12601 さみしくて・・・ K 2007/12/11 14:17
女性 / 40歳台 / 妻 / 6ヶ月以内 / 東日本
夫が逝って4ヶ月。
年賀欠礼葉書を一週間ほど前出しました。
お電話やメール、お花を送っていただいたり・・・
 
予想はしていました。
心配してくださるお気持、悲しんでくださるお気持。
さまざまな反応。
迷ったんです。
いつも通り、夫がいる振りでいいんじゃないかと。
でも、やぱり、それでは、故人がかわいそうな気もして。
でも、やはり、知らせなければよかった。

夫が逝ってしまったことをまた確認させられる気がします。
辛いです。
さみしいです。
ああ、本当にもう、いなくなってしまったんだと。

喪中葉書なんて、出すんじゃなかった。
すごく、後悔しています。
傷口をまた、えぐられていく気持です。

お悔やみの言葉、本当に心がこもっていて、
夫の死を悼んでくださってるのが伝わってくれば来るほど。
なんで、こんなことになってしまったんだろうと

私の心は、8月のあの日に戻ってしまいます。
さ、み、し、い、で、す




12602 疲れた・・・。 なおべ 2007/12/13 21:42
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
仕事に疲れた。

ただただ疲れた。

昔の様な達成感や充実感が感じられない。

共に喜ぶ者が居ないせいだろうか?

今の仕事が嫌だ。

単純に時間に追われているだけの仕事。

自分がやりたかった事はこんな事じゃない。

自分で掲げたライフワークにも力が入らない。

もう心から笑える事は無いのだろうか?


12603 アンパンマンさんへ グリーン 2007/12/14 22:36
女性 / 40歳台 / 子 / 10年以内 / 日本国内
久しく離れていたここに、前向きの言葉なんて書き込め無かった私でしたが、何故か急に気持ちをぶつけたくなって久しぶりに書き込みました


そしたら、アンパンマンさんが私を見つけてくださって本当に本当に
嬉しかったです。
 
もう何がなんだか分からず、ここで思いつくまま書き込んでいたのはもう数年前なんですね。気付きませんでした。
 
涙の回数は減りました、でも、悲しみの深さは全く変わらないですね。
なんで、あんなに良い子が死を選んだのか?今も謎です。

息子を追いかけることは思いとどまっています。決して喜ばないのが分かっているから。

アンパンマンさん、重すぎる試練はいつ終わるのでしょうか?
辛すぎる毎日に逃げずに、いつの日か息子に会えることだけが
今の私の支えです。
お声を掛けてくださって涙が出るほど嬉しかったです、有難うございます。また、アンパンマンさんとまた語り合いたいと思います。







12604 なおべさんへ Bird 2007/12/14 23:57
男性 / 30歳台 / 妻 / 1年以内 / 東日本
お久しぶりです。

私は相変わらず、なんだかなぁという生活です。
仕事も復活しましたが、ただ、自分の中のもてあましてしまう時間や何かで埋めないと耐えられなくなる時間を、ただ、ただ埋めるためだけに仕事に行くだけの日々。周りの人にいじられたくなくて、周りに合わせて元気なふり、愛想笑いをするだけ。

ただ、ただ、私の抱えている悲しみは、それを知らない人にとっては知る必要の無いことで、知ったところで、知った人がもしかしたら必要の無い苦しみの中に巻き込んでしまうかもしれない、、、だから、自分だけでいいや・・・、その人がもしそのことを知っても、たぶんどうしたらいいのかわからないだろうし。自分がこんな境遇になっていなかったら、多分、他の人が今の自分のような状況にいるときどんなことができるかなんてことはわからないと思いますし。

なにも、言いたくなく、癒されることなどあるはずもなく。この一秒一秒を生きる私の最後のストッパーは、自分が自死を選ぶことで誰かに迷惑をかけたくないだけで。ただ、それだけなんですよね。それ以外に、自分の生きる理由、生きていなければいけない理由が見出せない。

正直、もう、人に微塵でも影響を与えることが怖くて仕方が無い。
このページに書き込むのも正直言って毎回怖いんです。
書くことで誰かを苦しめてしまうのではないかとおもってしまうので。
そんな理由で、まだ、自死遺族の会への出席を躊躇しています。

でも、そんなこと言っても、このページに書き込んでしまう自分もいて、このページに自分の命をつないでもらっているのも事実で。

なおべさんのつくる、そして目指す自死遺族の会にはちょっと出席してみたい気もします。たぶん、まだ、そんな力は自分にはありませんが。

もう少しで、妻の命日が来ます。
さみしさが日々強くなり、自分の生きる意味、そして妻への行き場の無いあふれる想い、自己という存在を消し去りたい思い、、、

ごめんなさい。脈絡が全く無い書き込みになってしまいました。


12605 ご無沙汰しておりました。 あいまいみー 2007/12/15 09:35
女性 / 30歳台 / 姉 / 5年以内 / 近畿
お久しぶりです。
私自身が鬱病でありますゆえ、どうしても鬱的思考を書いてしまい、
皆様に申し訳なくて、しばらく書けずにいました。

最近いきなり泣いてしまうことが時々あります。
今朝、ごはんを食べて洗濯に行ったら(洗濯物がたまりにたまって
いたので、近所のコインランドリーへ行きました)、いきなり
涙があふれてきました。
なんだか頭が狂ってしまったようです。

少し仮眠してきます。出来ればそのままずっと寝ていたいですが。
寝ればおかしなことを言わないし、おかしな行動もとらないし、
他人にさほど迷惑をかけずに済みますから。

では。


12606 大好きだよ 粉雪 2007/12/15 15:19
女性 / 40歳台 / 妻 / 1ヶ月以内 / 北海道
初めて書き込みいたします。
このページを見つけたとき「あぁ私が探してたのはここだ…」って思いました。

主人はちょうどひと月前、札幌に初雪が降った日、旅立ちました。
今日は月命日です。今日も雪が降っています。
まだ ひと月…受け入れられません。きっと何年たってもダメだと思います。主人は「うつ」でした。そんな主人に私は優しくしてあげられなかった。私もいっぱいいっぱいだったのかも知れません。
冷たい言葉をあびせたり、泣いたりしてる私に主人はいつも謝っていました。「俺に能力がないばかりに、泣かせてばかりでごめんな」って。
その頃以上にこのひと月、ずっと泣きっぱなしです。
きっと今も謝っているんだろうと思います「泣かせてばかりでごめんな」って。
私も手をあわせながら「大好きだったのに素直じゃなくてごめんね」って謝っています。謝りあっている馬鹿な夫婦です。
空気みたいに、居ることがあたりまえすぎてなんの感謝もなく、趣味もなくさえない人で、なんでこんな人と結婚したんだろうって思ったこともある21年でした。何事もない、退屈なほど平穏な日々が、それこそが何よりの幸せだったんだって事に今頃気づきました。
あの時こうしていれば、あぁ言ってあげていたなら、って後悔しか今は浮かびません。
亡くなる一時間前まで普通にメールのやりとりをしていたんです。あの時メールではなく、電話をしていたら、私の声を聞いて主人は変な考えを起こさなかったのでは…と悔しくてたまりません。
時が解決してくれる…と人はいいます、でも、時間がたつにつれて苦しさが増しています。子供の前ではなるべく明るくしようとしています、
でも、辛いとき、またここに来ます…よろしくお願いします。


12607 はじめまして R 2007/12/15 18:37
女性 / 50歳台 / 子 / 2ヶ月以内 / 東日本
 初めてお便りします。
初めてなのに,いきなり「思い出の・・」掲示板に入ってしまった者です。
 大学生の息子が逝ってしまい2ヶ月になります。
ここ一ヶ月くらい,この掲示板を泣きながら見ていました。
でも書き込む勇気がないまま・・
粉雪さんの書き込みを見て,私もそっと入ってみました。
私の後にも,辛い人たちがどんどん出ている。
 いろいろな思いが出てきます。
 辛い,明るく前向きになりたい,幸せになっちゃいけない気もする,家を構えていますが,ここから引越し誰も知らない社会に行きたい。
 誰かに 辛い,と訴えたいけれど,身近な人以外息子の死を伝えていないので,一人のときに泣くだけです。まだ手元にある骨壷に泣きながら話しかけるだけです。
 また,話しに来ます。
 
 



12608 焦らずに・・・ 粉雪 2007/12/16 21:54
女性 / 40歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 北海道
(プロフィール一部間違えたので修正します。)

今日親友が会いに来てくれました。住んでる町が離れてるし、彼女に会ったら自分がどうなるか分かっていたし、彼女も察してくれて少し日をおいてから会おうっていっていたので。
海の見えるパスタ屋さんでランチをしました。
人に今の気持ちを話すと、その時は少し心が穏やかになってがんばれそうな気になれます。
でも…夜はやっぱりだめです。さみしいです。あの人に会いたい。

あの人がこうなったのは、私のせいだという気持ちがどうしてもどうしてもぬぐえない…
自分を責めすぎて…おかしくなりそうです。
でも、子供もいるし、仕事もあるし、義母もいるし…しっかりしなきゃ
と思うから、カウンセリングに行こうか、心療内科にいこうか、なにか
しないとこのままじゃダメだと少し焦っています…
焦り過ぎかな・・・まだ、ひと月だもんなぁ…







12609 粉雪さんへ あるる 2007/12/17 00:42
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
初めまして、あるると申します。少し気になってしまってお節介かなと思いましたが、声を掛けさせていただきました。

私も主人が居なくなってから、長らく物凄く不安定になってしまってたので勝手に心配になってしまいました。ごめんなさい

いきなりの事で、色々のことに不安になってらっしゃるのではないでしょうか?ご自分の心の整理も家族や仕事があって、有る意味助かったりする部分も有るのですが、心が置き去りになってしまってはいないのでしょうか?とつい自分の時の事を思い出してしまいます。

私には子供は居ませんが(変わりに黒ラブがいます)仕事を続けながら義母と一緒に暮らしています。

粉雪さん、まだまだ一ヶ月目です。焦らないでくださいね。

私が一ヶ月目あたりと言えば、ひたすら普段通りに見せる為に自分を偽り続け(まぁこれは今もですが)ほんの少しの隙間には、自責の念と後悔にまみれて、ただただ、疑問を投げかけていました。

「苦しまなかったのかしら」「私と居て幸せだったのか」「私と結婚しなかったらこんな事をしなかったのかも」から始まり最終的には「あの人は本当に私を愛していたのか」ともう収拾がつかないことばかり考えて、かなり長い間本気で、江原さんに夫の声を聞いて貰えないかと悩んでいました。

今考えると、どうにかして私自身を許して欲しくて、ちゃんと愛されていたのだと安心したくて、助けて欲しくて、心の内を判って欲しくて・・・今でもそう思っていますが、少し自制が利くようになってきています。

もしかして、全く見当違いなら申し訳ないのですが、ほんの少しでも掠った気持ちが有れば、焦らないで下さいね?

私は心療内科には通ったことがないので、(一度頼ってしまうと立ち直れないと私自身の性格上判っていたので心療内科には通わないです。そして信用もしていません。何も知らない人生を判った振りや慰められても腹立たしいだけですし、薬に頼っても同じ事だと思ってますから。不眠症や病気の場合は仕方がないですけどね。あくまでも私個人の意見です。最終的に立ち直るのは自分自身だと私が勝手に思って実行しているだけのことです。)何とも申し上げられませんが、今焦っていると判っているだけ偉いと思います。

ご自分でも書いてらっしゃる用に焦らずに、まだたった一ヶ月なのですよ。今すぐどうこうなんてとても思える物ではないと思います。頑張りすぎは禁物ですが、それでも日々の生活の中で頑張らないとどうしようもない事は多いです。何とかご自身の気持ちと折り合いを付けていきましょう?

心療内科と言う手段も確かにありますしね。

勝手なことばかり書いてご迷惑かもしれませんね、申し訳ないです。余計な事を書いて傷つかれたり、怒りをかってしまったりしていなけれな良いのですが、と書いた後で後悔しつつそれでも投稿してしまいます。

管理人様へ、この投稿で気分を害されたり、傷つかれる方がいれば削除して下さい。

個人的にメールで「むかつく」と送っていただいてもいいです。その時は削除します。



12610 青い空の会 みどり 2007/12/17 12:17
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 関東
はじめての投稿です。
私は、自死遺族で4年前に夫を亡くしました。

自死となると、他の人に理解されないことや、相談できないことが多く、孤独感を感じるときが多々ありました。
今回、自死遺族の人たちが集まる青い空の会を知って、参加してみたいと思ったのですが、ちょっとためらいがあります。

私は夫を亡くしました。でも夫には親がいて、兄弟もいました。
私の立場からすると配偶者を亡くしたことに、
親の立場からすれば子供を亡くしたことに、
兄弟の立場からすると、兄を亡くしたことになります。
みな自死遺族ですが、私と夫の親、兄弟とはけして良い関係ではなく、音信不通です。

青い空の彼方のホームページにも書かれていましたが、
故人を思うあまりの自責の念からか、うしろめたさか、身内の家族間での責任のなすりつけあいや、ひどいしうち、といったものが私にも起こりました。

青い空の会では、さまざまな立場の自死遺族の方が参加されることと思います。
私は会に参加してみたい気持ちがあるものの、自分自身の亡くなった夫の親や兄弟の気持ちには寄り添えない部分があり、彼らには会いたい気持ちにはなれません。そんな気持ちのまま、この会に参加してもいいものかどうか迷っています。

この会に参加している方々は、それぞれ立場がちがう遺族の方に対してそういったデリケートな部分をどのように対処しているのでしょうか。

アドバイスをいただけたら、うれしいです。




12611 あるるさんへ 粉雪 2007/12/17 22:32
女性 / 40歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 北海道
あるるさん、気遣ってくれてありがとうございます。
嬉しかったです。

全く、本当にすべてあるるさんと同じ状態です、今…
江原さんに会うにはどうしたら?青森の木村藤子さんにも会いたい、
でも忙しいお二人は無理、なら恐山のイタコに会って…もっと近くに
霊能者の方はいないものか…どうにかして主人の声が聞きたい、
その行動に走った直接の原因はあの朝の私の言葉なの…?
苦しかったね、怒ってるよね?悲しんでるよね?私はどう償えばいいの、教えて…

私はただ「お前のせいじゃないよ」って言ってもらいたいだけなのかも・・ずるい人間だね私。

恥ずかしい話ですが、あの人は私のこと馬鹿みたいに好きだ好きだと
言っていたんです。お前は俺のこと嫌いでも俺は好きだ、って。
21年もたつ夫婦がおかしいでしょ…私はそれがうっとうしくて…
寂しい思いをさせてしまった。
もっと甘える可愛らしい人と結婚していたらあの人、こうはならなかったのでは…考え出すとほんとに収拾がつきません…

二週間ほど前からめまいがするんです。内科・耳鼻科・脳神経外科でみてもらいました。MRIでも診てもらいました。脳に異常はなく、
結局ストレスと疲れからきているのです。
子供と義母をかかえ、今私が倒れたらこの家はダメになるとの思いから
異常に病気がこわくて…それもまたストレスで…元気にならなきゃと焦り…
子供たちはそれぞれ元気になり、彼氏や彼女と楽しそうで、それはそれで親として嬉しくてほんとに安心してる。でも、私だけまだメソメソしてて、どこかおいてきぼりな気がして焦り…

でも、親友とはなし、いのちの電話にもかけてはなし、そしてここに書き込み、あるるさんのお返事を読み…
焦る必要はないんですよね…おとといより昨日、昨日より今日、少しずつ少しずつ涙の粒が減っている気がします。
変に頑張ろうとしません、今まで頑張りすぎたから・・・
自然に無理せずゆっくりゆっくり歩んでいきますね・・・
あるるさん、本当にありがとう。



12612 1年がたちました k 2007/12/17 23:55
男性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
つい1月前に一周忌が終わりました。この、1年間どう生きてきたのか自分には実感がありません。やっぱり時は止まったままなんでしょうか。

1年前、この掲示板で妻に対する怒りを書き連ね、でも今考えるとそれもただ虚しいだけの愚痴でした。

粉雪さんは21年ですか。自分は22年間でした。5日後に22年の結婚記念日を迎えるはずでした。今年はどんなプレゼントを贈ろうか。どうやって、鬱の状態の妻を喜ばそうか。そんなことを考えていた矢先でした。

毎日ではないですが、この季節になると寂しさがつのります。周囲が浮かれているから余計なんでしょうね。

子供と3人のクリスマス。大晦日。正月。4人でいたあの頃はもう二度と戻っては来ないんですね。

今日は星がきれいですね。

自分は頑張っているのかな。最近、よく分からなくなりました・・・。


12613 おかしな質問ですみませんでした。 みどり 2007/12/18 23:11
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 関東
こんばんは。先日「青い空の会」のことで、質問させていただいたのですが、あとから考えると、おかしな質問だったな、と思って、、
言葉には気をつけたつもりでいましたが、気分を害された方がいましたらすみませんでした。

こちらのサイトを見つけたとき、自分の気持ちをかいまみるような感じで、ちょうど、とてもさびしい気分のときでしたので、友人に甘えるような状態になっていたのかもしれないです。
今の私の状態では、「会」に参加する段階ではないのかもしれないですね。。

つれづれに自分のことを書きます。
ひとりの死別者としての経験ですが、他の方の参考になれば、と思います。
私の夫は28歳で他界しました。
4年の月日のなかで、自分の状況はいろいろと変化しましたが、
心のなかはほとんど同じままかもしれません。
私はいま感謝と許しと悲しみと怒りの間をいったりきたりしています。
直後のときのように、罪悪感のあまり一睡もできない、ということはありません。いっさいの感情がなくなったような状態からは徐々にですが、脱しています。心から何かに興味を抱いたり、笑ったりも、しています。
自分がいま生きていること(生かされている?)に感謝できるようになったのは、最近です。
残されたひとの気持ちがわかるから、自殺願望はありませんが、
ときどき無力感に襲われることがあります。
私は死別した夫の役にたちたい、今の自分をささえてくれているひとたちの役にたちたい、でも、方法がわからない。
せめて暗い顔をしないようにしよう、と、思いますが、
なかなか完璧にはいかないです。
今の私を支えてくれている人にとっては、私が生きていることだけでも
役にたっているのかもしれませんが、
あの日を境に、ちがう国の人とコミュニケーションしているようなかんじで、違和感を感じたり孤独を感じるときがあります。でもそれもしかたのないことなのかな、と思います。
経験してない人に理解を求めるのは、わがままですよね。。。
この状態の私を支えてくれている、それだけでも感謝するべきなのに。

そんなこんなで、こちらの掲示板を見た時、なんかほっとしたんです。
書かれていることが自分と重なるから、自分の過去や現在と重なるから。

ながながと書いてしまいましたが、生きているなら、前にすすむしかないな、と感じています。





12614 みどりさん。はじめまして。こんばんわ。だいじょぶですよ。 さんた 2007/12/19 00:56
女性 / 40歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
みどりさん。はじめまして。さんたといいます。

「ここ」にたどり着いて、3年が経とうとしてます。
みどりさんと同じく、わたしも夫が旅立ってから3年と1ヶ月と少し、経ちました。そして、みどりさん同様、夫の親族との折り合いがよくなかったもので、、 なんだかお気持ちが伝わります。
甘えても いいと思うのですよ
わたしも「ここ」にはたくさん甘えさせていただいてます。
言葉を変えれば、私たちは支えあっているだと、
それでいいんだと思ってます。
だから、みどりさん。だいじょうぶですよ。

『こんなこと、書いたら、、続柄の異なる方が傷つくのでは、、』
とか、今も書きながら、すこぉし 思ってます。
逆に『嫁が、、、』といった書き込みを見れば、自分自身どう受け取ったかというと、・・以前は少し胸がざわついたかなぁ・・。
それは、たぶん、あの"大きな出来事"の後の家族会議みたいなのをリアルに思い出してたからなのだと思います。
けど、今はすでに法的にも姻戚関係にはなく、以前みたいに「いつ、また、怒鳴り込まれるか・・・」みたいな恐怖感は薄まってきているので だいぶんとココロ楽になりました。

さんたは地方在住なもので、一回だけ「青い空の会」に参加したことがあります。
 参加してよかったです。
 自分の歩いている場所が確認できた感じでした。
参加を決める前は、みどりさんと同じように懼れていました。
過去の参加者の割合(別ページで遡れます)を観ては、思案していました。何かに促されるように参加した当日、グループで一緒になった方は「夫」「妻」「妹」「母」とそれぞれ続き柄が異なる方でした。
 けど、"誰をなくしたか?"ということより、"自死遺族である"という共通項を強く感じました。
 みな、それぞれに、それぞれが、それぞれの想いで。
 けど、そのどれもが、お空に昇った人への想いで満ちていました。
今も、その会場に続く道すがらを事細かに言えるくらい、ドキドキ・びくびく・しながら辿った道を思い出せます。
 さんたにとって、大事な想い出になってます。  

 みどりさん。
 「ここ」には 素直に、ココロを吐き出していいんですよ
 さんたは「ここ」にある、返信レス禁止の「悲しみ」や「怒り」のお部屋に随分と援けられました。

 すっかりと自分のことばかり書いてしまったようですがご容赦を。
 また、ここで おあいしましょうね。 



12615 さんたさん、ありがとうございました。 みどり 2007/12/20 12:21
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 関東
さんたさん、こんにちは。
お返事ありがとうございました。
とてもうれしかったし、安心しました。

さんたさんは3年と一か月、なのですね。

時間は不思議です。出来事そのものは何も変化しない、と同時に、自分の状況の変化はもたらしてくれる。
変化した状況の今、過去を見ると、ああそうだったんだ、とようやく
理由に気づくこともたくさんあります。

私にひどい言葉を投げつけた人たち。
その人それぞれの理由です。
みなそれぞれにうしろめたい気持ちがあったのだと、具体的にわかります。そして、自分のせいにされたくない、できれば誰かのせいにしたい、と思っていたのでしょう。かくしたいこともやまほどあったのだと思います。そして彼から遠いひとほど、彼の死に方は迷惑だったのでしょう。
当時は思いやりがないとか、ひどいとか、理解されない、というふうに感じ、そのことに苦しんでいましたが、理由がわかると、具体的な感情は湧いてきません。ああそうだっただんだ、だからか、と腑に落ちた瞬間、怒りを切り離すことができ、自由になりました。

こうして書きながらも気をつけていることは、私がその人たちに再び、怒りや恨みを持たないように、ということです。
一度それにとらわれてしまうと、結局はとても疲れ、自分が傷付くことが、4年かけてなんとなくわかりかけてきたことです。

私は、夫がなくなった直後、彼の子供のころを知りたいと思いました。
私が彼に出合う前の彼を知りたかった。たくさん彼のことを知り、彼の記憶を増やしたかったのです。とても単純で無邪気な発想で、そう思ったのです。私自身が罪悪感に苛まれていて、誰も責めるつもりなど毛頭ありませんでした。
あまりに短いいのちだったので、産まれてから死ぬまでのことを地図のように全部記憶に留めたい、ただ、それだけの思いでした。

でも、夫の母も、親戚も、いい顔をしませんでした。
家庭環境が複雑だったのです。母子家庭でもありましたし、その母親とも幼いころに別れ、夫が義母と次に出合ったのは成人してからでした。
そういう状況であれば、彼の子供のころを知りたいと思う私の気持ちは
とても迷惑と言うか、責められているように感じたのでしょう。
会社の人も同様でした。会社の経営状態がうまくいっていない時期の
彼の自死でしたから、仕事のせいにされたらたまらない、と思ったことでしょう。
ずっと疎遠にしていた兄弟も、彼にひどいことをしていた親戚もみな
うしろめたかったことでしょう。

そういう人間関係にたいして、私はまるで子供みたいに無防備でした。

死後の彼がどこに行きたいのか、わたしにはまるでわからなかったので、彼の行きたそうな場所にはすべて行きたいと思いました。
彼の父の墓のある故郷に、みっつ作ったうちの位牌のひとつを持っていったことがあります。彼のいなくなった日はとても天気が悪く、また場所もわびしかったので、彼の生まれ育った故郷にあるきらきら光る海を見せたかった、それを最後に彼が見たものとしたかったというのもあります。
親戚からはねぎらいの言葉はなく、開口一番「骨つぼまで持ってこられてこちらのお墓に入れてくれって言われたらどうしようって思っていた」と言われました。彼のおさまる仏壇は、埃をかぶり、べとついていて、花も線香もなく、荒れ放題でした。
こんなところに置いていくの?ほんとに彼はここで喜ぶかなあ、、と
思いましたが、みかけはひどいけど、ここに彼の父が眠っているのだから、と無理に自分を納得させました。
「田舎では線香一本買いにいくのもたいへんなのよ」と叔母は言っていました。薄情とも思いましたが、この叔母は日々自分の親の介護にあけくれていましたから、そんなものかもしれません。
人はみな自分が主人公、自分が一番たいへんと思ってるのかもしれない。自死した甥の位牌を持って来た嫁のことなど、どうでもよかったのだろうと思います。

もうひとつの位牌は彼の実母にわたしましたが、「私はクリスチャンだから」との理由で、捨てられました。
「せめて子供がいたら」と言われましたが、そんなこと通夜の席で言われても、どうしようもありません。葬儀費用を出さない、葬儀の前日に死にたいと警察に駆け込んだりの行動には困りました。
悲しいのも死にたいのも、私も同じでした。でもがんばっているのに、
このひとは自分の息子の葬儀にも出ないと言ってる。
「配偶者を亡くすことより、親が子供を亡くすことのほうがずっと悲しい」には、言葉もありませんでした。

たしかに、私は、子供がいないので親の気持ちはわかりません。
それでも配偶者として悲しい気持ちはたくさんありました。

住んでいたアパートの大家さんからは、はっきりと嫌みを言われました。死の当日、警察の人がアパート前の電柱のところに立っていて、私に彼の死を告げ、いろいろなことを説明しているところに怒鳴り込んできたという形でした。

彼が死ぬ前、私は彼に別れたい、と言っていました。
彼は別れなくない、と言っていました。
それが、私の罪悪感の源になっていました。
別れたいとは思っていたけれど、こんな形で別れたくはなかった。
彼に対して一時は怒りや過剰な美化もありましたが、今はありません。
原因はたくさんあったでしょう。そのひとつの一因に私はあるでしょう。だけど「私の提案」に対し、「死」ぬことでしか、返事ができなかったのだとしたら、彼は自分のことしか考えていなかったのだと、
思うようになりました。だとすると、彼は自分のことばかり考える人ではなかったのだから、いろいろな悪いことが瞬間的に重なった結果、と考えられるようになりました。
弱さは弱さ、やさしさはやさしさ、無理にまぜて美化しても、
わからなくなるだけでした。
彼に対する美化をやめたとき、私は彼のことが以前よりわかるようになり、以前より、落ち着いてあのときのことを考えられるようになりました。

以前の私はただただ悲しかったです。
今も悲しいですが、以前の自分ではありません。
ただ、そういう出来事があったこと、それを記憶に留めているだけで、
そこから怒りとか、そういうものはなくしました。
ただの出来事です。

私は、いろいろな場所に引っ越し、いま、落ち着いて生活しています。
今、自分は幸福なのだ、と思うようにしています。

また、長い文になってしまいました。
いま、ここに書いたことは私の個人的な状況にすぎず、続柄の異なる方、お子さまやご兄弟をなくされた方を非難するものではありません。
もし、気分を害されたかたがいたら、すみません。

最後に、さんたさん、言葉をかけてくださりありがとうございました。





12616 たびたびすみません。 みどり 2007/12/22 14:01
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 関東
私ばかり書き込みをしていて、すみません。
以前、自分が書いたことを読んで、また反省です。
自分の死別の状況ばかり書いて、さんたさんが答えてくださった事に対して、きちんと返事が書けていませんでした。

私は、もっと早くに、この掲示板に出会っていたら、と思います。
私は自分と同じ境遇の人と話す機会がないまま、4年以上がたちました。あのときのことについては、まるで話さないか、医者に話していたときみたいに話し続けるか、どちらかの経験しかありません。
なので、ここに書こうとすると、気をつけていても、書き過ぎてしまっていることもあるだろう、と感じています。送信ボタンを押す前によく読んではいるのですが、、、。

会の参加に対してはまだ迷っています。
参加しないほうがいい、と思う理由は、
1、自分が話すことによって誰かを傷つけたらどうしよう
2、誰かが話すことによって自分が傷ついたらどうしよう
3、万が一、夫の親族が参加していたら、どうしよう
という、ことです。
1、と2、は、遺族の会でなくとも、よく考えれば、どの場所でもコミュニケーションするときは感じることですよね。。
3、に関しては正直な感想です。私が参加したいと思うように、夫の親族も参加したいと思っても自然なこと。そう考えると、こわくなりました。

参加したほういいのでは、と思う理由は、
1、今、自分が感じていることは、共有できることなのだろうか。
  だとしたら、同じ経験をした人と話してみたい。
ということです。

まだ、参加のメールは出さずにいます。





12617 わからない てんてんむし 2007/12/22 16:57

いっているいみがわからない
脳みそがおかしい

父のためになぜこんなにくるしまなきゃ

1ヶ月も苦しかったね
早くみつけt


12618 みどりさん、はじめまして。 はなはな 2007/12/22 18:23
女性 / 20歳台 / 夫 / 2年以内 / 東日本
投稿を読ませていただいてていました。
ご主人の年齢をみて、どきっとしました。
主人も、1年4ヶ月前に28歳で突然いってしまいました。
出張に行ってくるというあの人を送り出し、5日後に届いたメール、そして翌日の再会となりました。

主人は借金があり、その事で、1ヶ月前に大喧嘩をしていました。また繰り返すなら、あなたを信用できないし、夫婦を続けられなくなるよ と脅しも込めて言った私に、主人は初めて泣いて謝りました。

みどりさんと同じように、私にもコノ事がずっと罪悪感となっていました。私が切り出さなければ、主人はこんな事にならなかったのではと。

でもみどりさんの言葉を読んで、何かすっきりと整理されたような気がしたのです。
私の“提案”に対して、死ぬ事でしか表せなかったのでなく、彼のその時の状態。色々な事、もちろん私が原因も含めて、重なってしまったが故の瞬間的な出来事だったのではないかと。。そう考えることが1番私の知っているあの人に近い気がします。
私の言葉がきっかけの一つであったことも間違いなく、でも、主人の弱さもたしかにあったのだと。

弱さは弱さ、優しさは優しさ、

本当にそうですね。



私も主人がいない家で主人を思いながら暮らすことが精神的に無理でしたので、引越をしました。楽しかった思い出の上に、生活を上塗りしなかったせいか、あの時から人生がぱっつりと2つに割れたような、幸せだった日々が夢だったような錯覚があります。

幸せだった日々を思い出して、毎日泣き暮らしていたいけど、苦しくなるのが、辛くなるのがわかっているから、思い出すのもさけてしまいます。けれどそうしてあの人を思い出せなくなっていったらとおもうと、それも堪らないです。

すみません、自分の話ばかりになってしまいました。
私も、会に参加したいと思いながら1年が過ぎてしまった一人です。
みどりさんの書き込みに共感する部分が多くて、思わず書き込んでしまいました。


12620 みどりさんへ いづみ 2007/12/24 00:18
女性 / 40歳台 / 夫 / 10年以上 / 日本国内
はじめまして。いづみといいます。こちらではかなり昔にお世話になっていた者です。

このサイトが出来上がって半年くらいが過ぎた頃、私はここに巡り合いました。

丁度みどりさんとおなじく5年が過ぎた頃です。

この掲示板を 遺族であり同じ妻の立場であったネットの友人に教えてもらい、一度書き込みをした後はもう、止まりませんでした。

私もみどりさんと同じに ここに出会うまで一度として夫の事を口にしたことはありません。

けれども、聴いてほしかった。
だれかに、心の底から「わかっているよ、ちゃんとわかっているよ」と言ってもらいたかった。

でもね、傍らにそんな人がいない限り、たとえ親でも兄弟でもこの気持ちの複雑さは理解してもらえない事でした。

一千日以上の夜を、たった一人で 誰に知られるともなく泣きながら過ごしてきたこの気持ちは、同じ立場の人以外には理解できないことだろうと思います。

そしてね・・みどりさんの投稿は、ずっと昔の自分の歩いてきた道を振り返っているようでした。



その翌年、こちらで知り合った方々に導かれるように、私は大阪の遺族会へ参加いたしました。

多くの葛藤もありましたが、それ以上に得る事が多かったと思っています。

五年の歳月の中で、たった一人で考え続け、そして自分なりに見つけた答えを持つという事は、年月の浅い方達とはまた感じ方、考え方の差異があるかもしれませんが、
私にとってはそれも含めて 大切な経験であったと感じています。

それぞれの遺族会にはそれぞれのルールがあるかと思います。
形にされたものもあるでしょうし、口頭で伝えていただける場合もあるかと思います。

いずれも穏やかに会を進めて行くために必要なルールでありますし、同時に参加される方々の気持ちが安全に守られるよう配慮する意味のものでもあるかと思います。

もしも、心配ごとがあれば、事前のメールで相談にも乗って下さるかと思いますよ。

そしてね・・・立場が違えば 違和感があるのは当り前です。

けれども、だからこそ理解できた事等も多々ありました。
そして、それは私にとっては本当に不思議な経験だったと今でも思っています。

今現在、私はとても穏やかに過ごせています。
あの時代、私を励まし、支えて下さった方々のお名前も、今ではほとんど見る事はありません。

それぞれの方々も 時間と共に、自分なりの心の落ち着き場所を求め、あるいは得て、そして歩き続けていらっしゃるのだろうと思います。

一人で歩きはじめる事が出来るようになった頃に自然とここから卒業していかれるのかもしれません。 

それぞれの方達の、それぞれの立場の想いは 視野狭窄に陥りがちな私を戒め、同時に励ましてくれました。

私はここに初めて来たとき、すでに五年が経過していました。
五年が過ぎていたから、多くの事についての答えを自分なりに見つけてはいましたが、
けれどもね、心の傷はそのままほったらかし状態で、その上に知らん顔して蓋をしていたようなものでした。

その傷口をゆっくりゆっくり癒してくれたのが遺族会であり、この場所でもありました。

どうぞ、信頼してみて、勇気を出して一歩進んで欲しいな・・・と私は願っています。

又、私に解る範囲でしたらメールでお答いたしますのでご連絡ください。


12621 まっ白 粉雪 2007/12/24 21:32
女性 / 40歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 北海道
今日ドリカムの新しいアルバムを買いました。
美和ちゃんがパートナーにあてた曲を聴くと涙がとまりません。
彼女も乗り越えようと頑張っているから、私も頑張ろうと思う…

でも…仕事リストラされそうで…落ち込みです。
大幅なリストラでほとんどのパートが解雇されそう。

主人をなくし、仕事をなくし…もう神様なんか信じない。
大好きな仕事、大好きな仲間なのに…もうこれ以上私から大切なもの
奪わないで…頭真っ白、何も考えられない…

よく人に「強いね」って言われるけど、今までの人生、強くないとやってこれなかった。ホントは、人一倍さみしがりで、弱くて、泣き虫で
…ずっと「もうそんなに頑張らなくていいよ」ってポンって肩たたいて
くれる人をまっている。
でも神様はいじわるだから、そんな人現れそうにない…


12622 はなはなさん、いづみさん、お返事ありがとうございました。 みどり 2007/12/25 19:06
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
はなはなさん、いづみさん、お声をかけていただきありがとうございました。ちょっとパソコンを使う時間がとれない状態が続き、レスが遅れてすみませんでした。

青い空の会については、あれからいろいろ考えましたが、まだ参加することはきめかねています。
自分ではだいぶ落ち着いてきていると思っていましたが、
なにがあってもだいじょうぶ、というところまではきていないのだなあと痛感しました。

はなはなさん、とても、つらかったですね。
1年4か月、とのこと、自分のそのころを思えば、言葉がうまく見つかりません。新盆や一周忌をすぎ、心の中をたくさんの思いがいきかうと思いますが、すこしずつでもはなはなさんに、心の平安が訪れることを祈っています。けして無理はなさらず、自分をたいせつにいたわってくださいね。

いづみさん、ありがとうございました。
いづみさんの言葉のなかで、なぐさめられました。
そう、5年弱の間に、自分なりに心を整理し、答えを出してきたつもりでいます。だけどまだまだ不安に陥ることもある。
いづみさんのプロフには10年以上、とありましたが、そこにはどんな答えがあるかな、と漠然と思います。
今は穏やかに暮らされているとのこと、ほんとうによかったです。
これからもその調子で、いづみさんの人生を切り開いていかれることを心から願っています。
私も少しづつ自分なりの心の落ち着き場所を見つけられたら、と思います。

今こうして、掲示板でお話させていただいているように、青い空の会では、きっとお互いにアドバイスしあえるようなこと、があるだろうと思っています。
だけど、いろいろな立場の方がいらっしゃる以上、「夫の親族とは会いたくないけど、それ以外の方ならだいじょうぶ」というのは、自己都合がすぎるだろう、との気持ちがあります。
だけど、いろいろな感情のコントロールができているといっても、それは、あのときのひとたちと再会してもだいじょうぶ、ということではないのも正直な気持ちなんです。そんなことが起きたらきっと動揺すると思うし、、、、。
もう少し自分の気持ちの安定を考えてみたいと思います。

いろいろとアドバイスをいただきありがとうございました。
また、お話してください。




12623 粉雪さんへ みどり 2007/12/25 20:53
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
ずっと投稿を読ませていただいていました。
でも、自分の投稿ですらおぼつかない感じで書いている状態なので、なかなか声をかけられずにいました。
でも気になって、北海道のお天気予報とか見たりしてました。
今日はいかがおすごしですか。

一か月以内、といえば、おしよせる現実的な手続きが終わるか終わらないかの疲れている頃ではないでしょうか。

がんばらなくてもいいんだよ、と肩をたたいてくれる人、
粉雪さんが望めば、きっとあらわれます。

私もたくさん、いろんなものをなくしました。
ようやく心から悲しみを悲しめたのは、ひとりであげた一周忌のときです。
だけど、ずっとひとりでがんばってきた、と思っていたときですら、
昔の手帳を見ると、ほんとにいろんな人に助けられてました。

罵倒の言葉ですら、私を生かしていました。当時はそんなふうにとても思えませんでしたが。
私は未遂経験者ですが、人は「怒り」のなかではなかなか死ねないものです。「怒り」のなかで死ぬのはあまりにさびしくこわいから。
だから私の夫の最期の言葉は、パソコンのメッセージに残った「ありがとう」だったのかもしれません。
私は周囲の人からたくさんひどい事を言われましたが、そのとき「こんなことまで言われて死んでたまるか。幸せになって見返してやる!」って、覚悟しました。
それに私が死んでしまったら、記憶の中の夫まで死んでしまう気がして、ぜったい彼を守るんだって思いました。

なんだかとりとめなくまた自分の話になってしまいました。
粉雪さんに、少しでも早く少しでもたくさん心の平安が訪れることを祈っています。



12624 青空を見上げながら br.i 2007/12/27 15:03
男性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 中部
こちらへは久しぶりにお邪魔します。

今年も間もなく終ろうとしています。息子を亡くしてここに来るようになり、半年以上になります。私はこれまで、早く乗り越える事が亡き息子や家族のためになると考えて頑張ってきましたが、やはり無理だったようです。
今は入院した病院のベッドから、ただ空を見上げて涙する毎日を送っています。今日はきれいな青空が広がっているようですね。
心身のダメージは想像以上にひどく、救急車で運ばれてから一週間たった今でも、腰の激痛はおさまらず、まともに寝返りもできません。なんとか携帯からこちらに来ましたが、何も出来なくなってしまいました…

まる一日続いた激痛で朦朧とした意識の中で、この先に息子がいるのかと泣いていました。あまりにもかわいそうで辛すぎる。
病室で一人になると涙があふれます。勘違いした先生には「点滴くらいガマンしなさい」と言われてます。

退院の目処はたちませんが、仕事に行かずに済むことは助かっています。多分もう仕事は続けられないと思うけど、それでいい。

たぶん、この涙がおさまらないと、よくならないような気がします。


12625 みどりさん ありがとう 粉雪 2007/12/27 22:07
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 北海道
みどりさん、私の収拾がつかない書き込みを読んでくれてありがとうございます。
みどりさんをはじめ、3年、5年、10年…と、ゆっくり心を整理しながら時を重ねられた方の言葉は、今の私にはとても響くものがあります。
頭がごちゃごちゃで 辛い時、ここへ来ると落ち着きます。
励ましてくれる友人、明るい職場の仲間、大切な親友…私は幸せなことにたくさんの人に支えられています。
でも、やっぱり…同じ思いをした人にしかこの辛さはわからないと思うのです。

四十九日も過ぎていないので、まだまだ受け入れられず、日によって考える事もちがうのですが、何となくここ最近思うことは…
夫が「どうして」死んでしまったのかという、理由にこだわることは
やめたほうがいいのかな、ということです。
それは本人に聞かなきゃわからないし、そんなことできないし…
「どうして、どうして、何故、何故…」と、それに縛られていたら前には進めないです…それとも、まだ進まなくてもいいのかな…
まだ立ち止まったままでもいいのかな・・・まだ顔も上げてないもんなぁ。うつむいて自分の足元みているだけ…一歩はいつ出るのかな・・・
涙が足元にたまって水たまりになって、ぬかるんでどんどん沈んだらどうしよう…
また悪いほうに考えてしまった。
四十九日、納骨、新盆、一周忌…少し立ち直ってはまた確認させられる、悲しい・・・その繰り返しの中で少しずつ少しずつ気持の整理して
自然に一歩が踏み出せるといいな・・・。

今日、夫の車を廃車に出しました。私は運転しないので必要ないのです。夫は趣味もない人でしたが車だけは大切にピカピカにしていつも
「14年乗ってるようには見えないだろ!きれいだろ!」って自慢してました。

br.iさん、お体大変ですね、一日も早く回復されますように・・・
せめてベッドから見上げる空が明日も青空でありますように・・・

みどりさん、またお声かけてくださいね。
脈絡のない文になってしまいましたが読んでくれてありがとうございました。




12626 ゆっくり休んでください。 山ゆり 2007/12/28 15:05
女性 / 40歳台 / 子 / 5年以内 / 関東
br.i様
はじめまして。山ゆりと申します。
息子が亡くなって今月で3年が経ちました。

ときどきこのページを開いてbr.iさんのことばを聞いていました。
息子さんとお酒を飲んだ事,息子さんに風船を飛ばしたこと‥
心に染み入り私もいっしょに涙しました。男親の気持ちが胸に迫り,何も口にしない夫の心情を教えてもらった気がしてました。

br.iさん,いままでずいぶんと頑張ってこられましたね。いままでの疲れが出たのだと思います。今はゆっくり休んでください。
流れる涙はかれることはないですね‥とめどなく流れてくるものですね‥

何かで聞いたことばです。『どんな悲惨があっても,生きてさえいれば,いつかきっと笑える日がくる‥』ゆっくりと歩いて行ってください。いっしょに歩いていってください。
突然のメールの失礼をお許しください。




12627 年末ですね あるる 2007/12/28 19:38
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
 こんにちは、年末ですね。

粉雪さんこんにちは、みどりさん初めまして、あるると申します。

私にとって、粉雪さんは今まで私が通ってきた道です。

みどりさんはこれからの私の未来かも知れませんね。

それぞれの人生や生き方が違うのですから、考え方や思いもそれぞれだと思うのですが、それでも思ってしまいます。

粉雪さん、お身体は大丈夫でしょうか?今は色々な物に追われて精神的や身体的に辛い時期ではないでしょうか。

ご主人の車を廃車されたそうですね、辛いですね、思い出が減っていく気分になっているのではないでしょうか。
私は、根性無しだったので、一年廃車出来ずにいました。少しでも、一つでも主人が触った物や使っていた物をその時のままにして置きたかった。洗ってしまうのも、匂いが消えそうでこっそり仕舞ったりしてね

今考えても、馬鹿だなと思い、仕方ないよねと思い、私がおでぶさんなので主人の服のサイズが合うこともあって、未だに着ていたり。情けないことばかりしています。

気合いと根性で今を生き、周りにはもうすっかり過去の事だと、思われて、笑って過ごしながらも、中身はこんな物です。

たまに、こんなに頑張っているのに、無理して生きているのに誰にも理解して貰えない!!って思いつつ、誰かに頭をヨシヨシって撫でながら「頑張ってるよ。判ってるよ。」と言って貰いたいなんて夢みたいな事考えてます。

色々な思いや気持ちは押さえつけても溢れる物ですし、無理に押さえつけてもさほど良い結果には繋がらないように思います。
毎日向き合うには辛すぎるから、溢れてくる思いに少しずつ向き合うしかないのでしょね。

粉雪さん、私には子供が居ないので、そんな人間が言って良いものか悩んでしまいますが、お子様と握手とかされてみてはどうでしょうか?

粉雪さんとは又違うけれど寂しい思いや苦しい気持ちを持ってらっしゃると思います。少しでも粉雪さんにとっても又お子様にとっても、柔らかい気持ちが出てくるかもしれません

私の実家の母が、心配して会いに来てくれる度に帰り際に握手してくれるのです。抱き締めてくれたりもします。そうすると、冷えた心が温まります。

実家の親兄弟は私の主人には決して良い感情は抱いてませんから、話す内容はとてもシビアな事が多いです。
でもそれは、親兄弟の立場からすれば当然のことで、自分を心配してくれる親族、親友、友達や先輩、皆そう言った意味で、もしかすれば傷つかれることも有ると思います。

此処でしか理解して貰えない心情ってありますものね

出来れば、直ぐでなくても良いんです。苦しい思いがありますし、傷ついてしまうのも仕方がないです。それでも、支えてくれている大事な人ですから。(かなり余計なお世話ですね・・・ごめんなさい)


みどりさん、投稿読ませていただいてます。なかなか声が掛けられなくて、私は遺族会に参加したことがないので、どうお声を掛けて良いものか悩んでいました。

私の心情がかなり複雑なもので、自分で遺族会の参加については保留中です。

みどりさんの姿が未来に続く道の一つなのでしょうね。頑張っているつもりなのですが、あっちにふらふら、こっちにふらふらと揺れてしまって、此処でも迷惑ばかり掛けて申し訳ないばかりです。

遺族会の参加は、色んな意味で得る物が沢山あるとは思うのですが、今は未だ、自分の気持ちの整理や思いも枝葉のようで、参加を保留しています。参加する時がくれば、流れにのって参加できるかな?とか思っています。

みどりさんは今が一つ目のチャンスなのかも知れませんね?良くお考えになって決められたら良いのになって思います。(是も又余計なお世話ですよね。 困ったなぁ)


未だ人にどうこう云えるほどしっかりもしていませんが、粉雪さんゆっくり、躓きながらでも良いから、歩いていきましょうね

みどりさん、今までの辛いことこれからの辛いことを一足先に進んでらっしゃいますが、だから平気な訳もなく、もし良ければ、お話やお気持ちを聞かせていただければと思います。

何か又、長々とよく判らないものを書いてしまって、ごめんなさい。

日々寒くなって参りました。ここを訪れる全ての方々へ、体調には気を付けてお過ごし下さい。


12628 あるるさん モリ 2007/12/28 21:56
男性 / 妻 / 2年以内
年末ですね。妻が亡くなって2年です。頑張っているよ。
解ってほしい。でも伝える相手がいない。遠い世界に行ってしまって
伝えられないですね。
一番解ってほしい人が側にいないのは辛いですよね。

判っていても,思い出す日々をすごしています。



12631 モリさんへ あるる 2007/12/29 19:39
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
お声を掛けていただいて有難うございます。

辛いですね。自分だけが辛い訳じゃないって判っていても、見聞きするものや全てが

それでも、少しづつ乗り越えるしかないのでしょうね。

何十年後か何時になるか判らないけど、もし同じ場所に行くことになって逢うときに、哀しませる訳にはいきませんからね

取り敢えず、叱りとばして蛸殴りにしして跪かせるには・・あっモリさんは奥様だから、抱き締めてあげなければね


12632 ありがとう br.i 2007/12/29 20:02
男性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 中部
山ゆりさん、粉雪さん
心あたたまる優しいお言葉、ありがとうございました。とても慰められ、励まされました。おかげさまで、少し体が動くようになってきました。
年越しは病院で迎えますが、来年は必ず歩いて帰れるようになろうと、前向きに考えられるようになりました。
山ゆりさん、私たちはこれから、いったいどうすればいいのでしょうか?本当に生きていけるのでしょうか?前向きに生きていいのでしょうか?
何も語られないという御主人も、多分ずいぶん苦しみ、山ゆりさんとともに生きてこられたんですね。
私はどうしてもわかりません。できれば誰かに教えてもらいたい。
世の中から孤立してしまった私たちは、まわりに語り合える人がいないので、ここに来て皆さんの言葉に耳を傾けています。

私は本当に無力で薄情な父親でした。どうしても自分許せません。だから体を壊したのかもしれません。
でも同じ立場の山ゆりさんたちが、前にいてくださる。だから私もゆっくりと歩んでいこうと思います。
本当にありがとうございました。



12633 悲歎から意義が見出せたら 藻 2007/12/29 20:04

大掃除をしていたら、わが子が使っていた弁当のハンカチ、アルミ器、プラスチックのソース入れなど・・・あれから2年以上も経過していて、喪失の悲しみの刃に刺されるような激痛はおさまったはずなのに、やりきれない悲しみの波がヒタヒタと押寄せる。
 特別な体験を、個人的にしまいこんでどうにか生きることもできそうな日があるけれど、ある程度の年月がたったら、勇気をふりしぼって「自殺防止への活動」へと繋げたい。また自死遺族どうしの共感と励ましへと繋げることができればいいなあと思う。・・・。死をむだにしないで、生きることが苦しい人に、遺された家族の慟哭を伝えて、「それでも、どうか生き抜いてほしい」と訴えたい。


12635 あるるさんへ モリ 2007/12/30 11:07
男性 / 40歳台 / 妻 / 2年以内 / 中部
久しぶりに掲示板に書き込みをしました。レスをしていただいてありがとうございます。

子供が居ない分自由になる時間はあるのですが,逆に思い出そうとしなくても自然と思い出してしまう。。
ため息まじりの毎日ですね。
二歩前進一歩後退しながらでも乗り越えたり受け入れたりしなければいけないのでしょうね。
年末になるとあ〜何年だ。。と思ってしまい寂しさが募ります。

いつの日になるか。。判りませんが,今度会ったときは,どうしてやりましょうかね。
取り敢えず,怒って張り飛ばしますか。。大丈夫?


12636 あるるさん、みどりさん ありがとう。 粉雪 2007/12/30 23:08
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 北海道
今年も残り一日となりましたね・・・昨年の今頃も、夫が仕事の事で
悩み憂鬱な年末を過ごしていました。
でもまさか、その一年後、あの人がいなくなるなんて想像もしなかった。来年の年末こそは楽しく過ごしたいって思ってた。

最近は悲しいばかりでなく、怒りを感じるようになってきました。
こんなに私に苦しい寂しい思いをさせて…
様子がおかしいから、目を離さずにいたけれど、夫は「心配してるの?
死ぬ、死ぬ、って言ってる奴に限って、そんな勇気ないから。心配するな」って言ったのに。

大うそつき!!なんで勇気出したの!!!

物事を悪くしか考えられない人で、前向きになろうと努力をしなかった。気晴らしに遊んだりもせず、ずっと暗かった。
うつになるずっと以前にも仕事で悩んで落ち込んだことがあるし、今回もそうだけど、本人はどんなに落ち込んでも特に体調崩すわけでもなかった、でも代わりにそんな夫を見てる私の体調が崩れた。
心臓が苦しくなったり、じんましんが出たり、胃が痛くなったり・・・
ストレスだとわかっていたけど、病院ばかり行ってた。
病気が異常に怖いから、今日だって、ちょっとのめまいで怖くて怖くて…年末年始かかりつけの病院は休みだと考えるとパニックのようになって…こんな思いをさせて、夫に頭にきてます。
布団に入っても、目をつぶるのが怖くてたまらない時もある。
このまま明日の朝目覚めなかったらどうしようって…
大きな真っ暗な穴に吸い込まれてしまいそうで、不安で不安でたまらない時も…

ここには、お子さんがいない方もいらっしゃるので、私の発言が
気に障ったらごめんなさい。
あるるさんが、子供と握手してみては、といってくれましたね。
うちには、20歳16歳14歳、の三人のこどもがおります。
親バカで申し訳ないのですが、三人とも本当に優しいのです。
スキンシップはたぶんこの年齢の子供を持つ家庭にしては多い方だと思います。真ん中が息子なのですが、特に優しく、肩を抱いてくれたり沈んだ顔して横になっていると、スッと横に添い寝してくれたり…
姉や妹に「マザコン〜!!」とバカにされながらも、恥ずかしげもなく
くっついてきます。この子たちがいるから、救われています。
だから私は、生きなきゃと思います。めまいで辛かった時、夫が寂しいから呼んでるのかなと思いました。でも「子供のために、まだそっちには行けないよ」って遺影に訴えました。

でも…いくら子供に癒されても、ぽっかり心に空いた穴は埋まらない。
夫じゃなきゃだめなんです…一人で何もかも責任を持つのが心細い。
だからこんな不安な思いをさせている夫に怒っています。
どんなさえない人でもいるだけで安心していたんだと思います。
だから、ひどい事も言ったし、馬鹿にもしたし、顔もまともに見ない日々がつづいた。甘えの裏返しだったのかもしれません。

四十九日まではふわふわとこの辺にいるのかな。あと三日だね。
あちらに行く前に、お願い一度でいい夢に出てきて・・・・




12637 はじめまして みーちゃん 2007/12/31 11:02
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
はじめまして。
私は今年の9月に大好きな主人を自死で亡くしました。
私と主人は看護師で、看護学校で知り合いました。入学式の時に隣同士にになり、私の一目惚れでした・・・とは言っても、私はバツ1、当時2人の子持ち・・・というか、1回目は出産前に離婚、2回目はその8年後相手が娘に酷い事をして、結局未婚で産みました。
一番上のお姉ちゃんが6歳の時に女で一つでも困らない様にと、母が看護師の道を薦めてくれました。
准看護師として働いて居た時、真ん中の子供の父親と知り合いました。

もう2度と恋愛も結婚もしないと誓い、正看護師の学校に進んだ時に今の主人と出逢ったんです。
あれだけ強く誓ったはずなのに、人の気持ちとは脆いですね。
主人を見た瞬間恋に落ちるなんて。
彼は9歳も年下だったけど、微塵も感じさせませんでした。今まで張り詰めていた糸がぷつっと切れたと言うか、初めて呼吸した感じがしたんです。
8歳の時に死産で弟を亡くし、それから母は昼夜働いて女で一つで私を育ててくれました。
主人は弟の生まれ変わりだったのかな?

でも主人はうつだったんです。知らなかった・・・自分が幸せすぎて、主人に頼り、甘えすぎて。気づいてあげられなかった・・・

主人は幼い頃、虐待を受けてたんです。そんな辛い主人を守るどころか、守られてばかりでした。私が気づいていれば、主人はもっと長く生きれたかも、と思うと胸が張り裂けそうです。
毎晩布団に入ると、警察で最後に対面した主人の顔が蘇ってくるんです。
「看護師だからとか妻だからとか関係ないよ、その人の気持ちはその人にしか分からないんだよ。もしかしたら本人にも分からなかったのかも。何も言わず、最後まで病気と闘って、精一杯生ききった旦那さんを尊敬するよ、私はね・・・乗り超えなくていい、旦那さんの死と共に生きて行けばいい。一緒に生きていこうね。」

これは4年前14歳の娘さんを突然死で、そして1年前再婚が決まっていた婚約者を自死で亡くした私の親友が言ってくれた言葉です。

今でもこのまま眠って目が覚めなければいいのにと思ったり、心無い人に色々言われた時に思い出しています。

私達には実子も産まれました。とても主人に似ていて生き写しです。
主人は3人の子供を分け隔てなく本当に可愛がってくれました。
家事も手伝ってくれたし、本当に優しい人でした。
毎日逢いたいです。早く迎えに来てほしいです。

でも子供達に支えられながら、かろうじて息をしています。来年初めから、再就職も決まりました。
主人が生涯かけてやりたかった仕事を誇りを持って、私が引き継いでいかなければと思っています。
ただ、前の日に言い合いをしてしまった事だけは、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今頃謝ってるけど、主人にちゃんと伝わってるかな・・・?

初めての投稿なのに随分長くなってごめんなさい。


12638 粉雪さん…、そしてみなさんへ サル 2007/12/31 12:11
男性 / 40歳台 / 妻 / 1年以内 / 北海道
同じ北海道ということもあって、何かを伝えなきゃという思いになりました。
かといって、何を伝えたいのかははっきりしません。
そんな中で自己満足な書き込みをすることを許して下さい。

>物事を悪くしか考えられない人で、前向きになろうと努力をしなかっ
>た。気晴らしに遊んだりもせず、ずっと暗かった。
>うつになるずっと以前にも仕事で悩んで落ち込んだことがあるし、今
>回もそうだけど、本人はどんなに落ち込んでも特に体調崩すわけでも
>なかった、でも代わりにそんな夫を見てる私の体調が崩れた。

読んでいて他人のことのような感じがしませんでした。
うちとまるで同じだからです。
でも唯一の違いは、亡くなったのは僕ではなく、妻のほうだったということです。

僕はうつ病の治療を受けていました。
仕事のことで悩み続けていた自分は、外では出せない甘えを、全て妻にぶつけていました。
毎日、毎日うだうだ言い続ける僕を、妻は時にきびしく、時に優しく支え続けてくれました。
ぶつかり合い、いがみ合うこともありました。

もともと妻は、内向的で後ろ向きな僕とは対照的な性格で、
小さなことにくよくよしない前向きな人間でした。
でも、そんな日々を続ける中で、しだいに心が病んでいきました。
体もボロボロになっていきました。
うつ病と闘い、健康不安と闘い、
不甲斐ない夫と闘いながら、
最後は力尽きて、自死を選びました。

妻が亡くなったあと、どこにもぶつけられなかった僕に対する怒りを書き殴ったものがたくさんでてきました。
今のあなたの怒りと本当によく似ています。
でも、僕は今、その全てを嬉しい気持ちで受け入れています。
怒りという形で僕に甘えてくれたんだって…。
最後の場所として二人の寝室を選んだのも、
最後の姿を僕に見つけさせてくれたのも、
最後は僕に甘えてくれたのかなって…。

粉雪さん。
怒りも、悲しみも、虚しさも、無念さも、不安も…
今は、沸き起こる全ての感情をありのままに自然に
心の中にしたためておいてもいいと思います。
無理に、こういうふうに思おうとかする必要はないと思います。

泣きたかった泣き…
怒りたかったら怒り…
虚しくなったら沈黙し…
話したくなったら話し…

軽はずみなことを言ってすみません。
あなたの今の不安や寂しさや心にぽっかり空いた穴を埋めるのは、
時間以外にはないでしょうが…
ご主人は、そんなあなたのことを全て受けとめてくれるはずです。
あなたに心から感謝しながら。
今の僕がそうであるように…。

ここの掲示板のみなさんも、あなたのことを全て受け止めてくれます。


みーちゃんさんへ
 悲しみの真っ只中にいるあなたにかける言葉はないのかもしれません。でも、あなたの気持ちはご主人にしっかりと伝わっていると思います。なにより、悲しみの中にいても、それでも進もうとしているあなたの姿を見て…。どうぞご自愛を。

あるるさんへ
 あなたの優しさが文面から伝わってきて、読む度に心を暖かくしてくれます。自分の悲しみを、人の幸せに…。見習いたいと思います。どうぞご自愛を。

みなさんへ
 自分勝手な書き込みで、気持ちを害されたり、悲しい思いをされた方がいたら申し訳ありません。今までめったに書き込みはしませんでしたが、みなさんの言葉がくじけそうな背中を何度も押してくれて、ここまで来ました。
 今年もあとわずか。ここに来る全てのみなさんに、普通だけど、素晴らしい新しい年が訪れることを、心から祈っています。

長々とすみませんでした。



12639 サルさん みーちゃん 2007/12/31 13:27
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
早速温かい言葉をありがとうございます。
涙が溢れました。

辛く悲しいのは、私だけじゃないのに・・・

どうかこの「青い空の彼方」に集われた皆様の心がいつの日にか癒され、そして心が安らぎますように。


12640 みーちゃんさんへ サル 2007/12/31 14:50
男性 / 40歳台 / 妻 / 1年以内 / 北海道
さっきは、言葉足らずの書き込みでごめんなさい。
あなたに書いた言葉の続きに、「だからこそ、頑張りすぎないで下さい。」って書こうと思って、長くなりそうなのでそこで終わってしまいました。

あなたは、きっと強い人だと周りから思われてるんじゃないかと思います。
あなたの身にこれまで起こってきたいくつかの辛い出来事や悲しい出来事…
その全てを乗り越えて、ここまできたあなたには、あなたにしかない心の強さや暖かさがあります。
あなたの文章からは、その強さと優しさが伝わってきます。
でも、その陰には、あなたにしか分からない辛さや悲しみが、その何倍も何倍も溢れているんだろうなって思います。

「主人が生涯かけてやりたかった仕事を誇りを持って、私が引き継いでいかなければ…」
すでに、そんなふうに思おうとしているあなたは、きっと、だまっていても頑張りすぎるくらい頑張ってしまう人だと思います。
でも、前向きな気持ちはそのままに、今はもっと甘えていてもいいとも思います。
前向きな心に水を差すような言葉になっていたらすみません。
決してそういう意味ではありません。

もっと頑張る必要はないと思います。
あなたはこれまでも頑張ってきたんですから…。
頑張りすぎるほど頑張ってきたんですから…。
あなたは普通にしているだけで、十分に頑張っているし、
きっとこれからも頑張っていくはずです。

そのことを何よりも知っているのは、他ならぬご主人自身なのですから…。

天寿を全うしたあなたのことを、
「前の日の言い合いなんてなんとも思ってないよ」
って微笑みながら、きっといつかご主人は優しく迎えに来てくれます。
その日が来るまでは、頑張りすぎずに、頑張って生きましょう。

初めてなのに、思いこみで勝手なことを書いてすみません。
でも、さっきの僕の言葉で、「辛いのは自分だけでないのに、もっと頑張らないと…」って、そんなふうに思ってしまったら申し訳なくて…。ついつい、長々と書いてしまいました。



12641 こんにちわ たぬき 2007/12/31 17:25
女性 / 20歳台 / 祖母 / 1年以内 / 日本国内
わたしは約1年前に祖母を亡くしました。
未だ死というものを受け入れることができません。
そして同じ気持ちである皆様のお気持ちを読ませて頂き、
元気を頂いきました。

祖母は、私の母である実の娘と仲が悪く、
私と祖母の関係は親子以上のものでした。

祖母にとっては頼れるのは私しかいなかったのに、
わたしは自分の事ばかり考えて、
鬱病だった祖母に親身に接しなかった。。。
鬱病の辛さを全然理解できていなかった。。。

私は両親とは殆ど会話しませんが、
毎日祖母の部屋に寄って
一日の出来事を話たり、
心から一緒に笑ったりできる
今までの人生で最も大切な人でした。

何回も助けてとゆうサインを出してたにも関わらず・・・
私が仕事なんか休んでつきっきりで看病していたら
祖母は苦しまなかったと思うと、
悔しさ、後悔とごめんね、、という気持ちで涙がとまりません。
あの時あぁしとけば。。。
その気持ちは皆さんと同じですね。

今海外で過ごしているので、
命日に帰国した時、家に祖母がいない事が信じられません。
今は祖母が死の前日まで10年間毎日欠かさず書き続けた日記が
私の宝物です。









12642 サルさんへ みーちゃん 2007/12/31 20:23
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
たった今、また温かい言葉を読まさせて頂きました。
サルさんにはお逢いした事ないのに、まるで心の中を見透かされているようでした。
涙がぼろぼろとこぼれているのに、温かい気持ちで一杯になりました。
サルさんの言ってくださったように、主人に私の気持ちが伝わったような気がしてきました。

私もうつではないですが、PTSDからくる2次、3次的性適応障害と診断され薬を飲んでいます。
サルさんの奥様はお2人の思い出の部屋でと言われていましたが、私の主人は家ではないですが、やはり家族でよく行った思い出の場所でした。
思い出させてすみません・・・

何十冊も本を読み漁り、今更ながら精神看護の勉強をし直し、自死する人には死以外何も考えられないのだと・・・体験世界は色褪せ、仕事や家族、友人・・・全てを忘れるのだということが分かってきました。
そんな事今更分かったところで、亡くなった人は還らないけど。

でも私はその言葉に少しだけ救われたんです。
きっと私達を拒絶した結果なんかじゃなかったんです。

私ごときが偉そうに言ってすみません。
けれどそうやって少しでもサルさんや他の皆さんが私と同じように思えたらいいなと思います。

主人が逝く28日前、私は流産しました。きっと今一緒に居てくれてると思います。

寒くなりました、北海道の寒さはこちらと比にならないでしょう。
どうかインフルエンザ等にはくれぐれも気をつけて下さい。

年末のお忙しい中の心温まる返信本当に有難うございました。
元気が出ました。頑張りすぎず生きてみます。



12643 みなさん アン 2008/01/01 00:35
男性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 関東
はじめまして。
こちらを拝見していると,同じような境遇の方が多いことに,驚いています。

我が家も,家内が,うつ病と3年近く戦った結果,自死という結果になってしまい,残念でなりません。

でも,今,思うのは,この病気に使われる薬,心の病気といっても,心といった臓器はなく,脳に作用する薬,この薬も,よくなる一方,危険なものなのか?って思ってしまいます。

それが原因なのかは分かりませんが。

もう一点,お尋ねしたいのですが,
奥様,または,ご主人を亡くされてしまった方,
お子さんはいらっしゃるのでしょうか?

お子さんには,どのように伝えているのでしょうか。
我が家は,病状を見ていたこともあり,死因については,
本当のことを,説明しました。

幸い,子供達(16才女,13才男)なりに,受け止め?!,母親の思いを
胸に持ちながら,前を向いて,歩いてくれています。

皆さんのお子さんは,どうなんでしょうか?

でも,私自身,仕事,家事等を両立させ,
余裕もないこともあり,些細なことで,切れる自分がいます。

私は,子供達に切れることで,発散?!していますが,
子供達は,どうやって発散させているのか?

そう思うと,もっと大きな心で,向かい合わなければと
反省する日々を過ごしています。

でも,なかなか難しいです。
子供達も,自己主張,親が煙い年頃でもあり。

今日は,子供達と,お墓に行く予定です。


12644 初書き あるる 2008/01/01 01:15
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
一番乗りできるかな?

昨年は異様にお世話になってしまいました。ありがとうございます。

さて、年が明けてしまいましたね。又今年一年、気合いと根性で乗り切らねばいけません。

心が折れたら助けて下さいね。泣き言ビシビシ、愚痴バシバシと此処に凹みに来ますので(根性無し発言です)お願いいたします。

サルさん

ありがとうございます。そう言って貰えるだけで、少し安心です。何時も書いては凹み書いては不安に駆られるので嬉しかったです。

粉雪さん

何時も余計なことばかり書いてごめんなさい。お子様のことは良く知りもしないのに本当に余計なお世話をしてしまってすみませんでした。

モリさん

張り倒すのは痛いかも?でも少しくらいはね!ちゃんと正座させて説教しましょうね。そして話を聞いてあげましょうね?こっちが辛かった事をぶちまけた後、ちゃんと聞いてあげましょう。そしたら抱き締めてくれるかな?私は抱き締めて欲しいな。(うっ、こんな事書いて照れますね)

皆様が少しでも心安らかに過ごせますように


12646 アンさんへ なお 2008/01/03 01:05
女性 / 30歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
はじめまして。

この場所を訪れるのは久しぶりです。

私もうつ病が原因で夫を亡くしました。3年半の闘病の末でした。もう2年以上前の出来事です。

私自身は夫のことに関しては、楽しいこと、うれしいこと、そして今回のような身を切られるようなつらく苦しいことでも、夫婦は対等なんだからすべてのことを受け入れる・・・という形で心の整理をつけ、今では穏やかに暮らしています。

私の気持ちはこれでなんとか決着ですが、決着していないのは子どもでした。

アンさんのお子さんたちと違い、うちの子どもが父親を亡くしたのはもうすぐ2歳というときでした。
当時は、まだまだ母親べったりで、また子どもが6ヶ月の頃から半年間夫は入院していたり、それでなくても病気で神経質になっていて子どもが近寄りがたい雰囲気を醸し出していたので、最近までは父親不在はあまり気になっていないようでした。

それが最近は周りと自分の違いを理解し始めたようで、ふとした拍子に「○○(子どもの名前)もパパとママと3人がいい。」と言って泣くようになりました。

昨日も夫の実家に行き、自分と同い年の従兄弟が父親(夫の弟)と楽しく遊んでいる姿を見て寂しくなったのか、今日ご飯を食べながら突然泣き始めました。

折に触れて父親が亡くなったこと、もう逢えないこと、でも赤ちゃんの頃はとってもかわいがっていたことを話してきたのですが、当たり前ですがまだまだ理解出来ないらしく、私も母親としてもっとしっかりしなければいけないのに、いっしょに泣くことしかできず、自分に不甲斐なさを感じています。

未成年の頃に親を亡くす・・・ということだけでも大変なことなのにやはりこういった亡くなり方はかなりの衝撃を子どもに与えるのだろうな・・・と痛感しています。

アンさんのお子さんのように状況がわかっている状態の上に多感な時期に亡くすのも、うちの子どものように顔も憶えていない、想い出も何一つないときに亡くすのも、それぞれ難しいものがありますね。

私も、子どもがもう少し大きくなっていろいろなことをきちんと理解できるようになったとき、子どもにはきちんと真実を伝えようと思っています。
きっと背負わなくてもいいものを背負わせてしまうことになると思いますが、子どもであっても独立した人格である限り、彼なりの決着をつけるしかない、夫を生き返らせることが出来ない以上、成長するつれて明確に複雑になっていくであろう彼の悩みを根本的に解消することできないし、結局私に出来ることは彼が望む手助けをしてあげることくらいしかないのでしょうね、無力ですが・・・。

くよくよ考えてもしかたないので、なるようになるさと思うようにしています。

私もフルタイムで働いているので、毎日がとても忙しく余裕がなくなるとついつい子どもにしわ寄せが行ってしまうので、家事などアウトソーシングできるものはどんどんして、旅行などの趣味はON、OFFのメリハリをつけるためにも可能な限りするようにして、思いっきり自分を甘やかしています。

自分が煮詰まらないことを基準にモノゴトを決めていくことを心がけています。

とにかく頑張りすぎず、気負いすぎず、流れに身を任せるくらいの気持ちでやっていくしかないですね。

長々と自分のことばかり書いてしまい申し訳ございません。

うちは4日が月命日です。週末にお墓参りに行って来ます。


12647 なおさんへ アン 2008/01/04 00:46
男性 / 40歳台 / 妻 / 1年以内 / 関東
はじめまして。
そして,ご意見,ありがとうございました。

なおさんのお子さんの年齢を考えると,我が家は,多感な時期ではあるものの,なおさんが今後のご苦労をお一人で背負われるより,救われているのかと思いました。

ですので,なおさんが言われるよう,選択と集中で,アウトソースできるものは,アウトソーシングすべしですね。賛成です。

自分を甘やかす,これに尽きると思います。
私も,この季節,雪が恋しく,昨日,子供に雪を見に行くかい?と尋ねると行かないというので,すっかり甘え,お昼は子供が食べるようにして,一路高速で,雪を見に行ってきてしまいました。

なおさんのところは,こういったことは,まだまだ難しいかもしれませんが,でも,そういったことも必要ですよね。

家内が闘病中,倅の方が,一時期,一ヶ月程度でしたが,プチ不登校になりました。学校の担任から,お子さんは,お母さんに甘えたい時期です。でも,お母さんの様子をみて,我慢していると思います。なんでも話を聞いてあげてください。また,一方,会社の先輩で不登校のお子さんを抱えている人がいました。その人が,息子さんの通院している精神科の医師から,こう言われたよという内容を,伝授いただきました。「お父さんの目線は,お子さんにとって,まったく意味がありません。お父さんの目線がプレッシャになり,行き場所がなくなっているんです。」それを聞き,私自身,家内が家事等できなくなり,私も会社を休み,家事に専念,その家事を,自分の時間軸で,全て,抑えていた。家事をすることだけに追われ,息子の落ち着く居心地,SOSは完全に見逃していたことを,痛切に,思い知らされました。

一方,家内が亡くなってしまった後,家内が通院していた精神科の医師に,その事実を伝えに行った際,その医師は,お子さんに,一度話しをさせてくださいと言ってくれました。そして,子供を連れていった時,その医師は,お母さんは,君達を,とても大切に愛していた。それが強すぎ,とても心配しすぎたこともあったと。心筋梗塞って知っている?心も,急に,ものすごく悪くなることがあって,お母さんもそういったことで。。。と。

そして,私には,奥さんのことを,お子さん達の悲しみから拭い去るために伏せるのではなく,奥さんがいた時同じように,奥さんのお話をしてあげてくださいということを,忠告受けました。

参考になるかわかりませんが,ひとつのエピソードとして,長々と書いてしまい,申し訳ありませんでした。

何れにしても,なるようにしかならん!煮詰まるな!ですね。
私自身,煮詰まった結果,上のような苦いエピソードを経験した訳ですので。

お墓参り,家内が亡くなるまでは,先祖の墓参りを,行事としか捉えていませんでしたが,家内が亡くなってからは,お墓が一番落ち着く場所になっています。

ありがとうございました。


12649 みどりさんへ あるる 2008/01/05 21:27
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
こんにちは

下記についてなのですが、個人的にデリケートな事柄もあり掲示板で意見を求められる場合、無料メールなどを取得されてから、アドレス付きで投稿された方が良いとおもいます。

整理していただけるのは私個人は、有り難く良いとは思うのですが、書き込みには大変勇気が要ることですし、此処には書きたくないけどメールでは云えるような事柄もあるのではないでしょうか?

又、其れを発表されることを嫌がる方も居るかも判りません

それぞれの立場や生き方にも左右されますから

例えば、配偶者の場合 この掲示板では余り出さないけれど、DV・その他色々な事情等があり、ただ愛情だけの感情ではない方も居るでしょう

私のように愛情と憎悪と妄執の同居と云う場合もありますから

・・・すみません、余計なことばかり書いてしまって


12650 あるるさんへ かおっち 2008/01/06 02:54
女性 / 40歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
あるるさん

私はみどりさんの書き込みを読み、みどりさんの粉雪さんへのやさしさと、みなさんに対しての思いやりを感じました。
「そうやって、お互いを理解できたら、掲示板でも他の続柄の方に対して、もっとお話できるようになるかもしれないし、、。」
と書いておられます。それが趣旨だと思います。

こういった自死者に対し異なる続柄の自死遺族が語り合う場−ネット上、あるいは対面の自助グループにしろ−で、どうしてもそれぞれが感じてしまう心のしこりを、5年間見てこられたみどりさんだからこそ、お互い歩み寄って理解できないか、と一歩踏み出してくださった書き込みだと感じました。
続柄ごとの掲示板、そして例えば配偶者でも子どもの有無や、これまでの相手との関係性に応じた掲示板、、など細かく分かれた掲示板があれば浮上してこない問題でしょうが。

あるるさんは、「掲示板で意見を求められる場合、無料メールなどを取得されてから」と書いておられますが、みどりさんは決して個人で意見を取りまとめる考えはないと感じます。であれば、無料メールの取得は意味のないものだと思います。
「(配偶者として)違うと思うことや、付け足したいこと、そして他の続柄の方からは、その立場の違いなども、できたら教えていただきたいと思います」と書かれています。
この場で、コメントを書きたい方が、無理することなく意見をシェアし、みなでそれらの意見を共有することに意義があると感じます。
そして書き込む勇気はないけれど、読むことで参加している方にも、ご自分のことを考える時の何らかの参考にもなることと思います。

あるるさんは、「又、其れを発表されることを嫌がる方も居るかも判りません」と書かれましたが、発表などという言葉は、みどりさんはどこにも書かれていません。

そしてご存知と思いますが、リンクされている「暁の掲示板」もあります・・・。

皆様の書き込みに、その都度あまり反応することなく、もっと和やかに、こちらに集えればな、、とあるるさんの書き込みを読んで感じてしまい、書き込みさせていただきました。



12651 なおさん、アンさん かおっち 2008/01/06 03:54
女性 / 40歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
なおさん

なおさんと出会えたこと、あの頃から今にかけて、本当に大きな大切な出会いでした。なおさんのお子様と遊ばせていただきながら、子どもの有無について考えるとても貴重な経験をさせていただいている上に、成長する姿も見られて、嬉しいです。
でも成長するとは、いろいろな側面・現実、がやってくるのですね。
子どもが居ないので、実体験に即したことは言えないのですが。

なおさん、アンさんを始め、お子様がおられる方に少しでも参考になれば、と資料をご紹介いたします。

アメリカの「ダギーセンター」(Dougy Center−The National Center for Grieving Children & Families)が出している物で、HPから入手できます。
ダギーセンターは、親を病気や自殺や事件・事故などで亡くした子どもたちを支えるグリーフサポートセンター(嘆きの体験をシェアする所)で全米各地でセンターがありプログラムがあります。

1.After a Suicide Death - Ten Tips for Helping Children & Teens
 (自殺の後に−子どもとティーンを支える10のヒント)
 (10ページの冊子です)
2.Helping Children Cope with Death
 (子どもが死に対処するのを助ける)
 (8ページの冊子です)
3.After a Suicide Death - An Activity Book for Grieving Kids
 (自殺の後に−深い悲しみにある子どものアクティヴィティーブック)
(これは素晴らしいワークブックです。子ども向きだけあって文章がそんなにないので、ある程度英語が分かる大人による少しのヘルプで、子どもが書き込みできると思います。ところどころに、子ども達の率直な言葉も載っています)
4.35 Ways to Help a Grieving Child
 (これは日本語訳が出版されています。邦題「大切な人を亡くした子どもたちを支える35の方法」(発行所:梨の木舎)。検索するとトップで出てくるサイトに内容紹介、目次が詳細に載っています。
5.Helping Children Cope with Death
 (子どもが死に対処するのを助ける)
 (2.とは異なり、49ページある本です。)
6.Helping Teens Cope with Death
 (ティーンが死に対処するのを助ける)
 (55ページの本です。)
 (5.と6.について。アメリカでは、子どものケアの際、年齢ごとの違いに対してとても研究されています。それを背景に子どもとティーンで別れた本になっています)
7.What About the Kids? Understanding Their Needs in Funeral Planning & Services
 (お葬式の時に忘れられがちな子どもについての本)
8.Never the Same - Coming to Terms with the Death of a Parent
 (これはDougy Center発行ではありませんが、Dougy CenterのHPから上記と合わせて購入しました)

肝心な、当然のことですが、殆どの本に「あなた自身を大切にするために、自分自身のグリーフワークを忘れずに」と強調されています。
なおさん、アンさんは、まさにそれが出来ていることがなにより素晴らしいと思います。

お一人でお子様を育てながら、生活していらっしゃる方々、を影ながら応援しています。


12652 かおっちさん・みどりさんへ あるる 2008/01/06 12:30
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
こんにちは

ごめんなさい。そうですね、私の考え方が堅すぎるのでしょうか
みどりさんの折角の投稿に水を差してしまい申し訳ありませんでした。

もう少し心に余裕を待たなければいけませんね。

みどりさん、本当にごめんなさい。かおっちさん、ありがとうございます。


12653 とうぶん書き込みを自粛します みどり 2008/01/07 03:29
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
あるるさん、かおっちさん、レスをいただきありがとうございました。
おふたりの意見を自分なりに考え、とうぶん書き込みを自粛することにしました。

私のコミュニケーションのとりかたがつたないばかりに、おふたりに気を使わせることとなってしまったような気がします。

そして、私の経験はやはり私の経験なのだと痛感します。

私は自分の経験則から、4つの配偶者としての共通と思われる立場を
書かせていただきました。
それは共通のベースになる経験を提示することで、他の続柄の方とお互いにもっとわかりあえたり、お話しすることができるのではないかと思ったからです。

かおっちさんがおっしゃったことと重複しますが、私個人が意見をとりまとめるようなつもりはなく、あるるさんが心配していたようなプライバシーに踏み込むような関わりをもとめたわけでもないんです。
むしろ、反対に普遍的なこと、たとえば配偶者という立場であれば故人と血縁でないとか、再婚の問題とか、様々な状況はあれど、共通と思われることを提示して、わかりあえる関係をつくりたかったのです。続柄が同じであれば暗黙の了解であることも、ちがう続柄であれば思いいたらないことがあるかもしれないし、、。
私自身この掲示板では同じ続柄の方としかお話していません。それは他の方のお話に興味がないからではなく、どうお話していいのかわからない、私がお声をかけないほうがいいかもしれない、という気持ちからです。

でも、私が考えていたほど、簡単なことではないと実感しました。
私なりにまとめた配偶者として共通と思われる4つのベースも、事実であるからこそあえて聞くのはつらい、と思われる当事者もいるかもしれません。
それに私自身が故人の親族ともう会わないと決めている以上、ここに集う親や兄弟といった方たちに何も問うべきではないかもしれません。

なので、いろいろ考えた末、以前の書き込みは削除し、とうぶん書き込みを自粛します。

いろいろとありがとうございました。



12654 粉雪さんから、皆さんへ leeron(共同管理人) 2008/01/07 13:06
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
leeronです
粉雪さんのPCが調子が悪いということで、
携帯からメッセージをいただいています。

・・・・・・・・・・・・・
こんにちは、粉雪です。
皆さんお声をかけて下さっているのにお返事せずにごめんなさい。実は元旦早々PCが調子悪くなりまして…でもこちらのページは携帯から見ていました。ただ、今だめまいに悩まされているため携帯の小さい画面に打ち込むのがなかなかつらく、お返事できませんでした。ごめんなさい。
今日は頑張って携帯からおじゃましています。いつも皆さんの言葉に励まされています。気持ちをわかってくれる人がいるって本当に嬉しいです。

年が開け、四十九日が過ぎました。夫はとうとう夢に出てきてくれなかった。いつ夢で会えるのかな…

この一週間いろいろな事があり、気持ちも上がったり下がったり…昨日はイライラを義母にぶつけてしまい、自己嫌悪…
たくさん書きたい事はありますが、PCがなおったらそちらからゆっくりと…では中途半端ですが、また…



12655 みどりさんへ、皆さんへ leeron(共同管理人) 2008/01/07 13:16
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
共同管理人のleeronです。

みどりさん。
それぞれの方のペースや個性があるのですから、
そんなに改まることはないですよ(^^)
また投稿お待ちしておりますね。

皆さんへ。
いろんな受け取り方・反応・書き込みがあると思います。
そして、立場により、立場を同じくする方でも、
考え方に違いがあって当然だと思っています。

立場別にしないで、気持ちの方向別に掲示板を作成したのは、
それぞれの方が感じる「共有する気持ち」「違和感を感じたこと」
双方に大事なことだと思っているからです。

いつも言うのですが、
いろんな考え方があることを知り、
違和感も何もかも含めて、「自分」を知ること。
それが大事かなと思っています。

リフレッシュのために深呼吸をするとき、
まず、息を吐けるだけ吐くことが大事なんだそうです。

心に新しい空気を送りたいとき。
そのことが大事なんじゃないかなと思っています。

・・・・・・・・・・・・・
申し遅れました。
皆さん。
本年もよろしくお願いいたします




12656 信じられない毎日 ひとりん 2008/01/07 15:45
女性 / 40歳台 / 姉 / 2ヶ月以内 / 中国
先月弟を亡くしました
今日で五つ七日です
浴室にこもっての練炭による一酸化中毒でした
飲んで朝帰りをしていた彼が死のうと練炭の準備をしていたとき
酔っ払いのすることだと思い放っておきました
まさか本当に死んでしまうなんて。。。
警察の方から言われた
「お姉さんが早く通報すれば助かっていましたよ」
その言葉が耳から離れません
彼は家族のうちあたしだけにSOSを出していたのにも関わらず
それを無視してしまい見殺しにしてしまったという思いでいっぱいです
まだ死を受け入れられません
泣き叫びたいのに泣けません
母さんはずっと寝込んでいます
でも生活していかねばならないのでどうにか起きています
仕事は休んだままです
周りの人を気にしてしっかりとしていなければと
気を張って生活しています
彼がいるときは毎日彼の存在におびえていたことがありましたが
今は彼がいないことが信じられず毎日時間が流れていくのが嘘のようです
今はただあの子に誤りたい
助けてやれなくてごめんねと。。。


12657 独り なおべ 2008/01/11 01:01
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
9日は私の誕生日でした。

昨年は友人が気を遣ってパーティーを開いてくれました。

今年は、妻の遺影と共に過ごしました。

義父母から、良い意味で絶縁されました。

「もう娘の事は忘れ、新しい伴侶を見つけてくれ」と。

でも再婚する気はないし、新しい恋も作る気はありません。

義理立てとかじゃなく、本当に彼女が好きだったから。

だからこれから先、有るかもしれない出会いを全て否定します。

それを愚かと思う人も居るでしょう。

でも、私はそうしたい。

自分の一生を彼女に捧げたい。

生きている限り胸を張って言いたい。

妻は最高の女性だった、と。


12658 初投稿 シュン 2008/01/12 02:04
男性 / 20歳台 / 母 / 3年以内 / 関東
はじめまして。
最近ここを見つけて、夜な夜な研究室で読ませてもらってもらってます。
今回初めて投稿させてもらいます。

年も明けてそろそろ三回忌の時期か、と思うこの頃です。
命日が近づくにつれ、母の自死した状況を思い出してしまいます。
自分がもっと早く家に帰っていれば、母が死ぬことはなかったんじゃないかと後悔してしまいます。

悲しみなんて時が解決するとか言うけど、自分の場合は一年目よりむしろ二年目のほうが泣いてる日が多いような気がします。
母のことを忘れたいとか思わないけど、もっと気が楽になる日が来るのかな?


12660 ひとりんさんへ こびと 2008/01/12 22:05
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
見殺しにしたなんてことないです。警察の人もひとりんさんへ何ということを言うのでしょう?
うちは母をうつ病で亡くしましたが、死のう死のうとしているのはわかってまして、何度か私が見つけて絶対に死なせないぞ!と思いながらも私も疲れて油断してしまいました。
まさか本当に死ぬなんて・・・。迂闊だった・・・。何故?なぜそんなことする勇気があったの?
それからは人の命を何故軽くみていたのだろうと自責の念にがんじがらめになって毎日死にたかったです。
あんなにも大好きだった母を「疲れているから」という理由で見殺しにしてしまったと思っていました。
けれど人から「誰が助けても助けなくてもお母さんはこういうことになっていたんだよ」と言われました。
その人はいろいろな角度から人の心理、運命などを研究している人なのでただの慰めとも思わず、素直にそう思おうとしました。
自死ではない死に方でさえも「ああしてあげればよかった」と思うのにましたや自死ですから遺された人が自分を責めて当たり前です。
しかし亡くなった人が一番わかってます。
「あなたが悪いんではないよ、責めないで」と・・・。
遺された人には聞こえない。自分で自分の心の整理をするしかないのだけど、前を向いたりまた戻ったり、怒ったり泣いたり、懐かしんだり、忘れたと思ったら何かのきっかけで思い出してフラッシュバックしたり。つらいですが、みな無駄な事ではないのだと思います。
大切な人の死を自分なりに受け止めるための自然な心の移り変わりなのでしょうね。
前を向いて!とは言いません。ゆっくりと自分のことをいたわりながら、自分の心に添ってあげましょう。



12661 シュンさんへ こびと 2008/01/12 22:23
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
私もシュンさんと同じような思いを持っていました。
初めは時の経過と共に悲しみは癒えるだろうと期待していたのですが、時間は解決してくれなかった。
時が解決しなければ何にすがればよいのだろうと2年目の年はとても苦しいものでした。
私のうつ病の状態は良くなったり悪くなったりを繰り返して悪くなった時は以前にも増してものすごい落ち込みようでした。
いったい私はどうなるのだろう・・・。いまさらになって母の苦しかった心情が理解できました。そしてまた自責の念。
でも後になって考えると、あの落ち込みが良かったのかもしれないなと。
思う存分悩んだから今があるのだと。あれも私には必要なことだったのだと思います。
人によっては同じ自死遺族でも早い段階で吹っ切れてる人もいます。
私もそんな人が羨ましかったし、前向きになりたかったですが、
回り道だけれど、私は私で母の死を受け入れるために無駄な回り道ではなかったのだと思います。
マイナス思考の私でさえも少しは気持がラクになってきています。
人それぞれですが、シュンさんもきっと悲しい気持が薄らいでゆくと思いますよ。 でも、もしなかなか薄らいでいかない場合も心配しないで、それはシュンさんのお母さんに対する大きな愛情の表れですから。



12662 おひさしぶりです。 みどり 2008/01/16 16:26
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
このところ、気分が沈むことが多く、心のなかのもやもやしたものを
はきだしたいという思いで、ひさびさに投稿します。

私はもともと内向的な性格で、自分に自信がもてないタイプでしたが、
死別後、その傾向が、より強くなったような気がします。
人を信じたくても信じられない自分、強くなりたいと思いながらいつまでたっても弱いところをひきづっている自分がいて、具体的な解決法も見つからないまま、孤独を感じることがあります。
そして、集中力が続かない、、。

私の家族は、一般的よりも強い性格の人たちです。
私ひとりが、過去にしばられて置いて行かれているように感じることがあります。
精神科へ通うことは、差別を受けることにつながる、とのことで止められています。
死別から約5年たっているという状況で、遺族会への参加の同意も得られませんでした。「もうたちおってる」のだから、行く必要はない、と言われています。
それも家族が私のためを思ってのこととはわかっています。
だけど、家族が期待するほど、今の私は強くないというのも事実です。
私は夫という配偶者を亡くすという経験をしましたが、私の親にとっては義理の息子のこと、やはり私とはダメージの度合いや意味がちがうようです。「いい勉強をしたと思いなさい」と言われても、愛する人の死ですから、とてもそんな軽い言葉では、、、そういう言葉のひとつひとつにギャップを感じました。やはり私の経験は私にしかわからないことなんだろうか、と。
過去を清算して、明るい表情をたやさず、仕事をする、幸せで強い人になる、それを求められていることはわかっていますし、私もそうありたいと思っています。だけど、なにかのはずみでどんとおちこんでしまいます。
もうすぐ5年というのに、こんな調子でだいじょうぶだろうか、と、家族も心配でしょうが、一番不安に思っているのは当の私です。
正直なところ、故人の死に対する苦しみや悲しみや罪悪感、そして愛情でさえも今は薄れていて、一番強い気持ちは、自分は今後どうなるのだろう、という不安です。もう私の心のキャパシティはいっぱいになっていて、過去を清算することによって心が軽くなり、苦しみから解放され、新たに幸せになれるのなら、故人のことなど、どうでもいいと思うときがあります。自殺という手段は、いくら愛があっても卑怯に感じることは否定できないです。故人が生きているときに感じた愛情も、自殺のあとには、後悔や恐怖ばかりがさきだち、どう祈ったらいいのかもわからなかった。残された自分が生きていることにすら、罪悪感を感じて、熟睡することですら、悪事を働いているような感覚がありました。
でもそういう出来事を越えて私は生きてきましたし、いま私が求めているのは幸せになることです。

なんだかとりとめなくなってしまいました。
ひさしぶりの投稿で暗い話題でごめんなさい。


12663 みどりさんへ なおべ 2008/01/16 20:00
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
何となく同じ様に感じる事があるので書き込みしました。

精神科や心療内科に通う、鬱病になる、これらは未だに偏見の目で見られますね。特に年配の人は、かなり強く思うみたいです。

私の母は、「息子が気違いの仲間入りした」と思っていたくらいです。

何年経っても思い出は残るものではないでしょうか?

先の事に不安を感じているのは、私も一緒です。もう3回忌も終わったのに・・・。

幸せになる・・・それが故人への手向けかもしれません。

私も、笑ったり熟睡したりする事に罪悪感を感じていた時期が有ります。

配偶者・・・お互いに支え合って生きて行く大切なパートナー。

前にも書きましたが、私は再婚しません。

これから有るであろう出会いを全て否定して生きていきます。

その上で、私もそれなりに幸せを感じたいと思っています。



12664 なおべさんへ みどり 2008/01/17 12:11
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
レス、ありがとうございました。
北海道のお天気はいかがですか?

幸せになる、って、人それぞれの方法がありますよね。
何が自分にとって幸せか、につきると思います。

再婚の話が出たので、少しお話しますが、
結婚=幸せ、ではないのと同じに、再婚=幸せ、ではないと思います。
本人がずっと故人を思って独身をつらぬきたいのであれば、独身でいる事が幸せでしょうし、再婚を強く願うなら再婚したほうが幸せです。
一度は結婚をしたことがある身であればこそ、今後の身の振り方は自分の心のままに後悔のないようにすることが一番の幸せではないでしょうか。

また、子供がいる=幸せ、子供がいない=不幸というのもちがうと私は思います。いろいろな考え方があるとは思いますが、
私自身は故人の死後、子供がいない、ということがどれだけ救いだったか。それだけは、神に感謝したい気持ちになりました。
おかげで故人の親族とは完全に縁が切れたし、再婚するときも自分の気持ちひとつですみます。自分の人生を生きるという意味では身軽な自分はとても楽です。

私はもともと子供を強く切望するタイプではなかったので、今後も子供がほしいとは、あまり思いません。
そういうこともあって、子供がいらっしゃる方の書き込みを読んでも、
それを読んで、つらい、とか、不快、といった気持ちになることはなく
「子供がいると生きる支えになったりするんだな」「故人と自分を血でつないでいる存在がいるというのはうれしいものかもしれないな」
と、その人の心の平安を願うことはあれ、「自分も子供がほしかった」とは思わないのです。

人は自分の持っているものでやっていく、それが自由になる一番の近道のように思います。

とりとめなくなりましたが、時節柄、ご自愛ください。
また、お話してくださいね。







12665 話しをしたいのに・・・ 雄mama 2008/01/20 15:01
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
初めまして
 3年前にこちらを紹介されながら、投稿する「勇気」がなく、今仕事中なのに勇気を振り絞ってみました。読んで頂けるだけでいいです。私の中に滞っている気持ちを吐き出させてください。

 当時15才の長男が冷たく硬くなった姿を発見してからもうすぐ3年です。不登校だった中学を卒業して、本人も立ち上がる様子を見せてサポート高校も決まり、これから明るくなるであろうもう一つの世界へ踏み出す一歩手前でした。

 油断しました。
 苦しかった2年間の引きこもりを乗り越え、真っ黒な暗闇から見いだしたひと筋の光へむかって、さあこれからだ!と私はぬか喜びしていました。将来への不安を抱え未だ苦しみから抜けきれてなかった彼の気持ちを察する事ができなかったのです。

 近所の人達、学校の教師、職場の仲間、息子と幼なじみのお母さん方、親戚、皆さん気遣ってくれました。職場も1年も休んだのに復帰させてもらえました。お友立ちも昔のようにおつきあいしてくれます。

 でも・・息子の話ができない。私の前では思春期のお子さんの話は禁句なんです。

 私は話しがしたい。
 「うちには息子がいたのよ、うちの子はとても優しい子だったのよ、いい子だった。でも上手に育てることができなかった。母親失格だよね。私、もしガンになったら治療しない、だって早くあの子にあえるから。さみしい、逢いに逝って私みたいな者が母親だったこと謝りたい、力になれなかったこと謝りたい、そして生まれてくれてありがとうって言いたい。でも娘をのこして逝くわけにいかなくてさ。犬飼ったわよ、ペットにでも癒されなきゃやってらんないよね。アハハ」

こんなこと言ったら引いてしまうでしょうね。

 時が経つほどに、他人は「元気になって良かった」なんて言う。
3年前も2年前も、たぶん10年後もあの日はずっときょうの出来事なのに、ひとりになるといまだに溢れてくる涙を家族にさえわからないように拭かなきゃならないのが辛い。

 4月5日、桜が満開でお庭のチュウリップがいっぱい咲いてた。あんなに冷たくなるまで気がつかなかった。抱きしめてあげればよかった。生きてるうちにうんと抱きしめてあげればよかった。ごめん、ほんとにごめん。
 
 それまで自己中心で家庭を顧みず、息子の遺体の前で私の子育てをなじった夫が掌返すようにやさしくなりました。
 すべてを夫の精にするつもりなどないし、私も親である前に良い夫婦でいられなかった事は十分に反省しなければならないことです。でも、家庭崩壊の寸前までいってた環境のなかで、私も子ども達もあれほど赤信号を送っていたのに、どうして息子が死んでからでないと気がついてくれなかったのか?いまさら優しくされてもちっとも嬉しくない。顔も見たくない!と思う。
 娘の「別れないで!3人で暮らしたい!」と言う言葉にかろうじて今の現状を維持するのが精一杯の毎日。

 あと何年?いやきっと最後までここで夫に嫌悪感を抱きながら過ごすのでしょうね。だって息子と同じお墓に入りたいから。お骨をそばにおいてほしいから。

 幾多の宗教をまわり息子の居場所を探しました。死んだらどうなるのか経験者や霊能者と言われる人達の本を読みあさりました。
 結果、あの子は今とても穏やかな気持ちで日々の生活を楽しんでいると信じる事にしました。
 そして息子が成仏できるように、想いを込めて初めて木彫りで観音様を彫りました。1年がかりで超初心者彫りのチャチな観音様ですが想いだけは誰にも負けません。息子を助けてほしい、明るい場所へ救い上げてほしい、そんな想いをいっぱい込めて毎日手を合わせます。般若信教を唱えるのも毎日の日課になりました。

 息子の話はキリがありませんね。今日はこの辺で終わりにします。
いきなりの参加でいっぱい書かせて頂きました。ありがとうございます。











12666 いつも励まされています Mnya 2008/01/21 21:23
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 中部
毎日毎日ここにやってきます。
皆さんの思いに、涙。そして私だけでないと励まされています。
ありがとうございます。

私もいろいろ母の居所を探しました。本や不思議な力をもつ方など。
そして、向こうでは元気に穏やかに私たちをみていると思うことにしました。
夢に出てきた母は健康な顔つきで笑って手を振っていました。
いとこのお姉ちゃんが、母が夢の中に出てきて、大声あげてげらげら笑っていたよ、その笑い声は今も耳に残るくらい大きな笑い声だったよ、って教えてくれました。それを信じようって思います。

…でも、ごめんねという気持ちでいっぱい。
あんなにパワフルで元気で頼もしい人だったのに…
病気がよくなってきて、「あぁ、もう大丈夫だ!」と思った矢先でした。大丈夫だと思い込んでしまった。「ばか、ばか、ばか!」と自分を責め「ごめんね、お母さん」とその繰り返しです。
母が向こうで、気がかりにしているだろうと思う父のこと、それからきょうだいのこと、自分にできる限りのことをしようと思います。
「お母さん、見ていてね」って思います。母の笑顔を思いながら…

ようやく書けました。
皆様、本当にありがとうございました。
寒さが厳しくなってきました。
風邪など気をつけてくださいね。では、また。


12667 お久しぶりです。 粉雪 2008/01/21 22:41
女性 / 40歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 北海道
やっとPCが復活してこちらにおじゃますることができました。でも、書き込めない間も毎日訪れていました。
「初めまして」と参加される方を見つけるたびに、わかちあえる仲間が増えてホッとするような、でも、こんなに辛い思いをしている方がまだいるんだと思うと、やっぱり悲しいような…複雑ですね…
私はやっと2ヶ月過ぎたところで、まだまだ感情もぐちゃぐちゃで、自分の事を話すだけ、思いつくままに吐き出すのが精いっぱいですが、いつか私も、あるるさんやみどりさんやサルさん…等たくさんの方にお声をかけていただいた時にすごく嬉しかったように、誰かに声をかけてあげられる日がくるのかな…

サルさん、うちの人も最後は私たちの寝室でした。
布団の上で冷たくなっているのを私が見つけました。
あれから私は居間で寝ているので、ほとんどあの部屋は物置のようになっていますが、来月リフォームして末の娘と一緒に使う事にしました。
なんで部屋変えちゃったんだって、主人は怒るかな…?

リストラされたので今月いっぱいで仕事まで、なくなります。
もうどん底です。本当にどうしていいのかわかりません。
全てが不安で怖くて一人になると涙がとまりません。
試練は、乗り越えられる人を選んで神様が与えるんだって、ドラマかなんかで言ってたけど、そうなのかな、なんで私選ばれちゃったのかなぁ…



12668 雄mamaさん。 なつまる 2008/01/22 10:36
女性 / 30歳台 / 子 / 2年以内 / 東北
初めまして。
なつまると申します。

私も、16歳の息子を亡くしました。
同じ思いです。
こんなにぴったりと思いが一致するなんて!
不思議ですね・・・


私も、息子の事、いっぱい話したいです!
でも・・・周りは、気を使い過ぎな事の方が多いです。

雄mamaさん。
よかったら、息子さんのお話、聞かせて下さいますか・・・?

きっと、素敵なお子さんですね^v^
うちも・・・です。


12669 はじめまして シド 2008/01/22 15:42
男性 / 20歳台 / 婚約者 / 1ヶ月以内 / 東日本
10日程前にパートナーを亡くしました。
お互いバツイチだったため入籍こそはしていませんでしたが、同棲をしていました。
あの日以来、胸をえぐられるような心の痛み苦しみ悲しみは、増していくばかりです。
私にとっての生きる意味や、気力など全てを失い、ただひたすら彼女のところへ行きたいと願うばかりです。

たまたまこちらのサイトを見つけ、思わず書き込みをしてしまいましたが、ここまで書き、あとは何を書いたらよいのか、また私の書き込みがこちらで適切なものなのかもわかりません。

私たち二人は精神的な病を患っていました。
彼女は出会う前から自殺願望が強く、何度か未遂を繰り返していました。
一緒に住むようになっても2回の未遂、数回は未然に防いで来ました。
今回、悪い事が重なり、一番近くにいながら防ぐ事ができませんでした。
いつかこういう日が来てしまうのではないかと、毎日ビクビク怯えて生活をしていました。

私にとって彼女がすべてであり、彼女もそう言ってくれました。
でもそれだけでは彼女が抱える心の苦しみから、本当に救ってあげる事ができませんでした。さらに、最後は気持ちのすれ違いから、私の存在が余計彼女を苦しめていたに違いありません。

彼女にしてあげたかった事・・・まだまだたくさんありました。
失ってから気づくこともたくさんありました。
でももう遅すぎました。

彼女がよく言っていたことば・・・
「どうして生きなくちゃいけないの?」
皮肉にも今になって言葉の意味を理解した気分です。
私も同じ気持ちになってしまったから・・・


気持ちを上手く書き表すことができず、すみません。



12670 もう少し待ってもらえますか? 雄mama 2008/01/22 15:49
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
なつまるさん こんにちは
 
 ここへ来て、同じような境遇におれる方が多いことに、なぜか肩のちからが抜ける思いです。
苦しいのは私だけじゃなかったんですね。

 息子の話しができる!救われる思いです。

今、何書こうか?と目の前の息子の写真見たら涙がこみ上げてきて、書けない・・・・

 ごめんなさい 少し心の整理をします。

                      ありがとう





12671 はい。 なつまる 2008/01/22 21:33
女性 / 30歳台 / 子 / 2年以内 / 東北
雄mamaさん。
頑張らないで。。。。

いいんですよね。
私達は。

皆さん、そうですよね?

そうです!

って、言って欲しいかも・・・・・・・・・・・


ほんとは


私自身が、そう  なんだ。

話をしたいのに、何から?

どこから?

何の?


解らない


息子の<すべて!>を・・・?

でも

それは・・・・
私にも解りません、ごめんなさい

ゆっくり


でも、いいですか?

勿論!!!

ゆっくり、ゆっくり
でなきゃ、息子の自慢はできませんよね。


待ってます。

待ってて下さい。



ありがとう!!!


元気を貰えました!




12672 シドさんへ なおべ 2008/01/22 22:26
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
お若いのに辛い思いをしましたね。

籍が入っていなくても事実婚ですね。

私も1年間、泣いてばかりいました。

初七日が過ぎた頃から嘔吐を繰り返し、診断結果は「重度の鬱病」。

彼女の元へ逝きたいと、今でも思っています。

出来る事なら何か一つ成し遂げて、胸を張って逢いに行きたい。

感覚が薄れることはあっても、悲しみは残る気がします。

辛い事、悲しい事、嬉しかった事、楽しかった事、全てが大切な思い出です。

泣きながらでも良いです。

自責の念に駆られるかもしれません。

それでも、ゆっくりと立ち上がって下さい。

焦らず急がず、です。

いつも言う台詞ですが、シドさんにも言わせて下さい。

「貴方の痛みは私の痛み。貴方の苦しみは私の苦しみ」



12673 雄mamaさん  よつばと 2008/01/23 11:46
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 関東
雄mamaさん はじめまして
   よつばと と申します

久々にこちらに来させて頂き、目にした書き込み・・・
 気持ちが同じと思わずお声を掛けてしまいました。

18才の息子が天界に旅たち4月で3年になります。
  ・・・私“祐のmama”です。

>>将来への不安を抱え未だ苦しみから抜けきれてなかった彼の気持ちを察する事ができなかった。とても優しい子だった。いい子だった。母親失格。謝りたい、そして生まれてくれてありがとうって言いたい。
  
    。。。。本当に、本当にそう思います

何年経っても表面は笑顔でも胸に開いた穴は埋まることはありません。
 感情の波をコントロールするのが少し上手になっただけ・・・

  残された娘が良い人にめぐり合い、その幸せを見届けたら。。。
 一日でも早く迎えに来て欲しい!!そう思っています。

 それまでは、息子と過ごした楽しかった場面、やさしい笑顔、声を思い浮かべながらボチボチと歩いて行きます。

    お話させていただいて有難うございました。

 


   

 


 




12674 雪が降っています みどり 2008/01/23 14:08
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
今日は雪が降っています。起きたら外がまっしろ。
次つぎと降る雪、どんどん白くなる景色、色のない世界、
しろ、という色、は、少し自分のこころのなかと似ています。

午前中は元気だったのに、午後から、ちょっと悲しくなってしまった。

みなさんの書き込みを読んで、わたしも同じ気持ち、でもうまく言葉がかけられずにいます。

でも、ここに来ると、安心します。わかってもらえないと思っていた自分の気持ちをわかちあえるのだと思うと。

状況が似ている方の書き込みを読むと、あのときの自分が重なり、
ひとごととは思えない、、。そしてどの方の書き込みを読んでも、必ず、自分と重なる箇所があります。。

ほんとうにそうですよね、と、心のなかでみなさんに話しかけている自分がいます。

シドさん、つらかったですね。自分をふりかえれば、
10日前後のことであれば、悲しみにひたる間もなく、事務的な処理に忙殺されていました。周囲が一部の隙もないほど、ピンと張りつめて殺気だっていた感じを覚えています。今はちょっとの間でも、休息してくださいとしか、言葉がありません。つらい気持ちは、よくわかります。

ここに訪れている方たちは、たくさんのことを乗り越えて、
今を生きている、それだけでも、人一倍の精神力を使っていると思います。悲しい気持ちを表に出さず、明るく、しっかりと振舞う場面が日々、少なからずあるのだから、心の中が、休みすぎるということはないと思います。

私は夜明け前が一番暗い、という言葉を信じて、生きてきました。
今は、以前より、もうすぐ夜が明ける、という気持ちが強くなってきました。まだ、力が残っていると思います。
夜が明けた先に何があるのか、わからないけど、私はそれを見てみたいと思っています。


みなさまの心に、平安がありますように、すこしでもたくさん、すこしでも長く、
心から、そう願っています。








12675 なおべ様 シド 2008/01/23 14:35
男性 / 20歳台 / 婚約者 / 1ヶ月以内 / 東日本
ありがとうございます。

ここでは、私と同じような悲しみや苦しみを抱えている方ばかりなのに、今の私には、他の方を気遣ってあげられる心の余裕すらありません。
この身勝手さをお許しください。

もう少し時間が経てば、気持ちも落ち着くのかもしれませんが、
今は思うことは、彼女が何らかの形で私を迎えに来てくれる・・・
おかしいかもしれませんが、本気でそう信じて過す毎日です。

彼女の両親と彼女は絶縁状態だったため、彼女が生きている時に
私が彼女の両親と会うことは叶いませんでした。
お通夜と葬儀の時に会っただけです。

私は彼女と入籍していなかったため、遺族とはなれず、
彼女が一番憎んでいた両親に引き取られ、今後お墓の無い彼女がどうなってしまうのかなど、全く分りません。
彼女が私の知らない本当に遠くへ行ってしまう・・・
そんな現実がさらに私の頭を狂わせ、毎日彼女の写真にむかい
「早く迎えにきてね・・・」とお願いしています。

私が考える事、何が間違いで、何が正しい事か・・・
そんな判断能力も失いました。

生前、彼女が私に言っていたことば・・・

「どんな理由でも貴方が先に死んだら、私もすぐに逝くからね・・・
私は貴方がいないと生きていけないから・・・」

私も同じ気持ちです。
私が生きている事自体、重大な罪であるとしか思えません。


焦らずゆっくり・・・前を見られるようになれるでしょうか・・・


12677 シドさんへ なおべ 2008/01/23 20:08
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
生きている事が罪悪感・・・そう感じますね。

それが自然だと思います。

どうしても、そうならざるを得ない。

私も同じでした。

私の自死遺族の掲示板での最初のHNは「愚者」でした。

いつか妻が居る所へ逝けるんだ、と本気で信じています。

私も写真に語りかけます。

何故か答えが出るような気がします。

骨が何処に有ろうと、シドさんと彼女の想い出は、色褪せることなく記憶に残る筈です。

その貴重な記憶は、誰にも真似出来ない、シドさんと彼女だけが知っている事です。

長い時間との戦いになります。

私も、未だ前を向いているのか疑問です。

でも、その内迎えに着てくれるだろうと信じています。



12678 心の整理って無理 雄mama 2008/01/24 01:58
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
よつばとさん 初めまして
似たような境遇の方ってほんといらっしゃるんですね。よろしくです。

夜中に眠れなくてPCの前に座りました。
 心の整理をします、なんてそれができていたらこんなに苦しくないですよね。

息子の事を書かせてください
 
 昨年のクリスマス、”ガンダムおたく”の息子にガンダムの模型をプレゼントしました。
 お位牌の前に置いていても一向に組み立てる様子もないので(当たり前ですが)、私が挑戦してみました。彼のエアーコンプレッサーで色を塗り、彼の工具で「これをこうして、これがここであーしてこーして」小さな部品に四苦八苦しながら2週間かかりました。
 戦闘機がロボットに変身するやつ。なんて言ったっけ?最近ド忘れがひどくて(^^ゞ  一部分のパーツを愛犬に噛みつぶされちょっと武器に難ありですが・・・私的にはバッチリです。

母「どう?」
息子「ふ〜ん まあまあかな」
ニタ〜と笑いながらケーキを食べる顔が浮かんできました。

バカみたいでしょ。もう3年も経つのに・・・
今年の18才のお誕生日何あげようかな


 


12679 シドさんへ みどり 2008/01/24 16:12
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
どのようにお伝えしたら良いのか、迷いながら書いています。
シドさんとみなさんの気持ちを汲み取りながら、書くつもりでいますが、まちがっていたら、ごめんなさい。

シドさん、
空虚感、孤独感、どうしたらいいのか判断がつかない、
など、今はとてもつらい気持ちだと思います。

ただ、シドさんが書かれていたことで、心にひっかかることがあったので、、、

「私は彼女と入籍していなかったため、遺族とはなれず、彼女が一番憎んでいた両親に引き取られ、今後お墓の無い彼女がどうなってしまうのかなど、全く分りません。」

と、書いてありましたが、私は少し心がざわつきました。ここは遺族の方がたくさん集まる掲示板です。私は親の立場にはありませんが、ここには子供を亡くされて自分を責めているご両親もたくさんいらっしゃいます。シドさんにしかわからない事情があると思いますが、
ご自分の胸にしまっておいたほうが良い言葉もあると思います。

客観的にお話を伺うと、彼女のご両親はずっと絶縁状態だった娘さんと再会したときには、遺体で、しかも理由が自死だったのですよね。それは、とてもショックだろうし、自責の念もかなりあると思います。
無責任な周囲の人からみたとき、喪主であるご両親は、ずっと音信不通で独身で自死した娘の親、です。
遺体を引き取りにきて、通夜と葬儀を行った、そのことに私はご両親の愛情を感じます。というか、愛情がなければ、できない行為だと思います。シドさんは遺族としてもっと彼女の葬儀に関わりたかったのかもしれませんが、実際はシドさんのかわりに、彼女のご両親がつらい手続きをこなされたのでしょう。それは感謝するべきだと思います。
誰かがしなくてはいけないことなのですから。
突然死には悲しむひまも考えるひまもありません。
遺体には保存期間があり、火葬の期日が刻々とせまってくるからです。

それに、シドさんの場合、まだ四十九日まで時間があります。
今はご両親の手元にお骨があると思います。
どうしても、彼女の今後の事が気になるのであれば、彼女のご両親に連絡を取ってみたらどうでしょうか。お墓のことも聞けるかもしれません。
生前はどうあれ、彼女の親であることにかわりはありません。
親の知らない間の娘のことを、シドさんから聞きたい気持ちもあるかもしれない。
仲良くする必要はありませんが、彼女が親を憎んでいたというこだわりをなくして、シドさんが彼女のご両親を許すことは、彼女のためにもシドさんの今後のためにも必要かと思います。
ゆっくりと、徐々にでも、、。

それに、私自身は、お墓そのものよりも、
シドさんの心の中に彼女がいる、そのことのほうがずっと大切だと感じています。きっとシドさんと出会ったことが、彼女の一番の幸福だったと思いますよ。


今は、シドさんご自身もかなりつらいと思います。ご本人にしかわからない事情も悩みもあると思います。それをわかっていながらも、遺族として故人のご両親を見たときの気持ちを書かせていただきました。
ご不快であればすみません。

時節柄、くれぐれもご自愛ください。






12681 みどり様 シド 2008/01/24 22:57
男性 / 20歳台 / 婚約者 / 1ヶ月以内 / 東日本
周りに気遣えず不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。

親が子供を愛する事は当然の事と思いますが、必ずしもそうでない場合もある気がいたします。
彼女の両親の本音は、両親本人達でないとわかりませんが、
私が見てきた両親の対応からは、残念ながら愛情を感じることができませんでした。

彼女は双子で、同じように精神的な病の妹がいます。
彼女は、「両親は妹と自分を差別してきた」と言っていました。

彼女が亡くなった日、警察で初めて両親に会いました。

最初に父親から聞いた言葉は、妹の今後を案じる言葉。
そして遺体の引取りはせず、葬儀など一切しないという事でした。

私は葬儀をしていただくようにお願いしました。
約1週間後なんとか葬儀は行われましたが、遺体は葬儀屋に預けられたまま、実家に帰ることはありませんでした。
また、父親は警察を出る時に葬儀屋に彼女の荷物や着ていた服について、「いらないから処分してください」と・・・

葬儀が終わり、後で聞いた話では遺骨も引取らず、なぜか元配偶者に持ち帰らせたようです。
そしてお墓をつくるつもりは無い旨、うかがいました。

私が両親と顔をあわせたのは3回だけですが、他にも信じがたいような言葉や態度を何度も見ました。

しかし、こういったことは私だけが知る事情です。
先の私の書き込みで、最愛のお子様を亡くされた親御さんたちに
深い傷をつけてしまった事を今一度、心からお詫び申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。


私は自分自身を怨むことはあっても、今は彼女の両親を憎んではいません。





12682 お気になさらずに 雄mama 2008/01/25 01:46
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
 シド様  大丈夫ですよ。

それぞれ家庭環境は様々ですし、親子の愛は長い経過の中で表現のし方が変わってくるのでしょうね。

 まだ愛しい人を亡くされて10日あまり、押さえきれない想いはいっぱいあると思います。

 ただ あなたには生きてほしい!生きて彼女のこと心の中で供養することが、救いにもなるのでは?ご両親のことよりあなたの彼女を想う気持ちを大事にしてほしいと思います。

 
 私は息子が亡くなったとき、学校の無力を避難し、担任の教師を恨みました。教育委員会にも苦情を言いに行きました。
 でも空しかった。誰を避難したところで息子は帰ってこないのだから。

 中一の頃、日に日に無表情になっていく息子の様子がおかしいと思い、私は学校へ行きました。
 担任へ「学校ではどんな風に過ごしてますか?何か変わったことはないですか?友達関係はどんなでしょう?お忙しいとこすみませんが一度カウンセリングしみてもらえませんか?親には言えないこともあるかもしれないので」
 「わかりました、よく見ておきます」と返事されてから1,2週間経っても返事ないのでまた私から訪ねました。
 「あのー先日の件ですが・・・?」
 「いつもと変わりないですよ。私は他のクラスの授業もあるしずっと見てることできないんですよ。他にも大変な子いますし、40人受け持っているのでね。」
 もういい あんたには相談しない!そのまま校長に全て話すと「いやーいい先生なんですけどね。学校のカウンセラーを紹介しますよ。」
「人任せですか!そういうのを責任逃れといいませんか?」悔しくてなにを口走ったか覚えていません。

 ついには教師どころか親にも友達にも心を閉ざしてしまった息子。
それから彼が卒業するまで学校といろいろありました。私はすべてを学校で何とかしてほしいとか、学校の責任だと押しつけるつもりなどなくて、相談にのってほしいのに、学校というところは身構えるんですね。 
 家から出られなくなった彼と苦しみながら、あの2年間で涙は全部流しきったつもりだったのに、あの頃以上にまだまだあふれてくる。

 人を恨んでも自分を責めても彼は帰ってこない。ならせめて彼が成仏して明るいあの世で過ごせるように手を合わせるしかないのかも。
 サポート校の面接で、彼に手をさしのべて握手しながら「つらかったね、もう大丈夫だよ。」と声をかけてくれた学院長の牧師先生に言われました。
「お母さんが生きてくことは、日一日と息子さんにに会える日に近づいているんですよ。あちらの世界で必ず再会できます。」と。私は毎日時間の過ぎるのが待ち遠しくてなりません。









12683 シドさんへ みどり 2008/01/25 16:04
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
つらいことを思いださせて、ごめんなさい。
私自身、自分の書いたことで、知らずに誰かを傷つけたことがあるかもしれません。シドさんへの書き込みも、シドさんを悲しませたかもしれない。少なくとも、思い出させてしまった。。ごめんなさい。

私自身、故人の親族とはもう縁を切っています。
なので、故人の親族の気持ちに寄り添えない、というところでは、シドさんに通じる部分があります。
シドさんが感じたことは、かつて私が感じていたことでもあります。

位牌を捨てられたり、金銭がらみのいやなこと、冷たい言葉、
自分の保身ばかり考えているようなそぶり、、、

故人は幼いころ、両親が離婚し、祖母にひきとられ、その後父とは死別、8歳くらいから母親の顔を見ていなかったようです。成人してからの再会と聞きました。なので、通常の親子の情とは少しちがったものがあったのかもしれないと思います。
5年たった今、ようやく思えることは
私が悲しんだのと同じように、彼等が悲しまなかった、といって、
それを責めることはできない、ということくらいです。
血縁なのだから、彼等のなかにも本人しかわからない何かがあるのだろう。それが何か、私が詮索してもしかたがない、という気持ちです。
私が思う親らしいこと、きょうだいらしいこと、それがなかったからといって、彼等を責めても、故人の血縁であるだけにむなしさばかりありました。彼等に石を投げようとすると、それが彼等を通り抜けて故人にぶつかっていくような気持ちになる。。だから、もう彼等と、かかわり合いになりたくなかった。
そして、年月がたち、遠くから彼等の心の平安を願えるようになったとき、ようやく心から、彼等と他人になることができました。

シドさんに何か話しかけたい気持ちばかりがさきだち、
時間を経過したした自分がようやく思えるようなことを
死別後まもないシドさんに、おしつけてしまった形でごめんなさい。
同じような思いをしながらも、生きてきました、
ということだけでもお伝えしたかった。

そして、私の書き込みを読んで悲しい思いをされている続柄の異なる方
がいたら、ごめんなさい。

くれぐれもご自愛ください。




12684 何となく なおべ 2008/01/30 09:20
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
何となく会社を休みました。

特に嫌な事があったわけではありません。
(仕事はキツイですが)

疲れたなぁと思っていたら、休もうと決めてしまいました。

頑張る張り合いが無いせいでしょうか?

今日は、雪も止んでいるので、ブラブラ散歩でもしてみよう。

たまに、息抜きしないと・・・。




12685 なおべさんへ br.i 2008/01/30 21:26
男性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 中部
はじめまして。いつも読ませていただいています。
私も仕事休んでいますよ。
怪我をしたせいもありますが、もう2ヶ月も休みました。

たまには生き抜きもいいんじゃないですか?
私は抜きすぎたので、吸い始めないと息(生)が続きません。
お互いに無理しないでいきましょう。






12686 どうしていいのか ぽんこ 2008/01/31 10:01
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 日本国内
毎日毎日いろんな思いが湧き出しては消え湧き出しては消えを繰り返しています。

2週間前愛する夫は私と2ヶ月の子を残して逝ってしまいました。

なぜ死ななければならなかったのか、それ程までに大きな悩みだったのか、なぜ私はそれに気付き支えてあげられなかったのか・・・

生前のやさしい笑顔や、二人で話し合った将来のこと、そして何よりわが子の顔を見ると気が狂いそうな寂しさがこみ上げてきます。

過ぎ去った過去を後悔しても、もう取り戻すことはできないし、夫が生き返るわけではないのも十分に理解できるのに・・・

私はずるい人間です。こんなに悲しいのに、もう夫のことを忘れてしまいたい。これ以上苦しく、悲しい思いもしたくない。

前に進まなければいけない、毎日時間だけは過ぎていくのに自分の感情だけが置き去りにされている気分です。

早く楽になりたい。


12687 ぽんこさんへ みーちゃん 2008/01/31 23:55
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
たった今、ぽんこさんの投稿を読まさせて頂きました。
私も大好きな主人を突然亡くし、今やっと3ヶ月が過ぎたところです。

私達は以前もここに書きましたが、主人が9歳も年下で私が2人の子持ちの再婚でした。

主人が亡くなった当初は、これはいったい誰の葬儀?何で棺の中に寝てるの?って感じでした。
警察でも、検案所で横たわっている主人を抱きかかえ「早く起きて帰ろう・・・」等と泣きながら言っていました。

実子も主人立会いのもと、無事に産まれとても喜んでくれました。
3人の子供も分け隔てなく可愛がってくれて本当に優しい人でした。

親友や、ここでレスを下さったサルさん・・・そして子供達に支えられながらやっとの思いで今日まで息をしてきました。
もちろん心無い人に色々言われたりもしました。

PTSD、適応障害、対人恐怖症、パニック障害・・・様々な病名がつきました。6種類の服薬もしています。
それでも生きてしまってしまっている自分に腹も立っています。

私も主人がこんなにも悩んでいる事に、死にたい程苦しんでいる事に気づいてあげることが出来ませんでした。
いつも自分の事ばかりで、いつも甘えて・・・

そんな私に辛さを微塵も見せず接してくれました。
私も主人も看護師です。
精神科の勤務経験もあります。それなのに気づかなかったんです。

立ち合い出産する2週間前も主人は未遂をしたんです。
今回既遂になってしまったのと同じ方法で。
そのちょうど1年2ヶ月後でした。
なのに私は救ってあげれなかったんです。


でもここに集まる皆さんや、親友の言葉で最近少しづつではありますが、、思える様になってきました。

主人は立派に生ききったんだ、と。
私達には到底はかり知れないであろうその辛さや苦しみを感じさせる事なく、頑張って生きてくれたんだ・・・と。

自死に関しての本を読みまくっていた頃、その中の1冊に書いてありました。
「自死は発作の様なものだと、自死をした全ての人が後悔していると・・・
だから未来の事も語るのだ、その人の死は愛する者への拒絶なんかではないんだ」と。
でも今は何を言われてもダメですよね。

まだ1ヶ月も経っていないあなたを、私の勝手な書き込みなんかで傷付けてしまっていたら、すみません。

でも当初の自分とあまりにもダブってしまって、つい長々と書いてしまいました。本当にすみません。

頑張らずに、一緒に一日一日と息をして行きましょう。










12688 みーちゃんさんへ ぽんこ 2008/02/02 09:14
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 日本国内
ありがとうございます。

私も、一歩一歩ですが前に進もうとしています。

私は、冷たい人間なのでしょうかお葬式以来泣いていません。

周りからは「子供がいてよかったね」といわれますが、それさえも疑ってしまう自分がいます。

主人の死は発作のようなもの。。。そう思うことにします。やっぱり理性をなくしていたんだと。。。

そうでなければ、私達を捨てて逝ってしまうはずがない。。。。そう思いたいです。




12689 ぽんこさんへ みーちゃん 2008/02/02 13:07
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
後で自分の文章を読み返し、とても間違っている箇所が多い事に気づきました。ごめんなさい。

ぽんこさんは冷たい人間なんかじゃありませんよ・・・涙が出ない、そういう時が続く時もあると思います。
実際私もありました。

悲しすぎて涙が出ないんです。悲しすぎるあまり現実逃避してしまうんです。

この言葉も本で読んだのですが、
「かなしみは1度にはやってこない・・・郵便物が来なくなって、保険証から名前が消えて・・・じわじわやってくる」と。残酷ですがその通りなんです。
何も冷たいから泣かないんじゃないと私は思います。

子供さんの事、大変だと思います。2ヶ月といったら、まだ首もすわっていないでしょう。
私自身、子供が救いです。
この間書いた通り私は再婚の為、1番上のお姉ちゃんは春から中学生です。

真ん中の男の子は4歳になったばかりで、一時は引きこもりのようになってしまいましたが、今は一緒にパパの思い出を話してくれます。
この子とも主人は血が繋がっていないけど、本当の親子の様です。
一番下は何もかも主人にうりふたつで、ドキッとするほどです。

主人が亡くなってだんだんと現実が受け入れられ始めた時、心無い人に色々言われフラッシュバックし、一気に落ちてメンタルクリニックに通院し始めました。

正直、「私だったらよかったのに・・・何で主人だったんだろう。」
と言いながらリストカットしたり、子供たちだって悲しいのに八つ当たりしたりひどいものでした。

そこで親友に言われた言葉が、
「乗り越えなくていい、旦那さんの死と共に生きていけばいい、もしも旦那さんじゃなくて、反対にあなただったらこの悲しみを大切な旦那さんに味あわせてしまうんだよ。
だから自分を大切にして・・・妻だからとか、看護師だからだとかそんなのは関係ないからね、これは本人にだって分らない事だったんだと思うよ。辛く苦しくても、ここまで生ききってくれた事に感謝だね。何も言わず一生懸命子供まで遺してくれた彼を尊敬するよ・・・私はね。」

こういってくれた親友も、4年前に突然死で14歳の娘さんを、その後再婚を約束していたパートナーを自死で亡くした1人です。

ぽんこさん、あなたは決して1人ぼっちじゃないですからね・・・。

人間死ぬ程怖いことはありません。私も然りです。
いろんな事考えてたら、大切な家族の事思っていたら、逝けるはずないですよ。何も考えてなかったんですよ。

だからきっと、今頃ご主人見守って下さってると思います。

PC検索で、死と向き合う絵本とか悲しみを癒してくれる本等購入されて読んでみるとけっこう救われますよ、お薦めです。

それでは又長くなってしまってすみません。
時節柄、御自愛下さい。






12690 本当に Mnya 2008/02/02 19:15
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 中部
本当に、発作だったと思います。
回復期だった母は、「鬱病・・・何でこんな怖い病気になったんだろう」って言っていたようです。本人にもどうしようもない脳の誤作動だったんじゃないかな?って最近思います。そうするつもりがなくてもそう思ってしまう、そうしたくなる…そんな脳の誤作動、脳の病気だったんだって。
だから、鬱病は心の風邪って簡単に言わないで欲しいって思います。
ストレスや心配事もあったからそれらが脳の病気を助長させたのでは?と思います。逆だったかもしれませんが。
今はそんな風に思うのです。時間を経ていろいろな思いが交錯します。
ここへ来ると同じ思いをしている人がいて涙が溢れます。たくさん涙を流すと、自分にわき起こってくる思いが肯定された気持ちになります。
母が亡くなって間もない頃、涙を流す私に「ないちゃだめ、お母さんが悲しむでしょ!」とある人から言われたことがあります。心のシャッターが降りました。
涙・・・でない時期、私にもありました。行ったりきたりです。受け入れられないとき、わき上がってくる思いに耐えられず、忘れたいと思うとき・・・いろいろです。そのたびに母は今そんな私をどんな風に見ているかなって思います。母が心配しないようにがんばろうとは思うのですが、涙が出るときは我慢できません。思いっきり泣きます。
自分の中からわき上がってくる思いに素直に向き合い、母を思い、時間に身を任せようと今日は思っています。




12691 本当に ma.r 2008/02/04 14:26
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
鬱,脳の誤作動,でもその脳を作ったのも母の私・・・
何ヶ月たっても一人で泣いています。
このサイトで見つけた言葉。
「一日一日,生きていくことで,向こうで待っている人に近づいている」私もそれを信じます。
 今はマリア様にすがりたい。(??理由はわかりません。笑ってください。)なぜかその姿を目の前に浮かべると,癒されるんです。
宗教に帰依したことのない私です。
これは私自身が辛さから助かるための手段だと思います。
自分本位でわがままな私です。

ぽんこさん,辛いでしょうね。
気持ち,いろいろになるの分かります。
自分を責め,時にはその人を責めたくもなり(違っていたら,ごめんなさい。私は自分の子をほんのちょっと責めたぃ日もあり,あわてて打ち消し,又自責・・・です。)
目の前に可愛らしいお子さんがいる,頑張らなきゃと思い・・・ぐずぐずになり,・・・
忘れられたらどんなに楽かな・・・,でも頭の中にはどんなときでも渦まいていて・・・
今は,今できることだけをして,それがぽんこさんにとって,精一杯のことで,とても正しいことだと思います。
ゆっくり,ゆっくり,そっとそっと生きていってください。



 
 




12692 みなさんも ぽんこ 2008/02/04 17:14
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 日本国内
辛い辛い思いをたくさん抱えて生きているんですね。

今までは、自分自身にこんなことが起きるなんて思いもしませんでした。

いつもいつも私の願いは唯一つ「平凡でいいから家族全員が健康でいられますように」いつも初詣でお祈りしていました。

今年は、子供が小さかったので行けなかったのですが。。。

これから迎える子供の節目に主人がいないと思うと、子供が不憫でしょうがありません。

毎日がただ過ぎていきます。もちろん、私も心の中で何度も主人を責めました。そして自分自身も何度も責めました。
でも、結局はもう後には戻れないんだという現実を知るだけです。

今も寝る前に思い出す顔は、遺体安置所で見た顔と最後に棺の中で見た顔です。

苦しみながらも少しずつ前を向いて歩いていきます。


12693 本当に Mnya 2008/02/04 20:32
女性 / 30歳台 / 母 / 6ヶ月以内 / 中部
ma.rさんへ
私の不用意な言葉につらい思いをさせてしまい、申し訳ありません。
配慮が足りませんでした。


本当に辛い思いをみんなして生きているんだなって感じます。
母の月命日に若いお坊さんが「亡くなりかたではない、どんな出会いをしたか、亡くなったかたとどんな時間を過ごしたかなんです」と話してくれました。母が自死したことで何かがあるのでは?と思い、親戚の誰かが相談したようでした。いろいろな受け止め方があるとは思います。でもその言葉に少し救われました。

もしこうしていたら、こうだったら、いろいろ思わない日はありません。母の笑顔を思い出して行こうと思います。と今の心境です。

この掲示板のいろいろなかたのいろいろな言葉に本当に支えられることが本当に多いです。ありがとうございます。

無理せず、時間に身を任せて、生きていきたいと思います。


12694 本当に ma.r 2008/02/05 09:28
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
 Mnya さんへ
 気遣ってもらって,うれしいです。
大丈夫ですよ。鬱になる理由は一つじゃないし,これかもあれかもと思い,「脳の・・・」という理由で私も救われるところもあります。
このサイトは微妙な場所で,立場がいろいろなので,私が「母の・・」と書いたことで,誰かが嫌な思いをしたかもしれません。すいません。
 私はMnyaさんに気遣ってもらったことのほうがうれしいですから。
誰にもいえない気持ちがあり,こういった立場でなければ,分かれないことがいっぱいあり,このサイトで救われる事いっぱいありますよね。

 私自身は,子供のこの件を知っている人に会うのはとても辛いです。親戚でも・・・。辛い気持ちには触れないでいてほしい。話題にされても,されなくてもとても辛い。同じような立場でなければ辛さは分からないと思うので

 ぽんこさん,辛い中で,前を向こうと思えるだけですごいことだと思います。
 ご主人があなたや周りのたくさんの人にとって大事な人であったように,生きているあなたもとても大事な人です。
 だから,一日一日,生きていきましょうね。
 偉そうに失礼しました。私は毎日まだ泣いているのにね。
 
 


12695 辛い なしこ 2008/02/05 14:14
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
 辛い。辛い。辛い・・・・。
うちの父がいなくなって、もうすぐ2年です。皆元気になっています。母も、祖母も姉も、親戚も。

 でも私は、怖い。昨日、うちの父が、解剖された話しを聞いて。悲しいというよりは、納得してしまった。そうだった。父の姿を、棺の中で見たときに、何か・・・・お父さん、頭の毛こんなに後退してたっけ?なんて思ったの。思い出した。
 姉や母がすべてみて、すべて処置をして、そして一人暮らししていた私の携帯に電話してきた。
 公衆電話・・・履歴。そしてすぐに帰るように言われて、帰った。それまでも、この実家の家に帰るのは、過去にいじめにあっていたし、教育実習でもものすごく嫌な目に遭ってしまった私にとっては、電車に乗るのはとても辛いことだった。実家自体が、何か訳分からなくて嫌いだったし・・・・。その訳の分からなさが、実は父の双極性気分障害だったこと、それを隠されていたこと、それでも母にいっつも父はぶつかって、嫌な言い方することだったんだけども。
 でもそれでも私は父が好きだったというか・・・・何とかしたかった、悲しげな、ストレスフルな父をなだめてあげたかった、助けてあげたかった・・・・。
 悲しい、というか、それ以上・・・・・気持ちが悪い。悲しい。


12696 てがみ みどり 2008/02/05 20:52
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
今日はあなたにたくさん手紙をかきました
あまりきげんのよくないときの私が書く内容は
だいたい想像つくでしょ

ちからまかせに言いたいこと、たくさん書いたけど、
悪いこともたくさん書いたけど、

わたし、あなたを生き返らせる方法、むかしよく考えたな
それができたら、あなたはよろこぶ?

どうして、あなたはそっちに行ってしまったかな
別れ話をしたことを気にやむ私に、
「彼には彼にしかわからない深い闇があるように思います」って
言われたことがあって、
そんな気休めってそのときは思ったけど、
なんだかそれはあたっているように、最近は思える

私、あなたのことを考えるの、ちょっと疲れてきちゃった
強くなれって言われてるけど、
あなたのことを考えながら、強くなるの、ほんとにしんどい

それにあなたのことばかり考えてるわけにはいかないの
わかるでしょ あれからもう5年たとうとしていて、
生きているわたしには、生きている人が大切よ
もし、すこしでも多く私の愛がほしいのなら
私が呼んだ時だけ、やってきて
そうしないと、つかれてしまうから
さよならまでの時間は私だって、のばしたいのよ
私が呼んだ時だけ来るなら、私はつかれないかもしれない
あなたのこと忘れたいとか、思わないかもしれない
お願いね


12697 ついしん みどり 2008/02/05 22:58
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
さっきママから電話があった
それで気づいたんだけど、私ね、もうママに、あなたの名前言えなくなってる。言えば、ママの声が曇るの、わかるから、

以前は、そんなことなかった
あなたの名前を躊躇することなんてなかった

でもね、ママは今、私が、前を向いて生きていこうとしてると思ってるから、最近、私に元気が出てきたって喜んでるから、
それからママが安心したい気持ちが伝わってくるから

あなたのことを考えてたって、気づかれることすらこわくて、かくそうとして声が明るくなる。

あなたの名前を出したあと、私はいったい何を話したいのか、
わからなかった
「ママ、私さっきSのこと考えてたの。ママはSのこと考えるときある?」
そんなこと聞いて、なんになるというのだろう。
ママは私が贈った誕生日プレゼントのお礼の電話をかけてきたのよ。
ママの住む家の仏壇にはあなたの位牌があり、ママは毎日お経をあげてるのを知ってる。知っててそんな質問をしようとする私はばかだと思うと、もうあなたの名前は声にならない。

つらいなと思うのは、あなたが死んだということを受け止められないまま、あなたが周囲から消えていくこと
さいごは私の頭のなかだけであなたを思う、その日が近づいてる。
わたし、耐えられるだろうか?


12698 上から見てくれているかも 雄mama 2008/02/05 23:57
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
mar様 突然失礼します。

 3年前15才の息子を亡くした母です。

 特に励ますとか頑張ってとか言うつもりはないです。ただ子どもを亡くしてすぐのこと思い出したので書かせてください。

 私も半年経っても泣いてばかりいました。
 スーパーへ買い物行って息子の好物を見るとこみ上げ、同じ年頃の子を見かけるとじわーっと胸が熱くなって、外へ出るのも人に会うのも話しをするのも嫌で、でも娘の前では平静を装い、誰も居ない日中は位牌の前でひとり声をあげて泣きました。

7ヶ月目頃、急に死にたくなったんです。そしてその気持ちを、なぜか息子がお世話になってた心療内科のDrに伝えたくて、(たぶん心の中で助けを求めていたんだと想います。)電話したら、いつも混んでるのに「キャンセルが入ったので今これたらどうぞ」って、言われて急いで行きました。
 そして行く途中、頭の上で息子の声が聞こえてきたのです。
「お母さんもう泣かないで!ぼくは大丈夫だよ。泣かないで!ごめんね。」

 半泣きで病院へ着き主治医の前でこれでもかって思うほどワーワー泣きました。不思議とそれから命日まで涙が出なくなったんです。処方された安定剤も飲んでないのに。

 あれは何だったのか?私の心の叫びを息子が聞いていたのか?それともただの幻聴だったのかも知れない。

 でも私はその時、自分が泣いていることであの子を苦しめていたような気がしたのです。

 泣くことを辞めたのではなくて、泣きたいのに泣けなくなってしまった。
 その日から、いつか息子のこと忘れてしまうのではないか?それが怖くて、夢中で記憶を辿るようにアルバムから写真を剥がし、ボードに貼って見えるところ家中のあちこちに息子の写真を飾りました。
 娘に「お兄ちゃんの写真だらけだね。変だよ」って言われ、夫は苦笑いしてるけど何も言いません。
 でも今思えば、息子のことを忘れてしまうかも?なんてそれは余計な心配だったようです。
 3年近く経った今、また変に涙もろくなってる今日この頃です。

 いっぱいいっぱい泣いてここに吐き出させてもらいながら、ボチボチ生きてみましょうか
 




12699 みなさんの・・・ シド 2008/02/06 03:03
男性 / 20歳台 / 婚約者 / 1ヶ月以内 / 東日本
書き込みを拝見して、涙が出ます。

同じようにツライ気持ちを抱えて一生懸命生きてるみなさん・・・

ここへ来ると励みになる点があります。


彼女と暮らした家、部屋はまだそのままです。

洋服、化粧品、歯ブラシなど、全てがそのまま・・・

目に入るだけで胸が締め付けられるように苦しくなり、

とても触れません。

彼女ともう会えないという事実さえうまく飲み込めません。

毎日、「死」に囚われ、いつか発作的にやってしまいそうで

自分でも怖いです。

先日の診察で主治医には

「健康な人でも、こういうことはつらいことなのに、

 精神障害者であるあなたには、大変な事なんですよ」

だからどうしたらいい・・・というのは言わなかったです。

あまり聞きたくなかった。

まるで自分だけが、普通より余計に苦しいと思ってしまう。



世の中にこんなに苦しい事があるとは思わなかったです。

とても恐ろしく、残酷で容赦ない・・・

生きている事が一番の苦痛で、これこそ地獄といえます

彼女もこれほどの苦しみを抱えていたのでしょうか?

先に一人で逝ってしまうなんて、ズルイよ・・・



皆さんはツライ時、どのようにしていますか?

ただ苦しみに耐えるだけですか?

私は、ただ耐えるだけで過ごしてきて

もう耐えられなくなってしまいそうです




12700 雄mamaさんへ ma.r 2008/02/06 11:25
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 東日本
 話しかけていただいて,ありがとうございます。
お名前から,確か・・・と思い前の投稿も見させていただきました。
そう,優しいお子さんで,息子さんのことたくさんたくさんここで,自慢したいって。
 うちの子は20歳過ぎてました。大学へも行って一人暮らししていました。でも精神年齢は低かったかもしれない。私が構い過ぎたからかもしれない。とても優しい子でした。
 よく言葉をかけていました。
 「優しい子だよね。大きくなっちゃったけど,お母さんにはかわいいよ。」
 言葉にして伝えることは大事なことって思っていたので。

 20歳過ぎの子にかわいがりすぎたのでしょうか?
 今も毎日位牌に話しかけます。
 「大事な子だったんだよ,今でも大好きだよ。」と

 私は自分が子供を生む前は,たぶん子供好きな方ではなかったのです。でも,自分の子を見て,何考えてるのかな?何したいのかな?とてもかわいがれる自分がいたのです。
 子供を育ててきて,相手がどう思っていようと,無償の愛,というものを理解できたのです。子供の身代わりになれるなら,死んでもいいとさえ実感していました。 
 二人の子には,「アリガトね。みんながいい子で,お母さんとっても嬉しい。」と伝えていました。
 私の中には,昔から,生きることとそれが終わってしまうことと,あまりも大きく捕らえすぎる感覚がありました。だから今度のことも,もしかして私が実は精神的に病気で,子供にも遺伝している?とも思ってしまうのです。
もう一人の,とても明るい娘にはそんなこと言えませんが,もしかして・・と思い,注意してなきゃと真剣に思います。

 逝ってしまった息子は2回私のところに来ました。
一度は初七日の明け方,自分の部屋の周りを歩いていました。足音が主人の音とは明らかに違うので,息子です。うろうろしていました。
 もう一度は,夜中に寝ている私の両手を痛いほどつかむ二本の手だけを見ました。痛くて目を覚まし,二本の手を見,息子かと思い「言いたい事があるなら,夢に出て!」と呼びかけました。
そうしたら,どこかの町を私と息子がなんでもないように散歩している夢を見ました。息子は穏やかそうないつもの笑顔でした。
 どこまでが幻覚幻聴で,どれが本当かは私には分かりません。
 それ以降夢にも出てきません。待っているのに・・・

 今はどう生きて行ったらいいのか,分かりません。
 立ち直った振りして,考えすぎる私,はやめて,
「何でもないもん,私,自分の人生生きるから」なんてね。
 
 すいません。支離滅裂です。
 今は,流れに身を任せてるだけ。やらなきゃいけないことだけして,このことを知らない人の間では笑えるようにもなりました。
 一人のときだけ泣き,人前に出る前に潤んでしまった目を戻します。