12702 よけいに辛い・・・ 粉雪 2008/02/07 16:10
女性 / 40歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 北海道
昨日、夫の夢を初めてまともに見ました。
亡くなってから、家族の風景の夢の片隅にぼんやり居たなぁとか、
何となく人に抱きしめられてる感触はもしかしてあの人だった?という夢は見ましたが、昨日の夢はリアルでした。
せめて夢に出てきてと毎晩願いながらやっと会えたけど…

娘や息子の彼氏や彼女達と、夏に皆でキャンプに行きたいねって話があるのですが、子供たちの小さかった頃よく家族で居行ったキャンプ場、私は思い出してきっと泣くから楽しめない気がして気が進まなかったんです。でも昨日夫が夢の中で「キャンプ行こうな。俺もついて行くから」って。「ついて行く?俺が連れてくじゃなくて?」って思ったとき「これは夢だ」って気づいて「おとうさん!おとうさん!」って謝りたくて手を取って、でも涙でぐちゃぐちゃになって声にならなくて…泣きながら目が覚めてしまった。
あんなに会いたかったのに、現実を思い知らされて、苦しすぎる。
もう夢はみたくない。よけいに辛くてたまらない…

少しだけ元気になりかけたのに、まだまだダメです。
忘れはしないけど、なるべく考えないようにしている。

あの人がこうなったのは私のせい。
別れたいって言ったから。
顔を見るのも嫌だって言ったから。
本当に嫌いだって思った。
毎日毎日同じこと悶々と悩んで、暗くて…
夫はそうやって暗い顔して一日過ごしていられたけれど、私は子供の前では明るく、職場でも明るくふるまい、そして家に帰ると暗い夫がいてイライラして、気が変になりかけてた。
心臓が苦しくなって、きっとストレスから狭心症だと思いこみ検査も受けた。

別れたらどんなにせいせいするかと思ってた。
死にたい死にたいって口にし始めたときも、この人にそんな事できっこないって思いながらも、もしそうなったらって、喪服姿で挨拶する自分を想像したりした。酷い人間です私。

それなのに…亡くなる一週間前に初めて行った精神科でうつだと診断されて、ずっと嫌がって病院には行かなかったけれど、一年くらい前からきっとそうだと思ってて、でも病院ではっきり診断されて落ち込んでる夫の姿を見て初めてかわいそうになってきて…

うつと言われて初めて夫のこと愛しく感じたんです。
その日親友にもメールで「うちの人、やっぱりうつだった。仕方がないよ。手のかかる子供が一人増えたと思ってやっていくよ」って言いました。

そうゆう思いをどうして素直に本人に伝えなかったのか…

あの日の朝もやっぱり別れ話になった。
悲しかっただろうな。
なのに今の私は自分のしたことを棚に上げあの人を美化して、悲しみのどん底で涙を流している。自分がわからなくて、嫌になる…

キャンプだの何だの、楽しむ資格なんてないのに…
笑う資格もおいしいもの食べる資格もないのに、私はしている。
ごめんね、ごめんね、聞こえる?本当にごめんね。
でも子ども達の為に、笑うよ。
こんな悲しい思い私だけでいい。私が泣くと子供たち心配するから。

こみあげるまま書き込んでしまった、脈絡がなくてすみません。


































12704 みどりさんへ Y 2008/02/09 04:15

みどりさん、はじめまして。
文章を読ませて頂き、私の気持ちととても重なる点があり書きこまずにはいられませんでした。夫の自死からもうすぐ半年がたちます。
だいぶ気持もおさまり通常の生活をとり戻し始めたところです。
私も夫の遺族から責められた一人です。「あんたが息子を殺したんだ!」私も同じことを言われました。とても辛かったです。憎かったです。家庭裁判所まで出向き「あの女が息子を殺したんだ」とさわぎたてた人です。夫の両親も離婚しており、母親がアルコール依存症になり未成年の息子を残したまま家を飛び出した人です。
夫婦間の喧嘩は確かにたくさんありました。既婚者のすべての方が経験している事だと思います。自死した息子をまるで神様のように扱い、残された嫁を一方的に攻めるのは納得がいきません。夫婦喧嘩は犬も食わぬ!っていいますよね!?お互い様なのです。私は何度も義理母にSOSをだしました。でも帰ってきた言葉は「たかがDVで!」「そんなのあんたが悪いんでしょ!」でした。私は、この言葉を聞いて今後一切の付き合いはしないと心にきめました。私の場合は命に危険があるから、子供たちの前で私を殴る・蹴るという行動が続いたので、離婚を考えたのです。私自身への態度は、私さえ我慢すればよい事だと思い5年ほど我慢してきました。でも子供たちはちゃんと一部始終を見ています。泣きながら体をはって私と夫の間に入り「パパ、止めて!ママのこといじめないで!」と泣き叫ぶ娘を見てやはりこのまま生活を続けるのは無理だと思い3年間ほど考えた末に離婚を選択しました。
今思えば、離婚を決断したしたことは間違っていなかったと思います。
なぜなら、私がもう限界ぎりぎりの精神状態だったからです。夫の帰宅時間が近ずくと手足が震えました。実際何度も死にたいと思ってました。今後は、死ぬまで会わないでしょう。そう割り切ったことでいくらか心が楽になりました。
夫は私と私の母を呪い殺してやるという遺書を残しました。
なぜ私の母がかんけいあるのでしょうか!?
私には息子はいませんが、子供を亡くした母親というのは一番辛い立場だと思います。悲しいという気持ちはわかります。泣いても泣いても涙が止まらないことでしょう。こちらにはたくさんもお子様を亡くされた方が多いので、今まで書き込みは控えていましたが配偶者という立場はとても複雑です。私のせいだと言われれば確かにそのとおりだからです。自責の念ばかりです。けれど愛していたのか愛していなかったのかそれさえもわからなくなる時があります。
人を憎むのはとても疲れました。だから相続を放棄した代わりに、一切の縁を切らせて頂きます。供養はこちらでやります。だから私のことをいくら憎んでも構いません。けれど、私のこころの中からは綺麗さっぱり消させて頂きます。



12706 夢 ゆうちゃん 2008/02/09 23:22
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以内 / 関東
あまり考えないようにして生きている自分がいます。

当時外国にいて日本からの電話があったとき、直感的に「あ、やっちゃったか?」と嫌な予感がして動悸がしたのを今でも思い出します。

「いつも油断するなと言っていたのに、お父さんが油断しちゃったよ。」

「今決められない。」

しばらく前のそんな父の様子に、「お父さん少しへんだから病院行った方がいいよ」と言っていました。母から、父は若い頃にも二度うつ病を経験して乗り切っていると聞いていたので、今回も時が経てばまた元気になるだろう、それまでゆっくり治そう、10月には私も帰国するから、そうしたら週末は実家に帰って・・・と勝手に考えていました。

叔父(父の弟)の自死も経験しているので、周りがどれだけ辛いかわかっているので、それだけはしないだろう、という安易な思いもありました。

でも、父は、良くも悪くも、いつも私たち家族の想像を超えるスピードで物事を決断してしまう時があるのです。

なぜ私は、その数日前電話をしようとしたのに、いいやもう少ししたら母の誕生日、そのときにしよう、と思ったのでしょう。どこかで調子の悪い人と話をするのをためらった思いもなかったとは言い切れません。後悔するばかりです。

亡くなってしばらくして夢をみたのです。父が亡くなって布団に寝ていて、周りを親類が囲んでいてすすり泣いている。そして皆が隣の部屋に移って話をしていたら、すっと襖が開いて、「あーよく寝た!」と父が現れるのです。「なんだ、よかった。もう、またお父さんはびっくりさせるんだから!」みんなで喜びました。

あの夢が本当だったらよかったのにな。生きていたら生きてたで大変なことがあったのだろうけれど、それでも生きていてほしかった。

この掲示板で投稿のいくつかをみて涙がこぼれ、また思い出すことができました。ありがとうございます。

嬉しそうに魚釣りから帰ってくるお父さん、キャンプでたくさんの荷物を背負っていたお父さん、いろんなお父さんを思い出しています。




12707 うまく書けるか分かりませんが なしこ 2008/02/10 13:11
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
 ゆうちゃんさん、はじめまして。
すごく分かるなと思う部分があって、書き込みさせてもらいます。
 私の父親は双極性気分障害が、私が子供の頃からあって、それは父がいなくなった後に、初めて知ったのですが、ずっと、「何か」を感じていた気がします。
 その間も、辛かったかな。「他者の心が脆い」という変な色眼鏡でしか、人を見れずに、学校では、自分の怒りとかストレートに他者にぶつけられずに、いじめを受けたり、子供のストレスの刷毛口的役割をしてしまったり・・・。
 今も、人を比較して、自分より辛そうな人を見れば、「まだ、ましかも」なんて思っている、かなり嫌な自分がいるんですけど、裏を返せば、自分の悲しみを悲しみきれていない、こと(それを許さない世間の目、他者のおっせかいな助言もあると思います)なのかなと思っています。
 ゆうちゃんさんのお父さんへの思いは、私の父への思いと重なるところが、ありました。そのお父さんへの思い、きっと、お父さんにもその思いは伝わっていますよ。
 自分の悲しみをとことん悲しみ尽くしたら・・・いつか、父や祖父といて感じた思いとかを、イメージ沢山使って、本を書きたいと思っています。
 自死って一概に言うのではなく、それぞれの人生を大きく見たい、色んな病気も、死もあるんだって、もっと大きく見て行きたい。人と比較じゃなくて、パワーをもらったり、あげたり、したい。
 ただただ、自分の人生をのびのびと生きれたら、どんなにいいだろうと思います。
 自分のことばかり書いてごめんなさい。「少し分かる、それは分かる」って思ったので、書かせていただきました。
 元気でいることが一番の親孝行なのかもしれませんよね。元気でいましょうね。
 


12708 なしこさんへ ゆうちゃん 2008/02/11 12:15
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以内 / 関東
なしこさん、ありがとうございます。私もなしこさんの「かなり嫌な自分」それでも「パワーをもらったり、あげたり、したい」気持ち、少し分かる気がします。悲しいことを経験した分、強く優しくなれたらなあと思います。そしておっしゃるとおり、とりあえず元気でいたいです。亡くなった大切な人たちは思い出の中に生き続けています。


12709 あれから おかん 2008/02/11 14:00
女性 / 30歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
息子を亡くして、来週の17日で、1年になります。

今、息子の、遺骨を抱きながら、パソコンにむかっています。

あれから、色々変わりました。

今年受験の、下の子も、がんばりすぎてたのが、爆発したのか、前とは、真逆の生活になり、旦那は、仕事をやめ、アルバイトしています。

私は、前までと同じ仕事を続け、下の子の為に、がんばらないと!と、色々、思案しながら、毎日をおくってます。


よく、他の人から、「今はドンゾコ。今度は、あがるだけだよ・・・

お母さんは、どんと構えて、太陽にならないと」といわれます。


でも、こわいんです・・・・・

娘まで、失いそうで・・・・

私の親としての育ち方が悪かったんです。

逃げたらダメだ!!と思いながら、逃げてしまいたい自分と、葛藤し、毎日を送り続けています。


12710 こわくなって みどり 2008/02/11 23:40
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
こわくなって自分が書いたかきこみのほとんどを消しました。
自分も、ほかのひとも、ただ混乱するだけなのでは、、
と思い、今でも消したことはそれでよかったのだと思いますが、レスを書いてくれた方には、申し訳ないことをしました。
とくにYさんへ書いたレスだけは消さずに残しておけばよかったと思っています。あれだけの重いスレッドに勇気のあるレスをくれたのだから。

また、義母のことにも触れるかもしれませんが、まったくの個人的事情のなかの義母であって、こちらに集う母の立場の方を悪く思う気持ちは少しもありませんし、傷つけようという意図もありません。

Yさん、ごめんなさい。同じお返事は書けませんが、新しいお返事を書きます。
とても、つらい経験をされたと思います。
ただ悲しみと愛情だけを故人に向けるわけにはいかない苦しさ、
お察しします。Yさんが離婚を決意されたこと、何も悪くないと思いますよ。Yさんのおかあさんまでひどく言われるなんて、まったくいわれのないことと思います。私は自分の母が義母からとてもひどいことを言われたので、Yさんのつらい気持ち、くやしい気持ち、わかります。
時間が少しでもYさんのお気持ちを楽にしてくれることを祈るばかりです。

DVのことを読んで、、少し義母を思い出しました。義母は義父から暴力を受けていたそうです。義母の前歯は全部義歯でしたから、ほんとうのことでしょうし、だとしたらとてもひどいDVだったと思います。義母は妻として気の毒な経験をしたと思います。彼女が離婚を選択したことも無理ないことと思います。ただ、DVを受けたとしても、それが育児放棄をする理由にはならないと思うのも事実です。故人の立場、捨てられた子供の立場にたてばそう思います。そして、義母に母親としての悲しみがあったとしても、だからといって私や私の親にしたひどい言動の理由になるとは思えません。戸籍上、たしかに彼女は「子供をなくした母親」です。その立場のひとの悲しみを疑ったり、悪く言ったりすることは、とてもあとあじの悪いことです。
だから、早く許せる日がくればいい、そしてきれいに忘れたいと、思っています。




12711 どう生きよう Kei 2008/02/12 11:40
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東北
昨年の5月私は夫を喪いました まさかの出来事でした まじめで明るい性格だったのに私がうつだと気が付きませんでした 自分を責めます
後悔だらけです 心の整理がつきません 今はただ生かされてるって感じです これからどう生きよう教えてください


12712 ゆうちゃんさんへ なしこ 2008/02/12 18:41
女性 / 20歳台 / 父 / 2年以内 / 日本国内
何だか、私の書き込みで気を悪くされたらどうしようと思っていたので、良かったです。
 ゆうちゃんさんの「いつも油断していたのに、油断しちゃった」っていう思いが、本当に分かる気がして。
 うちの父親は、双極性気分障害を持っていて、それは居なくなって初めて私は知ったことなんだけども。ずっと、父の寂しそうな背中に、子供の私は責任を感じていた気がします。
 ずっと、本音で言えないコミュニケーションに・・・どうにかしようとしていた気がします。
 父がいなくなったのは、24の時なんだけども、本当に、父が居た時も苦しかったけど、それでも剥ぎ取られてしまったのかもしれません。
 ゆうちゃんさんのお父さんへの思いに、娘心なんだろうなあって思って。私も分かるよって思いました。娘だからやっぱりお父さん好きですよね。
 父の事これからも分かりたいし、まあ、父の教えは守っていこうじゃないか、くだらないことも、大切にして、「本当に格好つけマンだよな」って父に思っています。
 信じられないけど、時間だけが過ぎて、でも今元気でいられる自分。早く、経済的に自立して、まずは自分を大切にしていきたいって思っています。


12714 おかんさんへ シー 2008/02/12 23:29
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
はじめまして

シーといいます、弟を亡くして7年が経ちます

こんな歳ではありますが、私にも母がいます。。という事は弟にもいたわけで。。。。

おかんさん

なかなか、他の人には分りづらい事だと思いますよ。。
何とか前を向いてもらおうとおっしゃってらっしゃるのでしょけど。。
僕でさえ最初は母と僕の想い。。向かっている方向は同じでも、時間がかかりました。。

兄弟として感じる事、親として感じる事、男として感じること、それぞれですよね。。。

僕の母も僕の前ではずいぶん気丈に振舞っていました。。

それに気が付かず、何度もぶつかってしまいました。。

同じ痛みを持っていてもでした、うちの家庭だけだったかもしれません、が


何もいい答えが出せるわけでもなく、何かを導き出せるわけでもありませんがとても伝えたかった事があります。。

それは、

僕はうちの母が僕以上に深い自責を抱えている事を知っています
それとともに、弟の事をどんなに想っているかも知っています。。

それを知ってほしい弟はもういませんが、僕がかわりに、僕を介して
そのことはずっとずっと忘れないでいようと思います。。

うちの母のせいではないから。。。


そしてそれを母に伝えても、うん、うんって言ってくれない事も知っているから。。


おかんさん


つらいよね。。。。

でもね


悲しみの深さは変わらないけど、いつかかならず、色々な乗り越え方が出来ると願っています。。。分かり合えるときがくると思っています。。


ゆっくりでいいんですよ、えらそうな事を行ってしまいましたが。。

ゆるしてね。。


12715 ありがとうございます おかん 2008/02/12 23:54
女性 / 30歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
シーさん、ありがとうございます。


実は、妹である、娘が、発見者となってしまいました。中学2年の時・・・・

土曜日で、私と主人は仕事でした。

私達が、今にも消えうせそうな息子の傍らに居る間、娘は
警察に「椅子は押してない?」など、あまりにも、冷酷で、事務的な取調べに、彼女は、泣きながら、うなずいてたそうです。

私は、いいんです。

でもせめて、いつかは娘に本当の幸せが来る事を、毎日、亡くなった息子に、お祈りしています。

「おかん、任せとき!」と、行ってるように写真の中で、笑ってくれてます。



12716 はじめまして サチ 2008/02/13 07:51
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 関東
はじめまして。
こういった「交流」のある掲示板に、今ちょっと恐怖心があって
このサイトを見つけた後も、
しばらく拝見するだけでした。

他の「レス禁止」にだけ、気持ちを書きました。

どこから書けばいいのか?
約3週間ほど前に、主人を自死で亡くしました。
いえ、法的・戸籍上は「夫」でなく他人になってしまいました。
昨年の夏の終わり頃に、
主人が離婚届を提出してしまいました。

私が捨てられました。
あまりに突然のことで訳がわからくて。
一緒に住んでいた家から離れたくなくて、
すぐ隣の市にアパートを借り、かろうじて生きていました。
その頃の私は廃人のようでした。

そのままでは死んでしまうので、パートを見つけ、
どうにか人間らしい生活を出来るようになり始めた矢先、
今月に入ってすぐ、主人の姉から
「亡くなった」と連絡を受けました。
自死でした。

私との離婚を成立させ、しばらく過ぎた頃から
会社での仕事の様子も、精神状態も荒廃していったそうです。
昨年暮れ近く、上司の方に暴言を吐き
それっきり来なくなったと伺いました。

誰もいない家に独り閉じこもる生活をしていたようです。
電話には一切出ない。
会社からのメールに返信がない。

あまりにも長期間、連絡が取れず
不安になった義母と義姉が様子を見に行ったところ
亡くなっていたそうです。


夫は20年近く前に複数回、自殺未遂をしているとだけ
聞いていました。
重いうつ病を患っていたとも聞きました。
でも「自分はもうあんな弱い人間ではない。完治したから」と
自信たっぷりに話していました。

私は、夫の異変に気付けなかったんです。
突然、夫から投げつけられた罵りの言葉に傷付いたり怒ったり
自分の気持ちだけで精一杯で、
夫のあの頃の言動の異変に気付く余裕がありませんでした。

今思えば、私に離婚届に署名させる決定打となった言葉の数々は
ちょっと「尋常でない」ぐらいに挑発的なものでした。
もう少し言うと「病的」な言葉でした。
あの時、そんな「おかしな」言葉の挑発に乗ってしまった自分が
悔やまれて悔やまれて、なりません。

あの不可解な離婚の成立が、夫を自死へと追いやったのです。
夫の死の片棒を担いだのは、私なんです。
しかも、自分の周囲の人間全てに背を向けて
孤独のどん底で逝ってしまいました。
どんなに辛かったかを思うと、気がおかしくなりそうです。

「離婚届を提出し、受理されました」という事務的なメールを
受け取った後も、
私は主人のことが好きで、何とか復縁できないか?
そればかりを考えていました。
だったら、電車で1つお隣に住んでいるのだから
どんなに疎まれても、嫌がられても、迷惑がられても
主人の元へ何度でも何度でも行けばよかったのです。
メールアドレスは既に変えられていましたが、
ならば手紙を書き続ければよかったのです。
何通でも何通でも。

それなのに私は、
家に訪ねることも、手紙を出すことも、
数回で諦めてしまいました。
それ以上、嫌われるのが恐かったから。
ただアパートで、主人からの返事をじっと待つだけでした。

私が馬鹿でした。
どんなに嫌われても、それによって復縁なんか出来なくなってもいい。
主人の過去の病歴や「未遂」のことを考えたら、
しつこくしつこく何度でも訪ね、
手紙を書き続けなければいけなかったのです。
主人を「独り」にしてはいけなかったのです。
主人がそういう性格の持ち主だとわかっていたはずなのに。

私が主人を殺した。
家に独りきりで閉じこもっていた約2ヶ月間、
どんなに辛かったろうか。ただただ、かわいそうで。
ごめんなさい。
本当にごめんなさい。


12717 サチさん みーちゃん 2008/02/13 11:45
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
はじめまして。
私は、約5ヶ月前に主人を自死で亡くしました。

当時は私も家の中に閉じこもり、人と会うのが怖くて怖くてたまりませんでした。
そして私もレス禁止の書き込みだけして、こちらの方は拝見させて頂くだけにしていました。

でもここに集う皆さんの気持ちと自分の気持ちとがあまりにだぶり、勇気を出して書き込みをしたところ、たくさんの勇気と温かい言葉を頂きました。

もちろん今でも落ち込むし、立ち直れないし、ここまで辿り着くまでも主人の親族に責められたり、自分自身が病気になったりと大変でした。

でも最近の書き込みにも書きましたが、自分を責めながらでもそして苦しみながらでも生きなくては・・・と思うようにだんだんとなってきました。

そう思えたのはやはりここに勇気を出して来てから、そして本当に数は少ないですが、周囲に居る支えてくれる人達のおかげだと思います。

うちの主人はどうやら高校生の時にうつ病を発症し、一時は回復して2人子持ちの私と一緒になってくれて、准看護師をしながら、正看護師の学校に通う勤労学生でした。

私と知り合ったのもその学校でした。
「俺は今まで本当の恋愛をしたことがない、誰にも本気で愛されたことがない・・・」
私達家族と一緒になって初めて愛を感じた・・・とまで言ってくれていました。
主人が幼い頃、両親に虐待されていた事も後になって知りました。

ドライアイだと言っては何度も瞬きをする事、時々原因不明の腹痛やめまい、とても温厚な主人が最後頃には私や、大好きな子供達に攻撃的になっていた事等・・・

それがまさか虐待の経験によるチック症候群やうつ病からくるものだったのだと気づいたのは、主人が取り返しのつかないサインを出してしまった後の事です。

私は自分がいっぱいいっぱいで、主人の苦しみに気づいてあげる事が出来ませんでした。

看護師のくせにです。毎日自分の愚かさを責めています。
「私が主人を殺したんだー」と母の前で泣き叫んだ事もあります。

サチさん、私はもう一つのレス禁止の「彼方へ 哀しみの詩」でサチさんにお逢いした様な気がするんです。

ものすごく落ちて居た時、久しぶりにそちらの掲示板をのぞいたら、自分の気持ちを代筆してくれたかのような方がいらっしゃって、レス出来ないのが残念でした。

違っていたらすみません。
でももしそうなら気持ちが通じたのかな?と勝手に思ってしまいました。

こんな私が言うのも説得力に欠けると思いますが、ゆっくりゆっくりと歩いて行ってみませんか?

今日も違う事でPCを開いたのに、ついここに来てしまい長々とレスしてしまいました。

私の書き込みで反対に傷付いたらすみません。

それではお身体ご自愛下さい。




12718 みーちゃんさんへ サチ 2008/02/14 19:04
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 関東
はじめまして。
丁寧なレス、ありがとうございます。

みーちゃんさんの仰るレス禁止の「哀しみの詩」で見掛けられたのは
きっと私です。
ハンドルネームが重複しないように、
こちらでは片仮名で「サチ」としました。

先日、夫の姉と会って
夫の20代前半の「うつ病」の頃の様子や、「未遂」に至った原因を聞き
「なんて傷付きやすい、一瞬にして砕け散ってしまうガラスような心の持ち主だろう」と
改めて思い知らされました。

朝、ちょっとしたささいな口喧嘩(どこの家庭にもあるような)を出勤前にしました。
何となく険悪な雰囲気のまま、主人も私も出勤しました。
普段は、毎晩「これから帰るメール」があるのですけど
その晩はいくら待っても音沙汰なしで、
不安になった私が会社に電話すると、ゾッとするほど冷たい声の主人が
「荷造りして、出てゆく準備をしろ」と。
それから先は毎日、狂ってしまったのか?と思うほど
「早く荷造りをしろ、出てゆけ。話すことは何もない」
私に対して、これしか言葉を発しなくなってしまったのです。

私も若い頃に、人間関係から「うつ状態」になったような性格なので
とても打たれ弱くて、すぐに動揺してしまうんです。
冷静沈着に主人の言動を観察し、「もしや『うつ病』を再発しているのでは?」と考える思考力が無くなっていて
ただただ泣きながら言われるままに、荷造りしてアパートを探して家を出てしまいました。

今になって思えば、あの時の主人の言動は
確かに「病的」だったと思います。
なかなか離婚届に署名しない私に、尋常とは思えないような挑発するような言葉の数々を私に浴びせました。
精神的に器量の小さい私は、その言葉に傷付き怒り、衝動的に署名してしまったのです。
あの署名が、夫を自死へと追い詰める最初の一歩になろうとは!

先日、とてもお世話になった主人の会社の上司であり、大先輩である方に
その時の主人の言葉をお話したところ、
「もう、その時既に彼はちょっと“キレ”ちゃっていたな。それは健康な人間の口にする言葉ではないよ」と言われました。

そうなんです。
今、冷静になって思い返せば、私はあんな挑発に乗ってはいけなかったんです。
主人はあの時、とても精神状態を病んでいたのだと思います。
それなのに、私は自分の気持ちだけで精一杯で。主人の「異変」に気付けなかった!!

そして離婚は成立し。
こちらからの働きかけに全く返事のない主人に、「私はそんなにも嫌われているのだ」
「きっと今頃は、せいせいして新しい女性を見つけているのかもしれない」と勝手に落ち込み。

ところが実際は、離婚成立後の主人はますます精神的に荒廃していったと、勤め先の方に伺いました。
その挙句が、突然出勤しなくなり、約2ヶ月間の引きこもり生活の後に自死したと・・・。

主人の「異変=病気の再発」に気付けなかった私が殺したも同然なんです。
どんなに謝っても泣いても、取り返しのつかない過ちを犯してしまいました。
友達が一人もいなかったので、本当に世界中の全ての人間に背を向けて孤独のどん底で、たった独りで死を選んだ主人の胸のうちを思うと
どんなにか辛かったろう、寂しかったろう、苦しかったろうと
離婚届に署名した自分の愚かさを悔やむばかりです。

みーちゃんさん、私も主人が病気のサイン(しかもかなりギリギリの状態のサイン)を発していたと
今こうして振り返ると、思い当たります。
「離婚だ」と騒ぎ始める数ヶ月前頃から、サインは出されていたように思います。
それを見落としてしまった自分のうかつさを、今更ながら呪います。
なぜもっと早くに・・・!

私、こんな状態なのでパート先で仕事にならず、先日解雇されました。
現在、無職です。
泣いているばかりでは、私まで死んでしまうので
自分を奮い立たせて、今日から仕事先を探しに出ていました。

哀しく寂し過ぎる最期だった主人の「夢」を叶えることを
私の人生の、これからの目標にしようと思っています。
そのためには、まず「収入」ですよね。
一日も早く再就職先を見つけようと、やっと立ち上がりかけています。
とても長くなってしまって、申し訳ありません。
(今日は、私達の4回目の結婚記念日です)


12719 サチさん みーちゃん 2008/02/14 20:35
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 中国
こちらこそレスありがとうございます。

サチさんと私の立場があまりにも似通っていて、お逢いしていないのに何だかご縁を感じずにはいられず、又レスしてしまっています。

私の主人も何度か未遂しています・・・私は精神科の看護師経験もあるのに、普段優しい主人の異常とも思える言動や行動に真剣に反発したり、鬱に気づいてあげれませんでした。
(逝く3日前は大好きな子供に初めて手をあげ、前日は学校の実習の疲れも手伝い私に怒鳴ったりしました)

仕事の事は大変とお察します。私は看護師なので正直、宛がないわけではありませんが、下の子供が小さいのでなかなかそのあたりで苦労しています。

先日も子供3人がインフルエンザにかかり休んでいたら、自主退職の形をとらされてしまいました・・・
お互い大変ですが、時々深呼吸しながら前に進んで行きましょう。

これは私の勝手な思いですが、精神科でも勉強した様に自死は発作です。
心臓疾患に発作があるように、鬱の発作だと思っています・・・

今日は少しだけのつもりが、長々とすみません。

実は私達夫婦も今日が2回目の結婚記念日です。
何だか主人が引き合わせてくれたみたいです。




12720 はじめまして ツブ 2008/02/14 23:15
女性 / 50歳台 / 子 / 1週間以内 / 近畿
この苦しみを乗り越えることができるのかな〜と思います。


12721 初めまして モン 2008/02/16 10:24
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部
     

 私は ムスメが 消えて 八年の日々を

送りました。積み重ねられない、きのうと今日の日々です。

 以前 『懐石』という表現で このカタマリとの

ありようを 語った方が いらっしゃいました。私も

同じ思いです。時が経るにつれ 鋭い痛みや とがった悲しみ

を 直接 生み出す事は なくなりました。

 でも 自分の一部として このカタマリは タカラモノのような

形で わたしの中に 存在しています。 どんな時も どんな時も

 辛いですが 苦しくはありません。

時々 涙は零れますが 声は あげません。

・・・そんな毎日です。 ・・・このカタマリを抱いている以外・・

普通の 人です。きっと 普通の 日々です。


12722 モンさんへ sawa 2008/02/16 15:20

>      
>
>  私は ムスメが 消えて 八年の日々を
>
> 送りました。積み重ねられない、きのうと今日の日々です。
>
>  以前 『懐石』という表現で このカタマリとの
>
> ありようを 語った方が いらっしゃいました。私も
>
> 同じ思いです。時が経るにつれ 鋭い痛みや とがった悲しみ
>
> を 直接 生み出す事は なくなりました。
>
>  でも 自分の一部として このカタマリは タカラモノのような
>
> 形で わたしの中に 存在しています。 どんな時も どんな時も
>
>  辛いですが 苦しくはありません。
>
> 時々 涙は零れますが 声は あげません。
>
> ・・・そんな毎日です。 ・・・このカタマリを抱いている以外・・
>
> 普通の 人です。きっと 普通の 日々です。


12723 モンさんへ sawa 2008/02/16 15:39
女性 / 50歳台 / 母 / 1年以内

はじめまして

私は娘を亡くし8ヶ月になります。
モンさんの書き込みを拝見し、言葉では言いあらわせないのですが
思わずこうして書き込みをしています。

どの言葉もこころに染み入ります。

いっっぱい思いはありますが、ただただモンさんの言葉にうなずく
だけです。

追伸 先程うっかりして書き込みの途中に送信してしまいました
   申し訳ありません。




12724 息 モン 2008/02/17 02:41
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部
 sawaさん sawaさん    sawaさん

 
 ツブさん  ツブさん   ツブさん  




12725 モンさんへ ツブ 2008/02/17 10:57
女性 / 50歳台 / 子 / 1週間以内 / 近畿
モンさん、ありがとうございます。
掲示板の言葉、ずっと見ていました。
本当にありがとう。
これ以上気持ちが書けなくてすみません。


12726 はじめまして yokko 2008/02/17 20:03
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 関東
息子が帰って来なくなって、2年が過ぎました。
今でも帰ってくると信じている私がいます。
必ず帰って来る・・・。

皆さんと同じ。毎日涙が流れます。


12727 初めまして。同じ思いです。 ayasanママ 2008/02/17 20:50
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 関東
娘が旅立って、来週の日曜日で3年4ヶ月になります。

モンさんのお言葉、胸に響いて、そのままPCの前で涙が流れました。

「懐石」・・・・。娘が赤ちゃんの頃、母乳を与えながらよくそのまま

胸の上で寝かせました。その時のあの温かみ、重み。

全てが幻の様です。でも、確かにこの体が覚えています。

いつも一緒にいて、そしてこの胸の中を温めて欲しい。

尖って、刺さって、痛くて、重くて、苦しかった「石」は

少しづつ、丸くなって・・、そしていつか帰って来て欲しい。

この家に。この部屋に。早く会いたい。


12728 私も覚えています、モンさん。 沙羅 2008/02/17 23:34
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 東日本
9ヶ月前に娘を亡くした者です。

娘がいなくなって3ヶ月が経つか経たない頃、
『悲しみが痛い、思い出が辛い・・・』
・・・そのようなことをここに訴えたことがあります。
お二方からお返事をいただきました。
誰にも言えないような気持ちをわかってもらえ、手を差し伸べてもらったような気がしました。

お一方は、長いこと喪の道を歩んだとのこと。
『悲しみが痛みを伴わなくなり、苦しくなくなった。
悲嘆の長い時間が刺を磨耗し自分を責めなくなった。
丸い大きな石になり、心の中にいる・・・・文字通り「懐石」だ』と・・・(うろ覚えです、ごめんなさい)
そのようなことを書いてくださった方がいらっしゃいました。

今はまだ、私の中の悲しみは、所々尖ったごつごつした石のようです。
時に私に襲い掛かり、私は打ちのめされます。
立ち上がるのに相当の時間を要します。
まだまだ長い喪の道のりが私の前に続いているのですね。
早く丸くなって私の心の中に納まってくれればいいな、と思っています。

もう一人お返事くださった方は、ayasanママさんでした。
ありがとうございました。
確か「以前の自分には戻れない、出来なくなったことも多い・・・」そのようなことを書いてくださいました。
まさにその通りだと思いました。
あの日を境に、私は私でなくなり、生活も一変してしまいました。
でも「自分の気持ちをコントロールできるようになった・・・」とも書かれていました。
すこ〜しずつ、ゆっくり息をして、自分をいいこいいこしてあげて・・・コントロールできたらいいなと思っています。



もし今、娘に言葉を伝えることができるとしたら、
「生まれてきてくれてありがとう」
そして「守ってあげられなくてごめんね」
の二つでしょうか・・・・・

いえ!本当は、「お願い、今すぐ帰って来て!」なのかもしれません。




12729 ツブさん モン 2008/02/18 01:02
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部
 とんでもない。 なにも 語らないで下さい。

なにも なにも なにも ・・・私は ここに

息ズカイを 感じるために 来ています・・した。

 
 (・・・探したんです。この場所 この掲示板・・・

 車の中だけでは もう      苦しくて・・・)




 沙羅さん ayasanママさん 貴方様方の 言葉の紡ぎ

私は とても 大事に 思っています。 ありがとうがございます。

 読むばかり でしたが これから 少しお邪魔させてください。







 


12730 心磨きが必要かも 雄mama 2008/02/18 14:30
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
こんにちわ
久しぶりに拝見したら、なんと同じような立場で同じような感情を持たれる方の多いことか、驚きました。

鬱だけには絶対ならないゾ!と足を踏ん張りつつ笑顔で立っているのがきついです。

姑が鬱病で8年ほど介護したあと自死して9年前目です。息子が自死したとき私は姑が息子を連れて逝ったと思いこみ、亡くなった姑を激しく恨みました。
 あれほど看病したのに何が気にいらないんですかっ!?
 なぜ私の息子を?あなたの息子を連れてけばいいでしょっ!

姑や学校の教師に向けて、性懲りもなくただ人を非難することで、自分への責任逃避してたのかも知れません。

そんな偏った心をどうにか修正しつつ、最近になってようやく姑の為にも御経をあげられるようになりました。姑の息子である夫も生きてくれることに感謝しなければいけないですね。

丸くなる石の塊を受け入れるには、まだまだ時の流れと何より自分自身の心を丸くなるよう心がけないといけないことに気づいた次第です。








12731 「時」「溶き」「解き」・・・・。 ayasanママ 2008/02/18 15:59
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 関東
娘を喪くして半年位過ぎた頃から、夫と言葉を交わせなくなりました。
これだけと言う理由はなく、ただあまりにも気持ちに差があり過ぎて、
夫がずっと、ずっと遠くに感じてしまったのです。
とても優しくて、穏やかな人ですが、話せませんでした。
長女も同じでした。それからはずっと地獄のような日々でした。

でも、3年が過ぎた辺りから何となく、少しづつ、少しづつ・・・、
話が出来るようになりました。

そして、16日のモンさんの書き込みを読ませて頂いたその夜、
夫の寂しげな後姿を見て、思わず涙が溢れました。
娘の死について、お互い語り合ったりしたことはありません。
でも、あれほど可愛がっていたのだから・・、
苦しくない訳がないはずです。仕事で気を紛らせられる部分もあるとは
思いますが、あなたも辛いね・・と、心の中で思えました。

娘が亡くなって、こちらにどなたかが書き込みされていました。
とても心に残っていて、印刷して持っています。


苦しい時はただ「時」と言う宇宙の乗り物に身を寄せて越えて行こう。

「時」「溶き」「解き」に姿を変えて、傷ついた自分を守ってくれる。

「時」は苦しみが通り過ぎるように流れて、

いつしか心の痛みを「溶き」放って、

そっとこだわりを「解き」ほぐしてくれる。


モンさんのお気持ちを聞かせて頂き、このメモを久しぶりに

読んでみました。

時間がかかるけれども、いつしかこう思える自分でありたいと

願っています。  


12732 勇気を出して ヒロ 2008/02/19 21:46
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 近畿
初めまして。主人が一人旅立って一年半経ち勇気を出して書き込みしました いろんな気持ち同じです。あの日を境に人生が変わってしまった事 あの日の朝いつもと変わらない朝を迎えたのに夕方には私も子ども達もただただ泣き狂っていました いつもの当たり前の風景がずっとこの先の延長線上にもあると誰もが信じて疑わなかったのにどうしてこんな事になってしまったのか…答えなんか出ないです ただわかってる事は助けてあげられなかった事実 私は必ずあなたの精神的な病は治ると信じてた あなたは治らないものと決めてこれ以上私達を苦しめたくなかったのね お互いを思い合ってた事からうまれたそれぞれの孤独感 ごめんなさい ごめんなさい それなのに私生きています




12733 『時のチカラ』 モン 2008/02/20 20:01
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部
 はじめまして ヒロさん

 
 ayasanママさん 「時」「溶き」「解き」 ありがとうございます。

ホント 『懐石』を成すには それしかないと 思います。

 私が 今 生きているのは 多くの偶然に 支えられた 

  ただ  それだけでしょう。

 この掲示板も 間違いなく その大きな偶然の ひとつです。

時々 エグリ返される事もありますが、必ず どこかに ポケットの

ような (ココロ)が 存在しています。


 赤子のように それを 転がし 虚に放って  独りあそび

お蔭様で 『懐石』を 砕いて 周りに ブツケる 回数が 少しで

すみました。

  ナントカ このまま 静かに この道 歩んでいきたいものです。 


 


12734 再会の街 amichan 2008/02/25 00:38
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 九州
『再会の街』という映画を見てきました。9.11で家族を亡くし、周りの人に心を閉ざしている歯科医と、その大学時代のクラスメートが20年ぶりに再会する、というお話です。

その歯科医の心痛をアダムサンドラーがとても上手に演じていて、心に深く残る映画でした。
家族がいたということさえ、記憶にないと言い、その思い出に触れられることを拒絶し、異常行動を起こしたりします。
その親族すら、彼の心の深い傷が彼をそのようにしているのだということを理解できないでいるのですが、旧友との出会いにより、封印していた傷を吐き出すように語り、少しづつお互いの癒しが始まります。

監督は、9.11が起きた時にニューヨークにいて、家族を失った人たちを目の当たりにし、その後残された遺族はどうしているんだろう、との想いから、この映画を作ったそうです。
実際に医療従事者や、いろんな、大切な人を亡くした人たちと会って話を聞いたりして、役作りをしたとのことで、単純な感動物でなく、登場人物の気持ちに深い親近感を覚えました。
一緒に映画を見に行った主人とも、これは、分からない人には分からないけれども、傷がある人には分かるねーと言っていました。

映画の紹介のようになってしまいましたが、私自身、傷がまだ癒されていません。
職場の同僚や周りの人にはあまり打ち明けられる内容ではなく、それでも普通に仕事を続けていくというのは大変ですね。
あまり触れたくない話題、話したくないこと、ごまかさないといけないこと、色々あります。
適当に流してはいますが、辛くなることもあります。
変、と思われることもあるかなーと思います。
でも、この映画を見て少しほっとしました。 こんなに傷つく人だっているかもしれないんだから、自分が傷ついててもいいんだ、と自分で自分の状態を認めてあげられます。
周りがあまりにまともで、こんな苦しみがあることすら分からない人たちに囲まれていると、息が詰まりそうに感じることがあります。
同僚で、家族が自死した方がしばらく病休をとった時に、「彼本人も精神的に弱かったから。」というのを聞いて、自分に言われているようでとても辛くなりました。
皆さん結構シビアな発言をします。
自分が同じ体験をしたら、そんな事言えるんだろうか、と思います。

私もこの体験は封印していましたが、たまにここにお邪魔させていただけると嬉しいです。




12735 amichanさんへ ユミ 2008/02/26 01:07
女性 / 30歳台 / 兄 / 6ヶ月以内 / 近畿
こんばんは、初めまして。

9・11、あれもとても辛い記憶の事件でしたね・・・
あれだけたくさんの人が一度に亡くなり、その遺族の数といったら
どれほど多いだろうか、どれだけたくさんの人が
今も毎日悲しみを抱えて生きているんだろうか・・・
ある日唐突に、衝撃的なかたちでその人と永遠に会えなくなる。
状況こそ違えど、その辛さを自分と重ねて考えると、胸が痛いです。


私は、昨年秋に兄を亡くしました。仕事は続けています。
事実を話してしまえば打ち明けられた相手もショックだろうし、
その後接し方に困るだろうな、それに偏見のある人もいるだろうし、
自分のいないところで『お兄さん、気持ちが弱かったのね』と、
よく知りもしないで勝手に決め付けられるのも嫌だったので、
私もごくごく少数の、本当に親しい人だけに話しました。

でも、真実を知らない人が多い中で毎日『普通』を
演じて笑っている自分が、なんだか悲しくなる時があります。
amichanさんがおっしゃるように、触れたくない話題、話したく
ないこと、嘘でごまかさないといけないこと。色々ありますね。

以前もこの板で書いたのですが、『あーあ最悪、死んじゃいたい』
『死んだらいいんちゃう?』等の、冗談めかした軽口。
あれも、それまで笑って会話していたとしても、その一言が
出た途端、鉛のようにずどんと心に重たく堕ちてくるんです。
一瞬心が凍りつきますが、適当に曖昧にその場を流す私です。

『だいぶ元気になったね』うん、演じているところが多いんだけどね。
『いつまでも思ってちゃだめ』あなたなら簡単にふっきれるの?
『気持ちが弱かったんだね』よく知りもしないでどうして言えるの?
『またその(兄の)話ぃ?』言われた母はとても辛かったそうです。

本当の気持ちは言葉にせずにその場はさらりと流すけれど、
心の中にはちくちく小さな棘が残ります。

結局のところ、その立場の気持ちになって痛みを想像することは
できても、本当に本当の『芯のところ』は、こういった当事者に
なってみないと理解はしてもらえないんでしょうね。悲しいけれど。
自分が同じ体験をしたらそんな事言えるんだろうか、と私も思います。

色んな思い、一緒に色々お話していきましょうね。
夜に静かな深呼吸をひとつさせてもらうような気持ちで、
私もいつもここに寄らせていただいてます。

________________________________


先日やっと兄のお墓を決め、墓石に彫る文字を考えていたのですが、
今日実家の母から電話があって、『千の風』になりそうです。
(横長の、石碑のようなタイプで正面に文字を彫るお墓なんです)

「想い出」とか「絆」とか色々考えていたけれど、
この言葉が、兄が亡くなって一番悲しい思いをしているだろう
母親としての母の今の気持ちなんだろうな・・・と思いました。


千の風に 千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています


今はもう楽に、笑って笑って楽しく過ごしているといいな・・・
納骨はきっとまた寂しい気持ちになるだろうけど、
それが寒く暗い冬であるよりも、暖かい春でよかった、と思う私です。


12736 もうすぐかな。 みどり 2008/02/27 18:43
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内

わすれることが、復讐になるかな。

あなたのことは忘れないけど、あなたの周囲のひとのことは
忘れることで、復讐したい。
私なりの忘れかたで。

悲しい時に悲しめなかった反動というのがたしかにあって
どうして?と思う事がたくさんあって
でも時間にはかぎりがあって、一度に全部はできなくて

だって、あなたの遺体を見た次の日、もう引っ越しだったものね、
葬儀も同時並行、罵倒の言葉といっしょにね。
それから、勝手に捨てられた遺品もたくさんあった。
私とあなたが住んでいた家、あなたの遺体、みんなもみくちゃにされたような気分になったよ。

そういう感情がね、全然処理できないまま、今になって。
だけど、時間がたって、私の周囲も変わり。
何も処理できないまま、あなたのことすら忘れたいと思っている私がいる。

あなたとの別れ話、あなたが死んでうやむやのままだったね。
私、そのこと、はじめは自責の念だったけど、
今はちょっと怒ってるのよ。
うやむやのまま、5年、だもの。私の意思は無視して、あなたの意思だけでね。あなたが死んだ理由、たくさんあるだろうし、あなたにしかわからないことだろうけど、私と別れたくなかった、死ぬことによって私と永遠に関わりたかった、そういう理由もあるんじゃないかって思ってるよ、私は。
そう思ったときにね、自責の念ていうより、あなたのいじましさを殴ってやりたくなるの。迷惑だよ、ほんとに。

だけど、あなたのこと、忘れそうになるとき、私は不安になるの。
実際は忘れることなんてないのだけど、ちょっとでも記憶がおぼろげになると、大切なものをなくしたような気になる。
そして、あなたの周囲のひとたちが最低だったから、そのことを忘れたいから、あなたを思うとその人たちが付属品のようにくっついてくるのがいやで、あなたのことなんか、忘れたいと何度も思って、
でも、あなたのことだけは忘れたくない。
周囲の人だけ忘れたい、
私の力が足りなくて、あなたのこと、あなたの遺体、あなたの形見、
守ってあげられなくて、ごめんね。
手放してしまったこと、ごめんね。
私、あなたのこと、守るから。
私のやりかたで守るから
あなたが私のこと、守っているように、


12737 時きたる なおべ 2008/02/28 21:37
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
ほっかいどう自殺予防と自死遺族支援のためのシンポジウムが
日曜日に開催されます。

やっと北海道もフォローされる番が来ました。

その中で、自分に何が出来るのか、真剣に考えて行こうと思い
ます。

自分と同じ思いの人を、もう増やして欲しくない。

それと同様に、自分と同じ苦しみを背負っている人の助力が出
来ればと考えています。

私が参加している会は、平均年齢が非常に高く、私と同世代の人
は、男性ではいない気がします。

自分に何が出来るのか、今一度考えてみたい。




12738 時がきたのですね。 粉雪 2008/02/29 00:08
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 北海道
日曜日のシンポジウム、私も参加する予定でした。
でも、どうしても外せない用事が出来てしまい、参加することができなくなってしまいました。残念です。

今後も北海道でこのような会が開かれることを願っています。

なおべさん、ぜひ有意義な時間をお過ごしください。


12739 みどりさんへ Y 2008/03/01 00:42
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
お久しぶりです。実は私もあれ以来ここに書いた言葉の数々が子を亡くされた方々の気持ちを大変傷つけているのでは!?と思いこの場所へ来れませんでした。
今日たまたま、久しぶりにいろいろな方の書き込みを読ませていただいていたら、みどりさんからお返事があったのでまたこうして書き込みさせて頂きます。
私自身、今は毎日ただ一歩一歩前へ進むのが精いっぱいで、気がつけば
もう半年が経ってしまったという気持ちです。
亡くなった夫には毎日「ごめんね。ごめんね。」と位牌の前で誤っています。たぶん私の命ある限り毎日言う言葉なのでしょうね。。
以前は、何で私がこんなつらい目に・・!と毎日思い「私のせいではない!!」と自分に言い聞かせていました。けれどそう思うから余計に苦しくなり亡くなった夫や親族に責任をなすりつけて少しでも自分の気持ちを楽にしたいと思っていました。
結局、そう思うから余計に苦しくなるのだと思って、いっその事すべて私のせいだと思うことに決めました。なんだか気持が楽になりました。
私が今夫にしてあげられる事だけを考えるようになりました。
心のこもった供養をし続けてあげることが私に残された唯一の事です。
私にはそれしかできません。どんなに哀しんでも恨んでももう戻ってはきてくれません。
この広い世の中同じような気持ちの方がたくさんいらっしゃると思います。ちなみに私は宗教などにこだわっているわけではありませんが、
夫の死後、何十冊の本を読み感じたことは「身の周りに起きる全ての事は偶然ではなく必然なのです。」という文章が心に残りました。
これは、私の考えなので皆さんはスルーして頂いて結構なのですが、
前世の私は、もしかしたら自死した一人であり今現世で受けている悲しみや辛さは、自死したことにより周りの人々が受ける辛さを身をもって試練として与えられているのではないのかな?なんて思ってます。←考えすぎ!?
話が随分それましたが、みどりさん、気にかけて頂きとても嬉しかったです。ありがとうございましたm(uu)m
それと私の文章を読み心が痛んだ方がいましたら本当に申し訳ありましんでした。



12740 心境の変化、Yさんへ。 みどり 2008/03/01 13:55
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内

Yさん、思いがけず、レスをいただきありがとうございました。

私は、今日、形見の供養の日程が決まって、心境に変化がありました。
なんだかとてもあたたかい気持ちと、涙があふれてきて、
こちらに訪れたら、Yさんからの書き込みがあり、、、
それを読んでいろいろ思い出すこと、同感すること、がありました。
一周忌をあげていたころの自分の気持ちを思い出しました。
心のこもった供養をする、今自分が夫にしてあげられることだけを考える、、

最近の私は怒りを抱えていました。ここにもその気持ちをたくさん書いて、心の整理をさせていただいたような気がします。
怒り、悲しみ、やさしさ、自責、長い時間をかけて、それらの気持ちがめぐり、、、
形見の供養の段階になって、一巡した感覚があります。
今、思い出すことは、彼のやさしかったこと、彼に感謝できなかったこと、私のいたらなさ、彼を助けられなかったこと、などで、
それらは時間の波に洗われて、また、私の中に訪れています。
以前とちがうことは、自責の感覚がうすいことです。
彼の成仏がちかづいているからか、本当の意味で私が彼の死を受け入れ、私ができなかったことを受け入れているからか、、。

Yさんが「私のせい」と思う事で、やさしい気持ちや平安が訪れるなら、それもよいと思います。私もずっと自責の気持ちを持っていましたから、お気持ち、よくわかります。だけど、結局、誰のせいでもないのだと思います。あまりにもつらい死だから、つい責任をひきうけるものをさがしたくなりますが、、、そして一番近くにいた自分だから、その責任を引き受けてしまいがちですが、この掲示板にも書かれていた「発作」というようなものが本人を訪れた、、ということなのでは、と、今の私は思っています。自分が自由になるためにそう思うのかもしれませんが。。もし、「私のせい」と思う事がつらくなるときがきたら、誰のせいでもないのだ、と思っていただけたら、と、おせっかいですが、そう思っています。

前世の自分が自死したひとりなのでは?残されたひとの悲しみを今身をもって体験しているのでは?というYさんの問い、とても響きました。
もし、そうだとしたら、つらくても乗り越えなければ、と。

お声をかけてくださり、ありがとうございました。
Yさんの心に、たくさんの平安が訪れることを願っています。



12741 ねこやなぎ 藻 2008/03/01 17:22
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 日本国内
 春の訪れを真っ先に見つけてきた息子は、ねこやなぎをコップに挿して台所のテーブルにそっと置いておくものだった。外に出て遊ぶのが大好きで、福寿草も真っ先に見つけ、ポケットにいれてたことがあった。生きていれば25歳になるのだなあ。
 「なぜ、なぜ」という鋭い問いかけが月日に風化されて、「そのうち、私もそちらに行くのでよろしくね」と思うときがある。
 道行く子の年齢に応じて、わが子の成長の思い出を重ねても涙せずに
静かに微笑むことができるようになった。そうして心の中で、青年に祈っている。「どうぞ、自死だけはしないで、生きのびてくださいね」と。自殺防止のような活動に参加して、もうこれ以上つらい思いをする家族の数を減らせたら・・・と思ったときもあったが、まだ自分自身ですら今もって不安の淵を漂っている状態。
 私は息子を失ったが、父や母に自死されて、遺された若者の親代わりとまではいかずとも、時にはそういう役目をしてあげることができたら、補いあっていき続けることができたらと思う時がある。自死遺族の駆け込み寺が、ネット上や電話だけでなく、そういう「生活の住空間」があったらいいだろうなあと夢みる。


12742 はじめて投稿します。 ce 2008/03/02 01:18
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 中国
何度かお邪魔はしていたのですが、はじめて書き込みます。

昨年、夫を亡くして2人の息子を育てています。表面上は元気に振舞っています。笑っています。抗鬱剤がなくても平気な日もあります。

でも、仕事をしていても、突然に出てくる涙。

自責、憎しみ、愛おしさ、寂しさ、ごちゃまぜの涙です。

今日は息子に頼んで同じベッドで寝てもらっています。横になって「お母さん、あなたたちが大きくなるまで頑張れるかな?」と聞いたら「大丈夫だよ」と9歳の子が答えてくれました。ダメ母です。

9歳の息子は父親の自死を知っています。

あなたのしたかった事はこれですか?あんなに可愛がって育てた息子にこんな仕打ちをなぜするの?

キーを打っていて、涙が止まらなくなりました。

3人で何度も死のうと思いました。たぶんこれからも何度も繰り返し思うのでしょう。

ただ、死ぬ時は子供と絶対一緒です。







12743 ユミさん、レスありがとう amichan 2008/03/02 14:43
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 九州
ユミさん、温かいレスありがとうございます。
自分の気持ちを打ち明けられる場があるというのは、ありがたいですね。

先週大きな仕事が1つ終わり、少しその分気持ちが軽くなりました。
でも、重たい仕事を抱えている間は、気が晴れず、特に先々週は睡眠導入剤(マイスリー)を2錠飲んで、やっと眠りに入る日々が続き、かなり精神的に疲れてしまいました。
今の係は、毎日どんな仕事や相談やらがくるか分からず、いつも頭をクリアーにしておかなければ対応できないので、かなり神経を使い疲れてしまいます。
30年その係の仕事について熟知していた方が昨年退職し、一昨年から配属されていた私にすべて任されてしまって、責任が重たくなりました。

私の母は2年半前に逝ってしまいました。
原因は、弟がお付き合いし、結婚しようとしている相手をどうしても受け入れられないから、でした。
父は20年前くらいに他界しましたが、母は父が生きている時から苦労のしどうしでした。
それが、定年退職し、やっと自分の人生を楽しみ、色々好きなことをやり始めた矢先でした。

母は一番弟に対して思い入れがあったのです。弟も母に対して愛情深い息子でした。
こんな事で?と思うのですが、母には耐えられなかったのです。
彼女と付き合っているということを知ってから1年間(以前からお互いに顔見知りでした)、家族皆が大変でした。
母の心は壊れてしまったんです。
私と姉は毎日のように母と電話で話し、姉は実家に行ってました。
母が毎日荒れるのを聞いてもなす術もなく、弟も同じように荒れていました。私はいつも中間地点で話を聞くしかありませんでした。

その苦しいさなかで、私は以前同僚だった主人と再会し、入籍しました。彼は元々私の家族も知っていたので、一緒にフォローしてくれました。主人とフォトウェディングをした時に、母も来て、弟にもこのような格好をさせてあげたいと言っていたのです。
その翌日でした、母が逝ってしまったのは・・・

母の一年忌が終わって、弟は他府県で結婚式を挙げました。
私と姉は参加できませんでした。
弟はその件についても不満がありましたが、私には無理でした。
弟の奥さんは、そのご家族には、母の死について話していません。
反対されていると知ってはいましたが、その最中に病死したと思われているようです。
向こう方の家族は、家族が挨拶にもこないと思われていたようですが、色々事情があるから、ということで説明したようです。
もし母の死について知られたら、結婚できないから、ということだと思います。

彼女の従兄弟達が私の職場にいます。弟が結婚したときに、色々聞かれました。私は、そのことについて触れられるのが嫌で嫌で、彼らを見ただけで、パニック状態に陥りました。でもそれもばれたら困るので、見かけたら、すぐ避けて逃げていました。
ただ、小さな職場なので、私のいる課に仕事の件で来た時などは、その人が帰るまでは書庫にいたり、どこかに行ったりして、話しをせずにすむ様に気を使いました。でもある時、弟の結婚の件は、色々あったので、賛成しているとは言えない、と話したら、触れられることは今は無くなりました。兄弟なのに結婚式にも参加しないとは、よっぽど変と勘ぐられるのも怖かったです。
今でも、どこからかその話が彼女の家族や親戚の耳に入れば、狭い地域なので、弟夫婦がやっていけなくなるのではないか、という恐れがあり、誰にも話すことはありません。

ただ前の課にいた時は、たびたび急に仕事を休まざるを得ない事情が発生するので、上司に話し、理解を得ていました。
2年前に今の課に配属されてからは、家族の事については、殆ど話さなくなりました。たまに、上司に、顔色が悪いときがあるけど、と心配されますが、眠れない時があるから、とごまかし、とにかく、一切触れてほしくない、という気持ちが強く、その分、周りに対して心のバリアーを張り巡らしていると思います。

何人か事情を知っている友人もいますが、この件で話を聞いてもらうことはもう無くなりました。皆それぞれが生きていくのに必死な時代だし、やはり重たくなるし、気持を分かってもらうのも難しいし・・・
姉とは気持を分かち合えるし、主人も理解があるので、まだ、いいのかもしれません。
でも、時々、すごく息苦しくなる時があるのです。
仕事の件やら、人間関係やら、それ以外の原因も色々あるとは思います。
こんな状態でこの先同じ仕事を続けていけられるのか、疑問に思いながら、毎日出勤しています。
週3日位の勤務でやっていける所があれば、転職を考えてもいいのではないか、などと思い、資格の本を買って読んだりします。
ただ同じ係の子が4月から産休に入るので、しばらくは後継者の養成にあたらないといけないし、すぐに辞められる立場ではないのですが。

他の方も、仕事を辞めた人もいれば続けている人もいて、皆それぞれ違う状況の中で精一杯生きているんだろうなーと思います。
同じ痛みが分かる人がどこかで頑張って生きている、と思えば、私も一緒に頑張ってやっていける気がします。










12744 粉雪さんへ なおべ 2008/03/02 22:22
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
今日、シンポジウムに参加して来ました。

そこで感じた事は、北海道が広域だと言う理由で、癒しの会の普及が中々進まない事。

そして、もうひとつは、「行政は所詮、建前と綺麗事」でした。

私が参加している癒しの会の主催者も出席しておりましたが、明らかに行政と並ぶのを嫌がっておりました。

質問の中で、こんな意見を言う大学生らしき男子が居ました。

「自分は、自殺した人の遺族ではないけど、偏見は無いつもりだ。それを伝えるには如何したら良い?そう言う(ロゴの入った)Tシャツでも着れば良いだろうか?」

本来ならば、一般市民の理解は喜ぶべきなのでしょうが、私は不快でした。

自死遺族が、どれだけ辛いか理解しているのか疑問な上に、話し方や内容が幼稚でした。

日本の未来は暗いですね。

北海道で、一日も早くNPOを設立し、対応していかねばならないと痛感しました。

また、それは、自死遺族を中心に構成されなければ、意味が無いとも痛感しました。

あまり実りあるシンポジウムではなかった、と言うのが感想です。



12745 ceさんへ なお 2008/03/03 09:56
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 西日本
私も1年前に主人をなくし、9歳女児と6歳男児がいます。仕事もしてません。専業主婦10年の壁は、あつく、なかなか難しいです。私もいつも3人で逝くことばかり考えていました。しかし、1人でも残ると困るから、行動をおさえられました。何がおこってこうなったのか分からないけど、本人もわからなかったと思います。毎日、生きているだけで、がんばってます。子供達も学校に行くって、がんばってることだとおもいます。ceさんは、お仕事もされて、がんばってます。将来を考えると怖いので、とりあえず、今日1日生きることしか考えないようにしてます。自分を大事にしようと思って、泣きたいときは、いっぱいなきます。誰もわかってくれないけど、自分は、じぶんをわかってやれる。感情を素直にだして、すっきりさせます。子供も話せばわかってくれます。あまりがんばらないで、とりあえず、子供達が大人になるまで、生きましょう。なにをいいたいか、自分でもわからなくなってきました。ただ、私も同じだと伝えたくて。


12746 ceさんへ こびと 2008/03/03 21:15
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
子供に甘えるというか、本当に私も母が死んだ時、子供が甘えさせてくれました。哀しいかな夫は悪い人ではないけれど、いつまでも甘えさせてはくれなくて、子供が親のように優しく何も言わずに見守るようなかんじでいてくれたことが、私にとって支えでした。
子供はceさんの悲しみを十分理解してます。
ceさん、ただ誰かに寄り添ってもらいたいのですよね。
何も語らなくても、手をにぎり、隣で添い寝してくれるだけでいいのですよね。
幼い子供になっていいのですよ。つっぱらなくていいのですよ。


12747 なおさん、こびとさん。 ce 2008/03/03 22:13
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 西日本
お返事いただいてありがとうございます。ここに書き込むのはとても勇気のいる事でした。

なおさん、ありがとうございます。2人の子供の年齢まで一緒です。仕事に恵まれたのはいいのですが、帰りが遅いので、子供たちに寂しい思いをさせています。

父親と同時に家や友達まで失った子供たちが不憫で、私1人が死ぬのではなく、3人で死ねる入水自殺を何度も考えました。そうですね、自分だけ生き残ってしまったら、と言う恐怖、あります。

こびとさん、ありがとうございます。私にとって、上の子は唯一の悲しみの共有のできる相手で、理解者です。ただ、亡き夫に似ていると言う点で実父が私と上の子が一緒に寝るのを猛反対します。

添い寝をしてくれると、私の悲しみが半分になるような気がするのです。(子供にとっては重荷かもしれませんが)

今日は上の子から、「お母さんのベッドで寝ていい?」と聞いてきました。先に寝ています。今日も子供の温もりに助けてもらいながら寝ることにします。

またお邪魔します。よろしくお願いします。




12748 ceさんへ なお 2008/03/04 09:46
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 西日本
うちは、毎日三人で寝ています。子供もすごく神経質になって、夜は、トイレにもいけなくなりました。病気がちになったり、私には聞こえない音が聞こえるといいだしたり。1年経ってだいぶ落ち着きましたが。まだ、小学生だし本人がいやがるまで、いっしょに寝てもいいのではないですか?子供も安心して、眠れると思います。お父様にもそのようにつたえられたらどうでしょう?ほんとに、子供が助けてくれます。彼らの方が、環境の変化が大きいのに。
わたしは、一人になる時間があるので、その時におもいきり泣きます。おしごとされてたら,むずかしいですよね。仕事のストレスもでてくるでしょうし。無理にもとにもどろうとがんばらなくてもいいのではなうですか?全くダメ母なんかじゃないですよ。他人にわかってもらえなくてもいいですよ。子供さんは、お母さんががんばってるのをよくみています。みんながんばりすぎないでいきましょう。こんなに大変なことがおこって、もとどおりの生活ができるはずがありません。他人を基準にしたら苦しいだけと思うのです。甘えていいとおもいます。そうしないと生きていけません。
私の友人は、15歳の時父親を自死でなくしました。その時は病気と聞いていて、今回私がこうなって、はじめて教えてくれました。その時の御両親の年齢が私たち夫婦と同じです。その友人が「あの時、母も死のうと考えたかもしれないけど、今はそう思ってないと思うよ、私も母に殺されず、生きていてよかったよ」といいました。とりあえず、今日一日生きていきましょう?自分に言い聞かせてますね。



12749 ceさんへ こびと 2008/03/04 18:30
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 日本国内
子供さんに添い寝してもらって、悲しみが半分になるのなら、それでいいではないでしょうか。
安心感の中で眠りに入るというのは、とても重要なことですよね。
ceさんが安心できるということは、子供さんが安心できることですから、子供さんにとって悪い事ではないですよ。

子供さんにとって、お父さんを亡くして、お母さんが今どんなに大切か知れませんから、ceさんの心がくつろげるなら、どんなに甘えても甘えさせてくれます。
甘えたり、情けない部分をさらけ出して、楽になりましょうよ。


12750 なおべさんへ 粉雪 2008/03/04 22:52
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 北海道
なおべさん、シンポジウムの参加お疲れ様でした。そして感想を聞かせていただいてありがとうございます。

今回の参加者は、自死遺族だけという訳ではなかったのですね。
学生らしき人の質問、私も読んでいい気持がしませんでした。
あまり実りあるものでなかったのは、残念ですね…

同じ思いをした方々の声を実際に聞きたいと、何かにすがりたい様な気持ちで参加したいと思っていた私は、今回は参加しなくてよかったのかもしれませんね。
参加に際して、いろいろと期待する事が大きかったですし…

やはりもう少し気持の整理をして、落ち着いてから、の方が良いのでしょうね。まだまだ人の話を冷静に聞ける状態でもないのに、どうにかなりそうな今の状態から抜け出したくて焦ってもがいているだけなのかもしれません。

時間が解決してくれる、というのはやっぱり違うと思います。
私はやっと3か月過ぎたところですが、日に日に辛さが増している気がします。
やっと北海道も最近、暖かい日が続いていますが、まだまだ心は凍りついているし、私には春なんて来ないんじゃないか、そんな気分です。



12751 粉雪さんへ なおべ 2008/03/05 11:39
男性 / 40歳台 / 妻 / 3年以内 / 北海道
シンポジウムに参加するのは自死遺族ばかりだと私も思っていました。

恐らく卒論のテーマに選んだ学生ではないかと思います。

3ヶ月・・・私は泣いてばかりいました。

実父が亡くなっても泣かなかった私が、20年ぶりに泣いてばかりいました。

焦っても前進は出来ません。

心の傷を癒すには、やはりこう言ったHPや、癒しの会に参加する事が

BESTだと思います。

話してみれば「皆、同じなんだなぁ」と痛感します。

巧く書けないので、多少語弊や反感を受ける可能性がありますが、自分

が率直に感じた事を書きます。(あくまでも私見です。)

「女性の方が悲しみながらも前をしっかり見ている」気がします。

逆に男性は・・・女々しいと書くと語弊がありますが、引き摺る年数が

長い気がします。(自分も含めてです。)

癒しの会に出て、その感情が確信に変わりました。

癒しの会・・・人の意見も聞きますが、自分の事を喋って良い場所です。

独演会でも構わないのです。(思い切りそう言う男性が居ます)

いつか、参加して下さい。

待ってます。



12752 いつまで続くのか? ケー 2008/03/05 12:27
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
9ヶ月前のことでした。主人が自死したのは。子供が二人、小学生です。
もう離婚話も公正証書作成し、委任状ももらい、後は離婚届に印を押すだけでした。
借金もありましたが、家、土地を売ることで、問題は解決するはずだったし、ましては、土地は私の土地でした。
転職を繰り返し、生活は落ちていくのみ。無職だったことも。
私が、正社員として働き、家のローン、ボーナス払いも含めて荷を背負い、また、料理もできない人だから、家に帰ってからは家事。
洗濯や掃除は手伝ってくてましたが、私は仕事もきつく、休みの日は、
布団から起きられない状況でした。
「もう死にたい」と言ったのは私でした。
主人は、「死ぬなら俺が死ねばいいんだ」と、二人でなきました。

その半年後でした。沢山の、普通ではない量の束のような遺書を残し、
一回目。発見が早く、と言うより、私が帰る時間を見計らったかのような死に方で、翌日には退院許可も出て、うつかもしれないと言われ、
病院を紹介されて、入院させました。
そこの先生は、「うつじゃないよ。次は道連れにされるから家を出たほうがいい。一人で死ぬ勇気なんてないよ、あの人は。」と言い。
公正証書を頼んだ司法書士にも家にいたら危ないと言われ、そんなこともあり、学校も休ませることもあり、子供も危険と感じ、先生にも
相談しました。やはり休んでいる間に、教室まで入り込み、子供を
探していたようで、学校からは、しばらく来ないで、安全は保証できないと言われました。退院後、まっすぐ司法書士の所で、離婚届に印を
押しもらい、一週間経っても気持ちが変わらなければ、届けをだすから
預かるよ、ということに。期限の前日に亡くなりました。
それまでも、携帯に電話が来たりメールがきてましたが、「ご飯たべに
行こう」「買い物にでも行かない?]というような、何もなかったかの様な内容で、私は無視してしまいまいました。

今の私の気持ちは、私自身もうつで通院することになり、周りの
「旦那さんが自殺して、奥さん、頭おかしくなったんだって」という噂にも疲れ、私も働けなくなり、信用してた人にだまされ、天蓋孤独の
身の上で、友達だと思っていた人たちまで離れていき、子供は反抗期もあり、話し相手にもならず、あの時、一緒に連れて行ってもらえば良かったと思っています。
直前に、Eメール、ショートメール、そして電話まで。
今までに聞いたことがないような人間の声とも思えない嗚咽、そして
ガサガサという音がして電話が切れた。多分、私の呼ぶ声を声を聞きながら...。
遺書は自宅の玄関にあり、朝になるまで私に探してとかいてありました。家に着くまで、小一時間かかるので、警察に電話して、窓を壊して入ってもらいました。玄関に場所を書いているとメールに書いていたので。でも、警察は赤色灯を回したまま、窓だけ割って入り、いすに座っていて。主人の残した封筒を空けもせず、私は事情調しゅう。
結局、電話は23:13だったのに、暗いからと捜索開始は朝から。
GPSも使ってくれるよう頼みましたが、そこでも、あれこれ聞かれ、
朝9時にならないとauは、開かないからと言われ、家の前に車を止めて
一人で連絡を待ちました。5時前に連絡があり、免許証で確認したが、顔を見て確認して欲しいので、警察まで来てとのこと。
そこで、今思うと取調室だったと思う狭い鍵のかかる部屋で、一時間ちかく調べられ、遺体は物置のようなところに、映画のようにビニールの袋に入れられてジッパーを開け、「間違いありませんか?」と。
あまりに、むごすぎる。せめて、普通に寝かせておいて欲しかった。
あの時の顔と、最期の電話の声が忘れられない。

寒い土地なので、主人がなくなったであろう場所で眠剤を飲んで横になっていれば、死ねる。とか、どうせ幽霊屋敷のように思われているんだったら、そうしてやろうかと思うことがある。

先日、自殺防止、遺族のシンポシウムに行ってみたけど、これでは救われないと思った。愛しい人を失うのは、たしかに胸をかきむしられる悲しみだと思う。でも、離婚しようと思ってた人に、いつまでも家族だと言われて死なれる私とでは、違う。
あとで、子供のアドレス手帳に、「好きな人 お母さん」「今度生まれ変わったら? お母さんと結婚する」そして、遺書には、あの世でも、また、お母さんと結婚して家族になりたいと。生きているのが苦しい。
誰も信じられない。いつまで、この呪縛は続くの?
私が、死に追いやったんだよね。
長くなりました。少し心が軽くなれました。



12753 Kさんへ みどり 2008/03/05 15:26
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
はじめまして。Kさんの書きこみを読んで、自分の状況と似ているところがあり、お声をかけずにいられませんでいた。
お辛い心境、お察しします。

私の場合は離婚届けの段階以前でしたが、別れたいということを伝えていた矢先でした。Kさんがシンポジウムで感じたこと、わかる気がします。
自死、それだけでも胸をかきむしられるような苦しさがあるとは思いますが、別れたいと思い、また、それを伝えた上で、自死され残されるというのは、自責の念という言葉ではあらわしきれない、本当に複雑な心境です。

なくなった故人との関係性、警察の対応、
かさなるところがあります。
Kさん、ぎりぎりまで、よくがんばれらたと思います。

私と故人との関係は自死、という出来事で、ひとつ終止符が打たれましたが、自責の念を持って振り返ってみても、だったらどうしたらよかったというのだろう、という問いにうまく答えが見つかりません。
あの状況で別れたいと思わない自分、というのが、想像できないのです。
自死されるくらいなら別れないという理由で続ける結婚生活が人間らしい暮らしとも思われません。
自死の一か月前くらいの間は、私にとって極限状態でした。
恐怖と疲労で声が出なくなったほどです。
ほとんど息しか出ないかすれた声で警察に電話した日のことは今でもよく覚えています。
「あの人に死ぬ勇気なんてない」「いっしょに暮らしてたら夜中に刺されるかもよ」とも言われました。
悪夢にうなされて目を開けると、眼前に夫の顔があり、暗い顔でじっとこちらを見ていたこともありました。気が狂いそうでした。恐怖、しかありませんでした。「私、ころされるのかな」「でもひとりにしたらこの人死ぬかもしれないな」そう思いながらの生活でした。
別れたいという思いにゆらぎはなく、ただどうやったら、この人に元気になってもらい、きちんと別れられるか、そう考えていました。
そのあげくの自死でした。

だから、結局は、自死の責任は本人にあり、弱くて卑怯な性格に問題がある、というふうに、思いたくもなります。
いまにして思えば、なぜ私があんなにも自責に苦しめられたのか、、、
私には彼の死の責任がないのにな、と思います。
私は彼に生きて欲しいと思い、それを伝えました。
死ぬ人はこちらがどのように誠意を持って引き止めても死んでしまう、
死にたいと思っている人間を生きるほうに説得することは本当にむずかしいと思います。

あのときの故人の気持ち、はどんなだっただろう、と長いあいだ
思っていました。今は、あのときの自分の気持ち、はどんなだっただろう、と思うことができます。
むしろ自分の気持ちに寄り添う事で、当時の状況や、故人の気持ちが、
わかってくるような、そんな気がします。

Kさんのこころのなかにも、きっといろいろな思いが交錯することと思います。私は夫婦ふたりでしたので、おとなとおとなの別れ、でしたが、Kさんにはおこさまもいらっしゃるし、私よりも、考えること、しなければいけないことが、多いことと思います。
そう考えると、私がKさんにかけられる言葉はほんとうに少ないものかもしれない。。だけど、どうしてもお声をかけたくて、、

なにもかも悪循環のように思えるときは、まるきり環境を変える、ということもひとつの手段と思います。
長くなってしまいました。
うまく言葉がかけられなくてすみません。
ケーさんの心に、たくさんの平安がありますように。



12754 みどりさんへ ケー 2008/03/05 17:43
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
ありがとうございます。
気持ちが高ぶり、他の方に不愉快な書き込みをしてしまったと
後悔していたんです。

環境を変えることに関しては、自分なりに考えたのですが、
七日目に賃貸マンションに移り、昨年秋に、まだ在職中だったので、
私がローンを組み、引っ越しました。
転校は、絶対にいやと子供に反発され、同じ学区内という中途半端な
環境変化でした。
子供が慣れた環境をはなれるのも寂しいかと思ったんです。
噂になるのは、当然ですよね。
主人のことで言われるのは、覚悟していました。
でも、私がどうこうと尾ひれが付いて噂になる事は予想外で、
仕事ができなくなるなんて事も考えてもいませんでした。

はじめは、主人も死を選ぶくらい苦しんだんだから、当然、
私も苦しむべきで、生きていること、生かされていることに、
感謝しようと、心を白紙にしました。
でも、あまりに、周りは冷たく、このマンションでは、
頭のおかしい人扱いされています。
こちらから挨拶しても、無視をする人すらいます。
その人達は、同じ小学校、塾まで同じなのに、うちの子にまで挨拶を
かえしてくれないようです。
そんな周りの人を恨み始めている自分が嫌です。
私の選択は、間違いだらけのようです。
また、愚痴ってしまいました。
ごめんなさい。
前に、進まないとね。
みどりさん、本当にありがとうございました。




12755 こんにちは 舞夢 2008/03/05 18:15
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 東北
最近はたまにロムするだけの私です。
私の主人は約5年前に自死しました。
競売で落札された自宅で。
公共料金さえ払えない生活に私が限界でした。
「家族を殺して自分も死ぬ」
と電話口で叫ぶ主人でした。
猟銃を持っていました。

社会保健事務所に相談したら、私と子供3人の「緊急一時保護」を提案されました。私は受け入れました。
 子供たちは小学校のお友達に「またね」とさよならも言えぬまま転校しました。
 自宅に一人残された主人。
私が去ったら「主人は死ぬ」と感じていました。
保護所の中で毎日地元紙の「お悔やみ欄」などをみて
「生きている」ことを確認していました。


結果的に主人は
「1人では生きていけない」

と縊死しました。

主人と生き抜けなかったこと、一緒に死に行けなかったこと、、

けれど私は子供たちの命を奪うことはできませんでした。

自分だけが生きていることは苦しいです。

けれど子供たちのため、死ぬことはできないと思います。

主人はいまでも私たちの家族です。


12756 舞夢さんへ ケー 2008/03/05 20:58
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
とても、暖かい言葉でした。
時が解決すると人に言われますが、
私も、やさしい気持ちで主人を語れる日が
来るといいなと思いました。
ありがとうございます。


12757 こんばんは。 ce 2008/03/06 00:52
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 西日本
なおさん、こびとさん、そして他の皆さん、こんばんは。他の方の文章を拝読する度に、自分の状況と重なる部分が多くて、本当に驚きます。

うちも、ひと月前に「家族で一緒に死のう」と言った事がありました。色々な意味で限界でした。まさか置いていかれるなんて思いもしませんでした。

今は少しずつですが、夫のした事を真実として受け止められる様になってきたかな、と感じています。今までは「訳わからない」と言う感じだったような気がします。

子供に支えてもらいながら生きています。






12758 モンさんへ ツブ 2008/03/06 15:51
女性 / 50歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
娘を最初に発見したのは私でした。

その時の光景を一日に何度も何度も思い出し、

胸をナイフで突き刺されたような気持ちになります。

息をすることさえ苦痛です。

時間が経てば穏やかな気持ちになれますよね。


12759 ツブさん   ツブさん モン 2008/03/06 19:58
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部
 

 ・・・ ・・・ ・・・!

  



12760 One day at a time. 藻 2008/03/06 21:57
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 日本国内
ツブさん、モンさん、私も子を亡くしています。
いちずな青年を見ると、応援したくなります。絶対に生きていてください。生きていれば、必ずいいことがありますよと。青少年の成長に、わが子を重ね合わせて、微笑むようになりました。
 つらくて、落ち込んで、何もできなくなったときは、寝ます。眠ってしまえば、仮の死の世界なのだと言い聞かせ、目がさめて蘇生したんだと。以前はそのこともつらく、なぜ自分は死ねないのかと思ったものでしたが、今では、朝に感謝し、「しょうがない、今日だけは生きてみるか」と。その継続が現在に至っています。そういう日々の中で、どうにかこうにかここまできたか・・・という感じです。
 長くつらい、暗いトンネルが続くようでも、生きてさえいれば、何かしらに、新たな気づきが生まれているように思います。子を亡くしたことで、ナイフでえぐられる日々から、悲しみの輸血を受けて、生きれるだけ生きるしかない・・・。もうずっと前に他界したわが父や母の私自身への愛の深さ、尊さを思うとき、私もまた「子」として、自らの命を絶つことはどれほど天国の両親の願いにそむくかということを想像するからです。だから、だから、だからこそ、生きています。


12762 藻さん はじめまして モン 2008/03/07 08:22
男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部


 ツブさん 

子を失って 一ヶ月・・・ 思えば 思うほど 掛ける言葉は

消えて いきます。

 いま 私が 生きているのは ホント 偶然です。

sawaさんも 沙羅さんも ayasanママさん そして 藻さんも

きっと そうでしょう。ノタウチ モガイテ ・・・最後の瞬間

細胞が カラダの細胞が 生きる方向に 舵をきっていた。

  それだけです。

一ヶ月 一年 三年 そして 八年・・・悲しみは 小さく

なりません。色も決して あせません   。『時のチカラ』が

働きかけるのは 自分にです。ナントカ 時さえ ヤリクリできれば

やがて この悲嘆を 受け入れるカタチに 自分が 溶かされ 解き

ほぐされ カワッテいきます。変わらなければ 決して 『これ』は

受け入れられません。 そんな そんな タマラナイ ことなのです。

 どうぞ どんな偶然でも すこしでも 静かに ツブさんに

    ナントカ ナントカ・・・

 




12763 モンさん、藻さん ツブ 2008/03/07 14:54
女性 / 50歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
お返事ありがとうございました。

誰かに「大丈夫、生きてゆけるよ」って、

言ってもらいたくて・・・。

この気持ちを分かってもらえる人に慰めてもらいたくて、

甘えた書き込みをしてごめんなさいね。


お返事頂いて、気持ちが楽になりました。

プロフィールに「30年以上」って書けるようになるまで、

なんとか生きてゆきます。

それまで、皆さんに甘えさせてもらって良いでしょうか。

お願い致します。


12764 忘れたい・・わけじゃない 雄mama 2008/03/07 17:15
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
亡くなった息子の部屋で寝起きしてます。
今、息子の部屋でボーと過ごし、タンスに何が入っていたっけ?ふと思い立ち、引き出しを開けました。息子が着ていたTシャツ、短パンがパッと目に入り、いけないものを見てしまったかのようにサッと引き出しを閉めてしまいました。

思い出してしまったのです。いつも着てた服だった。

最近、朝 目が覚めて息子の写真が視界に入ると目を背けてしまう私がいます。決して忘れたいのではない、見たくないのではない。泣きそうになるし、気持ちの置き所がなくなってしまう。

私だけじゃない・・・
つらいのはわたしだけじゃない・・・

ここにいる皆さんだって必死なんですよね。
生きる気力もないのに生きなきゃならない。
娘が自立するまでもう少し踏ん張ってみよう。



12766 同じですね・・・。 ayasanママ 2008/03/07 21:40
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 関東
雄ママさん、同じですね。

私も娘の部屋で、毎晩娘が最後の日に遺して逝ったブルゾンと、
そのブルゾンにくるまってるバッグと一緒に、
ブルゾンの両袖を自分の腕に絡めて、寝てます。

朝、起き上がろうとすると、その袖がまるであの子が私に甘えて
いるかのように、私の首に巻きついていたり、
腕にからみついていたりして・・・、
私は「はいはい、ママ先に起きるからね」って,言って
起きます。

あの子が逝ってから・・、ずっとそうしてます。

時々、抱っこしてあやしてあげます。
匂いも嗅ぎます。

「待っててね。もう少し待っててね」と言いながら・・・。

ツブさん、お辛い時間を、苦しい時間を過ごされていらっしゃることと思います。まだ何となく実感がないような、地獄のような・・。

ツブさん、悲しみは時間と共に変わります。
悲しみはなくならないけれど、変わっていきます。
自分も、周りも、全て・・・。

そう・・、モンさんがおっしゃるように、偶然生きている私達です。
ここに来れたのも・・・。
偶然、生かされているように、思えます。




12767 ayasanママさん ツブ 2008/03/08 10:43
女性 / 50歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
仰るとおりです。

この状況に自分が居ることが信じられないんです。

でも、冷たくなってしまったあの子を思い出し、

胸が張り裂けそうなります。

何をどう考えればいいのか頭の中がグチャグチャで、

一歩も前に進めないんです。

雄mamaさん、ayasanママさん、お辛いことを思い出させてしまってごめんなさいね。

とにかく今は、自分自身が息をすることだけを考えますね。

お声をかけてくださってありがとうございます。

まだまだいっぱいお話ししたいことはあるのですが、

それさえもまとまらない状態です。

本当に感謝しています。

お声をかけてくださった皆さんの胸に飛び込んで大声で泣き叫びたい気持ちです。

ありがとうございました。



12768 ツブさん ayasanママ 2008/03/08 11:41
女性 / 50歳台 / 子 / 5年以内 / 関東
ツブさん、どうか謝ったりなさらないで下さいね。
初めてここに来てから、こうして3年以上も生きてこれたのは、
先に大切な者を喪って、苦しい思いをなさっていらした方々の

「頑張らなくてもいいんですよ」と、

「今日一日だけ」をおまじないにして・・と、

「沢山泣いて、沢山吐き出しましょうね」と・・・。

もっと、もっと沢山の優しい言葉でした。

朝はとても辛いと思います。
目が覚めて、あの子がいない現実と、これは夢かもしれないと言う
期待のようなものとが入り混じって・・。
でも、死ななければ、肉体に引きずられて生きられるものなんだと、
今更思います。

もし、泣ける状況でしたら沢山泣いて、ここで沢山の思いを
書いてくださいね。
沢山の方がツブさんの心に寄り添っていますし、
肩を抱いて一緒に泣いていますから・・・。



12769 愚痴ですみません 雄mama 2008/03/08 11:53
女性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
ayasanママ初めまして

わたしも息子が使っていた毛布にくるまって寝てます。彼のにおいを嗅ぎながら眠ります。
彼の部屋を模様替えしましたが、いつの間にかまた以前の形に戻ってしまいました。彼の衣類も処分しようと一度は袋に詰めましたが、また拾ってきてタンスにしまいこんでました。まだ何度も同じ事繰り返すのでしょうね。たぶん。


モンさん はじめまして
 漁船のお話、消してしまわれたのですね。
嵐の時、停泊する船がそれぞれ連絡取り合ってお互い助け合っていること初めて知りました。そうですね。同じ境遇で暮らす方々と一緒にいるとなぜか落ち着きます。

ここで思いを書かせてもらうことで、気持ちの安定が保たれているような気がします。

ところで男親の気持ちってやっぱり母親とも同じなのでしょうか?

私は、息子が亡くなってから涙ひとつこぼさず、お位牌に手を合わせようともしない夫に不信感が深まるばかりです。

「子供達と過ごす時間を作ってほしい、子供達と遊んでほしい。」と私が哀願するたび、「稼いでやってるだろう!子育てはお前の仕事じゃないか!」と怒鳴ることしかコミュニケーションのとれなかった夫です。
子供達が小さいときから父親はいるけどいない母子家庭でした。

息子の死をきっかけに態度が一変し、何かしら私の気を引こうとする、濡れ落ち葉になってきそうな夫の態度が不快でたまらないのです。
「立派な墓標を立ててやろうな!」と桁違いの予算で計画を立て未だに墓誌も立てられないまま。高額な墓標を立てたら息子は喜ぶとでも思っているのでしょうか。

同じ部屋の空気を吸うことが苦痛な日々の中、熟年離婚と息子と同じお墓に入りたい気持ちが交差して決断ができずにいます。

また愚痴ってしまいました。

世の中、こんな父親ばかりではないのだとモンさんの思いを知り、安心してます。






12770 日常生活 みどり 2008/03/08 16:19
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
日常生活を送ること
自分の気持ちはどうあれ、「現実」と「日常生活」はあり、
日常をおざなりにして、自分の気持ちに焦点をあてるとあつれきが生まれる
そんなことにいまさらながら気づきました

自分は強いつもりでいましたが
それはあんなことがあっても生きてこれた、
という、心の強さであって、
自死遺族であることや、自死の負荷で精神科に通院歴があることは
社会的弱さなのだと、、
悲しいことですが、それを自覚して、注意して生きて行かなければ
いけないのだな、と、そんなことを思いました。

悲しいことを思い出せば、つい、沈んでたちどまってしまいたくなる
でも、
あのときの悲しいことを思い出したとしても、
朝はきちんと起き、毎日の習慣は破られることなく、笑顔があり、
冷静に物事を判断して、怒りを表すときにはそれがどのように判断されるか、計算してから怒る、
それができないと、「やっぱりね、、」と言われる立場なのかな、
と、悲観的かもしれませんが、一瞬、そんな気がしました。
泣く時はひとりで泣かなければ、
そして怒るときには、感情をコントロールして、、
冷静になること、必要と思いますが、
冷静になればなるほど、「自死遺族」がどういう立場か
見えてしまって、、
だけど、私はもっと楽観的に生きていきたい
だって、自分はどんなときも一生懸命だったと言えるから、、

遺族でない人にも遺族の感情を伝えたい、理解されるかも、、
という気持ちが、片隅にあるうちは、甘えて本音を吐露してしまいたくなるけど、、、
わからないひとには、いつまでも悩んでるなんて病んでる、と
思われる可能性がある、と肝に銘じないと、、、
5年、死者を思う事は、自死遺族であれば長くないと思えるけど、
そうでないひとからみたら、長すぎ、いつまでも過去にとらわれて、、
と思われるのでしょうか、、もしかしたら、、。

家族を自死から守れなかった家族は、問題があるのだと、
問題があったから、自死者が出たのだと、、
そう考える人もいるかもしれない、、

だけど、どの家族にもそれぞれに問題はあり、
たまたま自死者が出なければ、問題が外部に表面化されないだけと
私は思います

すみません、つまらないことを書いて
だけど、この思い、、
自死遺族の数、とても多いと聞いているのに、、
その多い数のひとたちが口をつぐみ、匿名性が保たれるネットの場で
同じ思いをした人同士でしか、安心して話せない、、なぜ、、

怒ること、悲しむこと、
どんなに人間らしい感情でも
「自死遺族の怒り」「自死遺族の悲しみ」とくくられると
とたんに重くなり、はれ物にさわるような状態になり、
めんどうなこと、、
そう考えるのは私の思いすごしであってほしい、考え過ぎであってほしい
だけど、「怒り」「悲しみ」に関しては、冷静に対処しないと、、
と、、やはり思います。
「喜び」「楽しさ」
そういう感情で満たされる日がはやくくるといいな。

ほんとうの心の平安がほしいです
生きるなら、楽観的に、生きていきたい




12771 毎日 ケー 2008/03/08 23:28
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
毎日、毎日、朝起きて、子供をちゃんと学校におくり出し、
犬の世話をし、洗濯、掃除、料理をするという、          普通の生活をしています。
今までは、仕事と家事で、いっぱい、いっぱいだったから。
時も、ゆったりと過ぎていきます。
でも、心は空洞のままです。

まだ笑顔は、うまく作れない。
子供の前で泣いてしまうことも。
でも、朝、窓から見える朝日、空を見て、
生きていると実感できるようになりました。

なんでもないように他人に接することは、
心にヒビが入っていくようで、とても
苦しいです。
でも、ここには、わかってくれている方がいらっしゃると
思うだけで、もう少し強くなれる、そう思いました。
お言葉、ありがとうございます。





12776 ご無沙汰しています。 翠 2008/03/10 21:44
女性 / 30歳台 / 妹 / 10年以内 / 関東
はーとろーどさん、leeronさん、管理人の皆さま。

たいへんご無沙汰しています。
「だからまた」管理人の翠です。

ちょうど、東京の青い空の会が始まったばかりの頃、何度も
お邪魔していました。

こちらに書き込みをなさっている方は、ほとんどが、初めましての
方ではないかと思います。


広告のようで申し訳ないのですが、先日、「だからまた」を
大幅にリニューアルしましたので、お知らせさせていただきます。

今までリンクを貼っていただいたサイトは、自殺防止専用と
させていただきました。
サイト名「だからまた〜本当は死にたくないんだよね?〜」です。

そして、遺族の方へ向けた専用サイトを、
新規開設いたしました。
「だからまた〜あなたのせいじゃない〜」と、名付けました。

妹を亡くして7年半。
最近になって、ようやく、気持ちが落ち着いてきたと実感できるように
なりました。
長かったです。


そんな道のりを、サイトに綴ってみました。

今、たくさんの、辛い思いをなさっている方がいらっしゃると思います。
本当に、本当に、お辛いこととお察しいたします。

自死遺族の一人に、こんな体験をした人間がいるのだなと、ご参考に
なればと思い、書き込ませていただきました。

こちらのサイトのトップページから、当サイトへのリンクを
貼っていただいています。
そのページの左下に「自死遺族・グリーフワーク」と書いてあるのが、
自死遺族の方へ向けてのサイトの入り口です。


まだまだ至らない点が多いですが、今後とも、よろしくお願いいたします。


12777 本日 cabra 2008/03/11 23:43
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上 / 東北
命日を忘れていました。
初めての出来事で
ああ、良かったと
仕事をしながらまた忘れ
卑猥な雑談で大笑いして終えた一日。
貴方の娘は貴方に似て
こんな感じで。



こんな日が来ることなど
決して無いと思っていた日々を
自分を許してはいけないのだと
思い続けていた日々を
他人を社会をすべてを呪い恨み憎んだ日々を
切り刻むような毎日を


思い出しても良いし
忘れても良い。


人に語っても良いし
特に語らなくとも良い。


誰にも分からないのだと
憤ることも
誰かの役に立ちたいと不安になって
他人に踏み込みすぎたことも


こうあるべきだとか
こうするべきだったとか

考えても良いし
考えなくても良い。


遺族と言っても良いし
遺族と言わなくても良い。


人生は思いがけないことばかりで
これから先もきっと思いがけないことばかり。



父の生と
父の死とが
今の私をつくりあげ
それは脈々と続いていく。


生き続けてきた私は
肯定も否定も
どちらでもなくまた生き続けていくのだろうね。



多分ね。





12779 自身がない 粉雪 2008/03/13 22:34
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 北海道
主人の誕生日が過ぎました。生きていたら50歳。
8年後私はあなたの歳を越える。
そんな事がありえるなんて思いもしなかったけど・・・

今日から新しい仕事に出勤しました。
今の精神状態では無謀な挑戦だったのかも・・・
責任が重過ぎて、帰ってきてから「覚えられない。勤まらない」って
泣いてしまった。
娘に「死んじゃう前のお父さんもそう言ってたね」って言われてハッとした。
私は、そう言って落ち込んでるあの人に「努力が足りない」と
罵った。悲しかっただろうな。
ごめんね。今さら・・・


12781 翠さん、本当にお久しぶり!! アンパンマン 2008/03/14 22:07
女性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 関東
アンパンマンです。
覚えていらっしゃいますか?
久しぶりにこちらに来てみたら、あなたのお名前を見つけて、とても懐かしい思いが込み上げてきました。

私の方も、息子を亡くしてから丸6年半以上たちました。
お陰様で、かなり元気になりました。

今、新しくリニューアルしたHPに早速お邪魔してきたところです。
当時相談に乗っていただいた娘(当時は高校生でした)ですが、今美大を卒業して、大学院で学んでいます。
ただ、娘については悩みは尽きません…
「死にたい」
「消えて全てが無くなればいいのに…」
「いっそ、地球に隕石でも落ちて、自分を含めて全てが消滅してしまえば…」

こんなことを娘に泣きながら訴えられると、私は悲しくて辛くて目の前が真っ暗になってしまい、どうしていいか途方にくれるばかりで、気の利いたことの一つも言えなくなってしまう愚かな母親です。

でも、翠さんのHPに行って、ちょっと答えをいただけました。
ただただ、娘の言葉に「一心に」耳を(心を)傾ける。
共感できない部分についても、それはちょっと隅に置いておいて、「娘の今の辛さ」を理解してあげる。
これなんですね。
すぐに「アドバイス」を与えたくなってしまう私でしたので、それに対する警告をいただけたようで有り難かったです。

「困ったときの翠さん頼み」
これからもあなたのHPを利用させていただきますね。^^
ありがとうございました。



12782 粉雪さん、 cabraさん、       はじめまして。 さんた 2008/03/16 05:03
女性 / 40歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
粉雪さん。はじめまして。
こっちの板に書き込むのは ずいぶんと久しぶりかも、、、さんたといいます。たぶん、粉雪さんと同い年です。

6ヶ月以内というプロフィールを拝見して、
ただでさえ それまでと異なる・この日々の中での、
   新しい職場・新しい仕事。。。
   とても、とても、お辛いと思います。
どうか、 抱え込まないで・がんばりすぎないで・・・、と、
 お伝えしたくて。。うまく伝えられないけど、書き始めてみました。

さんたも 今、 しんどいです。
しんどい波が延々と続いていて、ココロ疲弊しているようです。
勤めて2年半(バイト時代も入れると、3年以上が経った職場です)も経つけど、 異なる多くの想いの集まる場所はツライです。
 ずいぶんと緩やかな仕事時間と仕事内容のはずなのですが、、、、
 あわあわしてます。
今のわしには この仕事(週に僅か25時間のパートですが)重すぎる のだろうなぁ・・と、最近、つくづくと感じてます。

さんたは だんなさんと3つ違いだったので、
先日、とうとう その齢と同い年になってもうたです。。。
 ・・・ほんと。。。 不思議ですね、、

いつか、あの人よりも年上になって、
いつか、あの人に あえる日がやってきて、
 そんときまでの 宿題。 
 あの人にとっても、わたしにとっても。

粉雪さん。
この身がきられるよに、 涙が こぼれます。
どうか、 がんばりすぎませんよに。。


cabraさん はじめまして。
        そして、ありがとう。
何度も読み返させていただきました。
書いてくれて、ありがとう。
お父さんも 空の彼方で父親似のcabraさんのこと、
誇っておられると思います。

>人生は思いがけないことばかりで
>これから先もきっと思いがけないことばかり。

そうだよね。 そうなんだよね。
  だから。  ありがとう。
 (なんだか、意味不明でごめんなさい。
  泣きながら、胸の中がありがとうでいっぱい、って
  伝えたかったのです。)


12783 アンパンマンさん。 翠 2008/03/16 21:29
女性 / 30歳台 / 妹 / 10年以内 / 関東
こんばんは、翠です。
本当にご無沙汰していました。

もちろん、覚えています。
覚えていて下さって、本当に嬉しいです。

私も、自分では元気になってきていると感じますが、
家族関係などを振り返ってみると、まだまだ
及ばないことが多くあるように思っています。

アンパンマンさんのお嬢さんのことも、よく
覚えています。
お子さんの成長は早いものですね。
(私もその後結婚し、男の子を出産しました)

また、機会があれば、ぜひお話したいです。
レスを下さって、本当にありがとうございました。


12784 自分のなか みどり 2008/03/17 19:19
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
自分のなかのくろいもの
すこしづつ消えていく

ころしたいほどひとを憎んだことがある
いまでもゆるせない人がいる

だけど、一日ごとに過去になれ

先日、形見の供養をしました。
涙は出ませんでした。
梅が咲いていて、春だな、と思いました。
帰り道、以前住んでいた住居を見ました。
なつかしいと思う気持ちはありませんでした。

「そんなことがあったな」と、ただ、そう思いました。
忘れてはいないし、覚えているのですが、もう心を動かされることが
ありませんでした。
それは、それくらい「いま」がしあわせだから、
あなたとすごした過去より、
「いま」のほうが、ずっとしあわせだから、
そう思っていいですか?

しあわせを感じながら、あなたの成仏を
あなたの平安を、考えてもいいですか?

わたしは、あなたを愛していました。



12785 3年目 ハナ 2008/03/17 23:22
女性 / 30歳台 / 婚約者 / 3年以内 / 日本国内
2年後に愛犬もお空に旅立っていきました。そしてまた1年。
最近愛犬に会いたくて会いたくて、写真を見てはあの子の手触りや匂いを思い出して、さびしい気持ちが半分、暖かい気持ちを半分感じていますが、彼の写真は…苦しくてまだ見れません。怖くて見れません。
やっぱり普通の死ではありません。
また考えてしまうから、考えて考えて気持ちの嵐に巻き込まれて、
行き場を失って、生きていることが怖くなってしまうから、
みれない。。。ごめんね。。。

仕事も変え、まわりにいる人たちは何も知りません。
当時からの友人も、もう私を気遣って彼の話題を避ける必要もないくらい、彼のことは忘れています。私ももう何も言いません。
でも…私の心の中は変わっていない。いつも、いつも考えてる。
変わっていないんじゃなくて、あの時変わった私のまま。
私しか知らない私の小さな心の部屋で息をひそめてる。
ずーっとずーっと…そう、これからも。

また夜が明けて、新しい一日が始まる。
こんな形だけれど、あの人は私の心の中で生きている。
今日も一緒。私は語りかけることをやめません。
二人分ゆっくり生きてゆきます。


12786 さんたさん ありがとう 粉雪 2008/03/17 23:43
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 北海道
最近、第二の大波がやってきているみたいで、苦しいです。
先月は少し落ち着いていたのに・・・
何かにつけ思い出す。何をしていなくても思い出す。
職場ではなんとか仕事に集中しているから大丈夫、でも、帰り道、夕暮れ、耐えられない。こんなとこで泣いちゃダメだと我慢しても、鼻の奥がツーンとして涙が溢れる。
「会いたいよ!!」って聞き分けのない子供みたいに大声で泣きたい。
この波はまた少し落ち着いて、また大波が来て・・・繰り返すのかな。
私は耐えられるだろうか。辛すぎる。

この4か月、いろんなことをしました。
具体的には書けませんが、まわりの友人はすごい行動力だと驚いています。生活していく上で必要なことを一つ一つ片付けているだけだけど、夫をなくした直後にしては、頑張っているのかもしれない。
本当は何もしたくない。ずっとずっと泣いていたい。

高2で親が離婚してから、ずっとずっと頑張ってきたつもり。
兄弟もばらばらだし、家庭環境に恵まれなかったから、せめて自分の家庭は普通に幸せを築きたかったのに。
贅沢もしないし、人の生活羨んだり上なんて見た事ないし、分相応の生活をしてきて、それでよかったのに、どこで狂ってしまったのか。
もう、頑張りたくない。でも、人は頑張って、っていう。
だから、さんたさんの言葉が、嬉しくて、泣けた。ありがとう…


12787 歳月の経過 はる 2008/03/18 22:31
女性 / 30歳台 / 母 / 20年以上 / 西日本
何年ぶりかに、ホームページにお邪魔しました。

掲示板、懐かしいなあと思い眺めていると、、、
プロフィールの歳月の経過欄、複数、までできてるんですね。
私が毎日見ていた頃は、まだ最長10年以上だったんですよねえ。

現在25年以上30年未満、

30年以上まで欄が出来てよかったなあ。と、しみじみ思いました。

来月にはまた、1年増えます。




12788 久しぶりに・・・ オネエ 2008/03/20 18:27
女性 / 40歳台 / 複数 / 10年以内 / 近畿
書き込むの ほんまに 久しぶりです。

今年の 夏で 弟が 行ってから 10年の年月を 迎えます。母は 新年と同時に 8年が 過ぎました。

この冬は 今まで 感じたことのない 時間を 過ごして 来ました。

たいくつ   こんなことを 思うなんて 夢にも おもてませんでした。  

子供達が それぞれの道を 歩き出し  自分のことだけを 思えるようになったとたん  こんな 壁に ぶつかりました。

すごい 贅沢な ことやと 回りからは 言われましたが 私には 苦痛なことでした。
何をして 過ごしてええのか どうしたらええのかと 余計に 落ち込むことに なりました。 

弟が行って 母が行って  子供達の子育てが 私を 忙しくしてくれて たいくつを 感じることなく 来れてたんやと 実感しました。

この 今も 受け止めなくては・・・と そう 言い聞かして 苦手な冬を 越えました。

最初は 更年期なのかと 思いましたが 空虚感が 何かもの原因でした。  

孤独が 襲ってきたんやとも 思います。 体調も崩したけど  この頃の 暖かさが やっと 外へも 出れるように してくれ  慣れてきたのか   受け止めながら 日々を 過ごしてる。

弟の もう一人の娘やった ワンちゃんも 叔母が 飼ってから 9年この冬 弟の側へ 行った。 

小さかった 二人の姪も この春 大学生 高校2年生と 大きくなって    年数の 立ったのを 感じさせられます。




12789 強迫観念? みどり 2008/03/21 17:33
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
なにかをしなければ、、という気持ちがいつもあります。

しなければ、というより、なしとげなければ、といったほうが
ちかいかも、、

こころにあいた穴を無意識下で、埋めようとしているのかな、
とも思います
ちょっとやそっとのことではうまらない
一歩一歩やっていくしかないのだ、とわかっていても、
ちいさな努力では、自分で自分をほめられない
それではたりない、という気持ちが出て来てしまう

だけど、実際は、ちょっとしたことでパニックになってしまう自分がいたり、眼の前の日常を切り抜けるだけでせいいっぱいだったりする。

そして、心臓が苦しくなる
このところ、天気が悪いせいか、少し気持ちが沈んでいるようです。

心の安定法として、ヨガをはじめました
深呼吸をする、という簡単なことでも、心臓の鼓動がゆるやかになります。

いろいろなことから自由になるためには、
自分を好きになることだな、と思うのですが、それがなかなかむずかしかったりします。
自分にたいしていままでネガティブな気持ちを持ち過ぎていたんでしょうね。。。
「それでも生きている」というところから、はじめていこうと思います。


12790 粉雪さん 雪だるま 2008/03/22 00:23
女性 / 20歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
粉雪さんの文章をみて最初「私が書いたっけ?」っとハンドルネームを確認したくなった程でした。
おんなじ・・・?なんてないかもしれませんが言葉で言い表すならおんなじ気持ちでした。悲しくなりました。
私も4ヶ月目、先月まで落ち着いていたのに最近彼への気持ちにとりつかれています。仕事中もずっと頭から離れません。仕事からの行き帰り車で一人になると我慢していた涙が止まりません。真っ赤な目が少し落ち着いてから子供の保育園へのお迎えです。


12791 もう離したくない みいママ 2008/03/22 00:58
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 沖縄
お父さん。

お父さんが亡くなって、今年でもう10年が経とうとしています。
10年という歳月を経て、ようやくこうして貴方への話を書く勇気を持つことが出来ました。

今日の私の姿、貴方はきっとすごく怒っているでしょうね。

貴方を失くし、私に大切な家族が産まれたあの日、「もう決して、大切な人を失くすまい」と決めたのに、今日の私は、危うく大切な家族を失くしてしまうところでした。

ほんのひと時、目を離した隙に、2歳の娘が家の外へ出て、お姉ちゃんが通う保育園に向かって、大人でも辛い坂道を懸命に走っていたそうです。私が気付いたときには、家の中にも、庭にも娘の姿はなく、もう、無我夢中で探しました。どこへ行ったんだろう。お願いだから帰ってきて。お願いだから、離れていかないで。
あまりの不安さに、大きな声で娘の名前を叫ぶことさえできなくて、走っているのとは別の、動悸がしているのが分かりました。
坂道の上から、娘が駆け下りてくる姿を見つけたときは、本当に涙が出そうだった。親切なご近所の方に声を掛けていただいて、家までの帰り道を見守ってついてきてくださったから良かったものの、そうでなかったらと考えると、今でもあのときの不安が胸を締め付けます。

娘を腕に抱きしめているとき、ふと、貴方の顔が浮かびました。
怒っているような、それでいて、安心しているような。

お父さん。
貴方が、助けてくれたのかな?

私は、貴方に会いたくて、仕方ありません。
現実の世界で会えないことは、この10年で痛いほど分かっているから、せめて、夢に出てきて欲しいと、ずっと願っています。

夢で会えなくとも、貴方はきちんと見守っていてくれているのでしょう? 私のことも、弟のことも、母のことも、それから、貴方の孫のことも。

勝手ですが、そう信じています。

だからこそ、貴方に怒られないように、ちゃんと生きていかなきゃって、思っているのに。今日は本当にごめんなさい。

これからは、もっともっと貴方にいつか笑って会えるように、「ちゃんと生きてるでしょ」って胸を張って言える様に。。。

お願いだから、もうこれ以上、私から離れないで下さい。


12792 もう みいママ 2008/03/22 01:02
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 関東
> お父さん。
>
> お父さんが亡くなって、今年でもう10年が経とうとしています。
> 10年という歳月を経て、ようやくこうして貴方への話を書く勇気を持つことが出来ました。
>
> 今日の私の姿、貴方はきっとすごく怒っているでしょうね。
>
> 貴方を失くし、私に大切な家族が産まれたあの日、「もう決して、大切な人を失くすまい」と決めたのに、今日の私は、危うく大切な家族を失くしてしまうところでした。
>
> ほんのひと時、目を離した隙に、2歳の娘が家の外へ出て、お姉ちゃんが通う保育園に向かって、大人でも辛い坂道を懸命に走っていたそうです。私が気付いたときには、家の中にも、庭にも娘の姿はなく、もう、無我夢中で探しました。どこへ行ったんだろう。お願いだから帰ってきて。お願いだから、離れていかないで。
> あまりの不安さに、大きな声で娘の名前を叫ぶことさえできなくて、走っているのとは別の、動悸がしているのが分かりました。
> 坂道の上から、娘が駆け下りてくる姿を見つけたときは、本当に涙が出そうだった。親切なご近所の方に声を掛けていただいて、家までの帰り道を見守ってついてきてくださったから良かったものの、そうでなかったらと考えると、今でもあのときの不安が胸を締め付けます。
>
> 娘を腕に抱きしめているとき、ふと、貴方の顔が浮かびました。
> 怒っているような、それでいて、安心しているような。
>
> お父さん。
> 貴方が、助けてくれたのかな?
>
> 私は、貴方に会いたくて、仕方ありません。
> 現実の世界で会えないことは、この10年で痛いほど分かっているから、せめて、夢に出てきて欲しいと、ずっと願っています。
>
> 夢で会えなくとも、貴方はきちんと見守っていてくれているのでしょう? 私のことも、弟のことも、母のことも、それから、貴方の孫のことも。
>
> 勝手ですが、そう信じています。
>
> だからこそ、貴方に怒られないように、ちゃんと生きていかなきゃって、思っているのに。今日は本当にごめんなさい。
>
> これからは、もっともっと貴方にいつか笑って会えるように、「ちゃんと生きてるでしょ」って胸を張って言える様に。。。
>
> お願いだから、もうこれ以上、私から離れないで下さい。


12793 もう離したくない みいママ 2008/03/22 01:04
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 関東
> > お父さん。
> >
> > お父さんが亡くなって、今年でもう10年が経とうとしています。
> > 10年という歳月を経て、ようやくこうして貴方への話を書く勇気を持つことが出来ました。
> >
> > 今日の私の姿、貴方はきっとすごく怒っているでしょうね。
> >
> > 貴方を失くし、私に大切な家族が産まれたあの日、「もう決して、大切な人を失くすまい」と決めたのに、今日の私は、危うく大切な家族を失くしてしまうところでした。
> >
> > ほんのひと時、目を離した隙に、2歳の娘が家の外へ出て、お姉ちゃんが通う保育園に向かって、大人でも辛い坂道を懸命に走っていたそうです。私が気付いたときには、家の中にも、庭にも娘の姿はなく、もう、無我夢中で探しました。どこへ行ったんだろう。お願いだから帰ってきて。お願いだから、離れていかないで。
> > あまりの不安さに、大きな声で娘の名前を叫ぶことさえできなくて、走っているのとは別の、動悸がしているのが分かりました。
> > 坂道の上から、娘が駆け下りてくる姿を見つけたときは、本当に涙が出そうだった。親切なご近所の方に声を掛けていただいて、家までの帰り道を見守ってついてきてくださったから良かったものの、そうでなかったらと考えると、今でもあのときの不安が胸を締め付けます。
> >
> > 娘を腕に抱きしめているとき、ふと、貴方の顔が浮かびました。
> > 怒っているような、それでいて、安心しているような。
> >
> > お父さん。
> > 貴方が、助けてくれたのかな?
> >
> > 私は、貴方に会いたくて、仕方ありません。
> > 現実の世界で会えないことは、この10年で痛いほど分かっているから、せめて、夢に出てきて欲しいと、ずっと願っています。
> >
> > 夢で会えなくとも、貴方はきちんと見守っていてくれているのでしょう? 私のことも、弟のことも、母のことも、それから、貴方の孫のことも。
> >
> > 勝手ですが、そう信じています。
> >
> > だからこそ、貴方に怒られないように、ちゃんと生きていかなきゃって、思っているのに。今日は本当にごめんなさい。
> >
> > これからは、もっともっと貴方にいつか笑って会えるように、「ちゃんと生きてるでしょ」って胸を張って言える様に。。。
> >
> > お願いだから、もうこれ以上、私から離れないで下さい。


12794 ひとり みどり 2008/03/22 22:18
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
ひとりとりのこされるような不安がある
なにをしても、そのときはどんなに夢中でも、良い結果が出ても、

家族の気持ちとわたしの気持ち
ずれたまま

私の親にとって、故人は義理の子供だからか、
ここに集う親の立場の人と少し悲しみ方がちがう
「夢でいいから会いたい」「もう一度会いたい」「生き返ってほしい」
そういう言葉はなかった
しかたがないことかもしれないけど、
私が後追いしないかどうかとか、私のことばかり気にかけてた
だけど、その気にかけ方も彼等流のやり方で、、
彼等は自分の時間をさかない、お金をかける、ひとにまかせる
彼が死んだ当日ですら、遺体と私をおきざりにしていた
ここにいてとたのんだけど、仕事があるとのことだった
どうして?あの状況でどうして?逃げたかったの?
私はますます悲しみに沈んだ

故人のことから派生して、いろいろな人間関係がこじれたまま
いろいろな人を中途半端にしか許せず、
あのときから、心の底まで話せる友人、ひとりもいない
ひとりのほうが気楽、と思うときもあるけど、、
自分が、おかしい人間のような気がして
どうして、もっとはやくたちなおれないのでしょうか。
どうして、もっと簡単にひとをゆるせないのでしょうか。

いのちの電話にさきほどかけてみた
なかなかつながらない
話ができたらよかったのに

死別から5年
すごく長かったけど、あっというまだった
あの瞬間、あの気の狂いそうな絶望から、あの日あのときから5年たったのだ、ということが、なんだか、信じられない
けど、事実、ずっと生きてきた
時間がすべてを解決するわけではないけど、長い時間をかけて、同じ作業をくりかえすと、同じ作業でもちがった感想や手応えがある

なにをいいたいのか、、、どうしたいのか、、自分でもわからない
とりとめなくなりました、少し情緒が不安定なようです
遺族の会に出たら、すこしはこうした気持ち、楽になるかな、と思い、
だけど、私の側にいろいろな制約があり、躊躇したまま、、

ほんとにとりとめなくなってきました、ごめんなさい



12795 みんな、ひとり ケー 2008/03/23 16:35
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
みどりさん、私は少しはあなたの気持ちが
わかっているつもりです。
私も、あなたに救われました。

結局は、皆、一人なんだと思います。
すべて自分の事を理解して欲しいと思わなく
なりました。
自分が産んだ子さえ、まだ小学生ですが、自分の
考えを持っています。

それと、主人の両親は、取り乱しもせず、冷静で、
私に「済んだことは、早く忘れなさい。そのほうが
らくだから」と遺体に会いに行きもせず、
故人の母親はご飯を一人で食べながら言いました。
主人が可哀想になりましたよ。

私も、かなりというか相当、人間不信になりましたが、
少しずつですが、前進しています。
あなたの、言葉のおかげなんですよ。
ありがとう。


12796 雪だるまさんへ 粉雪 2008/03/24 22:07
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 北海道
雪だるまさん、書き込み読んでくれてありがとう。。。
本当に今回の波はそうとう大きいようで、なかなかひいてくれません。
辛いです、どうしても夜泣いてしまいます。
朝、腫れた目をどうにか冷やし、化粧でカバーするのが大変です。

ここには、5年、10年、20年…ゆっくりゆっくりと心の整理をしながら歩んでこられた方がたくさんいらっしゃいます。
はたして、自分がその年月を重ねた時、どういう気持ちでいるか想像もつかず、今と何も変わっていないのではないかと不安になります。
だって、今はその日その日を生きるのが精いっぱいで…
でも、まだまだ涙は出るけど、昨日より今日、今日より明日、一粒ずつでも流す涙が減っていく事を信じましょう。

私たちのハンドルネーム、もう季節外れですね。
暖かくなってきました、凍りついた心が少しずつ、とけますように…




12797 ごめんね 夢 2008/03/24 23:17
女性 / 50歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内
何年も貴方のことで悩んで悩んで・・
でも結局貴方の苦しみを何も分かってあげてなかった。
本当にごめんなさい。
こんな母を貴方は一番頼りにしていたのに・・
真剣に考えてなかった。逃げていた・・

最後の日ももっと早く帰っていたら・・
貴方は待ってくれていたのに
貴方の覚悟を思うと可哀想で可哀想で・・

これからどう生きていけばいいか分からない・・




12798 夢さんへ キルア 2008/03/24 23:35
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 北海道
 初めて投稿します。

以前からよく立ち寄っていましたけど・・・

私も多分同じです。
私も仕事をもち・・彼は私を頼っていたのに・・

今なら解ってやれたかも知れない!

でもあの時は、解ったつもりでいたのに・・結局たいして解ってなかった。

そしてある日の朝、彼を起こすために彼の部屋に行って・・その光景を目にした。
 
こうなる事を解っていたような気がした。なのに助けてあげられなかった! 

でも、悲しんでるのは自分だけじゃなかった。

みんなそれぞれの立場で悲しんでた。

だから 少し時間に身をまかせて悲しんで泣いたり。ボーっとしたり・・

少し時に身をまかせてみては・・


12799 目のまえにあるしあわせを みどり 2008/03/25 07:12
女性 / 30歳台 / 夫 / 5年以内 / 日本国内
ケーさん、お返事をいただきありがとうございました。
ケーさんからの言葉も、私を救ってくれています。

今はすこし気分ももちなおし、ケイさんからの言葉で、さらに先を
いままでよりも、冷静にすすめそうです。

私はどこかで、ひとにたいする満たされない甘えがあるのだと思います。心の底まで話せる友人がいない、と嘆くのも、きっとそういう依存心のせいもあると思います。
自立したひとりの大人であれば、心の底まで話さないことが礼節なのかもしれません。私のなかに「わかりあいたい」という気持ちよりも
「私をわかって」という気持ちが強いのかも。。

この場で、こころのなかを書かせていただいて、いろいろな方からお返事をもらい、自分のなかで、ほっとすることもあり、視野がひろがることもあり、感謝しています。

私は、子供がいないので、おこさまのいらっしゃる親の立場でもある配偶者のかたよりも、親にたいして、手厳しい部分があるかもしれません。
実際にすこしクセのある親であることはたしかなのですが、
故人がなくなったときは、決算の時期で、自営業であれば会社を放っておけないというのも、わかるのです。それで私と遺体をおきざりにして帰ったのだと。
だけど、私の「子供としての立場」からの本音を言えば、「家族が一番だいじ。こんなときに会社なんていっていられない」となによりも私を優先して私のそばにいてくれることが親としてあたりまえのことだと
強く思っていましたし、今でもあのときそばにいてくれたら、親にたいする気持ちも今とはちがったものになっていただろう、とは思います。
きちんと会社を守り経済的に強い親であるからこそ、子供を守れるのだ、という彼等の論理もわかるのですが。

「わたしの親はそういう親なのだ」とゆるすしかないのでしょう。
故人に決算の時期など考える余裕はなかったと思いますが、
「この忙しい時期に、、」という親の気持ち、
「養子縁組までしたのに、まるで詐欺にあったみたい」といった母の気持ち、、それらも、ゆるすしかないのでしょう。心がどんなに離れても血縁は続いていくものですし、、。
両親なりの苦しみはあったのでしょうし、、。

余談ですが、ケーさんが書かれていた、故人のご両親の言葉、
もしかしたらケーさんになにかなぐさめの言葉をかけようと思ったのと同時に、ご両親自身に言い聞かせていた言葉かも、、とふと思いました。
言葉のかけかたは下手だったかもしれないし、私も当時そのような言葉をもらってもケーさんが感じたように悲しいだけだったとは思いますが、、。その場にいない私が想像で言ってしまってケーさんのお気持ちに沿わなければ申し訳ありません。
ただ、私も似たような言葉を、故人の育ての親である祖母と親戚の方からかけられたことがあるので、、感じたことを書かせていただきました。
長くなってしまい、すみません。


12800 一歩 ケー 2008/03/25 11:02
女性 / 40歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
みどりさん、ありがとう。

私も、よく考えてみたんですよ。
でも、最愛の息子と言っても、
もう、25年以上も一緒に住んでいない、
離れた土地に暮らす息子がいなくなって
しまったこと、一部始終そばで見てた人とは
違うのかなあって。

主人は、多分、アダルトチルドレンだった。
私に母親を求めたけど、私では受けとめきれかった。
そういう意味では、一生、自分で悔いながら供養して
いくしかない。それと申し訳ないけど、主人の両親の
事は一生かけても理解できないと思います。
亡くなる直前も、亡くなってからも、息子を
突き放したのだから。

私は、自分の息子に対して、そうならないよう愛して
行こうと思ってます。
私の父は、よく言ってました。「親の愛は無償」だと。
「お前に恩返しして欲しいなんて思っていないから。
親が子を思うほど、子は親を思わないものだ。
子供にしてあげることは当然。」って。
私は、父のように大らかな親になれるか不安ですが、
その言葉だけは忘れずに、年をとって一人になっても
しゃんと胸を張っていられるようにと思っています。

でも、子供が可愛くて、いつまでも手元においておきたい。
幸せな姿を見せて欲しいと望むのも親の愛かも
しれませんね。
みどりさんのお母さんも、幸せなみどりさんの姿が
見たくて、つい言ってしまうのでは?
憶測ですみません。気を悪くしないでくださいね。

長くなってしまい、申し訳ありません。