11101 四月 わんこ 2006/04/01 22:17
女性 / 40歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 日本国内
父が逝ってしまったのが冬でした。もう春なのですね。季節に取り残された気がします。私の時間は止まっています。日がたつごとに父がみつからない可能性が少しずつ現実味をもって胸にしみこんできて、少しも前向きになれません。

こうめさん
三年先を歩いてらっしゃるこうめさんの「時間」の話・・・信じたいです。私の母も体は病気で不自由ですが、精神的には私は母に甘え、頼りっぱなしです。こうめさんは3年間選択の余地もなく、強くなるしかなかったのでしょう。でもご自身のお体も心配です。難しいことでしょうけど、ご自愛ください。

エリーさん、アイママさん
自分より日にちの浅くて、同じ父親をなくしたお二人。私にはまだおかけする言葉がみつかりません。うちの父はきっかけは医療ミスでした。歯がゆい、悔しい、胸を引き裂かれるような思い・・はわかります。

マーサさん
私も宗教の人に勝手に押しかけられた上、同じ言葉を言われました。「うちの宗教をしていれば、死なずに済んだ」と。
walkingtourはいいですね。少し時間がたってから見たほうがいいかもしれませんね。

長文になってしまいました。
夕べの星さん、お仲間にいれていただいてありがとう。
今日も書かせていただきました。







11103 たましい でぃー 2006/04/02 08:40
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
花のたましい

   散ったお花のたましいは、
   み仏さまの花ぞのに、
   ひとつ残らず生まれるの。

   だって、お花はやさしくて、
   おてんとさまが呼ぶときに、
   ぱっとひらいて、ほほえんで、
   蝶々にあまい蜜をやり、
   人にゃ匂いをみなくれて、

   風がおいでとよぶときに、
   やはりすなおについてゆき、

   なきがらさえも、ままごとの
   御飯になってくれるから。

金子みすず

わんこさんのお父様のこと、残されたわんこさんとお母様のこと、
何度もお声をかけようと思ったのですが、できなくて・・・

26才で幼子を残して逝った、金子みすずさんの詩をご供養に
読んでいただけたらと思いました。

我が家の16年生きた愛犬、ロクは、自分で死に場所を見つけに
いきました。自由で誇り高い犬でした。遺体でいいから
会いたいと探しましたが見つかりませんでした。
ほんとに、ほんとに、会えないのが悲しかった。
次の日は冷たい雨が降りました。
きっと、死ぬのにいい日を知ってたんだな、抱かれて死ぬのは
いやだったんだなと、いつの日か思うようになりました。

その半年後に息子が逝きました。ほんとに安らかな、幼子の
ような顔でした。

きっと、わんこさんのお父様も、そんな安らかな顔で
いらっしゃると思います。

ほんとにうまくいえなくてごめんなさい。
もし、傷つけてしまったらごめんなさい。


11104 ありがとうございます。 エリー 2006/04/02 09:42
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 東日本
アイママさん、こうめさん、マーサさん、わんこさん、ありがとうございます。皆さんの暖かい言葉のおかげで少し深呼吸ができました。

Walkingtour、見ていて涙が出てきました。
きっと、父さんも私たちが歩くのを優しく見守っていてくれるのだと思えました。ずっと家族を思って生きてきた父さんだったから。。

住職ですが、父方の親戚が紹介してくれた墓石屋さんに高額な賄賂を要求し始めました(うちから戒名代で期待していたほどお金が取れなかったからかしら)。
貧乏人はお布施を払えるくらい貯めてから死ね、と仰る住職にしてみれば、不本意な金額だったのだろうなぁ、と。
月曜日になったら浄○宗の窓口に相談してみるつもりです。
これ以上不当な扱いを受けるのは、ごめんですから。

今はいろいろなことに対して怒って、そのエネルギーを何とか生きていくための力とする毎日ですが、落ち着いてきたら父さんみたいに穏やかに生きたい。。





11105 みなさんありがとう こうめ 2006/04/02 20:02
女性 / 20歳以上 / 父 / 3年以内 / 西日本
walkingtour私も見ました。私も早く見守る人になりたい・・・。
アイママさん、わんこさん、ご自身も辛いのに温かい気持ちをありがとうございます。3年経って悲しみが減ることはないけど、ご飯も食べ、笑顔で働いている自分が不思議です。元気になったというより、辛さに耐性ができてきた感じかな??

エリーさんへ
有名なホテルの飲食で働いていたことがあります。顧客の住職らしき人がいつも金品じゃらじゃらで女性を連れられていました。ちょっと聞こえてくる内容も尊敬できる内容ではありませんでした。もちろん立派な人もいると思いますが、エリーさんのメールを見る限りはその住職さんはそうは思えませんね。お父様を大切にしてくれるところに預けられることを願っています。お金じゃありませんよ。お墓を守ってくれる人の気持ちです。ちなみにうちは父も(私も)無宗教でしたが、母がクリスチャンだったので母の納得のいくよう教会の合同墓地に預けました。葬式、通夜、埋葬両合わせても30万位でしたよ。でも教会の信者さんが毎日眠っている全ての人のためにお祈りしてくれるので安心しています。教会じゃなくても事情を話せばもう一度大切に弔ってくれるところがあると思います。後悔しないで!!



11106 みなさんへ わんこ 2006/04/02 21:51
女性 / 40歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 日本国内
でぃーさん
お声をかけてくださってありがとう。事情がわかりにくいケースで、私も人のことでしたら、何と言ってよいのかわからないと思います。そこまでお考えいただいたうえで、優しい詩に託して声をかけてくださったお気持ち・・嬉しいです。

こうめさん
辛さに耐性ができてきた・・・わかりやすいです。たしかに私達の悲しみや辛さは乗り越えられるものではないですよね。

エリーさん
怒るべきことでは怒らなくてはなりません。必要なら戦わなくてはなりません。でも、私には怒りと怨みをまだきちんと分けられないでいます。
優しい大切な父の子供だから、お互いにかわいい娘でありたいですね。
今はまだ無理でもね。

みなさんの言葉で足元を照らしながら、歩いていきたいです。


11107 久々に仕事以外で外出しました。 エリー 2006/04/02 22:50
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 東日本
母さんが、「死後の世界について書いてある本が欲しい」というので、街にある大きな本屋めぐりに行きました。
でも、なかなかないものですね。あっても宗教の宣伝色が強すぎたり、自死遺族には優しくない内容だったり。母さんが落ち着いて読めるような本を1冊探すのに、3時間かかってしまいました(;^_^A
母さんには、「父さんは天国で家族を見守ってくれているんだ。今は苦しいこともなく、穏やかな気持ちでいられるんだ」って信じて欲しいから。

こうめさん

墓地は、7年前になくなった祖父が土地を買ってくれていたので(祖父のお墓の隣なのです)そこを利用しました。祖父と仲良しだった父さんが、お墓の中で楽しく過ごせるようにと。でも、あの住職と話す度「他所にすれば良かったかな」と思ってしまいます。
明日住職及び浄○宗の窓口と話しをするので、それで対応が良くなってくれるのを期待しています。ご助言、ありがとうございます♪

わんこさん

私も怒りと恨みごちゃ混ぜです。。なかなか冷静になれなくて。
でも、仰るとおり「優しい大切な父の子供だから、お互いにかわいい娘でありたいですね」。いつか再会した時、誇りに思ってもらえるように。



11108 エリーさんへ 剣 2006/04/03 07:23
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
死後の世界の本って、本当に難しいですね。
自死に関する本もそうですけど。
私も死後の世界についての本、宗教の本、自死についての本、生き方の本など色々買いました。
でも、読むうちに辛くなったり、違うなと思ったり、最後まで読めたのは3分の1くらいでしょうか。
違うと思ったものは売って、辛くなったものは本棚にしまってあります。

本に書かれてあることは必ずしも正しい訳ではないので、エリーさんもお母様も色々読まれたらいいかもしれません。

住職については、どこも跡継ぎがいなくて大変らしいので、人間性や宗教家としての心は後からついてくるものなのかもしれませんね。
心療内科と同じかと思います。
ただ違うのは、あれこれ探し歩くわけにはいかないということです。
どうせ付き合わねばならないのなら、修行が足りないと思ってあげたらどうでしょう。



11109 きょうは 暖かいですね 夕べの星 2006/04/03 15:29
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  
  こんにちは。ここずーと書き込みしたく 書いたり
  消したりの毎日でした。お父さま お母さまをなくされた
  皆様のメールに 心底言葉もうまく出てこなく・・・。
  
  わんこさん
  もうされてるかもしれませんが、お父さまの何時も大事にされてた物
  とか 思いで深いものを 飾られてお水を お供えて差し上げたら
  どうでしよう。わたしも何の信者でもありませんが、先日 あの子の
  姉が帰ってきたとき よしーにお水を 供えるね と言ってくれ
  お仏壇ばかりじゃなく どこにもよしーは居るのだと気をつけさせ
  られました。このあの子のpcの上の棚に 供えてあります。       なんだか この方が あの子がいるようです。
  
  ayasanママさん もんさん
  お元気ですか。私はまた今日変な事をしました。思いついて
  私の携帯の留守電に 録音しました。
   おかあさん お誕生日おめでとう!!。いつも ありがとう。
   素直じゃないけど感謝してます。これからも 優しくて
   元気なママで いてください。じゃ又ね バイバイ。
  これは わたしの何時かの誕生日にもらつたカードのです。 
  今は ポートフレームに入れて飾ってあります。こんな事あると
  知らなかったとき・・・。とってあって良かったとおもってます。
  最後の じゃ又ね バイバイ は私が創作しました。
  声が似てたので 再生すると身近に感じて元気がもらえます。
  こんな事しては駄目と思うのですが、もう少し、甘えたいので。
  何だか変ですね。自作自演で・・・。

  でぃーさん やさしい詩をありがとう。書き込みされた心持が
  感じられて でぃーさんらしなーとおもいました。

  jupiterさん 携帯がなるたびメロデーがなり
                   思い出して・・・。

  まるこさん かおっちさん アイママさん 杏さん こうめさん
  マーサさん そしてエリーさん 剣さん 皆様。
  時間の経過 や 温度差は様様ですが いつもここで 出会って
  悲しみや 辛さを ご一緒に耕しましょう。
  そして 管理人様 ここを暖めてくださって感謝しております。


  


11110 また少し辛くなりました betasuke 2006/04/03 20:38
女性 / 40歳台 / 弟 / 1年以内 / 関東
故人の思い出はどうしても美化されてしまうのでしょうか。
生きている頃は毎日顔を合わせるのも嫌だったのに。
最近はTV番組の切り替え時期で、昔のVTRがよく流れています。
あの頃は幸せだったんだなぁと今になって気づくこともあります。
あまりにも楽しい思い出ばかりの頃の流行歌が流れてくると、辛くてTVのスイッチを切ってしまいます。
もう私の記憶の中でしか故人は生きていない現実。
私の一瞬のためらいが、いえ思い込みが彼を救えなかった現実。
そして、あのとき弟はああしたかったのも現実です。
いま彼が後悔していないのなら、楽になれたのならそれでいいと思っています。
ただ、実際どうなのか、その返事を聞く術がないから、遺された者は苦しみから抜け出すことができないのでしょうね。
たまに夢に出てくる弟はいつも穏やかです。それが私の求めている答えだと信じてみたいです。


11111 春ですね こうめ 2006/04/03 20:40
女性 / 20歳以上 / 父 / 3年以内 / 西日本
わんこさん私の微妙な表現を解っていただいて嬉しいです。

夕べの星さん、メールを見て痛いほど気持ちが伝わってきて・・。変なことじゃありませんよ。きっと天国からそういっています。
 お誕生日おめでとう!!いつも思ってくれてありがとう・・・

苦しい・・苦しい・・誰にも伝わらない苦しい思い・・ずっとそう思ってきた・・。もっと早くこのページを見つけていればよかった。管理人様ありがとう。


11112 でぃーさん りんどう 2006/04/04 07:47
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内
金子みすずさんの詩、優しくて素適ですね。
でぃーさんのわんちゃんの事を読んでいて私も思い出しました。
私の息子が可愛がっていた犬もやはり、息子が逝く5ヶ月前に
突然死んでしまったのです。
その犬も死ぬ2.3ヶ月前から時々家を抜け出すようになっていました。
今から考えるとやはり死に場所を見つけようとしていたんだと思います。
そして今は、息子の寿命に気づいた犬が、自分が先に逝って
息子を迎える為に、突然死んでしまったんだと思っています。
「虹の橋」の伝説ご存知ですか?
ディーさんの息子さんと愛犬さん、私の息子とうちの犬は
きっと虹の橋のたもとで出会って今ごろはきれいなお花の咲く所で
楽しげに遊んでいるんじゃないでしょうか。





11113 虹の橋 でぃー 2006/04/05 07:09
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
りんどうさん

わたし、虹の橋の伝説、知らなかったので調べてみました。
なんだかうれしくなって、すずさんに電話して聞いてみました。
すずさんは、あの子と話ができるのです。
そうしたら、すずさんはうれしそうに言いました。
「ああ、こうちゃんがそういうとった」
「ロクは先にいってこうちゃんを待ってたん?」
「そうじゃ」
「こうちゃん、喜んでた?」
「うん。よろこんどった」
すずさんは、あっちに行けるようになったらしいのですよ。
でも、こうちゃんは自分の勉強に忙しいらしくて、声かけてこないって。でも、とっても元気にやっているらしい。

虹の橋の伝説、教えてくださって、ありがとう〜


エリーさん

死後の世界についての本ですが、
もしよかったら、「神との対話」(普及版6)ニール・ドナルドウォルシュ サンマーク出版 を本屋さんで立ち読みしてみてください。
ベストセラーですから、たいてい本屋さんにあります。作者が人生に苦しんでいるときに、突然、神から返事がやってきて、はじまった神との対話の記録です。
わたしは何度も読み返し、癒されました。とくに6の46ページのあたりは、苦しいときにいつも開きました。

  それじゃ、神は自殺した人を罰したりしないんですか。

  わたしは罰したりしない。愛するのだ。


「死後の世界が教える 人生はなんのためにあるのか」−退行催眠による「生」と「生」の間に起こること、全記録− マイケル・ニュートン博士 VOICE

 この本も、退行催眠中に、あの世での記憶を語りはじめた患者さんたちの記録です。前世で自死した人の記録があり、すずさんの話すあの世を理解するために役立ちました。この本は本屋さんにはないかもしれません。

 死後の世界のことですから、なにがほんとかはわかりませんけれど、
わたしは、自分が癒され、自分にとって真実だと思えればいいのではないかと思っています。


夕べの星さん

遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます^^
携帯電話のこと、夕べの星さんらしくて、大好きです。
うちのあの子も、いつも忘れず電話くれたなぁ。



















11114 生きる事 剣 2006/04/05 11:59
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
betasukeさん
同じです。
何を見ても、あの頃は…と思ってしまいます。
テレビだけじゃなくて、何でも日付を感じさせるものがあると「生きていて〜していた」
と考えてしまいます。
いてくれるだけで幸せだったんだと、改めて感じます。

たまたま見つけた本に、心惹かれた詩があったので紹介させて頂きます。
きむさんと言う人の詩です。

「生きて」
 あなたの後悔は決して
 取り戻せるものじゃない
 だけど、今日を
 精一杯生きて笑う
 あなたのその笑顔には
 全てがこもっとる
 あなたの明日が
 これからの人生がこもっとる


11115 剣さん betasuke 2006/04/05 19:34
女性 / 40歳台 / 弟 / 1年以内 / 関東
温かい詩ですね。涙が出ました。
でも何度も何度も読み返してしまいました。
きむさん、ありがとう。
弟を救えなかった愚かな姉ですが、こんな私でも明日を生きていいんですよね。

剣さん、皆さん、もう、どうやってもあの日は戻れないけど、今を生きましょうね。
だって、故人のことを絶対に忘れない、それだけは絶対なんですから。



11116 「ちょっと疲れたかも」です。 エリー 2006/04/05 23:58
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 東日本
剣さん

亡くなった方は皆同じく心地よい安らぎに包まれているのだよ、と誰かに言ってほしいんですね。気休めだとしても。亡くなったから終わりとは思いたくない。また会えるんだよ、って。一生抱える事だからこそ、向き合うための拠り所としたい(というより、母さんに拠り所としてもらいたい)な、と。
住職については、、、う〜ん、私も修行ができていないからかしら、まだ許せる心境ではありません。。。「一発痛い目見なきゃ、人の気持ちを理解できない坊さんなのでは」と思ったりして。。怖い人みたいですね(笑)。

でぃーさん

ありがとうございます。「神との対話」と「死後の世界が教える 人生はなんのためにあるのか」、母とぜひ読んでみたいと思います。
今は父さんが愛されて、心安らかに魂を休めていると信じたいです。。
上に書いたように、それが気休めであったとしても。

父さんが亡くなってから3週間。さすがにいつも泣いている様なことはありませんが、仕事中に急に涙が出て来ることがあります。
父さんがどうしていないのか理解できない。頭では判っているつもりでも、心がついてきません。父さんがいないのに、どうして私は生きているんだろう、とか。どうやって生きていけばいいんだろう、とか。軽く鬱ですかね(笑)。

ごめんなさい、我ながらちょっと鮮度が落ちてるみたいです。
もし失礼な物言いしていたらごめんなさい。。


11117 夢 アイママ 2006/04/06 20:59
女性 / 30歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 関東
父の納骨が終わってもう直ぐ2週間経ちます。特に納骨が終わってから私は父の気配をあまり感じません。でも、実家にいる母と妹はあまり寝かせてくれないと言います。犬の朝ごはんの時間にはドックフードまってるぞと朝早く起すそうです。外に出ると、イスに座っているところを見たとか。母には、しょっちゅう夢に出てくるそうです。特に今日は明太子かいくらで白いご飯を食べたいとか、くらげの酢の物を食べたいとか夢にでてくるそうです。(笑)実家に行った時仏様に炊き立てご飯に明太子がのっていました。

急いで逝かなくても、今頃、好きなだけ食べていたんじゃなかったのかな?


11118 心の癒し方 みずき 2006/04/08 01:53
女性 / 50歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
はじめまして

3月22日に青い空のかなたの掲示板をはじめて見つけました。
掲示板って表の7つだと思っていたら、他にこのメイン掲示板と番外掲示板もあったのですね。表からいつもリンクしていたので気がつきませんでした。そそっかしいですね、私って。

とってもやさしいみなさまがたの対話に感激しました。
傷ついたものが互いに支えあう教会に惹かれつつ、信仰を持たない私はそこへも違和感を感じ、ひとりで耐えて時間の経過の中で強くなるしかないんだと思っていました。
読むだけでみなさまの優しさにとっても癒されました。ありがとう。
悲しくなったら、いつも寄らせていただきます。よろしく。

昨日で長男23歳を亡くして半年でした。ここ4,5年夢を見なかった私。夢でもいいから会いたい、会いたいと言っていたら、長男らしき10歳くらいの子供との一瞬の会話で目が覚めました。とても幸せな目覚めでした。いい一日でした。

でぃーさん、死後の世界の本の紹介ありがとうございます。
私も関心があったところだったので、早速注文させていただきました。

夜になったら悲しくなるので、夜はずっと生と死に関する本を読んでいます。半分死んでいる私にとって、生きる意義や意欲を取り戻させてくれるものは何か?心の癒しを求めて本の世界に浸っています。

最近読んだAVACO(キリスト教視聴覚センター)発行の日野原重明さん『私が経験した魂のストーリー』もよかったです。易しい語り口で生きる意味が書かれているし、他の本の紹介もいろいろあって。日野原さんの前向きな姿勢と暖かさが好きです。minoにも紹介したかった・・・

みなさんは、ひとりの時はさびしさ、辛さ、悲しさをどんなことで癒しておられますか?

いくつも詩が紹介されていましたよね。詩集や本でよかったものがあったら、又教えてくださいね。


11119 五年が過ぎます ふみ 2006/04/08 15:06
女性 / 30歳台 / 夫 / 10年以内 / 西日本
夫が亡くなりもう五年が過ぎてしまいました。小学1年だった次男は中学入学です。ただ私の中では、一番の身近な夫の死は未だに受け入れられず人と親しくする事が怖いです。小3だった上の子は中3の思春期を向かえ男の子だから余計私にはわからない事ばかりで・・・父親がいたら男同士子供の気持ち理解できるのではと悩みます。子供は日々成長しますが私の心は夫の突然の裏切りともいえる行為から子供へも距離をおいて自分が突然の裏切りにも耐えられるよう過ごしてしまっています。心の奥底にはもっと子供の為にやりたい気持ちはあってもまだ私自身夫の自殺を受け入れられないでいます。自分が自分らしさなくしているのがわかっていてもどう生きていいかわからずお酒に逃げてしまい他人との関わりもこばんでいます。どんどん自分がダメになってしまっているとわかっていてもどうしていいのかわかりません。


11120 初めまして 天使 2006/04/08 19:04
女性 / 30歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 関東
主人を亡くして毎日心のよりどころが無く悲しみ、虚しさ、後悔の日々を過ごしてます。夫婦中がうまくいかず離婚話が出ていました。私が全て悪かったんです、その時の私は主人を愛していることさえ解らなくなっていました。まさかあんな事をするなんて、発見したのは私でした、その姿が目に焼きついて離れませんどうしてこんな事になったのか・・・私は愛情表現が下手で主人は愛が欲しかったんだと思います。思い返せば解っていたはずなのにいなくなってきずくなんて、申し訳なくて主人が亡くなるのは違う私のはずなのに・・・そんなことを思う日々がありました。夜になると恐くて薬に頼る毎日、お酒に頼る日々です、こんな事はいけないとわかってるんですが・・・子供や主人の両親「同居」の先を考えると押し潰されそうになりますでも今の私は主人の残してくれた家族を大事にして行くことが主人に対する償いとして行きたいと思います。同じ思いをしている人がこんなにもいるなんて驚きました。自分の話をダラダラとしてしまいすみません。みなさんの意見を聞きながらこれからも頑張って行きたいと思います。



11121 今日は父の誕生日 アイママ 2006/04/08 21:16
女性 / 30歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 関東
今日はお釈迦様の日、そして父の誕生日です。お寿司をかって父にお供えしました。主人がウーロンハイをつくってあげてました。本当なら今日で66歳。

今朝は、凄く久しぶりに生死をわけるような追いかけられて逃げる夢をみてハラハラしておきました。嫌な朝です。


父は、庭でなくなっていた日、時々あの形相もまざまざに覚えています。とても冷たく固く、でも、皆少しずつ記憶から薄れていっているような気がする。父は、そんな時私に忘れないように時々生々しいあの日の記憶を思い出させているような気がする。そのたびに、私は酷く落ち込んでしまう。又そんな日が今日も来て、ちょっと疲れてしまう。



11122 みんな おんなじ思いですねー みずき 2006/04/10 00:29
女性 / 50歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
みなさん  本当に辛い思いなさっているんですね。
過呼吸になったり、怖い夢を見たり、胸がおもーくな
ったり・・私も満中陰までは心臓がどきどきしたり、
お腹に石を抱えているように苦しくて・・悲しくて・・

今日は、水谷泰然子さんの『桃子』を読みました。
16歳のお嬢さんを動機不明で誕生日に亡くされていま
した。そのあとの思いはまったく私とおんなじ道筋を
通っておられた。エネルギーも湧かないのも同じ。
身近な人を亡くした時の心の穴、喪失感って、誰もが
よく似ていて、たまらないものなのだと知りました。


 “ 人が立ち直っていく自然治癒力の中には、
 「諦めること」「忘れること」「慣れること」
 もはいっているのだろう。娘を諦め、娘との日
 々を遠い記憶をたどるように思い出し、娘のい
 ない生活に慣れる頃、ようやく平静を取り戻し、
 多少の安らぎを得られるようになるのかもしれ
 ない。それがみんなの言う「時に癒される」こ
 となのだろう。”

亡き人の記憶が薄らぐことが安らぎを意味するなら、
拒否したいとおもって、本を綴られたようだ。

おととい、5歳の子を亡くして18年経つ方や
88歳の母親を自死で亡くして7年という方と偶然お会
いして立話をしました。アドバイスは、
「普通にしていたらいいのよ。忘れまいと無理に思い
出さなくてもいいよ。」
「死ぬまでこの悲しみは持っていくしかない。悲しみ
と仲良く同居することよ。」
「誰か信頼できる人にぶつけて、溜め込まないことか
な。」「誰も代われないし、気持ちの持ち方が楽にな
るように、なるようにしかならないと、思いつめない
ことかな。」でした。

このしんどさを今!何とかして!と思うけれど、特効薬も
近道もないし、分かってくれる人に聞いてもらうぐら
いしか、ほっとする場はないのですね。
みんな同じーと思いながら、一日、一日耐えていく・・
ここの先輩たちもそのように生きてこられたよう。
いいアドバイザーもたくさんおられるし。

いい出会いを大切にしましょう!天使さん ふみさん








11123 妻が夢で不思議なメッセージをくれました シブパパ 2006/04/10 13:10
男性 / 40歳台 / 妻 / 3ヶ月以内 / 関東
場所はわからない、どこかの海。ダイビングの心得がある妻が独身時代にプレゼントした赤いビキニを着て知人と遊んでいた。しかし私が近づこうとすると海に潜ってしまって見失った。
なぜか場面は突然曇った日の住宅地。定食屋のような建物からひょこっと姿を見せる妻。今度は隠れない。泣きながら抱き締める私。そして自宅の遺影前へ座る。たまたま家にいた私の母も泣いて喜ぶ。子供たちは寝ているので起こそうとすると妻は「今日は会わずに帰る。四十九日が済んだら会いに来る」。私が「わかった」と言うと妻は微笑んで消えるように家を出ていった…。
気が付けば朝6時のいつもの寝室。傍らにいるのは子供たちが二人、妻はいない…。こんなリアルな夢は初めてだったけど、妻が夢で本当に伝えたかったのは何だったのだろう。


11124 シブパパさん でぃー 2006/04/10 16:28
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
きっと、シブパパさんが抱きしめたいっていう願いが、
シブママさんに聞こえたのじゃないかしら^^
よかったですね。

わたしも、息子が逝ってしばらくは、リアルな夢や声が
よく聞こえました。最近あんまり会えないのは、
わたしがもう大丈夫だからでしょうか? 
あの子があっちで元気にしてると信じて、
あの子のいないこの世を楽しめるようになったからでしょうか。

たまには、会いたいなぁ。




11125 無題 剣 2006/04/10 21:01
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
こんなに弟のことが頭から離れないのに、私は弟を感じたことがありません。
夢に出てきてくれたこともありません。
聞きたいことがあるのに。

ただ、鏡の中に面影を見ます。
生前は似てないと思っていたのに、やはり姉弟。
だから鏡をまともに見れません。

会いたいけど、思い出させられるのは嫌なのです。
矛盾しています。

今日、仕事帰りに人を運び込んでいる救急車の横を通りました。
弟もこんな風に運ばれたんだろうか…と切なくなりました。

今日は雨だったせいか、情緒不安定です。





11126 シブパパさん、はじめまして 天使 2006/04/10 23:21
女性 / 30歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 関東
夢で逢いたいけど切ないもんですね・・・主人がいなくなって明日で丁度二ヶ月になります、いなくなってから毎晩夢を見ました最近はあまり会えなくなって・・・主人の父が夢で泣きながら子供達を頼むと言う夢を丁度一ヶ月の日に見たそうです。その時間は私が初めて主人の夢を見た時間と同じでした多分その時間が亡くなった時なんだろうねと話てました、どうして私の夢に出てきてくれないんだろうと悲しくて今の主人の心境かと考えたら苦しくて涙が止まらなくなってしまいました、苦しくて死んでしまいたくなって・・・そしたら誰がそんなことしちゃいけないよと言う声を夢の中で聞きました。不思議ですね、夢は何の意味で見るのでしょうか自分の思いや気持ちで見るのでしょうか相手の思いから見るとしたら嬉しい時と苦しい時と背中あわせですね、シブパパさんの気持ちわかります。子供の顔を見ていて辛い気持ちになりますね。いつになったら前の自分に戻れるのかなー・・・。


11127 夢 でぃー 2006/04/11 08:15
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
会いたいなと思っていたら、久しぶりに夢を見ました。
それが三部構成で、目覚めると複雑な気持ちなのです。

一部は、家の中に当たり前のようにいる息子。黒いお気に入りの
トレーナーを着ていて、小学生くらいかな。わたしは、会えて
うれしいなんて思っていなくて、いつもの風景みたいに感じている。

二部は、おじさんになっている息子。柔和な顔で、「喫茶店を
開いたんだ」って言っています。「ほんとに息子なのかな?」って
いう不思議な気持ちのわたし。

三部は、亡くなった頃の年の息子。朝起きが苦手な彼に、側にいる
中国人の女の子が早起きでどんなに健康かを説いているわたし。
息子は、ちょっと迷惑そう。でも、「やってみようか」なんて
言っている。

それで、つらつらと、夢の記憶をたどっていて思ったのは、
「きっと、いつもいろんな姿の息子と夢で会っているのかも」
「息子のあの運命は、あのときのわたしに変えること
 はできなかったのだ」
「わたしは、息子を若者のままで亡くす人生を選んだのだから、
 それを清く受け入れよう」

さて、今日はどんな一日になるのでしょう。
いいことがありますように。
 





11128 書いて少し落ち着きました シブパパ 2006/04/11 14:59
男性 / 40歳台 / 妻 / 3ヶ月以内 / 関東
溢れる思い、皆さんもたくさんお持ちなんですね。
たくさんのレス、どうもありがとうございました。


11129 お父さん 娘 2006/04/11 17:17
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
お父さん・・私の命をあげるからもう一度戻ってきて!
      遺書にも書いてあったとってもとっても愛してるお母さん
      のそばにいてあげてよ。
      お母さんのあんな寂しい顔、泣き崩れる顔・・
      もう見れないよ。
      ねーお父さん!
      何とか言ってよ・・お父さん・・。 
      


11130 はじめまして。 ちっけ 2006/04/11 21:00
女性 / 30歳台 / 父 / 20年以上 / 中部
 今までこちらはずっと、見ているだけでした。
でも、なんとなく書きたくなって・・。

 父が亡くなって20年以上がたちました。3月に23回忌を
済ませたんです。

 あの時、私と弟が春休みで出かけている日に、父は
自宅にあった倉庫で自ら逝ってしまいました。

 私自身前に進めず立ち止まったり休んだりの20年近く。
今年39歳。気がついたら自分が生きてきた人生の中で
父が生きていた時間が半分以下になっているんです。

 様々なことがありました。けど、ここまで歩んできました。
立ち止まっても、休んでも、ねっころがっていびきかいて
寝ても良い、でも、前をみつめていきたいと、思っています。



11131 共感します シブパパ 2006/04/13 12:37
男性 / 40歳台 / 妻 / 3ヶ月以内 / 関東
「娘」さん

私の妻の遺書には二人の子供と“みなさん”に宛てた言葉はありましたが、私には何もありませんでした。
自宅に残っていた膨大なメモから、妻の自死の引き金は「うつ」による私からの逃避願望だったかもしれません。でも生前、常に私に対して「いやな思い」をしていたとは思えませんでした。毎日繰り返されていた普通の行動や出来事、そして会話、どれも妻の無償の愛を感じていましたし、私も妻の喜ぶ顔が見たいという動機だけでいろいろしてあげたいと思っていましたし。
「うつ」の状態で逝ったのなら、最後まで私を恨んでいたのかもしれません。今はそれが無念でなりません。


「ちっけ」さん

妻と知り合って付き合いだしたのが妻が18歳のとき。享年34歳。夫婦は人生の大半を一緒に過ごすものなのに、妻にとって人生の半分にも満たない結婚生活でした。新婚時代、二人で孫に囲まれた老後の様子を想像して、楽しみにもしていました。素敵なじいさん・ばあさんになりたいな・・・なんて。
年齢差が8つ近くあるので、妻が40歳の時点でフルムーン旅行できるな・・・なんて楽しみもありました・・・。


11132 シブパパさんへ 娘 2006/04/13 18:12
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
ありがとうございます。

父の遺書の中に・・私は自分自身に負けてしまいました。
         根性無しで、つまらない男になりました。
         自分がいると経済的に駄目になる。
         
         お母さんいつも優しくて包みこんでくれましたね
         とっても感謝してます。
         子供たちお母さんを頼みます。
         皆愛している。
         だめなお父さんより

         お父さんより


とA4用紙真っ白な紙に縦書きに流れるような字で二つ折にしてファイルの中にはさんでありました。私が見つけました。今はまだ父が亡くなって一ヶ月と少し経ちましたが、父のわずか3回しか通院してない心療内科に行き父がどんな風にカウンセリング受けてたのか、母の今後のケアなどについて相談に行きました。待合室で待っている間、父がここで一人順番を待っていたんだと思うと、涙が溢れ、待合室で泣いてしまいました。毎日涙、涙の日々ですが、時間だけは前にすすむばかり・・。
何もしてあげられなかった、私の花嫁姿も見ることなくいってしまいました。まだ父の死を受け入れることができません・・。人間というのは何事も結果から、しかわからないんですよ。と住職さんが言われてました。確かにそうですけど・・今はただ、父でいっぱいなんです。



11133 まだ10日です Super Cup 2006/04/14 00:41
女性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
最愛の自慢の息子を亡くしてから。
まだ変わり果てた息子の姿をみたときの震えが止まりません。
わけがわかりません。
ほんとうにその日の昼まで普通にラーメンたべてたのに。
気が狂いそうです。
いっそ狂いたいです。
でも、下の2人の子供を守る責任があるので、しっかりしなければ、
となんとか持ちこたえています。
今日、こちらのサイトにすがるようにやってきました。
もう、もうだめです。
どんな気持ちで息子は一人で死んでいったのだろう・・
本当につらかったのだろう・・と思うと、たまりません。
ごめんね・・・と何回あやまっても、目を覚ましてくれません。
もう一度生まれ変わって、リセットして、
息子とやり直したいです。


11134 Super Cupさんへ 雪野 2006/04/14 01:10
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
Super Cupさん、受け入れ難い現実の中で
どれだけ深い悲しみと混乱の中にいらっしゃるかと思います。
私の弟、母にとっては一人息子を亡くしてから十年経ちます。
最初に彼を発見した時の母の悲しみと混乱の姿、
それからの一日一日、
母の悲しみと共に毎日を過ごして参りました。
Super Cupさんもどれほどの辛さかと思います。

ここには同じ体験をされた方がたくさんいらっしゃいます。
Super Cupさん、どんなにか孤独と混乱の中にいらっしゃるかと
思いますが、お一人で抱え込まずに、
お気持ちを吐き出して下さいね・・・
一人じゃないです・・・

あまりの悲しみを前に、母にかける言葉がなかった様に、
Super Cupさんにも言葉が足りなくてすみません。
Super Cupさんのこと、みなさんのこと、想ってます。


11135 Super Cupさん でぃー 2006/04/14 07:31
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
おつらいですね。
わたしも、最愛の自慢の息子を三年前に亡くしました。

わたしも、あの頃は、ただ泣くしかありませんでした。
でも、息子はなんだかすぐ近くにいて、
わたしを心配してくれているように思えました。
今でも、ずっと一緒です。

また、いつでもお話してくださいね。
ここには、たくさんの仲間がいます。



11136 Super Cupさん 夕べの星 2006/04/14 12:29
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  はじめまして
  わたしも 九月になると三年になる娘を なくしました。
  でも、思うと 昨日の様でもあるし 娘にあえない時間は
  百年も経ったかの様に 喪失感に凍えそうです。
  
  最愛の息子さんをなくされたばかりの
  あなた様のお気持ちを思うと 本当に自分の事のように
  悲しくどんなに おつらいか 涙しています。

  親は 常に子供に励ましの言葉を自然に言っている、 
  それは 愛情から自然と出てきたものとおもいます。わたしも
  励まし過ぎたからかとか、言葉が足らなかったのかとか、
  今も 後悔しています。 
  言葉が うまく出ませんが ここで 他では吐露できない心を
  思いきり 話しましょう。わたしもここの皆様に
  助けて いただいてます。
  まだ、今は受け入れ難いと思いますが 
  11097のマーサさんの walkingtour 見られたらと・・・。
  どうぞ お体にお気お付けられて これからの日々を共に
  いきましょうね。
  

  


11137 Super Cupさんへ グリーン 2006/04/15 00:18
女性 / 40歳台 / 子 / 5年以内 / 日本国内
Super Cupさん、何とお声を掛ければいいのか?
3年半前の私が、Super Cupさんにだぶって見えます。

嘘、有り得ない事、しかし事実。
何故? 何があったの? 楽しそうにしてたじゃない!
何がいけなかったの? 謝るから帰ってきて。

気が狂えば、楽なのに、下のお子さんの為、必死にこらえていらして、お辛いでしょうね。
私も、娘がいますが、後を追って行けたらと思いました。
でも、残された者の苦しみを知った以上、行くことはできません。

Super Cupさん、下のお子さんの前で泣くのは、きっと我慢されているんでしょうね。
難しいでしょうが、そのことだけは頑張って下さい。
お兄ちゃんを失ったお子さんたちは、母親の私たちとは違う感情で辛いと思います。

今は、ここでお気持ちを吐き出して下さい。
私も、日が浅いころはここでずいぶんと助けてもらいました。
最近は、書き込むことはたまにですが、ここに来ない日はありません。

Super Cupさん、ここにいる人たちはあなたの辛さを本当に分かってくれる人たちです。
一人じゃないです。家族にも言えない事を分かってもらえないことを分かってくれます。

言葉が足りないですが、一緒に少しずつ歩いていきましょう。





11138 ありがとうございます。 Super Cup 2006/04/15 11:51
女性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
みなさんの暖かいお言葉をいただいて、
気持ちをわかってくださる方がいるとわかって、
なんとか生き延びています。
わたしの友人や、職場の仲間も心配してくれて、
逢いにきてくれたり、メールや電話くれたり、
下の息子や娘もすごく元気付けようとしてくれています。
ほんとうに、ほんとうに、いま、こんなに苦しいけど、
周りの人たちの優しい心に支えられています。
今朝、息子の夢を見ました。
2〜3才のかわいい息子が笑って、部屋でねっころがっていました。あ
「この子、大丈夫やったんや!!」とすごく喜んでいるわたしがいました。
そして、息子とぷにぷにのほっぺで遊んだり、こちょこちょしたり、
とても幸せでうれしい夢でした。
毎晩でも見たい夢です。


11139 共にゆっくりと・・・ 雪野 2006/04/15 23:27
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
今晩は冷えますね。
帰りの夜道が寒くて、寂しくて、
どうしようもなく切ない気持ちになりました。
喪失感って怖いですね・・・打ち砕かれます。

だけど、その時に一生懸命思い返しました・・・
というか言い聞かせました。
「今、寂しい思いをしているのは私だけじゃない」と、
遺された自分の家族や、青い空の下にいるみなさんのことを
考えました。
そして、寂しい、寂しい・・・と思いながら帰ってきて
Super Cupさんのお声が聞けて嬉しかったです。

我が家も残された誰もが、あまりの辛さに後を追いたい・・・
という気持ちとの戦いだったと思います。
そう、毎日が戦いでした。
だけど、「もうこの思いはさせられない」と
ここまで来てしまいました。

本当に、一日一日が「なんとか・・・」という日々だと思いますが、
どうぞ、辛さや悲しみを吐き出されながら
ゆっくりゆっくり行って下さい。
辛いこと、寂しいことはいっぱいあるけれど、
決して一人じゃないです。
・・・と弱気な自分にも言い聞かせています。

共にゆっくり、ゆっくりと・・・


11140 リセット アイママ 2006/04/16 00:24
女性 / 30歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 関東
こんばんは。Super Cupさんの言ったもう一度生まれなおして最初からリセットしたいと言った言葉が、出来れば私も父と最初からでなくとも、8月からやり直したい。そもそもの家庭のヒビは、8月だったような気がする。そこからでなくても、一月でも、何とかなっていた、それが駄目なら、死の当日なら私が父に会うことが出来ていたら今も生きていたかもしれない。

それを何度も思う度に、涙か止まらない。お父さんを帰して欲しい。帰ってきて欲しい。何度も、探したあの一週間、目と鼻の先で死んでいたのを知らずに私は何回その傍を素通りした事になるのでしょうか?

何度悔やんでも悔やんでも、もう取り返しの付かない事。でも、少しもここの癒される事も無い。どうして、私の前には父は現れないのか?

ほんとうに?死んでしまったのでしょうか?時々まだ長い長い悪い夢を見ているような気がする。



11141 私も同じです ゆう 2006/04/16 04:42

>  今までこちらはずっと、見ているだけでした。
> でも、なんとなく書きたくなって・・。
>
>  父が亡くなって20年以上がたちました。3月に23回忌を
> 済ませたんです。
>
>  あの時、私と弟が春休みで出かけている日に、父は
> 自宅にあった倉庫で自ら逝ってしまいました。
>
>  私自身前に進めず立ち止まったり休んだりの20年近く。
> 今年39歳。気がついたら自分が生きてきた人生の中で
> 父が生きていた時間が半分以下になっているんです。
>
>  様々なことがありました。けど、ここまで歩んできました。
> 立ち止まっても、休んでも、ねっころがっていびきかいて
> 寝ても良い、でも、前をみつめていきたいと、思っています。
>


11142 はじめまして ゆう 2006/04/16 04:50
女性 / 30歳台 / 父 / 20年以上 / 近畿
お父さん。本当に、何も言わず最後の電話も、出張から早く帰ってきてね。「うん」これが、最後の言葉なんて、いまだに思えないよ。

みんな、まわりが必死で今でも、少なくとは私が一番、お父さんが
恋しいです。
小学生だった私には、何ができたんだろう。
自殺する前に、私のかお、思い出してくれたかなぁ。もうお父さんと同じ年齢に、なっちゃったよ。

2年前に知った、本当の死因で、今まで、どんなことがあっても、
お父さん、心筋梗塞で、長生きしたかったんだろうなぁって、だから
かわりにがんばるって、ここまで振り絞って、ヒステリックになる母をなだめたり、1歳だった弟の面倒も率先してやってきたんだよ。

私、どうしたらいいの?お父さん。教えて。


11143 はじめまして FUMIFUMI 2006/04/17 11:21
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 日本国内
はじめまして。
「もうすぐ夫の49日」、のFUMIFUMIです。夫を亡くして1週間程でこの掲示板をみつけて、以来(仕事の合間に)少しずつ過去ログを見てきました。
「これ(過去ログの閲覧)が追いついたら私もメールしよう」と思ってたんですが、現在650〜700、追いつくのは当分先になりそうなのに、今日の空があまりに青いんでメールしたくなりました。
以前他の方のメールにもありましたが、私もこの掲示板に書いてある色んな方々の言葉を、私に話しかけていただいているように感じて、癒されてきました。おかげで本来なら永く永くかかるであろう道のりを、数段飛ばしでここまで来た、という感じです。本当にありがとうございました。
昨晩寝室に入ったら、なんだかいつもより闇が深いような気がして、夫がいるのかも! と感じてしまいました。だから一人で色々語りかけてしまいました。
まず夫を死に導いてしまったこと(助けられなかった、というのではありません。いつかお話させていただければと思っています)を詫び、夫が子供達の幸せを願って逝ったということは分かっているからと告げ、私も夫に愛されていたのをちゃんと知ってるからと言いました。
それから今はもう自分を駄目だと思わないで欲しいということ、私という一人の人間をここまで幸せにしてくれたんだからむしろ胸をはって欲しいということを、願いました。
最後に、私も夫のこと本当に愛してたんだよと言いながら、後は泣きすぎて呼吸困難になっちゃったんだけど、ちゃんと届いたかなあ?
そのまま「絶対夢に出てきてくれる」と信じて寝たのに、夫の夢は見ることができませんでした。そういえば「出てきて」というのを忘れてた!
「察する」ということが絶対にできない人だったからなあ、とちょっとため息。でも「おやすみなさい」って声をかけてから眠るのは、やっぱりいいなと思いました。
だから今夜は「今日は夢に出てきてね。おやすみなさい」って言ってから眠るつもりです。この青い空が夕焼けに染まって、夜の帳が降りた後で、ね。

と、ここまで書いてちょっと反省。49日前だというのに、こんなに脳天気でいいのだろうか、私。周りに恵まれてて、あまり嫌な思いもしてないので何だかお気楽ですね。傷つけてしまった方がいらしたらごめんなさい。問題あるようでしたら削除してください、管理人さん。
でもね、夫を死に導いたというのは消しようのない事実で、私はその責めを一生負っていく覚悟があります。それだけは分かってください。






11144 青い空の彼方 夕べの星 2006/04/17 22:10
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  きょうも1日 過ぎましたね
  ここの掲示板のお名前をしみじみ お付けになられた経過を
  辿ってみました。私達がなくした大事な想い出を捜すとき、
  遥か向こうに居るでしょう魂を見ようとするとき、仰ぎ見ている
  私達です。良いタイトルでうれしです。あらためて有難う御座います
  もしかして違うご意向かも知れませんが。独り善がりです。

 FUMIFUMIさん
  はじめまして 
  書きこみ拝見し あなたのお心がどんなに苦しみに耐えて
  居られるかと思いますと、やもたても堪らなく・・・。
  
  あなた様を見守る 温かい心がここにはあります。
  様々な立場で大事な えにし を突然失って悲しんでいます。
  私は娘をなくしましたが、あなたは悲しみの中でもお子さんを
  お育てにならなければならない 長い道のりがおありですね。
  どうぞお体を大事に 自然体で日々行きましょう。涙は
  いっぱい流して良いのだそうです。今日行ったクリニックの
  待合室の置いてある本にかいてありました。
      明日が 皆様に 良い日であります様に☆


11145 少しだけ弱音書かせてください yuya 2006/04/18 06:23
男性 / 20歳以上 / 父 / 5年以内 / 近畿
はじめまして。
俺は高校の時に父を自死で亡くしました。
原因もあまりに複雑で、正直当時は何が起こったのかさえ分からない状況でした。
相当いがみあってした離婚の直後だったためか、家族も本当に悲しんでいるように思えなかったし、最初に言われた言葉も「絶対人には言うな」でした。
初めて孤独を感じました。
それから4年、今は元気にやっています。たくさんの人たちのおかげだと思っています。
でも少しだけ弱音言わせてください。
俺ここまで来るのに本当に必死の毎日でした。心が折れそうな自分に負けたくなくて、明るく振舞って、辛くても笑って。
そうしてなんとか元気を取り戻しました。
その結果もうそんなことはなかったかの様に接して来る人が多くなりました。
最近も少ししんどくなって弱音を言うと、「いつまで言ってるん?」とか「もっと強い奴やと思ってた」とか言われてしまいました。
忘れることなんてあるわけないのにな。
母親から、全てがイヤになったってメールが来て怖くなって急いで実家に電話をしたら、祖母に笑いながら「誰かに頼りたいんやな、そのくらい頼らせてあげなさい」って言われたり、それを親戚に相談したら、「もっと大人になれ」って言われたり。
俺はそんなら誰頼ったらいいねんって、みんなが思ってるほどまだまだ精神的に大人ちゃうのになぁって、最近よく思います。
愚痴みたいになって本当にすいません。
でも誰かに分かってもらいたくて書き込ませてもらいました。 



11146 yuyaさんへ 雪野 2006/04/18 07:00
女性 / 30歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
4年間、必死の思いでがんばってこられたのですね。
周囲の方から、まるで何事もなかったかのように
強く、明るく、元気に見られて、押しつぶされそうになった
こともあったでしょう。
強さ、明るさを求められて、戸惑ったこともあったでしょう。

私も同じような経験します。
「しっかりしてる」とよく言われますが、
「しっかりしていなきゃ」と思って弱音を吐けなかったり。
何年経っても「本当は辛いんだ〜!」と叫び出したくなる時が
あります。
きっと、yuyaさんもみなさんも叫び出したい事の連続ですよね。

ここは、家族、親戚、友人にも吐き出せない
家族に自死された辛さ、悲しみ、怒り、弱音を吐き出せる空間です。
同じ思いで生きてこられた方もたくさんいらっしゃいます。
あふれてくる思いそのままで、ありのままで、
いっぱい弱音を吐いてくださいね。

私は風邪をひきましたが、
みなさま、どうぞ体調には気をつけて下さいね。


11147 形見は誰のもの? シブパパ 2006/04/18 12:51
男性 / 40歳台 / 妻 / 3ヶ月以内 / 関東
亡き妻の母、我が家に来るたび妻の生前に贈ってくれた物を
何か一つは無断で持ち去ります。
一言言ってくれれば多分断ることもないし、
別に大きな損害を被ったわけではありませんけど、
これを後で知った息子(義母にとっては可愛い孫)が
「おかあさんの思い出の物だから返して欲しい。」と言っていました。
自死遺族にとって「誰のせいで・・・」とか「一番悲しいのは・・・」というのは
結論のない難問ですよね。今週末には四十九日法要を行なうのですが、
義母は「あなたのせいで」「私が一番悲しい」を今だに口にします。
これが一連の行動の動機の一つになっている気がします。
私に責任が無いだなんては思っていません。
確かに一番近くにいた私が妻の自死を防げなかったのは事実です。
でも一番悲しいのは誰か?なんてこと、考えたこともありません。
みんながみんな、一生で一番悲しい思いをしているのですから。
これって他人と比べることじゃないですよね。
なのに、どうして義母はこんな行動をお取りになるのか・・・。

ところでみなさんは形見をどうお分けになっていますか。
四十九日前には形見分けはしないものなのでしょうか。


11148 ありがとうございました FUMIFUMI 2006/04/18 14:58
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 西日本
夕べの星様
暖かいお言葉をありがとうございました。私はもともとかなり、というかすごく前向きな人間なんですが、さすがに今回は参ってしまい、この掲示板にたどりつきました。今1000番あたりを読んでいるところです。
これを読んでいると、私が心から幸せを感じていたあの時も、あの時も、こんな風に哀しんでいる人達がいたのに、私は気づくこともせず生きてきたのだな、と感じています。そしてたぶん今この瞬間にだって、新たな悲しみがうまれているのかもしれないと思うと、やりきれなくなります。

家の子供たち(大きい男の子二人)は、私に気を使ってか非常に元気にしてくれています。それがあんまり健気で「あんた達、頑張り過ぎなくていいんだよ!」と声をかけたりするのですが、返ってくるのは「大丈夫だよ」の声ばかり。長男ということで色んなことを自分で背負おうとしてしまう様子の見て取れる上の子、自分をさらけだすのがうんと苦手な下の子、母としてはそれぞれが心配なのですが。







11149 あれから・・・ SOY 2006/04/18 18:58
男性 / 30歳台 / 父 / 5年以内 / 日本国内
初めまして・・・

僕は3年前の1月末に父を亡くしました。
末期がんで転院した病院で僕がたまたま有給を取って見舞いに行ったとき、
病室の扉を開いたところで父のその「現場」を目撃してしまいました。
「もしかしたら助かるかもしれない・・・」と父の首に掛かっている紐から
父を解き放ち、呼ぶとかすかに声がしたので、安心して力を緩めたところ
父はバッタリと倒れ、呼びかけても返事しなくて・・・・・・

慌てて隣室にいた医師と看護士を呼び、手を尽くしてもらったものの、
まもなく医師から「もう助かりません・・・」と言われたときには
悲しみよりもただ呆然とした想いを抱いていました。

葬儀が終わり、日常の生活に戻ったものの、日に日に「現場」の場面が
思い浮かび、「どうせ自分も生きる理由や価値が無いんだから・・・」と
自暴自棄になったことも有りました。僕は所謂「内縁の子」で、僕が生まれたことについては「父が強く望んだこと」だと母から聞かされていたので・・・・・・

そんな精神状態で仕事にも情熱が持てなくなり、辞めました。
その後、父の後を追おうとしたもののできず、母に相談したら
カンカンに怒られました。そして父方の家族にも同様に・・・
このことがきっかけで、自分の力で立ち直る決心をしました。

あれから3年、時には泣きたいこともあったし、へこんだこともあったけど、
「生きていく」現実から人は逃げられないし、自分自身で潜り抜けなければ
世の中渡り歩いていけない・・・て想いを抱きながらここまで来たような気がしします。。
それと、2度とと現実的に会えない日々の中で、たとえあんな形であったとはいえ、心の中では父はずっと生きているし、遠くからいつも見守ってくれているって信じられるようになったからこそこうして生きているような気がします。

ここの皆様の書き込みを見て、自分だけが辛い思いをしてるんじゃない・・・
ってことがわかりました。ありがとう・・・

今までこういうことを書くことは何か人に同情してもらうことが目的になっているようでなかなか出来なかったのですが、
こんな自分でも何かの役に立てるのなら・・・と思い、勇気を出して書いてみました。(自分の気持ちに区切りをつける為でもあるのですが・・・)

長文失礼しました。







11150 役にたちました わんこ 2006/04/18 22:19
女性 / 40歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 日本国内
SOYさん はじめまして

勇気を出して下さってありがとうごさいます。
「心の中では父はずっと生きているし、遠くからいつも見守ってくれているって信じられるようになった」という言葉、私には役に立ちました。
今もそう思うようにはしています。でもまだ信じる・・には至っていないのです。3年先を歩いてらっしゃるSOYさんがそう思えるのは励みになります。

ご自分の事情を書くことにも勇気がいりますが、こちらの方々は同情ではなく共感という風にとらえてくださると思います。
また何かヒントを下さいね。


11151 yuyaさんへ 剣 2006/04/18 23:12
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
初めまして。
本当に頑張ってこられていますね。

私もyuyaさんと似た様な立場かもしれません。
弟を亡くしたのですが、親を支えることに時間を費やしてきました。
親戚から「あなたがおって良かったわ」「これからも支えてあげてな」等言われます。

でも、2ヶ月程前から、自分と向き合うようになりました。
物忘れがひどくなり、無気力になり、ある人から「それが初期症状だ」と言われました。
ようやく初期症状が出るようになったようです。

お互い、自分も大事にしながら、できる範囲で周りの人も支えていきましょうね。


11152 はじめまして。シブパパさん。 さんた 2006/04/19 00:51
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 日本国内
はじめまして。
「形見は誰のもの?」の問いかけに、久々にここに書こうとしたらフォームの「年数」でつくづくと時の流れを感じています。
 シブパパさん。
「3ヶ月以内」のプロフィールを拝見して、今、とてもしんどい気持ちで毎日過ごしておられることと思います。今日、ちょうど友人とその頃のことをふ語り合っていました。
 「形見は誰のもの?」
なくなった「彼」の実姉もそうでした。式後、すぐに「まだ使えるものを」といって、たくさんお渡ししました。式の間にも、棺に入れる際「もったいない」とまで言われました。(まだ、未使用のスーツとか、数少ない高額な洋服類を、冬だったものでたくさん入れたので。その時、一枚形見として、と一枚差し上げました。)
 それは形見というよりか、リサイクルでした。
「哀しいのはアンタだけぢゃない」と叫ぶ彼女は哀れでした。
   誰も比較なんてしていないのに。
   誰の気持ちの中でも、想像だにしなかった哀しみ。
   シブパパさんがおっしゃるように。。。

「形見わけ」という意味では、色んな人に、色んなモノを差し上げました。なくなってから2ヶ月間はその作業にずいぶん費やした気がします。お渡しするために、手渡ししたいがために旅にも出ました。
差し上げる時には、「まず第一にはモノとしての一生を真っ当さしてあげたい。だから、そのモノは彼ではない。」「その役目が真っ当されたなら、迷わず処分してください。」とご本人のその話の受け取り方をみて差し上げました。彼のかわりに、そのモノとしての一生を真っ当させてくれれば、と思ってます。
その他、寄付したり(彼の遺品には本が多いので)もあります。見も知らぬ他人の手に渡るのですが、見知らぬ誰かが喜んでくだされば幸いです。
もちろんのこと、「これは、この人に、持っててほしい」と、どこからか湧き上がる想いをもつ品もありました。
そして、まだいくつも・いくつも・手元にあります。捨てることの出来ないオトコでしたから。。。
夕べも(あぁ・・小さなおほね・・いつ、どうにか、出来る日がくるかなぁぁ・・)と泣きながら眠りにつきました。納骨はあっという間だったのですが、ほんのわずかのひと欠片 手元にあります。
 わたしの場合、様々です。
シプパパさんのココロの落ち着くとこに、置いてあげてください。
お子様と相談しながら、ココロの声に耳を澄ますと聴こえてきます。
早いも、遅いも、そのココロの声ひとつで決めていいのだと思うのです。
 すんごい長文になってしまい、恐縮ですが。
 大きな哀しみを抱えている、そのおこころです。
 どうか、どうか、ご自愛くださいませ。

春ですね。明日は友人たちと花見露天風呂にでかけます。
あれから もう、1年と半年。
泣きながらね わらいながら、鳴きながらね
経った時間にびっくりしてます。


11153 SOYさん でぃー 2006/04/19 07:25
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 西日本
あなたの投稿を読んで、今まで誰にも言えないし、自分の中でも封印していたあの朝のことを書いてみたくなりました。それは、SOYさんの強さに勇気をもらったからだと思います。

息子は近所の電柱で逝きました。早朝の新聞配達の方と電柱のそばの家のおばあさんが見つけて、警察に連絡してくださいました。そのおばあさんは、「誰にも言わないからね。こうちゃんは、きっとわたしに見つけてほしかったんでしょうね。」と言ってくださいました。同じ部屋に寝ていた息子の妹は、「お兄ちゃんは、わたしに見つからないようにしてくれたんだね。」と言いました。わたしと夫は写真を見ただけです。警察で息子に会いました。

SOYさんのお父様は、きっと、SOYさんに見つけてほしかったんだろう、そんな気がしました。そして、今でもずっと愛していらっしゃることでしょう。あなたのおかげであの朝のことを忘れないでいよう、おばあさんに改めて感謝しようと思いました。ありがとうございました。



11155 こんにちは イルカ   2006/04/19 13:38
女性 / 30歳台 / 母 / 5年以内 / 東北
以前、こちらの掲示板に書き込みをした際、あたたかいお返事を下さった方たちがいて、でも、それに対して私からはお返事差し上げられなかったので、ごめんなさい・・・。

あの、私は誰かに優しくされると、とても恐いのです。
優しくされたなら、同じだけの何かを私も返さなくてはいけないのでは、というプレッシャーと、やはり、自死した母の事があるのだと思いますが、誰かと親しくなる事は恐怖なのです。

同性、異性問わず、誰かに好意を持つ事、好きだなって感じる事、大切な人だと感じる事が、恐いのです。
もし、自分にとって大切だと感じる相手ができて、その人がまた、何かに苦しんだりしたら、私は一体どうしたらいいのか、また、母の時のように、傷つき、傷つけられてしまうのではないかと、どうしても恐いのです。

私は、母の事があって以来、優しさって、何なのか、分からなくなりました。
母の為にとやっていたつもりが、自分の素直な気持ちを犠牲にして、母に尽くさなければという気持ちが、逆に自分を追い詰め、結果としては、私のそんな姿は母を苦しました。

だから、私は誰かに優しいと言われたりすると、相手を騙しているような、「私は優しくなんかない!優しいフリして、結局は一番残酷なやり方で人をきずつけるんだ・・・」そんな声が自分の中でするんです。

私には誰かを愛したり、愛されたりする資格なんてないのだと、自分を縛ってしまうんです。
でも、ある意味、その方が自分にとってよっぽど楽だから、そう思ってっきたと思います。

誰かを好きになったり、友達になったり、そうしたら、母の事を思い出して、
自分の中で色んな葛藤や混乱が生まれてとても苦しくなるから・・・
それなら、孤独を選んだほうがよほど楽だったんです。

でも、無理はしたくないし出来ないけど、今は、私を見守ってくれる仲間がそばにいるので、心を開ける、開けそうなチャンスがあったら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、開いていきたい、そう思っています。

一度、自死遺族会に参加してみましたが、そこは私にとって居場所ではなかったので、しばらくは、母の事と向き合うのはお休みして、力を蓄えて、自然と話したくなったとき、話したい相手に聞いてもらおうと思っています。

もし、この書き込みに対して、お返事いただいても、私からはそれに対して、お返事はできない可能性の方が高いのですが、その点、ご了承ください。
 


11156 SOYさんへ saku7012 2006/04/19 14:12
男性 / 30歳台 / 父 / 2年以内 / 近畿

SOYさん、初めまして。
僕の父親は、2年前の今日亡くなりました。
家に帰ってから、僕も「現場」を見てしまいました。
すぐ救急車を呼び病院に行きましたが、手遅れで「処置の施しようがない」と
言われて、まさしくSOYさんと似たような状況です。

未だに「現場」の場面が頭から離れなくて、眠れない時があります。
僕も仕事をする気がなくなり、辞めてしまいました。
母親と弟は「現場」を見ていないせいか、全く変わらない生活を送っていて
僕が落ち込んでいても、なかなか理解してくれません。
別に甘えたいとか、自分だけがツライ思いをしているとは思ってませんし
きっと自分で立ち直らないと、誰も助けてはくれないんでしょうね。

まだ立ち直れない状態です。
何かアドバイスがあれば教えて下さい。



11157 大丈夫 FUMIFUMI 2006/04/19 14:46
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 日本国内
「私は強いから大丈夫」
この言葉を何度言ってきたことでしょうか。今度のことがあってからもそうですが、それよりずっとずっと以前から。軽い、健常者との境目くらいにある障害を持っていたりするもんで、何だか強くなってしまっているんですよ。強くないと生きてこられなかった。それにみょうに冷静だし。
鎧着けまくり、本心隠しすぎ、かわいくないですね。
でももう、これ以外の生き方ってできないような気がします。唯一、鎧を脱ぐことができた夫はもういないし。子供の前では泣くけど、彼らの心の方が心配で。
今回実家にはかなり甘えましたけど、それも「私のためではなく、子供達の心を守るために」甘える必要があるから甘えた、という感じで。
こんな「強すぎる」私が、夫を追いつめたんだと思います。まずそれは自覚しなきゃいけないと思います。
その上で、「私が強くあらなければ、この家は成りたたなかった」とも思っていますが。これって、いなおりですね。
救われない個性だなあ、我ながら。
言ってもしようのない愚痴で、ごめんなさい。


11158 FUMIFUMIさんへ なお 2006/04/19 17:56
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 関東
はじめまして。

8ヶ月前に3年半のうつ病との闘いの末、夫を亡くしました。

FUMIFUMIさんのお話、私のことかと思いました。

私は機能不全家庭に生まれた一人っ子のせいか、甘え下手で人に弱みを見せずに生きてきました。そうでないと潰れそうだったから。

夫には甘えていたけれど、病気になってからは会社のせいでうつ病で倒れた夫がかわいそうで、ストレスがたまりそうな会社との連絡調整や、上司との面談、家事全般、子供の世話、その他諸々「大丈夫よ」といいながらすべてこなしていました。

そのうち夫までが「○○ちゃんは、強いから大丈夫だね。」と言い出す始末。

確かに私は人に従うより自分で決めるタイプだけれど、それは夫が後ろで「それでいいんじゃない?」と言ってくれるからできたことなのに。
夫は初めて心から安心して甘えられる人なのに、私を残していなくなってしまいました。

我が家も私の強さが夫を追いつめたと思っています。
でも、私までがどうしよう???とオロオロすればよかったの?それとも面倒見切れません!と離婚すればよかったの?そうしないためには私がしっかりするしかなかった。

確かにもっと自然体に支えられれば理想的だったのでしょうけど、私も私が強くなければもっと早くにどこかで破綻していたと思っています。
私も居直ってますね。

夫を亡くしてボロボロになった今でも、周囲にはなんでもない風を装いたい、同情なんてまっぴら!と思っている強がりな私です。

そんな強がりだけれど、やっぱり心も体も正直で、なかなかそんなパワーはでません。なのでそのパワーが出るまで、引きこもって充電中という感じです。

今度知り合いの前にでるときは、完全武装が完了したときかな。

こんなに突っ張っても仕方ないのにね・・・。本当に損な性分です。
でも私も今更変えられないな。

FUMIFUMIさん、まだ2ヶ月以内と日が浅く、ショックな中にも気が張っているかと思います。
私は四十九日後過労で倒れました。

自身も気づかない深い部分で、特に心が深く傷を負って疲れていると思いますので、どうかご自愛くださいね。


11159 saku7012 娘 2006/04/19 18:45
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
先月3月9日父を自宅にて自死しました。saku7012さんと同様、私が第一発見者です。救急車を呼びましたが、手遅れでした。そして父の遺書が見つかりました。父が亡くなってもうすぐ四十九日。あの部屋(現場)、あの時間のことを鮮明に覚えています。あのことは一生涯忘れることはないと思っています。私の胸の中に一生刻まれ続ける事でしょう。父は53歳で生涯を閉じました。

今は父の死を受け入れる心がまだ出来ません。
それぞれの受け止め方があっていいと思います。
アドバイスなんて、とても出来る立場ではありませんが、私はこうして少しずつではありますが前に進んでいます。

どんなに小さなことにでも何でもない事にでも感動し、感謝することを意識してみてはいかがでしょうか?そして泣きたいときは気が済むまで泣いてみてください。心がやすらぎますよ。あくまで私の方法ですが・・。参考にならなかったらすみません。
お父様のこと思い出してしまうのは当然です。私も同じですから。
どうか、どうか、saku7012さんが心身ともに元気でありますように・・。


11160 saku7012さんへ 娘 2006/04/19 18:46
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
すみません。saku7012さんへと題名入れたつもりだったんですが、メうち間違いました。すみません。


11161 返信ありがとうございます SOY 2006/04/19 19:25
男性 / 30歳台 / 父 / 5年以内 / 日本国内
>わんこさん
レスありがとうございます。
僕の場合は、葬儀が終わって、帰りバス停でバスを待って、ふと空を見上げたら、「SOY…これからはずっとおまえのそばにいるよ…」という
父の声をふと感じました。
その時は「嘘だ!!何が『ずっとそばにいるよ』だよ!!
あんなこと仕出かしたくせに…あんな場面は絶対見たくなかったのに…
いい加減なことを言わないで!!!」と思い、バスの中で僕は人目も憚らず泣いてしまいました。

でもそれから半年後、父の夢を見ました。闘病生活のころに精一杯自分の力で生き抜こうとベッドから立ち上がって歩行器を付けながら
歩こうとしている夢でした。
その朝目覚めたときには涙が止まりませんでした。

それからたまたまお墓参り先で、夕方5:00を過ぎるとお寺の門が閉まって入れなかったりするのですが、僕自身が仕事の都合で行くのが遅くなってお寺にきた時、門が開いていたり、父が亡くなって2年目の
僕の誕生日には、墓参後たまたま父との思い出の場所に出かけたら、
花火大会があったり…この他にも不思議なことはいくつもありました。
だから、何とか信じられるようになったのかもしれません。『父がずっとそばにいる』って……

>でぃーさん
返信ありがとうございます。あなたの書き込みを見て「あの日」の不思議なことを思い出しました。

思い起こせば、あの日、お見舞いに行く電車の中でかなり頭痛を感じ
、行くのをやめようと思ったところで、ふとこんな声も聞こえてきました。
「もしかしたら、お父さんはもっとつらい思いをしてるかもしれないよ……だから早く行ってあげたほうがいいかもしれないよ…」と……。

それで病院に着いて病室の扉を開いたら……あの場面だったので……
その時はどうしてもっと早く行かなかったんだろう…そうすれば間に合ったのに…神様ってひどい……残酷すぎるよ…と思ったものです。
でも振り返るとあなたの仰るようにきっと「最期を看てほしかった…」
のかなって思えるようになりました。流れる日々の中で…

>saku7012さん
あなたの書き込み読ませていただきました。
とても似たような思いを僕自身もしました。
だから、あなたの今感じている「想い」は自分なりにではありますが、
よくわかります。

そうなんですよね。こればかりは「現場」を直に見た人にしかわからない「痛み」ですよね。お気持ちとてもお察しします。
あなたの仰るように「僕が落ち込んでいても、なかなか理解してくれません。別に甘えたいとか、自分だけがツライ思いをしているとは思ってませんし…でも…」っていうのは僕自身も思っていました。

でも、とても悲しいことだけど、あなたも感じていると思うけど、

「きっと自分で立ち直らないと、誰も助けてはくれないんでしょうね…」

そう。正にこれが現実なんです。自分で立ち上がるしか「道」はないんです!!!周りの人間はあなたも感じているようにあなたが望む「優しさ」なんてくれるわけじゃないんだから……

今できること、向き合わなければならないことから逃げることはできません。だから挫けたっていい。へこんだっていい。時には周りに流されたっていい。
「前を見て生きること」をその中からみつけられれば、後は時間が
解決してくれる……

まだ自分もどうすればいいかわからないことも多くあるけど、
これが現時点で僕自身が見つけた「答」です。
厳しいことばかり書いてすみません。
でも、あなたなりにたとえ間違った「答」でもいいから
見つけて前を踏み出せば…
きっと「道」は見つかると思います。
どうか自分なりに挫けながらでもいいから「道」を見つけて
歩めますように……



















11162 父の自死現場を アイママ 2006/04/19 20:39
女性 / 30歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 関東
娘さんへ
どんなに小さなことにでも何でもない事にでも感動し感謝すると言うのは本当にそうするべきですね。私達家族も素直な思いやりの気持ち感謝を日々出せていれば父は生きていたかも。心で変わらずの感謝の気持ちがあってもなかなかそれを伝えるのは難しい。

私の父は、庭の一番隅で自死していたので、毎日底を通り過ぎます。しかしながら、そこは死角で、目を配る事はあまり無いのです。でも、あの日から、何気なく見るようにしています。普通は目を避けるかもしれませんが、私は悲しくなればそこで父に語り、家庭では毎日父の話題を家族皆話しています。

父は死ぬ前にキンモクセイの苗を植えたので、私は父の選んだ死場を花で明るくしようと今考えています。ジメジメした空気を少しでも、明るく皆がもっと目を配るような一角にしようと思っています。縁起が悪い場所かもしれないけど、そこは、父がいた場所だから。

父は確かに何よりも家族を思っていた。でも、父は家族から大切に思われていないと思っていたのでしょう。だから自分がいなくなっても…という気持ちがどこかにあったのではないでしょうか。もちろんそれは私の家庭の事ですが。死後、家族の愛情を確かめてから、後悔しているはずです。




11163 アイママさんへ 娘 2006/04/20 10:12
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
おはようございます。メールありがとうございます。

アイママさんどんなに小さなことにでも感動し、感謝すると言うことは簡単なようで難しいんですよね。だから私も感じたこと、思ったことはうまく伝わらなくても、意味がわからなくてもいい。声に出す(独り言でも構いません)、言葉にする、紙に書く・・と言った感じで意識してするようにしています。誰から教えられたわけでもないですが、何となく前に進める気がするからです。そして、色々なことに気づくことが出来るような気がするからです。

私の父は家族が大好きで、父は家族の幸せを一番に考える人でした。
だから何十年も母と喧嘩もなくとっても仲良しの夫婦でした。
それだけに父がなぜ死を選んだのか・・。
今思うことは父の死は欝病のせいだ!元気な心だったら絶対死ぬはずない!見かけは父でも、心は父でなかった。自分の事で精一杯だったんだな。と言うことです。
何もできなかった自分がとっても悔しいです。
私の命で父が戻ってきてくれるなら、命でも何でもあげます。
そして愛する母のそばにずっといてほしい。と思ってます。
それが私の素直な気持ちですが・・叶いません。


アイママさんのお父様もきっと家族が大好きだったはずです。
お父様の亡くなられた場所、思い出、アイママさんの素直な気持ち、言葉、ご家族の皆さん気持ち、言葉どうか大切にされてください。
アイママさんのお父様、私の父・・きっと意味のある事だったんだと思います。

精一杯生きてきたアイママさんのお父様・・どうかご家族の幸せをお守りください。
そして私の父・・お父さんの優しさでお母さんをお守りください。



11164 ツバメの季節ですね・・・ シブパパ 2006/04/21 09:04
男性 / 40歳台 / 妻 / 3ヶ月以内 / 関東
4年前、亡き妻の夢をかなえるべく一念発起して買った一戸建て。
住み始めた年から玄関の軒下にツバメが巣をつくり子育てをしていました。
子供たちに「ツバメは幸せを呼ぶんだよ。」と言っていた妻。
その後も毎年子育てに来ていたツバメたちが、去年は来ませんでした。
そして明けた今年。「幸せが逃げた」ぐらいならまだマシだったのに・・・。

春の空を飛び交うツバメを見かけるたび、無念さが募ります・・・。


11165 SOYさん わんこ 2006/04/21 22:37
女性 / 40歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 日本国内
ヒントをくださってありがとうごさいます。
私もなんとなく感じていたことでした。 この辛さや苦しみとともに生きていくための普遍的な、理性的な答えなどありませんよね。 自分の心でみつけるしかないのでしょうね。 私は夢はよく見ますが、まだ父の死を受け入れていないせいでしょう・・・夢ではない父の言葉はまだ一度しか聞いたことがありません。 でも、そのたった一度が支えてくれています。 そして命懸けで愛してくれたこと。 最期の愛情の表わし方はまちがっていたけれど、父が後悔しているのも感じます。 私も愛情や思いやりの表わし方をまちがって父を追い詰めてしまいました。それなのに父は全て許して家族のためと信じて逝ってしまいました。 だから後を追うことだけはできません。
自分のことばかり書いてしまってすみません。 

ただ一言お礼を言いたかったのです。
ありがとう。  



11166 節目ってあるのでしょうか? みずき 2006/04/22 14:59
女性 / 50歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
1ヶ月や3ヶ月以内という月数を見て、
とてもお辛く寂しいだろうなあと
まだ日の浅い方々のご心中を思います。

私も、目撃していない息子の最後の姿が、
浮かんできては、なぜ気づかなかったか、助けられなかったか・・
と自分を責め、辛くなることは再々あります。

でも振り返ってみると、ズンと自分の気持ちの上で
何かが変わったと感じる時があります。
みなさんはいかがでしたか?


それって、きっと息子が
「お母さん、そんなに悲しまなくてもいいんだよ。」と
安らぎをくれているような気がするのです。
人はそれを時の癒しというかもしれないけれど、
ずっと心の中で対話していると、
息子の優しさが包んでくれているような
そんな中で気持ちが落ち着いていくことってあるのでしょう。
私の場合はそうでした。
彼のまっすぐな生き様が、そして優しさが、
居なくなったあとも私の支えでした。


     **************************

49日までの、お腹に石を抱えているような、
胸が苦しくて呼吸が浅い、あの心身ともに耗弱状態。
それがある晩、お月様に「どうか安らかに」と
必死に祈ったあと、不思議ととても楽になったのです。
「お母さん、いい加減に子離れしいや。」と言う声が
聞こえたようにも思えました。

それでも三ヶ月を過ぎた頃、
骨壷の安置された息子の部屋に寝るのが辛くて、
彼の部屋にも入れなくなりました。写真も見られない。

でも半年を過ぎたここ最近
又少し落ち着いて受け留められるようになってきました。
毎日、帰宅途上に涙があふれるのは変わらないけれど、
空の彼方か、身近で、いつも居てくれているーという気が
強くしてくるのです。

つい10日前、ばったり会った知人に「どう?落ち着いた?」
と声かけられたとき、「半分死んでいるわ。まだ半年よ。」
とカチンと来て、答えていた私。
でも今なら、傷つかないで、
(それだけ人との対応に学習したこともあるのかも)
「少しだけ死を受け留められるようになって来た。」
と反発せずに答えるだろう。

この10日の変化とは何だろう?分からないけれど、
きっと息子のメッセージなのだろうと思うことにしている。
私が心配してメールを送るたびに、
辛かったであろう死の直前でも、
「僕のことは心配せんでもいいから。」
と母のことを思いやる優しい子だったから。
いつもその声が聞こえてくる・・   ありがとう・
彼のメモリアルツリーもあるだろうし、
新年度の緊張感と多忙さも
背景にはあるかもしれないが、
着実に彼の死を半ば疑いながらも半ば受け留め
始めている私が居る。
辛さは減じたが、悲しみが減ったわけではない。
では諦めなのか?
息子を哀惜し嘆くだけでなく、彼亡き後の
私自身のアイデンティティが再構築されつつあるのだろう。

それはビクトル・フランクルの
「それでも人生にイエスと言う」
(「夜と霧」を書いた強制収容所を生き延びた
精神科医、アンネ・フランクの父)や、
さまざまな読書のせいかもしれない。
今まで考えたこともない、永遠のいのちを
信じるようになったからかもしれない。
時間の経過とともに、息子は忘れられていくのか?
私の心の中に深くあるのか?
その双方であるような気もする。

とにかく人は生きていかねばならない。
きっと息子が、それを後押ししてくれているのだろう。
“楽しかったことばかり思い出して、
ありがとうが素直に言える心持ち”にやっと
近ずいてきたのかもしれない。
まだ意欲は出ないけれど、
姿勢は前向きになってきた段階、に入ったように思う。
なかなか夢でも会えないけれど、
又会う日まで、見守っていててね。minoくん・・










11167 娘さん はじめまして エリー 2006/04/23 00:40
女性 / 20歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 東日本
急にお声掛けして、すみません。
3月12日に父を亡くしたエリーと申します。

娘さんの書き込みを拝見して、まるで自分自身を見ているような気持ちになってしまったのです(失礼な物言いだったらごめんなさい)。

私の父も、とても優しい人でした。そしてやはり家族を一番に考えてくれる人で、母のことをとても愛している人でした。
父が亡くなったのは会社でのストレスによるうつ病によるものだったのですが、私たち母娘も「父が元気な心であったら絶対死を選んだりはしなかった。ただ、病気のせいでその瞬間は死のことしか考えられなかったんだ。」と思っています。

きっと、娘さんのお父様もとても優しい、かけがえのない方だったのでしょうね。何もできなかったと感じる後悔、お母様のために自分の命を捨ててでもお父様をよみがえらせたいと思う心、よくわかります。私も何度そう思ったことかわかりませんから。。
娘さんは毎日、お母様を支えるためにも頑張っていらっしゃるのですね。まだまだおつらいとは思いますが、どうかお身体をお大事になさってくださいね。


11168 今日も・・・ 夕べの星 2006/04/23 20:35
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
 
 過ぎようとしています。
 外階段の踊り場に しばらく居ました。雲が多くてか星も見えません
 遠くに沢山の マンションの部屋の明かりが幸せそうに灯って・・・。
 
 あのこを失って 私は家族の誰とも抱き相い 涙が枯れるほどに
 悲しみ合いしていません。夫も あのこの姉も、皆、一人ずつで、
 耐えています。どうしてなのか、わかりません。

 私はまだ 言えない事があります。あの時のことを、
 言える時が来るとかは、分かりません。臆病で、
 ただ、じっと毎日あのこ、と向き合っているしかないのです。
 
 今日は 思いきりこちらで駄々を言わせて頂きました。
   ごめんなさい
 桜が散り 今度はサツキとかつつじとか咲きますね。
 五月の 風の中に あのこの気配を感じて・・・生きます。

 

    


11169 夕べの星さん わんこ 2006/04/23 22:47
女性 / 40歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 日本国内
いつも優しく前向きな声をかけてくださる夕べの星さん・・・

「おかあさん」らしく、明るい方へご家族を導こうとなさっているんでしょうね。 ご家族お一人お一人が溢れる思いをかかえているけれど、表面張力が保たれているので、最後のひとしずくをこぼして、あふれさせないように耐えて・・・。

私の家族は元々お互いを思いやりすぎるくらいでした。そして結果としては自滅してしまったように思います。 私と母は抱き合って泣きました。 悪いのは自分のほうだと言い合いになることもあります。 私の悲しみの波には母が慰めてくれます。 でも私は母の波を受け止めることができません。 そんな自分がまた悲しくなりますが、壊れそうでどうしてもできません。

なぜ?という問いに答えがないように、どういう風に家族同士がふるまえばよいのか?にも普遍的な答えはないのでしょうね。  

心理学者の河合隼雄さんの本に言いたくない、言えないことは言わなくてもよい。言うことが良いと一概にはいえないから。とありました。

夕べの星さん、言える時が来たら、言えるし、来なかったらお子さんに会えたとき直接言ってもいいのではないでしょうか? 私などが偉そうにすみません。 でも、たまには弱音を聞かせて下さいね。

娘さん、エリーさん
同じ気持ちです。命が分け合えたらいいのにね・・・。ご自分も大切になさって下さいね。お互い大切な母親を守るためにも・・。

 


11170 今日一日が・・・過ぎようとしています。 Jupiter 2006/04/23 23:57
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
夕べの星さん、みなさんこんばんは。

今ここにきて 夕べの星さんの書き込みを読んで
おもわず私も・・
この、PCの右側にある窓を開けて 空を見上げてみました。
やっぱり雲で覆われて 星もみえず 
灰色の もやもやに覆われた 私の心みたいな空でした。
ホントウニ・・・
さびしいですね。。。
あいたいですね。。。

今日 こいのぼりを見かけました。
あ〜・・・もうそんな季節なんだな。そう思いました。
祖父母に買ってもらった こいのぼりと五月人形。
長男のあの子の成長をみんなで祝って、見守って・・・
いつもそこにはみんなの笑顔があったのに。

ベランダにかざったこいのぼりをみて
「どうしてうちのこいのぼりは やねよりひくいの?」
こいのぼりの歌を 元気に歌いながら、
真剣な顔で、私の顔を覗き込んだあの子の純粋無垢な姿が、
・・・頭から離れません。

ついこの間のように思うのに・・遠い遠い昔のような気もします。

あの子が高校生になって、
今思うと、最後のこどもの日だったのに
こいのぼりも五月人形も 忙しさのせいにして、
めんどくさくなってしまって、出してもあげなかった。
幼い頃のように あの子の成長に感謝することもせず
家族がそこにいるのがあたり前だと思っていたのでしょう。
そんな後悔が次から次へ あふれ出してしまいます。

うちの、こいのぼりたちも 青い空を泳ぎたかったのかもしれない。
あの子と弟の名前がそれぞれ、こいのぼりに大きく書いてある。
いつか兄弟のなまえをつけた あのこいのぼり
押入れから出せる日はくるのでしょうか・・・

せめて今 息子は 
もっともっと大きな空を、光の世界を自由に泳ぎまわっていると
おもいたいです。

息子を思いながら・・・息子とともに今日も生きました。

一日のおわりに 皆さんの大切な方たちの安らかな眠りを
願いながら・・・
おやすみなさい。






11171 エリーさんへ 娘 2006/04/24 11:46
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
おはようございます。メールありがとうございます。

昨日父の四十九日が無事終わりました。
父が亡くなって49日も経ったなんて想像もつきませんが時間(とき)は止まる、止めることが出来ないんだなと改めて実感しました。

昨日ご住職さんがお説教していただいてるときの話の中に、今の日本は食べたい時に食べることができ、何でも手に入る、その国を人は豊かな国と言う。しかし、本当に豊かでないといけないのは物ではなく、人間の心ではないでしょうか・・。食べ物を食べるとき『いただきます』、『ご馳走様でした』と言っていますか?その言葉を『あいさつ』の一貫として言ってませんか?
『いただきます』=あなた(生きている物全て、野菜、果物、魚、動物、など)の命をいただきながら私が生きています。そうでないと私が生きていけません。どうかお許しくださいと言う意味なんですよ。

人間は一人では生きていません。色々なことを犠牲に、迷惑をかけながら、自分が存在しています。あらゆる命をいただきながら私達は生きているのです。どうかそのことに気づいてください。そしたら、人が助け合い、謝る心、許す心が生まれてくるはずです。命は全てのものに平等です。どうか命を大切に・・。

・・とお話くださいました。

限りある命、人生、どう生きるかは私達自身です。
エリーさんのお父様もとっても家族の愛に包まれてたんですね。
それだけに・・お辛いでしょう、後悔してもしきれませんよね。
きっとお父様と同じエリーさんもとてもお優しい方なんでしょうね。残された、いえ、生かされた私達がお父様のためにも自分自身のためにも、少しずつ乗り越えていかないといけないんでしょうね・・。

私はまだ悲しみの方が強くて・・泣いてばかりですが。
いつかきっと元気になってみせます!
エリーさんもご家族のみなさんもご健康でありますように・・。

失礼な文章があったらお許しください。



11172 ありがとうございます 夕べの星 2006/04/24 12:58
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
 
  Jupiterさん わんこさん 皆様
 よしよしして下さりありがとう。
 昨日は大波の日だったんだと思います。

 今日は夫を リハビリに見送り さあ四時まで何をしようかと
 思いながら又ここに坐り込んで^^。
 私の 説得力のない言葉にも 心を傾けて下さってほんとに、
 うれしいです。

 そして
 まだお若いかたが 健気に前向きにされて居られるのを読んで
 パワーを 頂いています。

 今 あの子が 居なくても 終わった事にはしたくない
 いつも いつまでも想いと一緒に 居る事。
 残った家族と こちらの皆様に 感謝しながら。
 


11173 やっと、一ヶ月・・・・ REI 2006/04/24 14:12
女性 / 50歳台 / 子 / 2ヶ月以内 / 中部
初めてこちらにお邪魔します。
娘は22歳で、大学の卒業式を前に逝ってしまいました。
謝恩会のドレスも、バッグも、靴も・・ハカマも・・・、お母さんあんなに一生懸命に探したじゃん。その卒業式に、弟と妹と、お父さんと四人で出るなんてヒドイよ。
この一ヶ月、苦しくて、娘の最後の瞬間を思うと、どんな思いで逝ったかと、耐えられずに・・・。あんなにイッパイ話してくれたのに、あんなに毎日、行動的にしてたのに、書置きまで冷静に残して、私を置いて逝ってしまうなんて・・・、可哀想で泣いてみたり、ヒドイと怒ってみたり、生きられないとすがってみたり・・・・。
「お母さんみたいになるのが目標なの」と、去年の誕生日に嬉しいメールくれたのに、私なんかよりウントウント、綺麗な心と才能の持ち主だったのに、なんで自分で・・・。お母さんありがとう!って、にっこり笑って、私の心臓に日本刀を突き刺していったあなた。ショックで夢には、きっとしばらく出てきそうにもないよ。
今頃、後悔してるよね!
お願い!! 帰ってきて。
ちょっと冷静になれた自分にびっくりして、ここにお邪魔してみようと、書き始めましたが、やっぱり書いていると、涙が止まらず、辛くなってきてしまいます。単身の主人も、体調を壊し始め、残された二人の子供のためにシッカリしなきゃ、と思うのですが、なにが起こったのかが受け入れられずにパニックになります。


11174 REIさん 夕べの星 2006/04/24 15:38
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  

  はじめまして
  近くに居りましたので 声を掛けさせていただきました。
  私も同じ 娘をなくしたものです。

  今は 突然の嵐の中においでと想い ご心ちゅう如何ばかりかと
  思いをはせております。

  私は、娘をなくして8月になると三年も経つのですが
  昨日の様にも 百年も経ったかの様にもおもいます。

  あなた様も 私もこちらの皆様も皆、
  なくされたばかりの状態でご家族を守り 世間と自分と戦い
  生き抜いて行かねば成らないまいにちです。
  つらいですね・・・。ご無理のありませんように、
             こちらで 語り合いましょう


11175 REIさん はじめまして。 Jupiter 2006/04/24 17:02
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
私は16歳の長男をなくして もうじき1年半になります。

REIさんの苦しい心の叫びを聞いて 
同じ時期の 自分を思い出していました。
息子が どんなおもいでその一瞬を越えたのか・・・
それを想像するだけで、今でも胸が張り裂けそうです。
何度も何度も そこにたどり着きます。

どんな事をしても 生きていてほしかった。
助けてあげたかった。
何の力にも慣れなかったのだ。そんな私が、母親でいいの?
自責と後悔の波が 次から次へと押し寄せ、自分をいじめました。
なにがなんだかわかりません。
冷静でいれるわけがないのだから・・・

REIさんのお気持ちは 当然のことだと思うのです。
やっと、一ヶ月・・・
今までに無い 長く辛い地獄のような時間だったことでしょう。
家族それぞれが傷つき、時には傷つけあったりもしてしまう。 

たくさん泣いていいんですよ。
時間が流れると、人前でも家族の前でも
泣けなくなっている自分がいます。
 
私は、あの子が座っていたこのPCの前で、何度泣いたでしょう。
ここで 悲しみに寄り添っていただき、一緒に泣き
一人じゃないって自分を奮い立たせ 今日まできました。
パソコンの文字が涙で何度も見えなくなりながら・・。
書いては削除したり・・・そんな毎日でした。

支離滅裂だったけど ここのみんなはわかってくれたと思うのです。
少しずつ ゆっくり 気持ちを吐き出して
深呼吸してみてください。

これから四十九日の法要など心身ともにお疲れになる事と思います。
どうぞ、ご無理のないように。
REIさんもご主人様もお身体大切になさってください。

お嬢さんのご冥福を 心よりお祈りいたします。







11176 ありがとうございます REI 2006/04/24 21:52
女性 / 50歳台 / 子 / 2ヶ月以内 / 中部
Jupiterさん、夕べの星さん、ありがとうございます。
分かって頂ける方がいるだけで、安らぎます。
まだまだ、起伏が激しくて、うまくコントロールできませんが、また助けて下さい。

一日が長く、残った者の悲しみを知った以上、生きて天寿を全うしなくては・・・と、頭ではよく分かっているのですが、一日が長すぎて、こんな日を何日重ねたら、娘に会えるのかと思うと、気が遠くなります。

いっそ気が狂えば、どんなに楽になるかと思っても、倒れもせず、気もふれずに生きている自分が薄情に思えて・・・生きられないあの子を育ててしまった自分・・・、純粋な娘は、私の言うこと全部を全身で受け入れて、今の世を生きるのが苦しかったんだと思うと、私が他の家族も、また死に追いやってしまいそうで、怖くてたまらないです。

ごめんなさい。とりとめもなく書いてしまい駄目です。
もう少し、冷静になってから書かせていただきます。




11177 今週の日曜で四十九日です。。 エリー 2006/04/24 21:54
女性 / 20歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 東日本
四十九日の間は、亡くなった方がまだ近くにいるって言いますよね。
それって、本当なんだ。。って実感できるような出来事がありました。

今日、学校から家への帰り道で父を思い出して泣きながら歩いていたときのことです。
学校近くの大きな道路の近くを歩いていたら、どこからか強い花の香りがしてきました。人が歩いてるわけでもないので香水でもなく、かといって幹線道路沿いにお花があるはずもなく、そのまま電車に乗りました。
最寄り駅で降り、家に帰る道で「ここをよく父さんと歩いたな。。」と考えて、また涙をこぼしながら歩いていたら、また強い花の匂いがしました。閉店した人通りのない商店街なのに。
初めての経験だったので不思議に思いつつ帰宅したら、さっきと同じ花の匂いがしました。霊前に供えているお花と同じ匂いだったのです。

泣きながら歩いていた私のことを心配して、学校近くまで迎えにきてくれたのかなぁ。と思ったら、うれしくなりました。

人は死んでも消えるのではないんだと父が言っている気がして。
また会えるんだよ、って。

また会うときまで、頑張って生きていこう。。再会したとき、いろんな話をしてあげたいな。

☆娘さん☆

大変なときにお返事いただいて、ありがとうございます。
涙が止まらないのはよくわかります。
残された者との絆が強ければ強いほど、愛する人の死は痛いほどに心を縛りつけますよね。
私もまだ痛みに縛り付けられた状態ではありますが、いつかは乗り越えて行きたいと思います。毎日ちょっとだけでも、歩いていきましょうね。。

☆わんこさん☆

励ましていただいてありがとうございます。わんこさんも、どうぞご自愛くださいね。わんこさんを愛する周りの方のためにも。

どうか、ここに集う皆様に小さくても心の安らぎが訪れますように。
そして、もうこんな思いをする人がいなくなるようにと願わずにはいられません。




11178 だって、家族だもの・・・ シブパパ 2006/04/25 12:26
男性 / 40歳台 / 妻 / 6ヶ月以内 / 関東
JR福知山線の事故から丸一年の報道をたまたま家族で見ていました。
遺族の方の多くがPTSDになっていると記者が伝えると7歳の息子が私に
「おとうさんもそうなんだよね。だって急に悲しくなったりするんでしょ。でもがんばってね・・・。」
自分だってきっと同じ思いをしているはずなのに、
私のことを第一に気遣ってくれた優しさに言葉が詰まり、
「きみたちが悲しまないように、泣かないで頑張るからね。」
と言うのが精いっぱい。

ありがとう。まだまだ辛くて寂しいけど、負けないよ。



11179 どうしてもダメなんです 渓 2006/04/25 21:20
女性 / 20歳台 / 複数 / 5年以内 / 日本国内
初めまして。長い文章になってしまいますが、すみません。

平成14年12月。私の結婚式の日デシタ。
式場に到着してすぐ私の父は倒れて救急車で運ばれ、そのままこの世を去りました。「式はでる。」という言葉を遺して。
癌だったんです。癌が発見されたトキはすでに余命3ヶ月でした。
花嫁姿を見せたいと、結婚式の日を急遽決めたのに間に合いませんでした。
母と兄と親しい親戚が、父の病院に救急車と一緒に向かったので、家族席の空いたイスを見ると涙がでそうでしたが、『写真で花嫁姿を見せよう』と必死に笑顔をつくり頑張りました。
でもやっぱり見せたくて、式場の人にお願いしたらドレスを着て家に帰ってもいいと言ってもらえたので家に電話。・・・そこで父の死を知ったのです。

それから4ヶ月後の平成15年4月。
母は父のあとをおって、自ら命を絶ってしまいました。

私は2年ほど家出をしていて、そのせいで母はお酒を飲んで酔っ払っては父にケンカをうるような。家出から帰って来て家の状態にビックリしました。家庭崩壊してました。
逃げたい日もありましたが、私のせいなので、時間がかかっても昔のような仲の良い家族に戻りたいと思い、私なりに頑張る日々でした。

父の癌が発覚してからは、ケンカもなくなり、仲良く過ごせました。
父が亡くなって、母は自分を責めました。
そのような母にしてしまったのは私なので、私は自分を責めました。
悪いのは私なんです。母方の親戚にも「本当は何かあったんじゃないの?」と何度も聞かれ、「母を守るコトができなくてごめんなさい」と謝り続けました。

今、私に何ができるか?
お母さんを幸せにしてあげよう。お父さんがイナイのだから、本当に幸せにはなれないのかもしれないけど、少しでも多く「幸せだなぁ」と思ってもらえるよう頑張ろう。そして、いつかお父さんに会えたとき「私頑張ったよ!」って言いたかった。

頑張ろう!!!と思っていたトキの母の自殺。
どうして?どうして?と思いました。
遺書のようなメモに、ごめんね。とあったのが気になります。
もっと一緒にいろんなコトしたかったし、孫の顔も見せたかったけど、謝ることはないのに。謝るのは私の方なのに。

ちゃんとお父さんに会えたのかなぁ・・・。
心配です。
仲良くやってくれているといいけど・・・。

一生懸命励ましてくれる人がいたので、私はまだここにいますが。

他の人の幸せを、喜んであげられないんです。
年齢的にまわりの友達も旦那も両親健在。
「あなたたちはいいわよね。」風な思考になってしまいます。
たくさん悲しい思いをしたので、その分人にやさしくなれる。とか聞きますが、こんなコト父も母も望んでなんかいないとは思うんですが、ダメなんです。
外にはださないようにしていますが。

そんな自分が嫌いでしょうがないです。
どうしたら優しい人になれるのでしょうか?




11180 一年 ハナ 2006/04/25 22:30
女性 / 30歳台 / 婚約者 / 1年以内 / 日本国内
久しぶりに書きこみします。

しばらく一人で頑張っていました。
新しい仕事についたり、前より少し多く人と会うようにしたり‥。
彼のことは考えないように‥と言ってもそれは無理なので、
彼を感じさせる物や場所からはなるべく離れていました。
頭の中だけでいっぱいいっぱいなので‥。
こんな私を彼は天国から悲しく見ているのかな‥。

もうすぐ彼の一周忌の法要です。久しぶりにすべてのことから顔を背けられない日が来ます。日増しにナーバスになっていく自分を感じます。あの日のことが何度も何度も胸に甦り、「なぜ? なぜ?」と繰り返してしまいます。

まだ生きる意味や目標は見つかっていませんが、それでもなんとか一年歩いてきました。そしていつか‥彼に心から「ありがとう」と言える自分になりたい。。。



11181 何を望んでいるのでしょう? mami 2006/04/25 23:37
女性 / 40歳台 / 夫 / 10年以内 / 四国
あれから6年半私たち遺された家族は毎日毎日日々を生きてきました。生ってなんなんでしょう?生きるということはどういうことなんでしょう?自らに問いかけながら何とか子供たち3人と私は生きてきましたが。私の主人は私たちのこれからをどう望んでいるのでしょう?毎日こんな事を考えて生きてきましたが、私は勝手な生き方しかできません。世間が望む生き方ができません。でも、もう開放して欲しいと思う気持ちとほんとにこれでいいのかという気持ちと入れ替わり立ち代り現れます。人を信じることができなくなりました。お金の欲に目がくらむ人間たちはもう信じられません。生きるということはお金を手に入れるということのように考える人たちがあふれています。私には少しばかり残していただいたお金があるからそんなことがいえるのでしょうか?主人のしによっていただいた、主人の身代わりのようなお金をいただいてもそれに寄りかからず自分の手で働いて稼いだお金を得たいと思うのです。支離滅裂になりましたが、人が死んだら親戚たちはそのお金を狙って私たちを追及してきました。人一人死んでいるというのにそんなことがよくできますよね?私たちは一生背負って生きていかなくちゃいけないのに・・・。人の命はお金に換わることはないのに・・・。主人の死によって信じられる人と信じられない人がはっきりわかりました。信じられる人がまた私たちを裏切らないか不安で仕方がありません。このまま生きていきて行かなくちゃいけないのですよね。生きるということは私にとって生かされるということなのです。子供たちは口には出しませんが主人の話になると笑ってごまかしていますが複雑な思いもあることでしょう?私たちを捨てて死んじゃったのですから。うつ病という病気で仕方なかったかも解りませんがあまりにも私にとって責任が重過ぎて何もかも背負えません。これでほんとにいいのでしょうか?亡くなった主人はそれを望んでいるのでしょうか?私には解らないのです。


11182 渓さんへ 娘 2006/04/26 10:55
女性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 西日本
初めまして・・娘です。渓さんのメール読ませていただきました。

苦しみ、悲しみ、後悔、言葉では言い尽くせないほどのお気持ちでいっぱいのことと思います。

私は20代独身で何事もなければ今年中には結婚する予定でした。
今月終わりにでも一緒に結婚する!と両親に報告に行くつもりでした。父が生きていた頃、心が元気だった時、私によく『結婚式は○○場やな』と毎日言っていました。父と彼氏が最後に顔あわせたのが今年1月9日です。その時には欝病の症状は出ておりましたが、病院に行ってみようかなと言った時期でした。そして1月20日診療内科で欝病と診断されました。そして今年3月9日自ら命をたちました。


渓さん・・誰も悪くないんです。渓さんのお気持ちきっとご両親に届いてると思いますよ。私も自分を責めました。欝病と診断され家族で病気について勉強しようとしていた時の父の死でしたから後悔、悔しさ、はがゆさ、そんな言葉では決して片付けられないほど心の傷・・。
人の幸せが心から喜べないと言う気持ちは素直な気持ちだと思いますよ。

渓さんに何が出来るか、優しい人になれるかと言うのは正直私にもわかりません。無理に元気になることもないと思います。
ただ私は失われた時間、過ぎてゆく時間は二度と戻ってこない。だから私を思ってくれる人のため、父のためにも少しずつ顔をあげて前へ歩いていこうと思っています。渓さん少しずつ一緒に歩いていきましょう。
どうかご自分を責めないでくださいね。

失礼な文章がありましたらお許しください。



11183 なお様へ FUMIFUMI 2006/04/26 14:38
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 西日本
随分遅くなりましたが、メールありがとうございました。
正直な話、分かってくださる「誰か」がいらっしゃるとはあまり思っていませんでした。でも、なおさんがお返事くださって、なんだか手をつないでもらったような暖かさを感じました。直接お会いしたわけでもないのに、こんな風に暖かさを感じることができるものなんだと、びっくりしました。
そして「手をつないでもらっている」と感じた時、私にとっては大切なあることを思い出しました。
私には小さい頃、(障害があるということで)「気持ち悪い」といって手をつないでもらえなかった悲しい思い出があります。そのことを初めて夫に言った時、彼は「これからは俺が手をつなぐよ」と言ってくれたんです。他の方には何でもない言葉かもしれません。でも私には、それまでの辛かった思いを全て解放させてくれる言葉となりました。それから二十余年、私達は本当に「手をつないで」生きてきました。…ついこの間まで。
大切な思い出だったはずなのに、私はすっかりこのことを忘れておりました。それをなお様が思い出させてくださったんです。
だから、二重の意味での「ありがとう」です。
今週末には49日の法要があります。その前に思い出すことができてよかったです。本当にありがとうございました。


11184 うつ病は家族のせいじゃない・・・ シブパパ 2006/04/26 18:43
男性 / 40歳台 / 妻 / 6ヶ月以内 / 関東
「娘」さん

私の妻もうつ病だったと思います。
妻が生前書きためたメモを見た精神科医はそう言いました。
しかしうつ病に対する認識が私に全く、
ただの不機嫌、ヒステリーぐらいに思っていたため、
治療の機会を一回も設けられませんでした。
昨夏の夫婦げんかでは「私は一度死んでるんだから!」なんて
叫んでいたのですから、多少でも知識や認識があれば
きっとうつに気付いてやることができたことでしょう。
不勉強が招いた自死と思うと自責の念にかられます。
一部の親戚には「うつ病か何か知らないが、そうさせたのは誰だ!」とか、
「病気のせいにするな!子供たちを残してでも自死を選ぶような状態にお前が追い込んだんだ!」などなど、
辛い言葉を浴びせられています。
妻失踪のきっかけになった夫婦げんかの話になると
「そんなのよくあること」と言われる一方、
「愛情が足りなかったんでしょう」とも言われます。
うつは家族のせいでなる疾患ではないそうですね。
妻の家族愛は他人には決してひけを取らないことを親族はみな認めています。
なのにまだ幼い子供二人を残して逝ってしまった。
だからこそ妻の自死はうつのせいとしか考えられないのです。
そうでないと妻は自分のために子供を不幸にした極悪の女になってしまいます・・・。
そんなこと、絶対ないのに。

うつに気付いてやれなかったのは本当に無念です。
妻も本当の自分の意思で自死を選んだのではないと今も信じています。
今度の休日には妻が好きだった花の苗木を庭に植えようと思います。


11185 一度だけ書かせてください FUMIFUMI 2006/04/27 13:04
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 西日本
今週末には49日の法要があります。その前に一度だけ、ここに私の思いを綴らせてください。
はっきり言って、読んだ方を不愉快にさせる話になってしまうと思います。ですから、それが嫌な方は飛ばして読んでください。あるいは管理人さんから御覧になって、あまり目に余るようでしたら削除してください。
ただ私は、どうしても一度だけこの思いを吐き出させて欲しいんです。「甘え」と言われるかもしれませんが、そうしないとこの先、自分が先に進めないのです。
私の夫は、芸術家の端くれのような仕事をしていました。なかなか収入に結びつかない仕事です。だから結婚当初、経済的には私が夫を養っている状態でした。そんな状態なのに夫は、家事を一切やりませんでした。「家事ができない」からじゃありません。一人暮らしの長い夫は、私より料理が上手かったくらいです。その頃仕事は少なかったのですから、当然「時間がなかった」わけでもありません。ただ私に甘えて、もたれかかってきたという感じです。
それと仕事柄、自分を高めるための投資は惜しまないようにしていた(そして私もそれを認めてはいました)ので、時間もお金も夫自身のために使うことが多かったのです。ただ、いくらなんでも私の負担は大きかく、本当にしんどい思いをしてきました。このことが心にひっかかって、子供を産んだ後、長い間仕事を再開できなかったぐらいです。このあたりのことは、後年夫自身も認めて詫びてくれています。
その後夫の仕事は少しずつ軌道に乗り、経済的にも何とかなりそうだということで子供をもうけ、私は仕事をやめて家庭に入りました。実際には夫の稼ぎだけでは暮らせず、実家からの援助に頼る面もありましたし、一度夫が鬱になって回復するまでは、完全に実家に頼ってしまいましたが…。
そうこうする内に夫は何とか一人で私達家族を養えるまでになり、その頃私は仕事を再開しました。前述した「心のひっかかり」が、軽くなったからです。相変わらず「時間も技術もある」のに家事は一切やらない夫でしたが、私はこのことにはあまり不満はありませんでした。なにしろ私達を「養って」くれているのですし、仕事の性質上、夫自身の時間を大切に使って自分を磨いていって欲しいと思っていたからです。
ところが年齢が上がるにつれ、パソコンが苦手だったこともあって、夫の仕事は減ってきました。そうなると又、私の出番です。仕事に家事に、忙しい私。相変わらず「自分を磨くために」お金と時間を使う夫。
でも夫の使ったお金も時間も、なかなか仕事にはつながらない…というより、「単なる遊び」なんじゃないの?と思えることも増えてきました。
そんな時、夫が我が家のお金(その中には私の実家から送られてきた子供達のための学費も含まれてました)を持ち出してある会社に投資し、その投資先が計画倒産してしまう、という事件がおこりました。しかも夫は、悪いことにその投資先からの利益をあてにして、自分の仕事の巾を広げるためのあれこれにお金をたくさん使っていたのです。
全てが分かった時、私はまだ「何とかなる」と思っていました。夫が使ったお金は、二人で頑張ればどうにもならないような額ではなかったからです。でも夫は鬱になって全てにやる気をなくしてしまいました。




11186 続きです FUMIFUMI 2006/04/27 14:32
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 西日本
一度は回復した鬱ですので、私も少しは対処法がわかっています。責めてはイケナイ。励ましてもイケナイ。私は「大丈夫だよ私がなんとかするから」と言って、収入の良い今の会社に移り、頑張ってきました。
実家には、頼れませんでした。父がうんと老いてしまって、それを支える母もしんどそうで、絶対に心配をかけたくなかったから。
同居している義母にも、頼れませんでした。ちょうどこの頃入退院を繰り返すようになった義母は、自分のことで精一杯でしたから。
子供達にも、頼れませんでした。長男は大学受験でしたし、さらに年少の次男にももちろん頼るわけにはいきません。さらに二人はそれぞれ家の状況を考えて「何としても現役で国立大学に合格するために」「奨学金を得ることのできる程の成績をとるために」猛勉強を始めたのです。夫もこの二人には絶対自分のしたこと(学費を使ってしまったこと)を知られたくないと言ってました。
家中が異常な緊張感に満ちました。朝早くから夜遅くまで、仕事に勉強に励む、私と子供達。一人家の中でぼんやりしている(それがお医者さまからの指示でした)夫。
この状態で半年が過ぎた頃、私の中で何かが募ってしまいました。私も子供も、何も悪いことはしていないのです。ミスを犯したのは夫なのです。なのに夫はなにもせず、私達だけが頑張らなければならない…。もう限界でした。
私は夫を責めるようになりました。早く仕事をして欲しいと励ますようになりました。自責の念を強く感じていた夫も、仕事を探し始めました。でももう、元の仕事には戻れません。夫のような仕事で、半年もブランクがあるのは大変なハンディなのです。ましてすでに仕事が薄くなっていた夫です。年齢的なこともあり、他の仕事に移るのも大変です。
それでも何とか見つけた仕事を、結局夫は断ってしまいました。自信がないからと言って…。では夫にどんな仕事ができるのか? 仕事場が遠い(片道30分位)仕事はできないと言います。朝早い(5時起きする位)仕事はできないと言います。夜遅い(夜中に帰ってくるような)仕事はできないと言います。きつい仕事はできないと言います。時給が安い仕事はできないと言います。
まだ鬱が治ってないのならちゃんと治そうと言っても、「もうこれ以上治らない。これは病気ではなく俺の性格的な問題なんだ」と言います。今の病院では治らなくても他の病院に行けばと言っても、絶対に嫌だと言います。
一方で長男の受験は近づき、センター試験、前期試験と受験し、私はもう、実家に相談するしかないと思いました。父を心配させたくなかったけれど、このままでは我が家が崩壊してしまいます。子供だけは何としても守りたい私は、長男の後期試験が終わった後(もしくは前期試験での合格が決まった後。長男を動揺させないため受験がおわるまでは事を起こさないつもりでした)実家に全てを打ち明けるからと、夫に言いました。「場合によっては離婚も考えている」とも言いました。これは万が一長男が夫のしたことを全て知った後で浪人になった場合、家に長男と夫を置いておいては何が起こるかわからないと思ったからです。夫は辛そうに私の言葉を聞いていました。
そのころ夫は私に「俺が自殺なんかしたら保険金ももらえないし経済的に大変なことになるよね」と言いました。よせばいいのに私は「保険金はたぶん下りると思う」と答えてしまいました。もちろんその後で「お金のことじゃなくて自殺を、しないで欲しいのだ」とは言いましたけれど。
又あるときは、最近増えた中高年の自殺を報道するテレビ番組を見ながら、夫を牽制するつもりで「こうゆう死に方だと遺族にこんな迷惑がかかる、こんな死に方だとこんなこともある」と言っていたんです。そうしたら夫は「じゃあ、○○で××ならいいんだね」と。…一瞬、絶句してしまいました。もちろん又「絶対やめてよ!」とは言いましたけど。
そして死の前日の夜、またいろんなことに対して「できない」「できない」を連発する夫に私は言ってしまったんです。「私なら、自分が死ぬことより子供が不幸になること方が辛いのに」と。夫ははっとしたようになって「俺も自分が死ぬより子供が不幸になる方が辛いよ」と言いました。私はその言葉を、夫が何とかやる気を出してくれたのだと受け止めて、「それならこうしようよ、ああしようよ」と励ましました。夫も「そうだね」と前向きな姿勢を見せてくれて、私は夫が少し回復してくれたと思っていたのです。
次の日、夫は「○○で××」の方法で自殺してしまいました。
夫の死に顔を見たとき(夫の遺体は一見損傷も少なく、辛そうな表情でもありませんでした。ただ、全てをあきらめてしまったような顔でした)、私は「殺された人の顔だ」と思いました。「自死」ではなく、やはり「自殺」なのだと思いました。そして夫を殺したのは、夫自身と私だと思いました。

実家に連絡を入れると、老いてほとんど動けなくなっていたはずの父が、娘と孫の大事に気力を振り絞って駆けつけてくれました。その後あった長男の大学の合格発表では、前期での合格が決まっていました。
私は一体、何を守ろうとしていたんだろうと、思いました。父は私が思っていたより、ずっと強かった! 長男も前期で合格を決めていた! それなら私は、もっと早くに実家に相談すべきだったんです。そしたら夫を止めることができたかもしれないんです。
ちっぽけな自分の強さを過信して、頑張って頑張りすぎて、私は私に一番近い人間を失ってしまいました。大好きな父も、何より守りたかったはずの子供達も、結局一番傷つけてしまいました。
これが、私がこれから一生背負う私の「罪」です。














11187 ちがうよ。 みーこ 2006/04/27 15:11
/ 30歳台 / 父 / 10年以上
みーこの父が亡くなって、もう17年ほどたつのかな。随分昔の話ですよね。でも、みーこには、数年前ぐらいにしか思えないし、あの日のことは忘れることがない。

自殺は家族の病理だと、ある人が、世間話として、そう言いました。その人は、みーこの父が自視したとは知りませんでした。

すごくすごく傷つきました。何年も昔の話だけれど。

でも、今なら言える。そうじゃない、そうじゃないんだ。どんな家族だって、何にも問題がないなんて分けない。もちろん、平穏な時期の長い家族もあれば、波乱万丈の家族もあるかもしれない。でも、たとえば、思春期の子どもを持つ家庭は、何かと夫婦喧嘩、親子喧嘩が絶えないもの。そんなの普通で、それを病理とは言わない。

みーこは、中学、高校のころ父親のことがうざったかった。でも、それって普通。みーこの父が欝だったとか、自死だったとか知らない人達が、みんなそう言った。

それでも、欝の父を持った思春期の子どもには、父親をうざったく思うことは許されない。みーこはそう思いました。自分を責めました。でも、そんなの不公平じゃないですか。親子の葛藤なんて、成長過程にある、当たり前のことです。

家族の誰かが鬱になってしまったら、これまで円満に、普通にできていたことでも難しくなる。そしたら、あの家族は病んでいる、って言われるのでしょうか。

ふざけるな!です。一生懸命生きて、いつも一緒に、鬱と戦って、
それでも長期戦になれば、疲れもする、いらいらもする。ぶつけようのない怒りも起こる。気をつけて、気をつけて、すごしていた。でも、防げなかった。防げなかった家族は、罪びとですか?

でも、じゃあ、そういう家族を、誰が助けてくれた?

お前が悪い、家族が悪い、という他人は、他人事だからそう言える。たまたま幸運にも、そういう経験をしないですんできてしまったから、当事者のことなんて分からない。そういう家族を目の前にして、お前には何ができる?これまで何をしてきた? 

個人に対しての怒りじゃありません。社会に対してです。無知で、無責任な社会に対して。

そうですね。私の怒りは、10年前、20年前、みーこと、みーこの家族が苦しんでいたころの社会に対してかな。今もあんまり変わってないのかな。社会は。


11188 FUMIFUMIさんへ なおべ 2006/04/27 15:17
男性 / 30歳台 / 妻 / 6ヶ月以内 / 北海道
はじめまして。
半年前に、鬱病で10年連れ添った妻を自死で失った者です。
FUMIFUMIさんの気持ちが良く判る気がします。
私も、急かしてはいけない、焦らしてはいけない、と思いつつ
結果的に彼女を追い詰めてしまいました。
息子さんの受験、自身の仕事、家庭と大変な中で、更にご主人の
鬱病まで対応するのは、苦しく心細かったろうと推察します。
孤軍奮闘してたんですね。

守ろうとしてたものが、崩壊する。
自責の念は、消えることは無いと思っています。
辛い日々が続くとは思いますが、ここへ来て、辛さを吐き出すと
良いでしょう。

前を向けるようになると良いですね。


11189 FUMIFUMIさん 夕べの星 2006/04/27 18:28
女性 / 60歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
  
  あなたのお気持ち しっかり受け止めました。
  そして あなたを思い、涙がながれます。
  
  無念なお気持ち分かります。
  今は これしか言えません。だってもう沢山
  あなたは 頑張ったのですから。

  49日が無事過ぎますように。


11190 ドミノ倒し 剣 2006/04/27 19:56
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
先日、知人に「自殺というのはドミノ倒しみたいなものだ」と言われました。

最初の1個がつまづいて倒れ始めたら、次々と倒れて行く。
1個で自殺に至ることはない。
次々と倒れた先が自殺。
途中で周囲の人間や病院が手を差し伸べ、うまく止めることができればそこから先に進むことはないけれど、差し伸べるのが遅くなればなる程、加速がついているから止めるのが難しくなる。

何となく納得できるんですけど、何となく違う様な気もしています。
ドミノの最後の1枚(=自死)は、それまでの流れで倒れる訳じゃない気がするんです。
積み重なってきた「死にたい」という想いを後押しする何かがないと、自死には至らないと思うんです。
その人は弟の自死のことを知っていて、私のせいではないと励ますつもりで言ってくれたのだと思うのですが。

抽象的ですみません。
言われてから私自身の中で悶々としてしまい、文章にすると整理できるかと思ったのですが、なかなかうまくいきません。


11191 FUMIFUMIさん Jupiter 2006/04/27 20:49
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
こんばんは。

私も FUMIFUMIさんのお気持ち しっかり受け止めました。

あなたは 頑張ったんですよ・・。
まだまだいろんな感情が渦巻いて 当然の時期だと思うんです。
立場も月日も違うけど、何も出来ないかもしれないけど
みんな しっかり聞いていますから。
不愉快に思うなんてこと ないですから・・・。
自分でもどうしようもない気持ち ここに置いて、ゆっくり歩きましょう。

今週末が 49日なのですね。

見えないけれど、ご主人がきっとこれからも 
FUMIFUMIさんの手をしっかりにぎってくれていますよ。
無理のないように、49日の法要が無事に過ぎる事を祈っています。





11193 このメールで終わりです FUMIFUMI 2006/04/27 23:42
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 西日本
長い長い文章を書かせていただきました。
これまでの掲示板の流れも何も無視した書き込みで、申し訳ありません。
でも「書く」ことで、文章にしてみることで、起こったことを総括する必要が、私にはありました。
そしてそれを誰かに見ていただく必要がありました。
「見て」いただくだけで良かった。誰からも声をかけてもらえなかったとしても、それで良かった。でも実際には、私の声を「受け止めた」と言ってくださる方がいた。
…ありがとうございます。やっぱりここは、本当に温かいですね。

一応書いておきますが、私には自死念慮はありません。これまで死ぬことを怖いと思ったことはなく、自分の愛する人に置いていかれることばかりを恐れてきた(なのに夫が自死するとは考え付かなかった)私ですが、それだからこそ自分がされて一番辛いことをする気にはなれません。
それに私は自分の「罪」を認めますが、夫が私を恨んでいるとは全く考えていません。
亡くなる前の日、「そんなに俺を追い詰めないでよ」と言いながら私のこと「こんなに良い奥さん」と言ってくれた夫。「私がにこにこして貴方を受け止めていれば貴方は治っていくんだろうけど、今はそれができないの」と言った私に、「それはしかたがないよ」と言っていた夫。亡くなる日の朝、会社に行く私の背中をじっと見ていた夫…。彼が私を恨んで亡くなったなんてことはありえないと思うのです。むしろ私と子供達に「すまない」と思いながら亡くなったと思うのです。
確かに彼のしたことは私たちを経済的に困窮させました。続く鬱との戦いでは私たちを精神的に追い詰めました。でも私たちは彼を本気で嫌いになったりはしていなかった。ただちょっと、心が疲れてしまっただけで、本当は皆彼のことが大好きだったんです。
夫が鬱になる前、私は自分のことを「間違いなく世界中で一番幸福な人間の中の一人」だと思っていました。決して豊かな生活を送っていたわけではないけれど、家族皆が健康で、仲良く、それぞれが自分の目標を持って頑張っていたあの頃。本当に私の望むものは全て、私の手の中にありました。
だからこそ夫には、もう私たちに対する負い目なんて感じないで欲しい。むしろ「俺は誰よりも幸福な家庭をつくったぞ」と胸を張って欲しい。
…まあ、「胸を張った」自死者っていうのも妙というか、それができないからこそ亡くなったわけですが…。

ともあれ私は、急速に生来の自分を取り戻しつつあります。夫の死後(日曜を含めて)四日で職場に復帰。食事も普通にとっていますし、ときおり笑ってもいます。睡眠だけはまだ不十分ですが、少しずつ眠れるようになって来ました。
だって私は「強くて」「明るくて」「常に前向き」で「パワフル」な、「私」ですから。私の数少ないこれらのとりえが今回の件で損なわれなかったことを、夫が悲しんでいるとは思えません。むしろそんな私を好きになってくれた人なんですからね。

夫が亡くなった日はとても天気が良くて、私は会社から隙をみて夫に電話しようと思っていたんです。「いい天気だよ。外に出てみて。とっても気持ちがいいから。胸を張って、空を見て!」そう言いたかったんです。ところがその日に限り電話する隙がなくて(いつもならいくらでも隙があるのに)、ついにそのままになってしまいました。あのとき電話することができたら、今頃私はここにいなかったのでしょうか?
それから今になって考えてみると、夫の鬱はかなり治り難いケースのような気がします。客観的に見ても夫には自分を責めるだけの理由があるし、特殊な職業で年齢も高く、再就職も難しいし。でも私が正しく対応していたら、今頃はゆるゆると治りかけていたのではないかとも思えるのです。
考えたら、きりのなくなるような思いがたくさんあります。私はこれからもずっと考え続けるでしょう。どうすれば夫を追い詰めないように自分を保っていけたのか。どうすれば夫を救うことが出来たのか。でもこれらの考えに押しつぶされはしません。
「私は強いから」…ではなく、今はここを知っているから。辛くて吐き出した言葉を誰かが気にかけてくれるってことを、信じられるから。

私にお声をかけてくださったお一人お一人にお返事すべきとは思いますが、あまりに長くなったのでそれも出来ません。お許しください。
どうかここを訪れる(読んでるだけの人や私自信も含めて)全ての人に、今より少しでも穏やかな時が流れますように。


11194 最愛の人・・ しょうかな 2006/04/29 00:31
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中部
はじめてこちらを拝見させてもらいました。そして自分と同じ境遇の方が沢山いることに、びっくりした反面少しホットしました。私の最愛の夫を自死で無くし、4ヶ月がたちました。彼が一人で逝ってしまった日は、初雪のふる寒い日でした。私達には、2歳になる男の子の双子がいます。子煩悩で、私以上に子供を可愛がる夫が、何故子供の成長を見続けることなく、逝ってしまったのか・・今だに納得できません。子供達はパパの死を理解できないまま、でも少しずつ成長しています。でも、時々ひどく泣きながら「パパ〜」と発する言葉に、どうしてやることもできず、ついつい夫を恨んでしまいます・・。すごくやさしい人でした、結婚4年を迎え、新築のマイホームも建ってまだ二ヶ月でした。子供部屋も、机も大工さんに作ってもらい、そこでの子供の成長を誰よりも楽しみにしていたはずなのに・・。自死の理由ははっきりわかりません。亡くなる一週間前に「会社のリストラの対象になるかも?」と私に話、少し再就職をめぐって言い争いにはなりましたが、まさか自分で命を絶つほど悩んでいたとは・・・・。以前も会社の人間関係に悩み鬱気味にはなったこともありましたが、今回はそんな様子もなく、いつもより少し元気がない様子だけでした。もし、時間が戻せるなら・・・あの時に戻って、もっと夫の心の叫びに気づいてあげれたなら・・・・
毎日のようにこの事を考えています。どんなに悔やんでも、悔やみきれないのに。。もうすぐGWです・・二人の子供をどこかに連れて行ってあげたいけど、パパが一緒じゃないと、どこにも行く気になれません。
幸せそうな家族連れを見るのが辛いです・・・・パパ・・どうか帰ってきて欲しい・・・・


11195 しょうかなさんへ 剣 2006/04/29 09:44
女性 / 30歳台 / 弟 / 2年以内 / 四国
はじめまして。
書き込み、読ませて頂きました。
本当に、どうしてこんな状況で死という選択をされたのでしょうね。
まだまだやりたい事、見たい事、たくさんあったでしょうに。
しょうかなさんの辛い気持ちや疑問が伝わってきた様な気がします。

ただ思うのは、発作的に実行してしまう人もいるという事です。
私は弟を喪いましたが、直前までどうしようかと悩んでいた跡が残っていました。
前々から「死にたい」と思ってはいたようですが、実行に移す手前で留まっており。
当日も、実行に移す前1時間以内に親戚と電話で話しているのですが、いつもと全く変わらなかったそうです。

小さなお子さんを抱えて、それが励みになる事もあれば重荷になる事もあると思います。
自分を追いつめないように、ゆっくり生きていって下さい。


11196 そうなんです・・・ね しょうかな 2006/04/29 10:53
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中部
剣さん返信ありがとうございます。剣さんのおっしゃる通り、夫は発作的に死を選んだのかもしれません・・。あの日の朝もいつもの様に、子供と一緒に朝食を食べて、私は仕事で主人は休みだったので、用事を二件頼んだのですが、お昼休みに私が帰宅すると、夫の車は無く、メールも無いので、ふと胸騒ぎはしましたが、用事は二件とも済ませてあり、冷蔵庫のボードに「牛乳・卵」と買い物リストが書かれていました。でも、いつも携帯の電源を切ることのない彼が、電源をきっていることに、いてもたってもいられず、あてもなく探しに行きました。最後に彼を見たのは、義母だったので、彼の様子を尋ねると「いつもと変わらず、子供達を保育園に送って、その後でかけたよ・・」とのことでした。でも、その日の夕方、知らせを聞いた私の父が、近くの墓地の駐車場に停まっている夫の車を発見しました。車には練炭が3個もつまれていて、窓ガラスはびっしりとガムテープがはられ・・・発見したときは、すでに死後4,5時間後でした。今でも、彼の最後の姿が頭からはなれません。幸いに、発見が早くきれいな姿のままでしたので、子供達にも会わすことができました。子供は夫の亡き骸を見て「パパねんね」と無邪気に言っていました。このことは忘れたいけど、忘れることのできない出来事です。ただ、剣さんのおっしゃっるように、子供達のためにも、私はこれからの人生、彼の分も悔いの無いように、ゆっくりと自分を見つめなおして生きていきたいです。長々書きましたが、最後まで読んでくれて、ありがとうございます。


11197 ちょっと疲れました・・・ こうめ 2006/04/29 23:10
女性 / 20歳以上 / 父 / 3年以内 / 西日本
最近お休みしていました。
また母が躁鬱で入院してしまいました。具合悪そうだな〜と病院に連れて行ったらまさかまた入院・・。過干渉だし攻撃的だしお金遣いを見張っていないといけないし、いつまでこんなことが続くんだろう・・て感じです。
前に入院したのは2年前。躁になって家中のリフォームを始めちゃいました。怒鳴られたし、殴られたし・・・。
こんな悩み、日が浅い方々の心痛とは比べ物にならないと思いますが。
父が亡くなってから、心から悲しみだけに浸れたのは葬式の前夜だけでした。それ前後は自分の悲しみどころじゃなかった。もちろん母が一番辛いのは頭ではわかっているのですが・・・。
自分で死のうとは思わないけど、早く楽になりたい・・。父に聞きたい。「なぜ母を置いていったの?娘をそんなに信用していたの?母を支えられると思ったの?」


11199 こうめさんへ cabra 2006/05/01 18:14
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以内 / 東北

はじめまして。

もう、この掲示板にはあまり書き込まなくなっていたのですが、こうめさんの書き込みを見て、声をかけたくなりました。

お母さまのご病気、一緒にいる家族のこうめさんのご苦労がほんの少しですがわかります。私の亡くなった父も、躁鬱病でした。躁の時は毎日が嵐のようでした。ゆっくり寝る日が無いくらいに。

私は父の死をもって、それが終わった時に、自分が本当に毎日毎日、心をかき乱されていたんだなと知りました。

こうめさんは、そんな日々の真っ只中にいらっしゃるのだなと思うと、胸が痛いです。

どうか、一日のうちのほんの数分でも、こうめさんがほっとできる時間があればいいのですが。

何も出来ないくせに、勝手なことばかり書いてすみませんね。あの頃の自分に戻って、色々考えてしまいました。





11200 娘さんへ 渓 2006/05/03 23:57
女性 / 20歳台 / 複数 / 5年以内 / 日本国内

時間があいてしまいましたがメッセージありがとうございました。

少しづつ一緒に歩いていきましょうって、すごく嬉しかったです。

素直にそうしたいと思えました。

ありがとうございました。