12501 癒しの会 なおべ 2007/10/27 15:42
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
今日、札幌で唯一自死遺族の為の「癒しの会」を主催している主催者にお会いしました。(医師&教授でした)

カウンセラーとは長い付き合いの為、今更話したいことも無かったのですが、今日、お会いした方とは初対面で、どれだけ妻が真面目な人間だったか、どれだけ素晴らしい女性だったか、どれだけ愛していたか、を話してきました。

自債の念に駆られる私に、心休まる言葉を頂きました。

今日は、残念ながら「子供を自死で失った方」の会の為、出席は出来ませんでした。

その代わり、12月にある「伴侶を自死で失った方」の会への出席を認められました。

また、そこから派生して、自分の会を作ることまで許可されました。

やっと探し当てた会。

私のライフワークにしたいと思います。

PS:11月から働く事が決まりました。
   もう、自分の自死を考えている余裕はありません。
   力いっぱい頑張ります。
   北海道に御住みの方、宜しかったら力を貸して下さい。


12502 泣くこと ブースカ 2007/10/29 21:31
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
今月、一人きりの誕生日を迎えました。
しんみり淋しかった。
この世で自分は一人きりなんだとはっきり思い知らされたような。
あの世から何かサインでもくるかなと期待していたけど
何事も無く過ぎました。
そんなものなんですよね。現実って。

先日友人と飲んだ帰りに一人で電車に乗り、まるで発作のように
泣いてしまい、周りからは相当おかしな人だと思われていたのでは
ないかと思います。ずっと降りるまで涙がとまらず、家でも号泣でした。子供のようにお腹の底から唸るように泣きました。

「涙は侮れない」と書き込みにもありましたが、本当です。
翌日体調がすっきりしていたんです。
確かにずっと思いっきり泣くことができなくて、堪えていて
体の調子も最悪で気分は落ち込むばかりでした。
顔も険しくなって・・・
自分の感情を溜め込むと必ず身体に表れてくるのですね。

思い切り泣くことって大切です。
きっとみなさん日々とても我慢していて、表面では何もなかった
ように笑ったりしているはずです。
行きがかり上、人の悩み相談にまで乗ってしまっている方だって
いるはずです。
物凄く堪えているんですよね。
だって毎日「いつもどおりの私」を演じきっているんですから。

この掲示板も自分の感情の開放ができる場だと思います。
皆さんの書き込みを読んでは泣いて、そして同じ思いをわかって
くださる方がここにいることに元気づけられます。
私もまだまだ感情が不安定でまるで希望も持てない状態ですが、
どうか皆さん、自分の感情を少しでもどこかで
開放してあげてください。偉そうに言ってすみません。









12503 信じられない事 ぐるみっと 2007/10/29 23:42
女性 / 30歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 関東
はじめまして。
父が借金苦で自殺してしまいました。まさか父が、どうして?頭がおかしくなりそうで、どうしてよいかわからずここに辿り着きました。
一生懸命仕事して頑張ってて、資金繰り大変そうだったけど、まさかこんな事
になるなんて信じられない。
亡くなる2,3週間前ぐらいなんとなく元気ないな・・・と感じてたのに。
自分の不妊治療の事でいっぱい、いっぱいでお父さんを思いやる余裕がなかった。
父に孫を抱かせたい一心で頑張っていたのに、父を失ってしまいました。後悔ばかりです。お父さん、もう一度会いたい、話がしたい、抱きしめてもらいたい。この行き場のない気持ちはどうしたらいいのでしょうか?









12504 死ぬまで生きるだけ のんち 2007/10/30 17:54
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
お題は、なんてことはないのですが、最近よくうかぶ言葉です。
娘が亡くなってから何をしても別に楽しくもないし、感情が死んでしまったというのか、
死にたいとかは、思わないけど。
何とも説明のつかないもやもや感がずっと胸にあります。
 
青空さん
有難う御座いました。
これからも宜しくお願いしますね。
前回こちらにお邪魔した時に、皆さんの書き込みを読み、かなり泣いてへたってしまい。。。今回またお邪魔するまで時間がかかってしまいましたが。
ここにくれば、自分と同じような境遇の方が哀しいかな多数おいでになるので、私だけじゃないんだ!!なんて思うし。

ブースカさん 
泣くことって、本当に大事ですよね。
泣くことで心が浄化されるよ。って友人にもいわれました。
娘の写真も普段はつらくて見れないから仏壇の引き出しに裏返して
しまってあるけど、
今日は大丈夫って思える日だけ写真を見て話しかけてます。
情けないなぁ・・・強くならなきゃ!!

せやけど
一日が長く感じる。
何かしてないと落ち着かない。
最近はやっとTVを見れるようになったけど、本はまだ読めない。
とにかく寝ても覚めても娘のことが頭にうかんで
考えんようにしようと思ってもダメで。
もし今仕事をしてなかったらおかしくなってるかもなぁなんて思う。



12505 つらいょー わっこ 2007/10/30 18:52
女性 / 20歳未満 / 父 / 6ヶ月以内 / 中国
さっきケミストリーの「最後の川」という曲を聴きました。
映画「象の背中」の主題歌です。
自分とリンクしてとてもとてもつらくなりました。
いつかまたどこかで会えると思っていたけど、もうそれは不可能なんだよね。
二人で居酒屋に飲みに行ったことをふと思い出します。
すごくすごく楽しい思い出。
悩んでも悩んでもまだ光は見えません。
ずっと私が背負っていく重荷、一生おろせないだろうと思います。
大好きだった、お父さん。

夢でもいいからまた会いたいです。




12506 七星さんへ おかん 2007/10/30 23:13
女性 / 30歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
お久しぶりです。お体の具合は如何ですか?
こちらはそろそろ、朝、晩は秋らしくなりました。

七星さんの、お子様も旅立たれて、一年以内ですね。
私、最近、悲しい感情より、侘しい、虚しい感情で、胸が張り裂けそうになってきました。
これから、クリスマス、年末、年始・・・去年は、悩みがあったにせよ、普通に笑ってたのに。
年末の31日、息子もバイトで、がんばってたのに。
「何で、神様はあの子に、私たち家族に、こんなひどい仕打ちをしたの!!」と、息苦しくて・・・憤りさえ感じます。

七星さん、講演会参加され、よかったですね。
私は、仕事で毎日出かけますが、やっぱり、外の空気を吸うと、少しは、心が、休まります。
きっと、お子様が、「お母さん、一緒に出かけようよ!」と、連れ出してくれたんですよ。
私も仕事に行く前は、必ず、「さぁ、いくで」と、手を合わし、帰宅したら「お疲れさん」と手を合わす毎日です。

すごく、弱い私が仕事をやめず、毎日働いてるのも、あの子が、「おかん!いくで〜」と、応援してくれてるからなのかな。






12507 ぐるみっとさんへ あるる 2007/10/30 23:27
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
初めまして

大変でしたね。今、辛く苦しいご心境ではないかと思い、つい書き込んでしまいましたが、お立場や心境が、配偶者とお父様では違うかも知れませんのでお声掛けして良いものかと少々躊躇してしまいました。・・・ごめんなさい

こういった事は本当に突然で、心の整理が難しいです。

ぐるみっとさん自身も不妊治療をしてらっしゃると言うことで、二重三重とお辛いのではないでしょうか。(一応不妊治療経験者なもので)

お聞きになってらした「この気持ちの行き場をどうしたらいいのか?」と云う言葉はこの場にいらっしゃる皆様が、今も何年経ってもずっと抱き続けていくのでないかな?と思います。

こんな事を言えば、冷たく感じられてしまうのではないかと、申し訳ない気持ちですが、一人ひとりで乗り越えて行かなくてはならない感情だと思います。

少しずつでも乗り越えるためのきっかけになるように、この場所を管理人さんが作ってくれたのではないでしょうか

答えを出すことは出来ませんが、もし辛いことや苦しいことがあって、人に云えなかったり、解って貰えなかったりしたときは、ここに来て聞いて貰えたら少しは楽になると思います。

難しいことですが、あまりご自身を責めすぎないで下さいね?

何も参考にならない事しか書けなくてすみません。そして何故か偉そうな事を書いてしまって・・・



12508 ぐるみっとさん ブースカ 2007/10/31 00:28
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
夫が亡くなって半年経ちましたが、心の整理なんてまだまだ
できていません。
ずっと同じ事考えてぐるぐるまわっているだけです。
きっと周りの人から見たら、大分立ち直ったように見えているかも
しれませんけれど。
毎日毎日、過去の自分の言ったことや行動を悔やんだり、
今、夫はどこにいるんだろうか、苦しんでいないだろうか、
なんで自分は生きていかなくてはならないんだろうか・・・
そんなことばかり繰り返して。

でもこれが私に与えられた試練なんでしょうね。
まわりの人に助けられたことに感謝し、恩返しをしたいとは思うけれど
まだとても行動することはできません。

ただただ弱くて自分に自信を持てない私がいるだけです。
のんちさんのおっしゃったように「死ぬまで生きる」しかないので
しょう。
早くお迎えにきてくれないかなって毎日思ってしまうけれど、
きっと私たちが生きる意味って何かあるんですよね。

ただたんたんと毎日息をして、仕事して、考えて、そして泣いて
生きています。
ここに来られる皆さんのこと、電車の中で思い出して、
みんな心で泣きながらなんとか生きているんだって思って。
心が空にすっとんでしまっているときもあるけれど
不思議とどうにかこうにか生きてこれています。

ここに来れば、ただ自分の思いのたけを吐き出すことができる。
気の利いたことなんて考える必要もないし。
苦しくなったらここでぶちまければいい。
自分の心の中だけで苦しまないでください。
少しでも吐き出してください。
わかってくれる人がここにはこんなにいるんですから。





12509 初めまして あじさい 2007/10/31 00:37

6月に母が自宅で首をつりました
発見したのは父で私が駆けつけた時には床に寝かされていました
母はリウマチに加えうつ病も発症していました
父はそんな母を注意して目を離さず看病していましたが
母のために病院へ薬を取りに出掛けたほんのわずかな間に亡くなっていました
母の最期の顔がどうしても頭から離れません
もうすぐ5か月たちますがまだショックで泣く事すら出来ません
心療内科に通い安定剤と抗うつ剤を服用しています
なにをしても心ここにあらずです
どうやって心の整理をつければいいのでしょうか?


12510 はじめてなので・・・ あじさい 2007/10/31 00:48
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
プロフィールです
入力するのを忘れてました
ごめんなさい・・・


12511 あじさいさんへ みなさんへ harukaze 2007/10/31 09:34
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
あじさいさん、はじめまして。はるかぜともうします。
私は、昨年6月に20歳になったばかりの娘を亡くしました。
娘の誕生日も6月で、亡くなったのも6月です。
なので、「あじさい」というお名前に反応してしまいました。
娘がなくなったとき、あじさいの花が、きれいに咲いていました。

あじさいさんも、6月にお母様を亡くされたのですね。
まだ、4ヶ月、とてもお辛い時期だと思います。
一番辛くて、悲しい時期かもしれません。
月並みな言い方をすると、時が、辛さをやわらげてくれた気がするからです。
辛いときは無理をせず、ご自身をいたわってあげて下さいね。


のんちさんが、かきこみをしていらっしゃいましたが、死ぬまで生きるだけ、ってとても共感できます。
最近、やっと、友達と、あそびにでかけるようになって、
周りの人たちも、私が、元気になったと思っていると思うのですが、
どなたかも書いていらっしゃいましたが、何をしても楽しいとは感じられないけれど、
少なくとも、出かけたりすると、辛くはないので、時間をやり過ごしているという感じです。

そんな私ですが、先日、乳がんの市民検診を受けたら、要精密検査の知らせが来ました。
精密検査は来週の予定です。
もし、がんだったら、自分自身、死ぬのは、怖くないけれど、
あの子に会えると思うから。
今年大学生になったばかりの下の娘が、赤ちゃんを産むときまでは、
生きていたいし、夫や、いろいろあった同居している義母や、
実家に一人暮らす父が、かわいそうで、泣けてきました。
義母と、父と、娘には、精密検査のことは、話していません。
大丈夫だったよと話したいものです。
どなたかが、書き込みしていらっしゃいましたが、
不幸なことが、次々、起こって、神も仏もないものか、という心境です。

でも、一方では、大事な大事な、人を亡くした、ここにいらっしゃる皆さんには、わかっていただけると思うのですが、たとえ、病死でも、
残された人に また、辛い思いをさせたくないので、もし、検査の結果が、悪くても、早期発見だと思うので、生きるために、頑張ろうと思います。

辛い話を聞いていただいて、ありがとうございました。



12512 この掲示板さんと、harukazeさんへ かおっち 2007/10/31 11:25
女性 / 40歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
10月17日が夫の三回忌でした。
プロフィールが2年以内から3年以内、となり、私の年齢も30歳台から40歳台と変わりました。
夫の自死から5ヶ月してから通い始めたメンタルクリニックも、約1年半の通院で、10月27日に卒業できました。
クリニックの帰り路、つらかった時間のことを思い返して、よくここまで来たねー、と我ながら嬉しくなって、ちょろっと涙が出てきました。
夫も、よく頑張ったね、と褒めてくれたような気がします。

なおべさんに教えていただいて飼い始めたフェレットと二人で、穏やかに暮らしています。

夫のことで後追いしたかった私に、追い討ちをかけるような職場での嫌なこともあり、ちっともうつうつとした気持ちが晴れず、一生このままだな、と思っていました。気持ちの浮き沈みも激しく、落ちる時はどん底まで落ちていました。

そんな私でも、ここまでよじ登ってこれたのは、周りの人たちのお陰です。
ここで知り合うことが出来て、家を行き来するようになったなおさん、そして電話でお話できたなおべさん、家で私が一人で死んでるんではないかと心配して、週末一緒にご飯を食べてくれた(今も)私の姉。
私のうつうつとした、どんよりとした話を聞いてくれた友達。
なおさんに紹介していただいたメンタルクリニックの先生。

それから夫に導かれるようにして出会えたエンジェルの本。
ドリーン・バーチューのエンジェル・セラピーの本は、自死者、そしてその遺族にもとても優しくて、むさぼるように読みました。
(本の中には、自死者に厳しい本がありますものね。そういうのは大っ嫌いです)
10月初めの1週間はカリフォルニアまで行き、ドリーンから直々エンジェル・セラピーを教えてもらってきました。
ミーディアムシップの時間には、夫からのメッセージもいっぱい受け取れました。
(こういったことに興味のない方には、ごめんなさいね)
いつも夫は私の側に居るので、それを支えに、迎えが来るまではこっちの世界で生きていこう、思えるようになりました。

harukazeさん、実は私も乳がんです。というか、harukazeさんはまだ確定診断ではないですね。
私は4年前に乳がんの手術をして、放射線をかけ、その後2年間ホルモン療法の注射を月1回打ち、その後2年間まだ薬を飲むのが治療計画だったのですが、注射が24回終わったところで、夫が自死してしまったので、生きる気なくして、残り2年の治療は中断しました。

もしも乳がんと確定診断が付いたら、それで終わりではなくて、そこから始まりです。私が関わっている患者会のホームページに、診断された時からのフローチャートがあり、新たに診断された患者さんにとても好評なので、良かったら見てみてくださいね。
「VOL-Net」で検索できます。
確定診断が付くまでは、お気持ちも落ち着かないと思いますが、まずは良性であることを、私もお祈りしています。
(他の方には、自死遺族に関係ない話題で、すいませんでした)


12513 かおっちさんへ なおべ 2007/10/31 18:40
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
卒業、おめでとうございます。

私も30代で書き始め、今は40代です。

時間の経過は早いですね。

フェレット、元気そうで何よりです。
札幌の冬は寒いので、フェレットを飼うのは難しいです。

仕事が決まりました。

来月から胸を張って仕事に励みます。

それと札幌版自死遺族の会。

これも頑張ります。

かおっちさんは、無理をするタイプだから、無茶しないよう身体と心を労わってあげてください。



12514 かおっちさんへ harukaze 2007/10/31 22:00
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
いろいろ教えていただいて、ありがとうございます。
よく勉強して、検査に望みたいと思います。
以前にかかった病気のかげんで、私は、乳がんにかかるリスクが高いそうなので、今回、大丈夫だとしても、また、来年大丈夫じゃないかもしれないので、よく知っておきたいと思います。
戦うには、敵のことを良く知らなければいけませんものね。

かおっちさんも、お体を大切になさってくださいね。
乳がんは、再発の危険があるのは10年間みたほうがいいと、聞きかじりましたので。
本当に、ありがとうございます。

みなさんへ
関係ない話を持ち込みまして、申し訳ありませんでした。



12515 harukazeさんへ あじさい 2007/10/31 23:34
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
あたたかいお言葉、本当にありがとうございます。
おっしゃる通り、とても辛くてまだまだ前をむいて歩けません。
私もはるかぜさんと同じく(私は子宮でしたが)癌の疑いがあり、
10個を超える腫瘍を取る手術を受けたばかりです。
母の事で落ち込んでいた上に開腹手術なんて・・と、たとえようのない
不安でいっぱいでしたから、ほんのすこしだけ、はるかぜさんの気持ちがわかります。(ずうずうしくてすみません)
私はお陰様で、全部良性だったので2週間で退院できました。
母が悪い病気も一緒に天国に持って行ってくれたと思う事で
自分を慰めています。
はるかぜさんも良性である事を強く祈っています。
(他の皆様には関係ない話で申し訳ありません)
話は変わりますが、かおっちさんのおっしゃっていた、
エンジェル・セラピーの本は田舎の普通の本屋でも買えるのでしょうか?
先日読んだ本が、自死者に厳しい事ばかりだったので、余計に
落ち込みました。是非読んでみたいのですが・・・


12516 なおべさん、harukazeさん、あじさいさん かおっち 2007/11/01 01:12
女性 / 40歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
なおべさん

ご無沙汰しています。
暑さに弱いと言われるフェレットでも、余り寒すぎても厳しいのですね。なおべさんに相談した甘噛みも、いつの間にか収まって、すっかりいい子になりました。私の携帯のカメラはフェレットの画像で一杯な程、溺愛しています。

お仕事始まるのですね。心から応援しています。
ようやく自死遺族の会をサポートしてくれる先生に出会えてよかったですね。一人でやるのは、いろいろな段階の遺族がいらっしゃるため思いの他きついと思うので、協力者と共に無理せず、一歩一歩頑張ってくださいね。

最後のお言葉、カリフォルニアでエンジェル・リーディングをしてもらった時にも、実は同じこと言われましたよ。nurture yourselfと。
気をつけまーす。

harukazeさん

そうなんですよね。他のがんは5年ですが、乳がんは10年以上経っても再発ケースがあるんですよね。とりあえず勤務先の病院の乳腺外科の医師が主治医でもあるので、定期的に再発のチェックはしてもらっています。
お心遣いありがとうございます。

あじさいさん

ドリーン・バーチューの書いた本はどれもやさしいですが、「エンジェル・メッセージ」という本には、「自殺した人はどうなるのでしょうか?」という章があります。アマゾンでも買えます。

開腹術は痛いですよね。。。オペ後が。
私も乳がんの手術の2年前には子宮内膜症の手術をしているので分かります。乳がんの手術より痛かった〜。
両方の手術の時も、夫は毎日来てくれて、感謝で一杯です。

私の夫も同じ方法でした。私が帰宅すると、部屋が真っ暗で、「お帰り」の声もなく、でも靴は玄関にあって、胸騒ぎがして夫の部屋を見ると、夫がその状態で居ました。私が床に下ろしました。それからは悪夢そのものでした。
でも、夫はあの時の姿は思い出して欲しくないそうなので、私も幸せそうな、楽しそうな夫の顔を思い浮かべるように努力しました。
簡単なことではありませんでしたが、最近ようやく、自然と無理せずにも、夫が今、幸せでいるのを感じられるようになって、私も穏やかな気持ちになってきました。

あじさいさん、お母様はいつでもあじさいさんの側に居てくれていますよ。
あじさいさんが悲しみに打ちひしがれている時は、お母様も悲しそうな顔して、ごめんね、と言いながら、頭をなでなでしてくれている様子が目に浮かびます。
いつまで経っても、お母様はお母様。お母様にとっては、あじさいさんは大切なお嬢様ですものね。
時間はかかるとは思いますが、少しずつでも、あじさいさんの心が元の強さを取り戻していけますように。お祈りしています。


12517 皆一緒だ のんち 2007/11/01 17:29
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
ここにお邪魔するのは3回目です。
かきこみを読むたびウンウンとうなずいたり涙したり。。
私は子宮ガンの手術もしたし結局子宮は最終的に全摘してその4日後
つまり入院中に娘は亡くなってしまいました。
悪い事ってなんでこんなに重なるんだろう?!
来週は乳ガン検診にいきます。毎年受けていますが、今年は凄い怖いです。嫌な予感がします。でも初期なら助かるんだ!と思って今は息子の為にも生きないといけないし。勇気をだしてがんばろう!!
まだまだ娘が亡くなって日の浅い私には自分の書き込みが精一杯で
皆さんに色々コメント差し上げるのは無理です。
ここにきて吐き出して癒されて。。。
管理人さんいつも有難うございます。
感謝しております。
はるかぜさん良性なら良いですね。


12518 ブースカさん、あるるさんへ ぐるみっと 2007/11/01 19:17
女性 / 30歳台 / 父 / 2ヶ月以内 / 関東
あたたかいお言葉をどうもありがとうございました
家族以外には自死した事を隠している為、ここで本当の気持ちを打ち明けられる事がどれだけ救いになるか・・・本当に感謝いたします。

みなさん、同じ苦しみ、悲しみをかかえながら頑張っているのですね・・・

もう会えないとわかっていても、会いたくて会いたくて。
なんで自ら死を選んだの?ずっと問いかけてばかり・・・
もっとこうすれば、ああすればと考えても、考えても、答えはでないのに頭の中でぐるぐると同じ事ばかり考えてしまいます。

先日、四十九日で納骨をしました。本当に父の形有るものはなくなってしまいました。父の名義のモノを変更したりしていくうちに生きていた証しもなくなっていくようで虚しくて。でも、まわりは淡々と事務的に進めていくんですよね。

一日一日が長く、でも父が亡くなった日の事が鮮明に思い出され昨日のような。
少し気持ちが楽になりました。







12519 かおっちさんへ あじさい 2007/11/01 20:50
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
かおっちさんへ

辛い体験を私の為(いや、皆さんの為でしょうね)話してくださり、
心から感謝します。その上、あたたかいお言葉にショックで硬くなった心がやわらかくなった様な、なんとも表現できない安堵感に包まれました。涙で文字が見えないくらい泣いてしまいました。かおっちさんのおっしゃるとおり、楽しく、幸せそうな母の顔を思いえがく様に努力してみます。時間がかかりそうですが、かおっちさんの様になりたいという目標ができました。また、エンジェル・メッセージの本、見つけました。早速読んでみます。本当にありがとうございました。

のんちさんへ

大変辛いお気持ち、お察しします。私もまだショックからぬけだせません。一緒にがんばりましょう。いつか自然に笑える日がくると信じましょう。ここへくれば、ひとりではないのですから・・・


12520 何でだろう・・・ マナママ 2007/11/02 23:23
女性 / 30歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 関東
最近 ここも見なくなってて 少しは大丈夫かなって思えていたのに また つらさに押しつぶされそうになって パニックの発作を起こしてしまいました

彼のことは ここにくる皆さんのように 会えないことがつらいと思うほど いいことばかりではなかったから 忘れたほうがいいのかなって 思うことも現実逃避したくなることもしばしば

自分のことが とても嫌になります

子供のことを考えると 現実逃避も投げ出すこともできない それは親としてあたりまえなのに 彼のしたことを考えると やりきれない思いと 両親にさえ 本心をいえなくて 一人で考え込んで落ち込んでしまいます




12521 こんばんわ。 なつまる 2007/11/04 00:02
女性 / 30歳台 / 子 / 2年以内 / 東北
夢を・・・見ました。

某テレビ番組、○龍チームメディカルドラ○○。

毎週見てますが・・・

息子は、私が見つけた時
もう、冷たく・・硬くなって・・・

でも、夢で朝田先生は、
<まだ6時間しか経ってない!俺は諦めない!>
と言って、バチシタ手術の準備に取り掛かってました・・・

テレビの見過ぎです・・・すみません

でも・・・

本当か?夢か?現実にあったら・・・
どんなに。。。。。


12522 質問 Bird 2007/11/05 22:45
男性 / 30歳台 / 妻 / 1年以内 / 東日本
もし、皆さんの中でお分かりになられる方がいらっしゃたら教えていただければと思うのですが、”自死遺族の会”といわれるものはどんなことをしているのでしょうか。
 今、私が見ていただいている医師にも、気が向いたら行ってみてはと言われたのですが、なんだか自分にとって辛い部分を根掘り葉掘り聞かれるのかなと思ってしまい、今ひとつ踏み込めずにいます。
 もし、そういうものに出席されたことのある方で、どんなものだったかお話いただけると有難いのですが。


12523 自死遺族の会 ユミ 2007/11/05 23:34
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
私もBirdさんのご質問に便乗させて下さい。

11月に九州である自死遺族の会に、家族の中でも特に
悲しみの深い母を連れて参加してみようと思っています。
そこのHPには「他の方のお話を聞くだけでもかまわない」と
書かれていたので、母が話す事が無理そうなら参加だけでも、と。

でも、自分の中で整理が全然ついていない状態だとますます
母の悲しみも深くなり、辛くなるだろうか、とも思っています。

しかし、普段お会いすることができない、辛い悲しみを乗り越えようと
毎日頑張っている方々とお会いして、悲しみや辛さをわかちあえたら、
母の気持ちも少しは救われるのではないか、とも思っています。

ご参加された方は、お身内の方を亡くされてどのくらいで
参加されたのでしょうか。そして、参加してみてどんな雰囲気で、
どんな感想をお持ちになられたでしょうか。

お話しいただけるとありがたく思います。
宜しくお願い致します。


12524 Birdさん、ユミさんへ br.i 2007/11/06 06:45

私の地域には、「リメンバー名古屋」という自死遺族の会があります。
もともとは神戸が原点らしいのですが、5年前にやはり遺族の一人が中心となり立ち上げたと聞きました。
私は4月に息子を亡くし、この掲示板に出会った後、この会に参加しました。まだ一か月ほどしかたってなくて、とても辛くて大変だったのですが、とても有意義だったと思います。ただ、現地までの往復が苦痛なので、体調など無理のない範囲で参加されてはいかがでしょうか。
会の柱は「分かち合いの会」と言い、会を運営する遺族のファシリテーターのもとで、2−5名程度の小グループに分かれてお互いの気持ちを自由に語り合うものです。発言は強制されませんし、言いたくない場合は聞いているだけでもOKでした。また、お互いの発言を尊重し、発言に対してのコメントや批判はしないというようなルールも決められており、安心して参加できました。すべて遺族によって運営されていることが、最大の特徴で、遺族にしかわからない気持がしっかりと配慮されていました。先輩の遺族の方から、「自死遺族は、それを安心して語る場が保障されないため、言葉にして咀嚼していくことができない。だから何年たっても一人で悲しみの中に取り残されてしまう」という言葉が印象的でした。
さて、昨日リメンバーのメンバーが名古屋市と共催して「自死遺族シンポジウム」を開催しました。私も参加してきましたが、遺族自らが勇気を出して、亡くしてしまった大切な家族への気持ちや遺族の気持ちを発言されていた姿に感動しました。新聞報道などされましたので、中日新聞hpなどでご覧ください。



12525 自死遺族の会・・・ わき 2007/11/06 06:46
女性 / 30歳台 / 母 / 20年以上 / 東日本
 私は、去年の11月から自死遺族の分かち合いの会に参加させて頂いています。
 その頃、色々なことが重なり、こころの苦しみをどうしたら和らげるのか・・・?と、生きていくために、できる限りのことをしてみよう・・・と思い、参加を決めました。
 前日は眠れませんでした。

 Birdさん、はじめまして・・・
分かち合いの会は 会によって、雰囲気や進め方も様々なようです。
スタッフの方が自死遺族の方である場合と、そうでない場合でも、会の空気みたいなものも変わると思います・・・
 スタッフの方が辛いことを根堀 葉堀聞く・・・と言うことは絶対と言っていいほど ないと思いす。ただ、そのとき、ご一緒に参加されたご遺族の方で、もしかしたら、中には何か質問をされる方もいるかも知れませんが・・・。

 ユミさん、はじめまして・・・
会に参加することによって、当時のことが鮮明に蘇り、辛くなる部分も確かにあります・・・(私の場合ですが・・・)ただ、同じような経験をされた方の話を聞き、共感し、その方のこころの痛みを肌で感じることにより、「自分だけではない」とこころから思えるようにもなりました。
 大切な家族を亡くし、どれくらいの年月が経って参加をされるか・・・はとても幅広いと思います・・・。亡くされて1ヶ月程で参加される方もいらっしゃれば、5年、10年経っていらっしゃる方も・・・。ちなみに私は24年経っていました。11歳の時に母を亡くし、母が自ら命を絶ってしまった35歳になり、会へ参加しました。
 24年間、封印した経験を語り、初めて参加したときは、語り始めてすぐに涙が流れ、とまりませんでした・・・。

 分かち合いの会・・・、会の数だけカラーがあるかと思います。
その日、その時に参加されたスタッフの方々や、ご遺族の方々がどんな方々かも・・・。一度だけの参加・・・と言う方もいらっしゃると思いますが、私の場合、一年間、参加し続けてみて、これからも生き続けていくために自死遺族の方とつながっていたい・・・と思います

 


12526 皆さんへ harukaze 2007/11/06 13:20
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
自死遺族の会のお話が続いている中、失礼します。

先日、乳がんの精密検査の話を聞いていただいた、はるかぜです。
今日が、検査の日で、朝、仏壇に手を合わせ、亡くなった娘に、
そちらに行きたいけど、まだいけないから、お母さんを守ってねと、
お願いしてでかけました。
マンモグラフィに写ったものは、良性のものでした。
よかったです。
ご心配をおかけした皆さんに、取り急ぎ報告させていただきます。



12527 harukazeさんへ 沙羅 2007/11/06 16:46
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
前に一度、同じような状況でお嬢様を亡くされたということで、お声掛けいただいた沙羅と申します。
その節は暖かいお言葉を有難うございました。
そんなharukazeさんに対し、ろくにお返事もできなくて心苦しく思っておりましたところ、
乳がんの精密検査のお話をここで見させていただき、とても心配しておりました。

そして、今日のご報告、良性だということ・・・・本当によかったですね!
私も嬉しく思います。

大切な人を亡くし、人間一人の存在がとてもかけがえのないものだと知った私たちは、
残された者の気持ちというものをいやというほど知っています。
時に惰性のように生きている時もある私ですが、今はまだ逝けないと思っています。

「不幸が起きた時は、次々に不幸起きる。その不幸の連鎖を努力してでも断ち切っていかなければいけないんだよ」と夫が言います。
私も最近、カラ咳がでるので、肺がんかと疑い、病院に行くことを強硬に夫から言われ行ってきました。
浴びるようにお酒を飲んでは吐いて・・・そんな生活のせいで、逆流性食道炎になったようです。おそらく肺がんではないでしょう。

お互い頑張って生きていきましょうね。

それから・・・・
最近、迷惑をかけた鉄道会社の方から連絡が入り、どう対処すべきか心を痛めています。またそれに関連して、娘の当時のことを思い出さねばならず、また心がどっぷり沈んでしまいました。
こんなことを聞いてはご迷惑でしょうが、やはりharukazeさんのところへもきたのでしょうか・・・・?(嫌なことを思い出させてしまったり、お答えできなかったらスルーしてくださいね、ごめんなさい。。)



12528 こころのささえ のんち 2007/11/06 19:40
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
はるかぜさんへ
検査の結果良性との事。良かったですね。
私は木曜日が検査です。ドキドキ。。。

あじさいさんへ
有難うございます。
ココに来れば皆さんがいるから少し気が落ち着きます。
変な言い方やけど、辛いのは皆一緒なんだ。って。
前向きな書き込みを読むと自分も頑張らないと。って。
勇気が少しはでる感じかな。


私は10月に初めて”分かち合いの会”に参加しました。
この会は、遺族が2〜3人のグループになって、会のお世話の方が一人加わり、ただ話したい人が話したい事を何でも自由に話す。
話したくない人は黙って聞いているだけでした。
もちろん嫌なら帰っても良いし。
約束させられた事は、他人にアドバイスや意見を絶対に言わない事でした。
心に溜まっているものを吐き出す。
それが目的なのかな?
私もそうだけど、遺族会ぐらいしか本音はだせないから。
とにかく話しながら泣きながらあっと言う間の二時間でした。
そのあと一人の遺族の方に私から声をかけて少しの時間でしたが
お茶をしました。
もちろん名前も住所もきいていません。
ただなんとなくせっかく知り合えたのだからもう少し話していたくて。
変な言い方ですが、同じ仲間というか痛みをわかりあえる人とつながっていると思うと、考え方が落ち着いてきます。
時々凄い孤独感や胸のモヤモヤする変な感じがおそってくるのです。
死ぬまでこの悲しみを持ち続けるのかと思うとほんとにたまらなく嫌で腹がたってきます。なんで私がこんなめにあうんだろうとか、毎日色んな事を考えてしまう。
今月も分かち合いの会には参加するつもりです。
ですが、
毎度毎度同じ事を繰り返し話すだけ。という事に少しギモンというか
これでいいのかな?というとまどいもあります。
でも、人との繋がりが欲しいし、それが私にとって今一番必要なのだ。とも思うからやっぱり毎回参加するだろうな。
娘が亡くなった後
本当に親しい友人だけには事実を話し、本当に色々と助けてもらいました。友人は毎日仕事帰りに家に来て私の様子を気にかけてくれました。
人は支えられて生きているんだなぁて初めて知りました。
今もこの掲示板にささえられていますがw




12530 Birdさんへ なおべ 2007/11/07 21:30
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
お久しぶりです。

自死遺族の会ですが、参加された方が良いかと思います。

以前、同じ様に伴侶を亡くされた方と、電話で話しただけでも、心に温もりを感じました。

そして、自死遺族の会には、皆、心に傷を持った方が集まります。

訊かれたくない事、触れられたくない事は、皆判っています。

不思議と、自分から話し出してしまいました。

札幌の「自死遺族の会(癒しの会)」は小分類で3パターンに別れており、「親を亡くした方」の会、「子供を亡くされた方」の会、そして私達の様に、「伴侶を亡くされた方」の会となっております。

会が終わった後、切なさは残ります。

それでも、ほんの少しだけ前を向こうと思えました。


12531 harukazeさんへ あじさい 2007/11/07 22:22
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
まずは、検査結果が良性だった事、本当に良かったですね!
私の時も同じ様に母に祈った事、思い出しました。

私の実家の近所も母の事を知っている人と、知らない人がいるので、
「この人はどっちだろう・・・」と気を使い、挨拶ひとつとっても
昔の様には明るく出来ません。おばちゃん達が井戸端会議をしているのを見ると母の事をウワサしている様でいたたまれません。
私は実家の近くに住んでいるのですが父の様子を見に行くのもおっくうです。また、本当は実家に行く事自体もあの日の事がよみがえり、つらいんです。くわえて、一人になった父をみるのもつらい・・・。

逃げてもいいんです、きっと。まずは自分が元気にならないと、天国にいる愛する人が心配します。自分をいたわってあげるのが先だと思います。なにも墓参りだけが供養ではない気がします。心の中でしっかり思ってあげたら、それはきっと届いています。
えらそうな事ばかり言ってすみません。いま通っているカウンセラーの先生がそんな様な事言っていたので自分にも言い聞かせながら書き込みました。



12533 自死遺族の会について ユミ 2007/11/08 02:28
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
皆さん、丁寧なお返事をいただきましてありがとうございました。
ひとつひとつ、ゆっくり拝見させていただきました。

>br.iさん

息子さんを亡くされて日も浅くていらしたのに、お辛かったですね。
ドアを開けるのに勇気もいったことだろうとお察し致します。

HPを拝見したところ、「発言に対してのコメントや批判はしない」旨、HPの中にもきちんと書かれていました。
色々な立場や考え方や環境の方がいらっしゃるでしょうから、
大事なことですよね。配慮していただけるなんてありがたいです。
安心して語る場がないので何年経っても悲しみの中に取り残されて
しまう、というのはきっとそのとおりなんだな、と実感しています。
自死遺族の会が発足されたことは本当にありがたいことです。

>わきさん

幼い頃にお母様を亡くされて、辛い思いをされてきたんですね。
わきさんがおっしゃられるように、参加者の皆さんのお話を
お聞きすると、まるで我が事のように辛くなるだろうな・・・と、
今から覚悟はしています。
皆さん、きっと同じ気持ちでお席に座られるんでしょうね。
でも、わきさんや皆さんのご意見をお聞きして、やはり一度
参加してみようと心を決めました。
共感し、咀嚼し、涙を流してもいいから、少しでも前に進む為に。

>のんちさん

話したくない人は黙って聞いているだけでもいい、というのは
ありがたいですね。私が行こうと思っているリメンバー福岡さんの
HPにも、そう書いてありました。
話そうと思っても、思いがうまく話せないかもしれません。
でもおっしゃるように、遺族会くらいにしか本音を出せないので、
話せるようであれば是非自分なりに話してみたいと思います。
顔をあわせることのないこの掲示板の皆さんにこれだけ癒され、
救われているのですから、現実にお会いする遺族の方と
言葉を交わすことは、きっと私の気持ちの支えになることと思います。
人は支えられてるんだなあ、って私もそう思う今日この頃です。

>なおべさん

Birdさん宛でしたが、自死遺族の件で書いていらしたので・・・

札幌の方では3パターンに分けられているんですね。
同じ境遇の方、同じ痛みを抱えた方とお話することが
できるのはありがたいことですね。
私が母と行く会も、そうであるとよいのですが。
「切ないけど、ほんの少しだけ前を向こうと思えた」、
そのなおべさんのお言葉のように、私達も思えるといいなと思います。


皆様、ご親切に色々教えていただいてありがとうございました。
とてもわかりやすく、参考になりました。
今月末、母と一度参加してみようと思います。感謝です。


12535 あじさいさんへ harukaze 2007/11/08 09:15
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
いたわりの言葉をかけていただいて、ありがとうございます。
お母様を亡くされて、半年、まだまだ、お辛い時期ですね。
私も、4年前に、母を病死で亡くしたのですが、そのときの、その喪失感は、大変大きいものでした。
その翌年、同居していた、義父が亡くなり、そして、昨年、娘まで逝ってしまいました。
義父が亡くなったとき、義母を支え、娘が亡くなったとき、義母に支えられ、1年半が過ぎ、私は少し元気を取り戻してきました。
そしたら、最近、義母が元気がないので、心配しています。

あじさいさんも、ご自分をいたわり、少し余裕ができたら、お父様を
いたわってあげてください。
今は、まだ、そんな気分にならないと思いますが、ご実家に行くのが辛いなら、別の場所に、お父様とでかけたりすると、気分が変わって、
いいような気がします。


12536 沙羅さんへ harukaze 2007/11/08 09:45
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
沙羅さんは、娘さんを亡くされて半年たっていらっしゃらないので、
振り返ると、そのころが一番辛かったように思います。
私の場合、娘が亡くなって、半年後、下の娘の、大学受験があり、
一人暮らしのおばの痴呆症がひどくなり、施設探しに翻弄され、
今春には、実家に一人暮らしの父の胃がんが見つかり、入院、手術と
かけまわっていました。
おかげさまで、父は、元気になり、お正月開けに、初めて一緒に旅行に
行くことになっています。
忙しくすごしているうちに、時間が過ぎ、娘の1周忌を迎えました。


そして、最近は、ごく近所に住む親しい友人と、出かけたり、
今までしたことなかった、初飲み会がしたり、初旅行にでかけられるほど、私も元気を取り戻しています。
時間が、薬だと、本当に思います。

うちも、娘が残した犬がいるのですが、朝晩、散歩に連れて行ってます。
あんまり人気のないときにこっそりと。
でも、犬のおかげで、散歩して、自分の健康のためと思えるようになりました。


でも、どんなに、出かけても、何しても、今までのように、楽しく感じられることはないんです。
今までの自分に、戻れることはないと思います。
娘を亡くした喪失感は、消えることがないですから。

それでもいいじゃないですか。
ひっそり、こっそりでも、何とか生きていきましょうよ。



12538 harukazeさんへ 沙羅 2007/11/08 12:54
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
harukazeさんの書き込みを読んで、少し元気をいただいたような気がします。

harukazeさんは一番辛いと思われる時に、とても忙しくされてたのですね・・・・?
こんな言い方をしてはなんですが、それはそれでよかったのかもしれませんね・・・・

あの子がいなくなる前の私は、
出好きで、遊び好きで、趣味もたくさんあって、毎日のように外に出かけていました。
今はまったく反対・・・・
別人のようになってしまいました。
外に出るのがおっくうで、出ても家にすぐ帰りたくなる。
何をする気も起きない。
それでも、そんな私を心配して、時々友人が外に連れ出してくれます。
元気で明るい友人たちに、ほんの少し元気をもらって帰ってきます。
今の私は、周りの人に支えられて生きているんですね。

本当に時間薬が効いてくれたらいいなって思います。
ゆっくり、少しずつ、生きて行きます。
またお話させてくださいね、harukazeさん。


12539 ありがとう^^ まま 2007/11/08 21:30
女性 / 40歳台 / 子 / 5年以内 / 九州
夢にでてきてくれたね、
楽しそうに仲間と笑ってた横顔、かわいい、いとおしい。




12540 沙羅さんへ あじさい 2007/11/08 21:38
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
「覚悟の死ではなく、発作的な死なのでは」「感情のコントロールが出来ず・・」との言葉に反応したので、思わず書き込みました。
私の母も、全くその通りです。うつ病でした。遺書もなく、身辺整理もせず、家の中もちらかったままでした。もっと優しい言葉をかけてあげたら、事態は違ったのかもと、後悔の毎日です。そして沙羅さんの様に、こんなに辛い日がいつまで続くのだろうと思う気持ちも同じです。
そのストレスから体調をくずし、心療内科にも通っています。
でも、ここを知って、はるかぜさんや、かおっちさんのあたたかいお言葉や、アドバイス、皆さんの苦しくも懸命に生きておられる姿を見せていただいて、私はひとりではないんだと、わずかながら勇気が出てきました。みなさん一様に、時間が解決してくれる、時間が薬だ、とおっしゃるので、それを信じてみようと思います。前向きになるのは本当に難しいですけどね・・・一緒に生きていきましょう。

はるかぜさんへ

父の様子を見るのは、なにも実家でなくてもいいんですよね。
もう少ししたら、父を誘ってごはんにでも行こうかな・・・
ありがとうございました。







12541 追伸・・・ あじさい 2007/11/08 21:43
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
はるかぜさんのお義母様、早くお元気になられる事、祈ってます。


12542 沙羅さんへ あじさいさんへ harukaze 2007/11/08 22:14
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿

沙羅さん、こちらこそ今後もよろしくお願いします。
私も鉄道会社関係の話のところは、削除させていただきたいと思います。


あじさいさん、義母へのお気遣いありがとうございます。



12543 あじさいさんへ、harukazeさんへ 沙羅 2007/11/08 23:37
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
あじさいさん、お声掛けくださり有難うございます。
私と同じ頃、お母様を亡くしたのですね・・・・・

亡くした対象も、住む地も違うけれど、同じ思いなのですね。
あじさいさんは母を、私は子を・・・・
きっと、あじさいさんはお母さまと共に、
私は子と共に、年をとりたいと思っていたことでしょうね。
残念ながらその思いは叶いませんでしたが・・・・・

私も今、周囲の強い勧めもあって、心療内科に通っています。
本当は行きたくなかったのですけれど・・・・・
先生は「カウンセリングはどう?」とか、「あなたは娘さんの話はほとんどしないわね」とおっしゃいます。
確かに私は娘がなぜ死んだのかとか、今娘に対してどう思っているのだとかは話しません。
カウンセリングを受けるつもりもありません。
ただ自分の体調を話し、お薬を処方してもらうだけです。
なぜかといえば、強い医療不信が私の心の中にあるからなのです。

本音に近いことを話せるのは今はここだけです。

それから・・・
私は人前では泣きません。
泣かないように努力しています。
まだ死別から3・4ヶ月の頃、夕食の席で娘への思いが極まり、夫の前で泣き出してしまったことがありました。
そんな私を見て、夫は食事ができなくなってしまったことがありました。
それ以来、人前で泣くのはやめようと思いました。
私が泣けば、皆が困ってしまう・・・・
そう考えたから。

でも、ここに来るとたがが外れた様に泣いてしまう私がいます。
ここは私にとって「悲しみの場」であると共に、「癒しの場」でもあるようです。
良いとか悪いとかの問題ではなく、私の行き場のない感情を解放する場なのではないかと思っています。
私もあじさいさんと同じように、皆様の思いを聞かせていただいて、私一人ではないんだと、ほっとしたり、元気をいただいたりしています。

また色々なことをお聞かせくださいね。あじさいさん。

harukazeさん。
実は私もそうお願いしようかと迷っていました。
他の方へのコメントがありましたので、どうしようかと・・・・
ご迷惑をお掛けしては申し訳ないので、そのようにしてください。
でもとても参考になりましたこと、感謝しております。

この様な場は、匿名性はあるとはいえ、自死遺族以外の方も見ているはずですし、削除は当然すべきだと思いました。
軽率にこの場でお聞きしましたことをお詫びいたします。

またその時々のお気持ちなどお聞かせくださいね。
後を歩く者として、とても参考になり励みになります。
こちらこそ、よろしくお願いします。


12544 沙羅さんへ ユミ 2007/11/09 07:48
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
おはようございます。
こちらこそお返事が遅くなりまして、申し訳ありません。

私の書き込みですが、今削除しておきました。
harukazeさんも沙羅さんも削除して下さるそうで、
お気を使わせてしまってすみません。

沙羅さんがおっしゃるように、遺族以外の方もご覧になる可能性を
考慮して、請求の末の顛末(されたかされないか、またその額)は、
書かない方がいいかな、と思いまして削除することにしてみました。
沙羅さんがここでご質問された時の不安なお気持ちや、
harukazeさんが参考として答えてさしあげたお気持ちは
私も当事者としてとてもわかりますので、
削除の件はどうぞお気になさらないで下さいね。

沙羅さん、今日遅い時間になるかもしれませんが
直接メールさせていただきますね。
よろしくお願いします。


12545 ユミさんへ 沙羅 2007/11/09 10:08
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
ユミさん、色々とありがとうございます。
メールはお時間のある時でかまいませんので。
あまりご無理なさらないように・・・・


12546 私も・・・ あじさい 2007/11/09 23:13
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
沙羅さんと同じ様に医療不信があります。
もう10年以上心療内科に通った方が自死してしまったからです。
今お世話になっている病院の先生は、ただ話しを聞いてくれるだけ。
それでも通わないよりいいか、くらいのつもりで、薬をもらうために
行っています。毎回同じ話をして何になるんだろうと思いながら・・・

母は私にとって親であることはもちろん、親友の様な存在でした。
母の死からまだ5ヶ月。「自」という文字にさえおびえてしまいます。
ここへ来て皆さんと出会えて、前向きな気持ちになったり、でもまた沈んだ気持ちになったりの繰り返しです。いまだショックからぬけだせず、あんまり泣いた事がありません。泣く余裕すらまだない感じです。泣く事が出来たら少しは気持ちが吐き出せるのに。泣きたい気持ちを我慢しなければならない沙羅さん、泣きたいけど泣けない私、どちらも辛いですね・・・



12547 あじさいさん こびと 2007/11/10 15:08
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
私も母とは親友のように何でも言えるお互いに一番必要としている仲でした。
鬱病の結果、死んでしまったために医療不信になりました。
そして私も母の死が原因で鬱病になり、心療内科に長くかよいました。
かよいながら、医師のただ薬を出すだけという対症療法に疑問を抱きつつも、眠れないために薬を飲み続けましたが、不定愁訴がいくつも現れてきっと薬のせいだと思ってました。
あんな医者と薬から早く逃れたい思いが決定的となった頃、ようやく薬から脱却する事が出来ました。
それと同時に様ざまな不定愁訴はいつの間にか、消えてゆきました。

急にやめるとリバウンドが怖いということも聞いていたので、加減しながら少なくしていきました。

母の死の直後は涙が出なくて苦しかったです。
しばらくしてから涙が枯れるほど泣きました。その気持ちよかったこと。
涙ってくすりだなぁと思いました。
大声で泣き叫びました。
もちろん人の前では泣きません。車の中とか一人でいるときに思い切りなくのです。
こんなことがなければ、涙の効用など知る事もなかったのに。
無理に泣けるものでもありません。
でも泣きたい時がきたら、涙が出てしかたなかったら、思い切り泣いてください。


12548 涙は薬 のんち 2007/11/10 18:04
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
こびとさんが書いていらっしゃるけど、泣けば少しはすっきりします。
私も普段は泣かないように気をしっかりたもっていますが。
毎朝晩に仏壇にむかいお経を唱える度
仏壇の引き出しにしまってある娘の一番最近の写真を見ようかな
今日は見ないでおこうかな?なんて
見れば号泣間違いなしですから。

私も娘が亡くなった後2ヶ月ぐらい軽い安定剤をのんでいました。
一ヶ月ぐらいは薬のせいで眠くて眠くて一日中寝てばかりの生活。
そのおかげで余計な事を考えずにすみましたが。
寝ている間は辛さから逃げられるし。
2ヶ月たって仕事に復帰するぐらいから、薬に依存するのが怖くなり
自分の意思でやめました。
だってよく考えれば家族の中で薬に頼っているのは私一人。
主人も、まだ中2の息子も私と同じように辛いのに耐えている。
これじゃいけない。私が強くなって頑張って生きないと!!
必死でそう思うようにして薬をやめました。
今のところ大丈夫です。
辛い時は、私は大丈夫。強く生きるんだ。いくら泣いたって叫んだって
あの子は帰ってこないんだから。現実を受け入れるしかないねん!!
って、大声で言って自分を納得させています。
とか書き込みながら、泣きそうになってますが。

先日も書き込みましたが、私の胸のモヤモヤ感は娘を亡くした喪失感なのかもしれませんね。
どなたかが喪失感は消えない。と書き込んでいらっしゃったので。
娘は、うつではありませんでしたが、本当に前日まで何の予兆もなかったですし、突発的にそうなったとしか思えません。
もちろん遺書もないですし。
時間帯も夕暮れ時だったものですから、私は勝手に
”おうまがとき”なんて、何か悪いものにとりつかれて、あの子はあっちの世界につれていかれたんだ。なんて考えたり。
後日お友達に色々尋ねてやっとそれらしき原因はみつかりましたが
そんな事で死を選ぶの?ぐらい信じられない事が原因みたいで。
とにかく娘の自殺の原因も私は納得できないのです。
ならばやはり少しうつもあったのかな?
原因が知りたい。なんで一言相談してくれんかったんやろか。
またくやんでもくやみきれんようになってきた。
すくえんかった自分が情けない
ごめんね
明日は2回目の分かち合いの会に参加してきます。
泣いて泣いて一ヶ月我慢しただけたっぷり泣いて
また頑張ろう!!


12549 沙羅さんへ ユミ 2007/11/11 00:44
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
お返事遅くなりましてすみません。
先ほどメール送信させていただきましたので、
宜しくご確認下さいね。


12550 独り言 バラック 2007/11/11 07:32
男性 / 20歳台 / 父 / 1ヶ月以内 / 近畿
こういうHPがあることは知ってました。でも来る気にはなれなかった。 父を思い出してしまうから、なんでしょうね。

たわいの無い独り言です。

父が自殺してまだ一ヶ月も経ってません。元々結婚して家を出ていましたし自殺する一ヶ月前からもうやばいな、と感づいていたからかな・・・理解して受け止めてしまっている自分がいます。既に前を見ている息子を・・・父はどう思うんでしょうね?

人が生きるって難しいですよね。自分が生きて色々と背負わないといけないのに、生きることで周りを支えているんですから。ただ生きているだけでどれだけ周りに安心を与えているのか。分からなかったんだろうなぁ・・・。

色々と残して一人満足して死んでいくんじゃねぇよ。

いきなり失うのではなく、死を選んだ前日に尊敬していると、ここまで育ててもらえて感謝しているとはっきりと伝えることができた私は幸せなんでしょうね。・・・できればちゃんと面を向かって、酒でも交わしながら伝えたかったけどなぁ。

まあ、借りは返せなかったからね。その分残していったあなたの愛した人の面倒は見ていくよ。こっちに生活があるんだから東京に戻さないで欲しかったけどね。・・・放っておくわけにもいかないしな。

おれも死ぬ時はあなたが父親と同じ死に方を選択したように、同じように自ら死を選ぶだろうしね。死を選んだのは理解できるから、後悔はしてないよ。ただ、尊厳死、を選べる社会だったら良かったのにねぇ、、、。

相続、引越し、新しい仕事探し、妻の仕事、友人との別れ・・・やることが山積みで死んでいった人間のことなんてほとんど考えてやらないけど、おれに残すものがなくなったらのんびりとあなたのことを考えることにするよ。いつになるのか知らないけどさ。


ありがとうございました・・・ほんまにありがと、な。



12551 後悔が。。 シー 2007/11/11 20:39
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
弟を亡くし丸7年経ちました、が、後悔している気持が薄れた事なんてありません、それが良い事だとも思っていません。。

気づかなかった。。いやそれとも気づいていても助けられなかったのか
気づこうとしていなかったのか。。。

ぐるぐる、想いは廻ります  助けられなかったのは現実として心に残ったままです

なんで、なんでばかり。。


そんな中教え子が。。事故に。。
(自Oではないので離れてしまうかもしれませんが)

まだまだ高校生18です一年生の時からかわいい奴でしたちょっとやんちゃで。。

何も知らない人は勝手な事を言ってくれます。。

知らない人だし何を言ってもかまわないけど

文句も言いながらでも練習は結局ちゃんとやる子で

そのときだって後部座席に乗っていただけなのに。。

でも。。。


だから、そういうこともあるんだからしっかり毎日を過ごせとうるさく言ってれば良かった。。

やっぱり、助ける事の出来ない僕は。。

なにもかわってない。。


12552 こびとさんへ あじさい 2007/11/12 22:43
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
こびとさんもお母様をなくされたとの事。
しばらくは泣けなかったとの事。変ないい方ですが参考になりました。
私の少し先を行く先輩ですね・・・のんちさんもおっしゃっていましたが、泣けば少しはすっきりする様なので、私にも思い切り泣ける日が来る、そして少しはすっきりする日が来ると、素直に信じられます。
それまでは、月命日、1周忌、お盆など、しっかり供養してあげようと思います。”喪失感や後悔する気持ちは消えない”とどなたも書いておられるのでおそらく私もそうだろうと思いますが、それをも呑み込んでもうこの世にはいない母を愛していけたらな、と思います。
当面の目標は安定剤と抗うつ剤からの卒業です。
でも焦りません。まだ母が亡くなって5ヶ月なんだから・・・
母に優しく出来なかった分、まわりの人達、そして自分自身に優しくしようと思います。母に喜んでもらえる人間になる様に少しずつ歩いていきます。
またお話聞かせてくださいね。


12553 仮面 グリーン 2007/11/13 01:45
女性 / 40歳台 / 子 / 10年以内 / 日本国内
ここへの書き込みはずいぶん久しぶりになります。

5年を過ぎて振り返れば、いろんなことが本当にありました。

現在、40台後半になりますが、最愛の息子が突然逝ってしまってから人生の底を見てきたように思えます。

こちらにはずいぶんとお世話になりました。

多くの方に本当に助けて頂いて、今、生きているのだと思います。

だけど、息子はまだあの日の前日のまま、です。

時々、夢に現れて諭しているようですが、ただ、私には彼の伝えたいことを理解できずにいます。

結婚をして、無理解に近い主人につきあって、子ども達が生きがいでした。

娘が弟の死を未だ受け入れられずに苦しんでいます。

そんな娘にさえも配慮できません。

主人は一切、息子に対して侘びの一つも無いです。

私が以前と全く変わってしまったので主人も知らん振りは出来ず、家のことも少しはやっています。

しかし、この先主人と思いを分かち合うのは出来ないことはこの5年で分かりました。

唯一、仕事が見つかり、その時間は以前の自分に近いです。

みなさんが前を向いていらっしゃるのにこんなことを書き込んですみません。

5年、まだあの子の最期の「おやすみ」が耳に残り、昨日のようです。




12554 グリーンさん アンパンマン 2007/11/13 20:39
女性 / 40歳台 / 子 / 10年以内 / 関東
アンパンマンです。
私のこと覚えていらっしゃいますか?
最近ではここに投稿することは、皆無に近くなってしまいましたが、『グリーンさん』という懐かしいお名前を拝見しましたので、声をかけずにいられなくなりました。

私も、あの子の肉体とお別れしてから6年半も経ってしまいました。
43歳だった私の年齢も、今月中に大台に乗ってしまいます。ついに…

>時々、夢に現れて諭しているようですが、
>ただ、私には彼の伝えたいことを理解できずにいます。

私もあの子の声に耳をすまして、あの子に毎日のように問いかけています。
「ねえ、これでいいのかな?ママは間違っていないのかな?」
って。
でもいつも心の中は雑音ばかりですので、なかなかメッセージは届きません。
自分の心を研ぎ澄まさなければ、彼の囁きは聞こえないようです。

>5年、まだあの子の最期の「おやすみ」が耳に残り、昨日のようです。
私も、あの子と別れてから6年半経ったことが信じられないくらい、「昨日」のような感覚があり、それは世間の時間とかなりずれていますが、それはそれで嬉しいです。
だって、あの子が遙か遠くに離れてしまった…って思いたくないから。
私達には「2つの時計」があっていいんだと思います。


あの子に、
会いたいですね。。。
寂しいですね。。。
虚しくなってしまいますね。。。

でも、それでも、あの子からのメッセージを受けとることはできると信じて生きています。


12555 ありがとうございます。 Bird 2007/11/15 23:02
男性 / 30歳台 / 妻 / 1年以内 / 東日本
自死遺族の会の件、皆さんから色々とお話いただけて有難い限りです。

ただ、先週3回忌の施主を終えたばかりでちょっと疲れたのと、妻との日々を思い出したり、相変わらず自分という存在が憎くて気持ちのやり場がなかったり。。。
今は何も考えられずにいます。

もう少し落ち着いてから、自死遺族の会への参加は考えてみようと思います。

色々と皆さんからお話いただけたのにちゃんとお礼も出来なくてすみません。


12556 お久しぶりです マナママ 2007/11/17 21:53
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 関東
夫は亡くなって 3ヶ月がたち やっと 夫のものの整理を始めました

残しておきたいものはあまりなく 義父にも 捨てていいといわれているので 思い切って捨てることにしました

母は 自分で整理するのはやめなさいとい言いますが  自分のこだわりで いいことばかりではなかった夫との生活に 区切りをつけるためにも 自分でやると 言い張ってしまいました


娘は 母に 「ママ パパの位牌の前で 独り言ばっかり言ってるよ」といったことを 聞かされて はっとしました

来週は 夫の友達が マンションに来ます

それまでには 夫の部屋はともかく 生活ができるスペースだけは整えておきたいと思います

ただ 夫の死が自死であることは 伏せてあるので いい部分の思い出話に 精神的に付き合えるのか 不安を覚えます


12557 初めてです レインボー 2007/11/17 23:45
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 日本国内
昨年、弟を失いました。真夜中に、実家から電話があり、車を飛ばしてかけつけると、変わり果てた弟の姿がありました。

何が何だかわからずあまりの突然のことに、ただ、呆然とするばかりでした、その後、遺書もみつかり原因もわかりましたが、一言でも相談してくれたら解決できた問題だっただけに、悔しくて仕方ありません。ただ、年老いた親の代わりに、自分がしっかりしないと・・・精一杯でした。周囲にも亡くなったことは伏せています。

妻とは長い間子供ができず、やっと妊娠して安定期になった矢先でした。その後子供が生まれ、「出会いと分かれ、生と死」が一度に降りかかってきました。両親は、責任を感じてのショック状態で、弟の後を追いをしないか心配でした。

一方で、妻とはケンカがたえず、妻や妻の実家も遺族の感情を理解してもらえなく人事のようで、妻の実家に泊まって子供の面倒を見るように催促をいれて、両親と妻の実家にはさまれて、もう、精神的にボロボロでした。

弟の顔色がおかしいなと思っていましたが、あまり気にもとめませんでした、どんなに苦しかったか、助けてやれなかった。あの時、一言でも声をかけていればと思うと、悔しくてなりません。優しくて、思いやりがあって大事な弟でした。

自分を責めて、両親とケンカになって、こんな思いをさせた弟を恨んだり、どうしていいか、頭がおかしくなりそうです。でも、自分は子供を一人前に育てないといけない、両親より先に逝けない。そう思いながら、ここの掲示板を見ながら皆様から元気を頂いて毎日、精神状態を保っています。「みんな、過去と戦いながら一生懸命なんだ、俺は絶対、子供のために自死は選ばない、どんな思いを家族にさせるのかわかるから」。




12558 もう何年も経つのに・・・ aki 2007/11/18 14:55
男性 / 40歳台 / 母 / 10年以内 / 関東
母が、倒れたと会社に突然電話があった。急いで病院に駆けつけると既に冷たくなっていた。警察の鑑識がきて首吊り自殺と確定してすぐに出て行った。
うつ病と更年期が重なったんだろう。辛かったんだろう。

葬儀の時、母は、花に埋まるようにまるで眠っている様だった。
火葬場で最後のお別れをし火葬された。家族だけが呼ばれ遺体の確認という事で火葬された母を見た時に私の中で何かが弾けた。

そこには、やっと足かなと思える程の状態でほとんど何にもなかった。その後
一年その会社で頑張ったが毎日のように電車に飛び込みそうになり精神科に自ら診察に行った。もう多分9年目だと思うけれど多量の薬と病状の変化には、あまり変わりない。私もうつ病になったしまった。今は、父と弟とは音信不通。家族バラバラ。

この悲しみはいつか癒される事が有るのだろうか?


12559 みなさん同じですね・・・ ぐるみっと 2007/11/19 13:40
女性 / 30歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 関東
私は最近父を亡くしました。
みなさん、大切な家族を亡くし、それぞれの思いや苦しみがあると思いますが、突然の出来事に後悔の思いは同じですね。
何年経とうと消える事も、解決もできないのですね。

もっと父を大切にすればよかったな、
もっと話しをすればよかったな、
もっと、こうすれば、ああしてれば死ぬ事なかったのに・・・

考えても、考えても、父には二度と会えません。

今まで自死遺族という言葉さえ知らなかった自分が、ある日、突然
その自死遺族になってしまいました。

でもこの掲示板をみつけ、どれだけ救われたか・・・
みなさん、苦しみ悲しみながらも頑張っているのだと励まされます。

レインボーさん
私は長い事、不妊治療をしていて結局父に孫を見せる事が
できませんでした。悔やんでも悔やみきれません。
レインボーさんはお子さんに恵まれたのは弟さんの生まれ変わりかも
しれませんね。
私も父が生まれ変わって、私たち家族のもとに戻ってきてくれるような
気がします、そう信じたいです。
そして父は新しい人生をやり直すのではないかと。

家族を亡くした事により、残された家族が責め合ったり、
仲が悪くなったりする事は悲しすぎます。
私も精神的に追い詰められ、家族を責めたりしてしまいましたが・・・
もしまた突然、家族が死んでしまったら?と思うと怖くなりました。
死んでしまったら、ケンカしたくてもできません。
もう二度と後悔しないように、家族を大切にしていかなくては・・・
と思うのです。

父の死から学んだ事はたくさんあります。
父の死を無駄にしない為にもどんなに苦しくても、辛くても
一日、一日精一杯生きなくてはいけないと。

まだまだ引きこもり状態の私が、えらそうにごめんなさい。



12560 後悔 こびと 2007/11/19 20:40
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
どんな最期を遂げても、こうしてあげればよかったという後悔はあると思いますが、時の経過と共にそれも薄れていくでしょう。しかし、自死の場合はいつまでも自責の念がつきまといます。
生き抜いた人へは感謝の気持に変わりますが、自死だといつまでも「ありがとう」とは言えません。
ずっとなんとも複雑な想いが巡ります。
私も母の死後、うつ病になったので母の心情はわかりますが、それでもやはりあんな死に方をした母に対して悔しくてなりません。
母が死んでわかったことと言えば、あまりプラスにならないことばかりですから。
去年の今頃よりは私も随分落ち着いてきましたが、どこかさめています。悲観はしていないけれども活き活きと希望に向かってなどという気持にはなれません。
生きていることだけがやっとだったのだから今はここまで頑張った自分を認めてあげて無理せず努力もせず、できるだけリラックスできればいいなぁと思ってます。


12561 もうすぐ なか 2007/11/19 22:19
女性 / 30歳台 / 兄 / 3年以内 / 日本国外
久しぶりに書き込みします。
よく拝見していましたが、何だか書き込む事ができませんでした。
この掲示板を見ると慰められる、でも現実から逃げている自分もいる。

もうすぐ、亡くなった兄がうつ病を発症したときと同じ年齢になります。
発症して1年で逝ってしまった兄。自分が兄の発症時と同じ年齢になった時、彼の気持ちが少しでも理解できるようになるのかなぁと思います。

もう兄が逝ってから2年以上経ちます。でもやっぱり後悔ばかり。私があの時こうしていれば、電話していれば、早く家のドアを開けていれば・・・。心から「悔やむ」ってこういうことなんだなって。

会いたいです。帰ってきてほしいです。

こんなことばっかり行ってたら成仏できないかなぁ・・・?



12562 はじめまして 青空 2007/11/20 01:07
男性 / 30歳台 / 婚約者 / 1ヶ月以内 / 関東
今日、偶然ここをにたどりつきまいた。
自死で大切な家族を亡くされた人がこんなにもいるなんて辛いですね。

今日で彼女がいなくなって一ヵ月が経ちました。
皆さんの書き込みを読ませてもらって月命日という言葉を初めて知りました。

8年付き合った彼女は今年の五月の終わりにうつ病と診断され何度も一緒に病院に通いましたが先月近くのマンションから飛び降りてしまいました。『落ち着かないから散歩に行ってくる』と言って『いってらっしゃい』『いってきま〜す』が最後の会話になりました。夕焼けがとても綺麗な日でした。

お通夜、お葬式などバタバタしていてあったいう間に一か月がたってしました。まだ正直現実を受けいられない自分がいますが、少しでも元気が出るようになりたいと思います。

でも彼女に会いたいな〜
もう一度ギュッと抱きしめたいな〜
もっと一緒に二人で生きていたかったな〜

と思うと涙が止まりません。
彼女は僕にとって太陽のような大切な大切な人でした。
『ごめんね、守ってあげられなくて』




12563 ぐるみっとさん レインボー 2007/11/20 23:43
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 日本国内
私への言葉、有難うございます。
私と同じ考えなのに、少し驚きました。

おっしゃる通り、家族をせめてまた失うようなことがあれば・・、とても怖いですよね。私も家族を責めるのは、本音は抑えるようにはしています、家族もまた、同じ考えではないかと思いますが。

子供が弟の生まれ変わりではないかと、考える時もあります。数年前に祖母が亡くなった時も、甥っ子が生まれました。何だか、不思議ですよね。

不妊治療は大変ですよね、仕事をかかえながら病院にいく妻を見てました、頭がさがる思いでした。やっと、妊娠したかと思えば、子宮外妊娠で・・、私はもう、諦めていましたが妻は、最後まで諦めませんでした。

ぐるみっとさんも、負けずに頑張ってくださいね、いつか、願いがかなう日がやってきますよ。四〇代でも産むかたもいますし。もし、生まれたらお父様の生まれ変わりだと思って、大事に育ててくださいね。私も、弟からいろいろ、大事なことを学び、考えさせられました。



12564 はじめまして。 ピン子 2007/11/26 20:42
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 九州
同じような境遇の人がこんなにいるなんて正直びっくりしています。皆さん本当に辛い経験をしている人ばかりで自分だけじゃないと思うと心強く感じました。


私も中学生の時、父を自死で亡くしました。またその前にも叔父を二人自死で亡くしていました。

父が自殺したという事実を知ったのは大学生になってからでした。それまで私は父は病気で死んでしまったと母から聞かされていました。私がまだ小さかったので真実を話すことができなかったそうです。

父は仕事のことで悩み、亡くなる1ヶ月ほど前から鬱病になり家に引きこもっていました。私は丁度その時、父に対して反抗期で何か話しかけられてもシカトして全く話をした記憶がありません。

父が亡くなった日も、部活が終わり家に帰った時、「おかえり。」と言われました。でも私はただいまも言わず父を無視したのを覚えています。まさかそれが父との最後の会話(?)になるなんて…思ってもみませんでした。

私は父が亡くなってからずっと自分を責め続けました。後悔の毎日…なんでもっといっぱい話をしたり、元気づけてあげたりできなかったんだろうと…私のせいで父は病気になり死んでしまったんじゃないか…と。

でも母に、父が自分で命を絶ったという真実を聞いたとき、母が私にこういってくれました。「自分を責めないでね。お父さんが選んだ道。誰のせいでもない。」と。母もそういう考えになるまでとても時間がかかったと言っていました。

その言葉を聞いて少し気持ちが落ち着きました。

私が父の死を受け入れて今思うことは、父の分まで自分が元気に生きていくということ。残された私達家族が元気に笑って生きていれば父も喜んでくれていると信じています。こうなるまではすごく時間がかかりましたが、今私の家族はみんなとても明るく元気に生きています。それが私にとっても本当に幸せなことです。




























12565 色々不安があります なしこ 2007/11/27 12:00
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
本当に、私が自死遺族になるとは思いもしていなかった。
気をつけて生きてきたのに・・・・・・。

うちのお父さんは私が幼い頃から躁鬱の気分障害だった。それを知ったのはお父さんがいなくなってからだ。

ちょうど、大学時代に、父や家族に、今まであまりにも無理して「いい子」をやり続けてきたから・・・(学校でいじめられても絶対に言う事はなく、「学校楽しい」と虚勢ばっかり張っていたから)、頑張って無理してでも本音で話そうとしていました。

私自身、小学校時代にある女の子に、自分の自信のなさを漬け込まれ、耳に虫を入れられるようないたずらされたり、毎日はたかれ、馬鹿にされる役をしていて・・・その時以来過呼吸になったり、歯を何時間も磨いたり、夜5.6以上もトイレに行くなど、今思えば、ちょっと病名つけられそうな状態だったように思う。
でもいえなかった。一人で治した。治ったのかは分からないけど。
どうしてもうちの「問題ない順調家族」から降りれなかった。
 中学校に入っても、精神が内向きになっているのは、とまらずに、いじめではないけれども、やっぱり「からかい」は結構ひどい、私の弱さを握られる、ストレスの刷毛口にされる、そんな中で、自傷するようになってしまいました。いじめられる前に、自分で自分いじめをする。リストカットのように目に見える形ではなくて、頭の中でするのです。とにかく、自分をこの世のものとは思えないくらいきたなくて惨めで、人につば吐きかけられても当然な存在なような人間になるのです。
 親にばれない、誰にもばれない・・・自傷。そして、目に見えない、でもこれから絶対にはじまるであろう、いじめ、子供の暴力性から身を守ってきたつもりでした。でも、今度はどんなに安全な場所にいっても、その自傷的な思考、自分が気分悪くなることを自分に仕向けることが、やめられなくなってしまいました。
 いつも、二重構造のようにして、生きてきた。半分は自分いじめ、半分は家族や先生、周囲ように「大丈夫な子供役」。
 演出、ふり人生でした。
 どうしてこうなってしまったのか、分からない、でも現実と自分の間に膜があって、どうしても誰とも一緒にいられない。
 こんな自分をやめたくて、親に今までのいじめから何から自傷から全部書いて、渡しました。
 今になって分かります。
 うちの両親を、どこかで「信用できないかも」って思ったことがあった。
 うちの父が人が変わったかのようになった時期。
 いつも寂しそうな父の背中。
 怒りと憎しみと憎悪の目で母をいたぶる。あげつらう。からかい、のエスカレート。皆で旅行に行ったペンションで他の人の前で母を怒鳴る父。
 そして何もなかったかのように、済ます母。
 ずっと父がおかしかったとき、母を守っていました。
 でも、母はそんなこと忘れている。
 いじめられて、小学校5年あたりだったけども、母を父の怒りから守り、父は私には「OO(私)分かってくれるよな、お前だけは」という視線。
 頼りたいのに、誰にも寄りかかれない。いつも「大丈夫なように振舞い続ける私」。
 本当は同級生が怖くて自傷もとめられなかった。
 理解したかった。
 大学時代に、父にどんなに本音を伝えても、彼は「過去は変えられません、変えられるのは未来だけです」としか言ってくれなかった。
 24歳で、大学のある一人暮らしの家に戻るとき、父の暗い顔を見た。結婚間際な姉の準備のために、母は一人で拍手とかして大騒ぎだった、姉はただいつものように疲れて、ふてくされている。父はその騒ぎに、合わせるように笑っていた。でも私のいじめの時とおんなじ。心は何万光年も離れているようだった。愛知県でいじめを苦に自死された中学生の子の遺書を読んだ時の印象を思い出してしまった。心が既に家族に冷め切っていた私は父に「どんどん苦しめ、やられちゃえ〜、いじめられろ!!」っておもって、にやにや笑っていた。でも、ふと、そんな自分に嫌気がさして、「だめだ〜。父がやっぱり何か苦しいんだ」って、父を心配気に私は見たと思う。そしたら、父は思いっきり私に顔を背けたんだ。その途端「もう知らない!!!!」自信なくて生きてきて、こうまで本音をそむかれ、無視され、笑われる・・・。「あっそ、じゃあね」というように私は帰った。一人になれる場所に。それから一週間後に姉から「帰ってきて」の電話を受けて、帰ったら、既に葬儀屋のトラックがうちの目の前にとまっていた。すべて分かった。お父さんだって分かった。母が警察の質問やらなにやらすべて終わって、倒れこんでいた。私はとめなかった。母にだって「絶対に父のおかしいこともう言わない!」って思った。あの時の、私の意地。でもすべてがぎこぎこぎこぎこしていて。生きている側じゃなくて、なくなっている側で世界を見れるようになった。生きている人向けにできているこの社会。父は、私せせら笑っていたわ。お父さんの最後までの意地。死んでも自分が「精神的な疾患」があることは、認めたくない。思われたくもない。
 そして、前の企業で出世できなかったからって、今度の会社で張り切っていたけども、その工事もうまくいかなくなって。お父さん、本当に、仕事で上にいきたかったんだ。おじいちゃんの教えだもんね。いい学校、いい企業、えらくなれって。今度の会社に入った頃は、母によると、躁状態なんだって。でも分かるよ、お父さん頑張り屋だよな。ねえ、うちの父は人を助けることは好きだけど、彼のプライドかけてでも人に見下されたり、助けられるのは論外な人なんだ。
 一人暮らしの家から戻ると、毎日朝3時くらいには必ず起きていたのは、躁の状態の証拠だったんだ。
 父の夢。
 前の会社では30年働いて、その間に鬱にもなって、周りから理解されない時代だったから、「また倒れて、子供っぽいぞ」とか「弱い」とか言われていたんだって。
 父は見返したかったんだ。工事で一回父の若い頃に、材料悪くて、それを上司に言って、跳ね返されて、そのまま父の責任で工事続行し、その後、事故があり、一人人が亡くなったんだ。父はきっと悔しかっただろう。
 父を理解できなかった。
 高校時代なんか「もう死んでやる」ってベランダから飛び降りようとする私に父は冷徹な声で「何だよ、早くやれよ!!死にたいなら死ねよ!!!」って言った。悲しくてね。父には鉄の壁があって。世間話しだけなら楽しかったけどもね。
 分かったよ、お父さんのこと。お父さんの意地のはりよう。自死って皆一人ひとり違うし。自死っていう枠に嵌めないで欲しい。父のプライドの高さは本当、あまりにも高くてついていけない。でも分かる。


12566 辛かったわねぇ。 涙そうそう 2007/11/29 19:52

なしこさんこんばんわ。
あなたの書き込みを読みながらウン、ウンとうなずいていました。

なしこさん、小さい頃から辛かったわねぇ。あんな辛いことを誰にも助けを求めずに頑張れるなんて、本当に立派だとおもいます。その分、辛さは私の想像できないほどのものだったのでしょうね。でも、あなたは立派に乗り越えてこられましたね。本当に偉いと思います。

お父さんご病気だったのですね。そのような病気の人は、周りの人に適切な対応が出来なくなるのですよね。それが病気なのですね。
お母さんもきっとお父さんの病気との闘いが精一杯で、あなたの苦しさに気が付かなかったのかも知れませんね。気が付いていてもお父さんの事で手いっぱいで、どうしたらいいのか分からなかったのかも知れません。あなたは、そんな中で、助けを求める事も出来ずに辛かったですね。

私も、精神の病気の娘を抱えて同じように悩みました。家族もパニック状態になり、バラバラにまとまりの無い状態にもなりました。
それだけでも大変な状態ですのに、更になしこさんのような学校でのいじめ問題が加わってしまったならきっと私も、もう手が回らなくってどちらか一方の対応に空白が生じると思います。

お父さんを亡くされてまだ2年以内ですから、悲しみや辛さ、怒り、無念などのお気持ちの整理がつきませんよね。私も、ここに集っている方々も同じように苦しんでいます。

でも、辛い思い出を少しづつ、少しづつ変えて行って、前向きに明るく生きられる思い出に変えてゆきましょうね。そうしなければ辛いだけ、後悔だけ、恨みだけの人生になってしまうと思うのです。

残された者は、辛くても残った人生を歩み続けなければなりません。
辛い思い出は、無理にでも生きる為に前向きになれるようなものに変えていく事が大切と思います。

なしこさん、ココにいる人たちは、あなたと同じ想いの人たちばかりです。励まし合って、助け合って、この悲しみを乗り越えましょうね。

なしこさんは、ココにいる人の中では一番に頑張りやさんだと思います。お父さんのご病気に加えて、学校での辛い出来事を、誰にも助けを求めずに、自力で乗り越えられたのですから。

もう、お父さんも許してあげられますよね?ご病気だったのですから。お母さんも、お姉さんも、きっとお父さんの事でパニック状態だったのでは?学校の方々は、もう、問題外の人々ですから、笑って忘れ去ってしまいましょう。そんな卑劣な方々の思い出にいつまでも縛られていては損ですからね。

ここにいる、人々は皆、なしこさんの味方、応援団ですよ!
頑張って幸せになりましょうね。



12567 打ち忘れました。 涙そうそう 2007/11/29 20:24
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 関東
プロフィールを打ち忘れてしまいました。


12568 遺族会に参加してみました ユミ 2007/11/30 23:06
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
こんばんは。先日遺族会について色々お尋ねしたユミです。
お答えいただいた皆様、その節はご丁寧にありがとうございました。

25日の日に、九州で行なわれた遺族会に参加してみました。
帰省していたので母も一緒に、と思っていたのですが、
「参加する勇気が出ない」と母が言うので一人での参加でした。

子供さんを亡くされた方、連れ合いを亡くされた方、
兄弟姉妹を亡くされた方、と分かち合いのグループがつくられた
のですが、初めてでしたので上手く話せそうもないし、
皆さんのお話をお聞きするのみにとどめておこう・・・と
思っていたのに、話し出すと次々と思いと涙が溢れてきて、
あっという間の3時間でした。
皆さん1日1日を乗り越えていく為に頑張っているんだ、同じ思い
なんだ、と、切ないけれど少しだけ前向きになれた時間でした。
参加してみてよかったです。

年々自死を選ぶ方が多くなっている、一人亡くなれば一人の遺族が
増えるわけではなく、家族の人数分遺族の方も増えているのです、
という、代表の方のお言葉が胸に残りました。
やりきれない気持ちでいっぱいです。


12569 下の追記です ユミ 2007/11/30 23:49
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
兄を亡くしてからまだ間がないですが、最近思うことは、
自死というのはまだまだ偏見や縁起の悪いもの、という
世間一般の偏見が多いなあ・・・ということです。
遺族会に参加されていた方も、偏見の目で見られたくなくて
事故にしている、という方がかなり多かったです(我が家もです)。

『兄を癌で亡くしたのよ』と言うのと同じように、
『自死で亡くしたの』と言える世の中になったらいいのにな、
そうしたら全国の遺族の方の生き辛さも少しは軽くなるのにな・・・
と思う今日この頃です。



12570 偏見・・・ あじさい 2007/12/01 07:38
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
実は、私も自死に対する偏見に苦しんでいます。
<世間から>のではなく<私自身>が偏見を持っているからです。
母が亡くなってからです。しかも母に対してだけです。
私の友人のお母さんも自死しているのに、そちらには何の偏見もなく平常心で接する事が出来るのに、母の事となると気持ちの持ちようが違うのです。

母はまだこの世をさまよっていて、私達家族を恨んでいるのではないだろうか、私も重い鬱病になって母と同じ事をするのではないだろうか、恐ろしい・・・と思うのです。

天寿をまっとうした人とは違うから、何か不幸な事が起こるのではないか、と考えてしまうのです。

友人のお母さんに対しては決してそんな事は思わないのに。
なぜ自分に置き換えると違うのだろう。
そんな風に考えると一番悲しむのは母なのに。

自分で自分を苦しめてしまうのです。
どうしても母の最期の姿が頭から離れず苦しいのです。
本を読んだり、お参りに行ったり、祈祷をしたり
いろいろやってみては気を紛らわして、でもまた落込んで、
その繰り返しです。





12571 なしこさんへ としつき 2007/12/01 11:35

はじめまして。としつきと申します。
だれでも掲示板の方へ、私なりの思いを書かせていただきましたので
読んでいただければ・・と思います。




12572 冷たい視線 ぐるみっと 2007/12/01 17:33
女性 / 30歳台 / 父 / 3ヶ月以内 / 関東
今日、実家に帰る途中、近所の人が私を見てヒソヒソ話をしていました。

父を発見した時、急いで救急車を呼びました。
まだ息があったので病院に運ばれましたが助かりませんでした。
その時、一緒にパトカーも来ていました。それを見た隣の人が・・・
パトカーが来てるなんておかしい、こんな突然死ぬなんて自殺では?
などなど・・・
いろいろと言う人がいるのですね。
急性心不全という事にしてありますが、人の噂はあっという間に尾ひれ背びれ
がつき広まるもんですね。
それを話す事でなんのメリットがあるのでしょう?人の家の不幸がそんなに
楽しい事なのでしょうか?
「自殺だから何だっていうの?私たちのせいだと言いたいの?そんな事
言われなくても、わかってるし、だからすごく苦しんでるんだよ!!」
・・・なんて言えないですよね。

私は別の所に住んでるけど、実家にいる残された家族はさらに辛い思いを
しています。
自殺に対する偏見ってなくならないものですかね。

レインボーさん
あたたかいお言葉ありがとうございました。
不妊治療は精神的にも肉体的にも本当に辛いのに、あきらめずに頑張った
奥様を心から尊敬します。
まだまだ苦しみの中にいますが、ほんの少しづつでも前向きに頑張ろうと思います。生まれ変わりを信じて…。


12573 初めて書き込みします しずしず 2007/12/02 01:18
女性 / 20歳台 / 母 / 2ヶ月以内 / 近畿
みなさんの書き込みをずっと見させて頂いていました。
同じ経験をした方々のお気持ちを読んでいつも共感し、励まされました。もうだめだ…と思う日もこの掲示板を読むとまたがんばろうと
思えました。この掲示板に出会えて本当に良かったと思っています。
みなさまに感謝しております。

みなさんにお尋ねしたいことがありまして…
近所の人から家のお払いをしてほしいと言われました。
私は身内なので怖いとか気持ち悪いとか無いのですが、やはり近所の
人たちからすると、そういう気持ちになってしまうんですね…
初めはそんな事を言う近所の人に対して腹がたったり、傷ついたりしましたが、これからも住んでいくのでお払いをする事で近所の人が安心するならしたほうが良いのかなと思うようになりました。母は恨みなどを
もっていたわけでは無く、私に迷惑をかけたくないばかりで自ら死を選んでしまいました。愛しい愛しい母を助けてあげれなかった自分が憎くてなりませんが、これからはどんな辛いことがあっても…苦しくても…
生き抜いていくことが私に課せられた使命だと思います。そして、いつか母に逢えるその日まで…母のした事をどう言われようとも私だけは母を否定せず、認めていこうと思っています。

母が亡くなってしばらくは(今も波はきますが…)、何もする気が起こらず泣いて、後悔して、自分や周りをうらむ毎日でしたが、ようやく1歩進めたような気がしています。
みなさまのご意見、是非お聞かせいただけたらなと思います。
宜しくお願いいたします。




12574 偏見 ユミ 2007/12/02 04:00
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
>あじさいさん


>私達家族を恨んでいるのではないだろうか、私も重い鬱病になって母と同じ事をするのではないだろうか、恐ろしい・・・と思うのです。

私も、同じように考えてしまいます。
自分の中の偏見と戦うのも、辛い作業です。

兄は、辛かった自分に気付いてもらえず今でもとても寂しい思いを
しているんじゃないだろうか。いつかまた家族を同じように
失ったりしないだろうか。私がいつか何か壁にぶつかった時、それを
乗り越えられずに同じ方法を選んでしまったりしないだろうか。
良いことではなく、悪いことがまた続いてしまいそうで少し不安です。

身内を自死で亡くす、という体験をしてから、自分がいつか寿命を
終える時、自死で終わる可能性なんて今まで考えもしなかったけれど、
決してゼロではないのかもしれないな・・・と思うようになり、
なんだかやりきれない気持ちになります。

そんなふうに考えたら、きっと兄は悲しむだろうな、と
心の底からわかってはいるんですけれどね。
お兄ちゃんごめんね、と手を合わせている今日この頃です。


>ぐるみっとさん

人の口に戸は立てられない、と言いますけど、無神経で勝手な
詮索や噂は本当にやめてもらいたいですね・・あれは言葉の暴力です。

自死だからどうだというんでしょう。
亡くなった人は、もう言い訳も弁解も出来ないのだから、
そっとしておいてほしい。そう思います。
『乗り越えられなかったんだよ、弱かったんだよ』とか、
そういう決め付けはあなたたちがすることじゃないです。
『なんで止められなかったの?一緒に住んでて気付かなかったの?』
とか、外側から見ただけで簡単に気軽に言わないで下さい。

・・・・と、私も言いたかったです。本当に。悔しいし悲しい。

>私は別の所に住んでるけど、実家にいる残された家族は
>さらに辛い思いをしています。

私も実家とは別の所に住んでいますが、実家に住んでいる家族は
思い出もいっぱいだし、それ以外にも色々自分より辛いだろうな、
と想像してしまってそれがまた辛いです。

自死に対する偏見が少しずつでも無くなる世の中になるといいですね。

自死は弱い人がするもの、とか、縁起が悪いとか、その人の話には
触れずにおこう、とか、そういった見方を変えてもらいたいです。
いちばん大事な人の思い出や死を堂々と語ることができないのは、
遺された者にとって、とても辛い悲しみですから。そう思います。


12576 しずしずさんへ ユミ 2007/12/02 04:47
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
こんばんは。
しずしずさんの文章から、きっと最後まで娘さんを思いやった、
優しいお母様だったんだろうな・・・とお察し致しました。
日も浅くていらっしゃるのに、色々とお辛かったですね。

私がしずしずさんの立場だったらどうだろうか・・・と、
考えてみましたが、最終的にはやはりかなり不本意ながら、
簡単な、形だけの御祓いを行なう結果になってしまうかもしれません。

持ち家で、今後もずっと住んでいかなければならない、という
状況ですから、なるべく波風を立てないご近所関係を・・と
考えるのは普通のことだと思います。
自死への偏見が多い中、ご近所中のそういった偏見の目を
突っぱねるだけの勇気と覚悟は、私にはまだありそうもないです。
大事な家族を失ってただでさえ悲しいのに、ご近所ストレスまで
抱えてしまったら、今はとても耐えられそうにありません。

私だけ、家族だけが亡くなった者の本当の色々を理解して、
心の中でしっかり認めてあげていたらいいや、お祓いをすることで
ご近所の方が安心するというのならかたちだけ、と。
私の気持ちが弱いのかもしれませんが。

ただ、そういったことを直接遺族の方に言ってくる方の人格を
疑ってしまいますね。言われた方がどんな気持ちになるか、
全く考えずに言葉にしているんだと思いますが・・・あんまりです。

ちなみにうちの主人は、『怒りを堪えて静かに丁寧にきっぱりと
お断りする』『亡くなった家族の死は、忌むべきものでも穢れたもの
でもないと私達は思っているからです。申し訳ありません』と、
自分ならばその場で断ると言っていました。

もしもそれで交友関係がなくなるのなら仕方がない、
亡くなった人の尊厳を守ってあげられるのは家族だけだから、と
いう考え方だそうです。本当は私も、きっぱりそう言ってみたいです。

あまり参考にならなくてごめんなさい。
長く住むお家ですから、しずしずさんやご家族が納得できる、
最良の方法が得られるとよいですね。
どうかご近所の心ない方に、
これ以上傷つけられることがありませんように。


12577 ユミさんへ しずしず 2007/12/02 16:55
女性 / 20歳台 / 母 / 2ヶ月以内 / 近畿
丁寧なお返事を頂いて本当にありがとうございます。
私もユミさんと一緒の気持ちです。ご主人様のご意見も本当にその通りで、「亡くなった家族の死は、忌むべきものでも穢れたものでもない」ですしその様に言いたい気持ちもあります。私も弱いですね…本当はお祓いなんてしたくありません。その近所の人には昔から私も母も傷つけられてばかりでした。でも…強く言えません。

でもやっぱり亡くなった母の尊厳を守ってあげたい。
ユミさんの言うとおりかたちだけのお祓いで良いかなと思いました。
近所の人とは割り切って付き合って行こうと思います。
もっと時間がたって、もっと私が強くなって…母の事を否定する人に
堂々と意見が言えるようになりたいです。少しでも自死に対する偏見を無くせるような世の中にしていきたいものですね。

ユミさんのいろいろなお気持ちを読ませて頂くと、まるで自分の気持ちをそのまま読んでいるようです。今まで身近になかった自死が現実となった時から、いつまたこのようなことが起きるのか…自分自身も同じ事をしてしまうのではないか…など不安ですよね。母がさみしがってないかな…とかそんな事ばかり考えてしまいます。
本当になんとか毎日生きる事で精一杯ですよね。
ユミさんにも私にもみなさんにも心穏やかに過ごせる日が来ることを願っています。本当にありがとうございました。



12578 同じ気持ち あじさい 2007/12/02 21:33
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
ユミさんへ

お兄様を亡くされてまだ間がないのですね。苦しいですね。
‘兄’を‘母’に置き換えると私と全く同じ気持ちです。
ひとつひとつの言葉に共感しました。辛くて仕方ない時、同じ気持ちで戦う人がいると思いなんとか乗り越えていこうと改めて思いました。
ありがとうございました。

しずしずさんへ

お母様のこと、本当に大切に愛しておられるのですね。
天国におられるお母様にもきっと伝わっているとおもいます。
私もしずしずさんを見習い母を愛していきたいです。
まだ現実が受け入れられず時間がかかりそうですが・・・
お祓いの件ですが、私もかたちだけで良いと思います。
ご近所さんもそれで気がすむのであれば割り切ってやれば良いのでは。
お母様をお祓いするのではなく、しずしずさんの悲しい思いや
自分を憎む思い(自分を憎んではいけません)をお祓いしてもらい、明日から元気に生きていくと考えたら良いと思います。
えらそうな事言ってごめんなさい。


12579 返信読ませていただきました。 なしこ 2007/12/02 21:54
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
としつきさん、涙そうそうさん。
返信をありがとうございました。

としつきさん、そうですね。機能不全家族であったことは確かだと思います。ただ、それでも父は私の欲しいものは、何でもというくらい買ってくれたり、「懐中電灯が欲しい」といえば、必ず用意してくれたり、優しかった。普通の話しをするときは、話しやすかったし、仲もまあまあ良かったのです。
子供の時分では、とても仲良しでした。
 ただ、父のプライドを触ることや、見たまんまのこと(母をなじっていたり、あげつらっていたりすること)を言うと、ものすごい強い怒りで、きました。難しいですね。私が赤ちゃんの頃から、双極性気分障害だったと母は言っていたから。その怒りこそ、躁状態の時だったのかもしれない。薬の副作用も少しあったと聞きましたし。父の人が変わったかのように怒って、母をあげつらっているというのは、時期があるんですね。いつもじゃなくて、そういう時期というのが。
 
 父は、根は本当に本当にまじめな、頑張りやで、頑張りやで、祖父の「いい学校、いい企業」の期待に応え、企業内での出世にいつもしのぎを削っていました。

 思えば、学校でのいじめはひどかったけども、母方の実家は、みんなほんとに気のいい人ばっかりだし、学校でも私に優しくしてくれた子もいました。
 学校で、私を狙っていた子は、その子自身が、お母さんがうつ病だったりして、かなりの怒りをためているような子でもありました。
 涙そうそうさん、ここにいる中で一番に頑張りやさんだなんて、言ってくださってありがとう・・・。
 そう、確かに、ものすごい頑張るというよりは、小学校中学校のあの頃は、どうやって生きてきたのか分からないくらい、教室の、あの「いついじめてやろうか」という弱いものを探す同級生の視線が、本当に恐怖で、意識を飛ばして、しまった小学校5,6年もありました。中学校もかな。
 あの頃はそうするしかなかったんですね。家庭内でのおかしさは、「問題ないように振舞う」皆の中でも、感じていたし、あの頃は、今でも、つらいです。
 感じなければ、いじめっ子が喜んでくれるし、いじめられてしまおうかと思っていた。他者の刷毛口になって、私は感情をなくして、どこまでも受け止められると自分に思っていました。他者のストレス刷毛口の大容量の受け口だと子供の私は、自分を思っていた。だって、いじめる子供は皆ほんとに嬉しそうに笑っているし、家では父が寂しそうだし、母も、姉は常にいらついているから、きっと「生きているだけで幸せを感じる私は、ずるいんだ」って思ったんです。
 頑張りやだったんだろうな。涙そうそうさん、人を許すって難しいです。いじめたような奴らを忘れたくても、まだ私は許せない。強くなった今では人をいじめたくなる思いも沢山あります。でもあいつらと一緒になりたくないから、信頼する人に素直な思いを言うようにしています。
 としつきさん。私が気がついていないところで、心は深く傷ついているのかもしれません。そうなんでしょうね。でも、一応「普通」にやっていますけども。でもきっとそうだと思う。恨みも人を壊してやりたい思いも、破壊衝動も、少しずつ癒しているけども、やっぱりどこかでくすぶっています。きっと、ものすごいあるのかもしれない。
 今でも、体にされた暴力が痛みます。いじめたやつは、いじめたともおもっていないらしく、忘れていることが、くやしい。でも、そんな思いも徐々に薄れているようですが。
 父がいなくなって、色んなことが分かって、父の思いも少し理解できるようになりました。
 返信ありがとうございました。また、何度も読み返してみます。
 今は、ゆっくりゆっくりゆっくりゆ〜っくり(時代に逆行して)行きたいと思います。
 


12580 読み直して・・・ なしこ 2007/12/02 22:23
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
 としつきさん、またまた書き込みしますね。

 そうですね。確かに、私は父がいるときから、相当心を壊されてきたように思います。
 
 学校で同級生に「こいつ絶対に嫌って言わないから、何やってもいいぜ〜」とか「奴隷にしちゃわない?」とか言われてましたもの。
 
 でも、私は、脆くて、ガラスのような自我を持っているような父を母を壊せなかったように、自分の(子供ならばあるはずの)ストレートな強い勢いのある思いを、誰かにぶつけることは、絶対にできなかった。
 家庭と同じようなフィルターでしか世界を見れなかったから。
 子供もまた、壊れる、弱い自我の持ち主として、見ていました。

 そういう弱さを子供は見抜くのが本当に、できます。本能なんだと思う。弱くて、何もいえない、いじめられてもにやにやしているような、卑屈な子を、嗅覚で分かるみたいですね。
 
 人のストレスの刷毛口でした。
 ただただ、惨めな毎日でした。
 子供は本当に恐怖です。
 学校がかな・・・・

 「おとなしい」「あいつなら何やってもOK」「でもさ〜結局Oさん(私)のせいってことでいいじゃん!」(って話しをまとめられる)
 こういうのが、私だけにくる、こういう毎日だった。
 他の子には絶対に言わないけども、私だから、「罰としてたたくぞ!」とか言われたり・・・。子供ってほんと単純だけど、本当に残酷ですね。集団の力もまた人を壊す力があります。
 今でも自分を責める思いや、自分の中に入れてしまったいじめっ子がいます。自傷したくもものすごくなります。特に、マイナスな感情を感じたときにね。疲れたり、悲しくなったり、後、怒り。自分に許してこなかった思いたちだから・・・・。
 今でも自分は「いじめられるようなきたないきたないほかの子とは違う、人間なんだ」っていう思いや、いじめっ子を肯定してやりたい思い(いじめっ子が不幸にならないように、壊れないように)、いじめっ子の方が世間の大多数派なんだろうっていう思いも、せめぎあうけども、すごくすごくあります。
 
 今の私、頑張りすぎてきたけども、それなりに計算高くもあって、生きてきたような気がする。
 父のこともさておき、今は癒す時間、って思っています。


12581 あじさいさんへ しずしず 2007/12/03 00:08
女性 / 20歳台 / 母 / 2ヶ月以内 / 近畿
あたたかいお返事ありがとうございます。
全然えらそうなんかじゃありませんよ。あじさいさんの気持ちが伝わってきて、お祓いの事もそういう風に考えたら気持ちも少し楽になれました。本当に現実を受け入れる事がつらい毎日ですよね。すごくわかります。朝、起きたら母がいて「あ〜夢やったんや」ってならないかなとか…タイムマシーンであの時に戻れたらとか…ありえない事ばかり夢見てしまいます。やはりまだまだ時間は必要ですね。
あじさいさんも愛するお母様を亡くされて…辛い気持ちとも戦ってしっかりと生きていらっしゃるんですね。その事を思うだけで私も頑張れそうです。また生きていく力をいただきました。本当にありがとうございます。無理のないように…ゆっくりと…1歩1歩進んでいきましょうね。


12582 あじさいさんへ しずしず 2007/12/03 00:39
女性 / 20歳台 / 母 / 2ヶ月以内 / 近畿
母の最期の姿が頭から離れない…私も同じです。
ちゃんと成仏できたのか…ちゃんと天国へ旅立ってくれたのか…
心配でなりません。でも最近こう考えることにしたんです。
亡くなり方は確かに天寿をまっとうしたとは言えないのかもですが、
人はみんなこの世でやらなければならない事があるから生きている。
それをすべてやり遂げた人は天国へ行くことができる。この世は修行の場であり、あじさいさんのお母様も私の母もみなさんの愛すべきご家族も、長い短い人生関係なく与えられた使命を果たしたからこそ天国へ行けたのだと…。だから残された者にはまだやるべき事が残っていて、それを果たすまでは生き抜かなければならない。
正直言うと確かに毎日くじけそうになりますが…あじさいさん、自分で自分を苦しめないで下さい。お母様は絶対恨んでなんかいません。
私たちは自死を経験して辛い思いをして何かを学ぶことがきっと使命なんだと思います。その為にこういう形で大切な家族を失ってしまったのだと…。なんだか前向きなのか後ろ向きなのか自分でもよく分からないんですが、あじさいさんの心が少しでも軽くなればいいなと思います。


12583 癒しの会 なおべ 2007/12/03 01:15
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
先日、札幌で唯一の「自死遺族癒しの会」に出席しました。

伴侶を亡くした方との会話で、結局、自分と同じなんだと痛感しました。

今も自分を許せない方、後追い自殺を2度敢行した方、子供を励みに生きてきた方。

70歳の方に言われました。

本当に苦しくなるのは、これからだと。

子供も居なく、虚しい気分で米を研ぎ、妻の遺影に話し掛ける。

私と同じ方が居ました。

鬱病との闘いは、未だ続きます。

何か一つ、胸を張って誇れる事をして、妻に元へ逝きたいと思います。

それまでは闘いです。


12584 なぜ 匿名 2007/12/04 21:16
男性 / 妻 / 2年以内
なおべさん。。

{子供も居なく、虚しい気分で米を研ぎ、妻の遺影に話し掛ける。}
この部分。。気持ちよくわかります。
苦しくなるのは,これからですか。。
苦しくても,苦しくなると分かっていても生き続けなければいけないんでしょうね。
正直。。頭の中をなぜ。なぜ。何のためと言う言葉がよぎります。
何年走り続けらたれるか。。
何年走り続けなければいけないのか。。
混沌としています。。





12585 北海道です サル 2007/12/05 03:53
男性 / 40歳台 / 妻 / 1年以内 / 北海道
なおべさん

しばらく来ていませんでした。
仕事を再開されたのですね。

妻を失った直後になおべさんの言葉を読んで
何のために働くのか…
そんな虚しさを自分も感じるときが
くるのだろうなと思っていました。

仕事柄、自分は恵まれているのだと思います。
仕事を通して接している人たちや 
これまで出会ってきた人たちを
唯一の支えとしてここまで来ることができました。

でも、仕事というよりは
生きること、日々の生活をただ繰り返すこと…
それ自体に虚無感を感じることが多くなってきました。

なんのために…
答えなど見つからないと分かっていても
探してしまう自分がいます。

自分にも子どもはいません。
一人です。

ライフワーク…すばらしいですね。
なおべさん。きっとあなたならできます。
この掲示板を通して
すでにたくさんの人たちが
あなたの言葉で命をつないでいます。

私もその一人です。

あなたを必要としている人がいます。

仕事 大変でしょうが
くれぐれもご自愛を。




 





12586 ありがとう なおべ 2007/12/05 20:00
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
癒しの会は、まだ小規模で、平均年齢も60代です。

40歳の私は、完璧に若輩者です。

匿名さん

>苦しくても,苦しくなると分かっていても生き続けなければいけないんでしょうね。
>正直。。頭の中をなぜ。なぜ。何のためと言う言葉がよぎります。

全くですね。「何故」と「もし」は禁句なのかもしれません。

サルさん

>ライフワーク…すばらしいですね。
>なおべさん。きっとあなたならできます。
>この掲示板を通して
>すでにたくさんの人たちが
>あなたの言葉で命をつないでいます。

>私もその一人です。

ありがたいお言葉です。

もっと低年齢層で苦しんでいる方々、私と同年代で苦しんでいる方々が居る筈です。

私は、その人達が自由に参加出来る「癒しの会」を作りたいです。

簡単では有りません。

でも、今の癒しの会をステップにして、よりグローバルな会にしたいです。

頑張ります。




12587 『本人の希望で』 ユミ 2007/12/05 20:51
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
こんばんは。今日知り合いの方が、

『事故や事件と違って、本人が望んで(自死を)選んだのだから、
 諦めて納得してあげなければだめ』

・・・という言葉をおっしゃいました。
前向きになって欲しくて、という言葉と共に。
よかれと思っての発言だとわかっていますが、言って欲しくなかった。

そんなに簡単に諦めて納得できないから、辛さに耐えながら
やっとの思いで一日一日を乗り切っているのにな・・・
「ポジティブに」「前向きに」を連発されると、正直辛いです。

『最初の1年は誰でも辛いわよ、でも引きずっても3年くらいよ』
『後ろを振り返っちゃだめよ、前向きにならなきゃ』等々。

この立場になった人にしかこの気持ちってきっと理解できないん
だろうな・・・と思いましたし、わざわざ説明してわかってもらう
ものでもないので(わかるとも思えませんし)、そうですね・・と
曖昧に受け答えしておきました。

胸におもりが入ったようなずしりと重たいこの感じ、わかったような
顔で励まされると、乾いた苦笑いをしてしまいそうです。

愚痴でごめんなさい。


12588 ユミさんへ なか 2007/12/05 22:25
女性 / 30歳台 / 兄 / 3年以内 / 日本国外
『本人の希望』・・・そんな言葉では片付かないですよね。
私もユミさんと同じく、兄を亡くしています。

現在、兄の死から2年半が経ちました。
確かに兄が亡くなった直後より、今のほうが気持ちの重さは軽いかもしれません。
引きずっても3年・・・それはないと思います。少なくとも私はない。

その方はユミさんを元気付けようと精一杯の励ましを下さったのだと思います。その事には感謝ですが、実際にはそう簡単にいかないですよね。

兄の死から現在まで、1日たりとも兄の事を思い出さない日はありません。
最初の1年は、やっぱり兄が亡くなった時の顔ばかりが頭に浮かびました。
2年目からは、やっと兄の笑顔を思い出せるようになりました。

今は毎朝太陽に向かって、兄の冥福を祈ってから1日が始まります。

決して忘れる事はありません。忘れてはいけないと私は思っています。
今でも鮮明に、あの日の事は頭に焼き付いています。それが私への試練であり、現実だと思って。

返って落ち込ませてしまっていたらごめんなさい。

でも、軽い気持ちで「大丈夫」なんて言えない。
これから気持ちとの戦いは続くと思うから。


12589 しずしずさんへ あじさい 2007/12/05 22:52
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 九州
>与えられた使命を果たしたから天国へいける

そう言われたらそんな気がしてきました。母は私達を育てあげ、家族の為に一生懸命尽くし、祖母を看取った。気の毒なくらい人のために奔走した一生だったと思います。まさに使命を果たしたと思います。そして私達はこの悲しみを乗り越える事こそが与えられた使命なんですね。お若いのに、しかもまだお母様を亡くされて日が浅いのにとても立派な考えを持っておられるのですね、見習いたいです。今は苦しいけど、それでいいんですよね、生きていく事自体に意味があるんですよね。少し楽になりました。ほんとに、ありがとうございます。苦しかったり前向きになったり感情が不安定ですがそれでも昨日より明日、明日よりあさってと、少しでも本来の明るい自分を取り戻せる様に戦います。ながい戦いになると思いますが・・・

ユミさん

私もそのお気持ち、共感できます。何にもわからないくせに、知った様な顔するんじゃない!と怒鳴りたくなる事もあります。
愚痴なんかじゃありません。代弁です。そうなのよと声にだしたくらい同じ気持ちでした。変な言い方ですが、うれしかったです。(不謹慎ですね。申し訳ありません)私の場合、母の本当の事を知る人は少ないのですが、それでも若くして急死したという事で、いろいろな人からいろいろな事を言われました。「元気ないね、これを飲んだら鬱が良くなるよ、どう?」と高価なサプリメントを笑顔で勧められた事もあります。あれにはさすがに凍りつきました。でも優しい人もいるのも事実です。ユミさんの周りはどうですか?私の周りには少しですがいます。母がいい人と悪い人を見分けるバロメーターになってくれていると、勝手に思っています。
もし私の考えがユミさんのお気持ちをさらに辛くさせてしまっていたら本当にごめんなさい。でも同じ気持ちなんだという事だけは伝えたいです。


12590 ユミ様 沙羅 2007/12/05 23:31
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 日本国内
こんばんは。
色々お世話になりました沙羅です。
大変ご無沙汰しています。

>『事故や事件と違って、本人が望んで(自死を)選んだのだから、
 諦めて納得してあげなければだめ』

この言葉・・・私も人伝に聞き、心が凍りついたことがありました。
(別掲示板で書きましたが・・・)
なにか・・・切り捨てられるというのか、見捨てられるというのか・・・
私にとっては悲しい言葉でした。
言って欲しくなかったと、ホントにそう思いました。


わがままかもしれませんが、ただ側にいてくれて、無言でもいい、肩を抱いてくれるだけでいい・・・・
そして我々の失くした大切な人のことを覚えていてくれさえすればいい・・・
そんな人がいてくれるだけで、凍った心がとけるような気がします。


なかなかいないのが現状ですが・・・・


だから私はいつも一人でいたいと思うのかもしれませんね。



12591 ちょっと泣き言 あるる 2007/12/06 00:05
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
先日、強制参加で会社の慰安旅行に行かなくてはなりませんでした。

途中で、旦那とデートで行った場所の横を通ったら其処は既に廃園されており、錆び付いた観覧車が放置されていてバスガイドさんが「出来た当時はちやほやされて、今ではただの鉄屑です。」と平家物語の一説を唱っておられました。

なんで、行きたくもない慰安旅行でこんな辛い気持ちにならなければいけないんだろう・・・なんてつい思ってしまった。

なんなのでしょうね、誰のせいでもない自分で行くと決めて行った慰安旅行、断る術はあったのに・・・やっぱり未だ無理だったのかな?

自分で選んだ選択には後悔しないよう人のせいにしないようと頑張っているのに、少し心が折れてしまいそうになってしまいました。

出来る限り、その人の立場になって考えて、世の中の色んな割り切れない事を割り切り切り捨て飲み込んでいても、やっぱり偶に泣き言や愚痴が溢れてきます。

やはり、強がって生きて行くのには限界があるのかな?それでも強がりきってやるけれど!

だから此処でだけ少し泣き言を流させて貰おう

決して強い訳ではないのです。忘れた事もないのです。今でも思い出すこと自体辛すぎて閉じこめていないと立ってられないのです。

普段でも痛いのに、特に冬場この時期はTVが痛い。街に流れる雰囲気や歌も痛い。他では云えないから此処で叫んでしまおう

  「どうして貴方が此処にいないのか」

そして明日から又気合いと根性で世間の波を泳いでみせる!

そして人の優しさをちゃんと受け止められるよう、自分のせいで歪ませないよう頑張ろう。辛い言葉が多いけれど、自分にとって辛い言葉と人の優しさを取り間違えないように、スイッチを間違えないようにしないとね。辛い言葉は此処に流そう。ちゃんと前を向いて歩いて行くために。

周りいるのは良い人ばかりじゃないけれどどちらかと言えば少ないけれど、それでもちゃんと良い人が居ることも知って居るんだから

時に自責に走るのも頑張って受け止められるようになれるかな?これだけは時間が掛かるけど!頑張れ自分!!

関係ない言葉をずらずらとすみません。少し自分を鼓舞しないときつかったもので・・・さらっと流してくださいね。





12592 励ましよりも共感 ユミ 2007/12/06 00:38
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
>なかさん

なかさんもお兄さんを亡くされたんですね。書かれている文章、
まるで自分の事のように感じます。兄を思い出さない日は1日として
ありませんし、朝起きた時と眠る前は、兄の心が今は安らかで
平穏であることを願い、静かに手を合わせる毎日です。

兄が急いで駆け抜けてしまった年月のこと、寂しく孤独な気持ち
だっただろう最後の日のこと、楽しい思い出のことを、私も忘れたく
ないし忘れてはいけないし、何より覚えていてあげたいと強く
思うのです。皆、同じ気持ちなんですね。

>返って落ち込ませてしまっていたらごめんなさい。
>でも、軽い気持ちで「大丈夫」なんて言えない。
>これから気持ちとの戦いは続くと思うから。

いいえいいえ、むしろ勇気と元気を少しわけていただきました。
私の少し先を歩くなかさんも、同じ気持ちでこの日々を乗り越えて
いらしたんだ、と思うと、よろけつつも歩いていこうと思うのです。
あまりに先を見すぎると果てしなく思えるから、一歩先だけを見て。

・・・いつか、笑顔や楽しいことの方ばかりをたくさんたくさん
思いだしてあげられるようになりたいな。と思う私です。
その方がなかさんのお兄さんもうちの兄も、きっと喜びますよね。


>あじさいさん

『嬉しかった』、いいえ、不謹慎なんかではないですよ。
私の辛い気持ちに共感していただいた事、『わかるよ』とそっと
手を握っていただいたかのようにありがたく嬉しく思います。

本当に、死によって周りの方の反応も様々ですね。
いい人と悪い人(というか無神経な方)を見分けるバロメーター
になっているというのは、そのとおりかもしれません。
あじさいさんも辛い思いをされたんですね、お察し致します。

今月九州に帰省した際お会いしたご近所の方には、うちの母の事で
「『3ヶ月経ったのに』お母さん辛そうだねー。精神科行って
 薬処方してもらえば?」と近所の方に笑顔で軽く言われ、
私が過敏になっているのかもしれないけれど、例え心配から
出た言葉で悪気がないにしてもなんだかなあ・・・・と
ちょっと気持ちが疲れてしまいました。

でもあじさいさんがおっしゃるように、優しく思いやって下さる
方も、いますよね。月命日を忘れずに毎月ふらりと来て手を合わせて
くれる友達、「気持ちを本当にはわかる事はできないかもしれない
けど、少しでも元気が出るなら私はその助けになってあげたいと
思うよ」と言ってくれる友達。本当にありがたいことですよね。

そしてなかさん、あじさいさんのように、安易で簡単な励ましでは
なく、共感して下さる、同じ思いを抱える方達。

先日、『辛くて仕方ない時、同じ気持ちで戦う人がいると思い
なんとか乗り越えていこうと改めて思いました』とあじさいさんに
書いていただきましたが、私も今そんな思いで胸がいっぱいです。
なかさんとあじさいさんのコメントを拝見して、涙がでました。

無理はせず、人の、悪意のない鋭い言葉に心揺らされることなく、
この気持ちを抱えて一日一日歩いてみようと思います。
それがよろよろとした足取りだとしても。
優しいコメントを、本当にありがとうございました。


12594 沙羅さんへ ユミ 2007/12/06 01:14
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
沙羅さんこんばんは、お久しぶりです。今晩はとても冷えますね。

>なにか・・・切り捨てられるというのか、見捨てられると
>いうのか・・・私にとっては悲しい言葉でした。
>言って欲しくなかったと、ホントにそう思いました。

沙羅さんも同じ経験をお持ちなのですね。
お気持ち、とてもとてもとてもわかります。
死にたくて死んだのだから・・・と直訳のニュアンスがそこから
感じられて、気持ちが一瞬で凍りつきました。

自分の身内がもしもそうして亡くなったら、そう割り切れるの?
同じ言葉を人から言われたら傷つかないの?と、
後から後から言葉が湧いては消えていきました。
言い合うだけの気力もわかってもらおうという根気も、ないからです。
でも、とても悲しいやりきれない気持ちになりました。

>我々の失くした大切な人のことを覚えていてくれさえ
>すればいい・・・

そうですね・・・年月が経つにつれ、人々の日常の記憶から
少しずつ忘れられていくことがとても寂しいな・・と私も感じます。
だから家族の私たちだけでも、大切な人が生きたその人生のことを
しっかりと覚えていてあげたいな・・・と思う毎日です。

時間が経つにつれ、楽しかった想い出や何気ないひとこと、笑顔が
鮮明に思い出されて、それはそれで悲しくもあるのですが・・・
でも、きっとそれが遺された私達がしてあげられる最後の事
なのかな、と今は思っています。

たったひとりでその思いを抱えていらっしゃるのであれば、
なおさらお辛いですね・・・おっしゃるとおり、たったひとりでも
いいから亡くなった大事な人のことをずっと忘れずに思っていて
くれたら、気持ちが少し救われるのに・・・
沙羅さんのお気持ちが、少しでも慰められればよいのですが。


12595 ユミさんへ with 2007/12/06 01:25
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
はじめまして。
大切なお兄さまが旅立たれて、日も浅くご自身もお辛いのに、お母さまのことをとても大切にされている心優しいユミさんの書込みに、いつも涙させていただいてます。
我が家は、24歳の長女が旅立ちました。次女も、めったに口には出さないけど、辛い思いをしているのだろうな・・・と、思います。

>『事故や事件と違って・・・』
私も同じようなことを言われたことがあります。
上からものを言うような言い方に、心が凍りつきましたが、あいまいにうなずくしかありませんでした。
悪気はないのでしょうが、経験のない人には、わからないのでしょうね。

息子さんを自○でなくされ十三回忌を迎えられた方が
「辛いね・・・。でもね、いってしまう人は、この世で生きていくより、あの世の方が楽しいからいってしまったんだと思う・・・。今は、きっと楽しくやっている・・・残された私たちは、そう思って、生きていくしかないのよ・・・」と言って、泣いてくださいました。
日の浅い頃に言ってもらったこの言葉は、私には、支えになりました。
もし、お気に障ったら、ごめんなさい・・・。

   
いつもいつも長女のことで頭の中がいっぱいで、ふとしたことで涙が溢れてきますが、娘の幸せを願って、会える日を楽しみになんとか生きています。

ユミさんもお母さまも、どうぞご自愛ください。





12596 withさんへ ユミ 2007/12/06 13:04
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
はじめまして。withさん、温かいお心遣いをありがとうございます。

>上からものを言うような言い方に、心が凍りつきましたが、
>あいまいにうなずくしかありませんでした。

やはり、皆さん同じ事を結構言われているものなんですね・・
私も曖昧に頷くしか出来ませんでしたので、お気持ちわかります。
言葉って、時には鋭い刃のように心に突き刺さりますね。

事件や事故のご遺族だって、きっととてもお辛い日々だろうと私は
思っているので、そもそもどちらがどれだけ辛いとかは比べることでは
ないのではないかな・・・とも思いましたが、言えませんでした。
悪気はなくてもその言い方は辛いので・・・と言えたらよいのですが。
なかなかそうは言えないのが現実でした。

そうですね、私達の大切な人は、この世の中があまりに生き辛すぎて
ちょっと急いであちらにいってしまったのでしょうね・・・

よく出るパチンコ屋さんはあったかな。
美味しいカレー屋さんは見つけたかな。
もう痛くないかな。
もう悩んでいないかな・・・
きっと、今は穏やかな気持ちで過ごせているよね、と
信じて手を合わせる毎日です。
気に障るなんてとんでもないです、ありがとうございます。

withさんは、大事なお嬢様が旅立ってしまわれたんですね・・・
子供さんを亡くしたというお母様のお話をお伺いすると、
自分の母の心情と重なり、とても悲しく、辛くなります。

大人になってから泣いてる母を見るのは、とても辛いです。
なんでもしてあげたいけれど、してあげられることって帰省して、
兄の話をうんうんと聞いてあげて、そばにいてあげることくらいで。
遠くに嫁いだので、毎夜、母が寂しくなる頃に電話を10分。
ああ、今日は少しだけ元気そうだな、今日は少し咳が出ているな・・
と、ほっとしたり心配したりな毎日です。

きっとあまり言葉に出さなくとも、下のお嬢様も同じお気持ちで
withさんのことを気にかけていらっしゃることと思います。
そしてうちの母も、遠いいつか兄に会える日を楽しみに、
一日一日をなんとか生きています。皆気持ちは同じ、ですね。

寒い日が続きますので、どうかwithさんもお身体ご自愛下さいね。
優しいコメントを、本当にありがとうございました。


12598 ユミさん、そしてみなさん なか 2007/12/06 20:25
女性 / 30歳台 / 兄 / 3年以内 / 日本国外
この掲示板に来ると、やっと本当の自分を出せるような気がします。

ユミさんのお言葉、涙が出ました。とても優しく気持ちの入った文面、心に染みました。ありがとうございました。

私の兄はきわめて明るい人で、友人も多く、いつも周りの人の気持ちを気にする人でした。それだけに自分が気がつかないうちに家族にも気を使っていたのだと思います。
「俺がなんで鬱になるのかわからない。別にストレスなんてないのになぁ。」って。遺言にも幸せだったと書いてありました。

私の家族はサザエさん一家のように仲が良く、今もその関係が続いています。
でもきっと、自分の心の寂しさを口に出すと他の家族に迷惑をかけてしまうのは?と思って、いつも明るく振舞っています。

私だけが遠方で暮らしているのですが、やはり周りにはこの気持ちを打ち明ける事はできません。誰にも、主人にも、友人にも・・・。

現在まで私が頑張ってこられたのは、子供達がいるから、そしてこの掲示板で心を癒せるからです。この掲示板でみなさんに出会えて、本当に感謝しています。

私の仕事は接客業で、いつも人を楽しませなければいけない。時に心無い言葉を耳にしてしまうこともあります。
「お前おかしいじゃん?精神科行けば?」「死んだほうがいいよ」など、もちろん冗談で話している事なのですが、その度に心にドシンときます。

私も兄がこの病魔にかかるまでは、精神疾患に偏見をもっていました。まして自分の身内が関わるとは思っても見ませんでした。

ですから周りの人たちの心無い言葉は、あまり気にしてはいけないのだと最近思えるようになりました。
実際は辛いですけどね。

長くなってしましました。
ユミさん、そしてみなさん、頑張りすぎずに生きていきましょう。





12599 ユミさんへ with 2007/12/06 23:00
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 日本国内
心温まる優しいコメントをありがとうございます。

ユミさん、私も思います。

お友達はできたかな?
カラオケでは、好きな歌を歌っているのかな?
おしゃれなカフェはみつかった?
好きな服を売ってるお店はみつかったかな?
もう何もしんどい思いはしなくていいんだよね?
今は もうただただ毎日が楽しいことばっかりだよね?
お母さんが行ったら、色々なところへ連れていってね。
また、一緒にカラオケ行って、あの歌を歌おうね。


>大人になってから泣いてる母を見るのは、とても辛いです。
>なんでもしてあげたいけれど、してあげられることって帰省して、
>兄の話をうんうんと聞いてあげて、そばにいてあげることくらいで。
>遠くに嫁いだので、毎夜、母が寂しくなる頃に電話を10分。

ユミさん・・・本当にお優しい娘さんですね。
お母さまにとって、ユミさんの存在そのものだけで、十分大きな支えですよ。
離れて暮らしておられても、いつも気持ちは寄り添っておられて、
お母さま、どれほど感謝しておられることでしょう・・・。

>きっとあまり言葉に出さなくとも、下のお嬢様も同じお気持ちで
>withさんのことを気にかけていらっしゃることと思います。

ありがとうございます。
先日、私は、冗談半分に、次女に
「○○ちゃんは、お母さんの真っ暗な心に光を注いでくれる太陽だよ〜」
って、言いました。
「あはは。照れちゃうなぁ〜」って、次女はハニカミ笑いしてました。
実は、次女は、長女が旅立って2ヶ月ほど経った頃、
体調を崩して、2日間ほど寝込んでしまったことがありました。
姉をなくした悲しみと泣いている母親を見る辛さは、21歳のあの子にとっては、
あまりにも厳しい試練だったのでしょう。
それ以来、私は、次女の前では、極力泣かないようにしています。
次女は、「お姉ちゃんの分まで・・・」と、思うように、懸命に生きています。

ユミさんのお兄様は、今は穏やかで楽に楽に生きておられますよ。
私の長女も、こちらの掲示板に集う皆様の大切な人たちも。
長々とすみません。




12600 こんばんは ユミ 2007/12/08 01:17
女性 / 30歳台 / 兄 / 3ヶ月以内 / 近畿
>なかさん

なかさんのお兄さんは明るく、優しいお兄様だったのですね。
うちの兄も冗談をよく言う、明るく優しい兄でした。
職場にも友達にも家族にも、その日の朝までいつも通りの兄でした。
きっと誰にも心配をかけたくなくて精一杯無理をしていたのでしょう。
『お兄ちゃん、家族なんだから相談してよ、もっと頼ってよかったん
だよ、頑張りすぎだよ・・』と、通夜の日は涙が止まりませんでした。

自分だけ遠方で暮らしている、接客業。なかさん、私もです。
私も、あれこれ全てを口に出したら、色々気遣ってくれる主人や
友人に今以上に心配をかけてしまうな、と、明るく振舞っています。
同じですね。寂しさ悲しさは、普段は自分ひとりの胸の中です。

ですので、この掲示板に出会い、皆さんのお話に涙したり、
辛い気持ちを受け止めていただいていることにとても感謝しています。
画面の向こうに、同じ気持ちで今日も一日乗り越えた方が
いらっしゃるんだ、と思うと、私も、と素直に思えるのです。

>冗談で話している事なのですが、その度に心にドシンときます。

私もちょうど最近同じことを思っていました。
冗談めかして交わされる会話の中の死に関する一言が、
胸にずどんと重たく飛び込んでくるのです。
明るい話題を口にしていても、一瞬心が固まるのがわかります。

なかさんのおっしゃるように、心を揺らしてはいけないな・・
とその度に思うようにしているのですが、実際はやはり辛いです。
心の病のことにしてもそうした言葉に心を痛める心情についても、
やはりその立場に実際立った人でなければわからないでしょうね。


>withさん

きっと明るくて笑顔の可愛い、優しいお嬢様だったのですね。
そうですね、withさんのおっしゃるように、私達の大切なあのひとは、
今はもうきっと心穏やかで、楽に楽に笑顔で生きていますよね。

遠いいつかやっと会えた時には、きっとちょっと照れたような
困ったような笑顔で、『ごめんね』って言うんだろうな。
兄にそう言われたら私はすぐ泣きそうだけれど、うちの母は、
『そうよ、早すぎよ。でも、お母さんあれから頑張ったでしょう』と
泣き笑いしながら言いたいな・・と、先日そう言っていました。
私も次に会う時は、笑顔で大きく手を振りたいな・・と思っています。

withさんのお嬢様もきっといつかwithさんに会える日には、
いちばん可愛い服を着て、優しい笑顔で待っていて下さると思います。
それまでは、大切なひとが穏やかでいられるように祈ることしか
できないけれど、その気持ちはきっと空の上に届いていますよね。
私は、そう信じています。

両親にたいしたことしてあげられてないなあ・・・と思っている
のですが、そう言っていただいて、ありがとうございます。
毎日そばにいてあげたいけど無理だから、今自分が遠くで出来る事を、
出来る範囲で思いつく限りしてあげたいな・・と思っています。
少しでも多く、気持ちの緩む時間を作ってあげられたら。願いです。

>姉をなくした悲しみと泣いている母親を見る辛さは、21歳の
>あの子にとっては、あまりにも厳しい試練だったのでしょう。

私も、同じように体調を崩しましたので下のお嬢さんのお気持ち、
とてもわかります。泣いている母を見るのは、とても辛かったです。
今は兄の分も親孝行しよう、心配かけないようにしよう、何が
あっても親より先には旅立たない、と心に決めて過ごす毎日です。

「太陽だよ」と言われて、お嬢さんとても嬉しかったことと思います。
私も母にお礼を言われて、頼りない自分でも気持ちの支えに
なれているんだな、と嬉しかったですし、少しほっとしました。
また、言ってさしあげて下さいね。



長々とすみません、そして今日もありがとうございます。
こちらの掲示板の心優しい皆さんのおかげで、
今日もひとつ深呼吸の出来る私です。おやすみなさい。

追記:私の書き込みが少し多くなっている感じですので、返信は
今回ご遠慮しておきますね。本当にありがとうございます。感謝です。