしていたのかな・・・。
娘と私は忙しく台所で好きなつまみでも作っていたのかな・・・。
などと残された者たちで話ができるようになりました。
でも、今だにどうして亡くなったのと聞かれると
とても辛く、悲しい思いに駆られます。
一生背負っていくのですね。いつになったら軽くなるとか
ではないのですね。
たくさんの人たちに助けられながら今の私たち家族がいます。
もうすぐ20年近くになろうとしています。
なんとか頑張っている1つの家族がいます。
みなさんも苦しくて苦しくてどうしようもない状態の中に
居ると思います。私もそうでした。
でもいつか普通に笑っている自分に気が付く時が来ます。
乗り越えてください!長い道のりですが!




10921 父の自殺 アイママ 2006/02/20 20:21
女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内
私には、一代で会社経営をして成功をした大きな父がいました。でも、10年前に、軽い鬱病になり、5年前に心臓病になり、その後思い鬱病になりました。1年前、精神科の先生と喧嘩をして、それ以来鬱の薬は飲んでませんでした。ある日、父は庭で首をつって死んでました。

失踪当日、犬がオレンジのサンダルを片方を咥えて、母が叱りながら、おもむろに犬小屋の上に置いた。

2日目、もう直ぐ3歳になる娘とそばにある実家で節分の豆まきをしてました。娘が鬼は外だーと言って庭でばら撒いて犬とかけっこをしながらふざけながら、玄関でいつものように大きな声でジージー遊ぼうよーと私の父の部屋へ直行するのが日課です。でも、その日もいませんでした。母が、昨日晩、父が家に戻っていないといいました。その前に日は、私の妹と大喧嘩をして顔をはたいたそうです。そして、妹は父に゛オマエ”と言った為、取っ組み合いになり、大変だったという話を思い出しました。

3日目、朝、主人が昨日オヤジから会社に電話もないし、会社にも顔出さなかったけど、お前みたか?と聞いてきて、父は家を2日も空けたことになる。今まで外泊をした事は一度もない。

4日目、父の靴が全てあるがオレンジのサンダルがないのに気付き、庭を探す様に母に言った。

父は、古くなったいつものスポーツウェアーとオレンジのサンダルを履いてどこかへ行ったのか?でも、片方のサンダルは、既に犬小屋の上に母が置いているから、もう片方は?

5日目、私は、捜索願を出す。その晩、夢で男の人が、゛揃っていないものを揃えれば全てのパズルは完成する”と私に言った。その時、オレンジのサンダルが凄く気になった。

6日目、駅の防犯カメラを見に行く。でも、父は、みあたらなかった。
駅で、母と預けた娘を迎えに行き合流してタクシーで実家へ帰る。私は母へ、もう一度あのサンダルの片方探そうよといった。夢で聞いたことも伝え、凄く気になるといった。実家に到着し、犬の糞を片付けようと物置の傍に新聞紙に手をかける。オレンジのもう片方のサンダル。もっと、置くばった隅にあった。近寄ると、紫に変色した足があり、父は、そのこに後ろ向きになって、ゴツゴツしたその壁に顔を埋めてすわっていた。

娘が、ジージーどうしたの?何しているの?

母が、顔を隠し、私に救急車を呼ぶように言う。いなくなってから約1週間も経ち、その間雪が降ったり、雨が降ったり、とても寒い日々が続いていたせいか、体は、固まっていた。外階段の3階部分に切れたロープが垂れていた。重みで切れ、落ちた為、発見が遅くなったと思われる。

何もかも遅かった。直ぐ駆けつけた主人は、ひっくり返って泣いていた。私は、過去吸になり、ママどうしたの?という娘の言葉に私は、
われに返った。

誰よりも強かった大きな父は、冷たく、紫になり、苦しかったのか、歯は食いしばっていた。首は、くっきりロープのあとがあり、目をつぶっても壁で瞼がもちがあり、眼球が乾燥していた。

誰一人いままで気付かなかった。

遺書が金庫に入っていた。いつも父が首にたれさげていたお守りは、神棚の上においてあった。何となく整理された衣装室。自殺を考えていた日は、いつもよりおとなしく、酒をのんでいたそうです。主人は最後、父をちゃんとタクシーに乗せあの日見送った。まさか自殺を考えているなんて思っても見なかったと。タクシーの中で何を考えていたんだろう。どんな思いで、お守りを見放したのだろうか?どんな思いで、ロープをかけたのかのか?爪は、深爪するほどちゃんと全てきってあった。床屋に行ったのか髪もそろっている。ひげもそってあった。お金はすべておいてある。免許書も全て。

ポケットにあけたばかりのタバコが入っていた。1本だけ吸ったようだ。最後の、タバコはどうな思いで味わったのだろうか?

熱いお茶を置いてタバコをふかしてあげた。人は、なんて一瞬の存在なんだろうか?私はなんて無力な虫なんだろうか。情けない。これからというのに。もっと頼りにしてほしかった。もっと話を愚痴を聞いてあげればよかった。

1週間後、父の遺言書は、白紙として、無視をされた。母と妹の事は1つも明記されてなく、私達はただ無念のみのこる。父が無理をしてわたしの妹の2回目の留学資金の借金の残りが多少残っていたのが分かり、妹は、スイス行きをあきらめ、その残りの借金を月3万円返済だとしても、凄く怒って、最後にろくな事をしてくれない私なんて生まれてこなければよかったと死んだ父をののしった。葬式の後の食事で最後の挨拶を間違えたと私の主人に蹴飛ばしてやりたいほど恥じさらしで、人の父親と思ってるからだ捨てせりふを残した。

許せない。父の死の重みをこの子はわかっていない。母は、父の苦悩の意味をわかっていない。

死ぬ前日、父は、母と妹をどうやって苦しめてやろうかといっていたそうです。実際は、全てをまかされた私達が全てを失い、父の意思が残せない悔しさに主人は、父の位牌の前で線香をあげながら、ボーと眺めていました。

父の会社は、母の会社となり、主人や私はただいつもどおり働けばよいとの事だった。私達は、財産を放棄し、会社をやめることにした。売り手がつけば、マンションも売り、どこか違う土地で又一からやり直そうと決めた。父の葬儀から1週間目だった。その晩、私達は眠れなかった。寝室のドアの向こうで、ずーっと変な音がパシパシ、ドンドンと鳴り響き、私達は手を握りながら、泣き、寄り添って朝を迎えた。

49日を過ぎたら、私の家族の前から消えるつもりです。
母、どう思うだろうか?妹は…
主人は、私の父が私達の娘をお風呂に入れて遊んでいるビデオを観て笑っていました。こんな、なんともない事が幸せなんだなーって。

父の失踪から丁度6日目で遺体を発見したが、警察は遺体は死後2日していないといいました。では、父は、広い家の中のどこかにいたのでしょうか?そんなはずはない。父は確かにオレンジのサンダルを履いている。もう片方は、失踪当日に、犬が咥えていたから、没収している。はだしで歩き回った形跡もなく靴下は、つま先だけ泥が付いていた。失踪当日に決まっている、でも、どうしてなのだろうか?未だ不明。

でも、私の2歳の娘は、ジージー家の中に居るよって私に言ったことがありました。父の失踪3日目の夜、ジージーはかくれんぼをしているのだと。その後、ぎゃーぎゃー泣いて、居なくなっちゃったと娘は泣いていました。

今私はパニック症になり、急に父の死に顔が目に浮かび、呼吸がうまく出来なくなってしまいます。これからがとても不安で急に悲しくて悲しくて涙が止まりません。



10922 アイママさんの書きこみを読んで ハナ 2006/02/22 00:42
女性 / 30歳台 / 婚約者 / 1年以内 / 関東
涙が止まらなくなりました。まだ一ヶ月‥言葉もありません。。あらゆる感情が嵐のように押し寄せる時期。すがれるものにはすべてすがってください。涙もいっぱい流してください。そうすることしか‥できない時期でした、私も‥。

久しぶりに心のうちを明かしたくなりました。書かせてくださいね。
私の失った大切な人は、私の婚約者でした。「彼氏」と言われればそれまでですが、本当に大切な大切な人でした。すでに私のファミリーでした。私の未来そのものでした。
お互い少し変わったバックグラウンドを持った私達は、30過ぎまで常にひとりで生きてきた人間でしたが、出会い、お互いを「一番の親友」と呼びあう仲になりました。親友のまま約三年が過ぎ、やがて恋が芽生え、そして一年の恋人期間を経て、去年の9月に結婚するはずでした。

それが5月のことです。式の準備やら新生活のことで頭がいっぱいになっていた私。そして、なぜか会社に行かなくなってしまった彼。「眠れない」。「会社に行くと胸が痛い」。そんな言葉もそんなに深刻に受け止めていなかった。それどころか自分達の結婚に疑問を持っているのでは?と疑ってさえいた。

その日は突然訪れました。「ごめんね」と携帯にメール。私だけにメール。彼が失踪しました。自死をほのめかしながら‥。彼のご両親に連絡をし、みんなで探し回りました。彼は遠くに行っていましたが、連絡はとれました。興奮状態ではありましたが、それで私達は安心してしまいました。こんな結末はありえない、と思っていたのです。「落ちついたら帰ってくる」と思っていたのです。

彼のアパートで待ちました。何度も携帯に電話をしたり、メールを送ったりしました。音信不通になりました。警察にも何度も足を運び、手がかりになるものはすべて探しました。そして一日、二日、眠れないまま、食事も取れないまま、ただただ彼のアパートで待ちました。一人きりで‥。そして二日目の夕方、悲しい知らせが入りました。

その後の生活のことは、長かったようで短い‥。テレビドラマの題名のように、まるで「白夜」の中をずっと歩いているようです。何にも希望が持てず、やる気ももてず、ただ‥生きています。生きてゆくのならば、一人で生きてゆくのならば、生きる道しるべとなるものを見つけなくてはならない‥しかし私もパニック障害と鬱を患っています。まだまだ一日をなんとかこなすことで精一杯。たとえ普通に過ごせても、何かをやり遂げたとしても、残るのは虚しさだけです。そして明日への不安‥。

「たかが恋人の死」と思っている人もいると思います。私のことを本当に思って、私が一日も早く元気になることを心から望んでくれている人達もいます。そんな両極端なプレッシャーから、いつも仮面をかぶっておどけています。何も言えなくなりました。涙も出なくなりました。泣いても、人に話しても‥何も起こらない。誰も助けてはくれない。わかってはもらえない。すべて一人で抱えて、一人で乗り越えていくしかないんだな‥と納得はしても、時々折れそうになります。そんな時、私を一人ぼっちにした彼を、ほんの少し恨みます。こんな時に一番そばにいて欲しいのは彼なのに‥あなたが原因を作ってどうするのよ!って。。。そして‥いつまでもあなた離れできない私でごめんなさい。。。


10923 ハナさんへ フリマ 2006/02/23 00:50
男性 / 40歳台 / 婚約者 / 3年以内 / 関東
今晩は。私たちの気持ちもしらず。

季節の便りは春の訪れを少しづつ運んできます。

私は2002年12月19日に同居中の交際女性を

『自死』で逝くしました。

彼女の方に色々な事情があり、お葬式、49日全て終り

お墓も自分で建てました。

3年、いや4年目を迎えてても私の時間は氷ついたままです。

亡くなる3日前に二人で一緒に食事に出かけ、来る年の

カレンダーを買いに行きました。最後の外出になってしまいました。

突然と『生きる道しるべ』は消え去り

『明日への不安』が突然とやって来ます

なんでこんなにも不公平なんだろう・・・・

ささやかな、楽しみ・慈しみ・平穏な日々

なんでこんなにも不公平なんだ!

私の周りの人達は、もう3年もすぎたから・・・・・

私にとってはまだ3年しか経ってないじゃないか!!

と叫びたい・・・・

自分の事ばかり書いてしまいました。

ごめんなさいね、ハナさん・・・




10925 月末 剣 2006/02/25 01:12
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
毎月、月末になると動悸がしたり、何もかも嫌になったりします。
弟が26歳で、27日に逝ったからだと思います。誕生日は28日です。
数字遊びみたいだけど、自分が特に意識をしていなくても月末になると必ず辛くなります。
一体いつまで続くのでしょう。
それとも、ずっと続く事が私に科せられた罰で、もしも治ったら許されたと思っていいのでしょうか。



10926 お話読ませていただきました。 crane 2006/02/25 01:17

 ずっと前にここにお世話になった者で、母を18の時亡くしました。
 当時は、自傷行為や過呼吸がたびたびありましたが、
 焦らずゆっくり、今日まで来られました。

 
「死なないことはできるのに、生きることの何と難しいことだろう?」

 母を失って、ずっと抱き続けてきた想いです。
 もしかしたら逝く前の母も同じ気持ちだったかもしれませんし、
 皆さんも同じ想いかもしれません。

 故人の後を追うのはどうにか我慢できるのに、
 望んで息を吸って、食べて、寝ることができなかったのです。
 死んではいない、状態は生きてはいないと実感しました。

 死んではいないだけの私にずっと付き合ってくれていた人と
 今年結婚します。一緒に生きてくれると言ってくれました。
 死なずにいれば、いつかまた生きることもできると思うのです。

 逝かれた記憶や悲しみは消えないけれど、

 


10927 みなさんへ でぃー 2006/02/25 07:02
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
みなさんが、悲しみを背負って、
歩き続けておられることに、勇気をいただきます。

craneさん、おめでとうございます。
心から、新しい生活が幸多きことをお祈りしています。
お母様がどんなに喜ばれることか、私がお母様だったらと
思うと、涙がこぼれます。


剣さん、私たちに罪なんかないですよ。
私たちは、大切ななにかに気づくために、こうして、
重いものを背負って、歩き続けているような気がするのです。
わたしの息子は3月28日に逝きました。
だから、ほんとに・・今の時期はまいっています。
同士ですね^^
ここに、たくさんの同士がいるのがありがたいです。

フリマさん、ほんとに不公平だって、私も思っていました。
誰にも私の悲しみなんてわからないだろうと思っていました。
男の方は、どんなにおつらいかと、夫を見て思います。
わがままが言えないから・・・
どうぞ、ご自分を愛して、大切にしてと祈ります。

ハナさん、息子の恋人も、あなたみたいだったのだろう、
と思い出しています。一年ぶりに会った彼女は、輝くばかりに
美しくなって、大人っぽくなっていて、うれしかった。
息子が守ってくれていることを確信しました。

みなさんに書ききれないので、ごめんなさい。

悲しみが溢れるくらいになったときは、
ちょっといいことでも見つけて、神様にありがとうを言うと、
もっといいことが起きるから、不思議です。
これは、「くぼっちの教え」です。






10928 はじめまして いちご 2006/02/25 17:24
女性 / 20歳台 / 母 / 10年以上 / 日本国内
「自殺って言えなかった」という、本を読みました。同じような体験をした人
とずっと話してみたかったのかもしれない。びくびく怯えて知られたくなかった時もあったし、平然を装って話してみたり・・・。どうしても、重い感じになってしまうけど、私の身に起きたこと。



10929 でぃーさんへ 剣 2006/02/25 23:12
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
ありがとうございます。
おっしゃる通り、ここに同士の方がいらっしゃるのはありがたい限りです。
家族の自死は誰もが経験する事ではないけれど、私だけではないという事がわかるので。
気持ちをわかってもらえたり、間違いを優しく訂正してもらえたりするので。

弟が逝って半年くらいの頃、体験談をまとめた本を読もうとしましたが、
胸が苦しくなって、涙がこぼれて、とても読めませんでした。
その本は本棚の上の方にしまったきりです。
今、読んでみようかなという気になりました。
その人たちも同士だから。

でも、でぃーさんは遺族というだけでなく数字関係の同士…と思わせてもらってもいいですか?


10931 あの夏 声 2006/03/01 06:21
男性 / 30歳台 / 母 / 20年以上 / 関東
私が6歳の夏、母はこの世界から去りました。
私はずっと交通事故だと知らされて育ちました。
実は母が事実上、自殺だったことを知ったのは、
大学生の頃です。
交通遺児奨学金を取ろうとしたのに、
関連団体に記録が残っていないことから、
自殺の事実が判明しました。
母は事故死ではなく、病死として書類上は処理されていたのです。
電車に飛び込んで死んだにもかかわらず、
書類上は病死になっていたのでした。
遺体は思ったよりきれいでした。
轢断箇所は少ないため、また、顔にも傷がなかったため、
縫合されて棺おけに入っていたのです。
もし、あのときの母の服をめくっていたら、
生々しい傷跡があったのでしょう。

うつ病による自殺でした。
ですが、父は「病死」だと言い張ります。
「人間は病気になったら仕方がない。
自殺なのかどうかも分からない」と。
父は再婚しましたが、当たり前の話ですが、父にとって母は
元他人であっても、私にとっては世界にひとりしかいない母です。
父はとうの昔に再婚しています。
もとから自分にとって辛いことには執着しない性質なのでしょう。
状況からみて、どう考えても自殺としか思えないケースで
あるにもかかわらず、「病死」と言い張る父を見ていると、
悔しくてたまりません。
不合理な形で処理を済ませています。
その不合理さを自己省察する知性にも、父は恵まれていません。
「ああ、こういう人柄が母を自殺に追い込んだんだな」。
私は、母の死の遠因には父の性格が深く関わっていると感じて
います。
それ以来、父とは関わりをもたないようにしています。

私は独学で精神医学を学びました。
もともと勉強が得意だったこともあって、徹底的にやったのです。
本業で精神科医をやっている人とも、ある程度は議論ができる
くらいに打ち込みました。
私にとって、母の死の真相は、絶対に放棄できないことだからです。
父にとっては「もういいじゃないか」という話です。

当時すでに17歳になっていた姉から、亡くなる前の母の様子
なども聞いています。
話を総合して考えると、典型的なうつ病患者の自殺ケースです。
しばしば「鬱は治りかけが危険だ」と言われますが、
私の母もまさしくこうしたケースでした。
私にはもうひとり姉(当時13歳)がいますが、この姉は、
母が自殺だったことに気づいていません。
事態を知っているのは、一番上の姉と、当時6歳だった私だけという
奇妙な状況が生まれています。

そう、自殺遺児の家族の中では、時と場合によりますが、
こうしたことも起こりえます。
これはぜひ知ってほしいことだと思います。

まったくと言っていいほど無力だった6歳の少年が、唐突に母親が
世界から消えることで経験すること。
私はしなくともいい辛い経験をしています。
何らかの形で解決すればいいのですが、まだ解決の糸口が見えません。

確かに私の知性は磨かれました。
人に対する思いやりも育まれました。
人生に対する奥深い洞察力も鍛えられました。
幼くして母親を喪うという体験から、私が得たものもあるのです。

しかしながら、いまだに私の悲しみは癒されません。
夕方、突然、母親が棺おけに入って家に帰ってきた、
あの夏のフラッシュバックはこの年齢になっても消えません。

胸襟を開いて率直に話し合うことがいかに重要か。
私の家族の失敗例を皆さんには参考にしてほしいと思います。

最後に、とある小説の主人公の台詞を引用させてもらいます。

「たぶん、ある事件にまきこまれたものたちにとっては、
その事件が終わるということはありえない。
――たぶん、むしろ、終わってからのほうがいっそう、
その事件については、さまざまな影響が残され、その事件の
おこる前とあととでは人間関係も、ひとの心のありようも、
家のようすやかかわりあったものたちの人生も変わっているはずだ。
それだというのに、人々はいう。
『すべては、終わったことだ』」
「ばかげたことだ!――本当に何もかもを終わったことに
したいのだったら、それが終わったのだ、というそぶりを
しないで、逆に、それがちゃんと存在した、ということを
お互いに認め合い、その上で和解しつづけているしか
ないだろうに」

みなさんは、専門用語で言うところの、二次被害や三次被害に
苦しまれている時期の方が多そうです。
大事な人を自殺で亡くすことが一次被害だとしたら、
周囲の人間の心ない一言によってさらに傷つくのが二次被害だと
いえます。
最初、無知ゆえに二次被害的な言動を平然と取ってくる人が
現れた時は、みなさんにも抵抗力がありません。
まっさらな心に、思いやりのない一言がグサリとささってしまう
ことでしょう。私も、何度もそうした経験をしている。

みなさんにも、ぜひ自信を持ってほしいことなのですが、
そうした時、常に正しいのは私たちの心です。
苦しんでいる心の悲鳴です。
ある著名な外交官の発言ですが、真理は必ず弱者の側に宿ります。
かつて本当にあった事件について、その事実を正直に認め合い、
今はこの世界にいない人間に対して祈りの気持ちを持つということ。
たったこれだけの単純な作業でさえ、現代人にはできなくなって
しまったようです。
だからこそ、二次被害的な発言をする人物が後を絶ちません。
死生観をめぐって空理空論を押し付けてくる人間も後を絶ちません。

私は31歳ですが、もう私の母の死をめぐって、率直に語り合える
関係にいる人物はいなくなってしまいました。
私の家族が事件に蓋をしてしまったのです。
親族でも友人でも、この話をできる人はいなくなってしまいました。

私は、考えることで、自分の悲しみを和らげようとしています。


10932 声さんの投稿を読んで kazuたん 2006/03/01 07:35
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
そう、事件なんですよね。
弟が亡くなったとき警察は、生前も知らないのにどんな状況で、
どんな風に・・までは、調べてはくれませんでした。
会社へ問い合わせたところ、本人が神経内科に通っていた事がわかり、
自死を決定づけたからだそうです。
でも私達にとっては高所恐怖症の彼が、地上30mの所から飛び降りたなんて、
1年10ヶ月経とうとする今でも信じられません。
身内にとってはショックな事実ですが、やっぱり本当の事が知りたい。
当時警察に私は、「「弟が自○したとは思えない」」と言ったところ、
「「事実を受け止めて自分達で調べるべきだ。警察は事件性が無い以上調べられない」」と言ってきてきました。
現実は当然なんだろうけど・・・。
私も今年になってから友人達に弟の自死を打ち明け始めましたが、
当人達じゃないと理解しがたいな・・と痛感しており、
弟の事に関して、解かり合える、話し合える友人はおりません。
父も、自分が受けたこころの傷は訴えても、私達の話も聞きません。

もう一人の弟と、母と私。
そして、亡くなった弟の親友。
今は4人も居るので、今のうちにもっとよく話し合いたいと思いました。




10933 管理人さん有難うございます マーサ 2006/03/01 12:39
女性 / 60歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
管理人さんいつも有難うございます
毎日覗かせていただいております
悲しい時苦しくてどうしょうも無い時は
こちらに泣きに来ています

息子を自死で失ってからこんなに苦しく辛く悲しいのは
私だけではないか・・世界一不幸な親だと
毎日泣き暮らしていましたが

こちらのホームページにたどり着けてから
大勢の方の投稿を読ませていただいている内に
同じ苦しみ悲しみを抱えておられる方が
大勢いらっしゃる事がわかり
辛く悲しいのは私だけでは無い
同じ苦しみをもつ大勢の方がおられると・・
私は生きる勇気を頂き又どんなに慰められたかわかりません
この投稿は?と思うものにも対処して頂き・・・
本当に感謝しております有難うございます




10934 声さんへ SJ 2006/03/02 03:59
女性 / 20歳台 / 父 / 6ヶ月以内 / 近畿

投稿を読んで胸が締め付けられる思いがしました。私はまだ自分の事を投稿することができませんが、レスせずにはいられませんでした。
私の中で共通していると思える所がいくつかあったからです。
最たるものは、死別の悲しみよりも深いと感じられるぐらい傷ついたということ。私の場合、父の死に、義母(母は小さいときに病気で亡くなり、父は再婚したので)の影響も否定できないという事。
私には、誰も話せる人がいません。この悲しみは一生抱えて生きていかなければならないと受け入れました。そして父のためにも幸せにならないといけないと、とても難しいけれど、努力しようと思っています。
二次災害、三次災害、四次災害・・・終わる事はないです。
小説の台詞、すごく共感できました。
声さんは精神医学を学ばれたんですね。私は父の生前からスピリチュアリズムを学んでいます。悲しみが癒される事はありませんが、心は救われました。
私も、考えることで自分の悲しみを和らげようとしています。
声さんの悲しみが少しでも癒される事を心から祈っています。


10935 父の死から その後  アイママ 2006/03/02 20:18
女性 / 30歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 関東
こんばんは。以前長々と父の自死に関してお話させていただきました。

明日は三月三日私の誕生日です。でも、一番悲しい誕生日になりそうです。でも、娘の為に、お雛様を飾りそれなりに春のお祝いをしようと思ってます。

父の自死から早いもので1ヶ月になろうとしています。剣さん、ご心配頂きまして心のこもるメール有難うございました。このサイトで、少し心が救われたような気がします。

最初のメールを書いた時は、実家を離れる予定でしたが、主人が結局私が帰れる家、家族がいなくなるのは可哀想と、そして何よりも、父の残した汗水たらして必死に残した会社が無くなるのは父への恩返しも出来ないと主人はこのまま会社に残る事になりました。もう少し頑張ると。

私も出来る限りの努力をしたいと思ってます。毎日忙しくしようとしています。49日、偲びの会が終わるまでは気が抜けないなと。でも、毎日泣いてます。主人にも家族にも内緒でお風呂で泣いてます。一生、心の隅でいつも泣いている黒い影は消えることないのでしょうと今の自分はまだそう思っています。出来るだけの努力と少なくとも父以上には生きて、いつか父とあの世で再会したら叱り飛ばしてやりたいです。というより、お化けでもいいから今会いたいです。今後も時々このサイトで嘆くでしょうが、どうぞ皆さんお付き合い願います。




10936 声さんへ 剣 2006/03/03 05:43
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
初めまして。

私は弟が自死しました。
鬱病による「病死」だと思ってはいけないでしょうか。
もちろん、内科的疾患などによる「病死」とは異なる点が多々あります。
本人にとっても、遺された者にとっても…。
だから「自死」という言葉が生まれたのだと解釈しています。

ところで、私の娘(当時3歳半)は当日家の中にいて一部始終を経験しました。
発見され、救急車が来、遺体が帰ってきたのを。
私の実家なのですが、たまたま預けていたのです。
弟にとてもなついており、前日は一緒にお風呂に入ったそうです。

今のところ、「病死」と伝えています。
最初の半年は「入院中」と言っていました。
遺体は見たものの、「お兄ちゃんに似た人が死んでいる」という認識だったようなので。
(半年前に祖父を亡くしたばかりだった為、死の雰囲気のようなものはわかっていたようです。)
でも、声さんの投稿を読んで考えさせられました。
「娘を傷つけたくないから」と思っているつもりだけど、実は伝える事から逃げているだけかもしれないと。
声さんは、いつ頃、どのように伝えてもらいたかったですか?





10937 警察 剣 2006/03/03 05:59
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
kazuたんさんの文章をお読みし、久々に思い出しました。
警察は事件しか扱わない事を。事件でなければ即、手を引く事を。
弟が救命センターに運ばれ心肺蘇生を受けている時、警察が来て最初に母に訊いたのが、保険金の事だそうです。
保険金殺人を疑っての事なのでしょうが、心肺蘇生をしている最中に、ですよ。
息子がいきなり首を吊って、助かるかどうか胸の張り裂ける想いをしている母親に、ですよ。

そういうマニュアルでもあるのかもしれませんが、ちょっと常識はずれだとは思いませんか。




10938 愛を忘れたくないです ここね 2006/03/05 01:40
女性 / 20歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 近畿
鬱病による自死は病死ではないのでしょうか?自分で死を選んだという意味では彼の死は受け入れていますが病死という思いは正直あります。鬱病にならなかったら死という決断は絶対にしなかったでしょうし、私の夫は自分の死によって家族が救えるという思いももっていたからです。それはやはり判断力・決断力が欠落している状態だったからだとと思うのです。
声さんのお父様がどのようにお母様の死を受け入れたのかはわかりませんが自分の一番愛している人が自分や家族を置いていくなんて病気以外に考えられないのです。夫のつらかったときばかりを思い出してしまいますが彼の愛をないがしろにしないよう忘れてしまわないようにこころがけています。

警察の対応は本当にあきれるばかりです。
私は直接きかれることはありませんでしたが保険金による殺人を疑っている様子があるから気を確かに事情聴取にのぞみなさいと義母に言われました。後処理に警察に行けば自殺だった人ですよね?と義母に聞く無神経さ。挙句の果てにはこのような変死が毎日起きているのですよとファイルの厚さを見せ大変ですよという始末。心のある人間だとはとても思えませんでした。

剣さんお子様に対する説明はさぞお悩みになっているでしょう。
私も夫の姉の子にお兄ちゃんなんで自分で死んだ?ときかれ戸惑いました。この子はどこで情報を得たのだろう?真実をはなすべきなのだろうか?と結局私は義姉に判断を仰ぎ一番上の子には事実は認め答えはわからないことを告げました。その後その子は彼の骨をどうしても見たいと言い出し、好奇心から?と思いつつも納骨の際に見せるとじっと見つめた後にうなづきもうわかったといいました。どう感じたのでしょうか。
でも今話をしてみてもあぁこの子は理解できてるなと思っています。


10939 無題 楓 2006/03/05 01:54
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
みなさまの書き込みをみて、
みんな、やさしいなぁ、って思いました。
わたしは、そんなに優しくないな、って。思いました。

ここのところ、ちょっとイヤなことが多くて、
仕事も忙しくて、娘もちっとも言うこと聞かなくて、
イライラしているのかもしれませんが、
亡くなった主人に対し、
「ずるいよ」とか「あんたは楽でいいいよね」とか
「あたしが悪いんでしょ」「勝手にしてよ」
とか、、、
そんな言葉ばかり心の中を駆けめぐっています。

でも、日常のわたしのキャラは
明るく元気な人
なので、愚痴ったり、泣いたり、相談するとか、って
できません。
そんな、明るく元気なわたしは、偽物っぽくて、イヤなのに、
それを続けて生活していて、
一人になると、涙と恨みに近い怒りばかり。。。

泣いて、わめいて、壊れてしまいたい。
いますぐ、ここから逃げ出したい。
娘がいるから、そんなことできないけど。

もう1年半なのに、ね。
もう とか、 まだ とか無いんだろうな。

ごめんなさい。書いてることめちゃくちゃですね。
ごめんなさい。



10940 楓さん ここね 2006/03/05 08:05
女性 / 20歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 近畿
私もたまらない毎日を送っています。特に夜はつらいです。
お昼に明るく元気に振舞い自分を奮い立たせている分今まで頼りにしていた人にまで愚痴や相談さえできず涙ばかり出ます。
やはりその行き先は主人に行きます。いいんじゃないかな?と開き直りつつ・・・。

この間お世話になった先輩に渇を入れられました。
姉御肌のお前に人を頼りにしなさいは無理があるだろうけどみんな本当は心配してるんだ。ヘルプをだせばいつでもお前のペースで助けてやるからと・・・。実はいまだに誰にもヘルプは出せずにいますが無理のないように生活しなければと思わせてくれました。感謝です。主人に置いていかれても頑張っている私たちって多分結構な頑張りを見せてますよ。うん。えらい!!!

変な話をしてもいいですか?私の祖母も若いときに未亡人になり二人の子供を育て上げました。五二年目祖母は健在です。私ちょっとした霊感体質があり特に最近は敏感になっているのですが先日祖父が私の前に現れました。いまだに実家で生活しているかのようにごく自然に横切って行きました。そのとき私思ったのです。おじいちゃん五十年もたつのに神様になるよりおばあちゃんの近くにいることを選んでいるんだなって。愚痴や怒りぐらい受け止めていてくれるんだなと安心しました。私の祖母はお仏壇で常に愚痴る怒るように心がけ乗り越えてきたそうですから。恋愛結婚でもないのに短い間の結婚生活に確かに愛があったのだと感じました。

乱文お許しください。





10941 ここねさんへ kazuたん 2006/03/06 00:19
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
頑張っておられますね!
愛のお話、ありがとうございます。
私の胸にも身に染みました。
よく
「「自分を愛せなくなったら他人(ひと)を愛せなくなる」」
と言いますが
それは生きている人間。
自死の方は結局
「「自分を愛せなくなったけどまわりの人達をとても愛してる」」
から生きられなくなってしまったんではないかな・・
と私は思います。
もちろん自分を愛せなくなるのは
本人も発見できぬほど深くある「「こころ」」の病だったからですよね。
ここねさんのご主人様は今でも心からここねさんを愛し続けているでしょう。

私は実の弟を2004年の初夏に亡くしました。
その年の夏からここの掲示板に大変お世話になっておりますが、
お子様が小さくていらっしゃる時期でご主人様や奥様
または婚約者様を亡くされた方は
共感面で大変苦労されてるんではないかと思っております。
自分は両親や兄弟とほぼ同じ想いで悲しんだり苦しんだりしております。
弟にもし交際中の女性や家庭があったなら
たぶん今でもその相手を
とても心配で心配でしょうがないだろうと思います。
なぜなら弟とその相手には私達では入りきれぬ
時期は短くとも血のつながりより深い愛の絆があるからです。
私達はきっと共感しきれなくて不甲斐なさを感じると思います。

なのでここではここねさん達には
優しく包んで見守りたい気持ちでいっぱいです。
と共に
生前弟にも愛してくれた相手(親友達ですが・・)がこのように想ってくれているんではないかな?と似たような想いだと思いながら
癒しを頂いております。

勝手な解釈でごめんなさいね・・





10942 弟の事 剣 2006/03/06 04:51
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
弟に友人や、恋人や、配偶者がいたら…。

一緒に語る事ができただろうか。
辛さの性質が違うから、離れてしまっただろうか。
私たちに話せない事も聴いてくれて、自死にまで至らなかっただろうか。

わかりません。
弟は対人恐怖症気味だったので、「周りの人も離れていった」と遺書にありました。
家族の誰も、彼に友人がいたのかどうか知りません。
葬儀は親戚と近所の人だけでした。
今年の年賀状、弟宛のものは一通もありませんでした。

ご主人を亡くされた方の書き込みを読んで、もし…と考えてしまいました。

>kazuたんさん。
私の弟も2004年の初夏でした。
なのに、というのも変ですが、どうしてそんなに大きな心でいらっしゃるのでしょう。
私はまだまだ自分が第一だというのに。

とりとめのない文章ですみません。



10943 剣さんへ kazuたん 2006/03/06 09:00
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
> 弟は対人恐怖症気味だったので
> 家族の誰も、彼に友人がいたのかどうか知りません。

同じです。
弟も生前私に友達が多くていいね・・と寂しい顔をしてました。
その時気付いてあげればよかった。
今まで弟はひとりで居る時間を楽しむ性格だったと私達が勘違いしていたのかもしれない・・。

私はとてもしつこい性格です。
なので
ずっと離れて暮らしていた弟の素性は亡くなってから調べまくりました。
というより知りざるおえない状況でした・・。
もっと生きているうちに知りたかった。
本人が気付いてないだけで彼の友達はおりました。
素晴らしい方達でした。
弟が亡くなった事を知らずショックを受けてました。
弟とは10年以上一緒に居てくれた友達達とは亡くなってから初対面でした。

でも病がうえに自分が孤独だと思い込んでしまったんではないか・・可哀相に。
と今になってみるとそう思います。
剣さんの弟さんにも弟さんを頼ってた方がいらしゃったかもしれません。(勝手な解釈でごめんなさい)
「「離れた」」
という弟さんの言葉
愛されているのに愛されてる感覚がなかった・・?・・

弟の遺書にも反対の言葉だらけでした。
大企業のエリートで新入社員教育まで任されていたのに
「「リストラ必死」」
前向きな行動だらけだったのに
「「死ぬのが夢だった」」
など書いてありました。
否定してあげたかった。
とても不甲斐なさを感じます。

結局
親友とまで言ってくださった方が数人いらしゃったのですが
誰も弟がうつ病だった事を知りませんでした。
もちろん私達も。
最低4年間は苦しんだ跡があったというのに。
大量の薬にうつの本がひとりぐらしの弟の部屋にあった時はショックでした。

「「弱い」」からでなく
「「強い」」から言えなかったと思いました。

まわりにいっさい言わなかった「「死にたい」」と想いが
実はずっと想っていた事なんだろうと思うと
胸が張り裂けるほど辛い。

> 今年の年賀状、弟宛のものは一通もありませんでした。

男の方は独身時代はあまりやりとりが無い物。
でもそれにしても亡くなった2004年の年賀状が私と実家からだけだったのは本人にとっても寂しかったんではないか?
と私も悲しくなりました・・。

そこで私は悔しくて弟がとっておいた中学から大学時代
前の赴任先の会社の方の年賀状をひっぱりだし連絡しまくりました。
喪主の父の意見とは異なり通夜も葬式もたくさん呼びました。
それは母があまりにも不憫だったので。
弟を不幸だったかのように言うのが私にはたまらなかったんです。
一番最初弟の遺体となった顔を見た時
私は両親の狂ったような泣き方を背に
「「私も一緒にそっちに行ってあげようか?ひとりじゃさみしいよね?」」
と思ったくらいに。

それが正しかったのか今でもわかりません。
でも父とはいまだに揉めてますし。

> どうしてそんなに大きな心でいらっしゃるのでしょう。
> 私はまだまだ自分が第一だというのに。

いいえ、私こそ自分のことばかりです。
本当にこれで弟は成仏できるんだろうか。
私の勝手な想いで行動しすぎて不安になります。
これからも不安。
辛いですよね。。


10944 私の義姉も ここね 2006/03/06 10:54
女性 / 20歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 近畿
私の主人にも姉がおります。きっとお二人と同じやりきれない気持ちでいっぱいなのでしょうね。胸が痛いです。
私は義姉に精一杯彼のことを話します。
友達が葬儀屋さんもびっくりするくらいいたこと。そして彼のことを思う気持ちがとても熱い人たちだということ。
仕事も上司に認められ後輩に尊敬され申し分がなかったこと。(同じ職場でしたので)
家族のぐちを言うくせにマザコン気味シスコン気味の最終的には父頼りの家族愛の強い人だったこと。常に何よりも家族の精神的肉体的な健康に敏感だったこと。
しかし彼もお前はいいな友達がたくさんいて仕事も認めてもらい家族にも恵まれているといっていました。それは悲しそうに。病のせいだと今になって思います。一生分の幸せが凝縮されすぎていたのかもしれません。短く悲しい終わりにはなってしまいましたがすばらしい人生と人格だったとココロから胸を張って自慢できます。彼の両親・兄弟・親戚の方にはこのような思いが生まれ辛いのだと気がつきました。
喪主をつとめさせていただき感じたことがありました。
口数の少ない人だったのに大勢の来ていただいた方に生前、彼がその方に対してどういっていたかもれずに伝えられるな。と。主人がどれだけ周りの人を大切にしていたか痛感いたしました。


10945 うつ病と自殺について 声 2006/03/06 14:32
男性 / 30歳台 / 母 / 20年以上 / 関東
ご質問に自分なりに答えます。
鬱病による死は病死か?
おいそれと答えられません。
まずはある程度、補助線を引いてみたいと思います。
私は文筆家でして、文章が長くなりがちです。
最初に詫びておきます。

通常、自死にはうつ病が隠されていると疑われます。
これが医学上の基本です。
良心的な医療関係者から見れば、常識とも言えることなのですが、
わが国の保健体育の教科書には、この程度のことも書かれていません。
少なくとも、私が子供だった頃は。
やはり、タブーだからなのでしょう。
ベトナム戦争に抗議した僧侶が、自分にガソリンを巻いて焼身自殺を
図っているショッキングな映像がありますが、あれは憤死でしょう。
うつ病は隠れていません。
また、戦前の特攻隊であったり、イスラム教の過激テロであったり、
凄絶な死に方を人間は選ぶことがあります。
ある種の狂信や義務感に基づいた死です。
義務感に基づいたものには、殉死もあります。
戦前、明治天皇に殉じて自殺した人たちは数百人で単位でいました。
ここにもうつ病は隠れていません。
また、極めて少ないのですが、哲学的・感覚的な死を選ぶ人もいます。
12歳で飛び降り自殺をして亡くなった天才詩人の岡真史には、
うつ病が隠れているようには思えません。
感覚的な鋭さが、かえって仇になったように僕には思えます。

こうしたケース以外は、亡くなった人が、何らかの精神障害を
抱えていたことを疑ったほうが良いように思えます。
医療関係者、特に精神科医であればピンと来るようです。
作家の故・北杜男さん(自身も躁うつ病を患っている精神科医だった)や、同じく精神科医で作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)さんの著作物を読み込んでいるうちに、僕もこのあたりの感覚が幸か不幸か磨かれてしまいました。

1年ほど前、とある30代の女流作家が心臓発作で亡くなったという
ニュース速報が流れました。
僕はピンと来ました。
「あ、これは自殺だな」と。
自殺の場合、自殺であることを遺族が隠したいため、
心臓発作にするケースが多いのです。
実際、自殺でもなくとも、年間数万人単位の健康な日本人が
突然死しており、ずけずけとした物言いにはなるのはなんなのですが、
心臓発作が自殺の隠れ蓑とされるケースはとても多いからです。

僕の予測は当たっていました。
遺族の方々からしてみれば、望まぬ形であったかもしれませんが、
翌日の全国紙には首吊り自殺であったことが報道されていました。
うつ病を患っていたことも報道されました。
故人の死の真相、それもまったくの他人の死の真相をあれやこれやいうのはまったくもって不謹慎です。(とはいえ、彼女はプロの作家だったので、ある程度は公人でした。
報道機関もその点を考えて、報道に踏み切ったのでしょう)。
不謹慎ではあるものの、僕はほんの少しだけ、手ごたえを感じていました。
これは、人間がこの社会で生きることにおいて、起こり得ることを、そして、その実相を、自分の感覚で見抜くことができたという実感です。
私は何よりも真実を大事にしているのです。
たとえ辛い現実に直面することになろうとも、まずは真実を共有するところから物事は始まってほしいというのが、個人も含めた社会や歴史の望ましい姿だと僕には思えます。
何もかも公開されれば良いという乱暴な意見は持ちませんが、
恐怖心に基づく封印は、後の世に何らかの形で禍根を残すのが人類の歴史であるように思えます。
マスコミで騒がれる様々な戦争犯罪に関しても思いますが、公開し、お互いに語り合うほうが、はるかに物の道理として健全であるように思えます。密閉すると、いつか何らの形で腐臭を放ちやすいものなのです、真実というものは。また、自殺は恥ずべきことではないように僕には思えますし。

家族が望んだのか、周囲にいた医療関係者がとっさに報道機関に対して答えたのかはわかりませんが、当初は「心臓発作」という虚偽の事実が公開された。
「まだまだ日本では、人が死んだ理由を表立って自殺だとはいえないのだな……」。
そうした感想を僕は持ちました。
その気持ちは痛いほどに分かります。
僕自身もかつては当事者でしたから。

それからしばらくして、おそらく北杜男のエッセイだったと思うのですが、息子を自殺でなくした老人のお通夜に出た話が書かれているものを読みました。なんと喪主である父親は、自殺であることを出席者には隠していなかったようです。しかも、席上では、「私の息子は最後まで戦った!」と、涙ながらに語っていたと言うのです。
正直、僕は衝撃を受けました。
「ああ、こういう遺族の形もありうるのか」、と。
自殺は逃げであるという、周囲から故人が貼られるであろうレッテルを、父親が自ら振り払っているように僕には思えました。
そうそうできることではないでしょう。
大変、勇気がいることだと思います。
この息子さんにも、おそらくはうつ病が背景に隠れていたと思われます。

病気を苦にしていたり、借金や仕事の悩みを抱えていたり、いろいろなケースはありますが、その悩んでいる過程で、うつ病を併発したのが、自死の誘い水になっているように思えます。
借金を抱えて困っていても、本人が躁状態(快活すぎる精神状態)
ならば、到底、自殺はしないでしょう。
また、自殺するのにも、ある程度のパワーが要るのです。
体が動かなくなるくらいの、ひどい状態の時には、うつ病の人も自殺は
できません。ある程度、状態がよくなった時に、ふわっと自殺に踏み切るのです。

精神障害による自死には、うつ病以外のケースも含まれます。
認知症、いわゆるボケてしまった人が、自ら招いた過失で事故死するケース。
アルコール依存症や覚せい剤などの精神障害で自殺に至るケース。
これは幻覚妄想状態という、人間が患う脳の病気の中でも、もっとも過酷な症状で起こりうるケースです。
個人的には、統合失調症による自殺がもっとも痛ましいように思えます。
世間で騒がれないだけで、10代後半から20代後半の若者の自殺の背後には、統合失調症による幻覚妄想状態のために、自殺するケースがとても多いのです。
ある少女は、「私が死なないと世界が滅びる!」という妄想を抱き、飛び降り自殺しようとしました。信じがたい話かもしれませんが、仕方がないのです。四六時中、自分に文句をつける得体の知れない人物からの幻聴が聴こえている状態であり、当人は、それが幻聴であることにも気付けないのですから。

同じ精神障害による自殺であっても、私には、急性期の統合失調症による自殺とうつ病による自殺では、ずいぶん開きがあるように思えます。
急性期の統合失調症による自殺は、人生に対する深い諦念であったり、人間社会に対する自分なりの価値観であったりとは、違うところで、自殺へのプロセスが進みます。
まったくもって痛ましい。しかも遺族は、初歩的な精神医学の勉強をしないかぎり、理由がさっぱり分からない。
共感しようにも、幻覚妄想状態という一度も経験したことがない状態は、なかなか共感しにくい。
まだ自分の意見は定めにくいところがありますが、私の感覚では、
こうした精神障害が、病死という表現にマッチしているように思えます(まだこの意見には完全な自信を持てませんが)。
「病気だったのだから、仕方がない」という言葉が、あっているように思えます。
将来、医学が驚異的に発展して、錠剤ひとつで幻覚妄想状態から脱出できる時代が来たのであれば(今は無理です)、もう病死と名づけるわけにはいかないのではないでしょうが。
うつ病の自殺には、たとえどれほど悲しい出来事であったとしても、
当人の人生に対する感覚や当人の価値観が伺えるように僕には思えます。何千年も前から、洋の東西を問わず、己の人生をはかなんで自殺する人間がたくさんいたのですから。

うつ病それ自体は、心の病というよりも、もはや体の病であると言い切れるところまで科学の力で解明されてきています。
他の精神疾患に比べれば、治癒率も高いです。
薬物療法も有効ですし、深刻なケースであっても、電気けいれん法で劇的に治る人が多い(悪名高い電気ショックですが、今日では麻酔を適応して苦もなく行える)。優れた医療機関への受診の素早さが、実は自殺を防ぐ。

僕は、精神障害をなるべく取り上げようとしてこなかった文部科学省の保健教育に、私たちの住む日本が自殺大国である原因のいったんがあるようににらんでいます。
「医学的には、もう常識と化していたことなのに、なんでこんな大事な話を教えてくれなかったんだ!」。
僕には、こうした静かな苛立ちがあります。
バブル崩壊だとかリストラ社会だとか、そうしたことだけではない。
ナイーブな出来事を、オープンに語らない。
また、世間体を気にして、真実を語り合わない。
精神障害に関する差別意識がひっそりと隠れているのが、その原因だと思います。
こうした社会風土も、自殺率を上昇させる背景にあるように思えてなりません。
この結果、欧米に比べても、続々と被害者が生まれる環境が野放しにされている。
これが私の見つめる自殺大国ニッポンの真相です。
日本は自殺率が先進国の中でもかなり高いのです。
適切にすばやくクリニックや精神病院に受診するという医療文化がまだまだ弱い。

うつ病の人に対して、「がんばれ」と言ってはいけないという話は、最近ではよく知られてきていますが、私の母が亡くなった81年当時では共有されていませんでした。
いまでは世間でも一般教養になりつつあります。
また、うつは治りかけほど危険という、私の母に関するケースですが、これはさすがに一般教養にはさすがになっていません。
近所の精神病院が満床だったため、亡くなった母は入院できませんでした。
私は6歳だったので何もできませんでしたが、似たようなことがもし今、身近で起きたら、様々な行政ネットワークに連絡を入れて、なんとしてでも入院させたでしょう。

かつての死病、ペストやコレラですが、汚れた水やネズミを経由して感染することを知らなかった者は、圧倒的に不利でした。知らないというだけで死ぬ。うつ病の治療成績が高くなってくるにしたがって、もう似たようなことが日本でも起きてきているように私には見えます。
企業文化の差はありますが、社員のメンタル・ヘルスに対して熱心に取り組む会社が現れてきています。今週発売のAERAにも特集されていますが、やはり住友商事などの大企業です。
社員のカウンセリングは無料で、秘密は完全に守られます。
とても大事なことなのに、まだまだ中小企業には余裕がないのかもしれません。少しづつですが、社会的にも経済的にも恵まれている人のほうが、家族を自殺させないで済むような社会に日本はなりだそうとしているように僕には見えます。病気である以上、端的に言って、対処法を知っている人々のほうが有利だという話です。

うつ病は病気です。
一見すると、心の病のように見えますが、実は体の病です。
脳という臓器は、立派な体の一部です。
発病にはストレスが関係していますが、「死にたい、死にたい」と口癖のように語り、何度も自殺未遂を図っている人であっても、麻酔をかけて電気けいれん法を実行すると、ケロリとしてしまうことが多々あります。数週間単位で、向精神薬を飲んでいるうちにあっさり治る人も多い。ここ10数年で、精神医学は驚異的に発展しました。何冊か専門書を読んでいるうちに分かってきますが、本当に唖然とします。

それにしても、人間というのはなんともはかないものです。
自分の脳に、ちょっとした神経伝達物質を送り込んだり、脳に電気的な刺激を与えてやるだけで、ガラっと気分が快調してしまうんですから。
もちろん、本人が感じる人生の苦悩が、何もかも消えてなくなるわけではありません。
でも、少なくとも、家族にとっても、また本人にとっても、最悪ともいえる自殺という事態を防げる。
それだけの医療技術は、先進国である日本にはちゃんとある。
それにもかかわらず、日本社会には、うつ病による自殺をうまく防ぐ横軸のネットワークができあがっていない。
実は、テレビドラマなどで、自殺の実態を描いた傑作を作り上げ、それを著名な俳優や女優が演じて社会流行にでもなれば、それを通して、ぐっと住みやすい社会が生まれますし、また、そこで描かれたことを通して、現実に自殺防止の手が打たれたり、興味を持って勉強しだす人も
現れるのですが(そうした人物の啓発活動が、第三者の悲劇を防ぐ)、まだそこまで日本は来ていません。
知的障害や白血病に関しては大ヒットドラマならばありますが、まだ精神障害は無理なようです。

この掲示板をみていらっしゃる悲しみのどん底にいらっしゃる皆様は、
自分自身の悲しみで手一杯でしょう。
とても、自分自身が巻き込まれた悲しい事件に、日本社会に特有の背景が隠れていることなど想像もつかないでしょうし、考えたくもないでしょう。
それで良いと思います。
自分自身、落ち着いた心持ちを手に入れ、また、死者の安らかな眠りを心から祈れるようになるのが一番大事なことなのであって、日本社会の体質がどうのこうのなんてことはどうでも良いはずです。

また、かつての私もそうでしたが、(というよりも、残された遺族の心理研究として医学的な常識でもあるのですが)、私たちはどうしても「なぜ自殺を防いでやれなかったんだ! 自分に原因があったんだ!」と苦しみがちです。
今の私ならば自信を持っていえますが、これは明らかにワナです。
どうやら人間は、どうしてもそうした気持ちを持つ生き物らしいのです(なにせ私自身も、母が死んだ理由は、「おんぶしてあげる」と言われたのに、当時6歳だった私がそれを拒んだからという、とてつもない理由でずっと苦しんでいたのです)。
個人差はあると思いますが、残された人は、無理やりにでも自分のせいにしてしまうという、ワナに陥ることが多い。私は自責のワナと名づけていますが、このワナにはくれぐれも気をつけてほしいと願います。

「病死じゃ駄目なんですか?」という問いですが、私としてはなるべく、死を選んだ人と元気に生きている自分との間を、うつ病という病気で線引きしたくないのです。
精神障害ではあっても、亡くなった本人が元から持っていた性格などは比較的保たれていた状態で、本人が死を選んでいた点は、消し去りたくないんです。それはそれで、立派な故人の人となりだったはずですから。私の母は、実際に自殺をする前に、何度か死に方を思い立ったはずです。そして、自殺を思い立つときには、自分の両親が幼くして死んでいることであったり、死ねば天国で会えるだろうだとか、考えたはずだと僕には思えます。
うつ病は病気ではありますが、その人なりの心模様すら吹き飛ばしてしまうような精神障害ではありません。
意識が衰弱している状態とはいえ、自我は保たれています。
これが同じ精神障害であっても、急性期の統合失調症ともなると、もっと悲しむべき状態になります。
一般的に、さかんな幻聴と幻覚に巻き込まれ、嵐のような錯乱状態のまま、死を選びます。
また、「息子は最後まで戦った!」と語った父の話をしましたが、もうこの世界にはいない人の尊厳をどう捉えるのかという点でも、病死という言葉が受け入れにくいのです。
うつ病の自殺には、しっかりと本人の意思があるように思えます。
死に方や、死の選び方にも、その人なりの、いうなれば個性が残されている点は、消し去りたくないのです。
私の母は、早朝、「花を摘みに行く」と行って家を出て、実際に花を摘んだ後に、電車に飛び込んで自殺しましたが、花を摘む能力があるだけの精神状態であった点は消すわけにはいきません。
死ぬ間際に、花の美しさや優しさを求める人であった点は、見逃せないのです。
また、気が小さかった(と言われる)母の性格からすると、飛び込みであればしやすかったように思えます。
服毒自殺はしそうにもありません。ましてや焼身自殺など。
息子である僕がいうのもなんですが、大きな川が近くにあれば、母はいかにも入水自殺を選びそうな人です。
前後不覚になり、何の意思能力もなくなった精神状態で死を選んだのでは決してありません。
どんなにひどい精神障害であっても、その人の心の中には、かつての健康だった頃の面影が残っています。重度のアルツハイマーや統合失調症であっても、100%、精神を病魔に蝕まれれる人はいません。
これは個人の言葉に対する感覚差なのでしょうが、うつ病による自殺を、ひとまとめに病死と括るのには、抵抗を感じます(あくまでも僕の場合です)。
故人の個性と、故人が死に向かった受難の有様を、できうるかぎり咀嚼(そしゃく)したいと、僕のような人間には感じられるのです。特に生前の母をよく知らない僕のような人間にとっては、これは大事な話です。


10946 いつ頃伝えるのが良いか? 声 2006/03/06 15:17
男性 / 30歳台 / 母 / 20年以上 / 関東
僕は、発達心理学的に言うと、母の死のタイミングが悪かったんですよ。6歳の夏休みだったので、ある程度の自我が育ってきていたんです。これが3年前の3歳だったら、母の葬式の記憶も残らなかったし、母の面影もよく分からなくなった可能性が高い。それはそれで不幸ですが、分かっていて記憶に残っているぶん、後々までに苦しむこともあるわけです。僕は、甘えたいざかりの時に、そして、単純な甘えからある程度の自立を確立しようとしていた時期に母を喪ったものだから(ママという呼称からお母さんに切り替えようとしていた時期だったんです、僕の場合は)、その点では損していますね、我ながら。その分、手に入れたものもあるのだと自覚していますが。
いつ伝えれば良いのかですが、3歳という年齢を考えると、本人が後まで自分ひとりでひきずる可能性は低いのではないでしょうか。これが5歳だとまた、ずいぶんと変わってきたはずですが。言わないままでいたとしても、それはそれで何らかの形で本人が将来知ってしまった時のことを考えるとまずいように思えます。中学生だとか、反抗期にも差し掛かる不安定な思春期の頃に告知するのがかえって一番まずいように思えます。進学をひかえた高校時代もリスクがでかい。子供の頃は衝撃を受けることがあっても回復力もすごいですから、案外、小学校5年くらいでも良いのかもしれません。小学校5年くらいでも、まじめな話をまじめに受け止められる年齢です。それでいて、うがった物の見方をあまりしないで、素直に受け取れる年齢でもある。もし、この時期に告知できないんであれば、成人してから告知するのが良いのではないでしょうか。
なお、私自身のケースですが、私の場合は、母が亡くなった後は、家族と家庭はずっと狂乱状態でしたから(もう家の中はずっとぐちゃぐちゃだったのです)、どんな時期に言われても弊害があったでしょうね。大学生の頃に聞きましたが、それはそれで自らのうつ病併発とも重なってしまい、とても苦しかったです。
個人差はいろいろあると思うのですが、子供であればあるほど実はショックを受けても回復力が強いはずですよ。


10947 許せへん オネエ 2006/03/07 05:00
女性 / 40歳台 / 複数 / 10年以内 / 近畿
久しぶりに書き込みします。 私自身の問題やのに 弟と母の死をなじられた。 裁判書に提出するものに 偽りの文面を書かれた。故人に関係ないものやのに 自殺原因を事実じゃない事書かれた。他の事は、すべて私がまねいた事やから 納得出来る。気持ちもわかる あそこまで書かれる事・・・ただ 母と弟の死を出された事は 許せへん! 同情をかおうとしたとか 娘の病がどうとか 勝手に思ったとおり書けばいいと 認めれる。 父にも叔母にも 悲しました。「なんで イチローは あんな死に方しただけでも 可哀想でたまらんのに なんで死んでまで ここまで辛い事されるん おもたら寝れへん」って言われた。ほんまに そうや思う。父にも叔母にもあやまった 私のせいで・・・ この事だけ どうしたら 法律的に 言えるのだろう? 家も失い 警察までよぶ事になるまで、追い詰めたのに まだたらないらしい 娘まで 病気再発して一時期は 母と弟のところへ行こうとまでするくらい追い詰めたのに・・・ 私まで 遺族の部屋とこの場所にこれへん事するくらいまで 追い詰めたのに・・・ 生きる工夫だけに必死やった私が 最後は、母と弟のところへ行きかける事までしたのに 今もここへ訪れるの・・・申し訳ない あんな事をした自分が嫌で許せてへんのに まだ たりひんらしい あの人らは・・・ 私を傷つけるのはいい けど 弟と母の死をあそこまで 言い切って書いて提出した人 許せへん 原因も何故 知りもしないのに断定して書けたのか この部屋へ私が来てる事も あの人達は 知ってる。そして 勝手にのぞいて・・・怖くて書けなかった。見られてると思ったら・・・よけいに 父にも叔母にも 今後一切 誰にも自死の事は ゆわんとき言われた。みんな傷ついた。 私も限界何回も越えてきた ここまでくるのに どんな思いで生きてきたか あの人らには わからんやろう ずっと寝れへん 自分が壊れては 又立ち直りの繰り返し 睡眠薬の量も増えて行ってる。こんな事なかったのに・・・ 生きたいを選んだのが 間違いですか?とゆってやりたい。 切れる度自分がへんや とまらへんのに・・ 最後は、母と弟まで巻き込む人達 愚痴ばかり書いてごめんなさい。本当にごめんなさい  


10948 声さんの投稿を読んで でぃー 2006/03/07 07:45
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
とても、心強く感じました。

わたしも、息子が自殺であるということを
隠したくありませんでした。
大きな会場に溢れる方々の前で、夫、私と娘は、
真実の話ができました。
それは、ほんとによかったと、今になって思います。
後から、友達が、あんなにいいお葬式ははじめて
だったと言ってくれました。

息子は何も悪いことをしたわけではありません。
一生懸命生きて、死んだのです。
誰にも迷惑をかけていません。
それどころか、わたしたち家族、息子の友達や恋人、
みんなに、すばらしい贈り物を託していったと
思っています。

神経症レベルの鬱状態という診断でしたが、
あまり病名にはこだわっていません。
彼がなぜ死を選んだのかは、日記や残していったもの
などから、覚悟の上だったことがわかりますから。

わたしは、息子の自殺を恥じるなんて思いもしません。
彼は、すばらしい青年でした。
彼の死も、受け入れるしかありません。
悲しいけれど・・・
ただそれだけです。






10949 私もです オネエ 2006/03/07 08:56
女性 / 40歳台 / 複数 / 10年以内 / 近畿
でぃーさんのお声が 亡き母の声に聞こえました。私も声さんの書き込みを見て 愚痴を書きに来ました。来れる 立場では無いのに・・・
私も 亡き母も家族も弟の当時小さかった2人の姪達も・・・弟の死を受け止めるのに時間もかかりましたしまだかけてる途中です。声さんの歩いてこられたお声に、姪達の姿を重ね 又37歳の母親にまでなった大人になった私が受け止めた母の死 色々なこと 考えさせられ教えていただき ここへ訪れさせてもらえました。 私の弟も一生懸命生きて生きて・・・そして自分で行ったのです。弟の友人達も仕事先の取引先の方にも 褒めていただきました。みんな見送ってくれました。 だからこそ 私は 今回の事が 私を壊すのです。何も・・・知らない人に何故 あそこまで 書かれるのか まして、まったく関係のない裁判に、書いてくるのか 異議申し立てに書くのか あまりにも酷すぎて 今も平静を保つのが しんどいです。娘もまだ治療中なのに母親である私が、切れて壊れて 怖いです自身が・・・ 弁護士さんにも言いました。弟と母の死は、別だと訴えましたが 自死遺族の叫びは伝わりません。私は 今までかくさず弟と母の死を話してきました。遺族の会にもそして掲示板にも訪れてました。父も叔母達も私が、参加する事は反対で理解出来ないと言ってましたが見守ってくれてました。心開いてお付き合いしてきた方や同じ悩みを持ってる方に私は遺族としての本当の声を聞いて欲しい。そしてとどまって欲しい。又会の事も掲示板も知らずに過ごされて同じ遺族の方に 青い空、大切な人をの存在、私も同じ遺族だよと知って欲しくて、又家族や友人に遺族がいらしたら、こんな会や部屋があることを知らない人達に「ただあるよ」って伝えて欲しいと、弟と母の死を言ってきただけなのです。 その声を聞いてきた人達が人が 弟と母の「自殺は00000」だったと 嘘の偽りの原因を書いてきたのです。内容がほんとの事なら 私もわかります。何故勝手に、内容を変えれるのか? 何故 関係ない事を持ち出すのか? この事だけは 解明したいのです。逆に訴えたいだけなのです。どこに相談すればよいのか 苦悩してます。何度も私の弁護士に訴えました。娘も一緒に訴えました。「自分の病や母の事は 何を書かれようといいですが叔父ちゃんと祖母の件は別です。関係ない!許せない!嘘です!」と二人で文章にまでして提出しましたが、軽くあしらわれます。 私がと娘がされた事も言ってあります。その事から 娘も良好へ向かっていた病が悪化し酷い欝になり、その娘の姿とその人達にされた事で自分まで欝になりしては行けない事までして・・・自分を責めて又ここや大切な部屋の皆さんを裏切ったと自責の念で お腹がや腰が痛いのは、飲んだ薬の副作用や自分に対しての罰やと思い込み 病院へもいかず、行こうともせず自己判断した為に悪化さして病院へ駆け込んだ時には、腹症腹膜炎を起こしてた事がわかり その事まで その人達は嘘だと・・・これはカルテがあるから事実だと認められますが 私は ここまで追い込んだ上に まだ 弟達の死を 出してくるのがどうしても許せないのです。当時を知らん人らに 又弁護士さんに この遺族の悲しみ痛みがわかってもらえないのが悔しいです。世間では年々増えていってるのに・・・新しいお名前の方の書き込みを読む度に どうか増えないでといつも思っていたのに でも 私も今は 増えないでとか言える立場では無いです。一度でも 同じ道へ行こうとしたのだから・・・ それでも 増えて欲しくないのです。私には一生消えない弟と母の死をおもちゃのように扱われるのが どうしたらいいのか 考えてもつきません。この事だけは(裁判に書かれた事)時薬は効きません。私も 恥じてません!だからこそ 何とかしたいのです。自分の事は何を言われようとかまいません。娘の事も治療して行きます。 恥じてない 弟と母の死の嘘と作られた内容で書かれた自死へいったた原因を書かれた事だけを訴えたいのです。 私が弁護士さんに言えば言う程 君は欝が悪化してるんちゃうか?って 欝で言ってるでは 無いのです。この事だけは・・・ 長々と綴って ごめんなさい。


10950 まず、わたしたちが元気で生きましょう でぃー 2006/03/07 09:54
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
ずっと自殺はタブーだったから、
わたしたち遺族の気持ちを理解できる人は
とても少ないと思います。

わたしは、幸いにもひどい誹謗中傷を受けた
ことがないので、そんなとき、
どのように気持ちをおさめたらいいのか・・・
言葉が見つかりません。
 (小さいのはありました・・ね
  そのときは、その人が無知だと思ったから、
  息子の日記を見せて、理解してもらいました)

たまっている檻のようなものを吐き出すことと、
何も知らない世間の人々の雑音から距離をとる。
まず、自分を守るために、必要なことだと思います。

わたしたちが、元気でいることを
あちらにいる人たちは願っているのですから。


10951 後悔 何もしてやれなかった moiwa 2006/03/07 11:19
女性 / 50歳台 / 弟 / 1ヶ月以内 / 北海道
 昨年の夏にふさぎ込んだ様子に気がついたのに、お正月の帰省の時も同じ感じで周囲のものは皆心配してはいたのですが、特に本人に問いただしたりもしないうちに逝ってしまいました。なぜ、もう少し踏み込んで聞いてやらなかったのか・・・。残された子どもたち、お嫁さんの事を考えると後悔ばかりです。そして、冗談好きだった弟がどんなにひとりで苦しんでいたのか、と思うと泣けて泣けて仕方ありません。残った家族に一番良いようにしてやりたいのです。弟は帰っては来ないけれどお嫁さんや、子どもたちが自分を責めることなく日々を送ってほしいのです。



10952 一言だけ申し添えます。 leeron(共同管理人) 2006/03/07 14:08
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
共同管理人leeronです。
こんにちは。

まず、余計な老婆心で、掲示板の流れを乱してはいないかと申し訳なく思います。
また、この書き込みは、誰がどうだとか、こういう書き込みはいけない、考え方はいけない、
ということを申し上げているわけではないことをご理解頂ければ幸いです。

声さんのご投稿。圧倒されました。
ご自身の経験と、
それこそ血の滲む想いで学ばれた精神医学の知識。
そして、一つ筋の通った意思。

力づけられた方がいらっしゃること、
とてもよく分かります。

反面、管理人宛にいくつかのメールもいただきました。
内容は、読んでいて辛かった、というものや、
余裕のない方の中には傷つかれる方もいらっしゃるのではないだろうかという懸念です。

そのご心配も、また、よく分かります。

様々な立場、考え方、感じ方、実生活の中での位置。

「時間」も含め、種々の意味での経過された思いの違い、

そして、一旦、ゆっくり立ち止まることが必要な方がいらっしゃれば、
逆に、前向きであろうとすることで自身を支える方もいらっしゃる。
その必要性さえも、ちょっとしたことで正反対に変わってしまうこともある。

この掲示板は、そういった、いろんな方、いろんな思いの集う板です。

・・・・・・・・・・・・・
いつも申し上げることで、恐縮ですが、
この場所には、だからこその良さもあり、逆に、欠点もあります。


そして、回復の道筋、何をもって回復とするか、癒されるのか、
みんながそれぞれ抱えている、共通した、もしくは個人的な問題に解答はあるのか。

私自身は、それは「ある」ともいえ、「ない」ともいえると思っています。

少なくとも、万人を納得させる「正解」はないでしょうが、
ある方にとっては、ストンと心に落ちる、「解」があるでしょう。
そして、提示された「解」に違和感をもったり、傷つかれる方がいることもまたあるはずです。

考え方も、答えも、それが唯一のものではないと思っています。

ただ、その方にとって「癒され力づけられる」きっかけとなることもあり、
それと同じくらいに「違和感を持ち、傷つくこと」もある。
後者の場合、なぜそうなのかという疑問をもつことが、
自分と向き合うための「種」となり、自分の力となるきっかけとなりうるということ。
そう言うことがあるのだということを、どこか心の隅に置いて頂ければ幸いです。

・・・・・・・・・・・・・
今後とも、いろんな思いをこの掲示板に書き込んで頂ければと思います。

痛いと思ったときは、痛いと言って構いませんし、
それがまた、それぞれの方が思いを深めるきっかけになり得ます。

もちろん、悪いことをしたなと思ったら、素直にごめんなさいでいいとおもいます。

多分、この掲示板のルールがあるとしたら

なんでもいえること。
率直であること。
その上で、お互いにどれだけ立場が似ていても、
必ず違う部分があるのだと言うことを心の隅に置くこと。

くらいなのでしょう。
(もちろん、アラシや、誹謗中傷、その他ネチケット違反と思われるものは問題外ですが)

すいません……。
話が長くなってしまいました。

要は、まず、自分のためにこの場所を使ってください。
そして、いろいろな気持ちを、語って下さい。
そんな中で、お互いに何かのきっかけをつかんでいけるといいですね…… と。

今後とも、みなさん、よろしくお願いいたします。


10953 勇気 でぃー 2006/03/07 21:13
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
声さん
またお声を聞かせてくださいね。

厳しい境遇のなかで、
勇気をもって、生きておられることに
元気をもらいました。



10954 恥ずべき事ではないけど 剣 2006/03/08 00:05
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
弟の事、親戚以外には「心不全」という事になっています。
両親の考えです。
「自死」「自殺」という言葉を口にするのが辛いのかと推測しています。
話した事がないのでわかりませんが、恥じている訳ではないと思いたいです。
この事に関してだけでなく、弟の話題そのものがまだタブーなのですが。

親戚も、弟の事には触れません。
祖父の納骨の時に、祖父が「こんな想いするんなら長生きするんじゃなかった」と言っていた事を持ち出したら、思い切り話をそらされました。

そして私も…
「弟さん、事故?」と訊かれ、とっさに「まあ、そんなとこです」と答えてしまいました。
恥ずかしい気持ちも、隠したい気持ちも、持っていないつもりなのに。
弟に申し訳ないです。




10955 ぼくは。。 C 2006/03/08 00:28

恥じていないです

でも、胸を張って立派だったとはいえません

それは、

悲しみを自ら周りの人にあたえたから。。。

結果。。こうなってしまったけど、

弟に後悔してほしい気持ちとゆっくりしてほしい気持ちと
いろいろなものが混ざったままです

弟は冷静でいられなかった。。。。ただそれだけ。。。

ほんとうにそれだけ。。と、おもいたい

かってだね


ばか


10956 悲しみの感情の分ち合い ivy 2006/03/08 19:22
女性 / 50歳台 / 夫 / 10年以上 / 日本国内
自死で愛する者を喪った者達は、 深い深い悲しみ、重い苦しみ、自分を責める思い、本来ならただひたすら悼み 愛惜の情で偲ぶお人を 怒りの感情を伴って 思い出したり、それから 世間という無責任なんだけれどとーっても気になる周りから、偏見の視線を浴びたり、本当に 二重三重に 輻輳した辛さを 負っていますよね。

それでも こうして地上の生を紡いでいる・・・生きている・・・それだけでも 私はとても「偉い!」と思っちゃいます。

命を分かち合った 今でも愛おしくてならないあの人が 先に天に帰って10年以上経ちました。

私は「ひとりの生」を とぼとぼながら生きてきました。それだけでも 私は頑張っているな〜っておもいます。 自分で自分を抱きしめたくなります。

現実の生の苦しみを 時には理性的に、時には感情的に、時には 激情を伴って、どういう形にせよ、分かち合えるこういう掲示板のような存在があること自体もすごいことです。

leeron さん、はーとろーどさん、 それから スタッフの皆様、本当に 言葉もありません。 たった一人でもいいから、この場ゆえに、本の短い一瞬でも、気持ちが楽になっているいる人が、いることも事実。それもまたすごいことです。




10957 今日で一ヶ月経ちました アイママ 2006/03/08 21:43
女性 / 30歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 関東
私が庭で父を発見してから今日でもう1ヶ月が経ちました。

49日に父の偲ぶ会をするので父の思い出の本を作る事にしました。今その作業で大忙しです。父の写真を整理している母は、どう思っているのでしょうか?私は実家では、葬式が終わってからは実家では泣かないように勤めています。でも、納骨の時は仕方ないかな?!でも、家では毎日泣いています。このサイトでは、20年以上もこの辛さを抱えていらっしゃる方々が大勢いる事で、私はまだ1ヶ月目だけど一生抱えて生きていくんだなーと思いました。それが聞いている家族の現実なんだなと。2歳の娘は、私が昨日あげた人形にジージーーはここでこうして死んじゃったんだよと説明していました。この子に、いつか質問されたら私は、ジージーは屋根の修理中落ちたんだよと言う事にしています。

町を歩いていて、他人の父と孫の姿を見ているとなんて幸せな家族なんだろうなーとジーと見てしまいます。その後、あー私と、娘と私の父もこんな光景がつい最近まであったのになーと思い出しては大変辛いです。雨の日は必ず、父が車で迎に来てくれた。外食した帰りに電車がトンネルに入った時、「夜になっちゃったね」という娘に、父はチューをしたら、「ジージー可愛いー」と娘が笑って、傍にいたおばさんがなんて羨ましいジージーなんでしょうねーといって、父は凄く喜んでいたあの日、なんて事のない日々や会話が一番幸せだったと今感じる。辛い凄く辛い。涙をどんなに流しても尽きる事無く、無念ばかりが込上げる。

これから毎日をどう過ごして、どう気持ちの切り替えをしたらより良い生き方を父の為にも、父の望むように出来るか、何か父は無念はないのだろうか。あれば、私が代わりに、できることはないのかと思案するけど、どうしてもこうなってしまった結果が自分が許せなく、家の家族だけが辛い思いをしているのではないのはここに来て、理解出来たけど、でも、なんて不幸なんだろうと。

こんな夜は辛い、寂しい、痛い。


10958 こんばんは kazuたん 2006/03/08 21:55
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
声さん投稿を読ませていただき
私は自分は逃げてるんだなって実感しました。

今でも弟の為に「「何かしたい」」と考えているのに・・

すべてを知るのが怖いのかもしれません。

そんな自分を情けなく思うのと
弟を不憫に思う時があります。

弟の死をどんな考え方で受け止めたらいいのか自問自答し続けています。




10959 思った事 剣 2006/03/08 23:59
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
>kazuたんさん
これだけ一生懸命弟さんの事を調べ、理解しようとしてあげているのに、「逃げてる」だなんて…。
積極的に行動されていて、本当にすごいと思います。
私なんか自分の中で鬱々と考えて落ち込んでいるだけなのに。
少なくとも私は、kazuさんの書き込みを読んで、もっと弟の事を知りたいという気持ちになりました。

>声さん
“自責のワナ”という言葉を使ってらっしゃいましたよね。
確かに、「あの時こうしていれば(していなければ)」「助けられなかった」という想いは、“ワナ”かもしれません。
でも、そうやって苦しむ事、自分を罰する事も、グリーフケアの面では大切ではないかと思います。
また、私のように直接追いやった人間は、ワナではなく苦しむべくして苦しんでいるのだと思っています。



10960 ついに kayo 2006/03/09 10:04
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 中部
娘を やはり お墓にいれなくてはならない日がやってきました。
私はまだ納骨したくありません。しかし、実家の母が娘の一周期に  脳梗塞で亡くなりました。母の49日の法要も終わりましたが、母も 納骨しないまま、 まってもらっています。娘を先に納骨しないと  母もむこうの世界でずっとむすめを捜していそうで・・・・        しかたなく 今度の日曜お墓にいれます。あの娘が家の中から、いままでいた場所からいなくなるなんて、いつも骨箱に話しかけてきましたがこれからどうしたらいいのかわかりません。


10961 剣さんへ kazuたん 2006/03/09 11:29
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 中部
私への言葉ありがとうございます!
あと数ヶ月で三回忌法要ですね。
今年が終わったらあと数年は法要は無く
身内親戚以外の方々をお呼びできるのは
今回が最後と言われてます。
(地方によって風習や一般礼儀が異なっていたらごめんなさい)
だけど私も母も親戚は来なくていいから
弟の友人達にはこれから先もずっと来てもらいたいです・・。

私達親戚は生前の弟を知っている者も知らない者も
弟が亡くなった直後から冷たいんです。
中には遺された私達を気遣ってくれる言葉もありますが
基本的には
自○なんだからそこまでしなくても・・
という考え。
しかも
あなた達はいったい何してたの?
と責め、恥と言わんばかり。

・・だからかもしれません。

弟と居て幸せだった(また弟も幸せだった。)と言ってくれる関係の友人を探したのは・・。
遠い昔の弟との家族の幸せな時間を思い出させるには
まだ・・いえこれからも余裕が無いんだと思います。

>直接追いやった人間

私もまさにそう思っています。
だからわざと苦しんでる時もあります。
剣さんのその言葉に共感を覚え涙が滲みました・・・

私が自分が逃げてると思ったのは

弟の本当の苦しみに目をそむけているからです。

信じて胸を張って
弟は
何も悪い事なんてしてない。
自慢なんだよって。

ただそれだけしか受け止めようとしてないからです・・。

「「あれは別人の亡骸だったんだ」」
「「本当の弟はそんな事する筈がない人間」」

とよく現実逃避してます・・。

でもまだまだ人生は長いですね・・。
一生苦しむんだったら少しずつ
私は弟の最期を解明していこうかと思います。

剣さん
>鬱々と考えて落ち込んでいるだけ
とおっしゃいますが
私にはそれだけ弟さんの人生が終わってしまった事を嘆き悲しみ
心の底から弟さんを労わってるからこそ落ち込んでいらっしゃるじゃないかな・・と思いました。
とても弟さん想いで優しいお姉さんなんだな・・と思っています。

弟さんはこんなに想われて幸せです。







10962 Kayoさんへ かおっち 2006/03/09 11:41
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
Kayoさん、私も、納骨で夫のお骨が私の側から無くなってしまうのが嫌だったので、箱から壺を出して、壺のテープをはがして、かなりの量のお骨を取り出しました。他の入れ物に入れて、それは大切に大切に部屋に居ますよ。お骨の量が減ったかどうかなんて、私にしか分からないから、私の自由だと考えました。そのお骨の一部は、ネットで捜したペンダントに入れて、いつも胸にぶら下げています。
これは私の考えなので、あくまでも、参考までに・・・

私の部屋は、時間が止まっています。夫に先に行かれてしまってから、一人で居るのが耐えられなかったので、友達にクリスマスツリーを飾りに来てもらって、それがしまえないままずっと点滅しています。夜、一人の部屋に帰ると、その点滅が見えるので、少し安心できます。もう春が来るのに、まだツリーです。


10963 納骨 ここね 2006/03/09 11:55
女性 / 20歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 近畿
私も主人の骨は肌身離さず持っていたい。骨を骨箱から少しいただこうかと考えています。が、彼の骨がいろんな場所に分けられるのは供養の妨げにならないだろうか?など社会的懸念でしょうか不安になって手を止めています。でももし私が籍を抜けば彼と同じお墓に入ることもできないわけですからやはりそばにおいておきたいのです。勇気がうらやましい。やってみようかな・・・


10964 納骨 剣 2006/03/09 13:02
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
私は納骨してしまってから、弟のお骨を手元に置いておきたくなりました。
墓石を動かして骨壺を取り出そうかと真剣に考えましたが、そんなことをしていいのかわからず止まっています。
ペンダントの事を知ったのも納骨の後でした。
せめて写真をロケットにでも、と思いましたが、大きくなってからの写真がほとんどないのと(写りたがらずいつもカメラ係でした。今思うと、これも自分を嫌っていた証拠ですね。)、アルバムを出すのは親が嫌がるのとで今に至っています。

全部納骨してしまい、本当に後悔しています。


10965 kazuたんさん 剣 2006/03/09 13:22
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
ありがとうございます。

そう、じきに三回忌ですね。
私の所は、祖父の一周忌と一緒に行います。
祖父は、弟が逝ってから1年2ヶ月後に衰弱死しました。
『暑かったからね」で済まされてきましたが、私は弟のせいもあると思っています。
弟の遺体の前で「こんな想いをするなら長生きなんかするんじゃなかった」と言った祖父。
弟があんな事にならなかったら、暑さなんて跳ね飛ばしていたんじゃないかな。

>弟と居て幸せだった(また弟も幸せだった。)と言ってくれる関係の友人

そんな考え方があったのかと目からウロコが落ちた思いです。
弟は悩まなくていいのに悩んで不幸だった。
私は追いやった結果として遺されて不幸だ。
そんな自分勝手な考えをしていたんだなあと思いました。


10966 剣さんへ かおっち 2006/03/09 13:29
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
後悔の気持ちにさせてしまった投稿だったら、ごめんなさいね。
考えようだとも言われたことあります。
江原啓之さんの話では、お墓はただの「カルシウム畑」だと言っています。たましいは自由だから、いろいろな所へ行けるから。
自死してしまった夫は、母親を大学生の時に亡くしていて、お母さんの遺品を一つ大事にしていました。気持ち次第かな、とも思います。
ネットでペンダントを買ったところにも、入れるのは何もお骨でなくても、故人にまつわる物でもいいのですよ、みたいな記載もありました。
すでに、納骨されている方が多いだろうに、先程のような投稿して、すいませんでした。


10967 かおっちさんへ kayo 2006/03/09 15:48
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 中部
ありがとうございます。骨は分けてはいけないと 主人が言っていましたが こそっととりだして置こうかな・・・と思います。皆さんからいろんな意見が聞けてよかったと思います。             親としてあの娘を救えなかった思いと、私達に何の相談もしてくれなかったということへの怒り?のような思いを常に感じています。あの娘が
相談できない母親だったていつも自分をせめています。


10968 母を自殺で亡くしました イルカ   2006/03/11 21:04
女性 / 30歳台 / 母 / 5年以内 / 東北
私は四年前に母を自殺で亡くしました。でも、その時は、ほっとしました。そんな自分は頭がおかしいと思った。自分の母が死んだのに・・・。
私の家族は、父以外は全員自殺未遂を経験しています。
私も、二人の弟も・・・。
私の母は、うつ病になりました。何件か病院を変えてみても、薬の種類が変わり、量が増え・・・でも症状は悪くなるばかり ・・・。
その当時、すぐ下の弟は県外で一人暮らし、一番下の弟は、仕事で家にいる時間なんてほとんど無かった。父も仕事の事で悩みやストレスを抱えて、家の中にいる時も、眉間に皺を寄せてピリピリ・・・。
私がいつも母の傍にいました。バイトから帰ると、母を病院へ連れて行き、家族の食事の支度をして・・・。
でも母はどんどん痩せていき、寝たきりになって、子供みたいになって、一人じゃいられなくて、どんな時も金魚のフンみたいに私にくっついてくる・・・。私はだんだん息苦しくなって、自分の時間がなくて、母を鬱陶しいと思ったりした。
でも、その度に、母があんなに苦しんでいるのに、私はなんて酷い事を考えるのか・・・そう思い、こんな気持ちは誰にも言ったらいけない、言ったら、誰もが私から去っていくと思っていた。
母の傍にいる時に感じたイライラ、疎ましさ、怒り、そして自分を責める気持ち、悲しみ、寂しさ・・・全部自分ひとりの中にしまい込んで父にも弟にも打ち明けられなかった。打ち明けられるような状態じゃなかったし、私たち家族はそんな関係じゃなかった。
母の傍に四六時中付き添っていると、苦しくて重くて離れたくて、でも母から離れて気分転換にと、一人でどこかに行っても、苦しむ母を置いてきた罪悪感にさいなまれ、心から楽しむ事もできない。
あげくの果てには、家へ戻ると「いい気なもんだな!一人で遊び歩きやがって!」と父に怒鳴られる・・・。
辛かったんだな・・・私・・・。
見方が誰もいなかった。
母が亡くなったことだけじゃなく、母の一番そばにいた私が、一番責められた事や、家族それぞれが孤独だったこと、辛いね、悲しいねって、お互いを労わりあえなかったこと・・・いろんな事に傷ついた。
傷ついたってことさえ認識できない位、傷ついた・・・
カウンセリングに繋がってからも、しばらくは、私は母が亡くなった事に関して、別に傷ついてなんかいない、そう思っていた。だって亡くなって悲しいと思わなかったし、ほっとしちゃったし、私はきっとロボットみたいで、血の通っていない冷たい人間で、誰かを大切に思うとか、愛するとか、そんなのがわからない人間で、だから、私は生きる価値も資格もないし、誰かに愛されたり大切にされる価値のない人間だと、思っていた。
ずっとカウンセリングや自助グループに通って、少しずつ回復してきているけど、それでも、私は誰かと距離を縮める事が怖い。
私は、大切なもの、人に近づいてはいけない、傷つけて壊してしまう・・・そんな怖さが襲ってくる。たぶん、そんな怖さと葛藤したくないから・・・私は、誰かを好き、とか、素敵、とか感じる感情がない。感じないようにしているみたい。花をみて愛しいとか、子供をみてかわいい、とか、そんなような感情が私には湧かない。
それは、とても寂しい事だとおもう。でも、そんな自分なんか生きる価値がないって責めるのは、今までもう十分やった。
自殺未遂しても死にきれなかった。
こんな自分でも、生きるしか、ない。生きるしか、ない。



10969 お久しぶりです。 momo 2006/03/12 06:51
女性 / 30歳台 / 妹 / 3年以内 / 近畿
元々関東だった両親ですが、妹が先に逝ってしまい、
本家のお墓はとても遠いところにあるので、
私が大阪にお墓を建てていいよと言ったので、両親がお墓を買いました。
明日(というか今日)、妹の納骨が行われます。

こんな大事な日なのに
私は行けません。姉に会うのが怖いからです。
私は姉にさんざ虐められて育ちました。今でも思い出すとパニックになります。そんな中、妹はとても私のオアシスのような優しい存在でした。

最近、手術をしたこともあって、身体が思うように動かないという理由もあるのですが、こんな大事な日に立ち会わない私を妹はどう思うだろう。

近頃、夢を視て、私がピンチになると、必ず妹が助けに来てくれます。
これは心理的なものなのでしょうが、きっと妹は許してくれると思い…たい、です。

妹が葬儀のあと、熱い熱い熱い釜から引き出された時
私はその熱を全身に浴びたくて 妹の遺した熱を全身に取り込みたくて
係のおじさんの制止を振り切ってまでぎりぎり近くまで飛び出しました。
その時の熱風 温度 風景 視界に入ってきたすべて
忘れられません 忘れません。

お骨をおはしで納めたあと それまで葬儀をすべて仕切っていた
緊張しきっていた 心の糸がプツン と 切れて
倒れ込むようにしてようやっと 大声で 焼き場で泣きました
母に みっともないから立ちなさい と言われたけれど
何がみっともないものか、と思っていました
そのことを 父は 車いすに座ったまま 見ていてくれたそうです
覚えていてくれたそうです それを昨日聞いて うれしかった
私があの場で泣き崩れたことが 罪なことのような気もしていたから
でも お葬式を全部仕切って お通夜の夜中も一晩中ひとりで妹のそばに居ました
だからそれぐらい泣いてもかまわないと 今やっと思えました

納骨に立ち会ったら 私はまた 泣き崩れると思います
かおっちさんの
「江原啓之さんの話では、お墓はただの「カルシウム畑」だ」というお言葉
私も本当にそう思います
けれど 物理的に目の前にしてしまうと きっとダメでしょう

ごく希に 体調の悪い時や 頭がからっぽになっている時
ふと 母の周りに桃色っぽい黄色っぽい ふぅわりとしたものが見えます
直感で 妹だな とわかりました いつまでも母にくっついてるんだなと思いました 甘えん坊でしたから 母を守ってるんだと思います

私は妹が大好きです
妹の姉として生まれて よかったと 誇りに思っています
今生であの子に出会えたコトに 感謝しています


思いだけをただただ書いた、滅茶苦茶な文章でごめんなさい。

 


10970 落ち着かないなあ・・・ イルカ   2006/03/12 16:34
女性 / 30歳台 / 母 / 5年以内 / 東北
私は、カウンセリングやACの自助グループには通ってきたけど、母の自殺に関する事は、あんまり話してない。私は一時期、「回復」にとらわれ過ぎて、自分の体や心の状態とか関係なく、とにかく自助グループに行かなきゃ・・・、とにかく話さなきゃ、感じなきゃ、前に進まなきゃ、回復しなきゃ・・・と、「〜しなきゃ、すべき」にがんじがらめになって、とても苦しくて疲れて、糸が切れた。
やっと、最近、自分自身を何とか大切にしようと、少しずつ行動できるようになってきたと思う。
自分が何をしたいんだろう・・・自分は何が好き?何が食べたい?そんな事を、30歳になってやっと考えるようになった。
今まで生きてきて、自分の感情に目を向けようなんてした事なかった。
向けちゃいけないと思っていた。いつも親や周りにいる人の期待に応えなきゃ、私には生きる価値や、愛される価値はないと信じてた。
母の自殺を機に、AC、機能不全家族、世代連鎖・・・そんな言葉を知り、同じように自分の家族の中で傷つき、自尊心を奪われ、自分自身が分からなくなっている仲間にであった。
そして、やっと、やっと、自分の楽しい事を探していいんだ、好きなことをしてもいいんだ・・・そうおもえるようになってきたのに・・・。
母の事が、ひっかかっている。
辛くても、やっぱりきちんと向き合わないといけないのかな・・・。
散々苦しんできて、もう、楽しい事優先でいいじゃん。もう十分辛かったじゃん・・・。そう自分に言い聞かせ、母の事は、知らない、よくわかんない、
もう過去の事だし・・・。
なのに、パソコンを開けば自死遺族のサイトを探してる自分・・・。
私の住んでる地域には、まだ自死遺族の会は、ありません。
でも、隣の県にある事を知りました。
辛かった事をわざわざ思い出したくない、という気持ちと、でも、同じような痛みを知る仲間の話を聞いてみたいし、気になる・・・。
自死遺族会に参加されている方、参加してみて、どんな変化がありましたか?
自分自身を取り戻す事、回復、癒しにとって、やはり安全な場で、話して行く事は、必要な事でしょうか・・・?
ああ、でも、この掲示板に書き込みをしている時点で、私は、怖いけど、どこかで自分の辛かったこと、怒り・・・吐き出したいんだ・・・そんな気がしてきました。


10971 「遺族の現状」 雪野 2006/03/12 17:51
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
こんばんは。
お薬の力をかりながら何とか生活しています。
今からTBSの報道特集で「自死遺族の現状」が
特集されます。
一人で見ながら泣くかな・・・?
それでも遺族の立場として見てみようと思います。
※管理人様、不適切な書き込みでしたら削除します。



10973 イルカさんへ 剣 2006/03/13 00:26
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
はじめまして。剣といいます。

私はインターネットに書き込みを始めて、約1ヶ月になります。
精神的には落ち着いてきた気がします。

が、なぜか最近、なかなか寝付けないのに早く目が覚めてしまいます。
目が覚めても、体が動かない事があります。
「自分はここで一体何をしているんだろう」と突然わからなくなる事があります。
記憶力が突然落ちてきました。

今日、始めて自助グループ(自死に限りませんが)に参加してきました。
そこで、初期の症状だと言われました。
話したり、聞いたりしているうちに思いついたのですが、今まで親の心配ばかりしてきたのが、インターネットに書き込みを始めて、やっと自分に目を向けられるようになったのかもしれません。
だから今頃になって”初期の症状”が出てきたのかも、と。

話さなくなかったら話さなくていいと思います。
聞いたり、読んだりしているだけでも何か変わるかもしれないと思います。
上記の”初期の症状”(=自分の事を考えられるようになった)が私の変化です。
思う事があれば、1行でも2行でも書いていけばいいと思います。




10974 剣さんへ イルカ   2006/03/13 01:40
女性 / 30歳台 / 母 / 5年以内 / 東北
私へのメッセージ、ありがとうございます。
あんまり焦らず、欲張らず、自分が潰れてしまわないように、ちょっとずつでいいんだ・・・自分のペースで、今の自分や、母の事に関する事で感じたこととかと向き合っていくしかないんだな・・・そう思いました。
報道特集で自死遺族についてやっているのを見て、自分だけじゃなくて、沢山痛みを抱えて、それでも生きてる仲間がいるのだと、思いました。



10975 納骨しました 夕べの星 2006/03/13 15:33
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  こちらには久しぶりに 書きこみさせて頂きます
  以前 色々と励まして下さった方々に ご報告させて戴きます。

  きのう やっとと言うか ぐずぐずと言うか、娘を納骨しました。
  今にも降りそうな空の下、お坊さんの迫力ある読経の中納めること
  が出来ました。普通では晒しの袋に納めて土に還す、のらしですが
  土地の習いか 喉仏骨のと後全部の二つにして下さったので
  お寺に 小さい方は持っていたいと我侭言って家に 居ます。
   あまり具体的で傷つかれた方 ごめんなさい

  momoさん <だだのカルシュウム>でも私達にとっては
  この世で見えるただ一つの 存在の証ですから その様に
  科学的には理解し難いし したくないですね。(^^)
  
  お骨のこと こちらでも色々の感慨の書きこみを拝見して
  一つ一つに 共感します。私達には結論とかは出せない ずーと
  毎日 失った事を想って 生きて行くっきゃ無いのか とか・・・

  どうか 空の上で 幸せで居て欲しい それが今の私の願いです
  
  一昨年 クリスマスイヴに集って下さったり 予約して下さった
  方々 わたしはなんとか 試行錯誤しながらやってます

  そして みなさまが
        ☆どうぞ お元気でと願っています☆

  

   


10976 夕べの星様    ayasanママ 2006/03/13 23:45
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
夕べの星さん、昨日お参りに行く途中、夕べの星さんのことを
思っていました。
「あー、今日は夕べの星さんのよっしーさんの納骨だね・・」って。
無事に納骨されて、ほっとしたお気持ちと、寂しいお気持ちと・・、
交錯されていらっしゃるのではないでしょうか。

本当に、ただのカルシウムとなかなか割り切って考えられなくて、
家にも、お墓にも、そしてバッグの中にも、おいて置きたいです。
なかなか魂とか、目に見えないものに考えが及ばない母です。

娘の分骨に際して、夕べの星さんのご助言でどれだけ救われたことでしょう。肉体は無くなってしまったけれど、矢張り物質を傍に置いて置きたい母親の気持ち・・・。

夕べの星様も又、桜の季節はお辛いでしょうけれど、
どうぞ御自愛下さい。



10977 夕べの星さん でぃー 2006/03/14 06:12
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
今朝は、あの子がどんなに優しかったか、
そのことばかりが思い出され、泣いています。

よっしーさんも、きっとそれは優しい方だったのでしょう。
そして、よっしーさんを失ったことを想い続ける
夕べの星さんもなんて優しい。

きっと、最期のときまで、想わない日はないのでしょうね。

でも、それは、もしかしたら、
すてきなことなのかもしれない・・・
毎日、こうやってあの子の優しさを想うと、
こちらにいらっしゃる皆様の優しさを想うと、
わたしもほんとに優しく暖かくなっていくようです。

あちらのみんなも、喜んでいてくれるかな。




10978 土に返る でぃー 2006/03/14 06:35
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
お骨について、こんなふうに思っています。

生きてこの世でなしたことは、死して自然に帰ることで、
地球を肥やすことになる。

最近近所の荒れ果てた200坪もあるお庭を
管理させていただけることになって、毎日、犬と
そのお庭で遊んでいます。

今は、桃やさまざまな椿や水仙が咲き、藤棚にぶどう棚、
葉を落として春を待つ数え切れぬ木々。
何年もほおって置かれたので、地面には枯葉がうずたかく
積もっています。それが黒々とした土になり、そこいら中
に大小のひこばえが生えています。
あの子が生きたこと、葉を落とし朽ちて土に返ったこと。
それは、自然の美しい営みなのではないか。

わたしの想いも、いつか朽ちて、土に返るのでしょうね。







10979 おはようございます 夕べの星 2006/03/14 09:45
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿

  ayasanママさん この頃書きこみが無かったので とても心配して
ましたが 暖かいお言葉下さり有難うございました。うれしいです
  あっちいさんや あの時期ささえあった方々の 忘れ得ぬ人たちに
  よしーは 多分一番のお姉さんだから きっとせっせと
  お世話をやいてるでしょうね。雲のうえのお家では・・・きっと
  しきってる そう勝手に思っています(^^)
  jupiterさん もんさん宜しければ また楽しい元気の出る
  書きこみ待ってます。私はパソコン初心者ですので 心に
  溢れる言葉が 整理出来なく、すぐへし折れてしまいますので
  皆様の書きこみに共感して 癒されて頂いてますから・・・

  でいーさん 何時も見守って下さりありがとうございます。
  今朝は 家事もほったらかしでパソコンにしがみ付いてます
  そろそろ主人が起きて 来る頃なのでお尻にひがついてます
  ていーさんのお庭 まるで (秘密の花園)みたいですね
  素敵だな〜! また春になり 夏になり色々驚きの発見が
  ありますね。 どうぞ又宜しく・・・です。
  


10980 辛いです qqq 2006/03/14 11:57
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 四国
でぃーさん、夕べの星さん、皆さんの書かれたのを読ませてもらって
泣かずにはいられませんでした。みなさんの子どもさん達もお優しかったんですね。うちの娘もとても家族思いのとても優しい子でした。どうしてこんな優しい子ども達が死ななくてはいけないのでしょう、、、。
うちは49日に納骨しました。祖父母に抱かれるようにまん中に骨壷を納めました。順番が違うでしょう、と叫びたかった。なぜ、墓誌に娘の名前があるの、見たくない、まともに見られませんでした。お骨も若いだけに白くてきれいでした。入りきらないくらいいっぱいあった。どうして娘のお骨を親が拾わなくてはいけないの、こんな悲しみが他にあるでしょうか。でもその時は目の前で起きていることが理解できずに、ただぼーっとしているだけで自分の体も自分のでないような涙もでないような感じでした。お墓が遠くて今度4ヶ月ぶりの49日以来のお墓参りになります。とても辛いです。家にある笑顔の写真もまだ見れません。


10981 辛いですね・・・ 夕べの星 2006/03/14 13:47
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  qqq様 はじめまして 本当にそうですね。この悲しみを
  どこにぶつけたら直るのか 馬鹿みたいに探した事があります。

  家のお墓はとても遠いいので あの子と私達のために近くに
  造りましたけど 真っ先に入るのが娘ですから その事で
  先送りしてこの度 やっと納骨しました。私達にとっては
  究極の選択でしたが・・・やむを得なく・・・これは私達
  家族の心の 新たな旅立ちと思う事にします。

  娘は奥二重で見たところ細く見えるので ある時 二重に出来る
  グッツを買ってきて <これしてみたら>と渡しましたら
  <親から貰ったもの変えないよ>と言われました。
  そんなに体を 大事に思っていたのに
  それなのに なぜ さよならも言わず一人で旅立ってしまったの
  と 私は言いたい!
  娘の 名誉のために 目は細い笑ってる様でしたが鼻筋は
  高くすっきりしてました。・・・はかない自慢です。

  qqqさん お体をお大事にしてください。ついでに変な事
  お話して済みません。

  でいーさん 前の所でお名前 間違えてごめんなさい。
  後で間違いが分かり 恐縮です。

  

  
  




10982 夕べの星さん qqq 2006/03/14 15:35
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 四国
ありがとうございます。どこにこの悲しみをぶつけたらいいのか、あれば教えてください。涙を流して泣くしかないのでしょうか。

うちの娘も体を大切にしていました。おしゃれっ気は全くないのに年頃の娘らしく寝る前には顔にティッシュを水に浸したようなものを張って手作りのパックをしていましたし、日に焼けないようにいつもつばが広い帽子と手袋をしていました。お化粧は全くしていませんでしたが色白の可愛い顔をしていました。蕾が開きかけてこれから花も咲いたであろう時にそれが待てずポキンと折れてしまいました。亡くなった日もいつもはパンツなのにスカートをはいて行っていたそうです。自分を鼓舞しようとしたのでしょうか、わかりません。全く何も言わずに往ってしまいました。聞けるものならば聞いてみたい。どうして泣いて帰ってくれなかったのか、どうして電話をかけて相談してくれなかったのか。どうしてひとりでがんばろうとしたのか。どうして親を頼ってくれなかったのでしょうか、、、。優しい子でした。去年の今頃花粉症用のオイルを送ってくれました。とても寂しいです。



10983 本当に・・・辛い春です。 Jupiter 2006/03/14 15:51
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 東日本
夕べの星さん、kayoさん 納骨無事に終えられたのですね・・・。
いろいろな思いが、溢れ出してしまったことでしょう。
子供を見送ることになるなんて・・・思ってもいなかったもの。
この遺骨と息子がどうしても結びつきません・・・。

息子と会えなくなってから1年と4ヶ月が過ぎました。
もう考えるのはやめよう。苦しくなるだけだから・・・
せめて 楽しかった笑顔の息子を思い浮かべよう。
そう思うのに ・・止められません。
どうしてあの子を救ってあげられなかったのか。
どこから戻ってやりなおせたら、こうならなかったか。
母親って何?家族って何?
どんなに苦しかったんだろう。辛かったろう。
家族がいても、私がいても どんなに 孤独だったんだろう。
あの子の気持ちを思うと、動悸が強くなり 
いてもたってもいられなくなります。

あの時 こうしていれば・・・こうしていなければ・・
今頃 あの子の違う人生が ここにあったかもしれない。
そんなこと いくら考えても しかたないのに・・。
いくら泣いても、わめいても時間を戻す事はできないのに
この 思考回路から抜け出せません。

息子がいない二度目の春です。
去年の今頃は 息子は、こんなことしてたのに・・・
そう思うことさえも 出来なくなってしまいました。

あの子と過ごした春が遠くなるばかりです。
たけのこご飯とからあげ・玉子焼き・ウインナー、
水筒とおやつをもって 家族みんなでお花見行った楽しかったあの日。
ささやかな幸せが まるで夢だったかのようです。

この4月から高校三年になるはずでした。
いつまでも こうやってあの子の年を数えるのでしょう。






10984 qqqさん Jupiter 2006/03/14 16:06
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 東日本
本当に 本当に お辛かったですね・・・。
お優しい お嬢さんですね。
このやり場のない悲しみ ここにぶつけましょうよ。

そのために管理人さんが用意してくれた場所だと思っています。
私はどれだけ この場所に支えられてきたことか・・。
一緒に 泣きましょう。話しましょう。
ゆっくり ゆっくり 今日一日をとりあえず、乗り越えていきましょう。



10985 qqqさん ayasanママ 2006/03/14 21:03
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
初めまして。18歳の次女が逝って1年4ヶ月になります。

qqqさん、本当に悲しくて、苦しくて、
何でこんなことになってしまったの?どうして?なにがあったの?と
大声で叫びたいお気持ちだと思います。
沢山、沢山、体中の水分が出る位まで、泣かれるのがいいと思います。
本当に泣くことしか出来ないんですもの。
泣いても、泣いても大切な子供は帰っては来ませんが、
我慢できるわけないですもの。
大切な大切な娘、家族だったのですから・・・。

そして・・・、少し落ち着いたら、こちらの掲示板で
その悲しみや苦しみを吐き出してくださいね。
私もでぃーさん、夕べの星さん、Jupiterさん・・・、もっと、もっと
沢山の方々に声をかけて頂き、よろよろ、ぐずぐずしながらも、
今日まで何とか生きてこれました。
年月の流れで悲しみが無くなるわけではありませんが、
少しづつ、本当に遅々として、ゆっくりなのですが、
ふと・・、穏やかに娘を思える時間があります。

取りあえず「今日1日」をおまじないにして。
このおまじない、こちらの掲示板で教わりました。
私もqqqさんの時期の頃、この言葉を呟きながら、
夕暮れの街を泣きながら、買い物に行ってました。
今は泣かなくても買い物に行けます。
悲しみの波が襲ってくると、まだ呟く自分がいます。

私もまだまだおまじないが必要です。



10986 ayasanママ qqq 2006/03/15 10:16
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 四国
はじめまして。同じようにお嬢さんを亡くされたのですね。

>夕暮れの街を泣きながら、買い物に行ってました。
泣きながら読ませてもらいました。

今泣きながらこれを書いています。
ただただ悲しいです。でも、みなさんが声をかけてくださって、
うれしくてまた涙が出ます。「今日1日」をおまじないにして、
「穏やかに娘を思える」日がくることを信じて、とぼとぼ、
よろよろ、みなさんといっしょに歩ませてください。

ありがとうございました。


10987 納骨します りんどう 2006/03/15 10:57
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内
久しぶりに書き込もうと思って、プロフィールが1年以内になってしまった事に気づきました。これからだんだん暖かくなってきてやがてあの暑い夏が
やってくると思うだけで、心が騒ぎ出します。
夏なんてこなければいい・・・。
夏にはいい思い出がたくさんあったはずなのに、すべては遠い夢のようです。

今度の土曜日に納骨することになりました。
私は自分達が逝く時まで手元に置いておきたかったのですが
両親の気持ちも考えて3つあるお骨のうち大きいのだけを納骨し
残りはお仏壇に残す事にしました。
ほっとしたり、お骨が分かれてしまって息子は大丈夫なのだろうかと
心配したり複雑です。
家にあるお骨はいつでも見てやれるけどお墓には毎日行く事は
無理なのでどうしようとか、夏の炎天下のお墓の中は可哀想と
変な事を真剣に悩んでしまいます。




10988 またさくらの季節がやってきます さくら 2006/03/15 14:04
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 中部
 たいへんご無沙汰しています。あと半年もするとあれから5年の歳月が過ぎようとしてます。あの頃は、5年後のことなんて考えることができませんでした。
 毎日くやしくて、泣きながら過ごす中でやっと見つけたこと。働きながら、学校へ通ってみました。ここで合格した報告までして、卒業したらここへまた卒業報告をすることを目標にやってみました。一年前の三月にちゃんと卒業することができました。何て報告しようか迷っているうちに、一年過ぎてしまいました・・・。働きながらはたいへんでした・・・。
 一番つらかった時期に、ここで励ましていただき、そして癒していただいたお返しとして、卒業報告をすることが目標でした。
 そして、私のことを大切に思ってくれる人にも出会うことができました。
 あの人のことは、忘れない。忘れられない。でも、私は私の残された人生を少しでも幸せになれるように精一杯生きていこうと思います。支えてくれたたくさんの人達のために、そして何よりも自分自身のために。


10989 わたしも・・・ でぃー 2006/03/15 18:50
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 西日本
ご卒業、ほんとにおめでとうございます。
そして、あなたを大切に思ってくれる方に出会えたなんて、
ほんとによかったですね。
心から、おめでとう。

わたしの息子の彼女のことと重なって・・・
2月に、一年ぶりに会ったら、
たくましく、美しくなっていて、ちょっと感動しました。

わたしも、負けちゃいられない。
若いっていいなぁ。

ほんとに元気をもらえて、ありがとう。

かなり体調の悪い日がかれこれ3か月も続いていて、
あと、40年、元気でいられるために、
なにが必要なんだろう・・・と思ってました。

ぼちぼちだけど、
わたし自身のために、
わたしを支えてくれた皆さんのために、前に進んでみよう。




10990 はじめまして ダンデライオン 2006/03/15 19:33
女性 / 20歳未満 / 父 / 6ヶ月以内 / 日本国内
初めて書き込みさせていただきます。
この春で高2となるダンデライオンといいます。
父を亡くしてからもう半年がすぎようとしています。
今更になって悲しみが抑えきれないくらいこみあげてくるのを必死にこらえている毎日です。
通夜やお葬式当日私はほとんど涙を流しませんでした。
通夜では父を見送りにきてくれた学校の友達や先輩、後輩、先生方に笑顔で「ありがとうございました」と言うという作業をまるでロボットのように繰り返していました。
お葬式では(父の実家が遠かったため)見慣れない親戚たちの中で決して得意ではない接客を笑顔でしていました。
学校は自分の知らないうちに時間が過ぎていってしまうのが怖くて、はやく過去の幸せだったときのように戻りたくて葬式の次の日から平気な顔して登校しました。
メールをくれた人たちにも「私は大丈夫」「だから心配しないでね」と返信していました。今考えると本当は「辛い」といって心配してもらいたかった。「悲しい」といって泣き叫びたかった。でも辛いといってしまうと余計に辛くなってしまうようで私には「辛い」と訴える勇気はありませんでした。いつしか私は「強いね」と言われるようになりました。
それが今になって影響してきているのでしょうか。毎日が辛くて悲しくてしかたがありません。別に学校で上手くいっていないとか友達に嫌われているとかそういうのはまったくありません。ただ漠然と明日が怖くて、夜が怖くてしかたがありません。
誰かに助けを求めたくても誰にどうやって求めたらいいのか全くわかりません。変にプライドが高いのと不器用なのが災いして今まで「強い自分」を演じることしか出来ませんでした。相談できる人がいないわけじゃないんです。でもその人たちは相談できるくらい信頼している人たちだから逆に嫌われたり、うざがられたり、迷惑に思われるのがいやで怖くてメールを打とうとしながらも結局は削除してしまう毎日です。本当は誰かに「頑張ったね」と頭をなでてほしい、「辛かったね」「大丈夫だよ」と抱きしめてほしい。そう願いながらも1人ベットの中で声を押し殺しながら泣いています。

自分のことしか考えていないことも、悲劇のヒロインぶっていることもわかっています。
でも辛くて辛くてしかたがないのです。
どうすればいいのか全くわかりません。
いつかこの思いがやわらぐことが来るのでしょうか、これから何日、何ヶ月、何年、このどうしようもない苦しみを味わい続けなければならないのか、考えるだけでまた涙が出てきます。



10991 こんばんは。 Jupiter 2006/03/15 20:36
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
ダンデライオンさん はじめまして。

私は 長男を亡くして1年4ヶ月になる母親です。
息子は この春 高3になるはずでした。
ダンデライオンさんと ほぼ同じ年頃です。
今日まで よく頑張ってこられたあなたを ぎゅーと抱きしめたい気持ちでいっぱいです。ほんとに辛かったね。悲しくて苦しかったね。
そう、私達は誰も強くなんかない。。。
愛する人を失って それでも頑張って生きるしかないんだものね。
きっとお友達にこの悲しみ・辛さをぶつけたって、分って貰えない。
相手を困らせるだけで迷惑かもしれない・・。そう考えてしまうあなたは、とても優しくて 他人を思いやれる人なのだと思います。

ひとりで抱え込まなくていいですよ。
誰にもいえない思い ここに置いていきましょう。
ここでは強くなくていいから・・・
たくさん泣いていいから・・・悲劇のヒロインでもいいじゃない。
そういう時間も私達にはきっと必要なんだと思います。

春休み 少しでもゆっくり休めるといいですね。
苦しいとき 辛い時・・ またここでお話しましょう。
 


10992 りんどうさん Jupiter 2006/03/15 20:58
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
りんどうさんも納骨なのですね。
今 またお心が乱れてお辛い時期なのでしょう。
苦しいね。。。

49日や一周忌と法要のたびに やはり心身共にエネルギーがいりますね。こんなに愛した息子ですもの。
あの日に戻され 苦しくなるのは当然のことだよね。
夕べの星さんが言われていたように
りんどうさんのご家族にとって 心の新たな旅立ちになれるといいですね。
土曜日は お天気になるといいですね。
私も りょうと一緒にお祈りしていますから。。。

お身体大切にしてください。


10993 残されたものは・・・ 夕べの星 2006/03/15 21:39
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
 ◎さくらさん はじめましてそして いっぱいおめでとう!
  良いご報告拝見して嬉しいです 頑張られたのですね。
  
  >私は私の残された人生を少しでも幸せになれるように
  >精一杯いきていこう<
  良い言葉ですね!私も見習って行こうと思います。

  残されたものは・・・いかに生きたらいいのか・・・が
  課題かな と少し頭が冷えてるとき思います。

 ◎ダンデライオンさん はじめまして
  お父様をなくされたのですね。お気持ち思うととても
  辛いです 
  
  親をなくす 夫を 妻を 弟を 兄を 姉を 妹を
  恋人を 子供を・・・。どれが一番は 無いですね
  悲しみの 深さは。
  ダンデライオンさん あなたはとても正直で真っ直ぐな
  素晴らしお嬢さんと思います あなたがここにおられたら
  ちから一杯抱きしめたい!いま、あなたの叫ぶ声が聞こえます
  又、ここにこられて 悲しみを共にしましょう

 ◎りんどうさん 私の娘も 八月に空に上りましたので
  夏も恐いです それに季節の移り変わり毎に辛いのですから
  どうしようもありません(^^)納骨には色々の想いが
  ありますね 私は骨壷に娘の名前をセロテープで貼りたくて
  用意したのですが お坊さんに要らないと言われちゃいました。
  
  昨日は物凄い雪が夕立?の様に降り お墓の娘が心配でした
  まだ三日も経たないのに こんなこと考えてる私って・・・

   皆様に 幸せの時間が降ります様に☆      
  
  


10994 りんどうさん ayasanママ 2006/03/15 23:55
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
りんどうさん、こんばんわ。

うちも娘の遺骨はお墓の下とお仏壇にあります。
納骨した時は、矢張り悲しくて、一緒に私も入ってずっと抱きしめていたいと心から思いました。納骨して毎週日曜日に夫とお参りに行っていますが、何故自分がここにいるのか、誰のお墓なのか、
よく理解出来ませんでした。
でも、一周忌過ぎて、1人でもお参りするようになって、
ゆっくりそこで話して、泣いて、お花の鉢を持って行ったりして、
娘はここにもいるんだな・・・と、思えるようになりました。

18日の土曜日は娘の菩提寺でも春彼岸の法事です。
リンドウさんとご家族の皆様が、少しでも穏やかに息子さんと
お話できますようにお祈りしています。
そして、お天気に恵まれますように・・。


10995 同じ思い・・・ りんどう 2006/03/16 10:24
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内
昨日は自分の体調が悪いせいもあって、納骨する事を拒否するもう一人の自分を持て余していました。
何をしていても、どうすれば納骨を取りやめる事ができるのかと言う事ばかり考えていて、トイレに入った瞬間、「納骨なんてしたくない。」と泣き出してしまいました。
家族は何も知らずそれぞれの事をしていて、私は一人トイレの中で泣きつづけました。
その後、もう一人の自分は、自分の実家に納骨の日について確認の電話をかけ
家族と一緒にテレビを見つづけ・・・・。
でも、本当の自分は・・・。
生きていく為の自分と本当の自分のズレは埋まるどころかどんどん大きくなっていきます。
でも、ここへ来ると自分の思いは変ではないんだ、みなさん同じ思いをしていらっしゃるんだと言う事に気づいて本当に安心できます。
ありがとうございます。
お墓に入る息子も少しでも気持ちよくいられるように
庭に花をたくさん植える事にしました。
その花を持ってお墓の息子に会いに行くことにします。
暑い時は「暑いね」寒い時は「寒いね」と声をかけ同じ時を
過ごせるように・・・。



10996 お墓参り qqq 2006/03/16 11:25
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 四国
今度、18日にお墓参りに行きます。納骨以来4ヶ月ぶりです。
まだまだ行くのが辛いです。亡くなったというのを突きつけられるようで。まだ受け入れてないのだと思います。娘は心の中に行き続けている、魂は存在している、と思ってもやっぱり悲しいです。
毎日、夫と仏壇にお経をあげています。好きな物、かわいいお花を
あげています。やっぱり親ですもの、冬はお墓は寒いのかな、夏は
暑いのかなと思いますよね。納骨の日の前夜はお骨を枕元へ置いていっしょに寝ました。魂は瞬時にどこにでもいけるそうです。きっと、私たちがいるところ、思っている時は必ずそばにいると思います。
お墓参りにはあの娘の好きなお花とお菓子を持ってお参りしたいと
思います。


11000 りんどうさん なお 2006/03/16 17:57
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 関東
はじめまして。

昨年8月に3年半のうつ病との闘いに破れ、夫を喪いました。

7回目の月命日の今月上旬、納骨して参りました。

私も本当は私が死ぬまで手元に置いておきたかったけれど夫の両親もいつもお参りしたいだろうと考えて仕方なくの妥協でした。

納骨の際はずっと泣いてしまい、みんなが帰った後も1時間以上墓前で泣いていました。

こんな土の上、薄暗い狭い場所にひとりでいさせることがかわいそうで。

それ以来、寒いときは、寒くないかな?雨が降れば濡れていないかな?とそんなことばかり考えています。

分骨もして大部分は私といっしょに家にいるのに、それでもなんともいえない寂しさをひしひしと感じています。

もうそろそろ2週間経つのにまだ半病人のようにぐったりしていて、直後の状態まで引き戻された感じです。

納骨は考えていた以上パワーを使います。

どうぞあまりストレスをお溜めになりませんように。

私も明日夫の好きな花と寂しくないように大好きな柴犬の陶器の置物を持ってお墓参りに行って来ます。