14802 遺影を見ると・・・ イルカ 2009/12/02 08:35
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
毎朝、お仏壇に手を合わせる時、
息子の遺影を見ていると、
抑えている想いが込み上げてきます・・・
必死に、こらえている切ない想いがあふれ出してきます・・・
生前の息子のツラさを知っていながら
精神的に追い詰めてしまった・・・
幼少期からの、私の間違った育て方で息子の人生を壊してしまった・・
今さら後悔しても、遅いよね・・・
私、自分の子を殺しちゃったんだ・・・。
息子にとっては毎日が苦しかったし寂しかったし生きずらかったんだろうけど
やっぱり生きたかったと思う・・・。
人並みに恋をしたり、美味しい物を食べたり、旅行とかしたかっただろうな・・・
本当は死にたくなかったと思う・・・。
遺影の奥に見える息子の優しい目は、
「俺、生きたかったな・・・。
楽しく暮らしたかったな・・。」と語ってるようだ。
来月は成人式。
貴方を殺してしまった母として、
どうやって過ごしたらいいんだろう・・・
遺影に謝り続けるけど
やっぱり貴方の声は聞こえてこないよ・・・
助けてあげれなくて本当にごめんなさい・・・
14803 光 しずく 2009/12/02 08:35
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
ある場所で、こんな一文を読みました。
『遺された者の[気付き]が、逝った者への[光]となる』
大切な人を亡くしてから、色々なことに気付いた人は多いと思います。
その人の悩み苦しみ、
その人が病んでいたこと、
自分にも原因や責任があったこと、
自分のダメだったところ、など。
私もそうです。
その[気付き]が、[光]になるそうです。
亡くなった者のことは理解し、愛し続け、自分自身は変わらなければいけない。
周りの人たちと自分自身のために、しなければいけないことがある。
それを放棄してしまっては、逝った者の死は無意味なものになってしまうと・・・
それはたぶん、自分自身や誰かを責め続けることよりずっと大変なことだけど、それをしていくことだけが[光]になるのかもしれません。
どんなに時間がかかっても、ほんの少しずつでも、部分的にでも、娘に[光]を送ることが出来たらいいな・・・と思いました。
14804 後悔 ミルクティー 2009/12/02 10:05
女性 / 20歳台 / 姉 / 3ヶ月以内 / 関東
こんにちは。
毎日生きるのが心苦しいです。
外食や買い物をしているとなんだか姉に申し訳なくて。
私は楽しんでていいのかな?もっと一緒にいてあげたかったと思い、つい自分を責めてしまいます。
姉は生前使っていたパソコンで催眠療法の予約と相談内容のメールを送っていたらしく、そこには「生まれてこのかた一度も幸せと感じたことがありません。幸せのはずなのに心が満たされてないのです。」
幸せじゃないって?じゃあ家族と一緒にいた時間はなんだったの?
家族と一緒にいても何もかもが幸せじゃなかったの?
私と姉は前々から生まれ変わりや前世に興味があったので私は姉が催眠療法に行っていたには知っていました。
でもそれは姉のほんの気まぐれで行くのだとばかり思っていましたから私は「前世のことがわかったらあたしにも教えてね」と言ってしまいました。
あの時引き止めていたら・・・悔しいです。
14805 しずくさんへ ななみ 2009/12/02 10:43
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 関東
おつらいのに・・・私もそう思いました。
しずくさん、私は本当にダメダメな母親でした。自分の
人生のトラウマを抱え、外界からのたくさんの暴力(言葉や
行為・・・)に傷つき怯えながら、子どもらを同じように傷つけて
いたのだと。そう気づくまでに私なりの時間がかかりました。
夫も同じでしょう。夫はそれでも今仕事をしてくれています。
私も立ち直らなければ・・・・と思いながら今は過去数十年の傷を
癒すことに努めていこうと決心しました。そうしてやがて、
私のようなものでも人の役にたてることができたら、まずは
今いる家族や友人からと思っています。長い時間はかかりそう
ですが、焦らず始めようと。
しずくさん、ありがとうね。
14806 はじめまして。と、ありがとうございます。 黒choko 2009/12/02 16:39
女性 / 30歳台 / 妹 / 3年以内 / 近畿
いつも読ませていただいております。
悲しみの詩に思わずはきだしてしまったことはありますが、こちらへの投稿は初めてです。
しずくさんの言葉にココロが軽くなりました。
そうですよね。。
そうやって光を届けることができたら。。
12月は妹の誕生日になります。
少し沈んでしまっていた折だったので、救われました。
私のちいさな気づきが、少しでも妹を照らしてくれますように。
ステキな言葉を紹介していただき、本当にありがとうございます。
14807 私も マリル 2009/12/03 08:58
女性 / 40歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 中部
しずくさんの書き込み、心にしみました。
最近はいつまでも夫の事を思って泣いている方が
供養になるのではないか、という気持ちと
残された家族で笑顔で過ごす方が供養になるんだと言う気持ちが交差して
頭が混乱していたのです。
光が夫に届くように私も毎日を大事に生きたいです。
しずくさん、ありがとうございました。
14808 皆さまへ しずく 2009/12/03 15:18
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
私は、どなたかが書いていらした一文に心打たれ、それをこちらで紹介しただけですが・・・
皆様の気持ちを少しでも楽にすることが出来たのなら、書いて良かったです。
私も、このような考え方に出会ったばかり、スタートラインに立ったばかりで、そこから上手く歩き出せてるわけではないのです。
でも、このような気持ちを心に持ち、自分を見つめ直し、自分自身と家族を大切にすることから始めてみます。
自責を止められない人に対して、このような助言もありました。
私も自責を止められない遺族のひとりでしたので、ハッとしました。
相談者「私が追い詰めてしまったのだという自責の念を消すことが出来ません」
回答者「あなたは、故人を意図的に傷つけよう、苦しめようとしていたのですか? 死に追いやろうとしていたのですか?」
相談者「いえ、決してそんなことはありません。良い母ではありませんでしたが、私はあの子を愛していました」
回答者「それでしたら、もう自分を責めるのは終わりにしましょう。今のままでは、あなたもあなたの大切な人たちも救われませんし、幸せになれません」
私は、このやりとりを読んで納得はしたものの、「私は、自分の罪から目を背けて、楽な考え方に逃げようとしているのではないか?」とも思いました。
でも、よく考えてみれば、確かに回答者の言うとおりです。
今のままの自分では、自分自身や大切な人たちを救うことも、幸せにすることも出来ません。
これもひとつの[気付き]でした。
わかったようなことを書いてしまいましたが、まだまだ・・・
娘の名をつぶやき、寂しくて会いたくて涙ぐむ日々です。
無意識のうちに、「ごめんね・・・」と謝ってることもあります。
でも、前を向きたいと思います。
日常の出来ることから始めてます。
笑顔を見せる、たわいのない明るい会話をする、夫や息子の様子に気をつける、自分の欠点(欠陥)部分を忘れないようにして気をつけるなど・・・
亡き娘には、「ママ頑張ってみるから見ててね」と話しかけてます。
14809 はじめまして。。。 かえで 2009/12/03 17:21
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
私も大事な息子を失いどうやってこれから生きていけばいいのか
全く先が見えない状態でした。
息子は食欲も段々なくなって、亡くなる数日前に見た姿をみて
「わっ!こんなに痩せていたなんて。。。気を付けなければ」
そう思ったものの、まだ時間がある、と思い込んでいました。
あの体は息子の苦悩の証、もう時間はなかったというのに
のんびり構えていた愚かな母親。
この掲示板を見つけてから、皆様と同じように自責の念が日を追う毎に
私を重く苦しめ続けていました。
仕事で営業スマイルはどうにかできても、仏壇のある家に帰ると
何をしても何をみても何を聞いても楽しくなく、家族にも
笑顔を向ける事さえなかなか出来ませんでした。
しずくさま、ありがとうございました。
ご紹介頂いた文章を涙をながしながら読ませて頂き
心が少しだけ暖かく軽くなりました。
いい母親ではなかったけど、本当に愛していたんだと。。。
生きている時には殊更そんな事を考えた事もなかったけど
失ってみて、愛の深さを思い知らされ、取り返しのつかない
現実にうちのめされていました。
でももうあまり自分を責めても何のプラスにもならない。
遺された家族を大切にしよう、それが息子の供養にもなる。
少し前向きになれた事、この気持ちを大切にしたいです。
逝ってしまった息子が少しでも楽になるように。
それが今の私の一番の願いです。
14810 かえでさんへ しずく 2009/12/04 07:50
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
はじめまして。
私も、娘の変化に何となく気付きながらも、心の病み・重い鬱とは繋がらなかった母親です。
亡くなってから気付く・・・、自分が鬱というものを経験していない場合、そういうことも多いのではないかと・・・
今になって思えば、
いつ頃からか、娘は笑顔も会話もほとんど無くなってた。
投げやりで荒れ気味だった。
朝は、起こせば起きたけど、しんどそうだった。
夕飯の支度や後片付けを一緒にやってくれてたのに、そういうことも無くなって自室に引きこもっていた。
能天気で無邪気だった性格が消えていた。
全てが重い鬱のサインだったのに、見逃しました。
学校とバイトと遊びで疲れてるんだろう。
彼氏か友達とトラブって、不貞腐れてるんだろう。
・・・としか思わず、心配するどころか娘の態度にこちらもイライラしてました。
考えてみれば、突発的な出来事や感情の乱れなら2〜3日で落ち着くはず、何週間も続くわけないのに・・・
娘はもういっぱいいっぱいで、限界の目の前にいたんでしょうね。
鬱の人は、自分からその苦しさを訴えることが出来なくなってる場合が多いそうです。
娘もそうだったのでしょう。
私は本当に愚かでした。
「こんな私が育てたにしては、良い子に育ってくれて助かった。運が良かった〜」
・・・などと思っていたのですから。
冷静に考えてみれば、ACで人格障害気味の私の育て方では、子どもは激しく反抗し、荒れ、親は散々悩まされ・・・、それが当たり前なんです。
それなのに、娘は良い子だった。
だから壊れてしまったのだと思ってます。
私が、自分自身を責め続けた一番の理由はこれでした。
考え方や生き方を変える努力をしてみても、変えることが出来ても、それによって愛する人を失った悲しみが消えるわけではありません。
ずっと寂しいだろうし、ずっと会いたいだろうし、色々なことを思い出して泣く、これは続くでしょうね。
でも、それはそれでいいんですよね・・・ きっと。
14811 しずくさんへ かえで 2009/12/04 11:15
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
お返事ありがとうございます。
しずくさんの書き込みを読んではずっと一緒に涙していました。
落胆ぶりから娘さんへの愛情も痛いほど伝わってきてました。
息子には大きな心の傷を負う事件がありました。
でもその時には頑張っていたし、乗り越えてくれると思っていましたし
乗り越えてくれたと楽観視していました。
でも心の傷はどんどん深くなって、息子の体全体を蝕んでいったのだろうと想像しています。
それに気づいて精一杯の支えをしてあげていれば、引きこもり気味の息子を「情けないな。。。」などと思ってしまわずに、もっと愛情をもって
心配してあげていれば。。。
色々一人で努力し尽したんだ、たった一人で。。。
そう思うといたたまれなくなってしまってしまいました。
亡くなる直前までの会話を何度も何度も映像を巻き戻すように
繰り返し、自分の言動に駄目出ししては胸が痛くなります。
鬱に気づいてやる事が出来ませんでした。
実際診療内科で薬を貰ってました。
精神安定剤でイライラを解消している、ずっとそう思っていましたが
実際は違っていました。
どんなに落ち込んでいても一瞬は笑えるんですね。
会話ではなくてテレビを見てなんですが。
それで安心してしまってたんです。
きっと自室では起き上がれないほど弱っていたのかもしれないのに。
実際食事に呼んでもずっと後になってやっと食卓に付く事も
多くなっていましたし。
しずくさんの娘さんは病院に通っていた訳でもありませんし
実際鬱だったかどうかも分かりませんので
家族が気づくのは無理だったと想像します。
書き込みを拝見していて、友達も多く明るい娘さんだったようですので
それまでは楽しい経験や思い出が一杯の人生ではなかったかと。。
息子は苦しい事の方が多かったかもしれません。
私の息子も親に反抗する子供ではありませんでした。
それだけに不憫でなりません。
息子は21歳でした。
何の為に生まれてきたんだろう。
無邪気な顔で笑う幼い日の写真を見ては涙が溢れてきます。
幸せな楽な人生になるように息子に向けた助言が
重荷にも失望にも繋がったかもしれない。
鬱なら全ての荷物を降ろして休ませてあげたかった。
自分の母親としての資質は、ただ真面目なだけで心豊かに育てる
余裕がなかったと反省しています。
もう遅いですが。。。
いやまだ子供がいますので、この子を守る仕事が残っています。
>考え方や生き方を変える努力をしてみても、変えることが出来ても、それによって愛する人を失った悲しみが消えるわけではありません。
ずっと寂しいだろうし、ずっと会いたいだろうし、色々なことを思い出して泣く、これは続くでしょうね。
はい、それは覚悟しています。
そうしてあげたいとも思っています。
携帯のアドレスも一生消せないかもしれないです。
これは書こうかどうしようか迷いましたが、息子の兄には
少し霊感があるみたいです。
不思議な体験をいくつか話してくれましたが、息子の肉体は無くなって
しまったけど、まだあの子の魂は存在して兄を助けてくれているようです。
未練があって存在しているという感じではなく、見守っている、という
感じだと思います。
今息子はどうなっているのか知りたくてたまらなかったのですが
魂が存在していてくれる、それだけでも寂しさから少しは
救われるような気がします。
14812 かえでさま ひまわり 2009/12/04 19:27
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
初めまして、私は娘を亡くしました。
かえでさまの書き込みで
‘自分の母親としての資質は、ただ真面目なだけで心豊かに育てる
余裕がなかったと反省しています。
もう遅いですが‘
私も同じ思いです。
私は、子ども達に、自分自身の将来を自分で切り開いていけるように育ってもらいたく、そして広い視野としっかりとした責任感を持つ社会人となってもらいたく、教育してきました。 でも、母親として最も大切な愛情を置き去りにしてきたのかもしれません。もう一度やり直したいです。この悔恨の気持ちは一生消えることはないでしょう。
14813 ひまわりさんへ かえで 2009/12/05 17:55
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
子供が幼い頃は無心に子育てをしていたような気がします。
でも段々成長するにつれ、褒めてあげる事が少なくなりました。
特に最近は人並みの社会人にするために、病んだ息子に無理を強いて
いたと思います。
何より私自身に余裕がなかった、、、体調や経済的な問題で。
これが後悔の根本原因です。
でもそんな事理由になりませんよね、母親なんですから。
14814 つたない文章ですみません。 夏目 2009/12/05 18:49
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 北海道
私の母と同じ位の方がお子さんを亡くされているのに驚きました。
もしかしたら私の友達にも抱え込めない悩みを持っている人がいるのかもしれないと思いました。
それと同時に、同じ世代だからわかる気持ちも多少あるので、少し話させていただきたいと思います。私は父の死から7年経ち、少し気遣いに欠ける表現があるかもしれませんがお許しください。
私は思春期に父に死なれたのをいまだに引きずっていて、病院で治療しています。家族は全く理解してくれません。何不自由なく学校にも行って人並みの生活をさせてもらっているのに。私は自分の弱さから病気になったのだと親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
私は結局死にませんでしたが、その時は本当に死ぬ事で迷惑をかけないと思いました。消えるように、この世からぽっかり自分が存在してなかったかのように死に、そして生まれ変わって人生をやり直せると考えていました。
私はこの掲示板の書き込みを読んで、自分の母親が悲しんでいるような気がして胸が張り裂けそうです。だから少しでも力になりたくて、勝手ながら同世代の気持ちを話させていただきました。
ご自分を責めずに最後のわがままを受け止めてあげてください。
わかった風な口をきいてすみません。
でも生きている以上、周りには他に愛を注ぐべきものが溢れています。
このような悲しみが無くなれば良いのに。そう祈ります。
読んでくださった方、どうもありがとうございました。
14815 夏目さん、ありがとうございます かえで 2009/12/07 21:47
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
思春期から大人になる時期って、自分自信をかなり敏感に評価するんでしょうか?
>その時は本当に死ぬ事で迷惑をかけないと思いました。消えるように、この世からぽっかり自分が存在してなかったかのように死に、そして生まれ変わって人生をやり直せると考えていました。
これね、息子にも感じていることです。
私は母親として救えなかった事で、息子に申し訳ない、本当は生きたかっただろうにと息子が哀れで仕方なかったのですが
綺麗に自分の物は始末して部屋を片付け、覚悟の自殺という印象でした。
家族に迷惑をかけたくない、生まれ変わってやりなおしたい、という
気持ちも感じました。
抽象的でわかりにくい文章でしたが、とても丁寧な字で遺書も書かれていました。
主人は葬儀では大泣きしていましたが、その後は「あいつの選択を尊重する」といってあまり悲しい素振りはみせません。
本心かどうかは分かりませんが。
息子は相当苦しんでいたのは確かだろうし、「もう限界だったんだよ」とも言ってます。
楽になってくれているなら、息子の意思を尊重したいとも
思いますが、あまりにも亡くなるまで苦しさに気づいてやれず
孤独に陥ってしまって、そのような選択をしたならやりきれないです。
どんな気持ちだったのかもう確かめようもありませんが。
大切な息子とこんな形で別れるなんて、やはり理屈ではない
悲しみが一生続くのかと思うと苦しい人生になってしまいました。
14816 かえでさん、夏目さんへ しずく 2009/12/07 23:12
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
娘は、陽気で明るい子だったのですが・・・
娘が亡くなった後で知ったブログには、あちこちの友達とお気楽に遊んでる内容の最後に、
「リセット願望」「遠い所に行きたい」などと、いきなり何のことだか分からない一言が書かれていました。
そういう日がチラホラありました。
しばらくしてから、
リセット願望=具体的な何かを白紙に戻したいということではなく、全てを白紙に戻したかったんだ。
遠くに行きたい=未知の土地ではなく、空の彼方まで行きたかったんだ。
・・・と、気付きました。
娘が亡くなる前は、娘がブログを書いてることさえも知らなかったので、どうにもならなかったことですが・・・
親や友達に見せていた顔は陽気で明るく、能天気で子どもっぽかったけれど、その奥底は全然違ってたみたいです。
これも、亡くなってから知りました。
深い悩み、苦しみを抱えていたのに、それらから逃げるように活動的に動き回り、走り続けていたのだと思います。
そして力尽き、もう走れなくなってしまったのです・・・ たぶん。
娘自身も、当日まで、もう走れなくなってしまったことに気付いていなかったのかもしれません。
うちの場合は、そんな感じです。
部屋は散らかしっぱなし、親には見られたくなかったであろうものも全てそのままで・・・
誰に対しても何ひとつの言葉も無く、翌月のスケジュールもたくさん入ってたままで・・・
自分がダメな母親だったために可哀そうなことをしてしまった・・・という後悔は消えませんが、前にも書いたように自分を責め続けることだけは止めました。
明るく・・・とまではいかなくても、穏やかに過ごしたい。
かえでさんも仰ってるように、寂しくて哀しい気持ちは一生抱えていくのでしょうね。
それが自然で当たり前だと思うから、それでいいんです。
それとは別に、残ってる身内を大事にして、仲良く暮らしていきたいと思ってます。
14817 お返事、ありがとうございます。 夏目 2009/12/09 17:32
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 北海道
かえでさん、しずくさん、
的を射ない文章で、しかももわかった風な生意気な書き込みにお応えいただき、ありがとうございます。
とても嬉しかったです。
生意気な事言ってしまって本当に申し訳ないです。
何だかんだ言ってもやっぱり私も心の底に悲しみがいつも潜んでいます。最後に会った父の悲しげで小さい姿がふとした時に浮かびます。
そのたびに泣きます。たった2回だけどやり取りした手紙を事あるごとに読み返しては何故だろうと思います。
悲しみは全く消えません。形が変わるのは感じます。それは一種、忘れてしまうのに近い悲しみもの形のような気がします。
しずくさんのおっしゃる通り、寂しさを抱えてもなお今のままの生活を出来るだけ維持するのが唯一の幸せなような気がします。
かえでさんのおっしゃる自分自身を敏感に評価するのかと言う点は私は強くあるかもしれません。ずっと小中高と卒業して大学を出たら就職して自立出来ると思っていたのが、今は大学を出ても何にもなりません。そのことに気付いたのが大学生になってからで、その時から強くやり直したいと思うようになりました。現実と理想のギャップに気付くととてつもなく恐ろしい間違いを犯してしまったように思えたのです。
ここの掲示板で交流させていただいていると、今まで嘘の励ましでくるんでいたのが剥がれて、本当の自分の気持ちが見えてくるように思います。
どうもありがとうございます。
14818 毎日が苦しく寂しくて piro 2009/12/10 16:32
女性 / 40歳台 / 夫 / 3年以内 / 近畿
先月5日旦那さまが。。まだ信じられなくて、辛いどうしてなにもできなかったのか、悔やんでなりません。
14819 でもやっぱり かえで 2009/12/10 17:40
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
苦しくて死にたい、って思ったとしてもそれを実際やってしまう時って
どこか正常な神経が狂わされてないとできませんよね。
深い闇に一人で居る時って、パソコンの危ない死のサイトがぽっかり口を開けて待っていて。。。
死にたい人ばかり集まるサイトを見ていたら、現代の若いネット人間はとても危険です。
半分深い闇で事故に遭ったような感覚もあります。
一見覚悟の死に見える私の息子でも。。。
毎日気持ちがコロコロ変わるんです。
大切に育ててきた子供が突然いなくなるんですから、こちらも正常な神経にはなかなかなれません。
鬱にならないように気をつけなければ、、、、
歯を食いしばるしかないんです。
まだ家族がいますので。
14820 パソコンサイトの闇 イルカ 2009/12/10 19:38
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
かえでさん、サイト、怖いでしょ・・・
自殺サイトで書き込みしてるのを読んでいると
本当に軽々しいし、おぞましい映像などが飛び交っています。
「消えるように、この世からぽっかり、自分が存在してなかったかのように死に、
そして生まれ変わって人生をやり直せると思っていました」と言う
先日の若い夏目さんの言葉がよみがえります・・。
死ぬ直前、正常の神経であったならば、ためらうと思います。
何かに取り付かれたかのように実行してしまったと思います。
生まれ変わって人生をやり直す・・・
生前は苦しかった事ばかりだから、
亡くなってしまった今は、息子は、次は、楽しい人生を送れるといいなと痛感しています。
気持ちや感情のコントロールが難しいですね・・・
キツイです・・・。
14821 かえでさん、皆さんへ しずく 2009/12/10 22:06
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
鬱って、どういう状態なんでしょうね。
娘が亡くなってから2ヶ月半、私は精神科や心療内科を受診したことはありません。
鬱の診断基準として(女性の場合)、
・身だしなみが崩れる。(化粧をしなくなる、入浴すら億劫になるなど)
・家事能力が衰える。(頭がまとまらず、買い物や料理が出来なくなったり・・・)
などがあるそうです。
あとは、朝なかなか起きられないとか、夜眠れないとか、異常にだるいとか・・・
私には、そういう症状はありません。
でも、
・気力が出ない。
・これから先の人生は、余生のように感じてしまっている。
・大病も大地震も昔ほど怖くない。(大地震で一人だけ残されるのは怖いけど)
・他人と会いたくない。
・耐え切れないほどの不安が襲ってきて、パニックになる時がある。
鬱ではなくとも、鬱っぽくなってるのかしら・・・
親戚にもらったデパスが2週間分ぐらいありますが、これも飲んだことはありません。
でも、強い不安感に襲われてパニックになりそうな時は、こういった薬を服用したほうがいいんでしょうか。
例えば今夜は、こんなことがありました。
夕飯を作ってる時、私の隣に立って野菜の皮をむいてくれたり、テーブルに食器を並べてくれたりした娘の姿を思い出して、
「なんでいないのよ! なんで?」と、あまりの寂しさと哀しさで混乱してしまい、涙が溢れ出し、大声で叫びだしたくなり(何とか堪えましたが)、料理はしばらく中断してしまい・・・
「帰ってきてよ! 何してるの? ○○!」と泣き続けました。
それと、夫や息子と離れていると、「帰ってこなかったらどうしよう」
「何かあったらどうしよう」と、いてもたってもいられなくなることがあります。
帰宅して顔を見るまで、動悸と震えが治まらなかったりします。
そういう時は、ぐったり疲れて、体調まで悪くなってしまいます。
これは何らかの薬が必要なレベルなのか、こんな形で愛する者を失ったなら当たり前の状態なのか、よく分かりません。
14822 難しいですよね かえで 2009/12/11 14:11
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
友達に「あなたが鬱病にならないように。。。」と言われて
「しっかりしなくちゃ!」と常に自分に言い聞かせてますが
何とか仕事や家事はしんどいけど最低限はこなせている状態です。
一人で家にいる方が一日中息子の事ばかり考えてとっても精神状態が悪いです。
息子が通っていた病院にも何度も足を運び話し合い、私自身の精神状態も
見て貰いましたが、息子を亡くして当然食欲もなく、趣味も前ほど関心がないし、かえって楽しい事をしようとすると心の負担になったりもします。
胸に鉛が入っている状態で、夜中や明け方に目を覚ますと動機がして
仏壇を見るのも辛かったのですが、「抗鬱剤を飲むほどではない」と
判断されました。
息子を亡くした母親の状態としてはごく自然な状態なんでしょうか。
どうしても我慢できないくらいに悲しい時はお酒の力も借りてます。
それから一部の友人には話を聞いて貰ってます。
カウンセリングも一ヶ月に一回ですが受けています。
以前に比べて食欲は戻ってきました。
食べないと本当に気分が落ち込みます。
治療が必要なほどの鬱かどうかは判断が難しいですよね。
最近はあまり思い出さないように心をガードできる日もあるようです。
14823 こんにちわ 夏目 2009/12/11 17:50
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 北海道
かえでさん、イルカさん
自殺に無関係の人達は本当に自殺を軽く考えていますよね。
それは悲しみを知らないという意味で幸せな事なのかもしれませんが。
最近は「自殺予防月間」なるもののCMを見て、無神経にも程があると思いました。自殺を軽々しく世の中に広めて欲しく無いなと思います。原因、自殺した人・された人の気持ち、事情無しにただ「自殺を防ぐ」と言う言葉はされた人へのあてつけにしか聞こえません。
しずくさん
心療内科は精神科とは違い、相談も聞いてくれる所なので、症状の重い軽いに関係なく一度お話されたらいいと思います。ただ、やはり心療内科の先生は知識はあっても理解雅無いこともありますので、良い病院を探すのが大変ですが…;
後はやはり人からもらったお薬を飲むのは大変危険だと思います。風邪薬とは違い、副作用が半端じゃないので合わなかったら大変です。
辛い気持ちや悲しい気持ちに普通や当たり前はありませんので、以前の様に生活をうまく送れなくなった時点で頼れるところに頼るべきだと思います。また、鬱やパニックでの一般的な症状に当てはまらないから我慢するのも危険です。精神疾患は多種多様で症状も人によりけりですから。
病院の治療は大して期待できるものではありませんが、自分の精神状態がどのようなものから来るのか知る事によってうまく付き合う工夫も出来ると思いますので、軽い気持ちで一度診てもらうのもお勧めです。
…どうしてこんな若輩者が毎度えらそうなのか…すみません…;;
14824 鬱って non 2009/12/11 20:20
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
鬱のことが話題になっていますね。
わたしは、中等度の鬱と診断されて
います。鬱って死にたくなる病気
です。実際わたしも2回未遂を
しました。わたしの場合は、原因は
はっきりしています。息子の死です。
息子の元へ逝きたいという気持ちは
今でもあります。消し去りたい。
朝はすごくしんどいです。
食欲はなく、体重は15キロ程減りました。
喋ることもおっくうで、お風呂や食事が
できなくなり、着替えもしなくなりました。
今は、ましになりましたが。
着替えなくても食べられなくても
そのこと自体気にならなかったです。
夜は眠れない、眠りについてもすぐ目が
醒める。喋らない、笑わない・・
表情が消えていました。何もする気が
怒らず、死ぬことばかり考えていました。
今はお薬を飲んでいます。
眠れる日がでてきました。食欲も少しずつ戻っています。
気持ちが穏やかな日がでてきました。
それでも、後3年くらいは服用が必要
と言われています。今でも深く落ち込むときには
わかります。あ、落ち込みそうだなって。
お医者様は、様子を見て話を聞いて
判断されます。だめもとで受診されても
いいのではないでしょうか?
それから、他人の薬は怖いです。
参考になれば、と思います。
14825 ご参考までに・・・ みーちゃん 2009/12/12 07:51
女性 / 30歳台 / 夫 / 3年以内 / 中国
久しぶりに書き込みします。
私の場合は、多重は12キロ減り、今ではもとの体重まで-5キロと言うところまで戻りました。
何度かこちらにも書かせて頂きましたが、私も亡くなった主人も看護師で精神科勤務の経験があります。
疾患は様々で、もちろん自死遺族の方も沢山いらっしゃいました。
何年か後、私も同じ立場になった訳です・・・
薬は怖いです、主に抗鬱剤、向精神薬、抗精神病薬、睡眠導入剤などに分類されますが・・・
中には副作用自体に、企死念慮や自殺企図があがっている物もあります。
実際、私の主人は高校生からの鬱を私達に隠して、影で自らこの様な薬を自己処方で服用し・・・
彼は看護する側でしたから、変な自信みたいなものがあったのでしょう。それが裏目に出てしまいました。
私も処方された薬の作用がわかりますから、主人を亡くして2年目の去年は特に酷く、自分が滅び堕ちていくのがよくわかりました。
副作用です・・・
ついには、抗鬱剤を通り越し抗精神病薬に統合失調の薬まで処方されました。
薬がないと落ち込みは例えようがないほど酷く正にボロボロ、正常からはほど遠かったのを憶えています。
あまりに心配した母が薬をやめるように言いました。
薬を絶って少しの間は苦しかったですが、今は体の方は順調です。
体重減少や、食欲不振、感情失禁もほぼなくなりました。
もちろんあの悲しい記憶に終わりは来ません。
まだまだ泣きます、いいえ一生でしょう。
けれど、私の場合は少しずつ今の主人が望んでいるであろう元の私に戻りつつあります。
これは医師ではない一看護師の、そして自死遺族の私のかってな思いですので、もし不快に感じられた方がいらっしゃいましたらお許し下さい。
あくまで私の経験談に過ぎないですので・・・
それから、デパスは一般の腰痛や頭痛等でも処方されているようですから比較的軽い薬だとは思いますが(実際私も過去に偏頭痛で服用していました)
やっぱり勝手に服用は他の薬との相互作用もありますので、ご自分の体調に合わせて専門医に相談されたほうが宜しいかと思います。
ちなみに私が最後ごろ服用していた薬は、ルボックス、リスパダール、レスリン、ソラナックス、アモキサン、フル二トラゼパム、レンドルミン、リボトリール等です・・・
主人はもっと沢山飲んでいたようです。
22歳で骨は赤茶色、細く少なく喉仏もよくわからない程でした。
皆さま、どうか薬だけは自己判断しないようにして下さい。
皆さまが少しでも穏やかになれる日が訪れますように・・・
長文失礼しました。
14826 お礼、ご報告 しずく 2009/12/12 14:08
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
鬱の件、薬の件、アドバイスしていただき、ありがとうございました。
早朝覚醒はありますが、眠れない、食べられない・・・ということはなく、
体重も2kgぐらいしか落ちてないし(元々が細いので、痩せる部分があまりありません)、
家事や雑事は何とかこなせてるので、
心療内科受診や、親戚にもらったデパスの独断服用は、とりあえず止めておこうと思います。
これから先、順調に立ち直れるかどうかは分からず、明らかにおかしくなってしまったら、その時にまた考えてみます。
経験者のアドバイス、プロのアドバイス、とても参考になり、ありがたかったです。
今日、娘を霊園に連れて行きました。
昨日のどしゃ降りから一転して青空が広がり、冬とは思えないほどの暖かさです。
明るかった娘が太陽を呼んでくれたような気がしました。
遺骨をお墓におさめる時は泣いてしまいましたが、ご住職に、
「娘さんは、もう阿弥陀様に抱かれ、安らかに過ごされています。
何の心配もいりません。
私の息子も、私より先に逝ってしまいました。
けれど、逝った者は、遺された者に、色々なことを教えてくれます。
遺された者は、断ち切るべき思いは断ち切って、朗らかに生きてゆかねばなりません。
いつの日か、皆さまも私も阿弥陀様に救われます」
と言われ、無宗教の私でもだいぶ気持ちが落ち着きました。
S、どうぞ安らかに・・・
14827 夫という人・・・ かえで 2009/12/15 14:05
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
今家族とうまく付き合えてますか?
私の場合は夫ですが・・・
夫にポツリと息子の事で後悔するような事を言うと
「もうそんな話は聞きたくない。もう起きてしまったことを言っても仕方がない。前だけ向いて行きたい。」
そんな言葉が返ってくる。
「辛いけど息子の最後の場所に花と線香を供えなくても大丈夫なんだろうか。。。。」
「俺はそんな気はない」
「まあ、私も今はとても行けそうにないけど。。」
「そんな話したら家の中が暗くなる。何?自己満足したい訳?」
この言葉に私は傷つき、夫に「ごめん、投げてもいい?」
近くにあったお菓子の袋を投げつける。
いいなあ、自分を責めないで生きていける人は。
マイペースだよな、何があっても。
強い人なのか、それとも人に無関心な人なのかと疑いたくなる。
一家の大黒柱が崩れちゃダメだからだよね、分かっていても自分だけ
取り残された気分になる。
他人にそう頻繁に話せる事ではない。
だから今私はこの掲示板の依存症になっているのかも。
どうして鬱に気付いてやれなかったのか。。。
病院にも行ってたのに。。。夫が気付かないのは仕方ない。
でも私は気づくべきだった。
ある程度知識はあったはずなのに。
笑い方がそういえが少しハイになってる時もあった。(薬のせい?)
薬が効かないので変えて貰ったとも言ってた。
副作用で下痢っぽくなるとも言ってた。替えの下着を用意して大学にも
行ってた。
几帳面に折りたたんだ下着がきちんとビニール袋に入れてあり、薬は
一回分ずつ携帯容器に入れてあった。
腰にぶら下げた小さなバッグにいつも入ってたんだ。
病気と戦う息子を身殺しにしてしまった。。。
やっぱりこの気持ちが頭をもたげてきてしまう。
何て余裕のない生活を私はしてたんだ。
自分の事で精一杯、仕事する体力ももうギリギリだったかも。
こんな母親じゃなく元気な気のつく母親だったなら、あの子は死を
選ばなかったかもしれない。
少なくとも一人ぽっちにはならなかった。
この気持ちは家族にも言えない、分かって貰えない。
長男の前では殊更明るく振る舞ってあれこれ身の回りの世話を焼く。
「ごめんね、**には何にもしてあげなかったのに不公平だよね」
残された家族の為に頑張る。
精一杯明るく振る舞って。。。
でも一人になると、ガクンときて**の姿を思い浮かべ、どうしようもない悲しみが襲ってくる。
少し落ち着いたかな? そう思っていたけどまだまだ。
そんなに甘いもんじゃないよね。
それにしても夫は私の事をどれくらい理解してるんだろうか?
逝ってしまった息子ももしかしてこんな気持ちだったのかしら?
家族って。。。何?
今はみんなが言いたい事も言えないで耐える時期なんだよね。
そうなんだ、もっと時間が経てば逝った息子の事も話せる時が
くるんだよね。
今はこれで仕方ないんだよね。
書いてるうちに何だか納得してきた、甘ったれか、私は。
14828 かえでさんへ しずく 2009/12/15 18:39
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
うちの夫も、娘の話はほとんどしません。
私から話しかけると、一応受け答えはしますが・・・
内容によります。
普通の思い出話なら大丈夫ですが、私が自責の念や苦しくてたまらない気持ちを吐き出すと、黙ってしまいます。
そして「今更そんなことを言っても仕方ない」「俺はSとの良い思い出だけを大切にしたい」と言います。
夫は、表面的には完全に元の生活に戻ってます。
忘年会シーズンの今は、週2回ぐらい飲み会が入って、遅くなります。
食欲が落ちる、眠れない・・・ということもなく、身体は元気そうです。
それに比べて、仕事に行けなくなってしまい、そのまま退職してしまった私は、まだ引きこもり中・・・
早くとも来年の春までは動けそうにありません。
いろんな部分で‘違い’を感じてはいます。
けれど、夫が会社に行けなくなってしまい、引きこもってしまったら、困ります。
夫が、自責の念や苦しくてたまらない気持ちを毎日毎日吐き出していたら、困ります。
私と一緒に泣きっぱなしだったら、困ります。
だから、違っててもいいんです。
夫も息子も、態度や言葉には出さないものの、それぞれに深い悲しみや苦しさを抱えてるはず・・・
でも、娘の分まで、自分の人生をちゃんと生きようとしてるんじゃないかなぁ。
遺された家族のために、普通に(落ち込みすぎないように)暮らしてるのだと思います。
そういう努力をしてるんです。
そんな気がします。
かえでさんのご主人も、きっと遺された家族のことを考えてますよ。
きっと。
14829 温度差 non 2009/12/15 19:27
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
横レスごめんなさい。
うちも夫とは感じ方が違いよけいに
苦しくなります。違っていてもいい、
とは思いますが・・・思いやりが
ありません。私は納骨なんて考えられない
状態です。もう一度葬儀のようなショックを
感じてしまいそうで、怖い。もうここには
息子はいないとは思うのですが・・
夫は「仕方がない。もう住んだこと。」
と、納骨、霊園の話を私を置き去りにして
進めようとし、それ以来ろくに話は
していません。温度差が違うんです。
息子に対する気持ちの温度が。
私は、未だに沸騰している状態で
夫は、妙に冷静。同じ気持ちになれとは
いいません。せめて、私の気持ちを
考えてくれるといいのですが。
以前「余裕のない子育て」と言われていました。
私もそうでした。仕事、年子のような3人の
息子達。全く協力をしなかった夫。その中で
歯を食いしばるように子育てをしてきました。
起きて、食べさせて、着せて、寝かせて。
子供の気持ちに寄り添うなんて余裕はありませんでした。
それでも当時は必死でした。夫の生にするのは
やめます。私自身に考え方に幅がなかった。
認める度量の深さがなかった。それが、
今の結果に繋がっています。
息子にただただ謝り、今日も仏前で途中までの
読経をします。そして、ごめんね、*:ちゃんと
謝ります。
この頃体調がまた悪く、お薬を飲んでいるのに
午前中が憂鬱でたまりません。
さらに強い薬が必要なのでしょうか?
ご存じの方や経験のある方、教えていただけませんか?
14830 落ち込む non 2009/12/16 00:29
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
連続投稿ごめんなさい。お気に障る方
すみません。薬を飲んでいるのに
最近また眠れず、情緒が不安定です。落ち着いた
日もあるのに、どうしたことなのか。
最近は息子が亡くなっていたのを発見した頃を
良く思い出すのです。異変を感jて部屋に入ったとき
そこはいつもとは違っていました。ベッドの中には
冷たくなった堅くなった息子が横になっていました。何度も何度も
体をさすっても温かく鳴らず、心臓マッサージを
しながら「戻れ、戻れ」と言っても
何も変わらなかった。救急隊が来ても続けていた。
無情な隊員の言葉「お母さん、もおうおすくいできません。
も応亡くなっておられます。」と言われたときの衝撃、そして
茫然自失の感じ。へたりとベッド脇に座り込んで動けなくなった。誰かが泣いてる、誰かが叫んでる。それは自分の声でした。
末っ子の3男。この子が一人前になるまではと必死だった。仕事も
家庭の仕事も必死にやってきた。
糸が切れた。もう何もやる気は起こらない。
もおうどうでもいいんだという自暴自棄の気持ち。
お母さんは、どうすればいい?どうすればいいの?と
息子に問いかける。
このまま、何も感動せず何も見ずのこの人生が
続くのね。だって、貴方を死なせた物ね。当然の
報いよね。ごめんね。早く迎えに来てね。
14831 母親と父親の違い かえで 2009/12/16 01:14
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
しずくさん、nonさん
私のボヤキに付き合ってくださってありがとうございます。
分かってはいるんです。
自分の子供が亡くなって悲しくない親はない。
でもどうして母親だけこんなに自分を責めてしまうのか。
子供と接した密度が全然違うので仕方のない事なんでしょうね。
どこの家庭でもあまり大差ない事が分かって、夫を特別な目ではみない
ようにしようと思います。
苦しいから、つい苦しさを夫に漏らしてしまうのですが、いい加減
うんざりされているのは分かってますので、我慢しようと思います。
「息子は苦しかったから、今は楽になってる」
必死でそう信じようとしてるのも分かっているんです。
夫も長男も。私もそう信じている部分もありますが、いない現実が
寂しすぎます。
nonさん
納骨はまだ我が家でも未定です。
私の気持ちが落ち着いてからというのもありますし、経済的な問題も
あって。
ご主人もnonさんの気持ちになるべく沿ってあげてほしいですよね。
健康状態も心配なほど悲しみが深いですから。
自分も先の事は全然想像つかないですけど。
14832 大丈夫ですか? かえで 2009/12/16 01:19
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
nonさん、とても心配です。
14834 見てほしい かすみ草 2009/12/16 10:01
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 中部
怒れし炎の掲示板を
まだ生きてる子、悲しみに耐えながら生きてる子を忘れないで!!
目の前の子を愛して!!
この言葉心に刺さりました。
兄弟も苦しんでいるんです。
私が小さい時、妹を病気で亡くしました。
母は、毎日妹のことしか頭に無くて泣いていました。
その時、私も、兄も母の子供だよ!
私達を見てよと思った事。
とても悲しいかったこと思い出しました。
目の前の子を愛して!!
今の私はそのときの母なんです。
14835 家族との温度差について・・・ イルカ 2009/12/16 11:14
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
私は、かえでさんの投稿を読んで、
すぐにでも「私も同じです!」と返信したかった派です。
確かに父親と母親・男と女の感覚の違いはあると感じてます。
私も息子が亡くなった8ヶ月くらいは、
ノイローゼのように
「あの時、あんなこと言わなければ良かった。あの時、優しく接していれば良かった。私の育て方が悪かった。わたしのせいだ」・・・等々
同じ言葉を何度も何度も夫に言っていました。
しかし、夫は「死んでしまった後に、今さら何を言っても仕方ない。」と答えるばかりでした。
男の人は、社会の中で生きてるのでプライドが高いと思うのです。
そりゃ、自死なんてもので子供が居なくなった事を悲しまない親は居ないと思うんですが、
【自分の責任にしたくない】
【自分は悪くない】(だからといって母親のせいにはしないけど)
なるべく自分を責めないようにしてるんじゃないかなと感じます。
そう思わなかったら、毎日、生活の為に お仕事できないもんね・・・。
でもね・・・
でもね・・・
でも、唯一、今この時期に、
亡き子の話や思い出や出来事の事を本心から語れるのは
伴侶の夫であるべきだと思いませんか・・?
しかし、私の夫は話を避けます。
何も無かったかのように(本当に諦めがついてるような気がします)毎日毎晩テレビを笑いながら観ています。
性格だと思います。
私は、そんな夫をずっと見てきて
怒りが湧き上がっています。
なぜかというと、私とこは、夫が、生前の息子への厳しい接し方やバカにした発言、
次男との比較やひいき・・・
それが、あからさまだったので、すごく夫を恨んでしまいます。
息子が精神的に少し様子がおかしいと相談しても
右から左でした・・・。
生前の息子が「お父さんを殺したいと思ったことがある」と
私に語ったこともあるように、夫は事実昔から冷淡です。
常に、自分の都合で生きていく男なんです。
それを結婚20年知り得てる私だから、
夫と分かり合えることは一生ないとつくずく感じました。
お子様を亡くされて、残された家族で励ましあいながら生きている家庭には
この気持ち、わからない思いだと思います・・・。
かすみ草さん、
怒れし炎の掲示板みました・・・
私も、次男の前では、亡き長男の悲しみは全く見せずに接しています。
一人の時や夜になって布団の中では涙してしまいますが・・・。
次男も思春期でやりにくい年頃です・・。
構ったら「過保護やな」と言うし
少しほったらかしにしたら文句いうし・・・・
今の私の神経は どうなってしまうのでしょうか・・。
毎日、現実に対して生きていくことが
胸が苦しくて仕方ないです・・。
長文、駄文、ごめんなさいでした。
14836 夫のこと moko 2009/12/16 13:04
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
私の夫もかえでさんやイルカさんと同じです。
家にいる時はテレビを見て屈託なく笑っています。
そんな夫にジレンマを感じていました。
でも、違うと思うんです。
(すいません。うちの場合だけかもしれませんが。)
男の人というのは、とても弱いものだと思います。
娘の死というものを本気で受け止めてしまったら
その悲しみだとか辛さを受け止めきれないと本能で感じているように思います。
娘を追いつめていったのは母親である私だと思っているかもしれませんが、そういうことも全部自分の中に押し込めてしまい込もうとしているんじゃないかと思います。
一年間いろいろ考えてきました。
何とか娘の自死というものを自分の中で折り合いをつけていく方法を。
実際のところ、子供に死なれた母親には救いはないように思います。
自分の命が尽きるまで自責の思いは消えず、後悔し、涙するんだと思います。
でも、辛い日々を送っているのは私だけじゃない。
私と同じような体験をされた方は悲しいことですが、
おおぜいいらっしゃる。
辛くても歯をくいしばって耐えておられる。
亡くなった娘の周りにいた人たちもそうです。
ひとりひとりが、「ああしてあげれば良かった」「こんなこと言うんじゃなかった}と心を痛めてくれている。
そんな人々の心に寄り添っていければ、救いはあるように思います。
お気に障った方がおられたらごめんなさい。
娘が亡くなって一年たった今の気持です。
14837 テレビの件については・・・ しずく 2009/12/16 15:38
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
うちの夫も同じですよ。
笑いながらテレビを見てます。
私は、ニュース番組や、神経に障らないような落ち着いた特集番組程度しか見る気になりません。
NHK中心かな・・・
直後は、これらさえ見る気になりませんでした。
それに比べて夫は、ドラマやバラエティをよく見てます。
正直に言えば耳障りですが、それを言って喧嘩になっても疲れるし、
今は喧嘩する気力もないので・・・
黙ってます。
どうしても耐えられない時はリビングから脱出します。
mokoさんの書き込みの中の、
男の人は弱いから、娘の死を真正面から受け止めていたら耐えられない。
・・・というような言葉を読み、『そうかもしれないな』と思いました。
娘が亡くなった直後、夫は私と息子に「決して自分を責めてはいけない。責めなくていいから」と言いました。
これは家族の心を守ろうとする夫の優しさかと思っていましたが・・・
もしかしたら‘自分を責める妻や息子の姿を見るのは耐えられない’という弱さもあったのかもしれませんね。
‘妻や息子まで鬱のドン底に落ちて何かあったら大変だ’という恐怖感などもあったのかもしれません。
そうだとしたら、娘の死因の根深い部分を直視出来ない弱さも、もちろんあるでしょうね。
私は、男の(夫の)そういう部分はつつかずに、放っておこうと思ってます。
自分以外の人間と、いつも同じ思いが溶け合い、完全に解り合える・・・
そんなことは幻想で、有り得ないことです。(有り得ても瞬間的な出来事)
可能なことがあるとすれば、
この人はこうなんだということを知り、自分とは違うそれを認める努力をする。
それぐらいかもしれませんね・・・
今日はかなり冷え込んでいます。
そろそろ年末ですので、皆さま体調に気をつけてお過ごしください。
14839 家族のこと 黒choko 2009/12/16 23:16
女性 / 30歳台 / 妹 / 3年以内 / 近畿
姉妹である私の立場から何か言うのは、またちょっと違うと思うのですが。。
的外れな発言をしてしまっていたら、ごめんなさい。
私の家でも父、母、そして私と受け止め方が三者三様で、ギクシャクしてました。
今は一時期より少しは歩み寄れているのかなあ。。
妹と歳が近いこともあって、両親のやり方に、
そうじゃないのに。。と反感を覚えることすらありました。
私はまだ生きてるよ、て言いたくなったこともあります。
でも、普段明るくふるまっていても妹の話になるとちょっとつらそうにして、
煙草を吸う口実で外に出てってしまう父が、寒空の下涙していることを知って。
毎晩毎晩晴れていても雨が降っていても、寝る前に夜空に話しかけていることを知って。
人にはそれぞれ喪の作業が違うんだと気づきました。
私はもっと、父のそういう姿を知りたいと思うのですが、
男の人はなかなか見せてくれないものなのかもしれないですね。
すべてをさらけださないのは、私もさらけだせてないからかもしれません。
私の喪の作業も、きっと両親から見たら理解できないものでしょう。
一体何をやってるんだろう。。
その思いは一番近くにいる家族だからこそ、お互いに消せないんだと思います。
ここでみなさんがいろんな立場からそれぞれの思いに寄り添っておられるのを見たり、
遺族のつどいでいろんな立場からそれぞれの思いに流す涙にふれたりすると、
私も両親の喪の作業を受けとめて、寄り添っていこうと思える勇気がもらえます。
まだまだ未熟者ですが。。
またお邪魔させてください。
駄文失礼しました。
14840 ありがとうございます かえで 2009/12/17 17:47
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
皆さん、家族に対する考え方、接し方についてご意見ありがとうございました。
表に出さなくても辛い気持ちには変わりはないですし、あまり真正面から
悲しみに向き合うと自分が壊れてしまいそうで怖いですよね。
知らず知らずのうちに自分の心を何かで覆って守る事もありますよね。
まだ自分を守る事で精いっぱいの時期なのかもしれません。
私は今日は職場では妙にハイテンションでした。
思い出さない時は元気でいられます。
前にはなかった現象です。
家に帰ってちょっと楽しみなテレビも見つけました。
でもまたあの日の会話を思い出しては、救うチャンスだったかもしれないのに、と落ち込みます。
仕方ないです。その繰り返しです。
時間が経てば少しずつ変化していくんでしょうか?
14841 それぞれに。 m. 2009/12/17 17:53
/ 30歳台 / 兄 / 6ヶ月以内 / 中部
ご無沙汰しております。
昨日は兄の月命日でした。
カサブランカを買いました。
あれから、もう4ヶ月・・・まだ4ヶ月・・・。
でも、すっかり季節も変わってしまいました。
兄がいなくなっても
時は経ち、季節は変わりゆく。
>黒chokoさん
人にはそれぞれ喪の作業が違うんだと気づきました。
私も、同感です。
一言で言ってしまえば同じ『悲しみ』でも、
悲しみの大きさや重みは違いがあるのだと思います。
兄を亡くした私と、
子を亡くした両親ではもちろん
父と母の間でも相違があるのだと思います。
そして、外側から見れば笑っていても、
それぞれ、個々に自責の念や後悔が必ずあるのだと思うのです。
起きてしまったことは、誰のせいでもないのだけど、
それでも、辛くない人なんて、きっといない。
ただ、それぞれ喪の作業がちがう。それだけ。
私は、
母や父が笑っていると、安心します。
それが、心からの笑顔でなくても、
母や父にはまた、笑って欲しいと思うのです。
そして私も、笑いたい。
先に逝った人たちも、
家族が憎くて、こんなことをしたわけではないはずです。
今頃、空でハラハラしているかもしれません。
そして、兄妹という立場で言わせていただければ、
残されたほかのお子様たちも、
不安な日々を送っているのは確かです。
私は、兄が亡くなって
他に兄妹がいなくなりました。
やがて、両親とも必ず別れがくるでしょう。
そのときに
私は兄の代わりに両親をひとりで、送らなくてはいけない。
悲しみや、感謝を分かち合うはずの兄妹は、もういない。
悲しみといっても、色々ですよね。
けれど、親も残された子も
背負っているものは同じ。
でも『背負っていく』という言葉は、好きではないし
背負っていく必要も無いと思っているので
あえて『共に歩んでいく』と言わせてください。
歩幅も、それぞれですよね。
それぞれの歩幅、それぞれの想い、それぞれの悲しみ。
でも、進むべき方向は、家族皆、同じなのではないでしょうか。
私は、母とも父とも、同じ日の差すほうへ歩きたいと思っています。
ご気分を害された方がおられましたら、申し訳ありません。
駄文失礼いたしました。
14842 カウンセリング かえで 2009/12/20 20:34
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
明日は3回目、いつも終わった後は悲しみの余韻が残り自宅まで
泣きながら自転車をこいで帰る。
スッキリするというより、ぐったりとなりとても疲れる。
一方的にこちらが話し、あっという間に時間がくる。
そして「時計をみてごめんなさい。時間なので」と切られる。
カウンセリングの効果ってまだ全然分からない。
友人達と違って余計な事を言われない。聞いてあげるという感じ。
話しているうちに自分の考え方、気持ちがはっきりしてくるなど
の効果はあると思いますが。
まだ始めたばかりだからやっぱり続けてみようか・・・
記憶が蘇り辛くなるのも事実なんだけど。
14843 調査会社 りい 2009/12/21 00:21
女性 / 30歳台 / 母 / 1年以内 / 関東
とても久しぶりに書き込みします。
なんだか書き込む気力も失って、日々ぼおっと過ごしていました。
気持を吐き出してしまいます、すみません。
先日母の生命保険の事で、調査会社の方と話さなければなりませんでした。
仕事だから淡々と接してくれるかと思いきや、まあーそうだったんですか、の連発で、かなり傷つきました。
話が終わっても担当者は一人で、まあーそうだったんですかーを繰り返していました。
母の死が判明するまで少し複雑な経緯があったものですから。
会社がどんなに簡単に見えるケースでも調査しろって言うのやっとわかったわー、こんなことがあるんですものねー、とも言われ、興味本位に扱われているようで不快でした。
多分自分のつらさを、その担当者の振る舞いに転嫁しているのだとは思います。でもどうしてもその時の発言が突き刺さって頭から離れない。
その場ではついにこやかに接してしまった自分にも嫌気がさします。
母の命日が近づいてきていることもあり、大変暗い所に落ち込んでしまいました。命日をどのように過ごそうか。その日をやりすごすことができるのか、どうしていいのかわかりません。
14844 かえでさんへ non 2009/12/21 20:53
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
かえでさん、ご心配かけてすみません。
お声かけ頂いていたのに、書き込み
できませんでした。
お薬を飲んでいても、しんどいときが
突然やってきます。当たり前ですね。
とってもたいへんな思いをしてるんですものね。
ここ数日は、息子が斜に構えて私をにらんでいる顔を
見ます。夢なのか本当に見ているのか?
昼間ですので、まだまだ私の精神状態は悪いんですね。
きっと私が息子に対して、悪いなあ、ごめんねと
絶えず思っているからなのでしょうか?
突然からだが落ちていくような感覚も
またよみがえってきました。このところ忙しかったからでしょう。
少しゆっくりしてみます。
かえでさんも、お大事にしてしてくださいね。
ついつい焦ってしまいますので。
ゆっくり、ゆっくりですね。
14845 nonさんへ かえで 2009/12/22 13:13
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
体調も精神状態もまだまだ落ち着かないのは当然ですよね。
それほど辛い事なんですから・・・
返事は気になさらないで書きたい時に書けるだけ・・・
重荷にならないようにしましょう。
折角の癒しの為の掲示板ですので・・・
nonさんが書かれた通りゆっくり、ゆっくり。。。ですね。
お気遣いありがとうございます。
14846 お久しぶりです。 YUNOMI 2009/12/24 00:33
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 近畿
ご無沙汰しています。久しぶりに書き込みします。
弟が他界して3ヶ月が過ぎました。
2週間前の12月5日に納骨を済ませました。
永代供養して下さる納骨堂に弟の遺骨と
おととしに他界し、弟が保管していた母の遺骨を一緒に納骨しました。
納骨堂に収めると遺骨は二度と出せない決まりの為、
前日には長男(中1)が「明日S兄ちゃんと本当にお別れやな。」と
ボソッとつぶやき、弟を本当のお兄さんのように慕っていた
長男の一言に私の胸は押しつぶされそうでした。
弟は生涯独身で、生活も苦しかったので、
家の墓をまだ建てていませんでした。
私と妹は嫁いでいる為、あとを継ぐ者もいません。
母も生前、永代供養を望んでいたので、
その意思をくんで、弟も一緒にこの形にしました。
納骨が終わり、一つの区切りを迎えました。
表面的には以前のような生活に戻っていますが、
やはり今も昼間の次女(1歳)と二人きりの時間になると
ふと弟がこの世を去る前後の数日の出来事を思い出し、
気持ちがどーんと落ち込むことがあります。
でも、前を向いて、少しずつ歩んでいきます。
今の生活を精一杯過ごすこと、そして家族が幸せになること。
それが弟が遺書に残した最後の思いでもあるのだから・・・。
明日はクリスマスですね。弟は15歳から約15年程、
ケーキ職人をしていました。
私の結婚式の時には仕事の合間に準備して、
ウェディングケーキを作ってくれました。
ケーキ職人を辞めるまでは、毎年クリスマスケーキを
我が家に持ってきてくれ、長女(中3)と長男も楽しみにしていました。
その当時使っていた調理器具が少しだけですが、形見として
我が家にあります。
辛くてまだ使っていませんが、長女が高校受験が終わったら、
ケーキを作りたいので、その時に使うと言っています。
ふとそんなことを思い出し、懐かしさと共に、
もう弟が作ったケーキを食べられないんだなあと
また悲しみが蘇りました。
14847 もうすぐ一年 HANAMIZUKI 2009/12/24 02:25
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
なんとか暮してきて、もうすぐ息子の旅立った日が近くなってきました。
あれもこれもと用事をかたずけることができなくなり、昨日も八時を過ぎても夕食がつくれてなかったところへ、妹が訪ねて来たので、うろたえてしまい、泣いてしまいました。
それでも、かなり減ってた体重が3キロほど戻り、息子に申し訳ないと思ったりします。
息子の写真を見ては、なあー、なあーと溜息をついては、残酷な息子の運命をふびんに思い、自分をせめる気持ちは、変わりません。
もう、残酷な思いはないように、普通にあの世にいかせてほしいです。
それだけが、今願う事です。
寒いので、かぜなどひかれませんように。
皆様、ご自愛下さい。
14848 辛い時期ですね・・・ しずく 2009/12/24 08:11
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 関東
娘を亡くして、もうすぐ3ヵ月です。
気持ちは沈みこむばかりで、今日のような日(クリスマスイブ)は特に辛い・・・
多くの人が浮かれているのでしょうけど、私は沈んでます。
少しでも明るくしようと思って、家族が揃ってた昨日、チキンとケーキだけ買ってみたんですよね。
でも、娘の不在感に押しつぶされそうになってしまい、美味しいとも思えず、夫と息子も口数少なく静かでした。
余計なことしなきゃよかった。
クリスマスなんて無視すればよかった。
娘がいた去年までのクリスマスは、賑やかで華やかだったのに・・・
元気になろう、明るく過ごそう、そう思えば思うほど辛くなります。
結果的にそうは出来ず、いつも空回りなので・・・
こちらにいらしてる皆様、1〜2年過ぎた方々も、まだまだ辛そうですね。
3ヵ月の私が立ち直れてないのは、当たり前なのかもしれませんね。
亡くしたのは我が子だし・・・
正直に言えば、私も、「ちゃんと生きていかなきゃ」と思う気持ちと、「あまり苦しまずに死ねるならいつでもいい」と思う気持ちと、交錯してます。
でも、家族には「ちゃんと生きていかなきゃ」と思う気持ちだけを見せ、
「いつでもいい」と思う気持ちは隠してます。
自分がこんなふうなので、夫と息子の本心も分かりませんね・・・
それぞれに、口には出さない思いがあるのかもしれません。
息子が胃の調子を崩してます。
無口で多くを語らない子なので、ストレスや辛さが身体に表れたんじゃないかと心配です。
皆様も、どうぞお身体に気をつけて、お大事になさってください。
14849 自分らしく みどり 2009/12/24 12:35
女性 / 30歳台 / 夫 / 10年以内
自分らしくあることがむずかしい
何をしていてもこのままじゃいけないと思う
自分が今ここにこうしていることが良くないことのように思うので
自分の考えてることを変えなきゃみんなに悪いようで
ごめんねって言いたくなるけど、自分もまわりも重くなるだけなので
ありがとう、が一番楽になれる言葉なんだとわかっているけど
きれいごと、わかっていることを、そっくり自分の中に入れることがむずかしい
私のまわりは、やさしいのに、私はいつも不安
嘘みたいに時間がすぎていく、いずれ7年たつ、それが過ぎれば、さらに時間がすすむ
もっと早く治ると思っていた
どう努力したらいいのかわからない、心の中の傷なんてたしかな治療法なんてない
年末のおそうじももう終わった。
カーテン洗ったり、窓を拭いている間は、気分が楽だった。
きれいになった部屋に神様入ってきてくれるかな。
14850 皆さんへ non 2009/12/24 19:00
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
クリスマス。世の中はなんと私の気持ちと
相反するのでしょう。浮かれる人々とこの季節
クリスマス、お正月と寂しさで胸塞がれる
私との何という落差。
HANAMIZUKIさん、私も体重が少し増え
息子に後ろめたい気持ちがしています。
特に亡くなったときの解剖結果で
45キロしかなかった息子が哀れで
その体重に近づくのが、自分が浅ましいというか
図々しいというか、息子に悪い感じが
するのです。
クリスマスやお正月には、いろいろ心が
描き乱れます。なんと言っても、
あの子がいないことの変わらない現実。
あの子は死んでいるのに、年賀状やおせち料理や
クリスマスなんて、楽しむなんてできません。
あの子は今どこ?冬の空を毎晩見ています。
夢でもいいから出てきて、と願っても、
出てきてくれません。
寂しいです。そして、22年に終わったあの子の
短い人生、過酷な現実にやり場のない気持ちが
するのです。息子の仏壇に、もうすぐお休みだから
一緒にいようねと語りかけています。
どうして、どうして、うちの子だったんでしょう。
どうして、私が死ななかったんでしょう。
眠りにつくとき、毎晩考えます。
明日は来なくてもいいと。
14851 はじめまして チコ 2009/12/25 01:50
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
初めましてチコと言います。
私は家族3人、三代にわたり自死家族をもってしまいました。
祖母(父方)、父、弟の3人です。
世間の人からはいろいろと言われました。あれから随分経ちましたが、なんだか、まだ時々悲しくなります。
祖母は、昭和49年に、弟は平成になってから、その9ヵ月後に父が弟の後を追って弟の部屋で亡くなりました。
こんな話は人にはできません。
家族ともしません。
今夜は書き込みが出来てよかったです。
なんだか寂しい夜です。
14852 思い出しました。、 チコ 2009/12/25 02:59
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
nonさんとHANAKAZUKIさんの投稿を読んで思い出しました。
弟が亡くなった当時、私は結婚していて子供がまだ小さくて、自分には食欲が無くても子供の為に食事を作らなければなりませんでした。
子供の為に作ったはずなのに、食べてみるとおいしかった。食欲なんて無い、あるはずが無いと思っていたのに…なんだか不思議な気持ちになりました。心と体がちぐはぐなのです。
こころは悲しくて仕方がないのに、からだは生きようとしているのです。食べて「美味しい。」と思った自分に驚きながら、あさましい、いやしいと嫌悪しながら、「生きる」為に食べ物を「美味しい」と感じている自分に何故かホッとしていました。
私がいくら悲しがっても朝はやってきました。
まるで私の悲しみなど大自然の中では無かった事の様に、取るに足りない事の様に毎日毎日、朝がやってきました。
はじめのうちはそれすらも辛かった。悲しくて悲しくて、私の周りは真っ黒な夜のイメージだったからです。暗い中でじっとしていたかった。
でも、そのうち朝が来ることがありがたい。と思える様になりました。
14853 お休み non 2009/12/25 10:54
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
今日はしんどくて、仕事を休みました。
麻は来なくてもいいと思って眠りにつくのに
眠ったままでいいと思うのに、朝は来て
辛い現実が目の前に突きつけられる。
体は休めても、心はしんどくて、
体を丸めて時間が過ぎるのを待っています。
どれほど月日が過ぎても、このまま一生を
終えるのかな?チコさんが言われるように
体は生きようとしている。心と体の方向が
違っている。身の置き所がなくて、心の
やり場がなくて、うずくまっています。
ただ息子のことを考えています。
寂しいです。きっとこんなに落ち込むのは
世の中がイベントでにぎわっているからでしょうね。
14854 こんにちは チコ 2009/12/25 12:27
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
昨夜、初めての書き込みだったのに名指ししてしまい気にしていました。気を悪くされたのではと心配してたので、nonさんの書き込みをみて少しほっとしました、ありがとうございます。
私は長いこと数人の友達以外に、家族の事は話せませんでしたが、2007年に「自死遺族の会」に参加しました。そこで知らな人の前で話をするのですが初参加のときは大泣きしてしまいました。恥ずかしかったけどなんだかスッキリしたようにも思いました。皆さん辛抱強く私の話を聞いてくださり感激し、感謝しました。その後1年間お世話になりましたが、他県に引っ越したので行けなくなりました。こちらにも「自死遺族の会」がありますが、なんとなく馴染めません。こちらのスタッフの方たちも良い人たちばかりですが以前とは雰囲気が違いますので、なかなか行く気になれずにいます。もう無理してまで人と合わせられない。悪いけど。でも、他の遺族のかたと話をするのは、いろいろと参考になったりします。自分で話すのも「こころの整理」になりました。
ここの書き込み(レス?って言うのですか?)はまってしまいそうです。依存でしょうか?それでも、今、寂しい私には「救い」になります。
14855 チコ様へ HANAMIZUKI 2009/12/25 20:08
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
心傷者のたわごとだと、聞き流して下さい。
私の父は、64歳で結核でなくなりました。
たいへん優しいおとなしい父でした。
しかし、たいへん問題の多い生き方をした父で、母はたいへん苦労しました。亡くなった私の息子は、その父に顔も性格も生き写しで、今回の息子の自死で、父の生きつらさを、はじめて理解できたような気がします。亡くなって20年もたってからはじめてです。
父を恨んでいましたが、今ごめんな、お父ちゃんと言いたいです。
もちろん私の育て方で、反省すべきところは、たくさんあります。
それを、弁解する気はありません。
チコ様、話して下さってありがとうございます。
チコ様、また近況など書き込みして下さい。
14856 HANAMIZUKI様 ありがとうございます。 チコ 2009/12/26 01:40
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
早速、声を掛けて頂きありがとうございます。
昼間、祖母の事は、「だれでもなんでも掲示板」に
書きました。パソコンで書くのは不慣れでなかなか難しいく、時間がかかってしまいます。
父は59歳で亡くなりました。一人っ子でわがままでした。
叩かれたりして怖かった。私たち姉弟は父が苦手でした。
でも、父も祖母の愛に飢えていたのかもしれません。
当時、家は曾爺さんの代から商売をしていて父は3代目でした。
父は、子供たちを跡取りに育てるため必要な免許を3人共取らせました。私は弟が2人もいたのに取りました。
嫌でしたが、逆らえませんでした。今でも少し恨みがましいのですが、当時は、諦めていました。
母から聞いたところでは、弟は、仕事の事で父と意見が対立していたそうです。彼は長男で跡取りだったばっかりに早死にしてしまったのかもしれません。
1993年秋、彼は縊死しました。
前の晩は、ソフトボール大会で大活躍したそうです。
幼い頃から、運動が得意で、リレーの花形でした。
春頃から、体調が悪いが、病院に行っても「異常なし」と言われてた
そうです。
嫁の話では、寝つけず苦しんでいたそうです。
可哀想に「鬱」だったのかもしれませんが、当時は分かりませんでした。精神科に行くのもためらう時代でした。
家族で話し合いをしたそうですが、連れて行かなかったそうです。
祖母の事があったのに悔やまれます。
少し疲れました。また、書きます。
今日も読んで下さった方々ありがとうがざいます。
14857 願い チコ 2009/12/26 10:08
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
弟が亡くなり、どんなに慰められても心に言葉が届かなかった時、
当時、私の長男の担任の先生(女性)に言われた言葉
「弟さんはあの世に用事があったのよ。」に「あ、そうだったんだ。」
と思いました。用事があったのなら仕方がないな。
と、なぜか納得しました。
何の用事なのか、今もその用事をやっているのか分からないけど、
用事をやっている弟を想像すると、なんだか彼が生き生きと、
立ち働いている気になります。
もともと、おもしろくて明るかったGが生き生きとしながら母や私たちを
待っててくれたらいいな。
いずれは誰でもあちらへ行くのだから。
14858 チコ様へ HANAMIZUKI 2009/12/27 02:06
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
10年以上の月日がながれても、やはりきついですね。
私の息子も、話がおもしろくって、おなかが、苦しいくらい
よく笑わせてくれました。おなかが、苦しいと言うと、腹筋が弱すぎだと、からかわれました。あれは、いったい何だったんでしょうか・・
私も、チコ様も悲しい宿命を背負ってますね。
何気なく生きていても、幸福で生きれる人もいるのにねえ。
何も悪いことしてないのにねえ。
14859 HANAMIZUKI様 チコ 2009/12/27 03:29
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 九州
こんばんは
本当にそうですね。
私、今夜は母の事を考えていました。
大変な日々を過ごすうち、母にいろいろ言ってしまいました。
いい過ぎた事もありました。喧嘩もしました。
辛い事を母娘で過ごして来ました。
母と弟は誕生日が同じ日です。干支も一緒です。
母は毎年毎年どんな思いで誕生日を迎えているのでしょうね〜
跡取りの長男を亡くし、大黒柱の父を亡くし、それでも10年以上
一人で店を切り盛りしていました。
でも、結局たちゆかなくかり、店も家も競売にかかり
今は独りでひっそりと狭い借家で暮らしています。
途中、次男が一緒でしたが、彼もいろいろあり、他県に居ます。
私が一緒に暮らそうと言っても「一人がいい。」といいます。
遠慮もあるのでしょうが、独りが気楽だそうです。
父と母はいとこ同士でした。
父には好きな人が居たそうですが祖母に反対されたそうです。
当時、母は弟子として住み込みをしていたそうで、
叔母である祖母から、可愛がられていたらしのですが、
「嫁になったら大変だった。」とよく言います。
本当に辛い事が多かったようです。
私は幼い頃から、泣いている母をよく見てきました。
辛くて、嫌な思い出です。
母は「誰にも気兼ねの無い、今が一番幸せ。」と言います。
案外そうなのかもしれません。
かつては、人口5万程の小さな猥雑な町ではありましたが、
創業百年の店で「奥さん」と呼ばれた事もありましたが、
今は静かに暮らしたいのだろうと思っています。
14860 私の息子は・・・ かえで 2009/12/27 11:28
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
ここで自死された方の性格とかそれまでの生き様を読ませて貰って
うちの子とつい比べてしまいました。
「明るかった、面白かった、スポーツで花形だった・・・」など
とても羨ましく思えます。
うちの息子はコンプレックスの塊でした。
私の息子は幼稚園から小学校低学年までは自信に満ちた性格でしたが
段々友人関係が辛そうで、そこから脱出するのに大きなエネルギーを必要とし私もその手助けをしました。
私は友人が悪い、友人が代われば解決する、と思いましたので
実際それまでの友人とは縁を切りました。
息子がそうしたかったし、私も同調したからです。
でも息子が自信なさそうになったのもその頃からでした。
小学校高学年からずっと・・・
「友達できた?」と聞くのも新しい学校に行き環境が変わる度に聞いたりして・・・
中学では友達は出来ました。やさしい子供ばかりでした。
私は友達を代えて正解だったと思いましたし、息子もそう思ったはずです。
家が溜まり場になる事も多く、私はそれで満足していました。
ただ親友はどうだったのでしょう・・・
この時期は心穏やかな時期だったのですが。
でも高校の最後に辛い事件があったのをきっかけに「自分はダメな人間」とまた思い込みが激しくなり、遂に心の病に罹ってしまったのではないかと想像します。
それからはきっと孤独との戦いではなかったかと。
好きな友人とは「迷惑かけるから」と自分から離れ、かといって付き合ってる友人には満足できずにやはり孤独。
母親の私には男の割にはなんでも話してくれる子供でしたので
その都度励ましてきたつもりですが
彼が段々大人になり悩みも大きくなっていったのに、それと病気を
結びつけて考える事ができず、「もういい加減しっかりしてほしい」
という気持ちに私の態度も変わっていきました。
でも強い口調では言えない、あまり無理はできない、のは分かっていました。
今思い返すと、自分では無理を言わないつもりでも、かなりの
プレッシャーを与えていて、それに応えられない真面目な息子は
自分を追い込んでいき、最悪の選択をしたと思っています。
家族の中にいても孤独に追い込んでしまい、そのことがずっと
私を苦しめています。
「息子は病気」という認識が私の中にありませんでした。
知識はあっても、息子がそれだと気づいてやれなかったのです。
こんな辛い人生を21年間頑張ってくれてありがとう、
そして普通に楽しい生活を送れる人格に育てて上げられなかったことに
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
なので同じ自死家族の方の書き込みを読んでも、「それまではきっと幸せに生活できたのならまだ息子よりいいかも・・・」
とつい息子の人生と比較し、更に息子が不憫に思えてならないのです。
不快に思われた方がいらしたら申し訳ありません。
こんな泣き言を言う自分にも嫌気をさしますが。。。
「もう辛い思いはしなくて済むね」、これだけが救いです。
14861 メール non 2009/12/27 12:07
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
昨日メールの整理をしていたら、息子のメールが
出てきました。あれから、携帯も放ったらかしでした。
亡くなる2日前でした。駅から、「今から帰る」という
メールでした。新しくかったコートを抱えて
帰ってきました。あれから2日、いえ正確に言えば
1日半でこの世界から旅だったのです。
あれから1年3ヶ月。むなしいだけの毎日です。
そのメールを見たとたん、嗚咽が抑えられなくなり
庭に出て一人で泣きました。
**ちゃん、あんまりだね。ひとりぼっちで逝っちゃうなんて。
今日こそお母さんを迎えに来てと願って眠りについたのに
こうやって、まだ生きてます。同じ頃にお子様を
亡くされた方は、今どうされているのでしょう。
何かあればすぐにこの掲示板に来る私。
だらしなくて、情けなくて、いつまでも立ち直れない
自分にいらだちます。病気のせいもありますが、
自分が腹立たしいです。こんな母を息子は
心配しているかも知れません。ごめんね。
皆さん、すみません。
14862 2年経ちました ひまわり 2009/12/27 12:50
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
2007年12月の暮。発見したときの驚き、叫び声、泣き声、救急車の音・・・まるで昨日の事のように思い出されます。
普通に社会生活を送っていますが、周囲には心を閉ざして、感情を露にすることもなく、ただ、生きながらえているといったところです。
あれから、よく聞く曲があります。スメタナ作の”モルダウ”です。
この曲を聴いていると、ゆったりとした、モルダウの流れに優しく包まれて、どんなことがあっても、安心して身を委ねられるような心地がします。(スメタナは民族主義的な観点から、この曲を作曲したようですが・・・)
モルダウの流れのようにゆっくりといきたいと思いますが、でも時々、突風が吹き荒れ、私の心はぐちゃぐちゃになってしまいます。
14863 こんにちは チコ 2009/12/27 12:51
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 西日本
私がこの掲示板を知り、皆さんの書き込みを見て最初に母の事を思ったのは、子供さんを亡くされた方々の嘆きを読んだからでした。
辛かったです。
母の話し相手をしてきたつもりでしたが、どの位役にたった事でしょうか?そもそも役にたったのかしら?
きっと、傷つけた事もあったのでしょう。
それでも、私は母に寄り添っていきます。
もっとも、こう言えるまでには、さまざま思いをしてきましたが…
せっかくこの掲示板にたどり着いたので、
もっともっと話をしたり、聞いたりしたいです。
改めまして、宜しくお願いします。
14864 私の身に起こった事 チコ 2009/12/27 14:22
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 西日本
私は忘れられません
祖母が逝った日、学校から家に着くと家の前に、黄色いテープが張り巡らされており、玄関に入ろうとした時、
警官から「しっかりしなさい。」と言われた事
仏壇の前に寝かされている祖母の顔を見て、綺麗だったので
「よかった、苦しまなかったんだ。」と勝手に思った事。
通夜の時様々な出来事。
弟が逝った日の父からの電話
「Y、Gが死んだ!おばあちゃんと一緒だ!」
実家で見た、義妹の混乱、母の涙、父の落胆、幼い甥、姪の泣き声
父が逝った日の母からの電話
「Y、お父さん、だめだったよ。Gの部屋で縊死したよ。」
母は静かな声でそう言ってた。
実家に着くと、母は貧血をおこし、かかりつけ医に診てもらっていた。
私は思わず「ついてないね。」と言いました。
弟が逝ってから9カ月経っていた。
横たわっている父に私は心の中で叫んだ!
「何故、勝手に死んでるの!母をどうするの?お店は?
何故、死ぬ時までわがままなの!死んでからも迷惑掛ける気!」
そう、思いました。
しかし、父への思いは2007年に父の日記を見た時、怒りから
詫びる思いに変わりました。
初めて、父の思いを知りました。
父も苦しんでいたからです。生き辛さを抱えていたのです。
もっと早く、知っていればもう少し接し方が違っていたかもしれませんが…
少しづつ、少しづつ、前向きに、用心深く生きてきました。
今後も、そんなふうに生きて行くでしょう。
今、そう思っています。
14865 かえでさんへ イルカ 2009/12/28 03:45
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
私の息子も コンプレックスの塊で・・・
「自分は ダメ人間だから・・・。」が口癖でした。
たぶん、最期のその時も そぅ思いながら息絶えたと思います・・。
考えると つらいです・・。
私も、他の方のを読んでいて
友達がたくさん居た、彼氏・彼女が居た、などと聞くと
孤独だった自分の息子が不憫でなりません・・・。
胸がより一層痛みます・・。
かえでさんの お気持ち、すごくわかります・・。
14866 nonさんへ イルカ 2009/12/28 04:03
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
私とこは 亡くして1年と4ヶ月・・。
私もまだ、自分を責め、情けない母です・・・。
ここに、書き込みが出来なかったのは、
やっぱりクリスマスや年末の時期だからでしょうね・・・
24日にスーパーに行ったら、突然 吐き気がして息苦しくなりました。
息子と同じ歳くらいの子を見ても
小さい兄弟を見ても
色んな思い出がよぎり、きつかったです・・・。
テレビを観たら、歌番組で、
息子が卒業式の時に流れた曲などが出ると
胸が締め付けられ、涙が止まらなくなります・・。
ハンガーに掛けてる息子の服からは
今も、息子の香りがします・・・。
本当に、死んだのか・・・・。
なんだか わからなくなってきました・・。
もう、息子は居ないんだ・・・という現実。
信じたくない自分と葛藤している日々です。
14867 イルカさんへ かえで 2009/12/29 00:31
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
夫の事やパソコンのサイトの件、そして今回は息子の事にもコメント
頂いてありがとうございます。
一人言のように書き綴った文に同意して下さる方がいるのはとても
心が癒されます。
今の季節も辛いですが、私が恐れているのは息子が逝ってしまった
夏がやってくることです。
感情の波はどう形を変えるか予測つきません。
14868 イルカさんへ non 2009/12/29 13:40
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
レスありがとうございます。
うちと同じような時期に大事な息子さんを
亡くされたイルカさん。何だか他人のようには
思えないでいつも書き込み拝見しています。
正月が来ても現実は変わらない。
寂しい2回目の年末年始ですね。
夕べ息子の夢を久しぶりに見ました。
明るい感じでした。匂いもしました。
声も「おかあさん」と言っているのが
聞こえたように思います。何だかリアルな
感じで目覚めてもしばらくじっとしていました。
やっぱり傍にいてくれるのかな?
何を言ってもむなしい私です。生きる意欲を
持って生きているのではなく、薬で眠り
最小限の食事をとり、生かされている私です。
それでも年末に帰ってくる兄のために食料を
買いに行かなくちゃと思っています。
何をしていても心はいつも息子の元へ。
過呼吸も息苦しさもまたよみがえってきています。
ご飯を食べては、息子に「ごめんね」と
謝っています。どこかの掲示板で見ましたが
「懲役30年」と言われていました。
私は、終身刑です。
14869 いとしいよ・・・ みんく 2009/12/29 17:24
普段は忙しい年末の仕事を終え、慌しくお正月の準備をはじめるのに、今年は夫がいない。あなたは窓ふきに、車周りの事。いつも役割分担をして、大掃除を済ませたら、慌てて買出しに出掛け、お正月はゆっくり好きなお酒を二人で楽しんだよね。そんな、幸せを22年も続けてきたよね。
何よりも家族が一番のあなただった。
それなのに、私はいつも自分の生きたいように生きたくて、あなたを不安にさせてばかり。
私が、子供たちが、あなたを必要としていないと、思ってしまったの?
もう、今更謝っても、あなたには届かない。帰ってこない。
夫は、いつもコンプレックスと体の不調を訴えていた。私の言葉や態度に一喜一憂し、「考えすぎよ。大丈夫よ」と、全てを支え続けた私がいた。少なくとも3月までは。
そんな私もふと疲れてしまった。一瞬、そんな夫といる事に疲れてしまった。数か月間、心が離れたことを夫はいち早く気がついた。
ごめんね。私と結婚しなければ・・・もっと、素直で優しい女性と家庭を持っていたならば、ずっとずっとひと時も離れないでくれる人と一緒になっていれば、たとえ生きる事が不器用で、生きる事が苦しかった人でも、自ら命を奪うという、辛い選択をすることはなっかたのに。
最期、喧嘩して出て行って・・・
そして変わり果てた姿のあなたの目には、涙が溜まっていた。
生きなきゃね。私。
あなたの大事な子供達がいるんだからね。
あなたを支えていたと思っていた私は、本当はあなたを支える事を、生きがいとしていたよ。
失って気がついても、遅かったよ。
14870 みんくさま かえで 2009/12/30 02:24
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
みんくさま、はじめまして!
私が一番気になってた事をみんくさまの文章を拝見してドキッと
してしまいました。
>そんな私もふと疲れてしまった。一瞬、そんな夫といる事に疲れてしまった。数か月間、心が離れたことを夫はいち早く気がついた。
私もいつも励まし続けていつも味方だったのに、確かに私は疲れていて
(息子の事だけでなく、色々な問題も抱えてましたので)息子から気持ちが
離れていたのを、敏感に感じ取ったのだと思っています。
とても辛いです。
亡くなってもまだ魂が存在してるなら「ずっと永遠に大切な私の子供だよ」
「寂しい思いをさせてごめんね」と言い続けて生きていこうと思っています。
14871 今日このごろ オリーブ 2009/12/30 07:54
久しぶりに書き込みます。
年の瀬で世の中は賑わっていますね・・・
正月も関係ありません。
ただ昨日が今日に変わるだけ、
今日が明日に変わるのを静かに待つだけです。
この世での「明日」を迎えることがかなわなかった娘を思うと
かわいそうで不憫でなりません。
今も、一日一日、という思いで生きています。
日常の暮らしを送る中で
いつも心の中に娘を思い描きます。
笑ってくれる時もあれば、怒っているような時もあります。
寂しそうだったり、悲しそうだったりすると心配でなりません。
こんな感覚も今の私にとっては普通のことです。
どこへいってしまったのか、本当はわからないけれど・・・
いつも一緒、と願い祈り続けて
いつの日か、逢うことが許された時・・・
私はきっと万歳していこうと思うのです。
今しばらくは、もうひとりの我が子の進路を見届ける日を送ります。
娘の時を思い出します・・・つらい作業でもあります。
娘と一緒に探して選んだ部屋・・・
母はあんな所に決めてひとりで住まわせてしまったことを
とても悔やんでいます。
堪忍してね。
「泣きながらでも歩き続けてごらん
いつか景色が変わっていることに気づくから」
最近みかけた言葉です。
歩き続けることが出来なかった娘・・・
そばにいて一緒に歩んであげていれば
あの子の景色は変わっていたのでしょうか。
私達遺族もその思いで生き続けていけばいいのでしょうか。
答えはまだまだわかりませんが・・・
今日もまた一日・・・
皆さまにも
少しでも多く穏やかな時間が訪れますように。
14872 ごめんなさい オリーブ 2009/12/30 08:23
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
プロフィールいれわすれてました。
14873 オリーブさんへ あんず 2009/12/30 13:07
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
はじめまして。
オリーブさんの言葉が心に染みました。
「泣きながらでも歩き続けてごらん
いつか景色が変わっていることに気づくから」
娘は高機能自閉症(アスペルガー障害)がありました。
病院も4ヵ所行きましたが娘に合った病院はどこもありませんでした。
処方された薬を飲んでいてもリスカ、ODを繰り返していました。
人との関わりが出来ない障害を抱えながら、良く頑張ってくれたと思いながらも
悲しくて悔しくて、寂しくて毎日泣いています。
私にはもう子供はいませんので、これ以上生きる意味があるのかといつも考えています。
今日はオリーブさんの言葉で、もう少しだけ歩いてみようかなと思いました。
14874 かえでさま みんく 2009/12/30 15:19
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
返信有難うございます。
今思えば、なぜいつもと違う行動を私は取ったのか?
病んでいる夫なのだから、一途な人なのだから、
私が冷たくしたら、生きられないよって、いつも言ってたのに…
私は夫の命を50年しか、生かしてあげる事ができませんでした。
他に要因があったにせよ、最期の引き金は私にありました。
「こんな私は、この世に生きていてはいけない」
…と、生きる意味も全く見いだせず、ただのらりくらりの一日です。
「家族」
この言葉と本質は重たいです。
先日友人が、何度目かの未遂をしました。
「死んだらダメ!!!」
と、いう私の言葉に
「生きようとする者と死にたいと願う者の苦しみは違う…」
と…
潜在的に、死にたい人は生きる事そのものが辛い。
助ける事に限界があるのかもしれません。
死後の魂は、あの世で意識を持って存在しているのか?
本人の寿命だったと片付けてしまうのは、あまりにも冷酷で
さっさと逝ってしまった家族へ、残された者の苦しみを
感じて欲しいと願うのは、すさまじい決意で楽になることを
選んだ者へのさらなる追い打ちなのでしょう。
でも、ごめんなさい。
だらだらと書きましたが、お子さんの場合は、
理屈なんかじゃないですよね。
答えなんか、出ないのでしょう。
ずっと、心に背負ったまま、残された者が
ただ、じっと時の流れに身をまかせて、
自身の天命に従うしかありません。
14875 ごめんなさい HANAMIZUKI 2009/12/30 16:54
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
かえでさんの息子さんが、コンプレックスの塊だったと書かれていたのをよんで、私の息子は話がおもしろかったなんて書いたことを、まるで幸福な家庭で、優しい話相手の母がいたのに、死を選んだ様な事を書いたみたいだと思い、息子のためにまた、書きます。
息子は、高校から、学校を休みがちで、そのころから暗くなりました。
その後の人生も何をさせても、続きませんでした。
やっきになった母と、やる気のでない息子の悪循環の十年でした。
それを、私は、息子の怠け癖と甘えだと思い、手をあげた事もあります。でも息子は、下をむいたままでした。
話がおもしろかったのは、事実です。道化かもしれません。一日あったことや、家族のことを、皮肉もふくめておもしろおかしく、話てくれていました。しかし、亡くなってからわかったのですが、友達には、親とは、話していないと言ってたみたいです。
やるべき事をまちがっていました。もっと心から寄り添って、聞いてあげなければならない事がありました。後悔します。そして息子が小さいころから、働いてさみしい思いをさせたこと、私の生き方すべてを、後悔します。
14876 そうでしたか・・・ かえで 2009/12/30 19:49
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
HANAMIZUKIさん、こちらこそごめんなさい!
一部分の文章だけで勝手に判断してしまい申し訳ありませんでした。
本人は一生懸命頑張ろうとしているのに、何だかうまくいかず・・・
とても胸が痛いです!
親は何とか社会で自立してほしいと願いそれなりの行動をとりますよね。
共通しているのは、叱られて反抗するのではなく、「自分を責める」
というのが息子とも重なります。
辛い事をまた思い出させてしまって本当にごめんなさい。
息子が特別可哀想という考えは捨てたいと思います。
同じように苦しんで寂しい子供達が沢山居るということを認識しました。
再投稿ありがとうございました。
母親が働くのは何も贅沢したい為ではなく、教育にはお金がかかりますよね。
私も小さい時から鍵っ子をさせてしまいましたが、あまり文句も言わず
健気な子供でした。
寂しい思いはいっぱいさせたと思います。
子供の何を一番に考え、何を与えてあげるべきか、もう一度子育てを
やり直したい気持ちです。
でもうまく社会に適応させるのは、相当に難しい問題だったかもしれないと今改めて思っています。
14877 みんくさんへ かえで 2009/12/30 20:06
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
ご主人を亡くした場合と子供では、保護責任という立場、「守ってあげる」
絶対的な存在が親だと思っていますので違いがありますね。
>さっさと逝ってしまった家族へ、残された者の苦しみを
感じて欲しいと願うのは、すさまじい決意で楽になることを
選んだ者へのさらなる追い打ちなのでしょう。
この気持ちはご主人だったら残された家族は当然起こってくる
感情だと思います。
みんくさんの場合は、ご主人なのか息子なのか分からない保護する
立場だったのでとても気持ちが複雑ですね。
第三者だからそう言えるのかもしれませんが、みんくさんがそんなに
自分を責める必要はないように思います。
>潜在的に、死にたい人は生きる事そのものが辛い。
助ける事に限界があるのかもしれません。
そうなのかもしれませんね。
亡くした悲しみで自分を責めてばかりですが、「楽になった」という
考えもない訳ではありません。
気持ちがいつものように揺れ動いて全く定まりませんが
そう思うと少しは気持ちが楽になります。
14878 かえでさま 皆様へ HANAMIZUKI 2009/12/30 20:43
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
>潜在的に、死にたい人は生きる事そのものが辛い。
助ける事に限界があるのかもしれません。<
私もその言葉に少しすくわれます。
いろいろな本に、親の育て方にも原因があると
書かれていますが、本音では、何故こんなことに、と思う部分もあります。
だから、また本を買ってしまいます。そして落ち込みます。
かえでさま お返事うれしかったです。
私はご近所も息子の不幸を知っているので
人の視線がこわい時があります。
悪い事はしていないと思う日もありますが。
ここは、やすらぎです。
14879 あんずさんへ オリーブ 2009/12/31 02:20
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
はじめまして。
お返事ありがとうございます。
あんずさんもお嬢様を・・・
悔しいですね、悲しいですね・・・。
あんずさん、お嬢様をずっと支えてこられたのでしょうね。
我が子も摂食障害や対人恐怖・・・
心を病んで苦しんだ時期があったので
少しはわかるつもりです。
ただ私は理解と認識が足りない母親でしたから・・・。
この場に来ると
何かに気づくことができます。
あんずさん、
とりあえず一歩一歩 歩いていきましょうね。
意味は最後にわかるのかもしれません。
ごめんなさい、色々と書いちゃいました。
どうぞご自愛くださいね。
14880 済みませんでした チコ 2009/12/31 03:53
女性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 西日本
私の書き込みで不愉快な思いをされた方々ごめんない。
私は、逝ってしまった家族も、私自身も最近、言われているACやADHDの
発達障害や人格障害があったのではないかと思っています。
弟は運動は得意でしたが、成績は悪かった。
高校受験に失敗して定時制に通っていました。
当時、私たちが育った小さな町では、私立に行くのは良くない事の様に言われていたし、自分たちもそう思っていました。
なので昼間には通えなかった。
彼は昼間は店の手伝いをしていましたが、最後の学年の夏休みに家出をしました。
近所の友達のところに居ると分かっても、両親は迎えに行きませんでした。理由は分かりません。
見兼ねた伯父(母の兄)が連れ戻し、祖父が関西の知り合いの店に連れて行き、弟子入りさせました。
当時、私は他県で仕事をしていたので後で成り行きを知りました。
弟はその店で義妹と知り合いました。彼女は弟だけを頼りに、故郷から遠い所に嫁入りしましたが、気の毒に20代で未亡人になりました。
両親は従兄妹同士だったので、母は叔母だった姑、長男、従兄妹だった夫をいずれも縊死で亡くしました。
私は母まで自殺してしまいそうで怖かった。
必死で支えたつもりでしたが、あまりの事の重大さに時には逃げ出したい思いでした。
親戚や近所の人から「あなたがしっかりしてるからよかった。」などと言われると益々弱音は吐けません。
トイレとか風呂場で一人になった時、声を殺して泣きました。
「さよならだけが人生さ。」当時も今も自分に言い聞かせています。
私は3人姉弟の長女で、弟たちとは、4歳、10歳と離れているせいか、
「しっかり者の姉」と言う事になってます。
実際は違うのですが…
世間では3人も自殺の者を出した実家の事を「呪われた家」「幽霊屋敷」
と言っているそうです。
親切(?)な人に教えてもらいました。
「言われても仕方ないね。」と答えておきましたが内心…
当時は遺族の会も啓示版もありませんでした。
2006年に車で一時間のところに「自死遺族の会」が立ち上がったと新聞で知りましたが参加するまで1年間悩みました。
そこで知り合った方たちと自死が無くなればいいのにと話ていましたが
今年も3万人超えそうで辛いです。
不愉快な思いをした方たち、本当にすみませんでした。
他意はありませんでした。
お許しください。
14881 こんにちは。 のぶゆき 2009/12/31 13:31
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 東北
弟をなくして7年が過ぎ、最近は読ませていただく一方になっています・・。
故人の続柄や、家庭環境によっての悲しみの違いのようなお話が、最近少し出ているような気がして・・、少し不安に感じるんです・・。
以前、比較的な表現がエスカレートして、場がぎくしゃくした事があったと思い、管理人さんでもないのに偉そうな事を書かせていただきました・・。m(_ _)m
皆様に、少しでも多くの穏やかな時が訪れますよう遠くから祈らせて下さい・・。
14882 息子の顔に似ている HANAMIZUKI 2009/12/31 14:04
女性 / 40歳台 / 子 / 1年以内 / 近畿
世間は忙しい31日、わが家はひっそり紅白を見て、主人と二人の年の瀬です。本年はお世話になりました。
息子の顎はちょうど台形を逆にしたような、カクカクした顎でした。
だれに似たのかなあとよく思ってました。
私が、痩せて輪郭があらわになって、初めて思ったのですが、私の顎は、息子にそっくり。私の中に息子がいる。遺伝子でつながっている。
拝啓、息子へ、そちらも寒いですか。一年無事に過ごしましたよ。
来年も皆様、よろしくお願いします。
14883 チコさんへ かえで 2009/12/31 20:52
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
不愉快な思いなんかしてませんよ、安心してください。
今日は息子の友人が来てくれて長い間話相手になってくれて
少し心が和みました。
ここで沢山弱音を吐いたりしますが、少しづつ穏やかな気持ちに
なればいいなあと思っています。
まだ暫くこの掲示板のお世話になりますので宜しくお願いします。
14884 旧友 non 2010/01/03 18:35
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
年末年始はきつい。やっと正月が終わる。
今日、30年ぶりに北海道からの電話。
30年前に同じ職場にいた友人からです。
今年、息子が亡くなったことを知り、遠くから
電話をくれました。彼女も1才4ヶ月で息子さんを
亡くされています。お通夜で見た小さな手、体、
可愛い顔を思い出しました。彼女は10年くらいは
何をしていたのか記憶にないと言っていました。
それほどに子供を亡くすことは辛いことだと。
がんばれとは言わず、ただ、後を追っては
ならないとだけ言って、電話で一緒に泣いてくれました。
私たちは生かされているとも言いました。
いつか逝くときには、きっと会える、必ず迎えに来てくれる。
私は、今、今日だけ生きると思って生きてます。寝る前には
もう朝は来なくていいとも思って横になります。
そうやっていつしか1年が過ぎました。
彼女と話していて、私もそれを励みに生きてみようと
思いました。そして、息子はきっと今も傍にいるとも
思いました。遠くからの一本の電話。
少し穏やかになれました。
14885 新年 挨拶 夢 かえで 2010/01/04 15:42
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
近所の人と今年初めて会った。
他愛もない会話のあと、「あっ、今年初めてだったね」
「今年も宜しく」と言おうとして止められた。
「お宅亡くなってるので言っちゃいけないよ」と。
「おめでとう」は抜きで挨拶しようとしたのに・・・まあいいか・・・
それにしても「お宅亡くなってるので・・・」改めて言われると堪えた。
「そうか、やっぱり亡くなったんだ」
現実をまた突きつけられる。
親類から息子の幼い日の写真が送られてきた。
初めて見る写真はやっぱり涙が出る。
私は目いっぱい笑って息子はエビと格闘している・・・
まさか21年しか生きられないなんて、この時誰が思っただろう。
正月ずっと家に居ると、寂しくて会いたくて、「夢で会いに来て!」
と遺影に語りかけて眠る。
なかなか寝付けない。
やっとウトウトしたら、カラーでアップの息子の顔。
顔艶もよく血色もいい。笑っている。髪も伸びていて思わず触る。
髪の感触もある。
「**っ!」体に触ろうとしたら目が醒めた。
良かった、元気そうだった。
今度は何か話してね!
14886 成人式 イルカ 2010/01/05 23:01
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
もうすぐ成人式・・・・
苦しい日々が 続いています・・・
あの子が死んだなんて思いたくない・・・
もぅ・・消えたい・・・・・・・・・・
14887 逆戻り non 2010/01/06 19:50
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 西日本
風が冷たいですね。皆さんの所はどうですか?
友だちから電話もらったときは、
少し穏やかになったのに、昨日から
大きく戻ってしまいました。
いつも「**ちゃん」と心で呼びかけたら
「うーん」って返事が聞こえたように
思ったのに、夕べは何も聞こえず
ショックを受けました。そしたら、自分で
コントロールできなくなって、床に
頭を打ち付けたり、傍にあった堅いブラシの柄
で何十回と頭をたたいたりしました。
あの子を死なせたのは、私。
それからは、泣いて泣いてお薬をいつも
より多い目に飲んで
眠ってしまいました。
まだまだ、ここを卒業できません。
14888 このサイトに来るのは1年ぶりです。 キルア 2010/01/07 00:23
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 北海道
久しぶりです。以前イルカさんやnonさんの投稿をよく目にしていました。
コメントはとくに出来ませんでした。あまりにも自分と似ていて何も云えませんでした。 ただ皆さんより少し時間が経過していたのと逝ってしまった息子の4つ上の長女が言ってくれた事、「お母さんが悲しめば悲しむほど逝ってしまった弟はずっと「母さんゴメンって思って苦しくなるんだよ」だから生きてる自分達はこれ以上彼を苦しめちゃいけない
」って言われました。
とても難しい事だけど自責の想いは続いてますが、自分1人だけが苦しいのではないし、何よりあの子に「自分のせいでみんなが泣いている」とは思って欲しくないので・・・
彼の存在を今も感じながら楽しかった事をよく皆で思い出し語っています。
1つ気がかりなのは、弟がまだ11歳で事情を知らせていない事です。
当時小学2年の息子には、突然死というふうに教えていましたから・・
14889 旅立ち ひまわり 2010/01/07 10:52
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
冬の朝は空港の旅客機の離陸音がよく聞こえてきます。
轟音ではなく、低くうなるような音。冷たい朝の空気に乗って、私の
耳に届きます。その音を聞いていると、離陸から旅立ちを連想します。
そして、何も言わずに旅立ってしまった娘の事を思ってしまいます。
離陸音が、遠くからで、そして低い音なので、よけいにじわじわと
私の心の中に入ってくる・・・
こんな、日常の些細な事から、いろんなことを連想し、娘へと繋げてしまい、涙ぐむ毎日です。
14890 現実 あーちゃん 2010/01/07 15:18
女性 / 30歳台 / 夫 / 2ヶ月以内 / 近畿
いつものように生活していてもふとあなたのことを思い出します。あなたにもう2度と会えないんだと思うと、胸が苦しくなります。
考えないようにしようと思うのにダメです。苦しくて仕方がなくて、死んで楽になりたいとさえ思ってしまいます。
でも、私には死ぬ勇気もない。私と同じ苦しみを他の人にさせてはいけない。心の中で葛藤しています。この、苦しみはいつまで続くのでしょう?まだ何年も苦しまないといけないのでしょうか?
誰にもこの苦しみを話すことができません。友達にもまだあなたが逝ってしまったことを伝えていません。
あなたが、亡くなったことを言ってしまうとあなたがこの世から居なくなった現実が自分に突きつけられる気がするからです。夢であって欲しい、いつかふと私の前に現れるのではないかと思いたいのです。
まだまだ、私はあなたと向き合うことができません。
私も早く楽になりたい。いつになったらあなたに会えるのでしょうね。
14891 1通の はがき イルカ 2010/01/07 18:05
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
驚きました・・・
亡き息子の字の、1通のはがきが郵送されてきました・・・。
一瞬、何が何だかわからなかったんですが、
それは、息子が小学校時代に学校で書かされたであろう20歳の自分宛ての はがき。
小学生の頃の写真入りの はがき。
当時の小学校の先生が
成人式に向けて送ってくれた はがき。
絶句です・・・・。
あの子は もう 死んでる・・・。
現実を直視しました・・・。
懐かしい息子の字に号泣です・・・・。
成人式。。。
喜ばしいはずの はがきが・・・
こんな つらく苦しい悲しい はがきになって・・
届いた日・・・・・。
14892 愛する者は現存する 藻 2010/01/07 22:12
女性 / 60歳台 / 子 / 5年以内 / 日本国内
イルカ様
お葉書が届けられて衝撃をお受けになられ、そのお気持ちの深さを想像し、私は震えております。でも、どうか大切に保管されますように!とまず申し上げたくて筆をとりました。今の激情はどうであれ、きっと時間がたつにつれて、それはかけないのない遺品になるはずと思われます。
私は息子を22歳で亡くしましたが、遺品を整理したとき、家庭学習として中学時代に書写したノートに、今は癒されています。息子の服やバックを着たり、使ったりして、一緒にいる気持ちになります。確かに私は生んだのだ、懸命に育てたのだ、一緒に生きたんだぞという事実や歴史は、遺されたものが記憶している限りにおいて、生物的な命とは別の次元の「存在」があると、現存するのだとお伝えしたい。科学的な証明を超えた、当事者には感じられる愛する者の存在が、確かにあるのです。我々が、いかなる苦悩や悲しみに襲われても、死者の現存を信じる、感じる、そういうものが遺されたものの生き続けられるエネルギーとして燃焼されています。
僭越なことを書いてしまったかと恐れていますが、イルカさんの驚愕を一緒に抱きしめています。
管理人様のご判断で削除の対象であれば、削除してください。
14893 大海原 みんく 2010/01/07 23:42
女性 / 40歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
あーちゃん様
ここは、大海原の海。
突然の嵐にあい、乗っていた船は
船長と共に、海の底に沈んでしまいました。
乗組員は、命からがら手漕ぎボートに乗移り、
ぷかぷかと海を漂っています。
暗い夜は狂おしい程、怖ろしい。
泣いても叫んでも、誰も返事をしてくれません。
寒くても、誰も抱きしめてくれません。
夜が明けるのをじっと耐えて待ちます。
どこに向かって漕いでいるのか、見当もつかない。
海は大波小波の連続。
漕げども漕げども岸にたどり着けません。
漕ぐ事に疲れたら何にもしないで、波と流れに身を
まかせます。
……そんな日々が、やがて半年過ぎようとしています。
相変わらず、色んな事が頭と心を支配します。
「生きなければ…」
それだけは、自覚してきたような気がしています。
14894 何故、いまさら、ここに かわせみ 2010/01/08 00:09
女性 / 50歳台 / 夫 / 20年以上 / 東北
多くの方は、まだ悪夢のようなところにいて、必死に、恐ろしい愛する者との死の絶望の中で、死よりも息苦しい感覚にいると、自分は、少なくても、食べることにすら罪悪感を感じていた時期をも、過ぎたのに、ここをたずねてしまうのか。かつて、亡くして間もないころ、ある品の良い、主人の知人夫婦がお線香を挙げに来てくださって、「私たちも、子供を亡くしたんです。つらいでしょうが、逆縁は、もっと辛くて・・・どうか、立ち直って下さい。」と言って下さっても、辛いに、もっと辛いとかいう慰めって少しも救われないよ、と思いました。それに比べれば、なんて、どんな死にもいえない。私は、いつも、失ってから、はじめて大切さに気づく人間ですから。どんな慰めも癒しも、絵空事みたいだった。三年は、遠近感も無い自分と外界は、パネルのようなものに隔たっている、歩いてもふわふわしてたよりない感覚しかなかった。色も音楽も季節も、絵空事、それが、自分と何の関係あるのと感じていた。今でも、あの愛しい人が、何故、自死したのか、あれはどんな無慈悲な悪夢なのか、認識はしていても、眩暈するんです。笑うことも、時間の感覚も、取り戻したのに。今、そんなところにいる、誰かを思うと、あなたの命を、おろそかにしないで、少しでも、自分を、その
痛みから、救ってやってと思います。もう十分に傷つき自分の死よりも
悲しいものを知ることほどの苦しみはないです。
14895 イルカさんへ のぶゆき 2010/01/08 09:37
男性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 東北
イルカさん、はじめまして。
私は7年前に弟をなくしたものです。
イルカさんの、「もぅ・・、消えたい・・・」、
がとても気になっていました・・。
そして、続けて・・、思いもよらぬハガキのお話に・・、
どんなに動揺されたか・・・、どんなにお辛かったか・・・、
と胸が痛みました・・。
立場も違う他人の私がショックを受けても仕方がないのですが・・、
それ故、イルカさんの事が心配で、つい書き込んでしまいました・・。
お気を悪くされたとしたら・・、謝ります。
どうぞ、ご慈愛下さい。
14896 タイムカプセル オリーブ 2010/01/08 11:40
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
イルカさん・・・
胸中を察するとかける言葉もみつかりません。
目をつぶり、耳をふさぎ、
世の何もかもを敵にまわしたかのように心にガードをし、
悔しくて、ただただ悔しくて・・・
成人式。
そんなもの、いらない・・・
二十歳で旅立った長女は
その後数ヶ月で成人式でした。
そして、届いたタイムカプセル・・・
はたちの自分に宛てた手紙。
そして私が成人となった娘にあてた手紙。
一本のカセットテープ。
いったいこれは何なの?
あの時は自分のはたちがこんなことになっているなんて
思いもしなかっただろうに。
かわいそうで、かわいそうで・・・
私だってこんな形でタイムカプセルを・・・
カセットテープには何が吹き込まれているのか、
未だに聴くことができません。
よくある子供のころの思い出づくりの行事。
残酷です・・・。
14897 別れの日 オリーブ 2010/01/08 12:09
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 東日本
たて続けにすみません。
なんだか、色々思い出しています。
私と娘の最後は空港でした。
自分のマンションに帰る日・・・
なぜか父親と写真をとり、
「次、ハハともとるよ〜」と私ともとり・・・
どちらもピースサインで満面の笑顔で。
待合室でよちよち歩きの子どもがお母さんと間違えたのか、
自分の膝元につかまってきた時にみせた
あのびっくりしたような笑顔。
私のすぐ横で笑っていた娘。
荷物検査ぎりぎりまでついて行こうとしている私に
「どこまでついてくるのよ〜」とふざけた娘。
最後振り向いてやっぱり笑顔で手を振り・・・
そして見送った後ろ姿・・・最後の姿・・・
秋晴れの朝
いつもはしないのに、デッキにでて
小さくなる飛行機を見つめていた夫と私・・・
そして数日後のことでした。
覚悟をしていたのか、
それでも、もう少し頑張ってみようと思いなおしていたのか・・・
笑顔をみせていってしまったあの子の気持ちを思うと
何もしてやらなかった自分の愚かさにどうしようもなくなります。
何もかも忘れられない。
どの一瞬も忘れられない。
14898 皆さまへ しずく 2010/01/08 20:39
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 関東
会いたい!
会いたい!
そう思うと、溢れ出す涙を止められないほどに、会いたいですね・・・
お墓に会いに行くんじゃなくて、生きてる娘に会いたいです。
自死しなくとも、記憶喪失、痴呆、発狂・・・
そんなふうになってしまえば、この激しい痛みから解放される。
でも、この激しい痛みこそが娘への愛だから、やっぱり解放されなくてもいいです。
泣きながら、思い出を慈しみながら、供養していきます。
世の中や他人様のお役に立つような生き方はもう出来ないかもしれませんが、
家族の世話と娘の供養だけしていく人生でもいいかな・・・と思います。
娘が生きてる時はあまり優しいお母さんじゃなかったから、なるべく優しい気持ちで娘の魂を抱いていたい。
そうやって暮らしていけば、数十年後にはこんな母を許してくれて、ちゃんと迎えに来てくれるでしょうか・・・
心からの笑顔で、「ママ!」って笑いかけてくれるでしょうか・・・
その時の娘は20歳の姿だから、その時の私も娘とお別れした47歳の姿まで戻って、手を繋いで歩いていきたいなぁ。
3ヵ月以内から6ヵ月以内に変わったのが寂しくて、ここの掲示板はほんの少しご無沙汰してしまいました。
14899 体は大丈夫? かえで 2010/01/08 21:25
女性 / 50歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 西日本
親類や友人から、私の体を心配してよくそう聞かれます。
体は大丈夫だけど、これからずっと息子に会えない、話せない現実は
重すぎて、現実から目をそらせようと体や心が防衛してる感じがします。
遺影はもうずっと同じ場所にあるので、見てもどうにか心臓がバクバクすることはなくなりました。
でも違う写真を見てしまうともうダメです。
家にいる時より、職場で暗室に入ったりした瞬間にリアルに息子を思いだし
「亡くなってしまった」現実に直面しなければなりません。
苦しい痛みの瞬間を味わいながら
それでも何でもなかったように仕事をこなす。
なんでどうして? 私の人生って・・・
もう後戻りはできない。
あの頃には帰れない。
生きる気力は沸かないけど、責任感だけでガムシャラに動いて
グッタリ疲れる毎日。
どうして人は、私の体調を聞くんだろう?
体調じゃなく気持ちが最悪なのに・・・
胸に鉛が重くのしかかりそうな時は、「しっかりしなくちゃ」と
食べ物に手を出す。
暫く喉も通らなかったから、精神状態は好転したといえるのだろうか?
いつか爆発しそうで怖い。
14900 無題・・・ イルカ 2010/01/09 14:42
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 近畿
藻さん、のぶゆきさん、オリーブさん。。。。
何度も読み返しては 号泣しながらも
私より 先を歩まれてる人の言葉は
本当に心に響きます・・・。
ありがとうございます・・・。
昨日、病院で点滴をしてきました・・。
ほとんど 食事が取れてないので・・・
ちょっと精神状態が不安定です・・・。
仕方ないですよね・・・
こんな 恐ろしく哀しい事態になってしまったんだから・・・
パートナーでも
兄弟姉妹でも
両親でも
子供でも・・・・・・・
亡くした形が【自死】という現実を
みんな、抱えながら
必死に生きていらっしゃる。。。
支離滅裂な文章 ごめんなさい・・・
お声を掛けてくださった皆様に 感謝いたします・・・
本当に ありがとう。。。。