5701 keikoさん さっこ 2003/05/28 09:13
女性 / 40歳台 / 婚約者 / 2ヶ月以内 / 関東
アモキサピンはてんかんなどのある
人にはだせないんですよね。
彼は昔癲癇をしていて、きちんとDrにも話してあったのに・・・。
なのに処方され、私は彼に服用を止める様に言ったんです。
けれど、「Drが大丈夫と言ったから」と飲んでいて・・・。
そんなDr信じられず、私は翌日も会う約束していたから、友達も交えて皆で食事する事になっていたから、その時に「病院変えよう」と言うことを決めて彼と夜別れたの。なのに、約束の日の朝、彼は一人で遠くに逝ってしまった。
私が躊躇わず、その場で「他の病院に変えましょう」と言って連れていけば・・・。私の一瞬の躊躇いが彼を救うチャンスを逃した気がして・・・。遺された6歳の彼の息子にごめんねしか言えない。この間、彼の家に行ったら、いつもの様に「あっ!お父さんのお姉ちゃんだぁ!」と言って私にバタバタと近寄ってくれた可愛い息子。一緒に育てて行こうと約束したのに、私はもう手元で一緒に育てて暮らす事出来なくて。今はおじいちゃん達といつも通りの暮らしをはじめている。幸せに今のまま素直で優しいお父さんの様な男になって欲しいと思っています。


5702 現在のお薬などのお話しについては leeron 2003/05/28 10:57
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
かなり突っ込んだ形になっていますので、

「医療のあり方掲示板」
↓ここをクリックしてください。
http://bbs8.otd.co.jp/aoisora11/bbs_plain

で続けていただけますと、幸いです。

現在、服用中の方もいらっしゃいますし、
その方が、ドクターと良い関係を築いていらっしゃる場合は、
無用の動揺を誘うことになりますので。

私も、躁転の傾向ありということで
(ある意味では上手く調整すれば治癒に近くなる)、
ドクターと話をし、薬の調整を慎重に計っています。

keikoさんのおっしゃるとおり、医師ときちんとお話しをし、
説明を受けることが、基本的に大切です。
それが難しい場合は、普段の状況などを小さな事でも
気になったらメモするなどして、
読んでもらうなどの方法が有効です。

どうしても、はかばかしい説明が受けられない場合は、
お医者さんをかえることも選択肢のうちと思っています。

・・・・・・・・・・・・・
すずかさん、さっこさんの場合は、医師の姿勢も含め問題があると思います。
本当に残念で、憤りを私も感じます。
ですから、ここでお書きになったこと自体は、お気になさらないでください。

パセリさん。アモキサンについて、ご不安をお持ちになられたようですが、
「元気」の基準がこの場合は違うと思えます。
私も服用していました。私の場合はイライラするなどの症状がでて、
2週間で、他の薬に変えてもらいましたが、
アモキサンは他の抗うつ剤に比べて、
効き始めるのが5から7日(他のものは2週間)と早いため、
治療の初期に少量から始め、まず「辛い気持ち」を軽減するために
投与されることが多いようです。

そのため、逆にイライラするなどの症状がでたりしますし、
「元気になった」という気持ちになれることが多いようですが、
それがご不安なら、一度ドクターにご相談されるとよいと思います。

・・・・・・・・・・・・・
すいません。少しつっけんどんな書き込みになってしまいました。



5703 応援してます! さくら 2003/05/28 12:14
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 中部
angel☆keiさん、第2次面接がんばってくださいね。もう、終わっちゃたかな・・・・。


5704 kokoさんへ 皆さまへ keiko 2003/05/28 12:40
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
恥ずかしい話ですが、
夫の平安と感謝の心は、結局は、私の平安と感謝の為に必要なんです。
でも、私の努力は、少しでも彼を前向きにしてくれれば、報われたことになります。今、彼は、これまでの自分のあまりにも勝手すぎた、愚かしい行き方をほんの少しずつ、変えようと努力していると思います。
小さなことですが、彼が、あれほど嫌っていた「ありがとう」という言葉を、口にできるようになっています。娘が、何かに対して「ありがとう」って、言うたびに、「気持ち悪いから言うな!」って、言ってた人でした。
そして、家にいる間ずっと面白がってた、2チャンネルっていうサイトの悪口の羅列を、開かなくなりました。
今のような夫だったら、娘は彼の娘であることを苦しまなかったのにと、娘にも夫にも、言いようのない辛さ、悲しさを感じます。
でも、向き合って、生きます。
夫が、毎晩ビールの大瓶で晩酌して、それから精神科の薬を飲むようなことを、やめられなかったので、私はずいぶん薬に神経質になっていました。薬剤師さんに、厳しく言ってもらった後でも、週末だけは、大瓶1本飲んでいます。きつい睡眠薬を2倍量出してもらってるのにと、心配です。
向き合って、心配を穏やかに伝えて、受け入れられるような状況に、彼が変化してきてくれているのが、救いです。直前に大荒れのあった後の、この数日の平安です。彼も、何とかしなければと、思ってくれてるように思えてきました。他の成人病の方も生活習慣の改善で好転してくれると嬉しいです。

お薬の話、気になった方、あったらごめんなさい。



5705 場を乱しました。 カッレ 2003/05/28 13:15
男性 / 40歳台 / 兄 / 10年以内 / 九州
様々な状況の中で切迫した心境にある皆さんに、配慮が至らなかったことをお詫びします。投稿したタイミングも悪かったのでは(と少し自分も慰めつつ)、でも本当にすいませんでした。
Liebeさん、とっても苦しい中、ご両親の状況を教えていただきありがとうございます。私も7年以上が経過していますが、時が癒してくれた傷とむしろ複雑化しより酷くなってしまった傷があります。この場の皆さんとの対話の中で、良い方向が導き出される事を願っています。
Meipapaさん、私は兄が逝ってしまった時、両親(特に母)の事が一番心配でした。その心の痛みはとても想像できないものだと思いました。父は兄の持ち物(特に書物やノート)を淡々と整理することに没頭しているようでした。母はアルバムを見返したり、孫の世話をしている間は良いものの、机の中をかき回したり、PCの中を私に開いて見せろとせがんだりしている時は取り乱しがちでした。何とか母に後追いをされることもなく、父母の間に亀裂が生じることもなく今に至っていますが、未だ納骨もせずに実家に置かれている兄の遺骨を見るたびに、両親の心の痛みは癒えた訳ではないと思わされます。
こんな中で、私本人の夫婦関係が思わしくないのが、情けない事実です。きっかけは、子供の葬儀のやり方や何かだったんです。淡々と取り仕切った姿が妻には薄情に映っていたことと思います。私としては、Meipapaさんのご夫婦が分かり合い協力しあいながら過ごされることを心から祈っております(そうできなかった自分を反省しつつ)。
Kokoさん(Kokoさんの傷を掻きむしってしまいました。すいません)、いづみさん、管理人さん、お気遣いありがとうございました。重ねて、すいません。


5706 カッレさん、keikoさん、さくらさん leeron 2003/05/28 15:19
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
カッレさん。

そんなに謝られることはないのです。お気持ちはよく分かりますもの。
みなさんもそうだと思いますよ。
ただ、それぞれの立場で、話されたということです。
こうして、少しずつ、解きほぐされていくものはあるはずです。

・・・・・・・・・・・・・
keikoさん。

ご主人の変化。私は嬉しく感じています。
少しずつ、少しずつですね。
まず、ご自身の平安のために。
それが、一番肝腎なことと思います。

お薬のことに関しては、少し必要以上に不安を感じる
方向に流れそうな感じがあったので、
余計なこととは思いながら、口を挟ませていただいた次第です。

keikoさんの、客観的で冷静な見方は、本当にありがたいことです。
多分、安心された方多いと思います。

ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・
さくらさん。

angel☆keiさん。嬉しいと思います。
いつもありがとう。


5707 さくらさんへ angel☆kei 2003/05/28 18:03
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
応援ありがとう。
受かっているといいなと思いますが…。
(こればかりは自分で決められないので…。)

お薬のことに関してはお医者様と相談するのも大切ですが、出してもらった薬局でも相談は受け付けてくれます。

パキシル自体は一番軽い症状に対して出す薬だそうで、あまり体に負担はかからないというお話でした。

ほかの薬も飲んでいたのでお薬に関しては念には念を入れてお医者様と十分相談して出してもらいました。

心配なら処方してもらった薬局や病院の薬剤師さんに相談してみたらいかがでしょうか?

人によってもすごく効く人・ぜんぜん効かない人もいるようですから、これは軽いというお医者様の言葉を鵜呑みにせず、相談してみることも大切なのかもしれませんね。

皆様、くれぐれも無理なさらないように…。


5708 気にしないでください Liebe 2003/05/28 18:44
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
カッレさん、謝らなくていいんですよ。
色々な話題や思いが交錯して綴られていって、
それでいいんだと思います。

私も辛いときに辛いと言わせていただいて、
わがまましました。

それをご負担に思わないでください。
それぞれができること、書けることを書いているんだと
思ってください。
私こそ取り乱してしまって、すみませんでした。

自分のことも整理つかないくせに、
keikoさんとご主人のこと、
meipapaさんのこと、
いつもどうなさっているかと
考えています。

少しずつの変化に、ほっとしたり、また気になったり
まだ書き込みをするパワーがなくて沈黙してますが、
ずっと見ています。
役立たずですが、ここにも一人聞き手がいること、
お知らせしておきますね。



5709 ごぶさたしております いしか1 2003/05/28 22:07
男性 / 30歳台 / 婚約者 / 2ヶ月以内 / 関東
> 覚えていただいてますか?
確かメールアドレスはhではじまってる携帯電話のものですよね
私は今携帯のアドレスを指定着信にしてしまったので受信できない
状態です、もし送っていただいてたらすいません。

退院されたようで、、よかったですね
とりいそぎ御連絡まで



5710 さっこさんへ すずか 2003/05/29 00:06
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 関東
お返事ありがとうございます。
医療の掲示板にいろいろ書き込んでます。
ちょっと、自分のことばかり一方的に書いているのですが、そちらで、お話できたらと思います。

leeronさん
すみませんです。お騒がせしました。

みなさま
本当に自死遺族と一言でまとめられないくらい、いろいろな立場と思いがあるのですよね。
私は自分でも嫌なやつだなーと思いつつ、「自分が先、人は後」というスタンスで今日までやってきました。息子にもそう言ってるので、かなり、特殊教育かも。だから、ここの皆さんが非常に優しいので、何でそういう風に言葉をかけられるのだろうと思ったりしてます。そのうち、余裕ができたら「自分も、人も」くらいにはなれるだろうか、などと思いつつ過ごしてますが、夫の自死以前も私ってこんなやつだったかもしれないなーー?


5711 6月もまじかに つんしゃん 2003/05/29 00:13
男性 / 50歳台 / 子 / 3年以内 / 近畿
今日の大阪はとても暑かったですね。
そして東北地方で地震に遭われた方お見舞い申しあげます。
関西に住んでいると「地震」というとどうしても阪神大震災が脳裏を
かすめます。それはそれで息子の死とは違った悲しみがありました。

新しい方も沢山いて一人一人にお声をかけられないのが残念ですが
3年前に20歳の息子を亡くしました。思い余って咄嗟の行動でした。
親として何もできなかったと自責の念を持つのは他の方と同じですが
今は普通の暮らしをしている<様>に見えると思います。

>meipapaさん
私もHNはつんしゃんですが別名「MJ@papa」でpapa仲間です。
娘さんを亡くされてまだあまり時間が経っていないので気持ちの整理
どころではないことはよくわかります。
私は息子の死後は自分のホームページに思いを書き綴りました。
今はこんな素敵な掲示板があるので思いっきり書き込んでください。
いろんな境遇の方々がきっと支えてくれると思います。


さて自死遺族の会(大阪)のお知らせです。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

6月7日(土)午後2時から5時まで大阪の自殺防止センタ主催で「自死遺族の会」が開かれます。
この掲示板で悲しみを語り合うのと同じように胸の内を話ができる数少ない場所です。
青い空の会 TOKY0と同じような趣旨でボランティアの方が進行役です。

自死遺族の会が終わってから軽く食事会もしています。3時間は短すぎて話ができない方や
皆さんの前では話しにくい方などが少人数で話せる機会でもあります。

開催場所は大阪・島之内教会ですが初めての方のためにホテルで待ち合わせして行くようにしています。
詳細については小生までメールを下さい。開催日当日の参加、ドタキャンも自由です。

cunshang@kcat.zaq.ne.jp

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


5712 絶対に娘を忘れないために、生きる! keiko 2003/05/29 00:45
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
今日は、午前中が特にお天気が良くて、
青い空を存分に楽しめました。
私は、青い空そのものが、昔から大好きだったし……

お昼の抗不安薬をスキップしたくらいです。

午後は、少しかすみがかかったみたいな晴れ方に変わったけど、
逆にそのおかげで、昨日と同じ真ん丸い夕陽がくっきりと見えた。
今日は、少し余裕があったので、数珠まで取り出して、
娘のいるはずの西の空の光を拝みました。

私は、絶対に忘れません。
忘れないために生きたいと決めたから。
初七日の頃は、生きることが辛かった。
母がいて、父がいて、だから生きなきゃって、
そう思って、少しずつ食事をするようになっていったものです。

田舎の、あぜ道のレンゲを見て、キンポウゲを見て、
青い空の美しさを見て、
それでも、すべてが空しく悲しくて、
このまま、楽になれるなら……
ふっと居なくなれたら……
そう漠然と感じている自分を自覚していました。

でも、台所で私のために必死で何かを食べさせようと調理してくれる、
小さな母の肩を抱いて、同じ悲しみを味合せはしないからねって、
泣きじゃくる母に、言いました。
自分に言い聞かせました。

今は、もう一つの理由もあります。
しばらくして見つけた、娘の中学時代に遺したメモの中に、
「生きた証が欲しい」と言う言葉を見たからです。
12歳や13歳の子供が書くべきことではない。
でも、そう書いて在りました。
より良く強く正しく生きたくて、
それがかなわない自分の現実を悲観して、苦しんだ。
そんな娘の生きてた20年の時間を忘れないで、
一日でも長く、姪たちの心にも、とどめておいて欲しいから、
私は、生きたいのです。
忘れない。絶対に。無邪気だった、優しかった、明るかったあなたを。
そうして、娘と時間を共有していたすべての人たちの記憶にも、
生き生きとした笑顔で、常に前向きに、ひたむきに生きた娘を、
記憶しておいて欲しいのです。

娘の大学のサークルのお友達が送ってくれた手紙に、
忘れ去られることは2度目の死であると、
そして、自分は絶対に忘れないと、
そう書いてくれていました。

meipapaさん、
楽しかった頃の写真、
幼かった日々の笑顔いっぱいを、きれいなフレームに入れて、
あちこちに置いています。
目を上げると笑顔が見えるように。
そうして、語りかけています。
今の我が家には、娘の好きだった食べ物や、
きれいな季節の花が絶えません。

果物、トマトとかも、いつもお供えのお下がりを食べています。
何度も何度も話し掛けて、
最後はいつも同じ答えに行きつくようになりました。
「あの子が、望んで、決めたことなら、受け容れるしかない。」
親としての私の人生を、考えることもしなかったくらい当然のように、
あの子の存在が支えてくれていました。
あの子のために、家族としての夫を受け容れていました。

でも、あの子の人生は、あの子のものでした。
私のためにではなく、父親のためにでもなく、
祖父母のためにでもなく、あの子は生まれ、生きてきた。
色んな喜びを与えてくれました。
別れが、突然で、
方法があまりにも衝撃的だったので、
自責の念を私たち一人一人に遺すものとなりましたが、
それは、娘の本意ではなかったと思います。
娘は、休みたかった。
安らかな永遠を欲しかった。
それで、その、どこかに在るユートピアに向けて旅立った。
私は、青い空の彼方の、しかも、中国の更に西の方と、決め込んでいます。
にわか信者のお経は、果たして届くのかわかりません。
でも、辛い時、苦しい時には、車の窓を締め切って、
怒鳴るような大音量で般若心経を何回となく唱えてます。
さすがに、信号待ちのときに周囲が気味悪いだろうし。
おかげで、今年は、車のエアコン早くから使う羽目になっています。



5713 ふつうの暮らしですか meipapa 2003/05/29 10:44
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
つんしゃんさん同じpapa仲間ですね。
私のmeipapaはメイという犬のシーズの名前からきてます。
娘はHNをyuiyuiとかyuici(ゆいっち)とかつけてました。
このyuiはこれまたユイというシーズの名前です。
娘が1ヶ月の子犬のときから育て寝食をともにしたメスのシーズです。
今は8歳です。メイはオスでいま9歳です。
この二匹に支えられたこともしばしばあり、家族です。
この子(ユイ)と一緒にいた時代、家族は仲良く笑いの耐えない
そんな家族でした。でも娘が一人暮らしを始め(勤務地に近いことが理由?)
ユイとは離れ、たまの実家への帰省(月に一度か二度だんだん少なくなった)では本当に仲良くやってたのに・・・自由な生活のためか羽目をはずすことが多くなり、最後は未遂で強制収用したわけです。
それから1年と5ヶ月が過ぎた5月10日今度は完遂してしまったのです。
まだまだ冷静に判断できませんが、何故の一言です。
人生にリセットボタンがあればあの子は救えたのに・・・
それは全ての人が思うこと、
今は普通の暮らしとはなにかわかりません。
家族全員がいることが普通で、それでよかった、なにもそれ以上
望んでなかった。
喧嘩もしてお互い言いたいことを言って、黙り、怒り、泣き、
喜ぶ、それが普通なのかな・・・普通ということは
普段その中にいると実感しない、普通じゃなくなると
それの重要性に気づく、なんて愚かなことかと、今は思う。
この今が永遠に続くのじゃないかと、
真っ暗闇のトンネルの入り口に立ち後ろばかり振り返る自分がここにいる。
このトンネルは引き返せない一方通行、
娘が明るい光を与えてくれたら生きていけそう・・・と
一生懸命さがしています。

たのをきっかけに



5714 娘は自由人 meipapa 2003/05/29 11:17
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
keikoさんの言うとおりです。
娘は自分で選んだんです・・・
でもね・・・「もし目が覚めたらやり直す」と書いてあるんです。
この意味が理解できない、半端な量じゃないんです、
目が覚めるはずないんです、ご飯の量より多いぐらいですよ、
2,3日ぐっすり寝たいとWEB日記には書いてあるんです。
どう判断したらいいのでしょうかね、それでも自分の選んだ道でしょうか、
あの子のWEB日記では、生きてるその前日までは想像つかない馬鹿ぶりで、
だれもが絶句してました。
明るさの影になにかあること、それがわかりさえすれば・・・
私も忘れることはできないでしょう、
あの子が生きた証はと考えると・・・なにも出来ない
馬鹿な親であり、自分の子供をこの世から消し去った罪は
とても償えるものでもないし・・・
ごめんなさい、暗くなりすぎですね。
もう仕方ない過ぎたことは、あの子に私たちは生かされてる、
そう思って生きていきたいです。






5715 だいぶん前のことになりますが・・・ うーりん 2003/05/29 11:30
男性 / 30歳台 / 父 / 20年以上 / 関東
17歳、高校2年の時、首を吊っている父を私は見つけました。   あれから20年の歳月が流れましたが、そのときのショックが    心の中でず〜っと尾を引いているような気がします。
子供だった私はどうしていいのか分からず、ただ呆然としてしまった
のだと思います。声もかけました。それから思いつく限りの所
へ電話しました。                        でも救急車は呼びませんでした。
それが今でも少し心残りになっています。
というのも検死の結果、死亡推定時刻が私の帰宅する数分前だったからです。
こんなこと今更私が思い返したって何がどうなるわけではありませんが、ふと思い出してしまいます。

それから約10年後、父の姉、伯母さんがやはり自ら命を絶ってしまいました。父の母、祖母も父が小さい時に満州で自死したそうです。
そういうのって遺伝するのかな?とも思いました。
今私は、仕事や人間関係において、あまり無理して頑張らないように
しています。妙な我慢もしないようにしています。
本も沢山読みました。旅にも出ました。少しはおとなにもなりました。

なにごともほどほどがイチバンだと思います。

唐突な書き込みですいませんでした。


5716 あのね… だいまゆ 2003/05/29 15:44
女性 / 30歳台 / 兄 / 1年以内 / 近畿
あのね、お兄ちゃんが亡くなった時あまりにもショックで
悲しくて、あの日から心が凍り付いてしまったみたい。

旦那の母代わりであったおばあさんが亡くなっても
ちっとも悲しくないんだ。
お兄ちゃんが亡くなった時に「親不孝もんな息子じゃ」とか
いっぱい辛い言葉を浴びせられたからかな?
心のどこかで恨んでるのか、全然悲しくないんだ。

式の時も初七日もみんなが大宴会してるのを見て
「どうしてみんな笑ってるんだろ?」って一人でぼんやり
してる。お兄ちゃんの時はそれはそれは悲しい辛い
告別式だった。法要の度に身を削られるような感覚だった。
人間90近くまで生きると、死んじゃっても大往生と
言われてめでたいとされるんだね。
田舎だから毎晩村人が来て宴会をする。
もう人に会うのが辛いよ。
人間不信にまた陥っちゃったよ。

四十九日まで村人たちはやってきて、般若心境やご詠歌を
唱えるんだって。そうやって亡き人があの世に旅立つのに
迷わないようにするんだって。うちは無宗教だから
お兄ちゃんには何もしてあげてなかったな。
無事に天国に着きましたか?



5717 何よりも尊い想い…。 angel☆kei 2003/05/29 18:29
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
主人と結婚して14年間お寺の奥さんをしていた私。

「お経をあげる事も尊く大切なことかも知れないけど、一番尊いものは相手を想う気持ちなんだ」って言ってたっけ。

確かに彼はお葬式が終わって精進落としに出かけるとご機嫌よく帰ってきたりご機嫌ななめで帰ってきたり…。

よく、夜飲んでると彼がこんな話をしてたっけ…。

送ってあげる人がその人を想って送るか、想わないで送るかで価値は変わるんだよ。
亡くなった後もその人を想ってあげることができるかでその人が尊いものに変わるんだ。

その人がいなくなってしまってこの話を思い出したって言うことは彼は天国で「あいつ今頃気づくなんて…バカじゃん」なんて言ってるんでしょうね。

私は地上から…
「私たちを置いて一人で逝っちゃうなんて…本当にバカじゃん」
               
そう言ってもバチあたらないよね。


5718 三本足 小僧 2003/05/29 22:00
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
昨日、犬の散骨をしてきました。大好きだった山の草原に。
職場の人に、「犬は雑菌だらけで、生態系を崩すから山に入れてはいけない。」と言われてちょっと傷ついたんですけど、でも、自然のものは自然に帰したいと思いました。人は山に入って良くて、犬は良くないとしたら、車で街を汚す人間は偉いのかなあと思いました。まあ、この論議はするつもりがないのですけど。「今までありがとう。また会おう。」と号泣しながら言ってきました。

そしたら、今朝、夢枕に足だけ(^^;現れて、しかも3本足で、(撒き方が悪かったのかな??)枕もとで「お座り」をしてました。お別れは寂しくて何度も未遂で終わったりしたけれど、ようやく自由になったのかな?と思ってほっとしました。体というものから離れていつも遊びにいけるようになったのかもしれないなと思いました。犬という形で生きた彼女もまたひとつの命でした。


友達のお母さんから立派なとりたてのほうれん草を頂きました。おひたしにして食べるととても甘い。規格外よ〜っと笑っていたけど、無農薬の規格外は命がぴんぴんとして「いただいているのだ。」と自然に感謝できました。
小僧もぱさぱさの荒地の庭に唐辛子とゴーヤを植えてみました。流行りの立派な畑作りなんて無理ですけど、自分なりに見つめていきたいと思ってます。

ばくさん、こんな話ですが、読んでくださってありがとうございます。

ではまた

小僧でした。



5719 うーりんさんへ keiko 2003/05/29 22:19
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
最近でこそ、遺された人々を支えるシステムを呼びかけられるようになり、
私たちのような形で大切な人との別れを余儀なくされた人たちへの、精神面でのサポートの重要性を聞くようになりましたが、それはほんの最近のことですよね。つまり、ほんの少し前までは、こんなコンピューターによる自助グループもなかったわけです。そんな中では、生きていくこと自体が、本当に辛く、大変だったと思います。

今でこそ心療内科というなんだかくぐりやすい看板ですけど、どんなに辛くても、精神科・神経科に救いを求める人は少なかったと思います。
お父様も、そのお姉様も、また、特に内地を離れ満州でなくなられた方々も、本当に辛い時期を過ごされたことでしょう。

その連鎖は、決して遺伝によるものとかではないと信じます。

適切な情報と、医療と、周囲の理解、そして、自助グループのネットワークの広がりで、つらい悲しみの鎖を断ち切るようにできる社会だといいですね。

不登校や、引きこもりが、誰にでも起こりうると、文部科学省は認め発表しています。うつ病もまた、誰にでも起こりうると、最近は報道されています。
毎年30000人以上が自ら世を去り、その半数は様々な原因(老人性・更年期性・心的外傷性他)によるうつ病だとされていますよね。
身内の他界は、大きな心的ダメージですから、お互い大事にしましょうね。

私も、最近やっと仕事の上で自分に「よしよし」がいえるようになりました。
ハードワーカーに戻ったのではありません。
以前のような自己満足度の高い仕事を自分に求めずに、
できるところまででよしとして、寝ちゃおう!って。
時には、本当に「でへへっ」って、時もあります。
でも、いいんだ。
だって、今は、それだけで、十分な時期。当分。
3年でも、5年でも、10年でも……

このHPには、そう思わせてくれる優しさがありますよね。
管理人さんをはじめ、みなさんに、本当に感謝です。

明日は、昼から仕事休んで、両親の待つ、実家に帰ります。
うーん、台風に向かって突き進むような気もするけど。
心の青い空は、いつも娘の笑顔の写真と一緒にあるから。
 *二十歳の誕生日の次の日に二人で並んで撮った写真、
  本当にきれいな青空が、バックに写ってたの! 嬉しい……



5720 やっぱり親の責任 meipapa 2003/05/30 09:13
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
どんなに考えても、生きてる親の責任です。
娘に非があったとは考えられない、考えたくない、
今はただそういう答えしか見出せない。
なにもかもの絶望感、喪失感、罪悪感が常時襲ってくる、
なにもかもがいやになってくる、
責めたって帰ってこないのに、
愛情がなかった、
親を苦しめるためにあの子は死を選んだ、
ざまあみろ、私のことを否定するから、こうなるんだ。
死をもってお前たちを苦しめる。
そんな声が聞こえてくる、
そうなら仕方ない私たちは苦しみもがき生きてゆく、
日々考えることがめまぐるしく変わる。
かなりつらい問題を提起した娘です。
順風満帆とはいえない私たちでしたが、
ここえきて最大の嵐がきました。
これは神様が私たちに試練をあたえたのか、
きついきつい試練です。つぶされそうです。
これを超えることができるのか、まだわかりません、
今日で20日です。生きてさえいれば・・・
かわいそうで、今は楽になったのかな、
生きて楽にしてやれなかった自分を恨みます。
死んで楽になったって解らないじゃないですか、
死ぬしか自分の道はないと、自分は生きてちゃいけない、
何故そういうふうに結論づけるの、
自分は鬱病だのなんかと医者みたいに診断してた。
でもクリニックの先生は信じられないと言ってました。
そんなそぶりは全くなかった、
入院は勧めなかったのかと聞いても、
その必要はなかったと、薬で間に合うと、
なんでそうするのいつも君は、なんでも自分でやってしまうの、
「後悔は死ぬときまとめてする」21歳の頃の日記に書いてた、
じゃあ後悔はしたの、それでよかったと結論付けたの、
自分よがりじゃないんですか、
書けども書けども書きつくせない、怒り、喪失、悲しみ、苦しみ
なにかに糧を求めても空しいだけ、
・・・・・・・・・明日があるさ・・・
ないさ・・・今は・・・






5721 meipapaさんへ angel☆kei 2003/05/30 12:10
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
亡くなられたお子さんはきっと思っていたんでしょう。
お父さん、お母さんはどんな私でも許し、愛し続けてくれると。

たとえ体が無くっても、そこに自分が存在していなくても
「私はあなたたちの子供だ」と…。

苦しいし、悔やんでも悔やみきれないと思います。

でも、その子はmeipapaさんご夫婦が天に召される日までお二人のお子さんであり続けるわけです。

お嫁に行かないから、一生あなたたちのお子さんです。

私たちはある意味「茨の道」を歩くことになってしまいました。
でも、それはある意味一生そこに居たいからなんだろうなって最近思え
るようになりました。

許してあげましょうよ。

どこにも行かずにmeipapaさん達のそばで微笑んでいてくれているんでしょうから…。

私も許すまで時間がかかりました。
でも、許すしかないんだって気づきました。

少しずつで良いんです。
許してあげましょうよ。

meipapaさん達の愛情で…。

生意気な事書いてごめんなさいね。



5722 meipapaさん koko 2003/05/30 13:41
女性 / 40歳台 / 子 / 3年以内 / 北海道
自分自身を許してあげて・・・


5723 再入院 みかん 2003/05/30 14:09
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上 / 中部
妹が退院して1週間ほどは家で療養していましたが、薬の副作用がひどく
再入院して様子をみることになりました。
私も同じような状態を体験したことがあるので、「今は大変だけどそのうち
ちゃんとよくなる」
と思いながらも、「もし、妹までいなくなっちゃったらどうしよう!」と
不安にも思っています。

でも精神的な病気なので親戚の人に言うこともできず(わかってもらえない
可能性が高そうだし、わかってもらえても他の親戚の人にわかるのは面倒
なので)
かといってこの気持ちをわかってもらえる人が他にいるわけでもなく
「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせながらも、私自身もまた病気になってしまいそう
なことなので不安です。

比較的精神状態は落ち着いていて特に今すぐ病気になるという訳ではないのですが、
やっぱりちょっと不安定な気もしたりして。うーん、自分でもよくわからないです。

調子よくやってるときにかぎって父が自殺したり、妹が入院したりしたので
「私が絶好調のときは何かが起こるのでは?」なんてかえって思ってしまったり。
すみません。不安でちょっと愚痴を言いたくなってしまいました。


5724 meipapaさん leeron 2003/05/30 17:15
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東

今は何を考えても、何を聞いても、何を見ても。
同じ場所に戻ってしまいますね。
仕方ないですよね。まだ、20日です。

だから一言だけです。
思いっきり悔やんでください。
思いっきりご自身を責めてください。
思いっきり泣いてください。

それもいいと思います。
それができるのは、今だからかもしれません。





5725 だいまゆさん leeron 2003/05/30 17:18
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
泣けないこと。辛いね。
凍った感じ。私にも分かる。

だいまゆさんのなかに、泣き叫んでるだいまゆさんがいるよ。

お兄ちゃんは、分かっているよ。
天国で分かってくれてるよ。



5726 みかんさん leeron 2003/05/30 17:21
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
うん。そういうことありますよね。

みかんさんが悪い訳じゃない。
みかんさんが調子がいいことは悪いことじゃない。

妹さん。心配ですね。
でもその状況を分かってあげられるみかんさんがいて、
私はほんとうによかったと思います。

しんどいことに変わりはないかもしれないけれど、
愚痴を言いたくなったら、いつでも来てくださいね。



5727 うーりんさん leeron 2003/05/30 17:25
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
始めまして。
共同管理人のleeronです。


> 今私は、仕事や人間関係において、あまり無理して頑張らないように
> しています。妙な我慢もしないようにしています。
> 本も沢山読みました。旅にも出ました。少しはおとなにもなりました。

重いものを抱えて来られましたね。
その中で、こう言えるようになられたということ、
大抵のことではなかったろうと思います。

> 唐突な書き込みですいませんでした。

いいえ。
こうして書かれることで、また、うーりんさんが
新しい自分の中のうーりんさんを見付けることもできるかもしれません。

また、書いてみて下さいね。



5728 みなさんへ leeron 2003/05/30 17:29
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東

お一人お一人に、お話しできなくてごめんなさいね。
思いを、思いの丈を綴ってくださいね。

読んでいます。

そして、それぞれの方法で今を生きようとされていることに、
勇気づけられています。

決して、無理せず、焦らず、ゆっくりと。
です。

無理して、すべてを前向きに構えることもないのですから。



5729 こんにちわ いづみ 2003/05/30 17:30

みかんさん
うん・・ なんとなく不安感が押し寄せてくる時・・って ありますよね。
しんどいですね。
みかんさんご自身は 比較的落ち着いておられる・・・という事ですけど
慎重に 慎重に・・・ですね。

何とかこの時期乗り越えてほしいな・・・と思います。
しんどい時は 愚痴吐きながらでも 思いを綴るだけでも ずいぶん心が落ち着きますから。ね。

meipapaさん
毎日毎日が 本当にしんどい時期だと思います。
遺族にならなくちゃ 遺族の気持ちは解らない・・・・
他人が聞いたら「なんと偉そうな」とか「悲劇のヒロインにでもなったつもり」とか言われそうですが

けれども この強烈な喪失感と自責と混乱は やはり経験した者でないと
理解しがたい部分はどうしてもあるのだと思います。

つらいですよね・・・。

娘さんは ちょっと間違えてしまったんですよね・・・。

ご両親の愛情も 生き続けて行きたいという気持ちも ちゃんとちゃんと
理解されていたのだと思います。

だけど 何かの拍子に間違えてしまわれたのかもしれませんね・・・。

今は泣く事 自分を責めること それだけで時間は過ぎて行きます
そして それしかないのでしょうね・・・。

ご家族へのフォローもmeipapaさんに 多くかかっておられるのでしょう。
倒れないで下さい。
苦しみを糧にしてでも 悲しみを糧にしてでも どうぞ生きて下さい。




5730 混乱してます。 meipapa 2003/05/30 18:27
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
いろいろ書こうと思ったが書いても仕方ないことにふと考える。
みんな辛いんだ、自分ひとり辛い顔してなんだかんだと言っても、
そんなもんでどうなるのかと、今の日本では1年に3万人を超える、
人が自死を選んでいる、その遺族はその2倍からもっとたくさん、
子、親、兄弟、肉親だけでもすごい数、恋人などをいれると
星の数ほどといえるのではないか、こんな遺族に対して
なにも、誰も、手を差し伸べない現状はどうしたものか、
自死させないことはもちろんだが、そうなってしまった時、
残されたものが救いを求めるのは当然のことだと思う、
なぜ隠れて生きていくのか、なぜ隠さなければならないか、
自分で選んだ死に対して、遺族に対して、責めるのではなくて、
もっと暖かい手を、言葉を待っている。
喜んでそうしたわけじゃない、苦しんでそうなった、
いつ自分に降りかかるか解らない現状、絶対大丈夫はないんだよ、
誰だって精一杯なんだよ、だからそういう人たちを助けてあげなきゃ
何故、遺族個人が、みんなで傷をなめあうようなことで
癒されて、助けられて、生きてく現状は理解できない。
国とか地方自治体とかもっと専門な分野の方が動くことはないのでしょうか、
あまりにもお粗末なこの国に生まれたことを憂います。

やっと見つけたこの掲示板。
あまりにも大きな問題に正面から向き合っている、
このページの世話人の方に感謝しますし、
ご苦労さんとねぎらいたい、本当に感謝してます。

まだまだ末長く付き合いたいページです。



5731 今はつらいけど… angel☆kei 2003/05/30 19:39
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
なんて書いて良いのか…

でも、お一人お一人の心の中に澄み切った青い空が見えますように。

そして…

いろんな事があってもその青空に勇気付けられ新たな一歩を歩みだすことができますように…。

私もたくさん勇気付けてもらいましたもの。

少しずつ心が癒えて全てを受け入れることができますように…。

ごめんなさい、こんな事しか書けなくて。



5732 はじめまして へんりー 2003/05/30 20:03
男性 / 20歳台 / 父 / 3年以内 / 北海道
私の体験を書かせていただきます。

私が中二の時に、父は会社の金を使い込んだ事が発覚したとかでその会社をやめ、莫大な借金を抱えたまま板金工事の仕事を始めました。しかし、北海道では仕事がないとかで仙台に出稼ぎに行くことになりました。更生してがんばって借金を返したら戻ってくるということでした。それから父と会うのは正月と盆の年二回だけになりました。母が言うには父は甘えられて育てられたようで、お金にはだらしなく、前の会社のときは給料明細を母には見せずパチンコなどで減らして帰ってきたりしていたので、これからはそういう部分はしっかりしようということで給料は直接母親に受け取らせ、母親が毎月の生活費を父に送るというかたちにしました。しかし、私が高校生になってしばらくすると毎月のように、足りないから金を送ってくれと父から催促の電話がかかってきました。その電話越しに親がけんかするのを聞くのがいやで私は電話が鳴るたびにびくびくして、電話の近くに座っていても受話器をとらずにすべて母に出させるようになりました。金を催促する背景は不況ということもありますが、やはりパチンコなどに使っていたようです。そのような状態でしたからそのうち盆にも正月にも帰ってこれなくなりました。父がどのような様子なのか知る手段はかかってくる電話しかなくなってしまいましたが、そのころの私は父親を軽蔑こそすれ、応援しようとは思いませんでした。父親はいないものだと思いこむことにしてました。私が第一志望の大学に入学したと聞いたときはとても喜んでくれ、仕事仲間にも自慢していたことを死んだ後聞きましたが、そのころ家族や母方の親戚を含めた中で進んでいた話は離婚の話でした。大学二年のときにはその離婚が決まりそうになっていました。私もやっとこの耳をふさぐ生活から抜け出せると思っていました。父と最後に電話で話したのは父が自殺する数ヶ月前です(最後に会ったのは半年前)。そのとき父はひどく元気がなさそうで、私は母に言われるまま「父さんがんばってよ」といい、父は力のない返事で答えていたと記憶しています。私は父にもっとがんばってほしいという気持ちは持っていましたが、声を出して勇気づけたのはそれが最初で最後でした。ある日高校の部活友達と久しぶりに飲みに行く途中、待ち合わせをしていた友達の携帯に私の母親から電話があったらしく(そのとき私は携帯電話を持っていませんでした)、いったいなんだろうと思いすぐに携帯を借りて家に電話をしました。する2ニ母が出て泣きながら「お父さん、死んだ、早く帰ってきて」といいました。自殺をしたとは言っていませんでした。僕は”ああ、僕はお父さんに何もしてあげられていない。”と自分を責める気持ちが先に湧き上がり涙が出てきました。無我夢中で家に帰ると、母と中学生の妹が泣き崩れており、叔父さんが深刻な顔をして座っていました。そして母から、父が昨日自分の部屋で首吊り自殺をしたと聞きました。そして母と自分と妹と父の母宛の遺書があるということでした。私はそれを聞いてただ大声で泣きました。そして遺書に書いてあるでろうこと、自殺の原因に関して不安で仕方がなかったことを覚えています。次の日の朝仙台に向かい父がそれまで生活おり、そして自ら死んだ部屋の後片付けをしました。はっきり言って部屋には何もなく寂しい生活の跡を感じさせられました。その部屋の何もかもに涙が出ました。受け取った遺書にはただ二、三行でごめんという内容しか書いてありませんでした。最後まで自分を見せない父を恨みました。その日棺に見る父の顔はひどく小さくやせこけて見えました。お骨と位牌をもって自宅に戻ったあとはふとぼーっとして涙の出る毎日が続きました。自分を何度も何度も責めました。その一方で自分がふがいないことを父の自殺のせいにしたくないという思いや、自分は父の様にはならないと自分に言い聞かせました。そしてなるべく父のことは考えないように、母とも妹ともその話題では話さないようにしました。そしてバイトを目いっぱい増やして少しでも考える時間自体も減らして行こうとしました。そうしていくうちにボーっとなる周期がどんどん長くなっていきました。電話の音に不安を覚えるのはトラウマになってしまったようですが。それでも自分に残るもやもやや他人に話せない苦しみ(親友ひとりだけには話しましたがやはりわかってはもらえないだろうという意識は強いです)は今でも頻繁に感じます。そして自虐的で自分に自信がなくて人付き合いが下手で自分の考えをうまく人に伝えられない自分がいます。私は現在まだ学生(大学院一年)ですが、志望の企業が自分のような人を受け入れてくれるのかどうかすごく不安に感じています。また、地元に残って親を助けるべきかなど、考えても答えが出ないことだらけです。父のことについて考えないようにすることが本当にそれでよかったのかどうかも、「自殺っていえなかった」という本を読んでわからなくなりました。そこではみんななくした人への愛を再確認し、記憶を押さえつけることでなく、目をそらさずに考えて受け入れている努力をしているからです。でも私は父に対する自分の感情が正直わかりません。父についてよく知らず、父と私との記憶は思い出せなくなってきています。父のことについてよく知るべきなのでしょうか。

もしかしたらこのことについて今これからの自分への答えを出さなければ先に進むことができないのではないかという不安が今になってすごく強くなってきて、ネットでこのHPをみつけ、思い切って体験を書きなぐってしまいました。この掲示板がこんなに毎日更新されていることに驚きと自殺者毎年三万人という現実への悲しみ、そして同じように苦しんでいる人を身近に感じられる安堵感を感じました。
このような私にも何かアドバイスをいただけないでしょうか。

長くてかつ読みづらい文章でもうしわけありません。


5733 へんりーさん いしか1 2003/05/30 22:10
男性 / 30歳台 / 婚約者 / 2年以内 / 関東
はじめまして。大変でしたね。
企業にはいろいろなタイプの人間が必要です
今の自分を「思慮深い」とアピールしてみては

お母さんと妹さんはあなたがいきているだけですくわれていますよ
どこでいきていても。それが絆というものです。
可能性を自分でつむのはよくないとおもいます。

お父さんに対しての感情、、、
それが怒りか、悲しみか、喪失感か、とにかく大きすぎると理解できないと
おもいます。高い壁に近づきすぎると上に寝てる猫がみえないように

ですので離れてみれるようになるまで心のなかの大切な箱にしまっておいてはどうでしょう

私の母はよく自分にいいます。「あなたは三人兄弟だから、子供は三人育てろ
それが親への恩返しだ」と

結婚して子供ができたとき、真に理解できるのではないでしょうか
ありきたりですけど、とりいそぎお返事まで


5734 meipapa さん いしか1 2003/05/30 22:22
男性 / 30歳台 / 婚約者 / 2年以内 / 関東
私も世の中には救われてしかるべき人が多すぎるとおもいます
どこから手をつけてよいかわかりませんが、私はとりあえず自死を思いつめる
にいたった人を救えるような活動を自分で起こさねばとかんがえてます

例えはおかしいですが、拉致家族の方の活動も25年かかって帰国につなげました。

どうでしょうか




5735 meipapa さんへ2 いしか1 2003/05/30 22:28
男性 / 30歳台 / 婚約者 / 2年以内 / 関東
あーーでもまずご自身の心が平らになるまでは活動されないほうがよいと
おもいます

つたない話でした、御一笑くださればさいわいです


5736 ノドが腫れました。 小僧 2003/05/30 22:55
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
夏日だというのに、風邪気味だなんて。

へんりーさん、長い長い道を歩いてきたんですね。
ここに書くということだけでも、相当エネルギーが必要だったかもしれませんね。いっぱい食べて、いっぱい寝て、ゆっくり休んで、またここで会いましょう。

考える時間を減らしたり、考えること自体を止めることは病気ではなく、自分を守る為の体の自然な働きです。転んだら、カサブタが出来るように、傷口にフタをしているのかもしれません。無理にはがすと血が出るし、あまりいじると膿が出たり。そんなことをイメージしながら、小僧もゆっくり歩いてます。

昔から転びやすいんです。
何回も転んで、オイオイ鳴いて、また歩いて、道の花に気を取られて、また転んで。転び慣れることはないけれども、道に花があると知っているから、立ち上がってまた歩いていけるような気がします。


素適な花を見つけたら声をかけますね。

ではまた

小僧でした。


5737 へんりーさんへ keiko 2003/05/30 23:37
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
ずっと前に書き込みしたんだけど、
あしなが奨学金の募金をしてるボランティアの人たちに、
娘のいたころとは、比較にならないくらいの感情で、
募金しちゃいました。

痛みを知って、苦しみを知って、悲しみを共有して、
遺された者としての立場や感情は異なっても、
共感できる人は、本当にたくさんいるんです。

今まで、見えてこなかっただけです。

ド田舎にある私の実家のお隣のご主人は、交通事故の後遺症と老人性鬱で、
また、斜め向かいのお家の未成年だった息子さんは、ひきこもりで、
それぞれ家族を遺して先に行ってしまいました。
私は、その事実を以前から知っていましたが、
どんなに辛かっただろうって、ご家族の痛みがわかったのは、
娘において行かれてしまったこの3月からのことです。
遠縁の親戚のお嫁さんが癌ノイローゼでなくなられたときも、
ご主人はどれほど辛かったかを、今、改めて、思うようになりました。

ヘンリーさんは、痛みのわかる、悲しみの共感できる人に、成長されて、
お母さんや、妹さんを支えてこられました。
それは、とりあえず、辛いこと・悲しみ・苦しみを封印して、
長男としての努力をされたって、ことでしょう。
でも、封印は、一生解けないままとは限らないですよね。
不用意な他人の発言や、思いがけないつながりから、
封印が思いもかけない、辛い形で解かれたりしないように、
細心の注意が必要な場合もあります。

学生の内は、幸いまだまだ時間にも余裕があります。
信頼できるカウンセラーを見つけて、少しずつ上手に、
封印を解いていけるチャンスと時間的余裕があります。

私たちのように働いていると、なかなか、そうはいかないことも多いです。
今の時期に、このHPに行き着けたことは、すごくラッキーですよ。
書かれたような内容を、大学のカウンセラーに相談する手もあるでしょう。
それによって、より良い機関を紹介される可能性もあります。
最近の大学は、大抵、メンタルケアには、プロを入れてると思います。

うちの娘が、それを頼ってくれてたらって、つくづく思います。
そうしたら、私はここの仲間に入っていないわけですが。

今日も、私は、兵庫県から、わざわざ、新幹線で山口県に来ました。
お医者さんに、今の気持ちを聞いてもらうためです。
お薬だけなら、実家の近所にだって、クリニックはいくらでもあるけど、
寄り添って、共感的態度で、傾聴して、本当に的確な言葉をくれる先生。

アメリカでは、ホームドクターとしてのサイコセラピスト確立してるでしょ。
一生つきあっていけるようないい先生かカウンセラーとの出会いがあれば、
就職してからも、いろんな困難に直面したときに楽になれると思います。
ゆっくり、じっくり。時間かけて、探して下さい。見つかると思います。

それまでは、ちょくちょく、ここで、お会いしましょう。

私の娘は、二十歳になったばっかりでした。
今は、私の方が、ヘンリーさんより経験が浅い新参者の時期です。
2003年の3月16日から、娘は、永遠に歳をとりません。
二十歳の輝くような笑顔で、一緒に収まってくれた写真の、
バックの空の青さが、私の心の慰めです。
よろしく。







5738 いつも仕事中です。 meipapa 2003/05/31 10:40
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
この掲示板に書き込んでる時間はいつも仕事中です。
家では妻を刺激するのでネットは控えてます。
仕事しながら娘の顔が頭から離れず、
すぐにここにきてしまいます。許してください会社の偉い方、
だめなんです、続かない、息がきれるというか、
息が詰まるというか、ため息ばかりついてる

あーしんどい、たまらんわ、ほんまなんかえー方法ないん
楽になる方法ないんかいな、ゆるしてくれな
小さい時からほんまになにするかわからん子やった、
うちのおかんも言うとった、この子は長生きせんで、
その言葉を思い出す。めちゃする子やった、
やんちゃで、いつも男の子とばっかり遊んで、
可愛かったんや、おまえがなんでや、
アホーーーーーーーなんで死ぬんや、
遠慮せんで帰ってこんか親に泣きつかんかい
男なんか、なんぼでもぎょうさんおるし、
ほかしたらあかんやろ、自分の人生を、
そんな安もんの人生か、おまえが生きた26年は、
おまえの写真にいつも好きやった香水かけとるけど
わかるか、えー匂いしてるか、
いつも朝に寝て夕方に起きて、
人とは違う生活しとったけど、
今は朝の5時に起こしたるねん、
チンチンならして起こしたる、はよー起きんかいいうてな、
一回でええから文句あったらいうてみ、
いつも家ではだまっとったけど、そないに親はあかんのか、
いうてもあかんと決めとったんか、
こんな田舎はあかん、やっぱり大阪や東京やいうて
そんな都会が自分を苦しめたんやろ、
のんびりせんか、やすまんかい、永遠に休んでどないするねん、
もうええ、しんどかったらそこで寝とき、もうしゃーないし、
ほんでも起こされへんでなパパとママがそっちに行くまでな
忘れんようにな、ほんでもわからんやろな、
パパもママも今より歳とってるさかい、たぶんな、
今は行かれへん、T君がおるやろ、あいつが結婚してな、
幸せになってもらわな、お前もそう思うやろ、
お前のことは許すしかないわ、夢もあったけど、
ほんでも静かに寝させへんで辛抱しいや、
一人暮らしから帰ってからしゃべってないぶん、
ぶつぶつ言わしてもらうからな、覚悟しいや、


昨日、嫁さんが信号無視やゆうて捕まったってぼやいとった、
買いもん行って帰りに線香が気になって急いだんや、
ほんでもあかんかったって、嫁さんの後ろの車は曲がったから、
ほっといたんやて、女をなめてるんちゅかって、
ほんま冷たいわって、
この国には情けもくそもないのか、

自分勝手なことをかきました。
ちょっと楽になった。ではまた・・・




5739 こんにちは まな 2003/05/31 10:44
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以内 / 近畿
ホントはみなさんにレスをしてお話をしたい気持ちもあるのですが、なんかここんとこ疲れてしまってて、グチしか書けないです。

父が生きていればこんな風にならなかったのかなとか、いてくれたら今頃は・・・とか、そんな事ばかりが思われるので半ば疲れてきました。かと言って考えないようにしようと思ってもそうも出来ない自分がいるのですから、しょうがないんですかね。今は長いトンネルにいると思って、いつかはこのトンネルも抜ける時が来るんだと言い聞かせて頑張るしかないんでしょうか。

母は父が亡くなってしばらくは仕事に出ていましたが、年齢的な事情もあって最近仕事をやめました。やめたらどうするんだろうって思ってたら、結構なんやかんやと外に出てるみたいなんです。なんか母より私の方が疲れてるような気さえします。そんな事はないんですかねぇ。母は母なりにうまく切り抜けてるんでしょうか。なかなか母と父の事について亡くなってから話す機会もあまり持てなくて、私は内に溜め込んでばかりいるような気さえします。少しずつでも話をした方がいいのか、それともこのままの状態の方がいいものか・・・。


5740 雑談的ですみませんが のこり 2003/05/31 11:07
女性 / 30歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
>keikoさん

私は学生の頃、あしなが募金活動に参加してたんですよ。
私よりずっと勉強ができる友達が、
お父さんが居ないからって、進学できないのはあんまりだ、とかいう
単純な気持ちから参加しました。

で、そのときの感想ですが、募金をしてくださる方には(特に高額の)、
お子さんを亡くされた方とか、ご自分も苦労したからとか、
なにか大変な思いをした方が多かったな、と思いました。
(全員が全員コメントをくれるわけではないので一概に言えないかも知れませんが)
そのときは、恵まれてる人ほど、そうでない人に同情するにちがいないと思っていたので、
とても不思議で、そうか、こういうのを助け合いというんだと思ったものでした。
 
今度は、私の子供があしなが基金のお世話になるのかも知れません。
これも不思議な縁です。


>小僧さん

ワンちゃんも、天使になってしまったのですね。
私も以前、事故で猫に死なれたので、思い出して涙ぐんでしまいました。
私は、多分今は夫と2人で暮らしてるんじゃないかと思ってますが。

よく、あんたの背後霊がどうとか、そういう話がありますが、
動物も後ろにつくのかな、と最近考えたりいます。
というのも、私の父親は犬猫に絶大な人気があって、
人見知りな猫などが、わざわざ抱っこされにきたりするほどなんですが、
父がは小さい頃からずっと、犬や猫を飼い続けていたらしいです。
東京下町の貧しい生まれですし、ペット病院も当時はなく、
3,4年で次々死んでしまったらしいのですが、
それでもすぐ次のを拾ってきて飼ってたらしいです。

その犬猫軍団がそろって父の背後にいるのでは?
だから今も、犬猫に人気なのでは?と思っています。
別に餌やったりするわけでもないし、普通に歩いてるだけで寄ってくるんですから。

なんか関係ない話ばかり、しかも父親の話、すみません。
でもきっと、そばにいるんじゃないかなと思いました。


5741 三七日です。 meipapa 2003/05/31 13:22
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
あすは仏教のいうところの三七日です。
浄土への旅も半ばへとさしかかります。
お坊さんが来て、ありがたいお言葉をいただきます。
心が少し楽になるときです。

何故に旅立ったのか未だわからず、
空しい日々が続きます。
たくさんの遺族がいるはずなのに、
みなさん一人で耐えていらっしゃるのでしょうか?
掲示板を見つけて書き込んでる人はごくわずか、
大多数の遺族はただ黙って今を耐えてる、
これだけ世の中便利になって人と会うことなく会話ができ、
また励まされて、励まして(今の私にはできない、スミマセン)
でも、ほんの一部ですかね、こういう環境にいる方は、
それとも書き込むことも出来ないほど落ち込んでるのかな、
助けあいたいですね(今は無理)

娘の携帯の着メロ、「世界にひとつだけの花」だったかな、
今でもたまに鳴るんです。涙がでます。
only one ひとつだけなんですね、命は、大事にしなくちゃね、
諸星和己の大ファンで6月のコンサート楽しみにしてたのに・・・



忘れられない春の花

帰らない日々が ただ恋しくて
忘れられない あの日々が
今日も頭を駆け巡る
春に花が咲き そしてまた思い出す
あなたがいない春なんて
ただ切ない心だけ 

いつものようにが 何故いえない
帰ってこない あの笑顔
今日も目の前過ぎてゆく
春になっても 咲かない花を見て
いつもの笑顔がもういない
ただ悲しい涙だけ

いつか会えると信じていても
もう永遠にあえるはずもない
わかっていてもまたさがす
そこには笑顔の君がいる
涙に暮れる僕がいる


5742 先月の… angel☆kei 2003/05/31 15:19
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
先月の青い空の会に出席したとき、たまたま高田馬場の駅で「あしなが育英会」の募金活動をしていました。

息子は財布からいくらかのお金を出し、無言で募金箱に入れました。

今までそんな事した事がないのに…。

いつか僕もお世話になるかもしれないしね。

ケロッとした顔でそう言ってのけた息子がたくましく感じました。

へんりーさん
お父さんとの距離があった分、どうやって受け止めたらいいか理解できないのもわかります。
まだまだ呆然としているほうが多いのではないでしょうか?
周囲の人にも相談できず、抱え込んでいると思いますが、ここでよかったら思いっきり吐き出してください。
そして、少しずつ平常心を取り戻すことができるようになったらその時は苦しんでいる方たちの支えになってあげてください。

meipapaさんもまだまだ納得したくない部分がたくさんあるようですね。
どんな事でも良いからどんどんここで吐き出してください。
今は心を静め、これからどう生きていくか。
先に逝ってしまった人をどう思って生きていくかを模索する時間です。
苦しいこともたくさんあるでしょう。
矛盾だらけで怒りが止まらなくなることもたくさんあるでしょう。
でも、今は思い切り吐き出して少しずつ自分の中にあるものを楽にしてあげてください。
そして、少しずつ落ち着きを取り戻したら今度は誰かの心の支えになってあげてください。

自分で立ち直ろうとするときに「逝ってしまった人はもう帰ってこない。割り切らなきゃ」となるべく思いました。
そして「私たちはまだ、生きている」と…。

これから先も長い道のりが待っています。
小さな一歩でも前進は前進です。
ほんの少しだけでも進めば景色も違います。
たとえ今立ち止まっていてもいつかは進みます。
焦らずにゆっくりこれからの道を探ってください。

そして、どうか光の道しるべでその苦しみから解放されますように…。


5743 応援歌 春 2003/05/31 17:00
女性 / 30歳台 / 夫 / 10年以内 / 中部
今朝、テレビで紹介されていた歌、お聞きになった方、ありますか。
松山千春が大分前に作った歌で、北海道出身の彼は、同級生で酪農家ある友人のために作った歌だということでした。
昔、曲が流れていたのを聞いたことがありますが、今日、詞の一つ一つを追いながら、我慢していたものが一気に涙となりました。
松山千春のその友人は自分への応援歌だと言っていましたが、
みなさんにもそうなれば、と思い、紹介します。

ちなみに私の夫は松山千春の故郷の隣町の出身であり、夫が私にそうメッセージを送っているような気がしてなりませんでした。


大空と大地の中で


松山千春 作詞/作曲


果てしない大空と 広い大地のその中で
いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう
歩き出そう 明日の日に ふり返るにはまだ若い
ふきすさぶ 北風に とばされぬよう とばぬよう
こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に
野に育つ 花ならば カの限り生きてやれ
こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

生きる事が つらいとか 苦しいだとか いう前に
野に育つ 花ならば カの限り生きてやれ
こごえた両手に 息をふきかけて
しばれた体を あたためて

果てしない大空と 広い大地のその中で
いつの日か 幸せを 自分の腕でつかむよう
自分の腕でつかむよう



5744 meipapaさんへ keiko 2003/05/31 17:59
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
な、そうやろ。
生きにくい国やんか。
生きにくい社会やんか。

繊細な子やら、
自分なりの生き方を大事にしたい子にとっては、
ホンマ、しんどい今の世の中やん。

あっちに気遣い、こっちに気遣い、
それでも、なんじゃかんじゃ言われてよ。
思わず、強制終了さしてまう気になったんやって。

うちの子は、決めとったみたいやった。
大学2年の終わりまでは、って。
自分で、自分の時間をな。
ごっつう濃い時間を走って、走って、走って。

何度も、くれたサインを、あたしも気が付けよ、って……
なんで、落ち込んでるって、言うてくれたのに、励ましたんやろ。

でも、もう、どないもこないもできへんやん。
娘のレベルに、ついて行かれへんかった。
今更、できることは他にあらへん。
笑顔の思い出だけ、取り出して、
娘が生きとった記憶を共有できる人らとしゃべって、
お経あげて、好きやったもんを供えてお下がりを食べる。
好きやったビデオ流して、歌を歌う。
なにかしとっても、話しかけてる時あるわ。
「あほやなぁ……」って。
こんなに、みんなを悲しませて、って。

せやけど、笑顔の写真には、言わんようにしとう。
いっぱい、幸せもくれたから。

meipapaさん、うちの娘の好物は、トマトと、イチゴと、ハッサクやってんよ。
みんな、あたしの好物!




5745 長いトンネル みーこ 2003/05/31 18:18
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
こんにちは。何ヶ月ぶりだろう。

ずいぶん長くこの掲示板からご無沙汰していました。
日常が忙しかったことも確かですが、
その日常をこなしていくのがひどく困難な精神状態を
経験していました。去年の夏からこの春まで。
父が亡くなってこの方、こんなに精神状態が
不安定になったのは初めてでした。
もう15年目だというのに。

でも、もう15年も経つから、やっと不安定に
なることもできたのかもしれない。

父が病気だった私の思春期、父が亡くなったあのころ、
そしてその後。ともかく”そんなこと”とは関係なく、
自分の人生を生きようと一生懸命がんばったり
楽しんだりしてきました。

でも、気づいてみると、自分の中には
ちっとも納得できていないこと、怒り、悲しみ、後悔、
無念さ、むなしさ、ありとあらゆる感情が
いっぱい詰まっていました。

それが、いろいろな生活上の出来事、変化、困難と
合わさって、一気にやってきました。
自分自身の感情のコントロールが聞かなくて、
それがとても恐ろしく感じられ、
もうこのままずるずると、
どうにか表面上はつくろってきた社会生活からも
撤退してしまうんだろうか・・、と感じていました。
そして、自分がかつて自分に対して持っていた安定感と
それから来るある種の
自信を失墜させていました。

でもやっと、感情に飲み込まれずに
”ふつうに”、目の前にあることをこなし、
日常を楽しみ、将来への希望も持ち、という感覚が、
少しづつ戻ってきました。

どんなに不安定なときでも、
「ここでどうにか踏みとどまらないと
どうなってしまうか分からない。
人生捨てることになるかもしれない。」と、
動きを止めてしまいたがる重い足を引きずりながら
暗いトンネルの中をどうにか進んできました。
そして、やっと出口にやってきました。

トンネルの外も、パラダイスではありません。
照ったり曇ったり、雨が降ったり。
またそのうちこの先にはトンネルが待っているかもしれません。

でも、出口はある。自分が前に進み続けさえすれば。
そう思います。

でも、トンネルに明かりをともしてくれる人、
一緒に歩いてくれる人がいれば、
ずっとずっと楽なんですよね。

しばらくは、自分がトンネルの中で七転八倒していて
誰かのトンネルに小さな明かりをともす人、にも、
一緒に歩く人にもなれませんでした。
今は、七転び八起き、になりつつあります。
そして、久々に、この掲示板にお邪魔しました。


5746 keikoさんありがとう。 meipapa 2003/05/31 20:00
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
うれしいですわ、
やっぱり関西弁はぬくもりをかんじます。
ええな人情あるやん、ほんでもインターネットって標準語やん
冷たい世界や思わん、平気でぐさぐさ突いてくる、
もっと泥臭いもんでええねん、
keikoさんうちの娘は桃が大好きやねん、
ほんでも今ないしな、そやから桃の天然水あげてる。
これでええやろ、47年生きてきてこんなつらい毎日はない、
これからも毎日書きに来るわ。


5747 meipapaさんへ keiko 2003/05/31 21:29
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
桃なぁ、
ぜいたくやんなぁ。
まあ、もうちょっとで、シーズンやから、
それまでは、桃の天然水で、我慢してもらわなね。

あたしは、ここに来るけど、
うちの旦那は、お宅とは逆で、あかんねんな。

一人で、暗い部屋で、手元のスタンドで自分のHPで作りで紛らしとうねん。
電気付けるのいややねん。
これは、もとからやねんけど。
カーテンも一年中閉め切ってる。
そんな人やからねぇ。
心配やし、気疲れもするねん。
それに、娘は、旦那のたった一人の肉親やってんよ。
53歳の涙は、毎日見てられへん。

meipapaさんは、奥さんに優しいねんね。
旦那は、今は、あたしに寄りかかって生きてる感じや。
娘が約束破って誕生日の料理作ってくれに帰って来てくれへんかった、
今年のあたしの誕生日、44回目の。
娘の遺影の前で、二七日のお経をあげとった。
消えてまいたいくらい、つらい頃やった。

今も、辛いけど、悲しいけど、でも、供養の為にも、生きるねん。
また、お経あげに、今から、娘の顔、見に行きます。
お休みなさい。ぼちぼち、大事に、いきましょ。


5748 東北弁の場合・・・ 小僧 2003/06/01 10:20
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
認知度がひくいため、および、表記することが少なかったため、活字にすると書いてる本人もはっぱりほんでない。こっだなどこで、くしてかいだんだばオラへっこめくじゃ〜。って感じになってしまうかも??しかも、多分読んでる東北人も落ち着かないはず・・・。関西弁はいいですね・・・・。「か゜」←「か」にマルです、なんてあるんですよ〜。同じ県内でも達者な方言者の話は外国語です。

何語でも、意味がわからなくとも、小僧は見ています。皆さんがここで綴られた言葉の重さというものはきっと単位では計れないものだと思っています。そして、苦しみも個々に違いはあっても比べることなど出来ないと思ってます。

苦しみという中心があって、水紋のように、ひろがっていく輪をイメージした場合、小僧は今は中心ではない輪をくるくるまわっているのかもしれません。かつて中心で動けないこともありました。

今、現在中心で苦しむ方は、一日が十年にも感じる日々かもしれませんね。
じっとしていると、肌をつきやぶって飛び出してくるような苦しみを理性で必死におさえていらっしゃるかもしれませんね。絶望の朝と絶望の夜の繰り返しかもしれませんね。何を見ても感動もなく、何を食べても味もしない日々かもしれませんね。1時間、1時間、過ごすことでやっとかもしれませんね。

忘れてしまいたいそんな日々を、小僧は忘れたわけではありませんよ。

小僧のいる輪にも皆さんの悲しみが伝わってきています。それによって、皆さんが生きて存在しているということを知ることが出来ます。

無理に明るい話をしようなんてご無理をしないでくださいね。今、そのままで生きている皆さんをここで見ています。

ではまた


小僧でした。


5750 ひとりごと みーこ 2003/06/01 13:28
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
独り言ならほかのところに書けば良いようなものだけれど
この掲示板好きだから、書かせてください。

ねえ、お父さん、みーこさあ、去年からこっち、
なんか変だったよね。
将来のこと、これからどういう道に進んでいったら良いのか、
どうやって生きていったら良いのか、分からなくなっちゃって、
どうしたいとか、一生懸命とか、楽しむとか、幸せとか、
そういう気持ちが見えなくなっちゃってた。

お父さんが病気になってから、ちっとも仲良く出来なかったこと、
お父さんがいなくなっちゃったこと、
あのころ、誰も手を差し伸べてくれる人なんていなかったこと、
何も分かっちゃいないのに、分かったような風に
「自殺は家族の病理だよ」なーんて言ったあの人、
ううん。あの人が悪いんじゃなくてあの人にそういわせた世間
(世間の認識の低さ)

そういったことに対する色ーんな思にとらわれて、
身動き取れなくなっちゃってた。

でもね、おとうさん。
やっぱりみーこ、幸せに生きて行こうと思う。
子どもだったころに戻ることも出来ないけれど、
あの散々だったころをやり直すことも出来ないけれど、
おとうさんが生きていたら、連れて回りたいような、
素敵な、幸せな大人になるからね。

子どものころ、一緒にいろんなところ行ったし、
いろんな事したよね。
思春期でいつも不機嫌だったときも、一緒に旅行したり
食事行ったりしてくれたよね。あのころ、
ちっとも楽しめなかったけど、今となっては貴重ないい思い出。
ありがとね。


あのころみんな大変で、
みーこは思春期で、自分のこともままならなくって、
どうしてあげることも出来なかった。
ごめんね。

お父さんは、病気になっちゃって、
人生の楽しさより苦しさのほうが大きくなっちゃって、
この世からいなくなっちゃったけど、

でも、みーこ、わかるんだ。
お父さんは、みーこに、元気で、幸せで、やさしい
大人になってほしいだろうってこと。

だから。
みーこ、

たくさんの人に恵まれて、
その人たちを大切にして、生きていけるように、
幸せになろうと思う。

ね、お父さん。

・・・・・

皆さん、ながいひとりごと、ごめんなさい。


5751 緊急ご連絡 小僧 2003/06/01 17:01
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
小僧より空メールが届いた方、まいかさん以外にいらっしゃいますか?
まいかさん、びっくりさせてごめんなさいね。
覚えが無かったので、ウィルスチェックしてみましたが、他の方にも行ってるとしたら、教えてください。

小僧はここからメールに入ると普段のアドレスになってしまうので、間違えて押すとここで公開してないアドレスになってしまうので、間違えるという可能性が低いです。




5752 三七日が今日 meipapa 2003/06/01 22:01
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
やっと3週間や、ほんまにきついわ

なんでこんなことしよったんかいな、
おんなじことばっかり考えてな、答えないのに、

もうすぐ裏の畑に枇杷がなりよんねん
これも好きやったな、嫁はんが出来たら食べさそおもうて
この枇杷はうちの子らが種から育てた枇杷やねん
今年初めて実をつけたんや、楽しみにしとったんや、
どうせやったら食ってから死んだらええのに、

あとどれくらいかかるんやろか、
あせってもしゃーないし
忘れても困るし、

ほんでも若い子らが集まる掲示板に行ったら、
死ぬことをなんや思とんねん
ええかげんにせえや、ほんまに、
あんたらも親になってこんな経験してみ、
それから気ついても遅いで、ほんま

東北弁はきつおま、
てんでわかりまへん、すんまへん、

あかん言うても言うこときかん子やった、
今度もそうや、ほんでももうしまいや、




5753 枇杷 小僧 2003/06/01 23:15
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
小僧父も枇杷が好きで、この時期、店先の枇杷を見ると思い出します。

小さい頃、枇杷という歌をピアノを弾きながら歌ってくれました。小さな小僧と小僧姉はその横で聞いていました。「びわは〜可愛い木の実だから〜」という歌です。とてもほのぼのとした歌です。小僧父がこの歌を好きだったのでしょうね。

我家にも種から育てた枇杷の木がありますよ。
寒い地域なので、小さな鉢ですけど。


PIXY07さん、どうもありがとう。
一応もう一度違うウィルスチェックをしましたが、結果はセーフです。他の原因を探って、詳しい人達にお伺いしているところです。




5754 ちょっときつい事書きますが… angel☆kei 2003/06/02 00:38
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
meipapaさんへ

>東北弁はきつおま、
>てんでわかりまへん、すんまへん、

この、数回の間、すごく書き込むことに躊躇してしまいました。

このサイトの掲示板は「大切な人を自死でなくした方」達が集まるところです。
全国津々浦々、いろんなところからの書き込みが来ます。
まだ、自分の言葉でしか書き込みができなくて方言が飛び交うことも間々あります。

だから、もう少し寛容な心で受け止めてもらえませんか?

>やっぱり関西弁はぬくもりをかんじます。
>ええな人情あるやん、ほんでもインターネットって標準語やん
>冷たい世界や思わん、平気でぐさぐさ突いてくる、
>もっと泥臭いもんでええねん、

この書き込みを読んで関西弁をきついと思っている人もいるかもしれません。
標準語でしか書けない人もいるかもしれません。

そこの所、よろしくお願いします。

ここに書き込みに来る人すべて、まだつらい思いをたくさん吐き出しに来ているのです。
その思いとここのサイトの趣旨だけは理解して欲しいなと思いました。

ちょっときつかったかもしれませんね、ごめんなさい。


5755 書き込む言葉のこと Liebe 2003/06/02 06:50
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
基本的には日本語であれば、多少分からない部分があっても
自分の書きたい言葉で書いていいと思います。
それが、自分の心に一番しっくり来るのでしょうから。

翻って受け取る側も、そのくらいのスタンスで
受け止めてあげて欲しいと思います。
だから、特定の言葉を挙げてそれを否定するような態度は
お互い控えるようにするのがいいのではないでしょうか。

・・・
meipapaさんに話しかけたかったけれど、
私は関西弁ができないから、
傷つけてしまうより黙っておこうと思って
keikoさんにお任せしていました。

meipapaさんは関西弁で書き続けられたらよいと思うし、
小僧さんも東北弁がよかったら、使っていいと思います。
東北弁は私にはなじみのある方言で、違和感ないです。

というのが私の意見ですが、いかがでしょうか。



5756 自宅と、職場に帰ります。 keiko 2003/06/02 07:06
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
本州の西の端っこの両親の家(父の仕事で小学校で越してきた)から、
仕事と、夫の待ちかまえてる関西の自宅に、
気合いを入れて帰る!

実は、うちの父は青森弁
お祖母ちゃんは九州弁、
お母ちゃんは関西弁、
私の生まれ育ちは関西で、
同じ関西育ちの夫は、標準語、
実家のそばに住んでる妹の家族はみんな、山口弁。

許してね、どうしても、標準語に変換できない心・言葉が、
時々、出てくる。

ほら、宮沢賢治の詩にもね、
妹の死を悲しむ詩に、方言が
ときどき、あるでしょ。

実は、小僧さんの言葉は、判るんだ!
うちのおじいちゃんは、死ぬまで東北弁だったし、
おじいちゃんの親戚の家にも、何度も泊まりに言ってるから。

「きつい」っていう関西弁には、
むずかしくて、っていう意味もあるんです。
ちなみに、山口では、きついは、疲れたときとか、使います。

じゃあ、出発!


5757 言葉の難しさ angel☆kei 2003/06/02 08:18
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
ちょっと表現がきつかったようでしたね、ごめんなさい。

Liebeさんの言うとおり、ここのサイトはどんな方言で書き込んでも問題はない所です。
だから、標準語でも関西弁でも東北弁でも書き込めばいいんです。

でも、言葉は時として「理解しづらい言葉」というものも出てきます。

たとえば、「きつい」は関西弁で「難しい」とkeikoさんは教えてくれましたが、「強い、厳しい」という捉え方もできます。

ある意味、否定しているようにも受け止められてしまうのです。

たとえば方言で書いたとき「きつい(関西弁では難しいという意味です。)」と入れていただければ誤解も少なくなるのでは?と思いました。

ここに書き込みに来る方達の大半は「心に傷」を持ってしまい、それを「回復させるため」に思いのたけを書き込んでいます。

ちょっとした言葉の行き違いで書き込むことができなくなってしまう方もいるので、あえて書き込んだしだいです。

Keikoさん、meipapaさん、気分を悪くさせてしまってごめんなさいね。
小僧さん、東北弁にも「ホッ」とさせてくれるものがあります。
そして、皆さん、言葉に詰まったら「方言」使ってみませんか?

私も方言大好きです。
ただ、遠州弁はかなり表現が強いのであえて使わないようにしていますが…。



5758 誤解を招きましたね、すんません。 meipapa 2003/06/02 08:24
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
私も自死遺族になったばかりで混乱しており、
冷静な判断が出来てなかったように思います。
素直に思ったことを書いてるだけで、
感じたままがいけなかったかな、
日本のどこでも悲しみは一緒であり、
言葉は伝える為の手段です。
だから、そこになんの意図もありません。
ただ同じ言葉で話してると正直、心が安らぐのです。
心にそのまま言葉がしみこむのです。

だからangel☆keiさんの言うこともよくわかります。
私もまだ3週間であり、藁をもすがる思いでここにきてます。

みんな自分のことで精一杯であること、私もそうです。

でも、先へ進みたいんです、笑えない毎日に明るいものを探してるんです。
無理にでも明るい方向へ行きたいというのがあり、
また今に留まっていたいという気持ちもあり、複雑です。
しかし、今私達に言えることは明日があるんだということ、
まだ守るものがあるし、
辛いけれど生きてる者を第一に考えなければならないし、

言葉で傷ついたひとがいるなら素直にごめんなさい。
 






5759 こんにちわ いづみ 2003/06/02 08:30
女性 / 30歳台 / 夫 / 10年以内 / 西日本
Liebeさん お元気でしたか?
Liebeさんの言葉が聞けてうれしかったです。
少しは落ち着かれましたか?
泣きたい時は泣ける事。
苦しいときは「苦しいよ」と訴える事 大切な事ですよねぇ。

急がずにね・・・ ゆっくり ゆっくりです ね。

keikoさん
ご自宅へ帰られるんですね。体気をつけてね。

これ読まれる頃には帰っていらっしゃるかな。
keikoさんのおうちは 言葉だけでもバリエーションいっぱいですねぇ。
すごい。
なんていうか・・・ 和風バイリンガル・・っていうか・・。

でも 以前管理人さんもおっしゃっていらっしゃいましたよね。
「心で文字を読まれたのですね」と。

私もそう思いました。
ここに来て 長くなってくるとね・・・次第にそんな感覚が身についてくる
のかもしれません。

方言よりも 言葉遣いよりも その言葉の奥にある
もっともっと 奥深くにある心の叫びとか
苦しみとか 悲しみとか それからやさしさや いたわりや
そんなものに敏感になっていくんだと思います。

同時に 言葉の持つ建前 上っ面 真意 そんなものにもものすごく敏感になっていますから 遺族でない方たちから向けられる「一見やさしそうな言葉」
にも傷ついたりもするんですよね・・・。

私は何度か「いづみさんって偉いね。私には出来ないわ」と言われましたけど
その度に 傷つきました。
夫を亡くして 小さな子供たちを育てながら 仕事をこなしいていた私が
彼女たちの目にどう映っていたのかは知りません。

けれど したくてしていた苦労じゃない。
夫がいて 守ってくれる家族がいて 自分は暖かな場所にいるくせに
「私には出来ないわ」という言葉は 「私はしなくてもいいんだもの」と聞こえたからです。
実際 大変でした。
いきなり生活すべての責任と 彼の死に対する責任もすべてすべて
私が請け負う事になったからです。

そんな風にね・・自分の心を守るために言葉に対してはとても敏感になりました。 
同時に 強がっていても この人今自分の事でいっぱいいっはいなんだなぁ・・というニュアンスも なんとなく判る時があるんですよね・・・

でもこれは 私だけじゃなくて 多分遺族となったたくさんの方たちも感じられてる事かもしれません。
そしてきっと keiloさんもそうなんだろな・・・と思いました。

maipapaさん
別掲示板ではごめんなさいね。
月日の浅いmaipapaさんに あれこれ言うのも本当に申し訳ないと思いました。けれども月日に関係なく みんな言葉に普段以上に敏感な状態です。
maipapaさんもきっと そうだろな・・・と思っています。
だから 本当にごめんなさい。
「いづみという奴は いやな事を言う」と思われても良いですから
その事も 覚えていてくだされば・・・と 思います。
けれどね いつも心配しています。
言葉の端々に 辛くて辛くてどうしようもないほど苦しいmipapaさんの気持ちがあふれていて その事が感じ取れるから。
本当に ごめんなさい。

angel☆keiさん
お久しぶりです。
お引越しされて落ち着かれましたか?
新しい場所で 心気一転がんばってね。

言葉の問題は難しいけれど でも読むのも聞くのも「心」でですね。
私も まだまだだなぁ・・・と自分で自戒です。

思った事を思った時に口にするのは案外簡単だけど
その後のことまでちゃんと 考えて口にしなくちゃいけないんですよね・・。
本当に反省しきりです。

今日は良いお天気ですか?
私の所は晴れています。お洗濯物がよく乾きそうです。







5760 いづみさんへ angel☆kei 2003/06/02 09:01
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
ありがとう。

言葉のギャップって難しいですね。

いつか、知り合いの外人さんが「日本語って難しすぎで〜す。ワカリマセン」と言っていたのもうなずける話だと思いました。

私の切なる願いは…

ただでも傷ついている心を言葉の行き違いでより深く傷つくことを避けてあげたい。

そして…
お互いが支えあって一人でも多くの人たちの心の傷が少しでも癒される場所であって欲しい。

たぶん皆さん同じだと思いますが…。

埼玉も晴れてます。
この青い空が皆さんの元にも届きますように…。


5761 ありがとうございます Liebe 2003/06/02 11:17
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
いづみさん、
何度返信を書こうとしたことか。
ありがとうの一言を書く元気もなくして
ただぼぉっと皆さんの言葉に耳を傾けていました。

辛くて仕方なかったとき、
声をかけていただいたこと、ずっと憶えています。
いづみさんにお礼言わなくちゃ、と
ずっと思っていましたけど、
なかなかできなくて、ごめんなさい。

5月も終わり、おかげさまで一番苦しいところを
潜り抜けることができたみたいです。
今またこうして声を出すことができるようになったとき、
それを喜んでくれる人がいる。いづみさん、
そのことが素直にすごく嬉しいです。
ありがとうございます。

辛いときどこからか声をかけてくれた方々に
感謝しています。
一人じゃないことを知らせてくださって、
ありがとうございました。

meipapaさん、謝ることじゃないですよ。
関西弁で書き続けてください、
それでまた訳が分からないことが生じたら、そのときに
真意を質せばいいことだから、
ご自分に一番フィットする言葉で書いてください。
心が話してる言葉で書くのが
多分一番楽なんだろうと思いますから。
私は関東弁しかできなくて
関西弁で答えられなくてごめんなさいね。







5762 帰ってきました!  keiko 2003/06/02 12:20
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
って、言うても、朝書き込みしてから、
そない時間経ってへんしって、
思うたら、これが、大間違い!

すごい書き込みの山やん!

みんな、それぞれの悲しみもあるのに、
辛い現実もあるのに、
新しく入ってくる人たちのために、
真剣に読んで、真剣に受け止めて、
そうして、返信くれてる。

ありがたいです。

今は、半日年休のタイムリミット直前。
でも、無理して、掲示板見て、良かった。
だって、すごくあったかくなった。

meipapaさん、
みんな、本気で、心配しててんよ。
我が子に旅立たれた私らが、
通ってきた道の中で、最初で、最大で、しかも結構長い、関門の、
「自責」の強さと、痛みとが、meipapaさんの言葉から、
私らの胸にも、共感として、びしびし刺さってきてたから。

私も、ずっと、引きずって生きるんやろうって、思う。
せやけど、生きるんやもん。
花もあげなあかんし、お供えもせな、
これからの供養も、ずっと、私らが、せな、あかんもん。
奥さん、大事にしてあげてね。
生んだもんの辛さも、また、特別やからね。

宮沢賢治の妹のトシが病の床で、賢治に言う。
「生まれで来っだて こんだぁ こたに わりゃのこっ ばっかりで
 苦しまねぇよに 生まれで来る」

私の娘は、私の予定では、七七日以降は、
雲(苦も)一つない西方浄土の真っ白な蓮の花の上に居て、
もう、こんな苦しみの多い地上には生まれ変わらないことになっています。
だから、そのために、一心に供養してます。

姪っ子たちにもすごくいいおばちゃんでいて、
優しかった姉ちゃんを、ずっと覚えててもらって
お参りしてもらわなきゃね。
昨日、妹も、姪たちも、娘の着てた思い出深い服を着てくれてて、
嬉しかった。

毎日、ポリアンナごっこみたいな書き込みですが、
とにかく、生きて、笑顔の娘の写真に語りかけます。

おっと、仕事だ!
もう一度、行ってきます!

 


5763 meipapaさんへ angel☆kei 2003/06/02 12:41
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
meipapaさん、気を悪くされてませんか?
集中攻撃みたいでごめんなさいね。

知り合いの外人さんが言ってました。
「日本語はいろんな捕らえ方があるから難しいね。私にはワカリマセ〜ン」
本当に難しいなと思います。

meipapaさん、私も方言好きですよ。
標準語の「バカ」よりも関西弁の「アホ」の方が相手にグサッと来ないし、京都弁の「はんなり」という言葉も好きです。

前に住んでいた静岡や遠州弁は「ウザイ(うっとうしい)」や言葉の語尾につける「だに〜」や「だら〜」など、どちらかと言えばきつく感じる言葉が多いのでなるべく控えている次第です。

東北弁の「おぼこ(子供)」や「ごしゃかれる(怒られる)」なんて言う言葉も大好きです。(なんせ、実家の母が山形出身だもので…)

meipapaさん、これからも気にしないで方言で書き込んでくださいね。



5764 お邪魔じゃなかったかな・・・ みーこ 2003/06/02 12:58
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
みーこって、ME子なんだろうな。英語のI My Me のMe.
みんなの掲示板なのに、一人ごと言って。
それに、家族をなくされてまだ日の浅い方々と
感情レベルでかみ合っていないかもしれない話を勝手にして・・。
ごめんなさいね。

でも、みーこが父をなくしたころ、こんな掲示板なんてなかったし、
もっともっと社会的な圧迫感あったし、
10年、15年、それ以上前に家族を自死という形で
亡くした人たちって、どうやってその後やってきたのかな。
おんなじように身内をなくしても、
捕らえ方って人さまざまだから、一概には言えないけど。

15年もたてば普通はもうとらわれなくなってきているのかな、
それとも、15年たっても、匿名掲示板であっても、
そのことを人前にさらすようなまねはしない、のかな。

みーこの独り言が、皆さんの会話の邪魔になるんじゃなくて
何か感じてもらえるものだったら良いけれど。




5765 ありがとうの言葉しか・・・ meipapa 2003/06/02 14:49
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
皆さんなんて優しいんでしょうか、
娘もこんな優しい人達に会ってれば・・・と

あの子は2ちゃんねるという某巨大掲示板の記者をしてたそうです。
あとから聞いたんですが、その悩みも計り知れないぐらいあったみたいで、
自分の日記サイトでの悩み相談、自分の抱えきれない悩み、
全て背負い込んでいったみたいです。

どこでもそうですが全てが良い人ばかりとは限りませんし、
悪い人ばかりだとも限りません。

それを見分ける目があの子にはなかったんだろうと、
ほんの僅かな心無い人に翻弄される、ということは多々あると思います。

酷い中傷にあったのかもしれないし、
便利な反面、怖いところもあります。

でも、今こうしてここに書き込んでる時は楽なんです。
やはり、ここには良い人しかいないから、
自分のことに精一杯なのに、他人の話に真剣に返してくれる。
ここでは自分を取り戻せる、ありがとう皆さん。

自分の中に関西弁というか(私は神戸弁だと思いますが)、
それで喋ったり、書いたりすることが本当の自分、
生まれ育ったこの土地に染み付いた、魂とでもいいますか、
それで表現することが、なんか心が開放されるのです。
日本各地様々な人が見るのですが、その魂の叫びは解ってもらえるのではと、


なにやっとんや、しっかりせんかい、もうどうしょうもないやろ、
おまえらがこれからしっかり生きていかな、どないすんねん。
あかん、あかん、やっぱり出てまうわ、ええ子になられへん、
ええ子ぶっても どうしょうもないアホやし、どないしたらええんや、
ほんでもな畑の枇杷一杯なとんで、もうまっ黄黄や
それとなお前が死んだ次の日からな、家のテラスちゅうかそこに
キジバトが夫婦できてな、巣作りしとんや、
ママはなお前が帰ってきとんやいうて、
毎朝くるねん、一生懸命、子作りと巣作りしとんや、
最近な朝早いんや、4時半とか5時に目さめるねん、
おまえがなバリバリ、ネットやっとった時間やな、
はよ寝えやいうてもきかんし、ネット何回も切ったたな、
タイマーかけて12時に切れるように設定してな、
ほんでもおまえは、切ったら困るから入れてくれ言うて
わしら親にはわからんかったな、理解でけへんかった。

なつかしいわこんな時もあったんや
これでよかったんや、なんもいらんかったんや、

ほんでもちごうたんやな、おまえはいややったんやな田舎が、
もっと都会にいきたかったんやな、華やかな世界へな、
部屋かたづけとったら、「さんまの恋のからさわぎ」への
オーディションの封書があったな、出たかったんやな、
出すつもりやったんやろ、その日の朝に、ちゃうのん
自分のプロフィールええことかいとったな、
なんでや、なんでや、行ったらええのに、
自由にさしてやったやん、大阪で一人暮らししてたいがい好きなこと
しとったやろ、部屋掃除しててびっくりしたわ、
なんちゅうやっちゃ、こんなもん身持たんやろ、
しんどいわ、しんどかったんやろ、あほや、あほや
なんぼなんでもそりゃ、あほやねん



 






5766 言葉と想い leeron 2003/06/02 14:57
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
leeronです。こんにちは。
「言葉と想い」……
難しいです。本当に難しい。

それがそれぞれの土地の言葉ではなく、だれにでも分かる標準語だからこそ、
きつく、痛く感じることもあります。
また、子供の頃から身についた言葉でしか書ききれない思いもあります。

でも、伝わりにくいこともある……。

これは、「方言」だけのことではありませんね。

・・・・・・・・・・・・・
以前、書き込まれたことに、
「だれもが救われる、魔法の言葉はない」といった意味の
ことがありました。

私も前に書いたかと思いますが、
この場所には、いろんな時期の、いろんな立場の
方が書き込まれます。
極端にいうなら、みんな違うのです。

残念なことに、すべての方が共通する想いを持てるということは
あり得ません。もし、共感を得、そういう風に見えたとしても、
「その方なりの理解の上に立つ」共有の感覚です。

・・・・・・・・・・・・・
一連の書き込み。読ませていただきました。
そしてそれぞれの言われていること、
書き込まないといられなかったお気持ち。
すべて、分かります。

言葉の行き違いを心配されて、
他の方が傷ついたり、書き込みにくくなることを
あえて、書き込んでくださったangel☆keiさん。
ありがとう。

meipapaさんが書いてくださった。
「素直にごめんなさい」
みなさんに、この言葉の重みは確実に伝わるはずです。

そして、真剣にフォローやご意見を下さった、
Liebeさん、いづみさん、keikoさん。小僧さん。
ありがとう。

・・・・・・・・・・・・・
このやりとりの中で、それぞれの方が思われたこと。
それは、その方にとって、多分大事なことです。

共通する部分がないと、お話しをすることすら難しい部分があるかもしれません。
ただ、「ここは、私は違うと思うな」。そう言えることも、それを聞けることもまた、
こんがらがった心を解きほぐしていくためには必要なことと思います。

その時に、少しでも、お互いにああそうだったんだねと、
そう思う気持ちも、分かるよねと、
もしくは、いつか分かるんだろうかと思えること。

そんな気持ちを、ゆっくりと噛みしめていけるといいなと。
心から思っています。

・・・・・・・・・・・・・
このことを書き込もうとしたら、meipapaさんの書き込みがありました。

>自分のことに精一杯なのに、他人の話に真剣に返してくれる。
>ここでは自分を取り戻せる、ありがとう皆さん。

きっと、meipapaさんのお気持ちは、みなさんのお気持ちでも
ありますよ。
真剣に考えているが故に、行き違いや、傷つくこともあるかもしれません。

でも、だからこそ「ありがとう」の言葉は重いのだと思います。

meipapaさん。

ありがとう。



5767 みーこさん。みなさん。 leeron 2003/06/02 15:16
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東

えっと、みーこさん。
気にしないでくださいね。

>みーこの独り言が、皆さんの会話の邪魔になるんじゃなくて
>何か感じてもらえるものだったら良いけれど。

邪魔になんかなりゃしませんよ(^^)
それ以上に、それだけの月日が経っても苦しいことがある。
でも、それ以上の思いもまた、できてくる……。

長いトンネル。苦しかったですね。
本当に辛かったと思います。
そして、こうして思いをかけるようにまでなられたことに、
私は、(そして多分みなさんも)勇気づけられるのですよ。

ありがとう。

ゆっくりと、みーこさんのペース、私のペース、みなさんのペースで、
歩いていきましょう。

・・・・・・・・・・・・・
みなさん。どうしても掲示板には「流れ」というものができてしまって、
書き込みづらいときがあると思います。

特に、一つの書き込みに対してレスが連なっていく「スレッド」形式
ではない、この掲示板の方式では、そういうことも多いと思います。

なるべく、いろんな方が書き込んでいただけるように気をつけていきたいのですが、
管理人の力不足もあり、なかなかうまくいかないのが申し訳ないことです。

・・・・・・・・・・・・・
ただ、まずご自身が何を話されたいかを、遠慮なく優先されてくださいね。
もし、まずければまずいと言いますし、
この掲示板より、他の掲示板の方が、ゆっくりと語ることができるなと思えば、
そう申し上げて、一番いい方法を考えたいと思いますので。

・・・・・・・・・・・・・
掲示板は「生き物」だと思っています。
濁流であることもあれば、清流であることも、
ゆったりと流れることもあれば、激流であることもあります。

大きな石でもせき止められないこともあれば、
小石一つで、流れが変わるときもあります。

溺れそうになったら、岸で一休みするのも一つの手ですし、
あえて、その中に身を投じるのも、いいでしょう。

・・・・・・・・・・・・・
重ねて書かせていただきますが、

「遠慮なく」です。

ここには「必要じゃない言葉」は、ありません。

それぞれが、言葉にすることで「今を生きていく」。
そのための場所なのですから……。






5768 こんにちは。leeronです leeron 2003/06/02 16:47
男性 / 40歳台 / 弟 / 5年以内 / 関東
改めましてこんにちは。
leeronです。

・・・・・・・・・・・・・
ヘンリーさん。

始めまして。共同管理人leeronです。
ご挨拶が遅くなってしまいました。

私が言うべきことは、
いしか1さん、小僧さん、keikoさんが、おっしゃってくださったように
思います。

ただ、言えるとすれば、
「これが正解と言う答えはありません。自分なりの答えを一緒に探していきませんか」
ということです。

焦らずに、ゆっくりと。
少しずつ、自分を解きほぐしていきながら、
一緒に行きましょう。

・・・・・・・・・・・・・
まなさん

疲れたときに、無理に前を向く必要はないのですよ……。
グチ、書けるだけ書いて下さい。

>今は長いトンネルにいると思って、いつかはこのトンネルも抜ける時が来るんだと
>言い聞かせて頑張るしかないんでしょうか。

はい。そうなのかもしれません。
もしかしたら、みなさんそうなのかもしれませんね。

でも、トンネルにだって、空気抜きの穴や、なにがしかの光はあります。
きっと、まなさんのがんばりは報われます。

>少しずつでも話をした方がいいのか、それともこのままの状態の方がいいものか・・・。

思いは思いとして、話せる機会もあるかもしれません。
まなさんがお話ししたくなったときに、タイミングがあえば、
それは話した方がいいときなんだと思います。

どちらかではなくてはならないわけではないと思いますよ。

ゆっくり待ちましょう。そんな時を。

・・・・・・・・・・・・・
のこりさん。

>これも不思議な縁です。

甥のことを思うと、同じ感慨がありますね。
本当に、不思議なような、切ないような……。

・・・・・・・・・・・・・
春さん。

ああ。懐かしい歌ですね……。

そう。今は難しくても、少しずつそんな力をこの身にためていきたいですね。




5769 Leeronさん みーこ 2003/06/02 17:27
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
Leeron さん、ありがと。

>それ以上に、それだけの月日が経っても苦しいことがある。
でも、それ以上の思いもまた、できてくる……。


そう。長い年月の間には、いろんな気持ちの変化がありました。
3年、5年ではもてなかった思い、いろいろあります。
父親に対する感謝の気持ち、などは特にそうですね。

亡くなった当初、私は父がいないことにどこか「慣れて」いました。
生前、出張も多かったし、入院してることもあったし、
出張でも入院でも、家にいなければ、鬱の父と顔をあわせないで済む。
また自殺未遂とかするんじゃないかってひやひやしなくて済む。
なくなって、ホッとしました。

ホッとした、という自分の感情が、私をずっと苦しめました。
なんて恐ろしいことを思うんだろうか、と。
そう感じたんだ、ということを口にしたのは10年以上たってから。
カウンセリングの場面で。
(ほんの短期間、気持ちの整理をするためにカウンセリング
を利用したとき。)
そのときはじめて、
いい悪いじゃなくて、そう感じたんだ、と、事実として
受け止めることが出来ました。

そして、やっとつい最近、
「ホッとする」というのは、誰かが長患いの末になくなったとき、
看病をしていた人が経験することの多い感情だ、
ということを知りました。
もう、「死ぬんじゃないか」と心配しないでいいから。
看病の大変さから開放されるから。

やっぱり、みーこ、あのころ大変だったんだろうな、って思います。

みーこは、病気になってからの父が大嫌いでした。
父を嫌うみーこのことを父も扱いにくがっていました。

でも、以前誰かがいってくれました。
「鬱になってるときのその人って、ほんとのその人じゃない。
ほんとのお父さんのこと、すごく尊敬してたんだね」って。

そう。人間だから、だめな部分もあるけれど、
ある面では、尊敬できるすごい人だったよ。

思春期の娘と鬱の親、最低な組み合わせでうまく行かなかったけれど、
今では思えるんです。
あの精神状態で、それでも出来るだけのことはしようと
がんばってくれたんだ、と。
育ててくれてありがと、って。

何だよ、ばーか!、何で死んだんだよ!って、思いが
消えて亡くなったりはしないだろうけどね(笑。)


5770 ここがこのまま今生きる社会だったら… angel☆kei 2003/06/02 19:46
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
地球は「なんて良い所なんだろう」って言える場所になっているのではないでしょうか?

今、足りないものは何か?

その足りないものが全て満たされている場所がこの掲示板のような気がします。

言葉や文化の違いの中でお互いが思いやり、慈しみ、足りない部分は補い合う…。

今、足りないものってそういうものですよね。

そう考えると、私達は神様からすごく大きなものを失った代わりにすごく大切なものを教えてもらったような気がします。

これが大きなものを失わずに教えてもらっていたら、おそらく気づくことができずにいたでしょう。

お互いが思いやり、慈しみ、補い合う世界は何時来るか解りませんが、ここではその世界ができているんですね。

自己満足のような書き込みでスミマセン。

でも、このやさしさがすごくうれしかったので思わず書いてしまいました。




5771 流れ 月山 2003/06/02 20:22
女性 / 夫 / 10年以内 / 日本国内
掲示板の流れにじっと息を潜めて読むだけの日々が続くと、ふと、拠り所だった「ここ」さえ、ひょっしたら、自分にたどり着ける岸なんか無いんじゃないかしら?


なんていう、不安感で、一層自分の矮小さが、惨めに思えてくる・・そうすると、高田馬場」が遠く思われて、さらに自分を追い込んでゆく・・・そんなことさえ・・・考えてしまって・・・。


「遠慮無く」そうですよね、それが、ここの良いところですよね。

で・・・・?何を言いたいかというと、岸部にまた立っています、ということです。
このところ「読む」事のみで参加していますが、いつも、どなたの文を読んでもいつも思っていました:お一人じゃないですよ、でも、お心と御身、お大切になさって下さい・・・って。

苦しみと悲しみと孤独の器3っつ: 掲示板のどこかにあったこの言葉、私しばらくその言葉に泣きました。

泣きましたけれど、でも、とても、うれしかったのです。この言葉を感じていらっしゃる方が一人じゃないことに・・・。

ぁ、とりとめもなく済みません。

でも、全く共有できなくても、それでも寄り沿い合おうと思える心が
二つ以上あれば、支え合えますよ、どこかで。何かのかたちで、きっと。

leeronさん、はーとろーどさん、エールを送ります!


5772 明日で2ヶ月 パセリ 2003/06/02 20:36
女性 / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 西日本
明日で丸2ヶ月になります。
逝ってしまったのは、警察に私が捜索願を出した日の午後11時頃でした。

翌日亡くなった場所の警察署から電話があったとき
見つかったものと思って一瞬嬉しかったのを覚えています。

後は・・・ただただ震えているしかなかった。
その電話のやりとりを聞いてしまった息子と娘と
泣くしかなかった。
「お母さん、頑張るから。大丈夫やから。」
「3人で頑張ろう」
そして泣くのをやめてしまいました。

今思うと、あの「頑張ろう」が、私にも子供達にも
無く機会を奪ってしまったんです。
もっともっと3人で泣けばよかった。
お互いが、悲しむ顔を見たくないから
頑張りすぎたんだと思うんです。

長い長い2ヶ月でした。借金も3社からあったりして・・・
信じられない事ばかり続きました。

夫が亡くなったのが何年も前のようです。
反対に、信じられない気持ちもまだまだわたしたち3人には
あるような気がします。
だって、いつも遅くにかえってくるか、無断外泊をしていたから。

どこまでも、勝手な人だった。最後まで勝手な人だった。

私は悲しいんだろうか・・・
まだわからない。
他の女性と死んでしまったあの人を、私は許す事が出来るんだろうか。

父の日に、義父の33回忌と、
すぐに納骨してしまったあの人の49日を
お寺で一緒にします。すごく気が重いです。
無くなった事を聞いても、誰一人としてあの場所にこなかった。
そんな親戚や兄弟。私と私の父と、私の弟と3人で確認して
3人で全部済ませてかえってきたんだから。。。

そんな親戚と顔を合わす事が一番嫌です。
悲しむよりも、苦しむよりも、その人達に合う方が嫌なのです。

そして勝手なあの人のために、何故手を合わせるのか・・・

まだまだため息ばかりです。


5773 meipapaさんへ。 のぶゆき 2003/06/02 20:39
男性 / 40歳台 / 弟 / 1年以内 / 東北
向こうからの続きです。
苦しみや辛さは、同じじゃないけど分かち合える。僕もそう思います。
僕も始めの頃、穏やかな晴天にそよふく風が吹き、一人になったトイレの窓から空を見上げてよく涙しました。
でも、目が赤くなる程は泣けないのです。
子供にバレると気にしますから。(6才と1才の面倒みている専業主夫しています)
 前兆やサインの見逃し・・・、
うちの場合は、前兆もサインもあったのですが、一緒に暮していた両親も疲れきっていたのでしょう、手を離してしまったというか、うっかり見過ごしてしまったそうです。
弟が起きてこなくて気づいたのが朝で、電話で父が連絡して来たのはその夜遅くなってからでした。(遠く離れて暮しています)
僕になんて話せばよいのか迷っているうちにそういう時間になったとの事ですが、弟への対応の事で両親と時々もめていたのも関係していたのでしょう。
僕は両親が嫌で高専を中退して18で家を出ました。元々両親(特に父と)と折り合いが悪かったんです。そして11年前、かみさんの都合で29年住んだ神奈川から、かみさんの郷里の岩手に急に引っ越したのです。
その事も弟に負荷をかけていた様です。(両親の面倒を頼むという事だと思われていました)何度も、「そうじゃないよ、いざとなればちゃんと考えるから!」と話ましたが、わかってもらえませんでした。
父の第一声が、「〇〇を死なせてしまった・・すまない・・」でした。
うちの場合は「死んでしまった」ではなく、「死なせてしまった」なのです。
弟は一度手首を切り、未遂をした後2年9ヵ月両親の家で家で暮して(療養して)いました。その間両親は、両親なりにできる限りの手を尽くした様です。
弟は心の病でいくつもの病院へ行きました。入院もしました。又、切って使えなくなった指を治す為の手術も何度か受けました。
弟は両親の前では、ずーっと子供返りしていたそうです。僕と会う時は(電話の時も)そういう姿を見せなかったのです。
亡くなる前の晩、寝床でめづらしく飲み薬の整理をしていた弟を見て、両親は「今夜は注意しなければ・・」と思い、父も母も夜中いつもより一回多く見回ったそうです。
それでも朝、寝相のの悪い弟が、寝しなと同じ格好で寝ていた事と少しの吐物を見つけて異変に気づいたそうで
うちの場合は、家族全員が見殺しにしてしまったと思っているのかもしれません。
長くなってごめんなさい。字数が足りないので詰めて書きました。


5774 みーこさんへ keiko 2003/06/02 21:04
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿
恥かしい話だけど、
娘に旅立たれてから、初めて、「うつ」に向き合いました。
娘がその病気で苦しんでいたこと、私も、夫も、(多分娘自身も)
知らなかった。
それで、その後、一生懸命本を読んで、勉強して、わかったことは、
「うつ」になるのは、真面目で、几帳面で、責任感が強くて、
社会的にみたら、すごくいい人って、言うことでした。

みーこさんのお父さんも、きっとそうだったんだよねって、
みーこさんの書き込みを読みながら思いました。
そして、みーこさんが、そんなお父さんの尊敬できる面や、
優しかった心遣いを、今思い出せてるのは、
お父さんのためにも、みーこさん自身のためにも、
本当に良かったって、うらやましく思います。

我が家では立場が逆で、不器用で気難しい夫が、娘に置いてかれました。
彼は、いびつな自己愛の延長線的な面は否めないけど、
彼なりに、たった一人の肉親である、娘を愛していました。
夫は、家族に関しては(妻である私も含めて)幸薄い人でしたから。
娘が、それをどう受け止めて旅立ったかを、
今更、知る由もありません。

私も、自分では、心から愛してたつもりだったのに、
たったの一言もなく、ただ、置いていかれて、
娘が、私を母親としてどう受け止めていたのかを、
もう、知ることはできません。
知っても、どうにもできないし、
知ることを怖れている自分の心情を否定できない……

そんな自分の弱さや、悲しみを、抱えたままでも、
社会人としての立場、夫と自分の両親という家族を支える身として、
生きています。

ここで、出会えて、書き込みを読ませてもらって、
娘との関係を、あれこれと思い巡らしました。


5775 こもえすた・うすて? 小僧 2003/06/02 21:21
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
め・じゃも・小僧。なんて言ってみたりして・・・。

一日でどうなってるかなあと思ったら、ちゃ〜んと解決してましたね。
良かった良かった。
angel☆keiさん、小僧に気を使ってくれたのですね〜。どうもありがとうございます。

まわりくどいやり方をしてしまって、本当に申し訳なかったのですが、わざと東北弁を混ぜて、meipapaさんに「周りに皆がいますよ・・・。」と呼びかけたかったのだと思います。ごめんなさいね。普段は東北弁らしい弁?は使わないです・・。だって、小僧は20+ウン歳。(*^^)v


関西弁は「関西弁は嫌い。」と豪語した大阪人と昔お付き合いしていたので、なんとなくニュアンスがわかります??「きつい」の違いも大丈夫です。

何語でも何弁でも、「読む」という作業よりも、そこから「感じる」ことが皆さんも多いと思います。不思議ですね。活字なのに。

angel☆keiさんがおっしゃるように、「人との違い」をどう受け止め、どう付き合っていくかが、全ての問題に絡んでくるような気がしますね。人参の切り方、ゴミの出し方で仲悪くなっていく人間関係が小僧の日常にあるんですよ〜。どっちでもいいじゃないかって言うとそれもまた良くないって怒られたり・・・(^^; でも、もうこんなん嫌じゃ〜って思っても、ひょいっとやさしくされたりすると、ヒトって面白いなあ、もう少し付き合ってみるかあって思い直したりします。そんな事の繰り返し。

みーこさん、なんとなくみーこさんの生きてきた流れが小僧に似ていて、色々考えました。

小僧も「ほっ」としましたよ。ああ、これで全てが終わったんだって。
死んだと思うことにしようってずっと言い聞かせてきましたもの。死ねばいいって思ったし、殺そうとしたこともありました。最後に小僧父に投げた言葉は「死にたかったら死ねばいいでしょう。」ということだったと思います。小僧父は躁鬱だったから、家族は鬱よりも躁の方の恐怖で夢にまでうなされる毎日でした。そういう日々の終わり。しかし、どこかで、「ゼッタイに治してやる!」って思って、全てを父のために捧げようって思った日々。この両方が小僧の10代の全てでした。
父の死で、小僧も一度死にました。そこから、亡霊になること20代・・・。(^^;やっと、最近日のあたる場所に出てきたところです。

いづみさんは、小僧をやさしいって言ってくれたけれど、小僧は自分の一番醜い部分を知ってしまっているので、言い直すとしたら、「やさしくありたい。」だけなんだと思います。罪ほろぼし・・って思ったこともありますが、今はただ、やさしい気持ちになりたいからかな。小僧父は本当にまっすぐにどんな人をも受け入れることが出来る人で、必ず良いところを見つけて褒められる人だったので、ちょっとでも父に近づきたいんだと思います。

現実の世界では生きるためと称して邪念だらけですけどね。それでいいやって最後は思うことにしてます。

長くなってしまいましたが、衣替えですね。銀行のお姉さんが可愛い制服になっていたので、思わず声かけちゃいました♪

ではまた

小僧でした。










5776 小僧さんへ すずか 2003/06/02 22:48
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 関東
小僧さんのお父さんは躁うつ病だったんですね。
鬱よりも躁の方が恐怖というの、すごくわかります。

躁のときの夫は、はっきり言って自信満々の傲慢ヤローで、人の話は聞かないわ、大いばりで説教するわ、そのくせ、急に何もかも忘れたかのようにくだらない冗談を大声で言って恥ずかしいわで、家族としては一緒にいるだけで消耗しました・・・。自動車の運転が超危険で、何箇所もボコボコにしましたが、本人は全然気にしている風もなくて、あれで人をひき殺していたら大変でした。そんな感じで私との間の信頼関係は一切なくなった状況で死んでしまったので(死ぬまで躁うつ病だとは知らなかった)、未だに悲しむと言うより困惑してます。

こころの病について特集を組んでいる雑誌とか、パラパラと目を通すのですが、鬱についてはすごく書かれているのに、躁についてはほとんど見たことがありません・・・。
どうしてなんでしょう。そんな風に思ったことありませんか?

躁のほうが、家族やその人自身にとって被害が大きいような気がするのに・・・。鬱より珍しいとは言っても、2、3%の人が罹ると本で読みました。三環系の抗うつ薬では10%くらいが躁転するとのデータも見たことがあります・・・。
躁うつ病の人の半数以上が自殺未遂をし、そのうち、何割もが成就するという話も読みました・・。

小僧さんはお父さんのことが好きなのですよね・・。
私は自分の子供たちが、夫のことを好きになったほうがいいのか、よく分からないんです。
まだ小さいので、よく覚えていないと思います。
私はどうやって話したらいいか全然分からないので、とにかく夫のことは家の中では初めからいなかった人として完全に消し去っています。
それがいいのか悪いのか・・本当に全然分からないんです・・・。
子供の立場としては、どうですか?

個人的に聞いてしまってごめんなさい。


5777 自ら死ぬとき動物は… angel☆kei 2003/06/02 23:31
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
こんな話をするのもなんですが、昔、亡くなった主人と呑みながら話していたときに言っていた言葉を思い出したので書き込みますね。

動物は死期が迫ると自ら死に場所を探しにいくんだ。
たとえ飼い犬や飼い猫だったとしても絶対に知られないように逝くんだよ。

皆さんの書き込みを読んでふと思い出しました。

皆さんの大切な方も「死」を悟られないようにして逝ってしまったんだなぁと…。

主人もそうでした。
亡くなる3日前の朝は「必ず迎えにいくからがんばれ」と泣きながら言っていました。
亡くなる前の日に上司の住職のところに行ってから顔色が悪くなり、部屋に閉じこもっていましたが亡くなる当日はそんなに変わりなく過ごしていました。

ただ、いつもと違っていたのは「家の壁に寄りかかって西をボーっと見ていた(自死した場所の方向)」事と「お昼のときに様子がなんとなく変だったので手を握ろうとしたときに初めて避けられた」事でした。

私達に内緒で死に場所を作っていたようです。

それも、悟られないように…。

きっと、知られたくなかったんですよ。
知られると決心が鈍るから…。
知られるときっと逝けなくなるから…。

心配させないように…。

でも、
「私達の心に一生残る深い傷」を作ってしまう事は一切考えずに…。

こんなに苦しむことなんか何も考えずに…。

やっぱ「ほんまのアホ」やわ、うちのダンナ…。


5778 angel☆kei 様 愛子 2003/06/03 00:49

わたしのママも同じです。
数日間 どこかに行っていて自宅には戻らないままでした。
今日は帰ってくるかな・・・って毎日願っていました。

「ママは亡くなってしまったよ」とパパから聞きました。
泣いているような、見つかって安心したような
そんな悲しい表情でした。
子供心に忘れられない表情と声でした。

一生消えない深い傷と寂しさしか残っていません。
ママは自分の人生と娘の成長を見守る楽しさも放棄して
死にました。
ここまで勝手に自分の人生を閉じるのは「バカ」です。


5780 愛子さんへ angel☆kei 2003/06/03 01:17
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
つらい記憶を思い出させてしまったようで…
ごめんなさいね。

私達を置いて逝ってしまった人は「バカ」だし「アホ」かも知れない。

ただ、それを許して認めてあげることが出来るのは私達だけかもしれない。

しんどいけど、許したくない部分たくさんあるけど「認めて」「許して」あげましょうよ。

それがその人を芯から「愛情」で暖める事につながり「癒して」あげることが出来るのならば…。

きっと向こうの世界で「ごめんなさい」って謝っているんだろうから…。


5781 久しぶりの投稿です。 すず 2003/06/03 02:22
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 東日本
布団に入っても 眠れなくて ここにきました。
寝入りに娘が(小学3年)お父さん(夫)の思い出話をはじめると・・
苦しくなるんです。
話の終わりには娘は泣きながら眠りにつきます。
娘の寝息が聞こえてくると 悔しくて
やりきれなくて 心が張り裂けそうになるのです。
どうして 夫は この子にこんな辛い事したんだろうと。


田舎町で起きた主人のこと。
世間の目が痛くて 冷たくて 怖かった。
でも 時が過ぎ だんだんと衝撃が薄れていく・・

あれ以来 幾度となく いやな思いもしたが
それでも 歯を食いしばってきた。
少しづつだが 世間にも出れるようになった。
一番辛いであろうと思われる時期も過ぎた。
いろんな事を自分が乗越える度 どうして夫は生きることさえ
あきらめてしまったのだろう?と思う。

私もひとりで乗越えてきたわけじゃない。
ここで多くの人の声を聞き 助けを求め 身内と何度も語り合い
それで 生きてきた。

悩みを誰にも打ち明けず 放り出すこともせず
ただ ただ 自分の胸の内に秘め 逝ってしまう。
遺された者は なぜ?という 終わらない心の葛藤に苦しめられる。
卑怯だよ。 自分の気持ち全部吐き出して 話し合いたかった。
そうしたら 違う道 探せたのに・・

angel☆keiさんの投稿の
 
>きっと、知られたくなかったんですよ。
>知られると決心が鈍るから…。
>知られるときっと逝けなくなるから…。

主人も亡くなる一週間前は・・明らかにいつもと違っていました。
魂がぬけたようになっていました。
食欲もなく 夜眠れなくて何度も起き上がってました。
微熱も続き 無気力で 私や娘とも かかわろうとしなかった。
私に鬱の知識があればよかったのにその頃は全くなくて
彼の母親が癌だったからそちらの方だろうと・・
自分で総合病院にいったのですが 内科へ受診しただけでした。
彼は自分でたすかろうとしなかった。
誰にも ひとことも弱音をもらさず翌日逝ってしまった。
誰かに話せば 自分の心知られてしまうって思ったんだ。


いまは 娘をどう支えていこうかと考えます。
いまだ お父さんの死を信じられない。
時を戻したい。と言います。
多感になっていく時期の突然の事態に本当に気丈にがんばってます。
でも 心の奥底には 寂しさ 苦しさを抱えています。
困った時はまた 皆さんの声を聞かせて下さい。
お願いします。

気分が落ち着いてきました。
思いを文章にすると心がスッキリしてきます。
  



 



5782 ありがと。 みーこ 2003/06/03 07:52
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
keikoさん、小僧さん、にゃんさん
ありがとうございます。

直接皆さんの書き込みにレスするのって得意じゃなくて、
でも、何か言いたくって、独り言書きました。

keikoさん
子どもさんに先立たれるって、
親においてかれちゃうよりきついだろうな、って、
思うんです。
父が亡くなったとき、祖父母はまだ健在でした。
・・健在、というか、祖父は、病気で何度も危篤を繰り返しながら、
がんばって、生きていました。
さすがに祖父にはすぐに伝えられず、葬儀もすべて終わってから、
葬儀屋さんからもらったお葬式の様子を撮った写真のアルバムを
祖母と母とで見せました。祖父は、無言で、涙を流したそうですが、
あとはなにもいいませんでした
子どものように泣き叫ぶことも出来ず、
深い悲しみを胸に閉じ込めて、1年数ヵ月後、他界しました。
まだこれからというお若い娘さんをなくされた
keikoさんとご主人の痛みは、私には計り知れない
深いものなのだろうな、と感じます。

小僧さん。
似た思いを経験されたことをお話くださってありがとう。
私だけが、私だから、そんな風に思うんじゃないんだ、って、
仕方なかったんだって、
何度も自分に言い聞かせ、人から効き、本で見て、
確かめないと、自分を責める方向に逆戻りしちゃいがちだから。

にゃんさん。

私のカウンセラーさんも言いました。「切ないね。」って。
すごく自分を率直に出してくれるカウンセラーさんで
とてもいい人でした。
でも私、長く自分の感情をブロックさせることに
慣れすぎて、「切ない」って、どんなだか、
うまく自分の中に生じる気持ちと合わせて
みることが出来ないんです。
「切ない」ってどんな気持ちかな、って、そんなこと、
言葉で説明できるものじゃないかもしれないけれど、
「悲しい」とか「痛い」とかとまた違うんですよね。?
日本語の豊かな表現なのに、うまくつかめない。
みーこって、「感情表現」も自分の「感情をつかむのも」
うまくないんだ。

>きっとみーこさんは幸せになれる方ですよ。

そうかな、幸せになれるかな。
そうだと良いな。
にゃんさんも、ほかの皆さんも、幸せになってくださいね。


5783 こんにちわ いづみ 2003/06/03 08:24
女性 / 30歳台 / 夫 / 10年以内 / 西日本
Liebeさん
良かった良かった 何とかしんどいところを乗り越えられたんですね。
波のある事だと思うので またしんどい時は来るかも知れないですが
ちゃんと 見ていますから。
何度も言いますよ。一人じゃありませんよ。
ここでねLiebeさんに出会えてよかったです。
私の方こそ ありがとう(^^)

月山さん
お元気でしたか?
いつも 見守ってくださっていたんですね。
なんだか その言葉を聞かせてもらえただけで安心できます。

ここをロムだけで過ごされている方たちも沢山おられるのだろうな・・と思っています。
悲しみいっぱいで 書き込む事すら出来ない人もいらっしゃるのだと思います。
同時に「見ているだけですが 応援していますよ」と声をもらえると 本当に本当に落ち着きます。

ええ 見守っていて下さい。そして時には言葉を下さい。
ありがとうございました。

小僧さん
>自分の一番醜い部分を知ってしまっているので、
>言い直すとしたら、「やさしくありたい。」だけなんだと思います

けど やっぱり私は小僧さんの事を優しい優しい人だと思いました。

人の心の痛みにも辛さにもちゃんと 向かい合って受け止めたいと願い
受け止めようとされている ね。

人間は誰でもどろどろした怖い自分をもっていると思うのです。
けれども そんな自分を認めて自覚して 対峙しようとする人はなかなかいません。
誰だってそんな事 出来ればしたくも無い事ですもん。

けれども 自死遺族はある意味 
嫌が応にも そんな心の混沌としたすざまじい自分と
向かい合わざるを得ない状態に追い込まれてしまうのだと思います。

そして その事について悩み答えを探しているのだと思うんですよね・・

風邪の具合はどうですか?
日にちも迫ってきたから 夜冷やさないようにして寝てくださいね。


すずかさん
私の思いも少しだけお話させて下さいね。
私は 子の立場で親を考えたとき やっぱりどこかつながりが切れない部分は残ってしまうと思うのです。
夫婦であればお互いが「嫌だ」と思ったときがつながりの切れる時かもしれません。
けれども 自分の体に流れている両親から受け継いだ遺伝子やら性格やらは
やはり 自分が生きている限り続いていくものなのかもしれません。

親を否定する という事は やっぱり辛いものだと思います。
親云々じゃなくて 人間っていうものは「憎い」「嫌い」と思う人が心にいるだけで 穏やかでなくなります。

私は幸せというものは 心が穏やかで落ち着いている状態 がまず一番になくちゃ成り立たないものだとも思うのです。

故人の事を憎く思い 恨みに思う気持ちを持つのは 配偶者を亡くしたものには共通の感情だと思います。
大なり小なり「ごめんね 守れなくて」という気持ちと一緒に
「なんて事をしてくれたんだ ばかやろう」という気持ちは 共存しています。
けれども 人間の心は不思議なもので やっぱり「穏やかな状態」を求めていくんですね・・。誰に命令されるわけではないのですが。

月日が経って「亡くなった人のいい所だけが残っていく」という心の動きも
ひとつには 「穏やかでありたい」という 本能がさせているんじゃないか・・・とも 時々思います。

自死という形で強引に去っていかれた場合 ものすごい恨みと自責が襲ってきますから 「いい思い出だけ」という 状態になんてすぐにはなれないと思うし一生かけて恨んでいく部分も残ると思うんです。

でも 子供のこころは穏やかであって欲しい と私は思います。
私の人生の苦しさに この子達までも巻き込みたくない と思う気持ちもあるのです。

いつか「悲しみの連鎖」という言葉をここで読みましたが
私も「悲しみの連鎖」は 私の代で終わりにしたいのです。


穏やかな心を持っていて欲しい その為には私はうそだって ごまかしだって
なんだってします。







5784 電話にて… angel☆kei 2003/06/03 08:58
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
夕べ友人と電話で話したときのこと。

親族の葬儀に参列して帰ってきた彼女はなるべく明るく勤めていたが、
「この人はまだ大丈夫」って言う気持ちがあったから…というと涙声になった。

私達自死で亡くした人たちも「この人は大丈夫」と言う気持ちを持っていたか。
そして、その人がごく近しい人だから「いなくなったときの大きさは測りきれないものになってしまったんだな」って改めて思った。

まだ、年齢が高い人だったから「寿命」と言う言葉で割り切れるけどね。

そう彼女は電話口で言っていたけど、予測がつかない分、悲しみはものすごく大きかったんだろうって思った。

私にも子供がいる。
やはり誰一人欠けて欲しくない。
これも親のエゴなんだけれど、その分子供をなくした人の「身を切られるような悲しみ」はわかります。

未来があって、幸せになって欲しくって…。

meipapaさんもkeikoさんも同じですよね。
その分の悲しみは大きいでしょう。
何で解ってあげられなかったんだろう。
気づいてあげられなかったんだろう。

そういう後悔がまだまだ頭の中を渦巻いていますよね、きっと。

そういう思いをおもいきりぶつけて書き込んでください。
その姿をお子さん達は天から見ています。
「ごめんね」という声にならない言葉とともに。

そして…
「落ち着いたら笑顔見せてね。お母さん(お父さん)達の笑顔が一番好きだから…」
きっとそう思っていると思いますよ。

うちの子たちも言ってましたもん。
「お母さんが笑っているのが一番だよ」って…。

どこに行っても、何をしていてもきっとそう思ってますよ。
逢えなくたって大事な子供であり続けるのと同じように…。

そして、主人も同じように…
「やっぱり笑っているときが一番だね」ってきっと思っていてくれていると思ってます。

だから「ゲンキでいなきゃぁネ。」って思うのかも…。


5785 パセリさんへ Liebe 2003/06/03 09:37
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
確か、今日で2ヶ月、でしたよね。
近くて遠いご親戚の方々と会うのが嫌だというお気持ち、
察するに難くありません。

特別な亡くなり方をしたご主人を許せるのか、という問いは
これからずっと付きまとうものだと思います。
苦しい問いですが、気長に「許せる」ところまで
付き合っていって欲しいと思います。

封じ込めた涙のこと、
いつか何かの拍子に
怒涛のごとく溢れてくることがあるかもしれません。
それがお子さんとうまくタイミングが合うといいですね。

ごく正直な話、
パセリさんの置かれている状況、抱えていらっしゃる問題は、
私などの口出せる範囲をはるかに超えて
複雑で難しいものだと感じています。
ただ、だからこそ
放っておいてはいけない方だと思い、
訳分からないレスを試みた次第です。

気の重い法要の後にでも、いえ、いつでも気の向いたときに
また書き込みしてください。
なんにもお役に立てないけれど、
気をつけて見ていますからね。



5786 で 続きです いづみ 2003/06/03 09:53

すみません 続きです。
で 私の子はほとんど父親の姿を知りません。
それほど小さな時に 別れてしまいました。

けれどもこの子達は泣くのです。
時に思い出したように
「お父さんに会いたい」と。

知らない人間に会いたいなんて 普通人は泣きながら言いません。
けれども「お父さん」という存在はやっぱり大きな位置をしめているんだなぁ・・と思いました。

私にとっては 「なんて事をしてくれたのか」と思える部分のある人であっても子どもにとっては 自分が存在している根拠的な人だとも思うのです。

で ある程度成長して現実を何とか理解し 乗り越えていける力を持てるようになるまでは 守ってやりたいと思うのです。

ただ・・これはあくまで私の考えなので 「あ 私とは違う」と思われたら捨て置いてくださいね…。


angel☆keiさん またいだ形になってすみません



5787 そうなんですよね・・・ こころ 2003/06/03 10:44
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 関東
しばらく ご無沙汰しておりました。
といっても PCを立ち上げるとここをまず開いて
読ませていただいてはおりましたが・・

私の母は80歳という高齢で自死しました。
どこに そんなエネルギーがあったのか・・・と思います
お店をしていたので 足腰はいたって丈夫で
ご近所のご老人に比べると とても若々しかった

「老人性鬱」という病名はついていましたが
今 思うとそんなものではなく 環境が母を追いやった
としか考えられません。

老人の持つ 孤独感 絶望感に家族が気付いて
あげられなかった やはり 家族の共同責任・・・・

父も言いました 「80迄生きたんだから・・」
父は91歳で健在です。相変わらず自分の事しか
考えていませんが、ずっと自分が先に死ぬといい続けて
大事にしてもらっていた父が今一人残されて
何を悔いてるのか、悔いてないのか・・・
はっきり言って 今の私には 関係ない。

自分の為に もうこれ以上後悔したくない
何も語らず、実家の親戚関係とも関わりは持たず
・・・・少しへそまがりな人生を歩んでいます。

若い方は未来がある・・・
やり直しも出来る・・・

確かに 老婆には未来はなかったかもしれない
やり直しもきかないかもしれない

それでも、生きていて欲しかった・・・
何で その歳まで頑張って家族の為 働いて
最後にそんな寂しい別れかたをしなければならなかったのか

今でも 納得できていません
体にはどこも異常がなく 心だけ寂しくて逝ってしまった母

3年目に入っても そこを考えると涙が溢れます
自分が家族のお荷物にならないうちに・・・と逝ってしまった

確かに 何もしてあげてない
こんなはずじゃなかったんだ・・・といっても
もう 届かない遠い所にいる母。

何もしてあげることもなく、位牌もない私の家の
写真に好物を供えて、写真に毎日語りかける
「もっと話したかったね」
「いろんな所へ 一緒に行きたかったね」
「生きるところ あったのに・・ごめんね」




5788 親心 Liebe 2003/06/03 12:28
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
>穏やかな心を持っていて欲しい その為には私はうそだって ごまかしだって
>なんだってします。

この言葉の意味、続きを読んでようやく分かりました。
そうですか。
お子さん、泣かれるんですか。
何か、本能的に感じ取っているんですね。
お辛いですね。

そのお子さんに幸せの前提となる、「穏やかな心」を持たせたい
といういづみさんの願いと覚悟、
天晴れだと思います。
これから何年かかるか分からないその作業、
応援します。

お子さんの前で朗らかなママでいることに疲れたら、
必ずここにいらしてくださいね。


5789 心〜私の場合〜 angel☆kei 2003/06/03 13:28
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
4人中3人は主人の暴力を目の当たりにして育ちました。
その上父親は死んでしまうし…。

でも、ある日長男がポツリと一言。
「矛盾してるかもしれないけど、ホッとしてるんだよな。父ちゃんが暴力振るうところもう見なくていいんだもん。いないのは寂しいけど。」

また、ある日は
「俺にとって父ちゃんから裏切られたのがこれだもん。この怒りどこにぶつけていいのかわからないよ。」

そう言っていた息子でした。
「この怒りがあるからこの子達は生きていける。」そう思ったのも事実です。

一番下は最近父親と言うようになり「なっちゃんのパパはここにいるの?」と聞くようになりました。

最後に泊まりに行った鈴鹿での抱っこの写真を見せて「なっちゃんのパパはね、なっちゃんの事をとっても愛していたんだけどお空に逝っちゃったの。もう帰ってこれないんだよ」と話しました。

でも、きっといつか心はつながっていくと思いながら。
私もいつか、一番下の娘に「ごめんね。なっちゃんのパパは死んじゃったの」
というでしょうね。

いい思い出だけを出して、その思い出をそっと磨きながら…。

お子さんには紛れもなくご主人といづみさんの血が半分ずつ流れているんですものね。

暴力を振るった主人でも子供達をすごく愛していた主人を私は誇りに思っていますよ、これからもずっと…。




5790 すずかさんへ 小僧 2003/06/03 13:52
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
躁鬱・鬱という言葉が出てくるように、自死と精神障害ということのつながりがありますね。小僧は1年前からそんなつながりと切っても切れない自分を認めて、精神障害を患う人達と時間を共にしています。

10年前は鬱や躁鬱・統合失調症(分裂病)という言葉さえもあまり知られてませんでしたね。学生だった小僧は、保健室の先生さえもとまどうこの病気について、古い父の医学書を読んで知りました。父もまた若い時に、祖父の統合失調症に苦しんで買って読んだ本でした。

今は一ヶ月に一度精神科のお医者さんの講義を受ける機会があります。また、テレビでも最近はよく特集をしてますね。鬱の方が多く取り上げられますが、一番多いことと、症状をまとめやすいということだと思います。躁鬱や統合失調症という診断をくだすことも、医師によっては非常にきわどいこともあるそうです。最初の診断で決められないこともあるそうです。それほどに心・脳というものの複雑さがあるのでしょうね。

そして、医学的話では理解できても、実際に関わる人間、家族の混乱というものは実際に24時間ともに生活したものでなくてはわからないでしょう。これは躁鬱に限らず全ての病気にあてはまると思います。

抗鬱剤の調整はいくら医師といえども、相当に苦労するようですね。小僧父も鬱の治りがけという複雑な時期でしたが、そこには伯父の死やいろんなものが絡んでいたために、小僧父はいつもの鬱では無かったと思います。週一度の通院で何人もの患者を診ている医師に全てを診ることが出来るわけは無かったのだろうと今は思っています。医師の限界というものも、今はわかります。では、どうしたら良かったのだろうか・・・。小僧が今やっていることって、そんなことを問うている感じです。

話がずれましたが、子供といっても、すずかさんのお子さんよりは多分小僧はある程度大きくなっていた時でしたので、認知度が違うかもしれませんね。
小僧家族には少なくとも絵に書いたような人もうらやむような良い時代があって、その記憶があるから、小僧は別人のようになった小僧父を葛藤しつつも受け入れられたと思います。小僧が、少しづつ色々な人達と話をして、自分の中の目を広げていくうちに、父の弱さや悲しさや病気の事実や自死というものを一個一個自分でわかるようになりました。

お子さん方はまだお若いのでしょうから、今すぐに辛いお話をお知らせすることはないと思います。自分は愛されていたのだろうか?という疑問からいつか質問されてくることがあるかもしれません。

小僧母は、相当な苦労をしつつも、離婚をしようかと一度は思いつつも、踏みとどまって父に寄り添ってきたのは、「やっぱり、好きだったから。」なそうです。「もう、男はこりごり。」って今は言いますが。でも、「この人だったら、面白い人生かも。」って思って結婚して、「あんた達の面倒はお父さんが見てくれたから、お母さんは御飯作ってりゃ良くて、楽だったあ・・・。」って言ってます。あれほど苦労しても、毎日線香立てて、御飯を上げて、お花を立ててる姿を見ると、引き算してもあまっちゃう人だったんだなあって思います。

お子さん達との今を大事にしてくださいね。
いつか、すずかさんが病気になる前の旦那さんのことを思い出す日が来て、そこに一個でも「良かったなあ。」って思うことがあったら、そういう
事をどこかに取っておいてくださいね。
また不安になったら声かけてくださいね。

ではまた

小僧でした。




5791 その後 かわのさかな 2003/06/03 15:10
女性 / 30歳台 / 父 / 5年以内 / 関東
お久しぶりです。

新しい数多くの名前が、ここにあることに、
心が痛みます・・・。


・・・・あの時ね、苦しくて苦しくて、反対の方向、向いてパソコン閉じて逃げ出したんだ・・・。

考えて、考えて・・・。考えて、考えて、答えなんかが見つかるわけもなく、苦しくなるばかりだった。

結局、逃げ出した・・・。
忘れようとした。父のことも、母のことさえも。
心がざわついて、じっともしていられなかった。
忙しく、忙しくして、自分の心をなくそうとした。

忘れようなんて、いままで、考えたこともなかったのに。父に対して許されない事だと思っていたのに。
それどころか、あの頃、泣くことが父の為と、思ってもいたのにね。

違っていたみたい。
時間、掛かったよ。どれくらい経ったかな。


月命日を、忘れていたよ・・・・。


今ではね、私が月命日を忘れたということを、
父は、きっと、喜んでいると思えるんだ。
私の姿を見て安心しているのでは、と思えるんだ。

やっと、新しいことはじめられたよ。ちっぽけな夢思い出したよ。
昔、父に無理だよって笑われたこと。
空の上で、きっと、驚いているだろうな。
まだまだ、やっと、はじめの一歩だけれどね。
驚いたことに、一番応援してくれたのは、母なんだ。

何年かぶりに、自分の為の明日にいるよ。

私がこう生きることを、父は願っていたはずなんだよね。
逝ってしまった人は、のこした人の幸せを願っていたはず・・・。

今も悲しいし、つらいことには変わりはないけれども、
やっと、頭も心も、一致して、そう思える時があるよ。

そして、それを行動に移せること・・・。
今では、そうすることが、父に対する供養なんだ。
やっと、やっと。ちょっとずつ。

それが、沢山の答えの中のひとつかも。


でも、本当は一人では怖くてね。
お守りがわりに持ち歩く、ここをプリントアウトした紙は、
折り目のところで、擦り切れているよ・・・。

あの時わけてくれた、たくさんの言葉と心、本当にありがとう。

なんとなく、流れに身をまかせながら、生きるということが出来るようになった気がするよ。
 


5792 うちもそう。 みーこ 2003/06/03 15:18
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
小僧さん。

うちもそうでした。
父の鬱は相当な長患いでしたし、
家の中は修羅場と化していた時期も長く、
したがって、母は何度も離婚を考えたようです。
でも、母にとって父は、父にとって母は、
すごーく大切な相手でした。
父が亡くなったとき、離婚届を
「こんなもの!」って、ぐちゃっと握り締めたのを覚えています。
母が、離婚届を取り寄せるまでしていたことを
そのとき初めて知りました。
あんなに苦労したのに、いろいろあったのに、
母の中では、「立派な人」。
今でも母は、父を慕っています。
父が生きていたら、定年まで仕事したりしないで
出張にくっついていって一緒に旅行を楽しんだりしてただろうにね。


5793 あかんわ、どないもこないもならん meipapa 2003/06/03 16:54
男性 / 40歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 近畿
あかんわ(だめです)どないもこないも(どーにも、こーにもなりません)
なんぼ考えても悪いわ、わしが、
みじめやったやろな、
掃除もしてないゴミだらけの部屋で、
もっと、もっと、わかってやれば、
自由奔放にしとったやん、
なにがあったん、メール仲間もチャット仲間もな、
冷たいもんや、なんもいうてこーへんし、
お前の日記の書き込みをな、
見とったんやで、
「無事やったら連絡ちょーだい」やて、
ふざけんのもほどほどにしてほしい、
連絡すぐにくれとったらな助かっとんや、
でもな、家に連絡あったんはな、
夜の12時過ぎや、それも留守電にや
「おたくの娘さん薬を飲まれたみたいです。
このままでは危険です。」もう遅いって、
その時間やったらもう息ない時間やって、
なんでネットの友達って薄情なん、
リアルタイムやろ、すぐにほしかったよ、
そんなに他人の死が面白いんか、
ネタにしかならんのか、
つらい世の中や、犬死やんな、これって、
だんだんと冷静に考えたらさ、もーたまらんわ(こらえてほしい)
なんで、なんで、(何故)
時間がたってだんだん悔しさちゅうか、
腹立たしさちゅうか、

なんで神様、仏様、うちの子を選んだん、
まだ早いやんか、なんぼなんでも早いよ、
返してよ、おまえなんか役にたたんから帰りと、

間違えて逝ったんや、ほんまはゆっくり寝るつもりやったんや、
いつも写真に言うてもな、返事せえへんしな、
なんか言いや、言うてや、

こんなこと何回言うても、帰ってこんし、(こないし)
あきらめの悪いやつ、そんなんやったらなんでもっと、
かもうてやらんかったんや、

24日目のどうしょーもない(どうしようもない)胸の内です。










5794 angel☆kei 愛子 2003/06/03 21:00

keiさん あやまらないで!
思い出すことはない毎日だもん。
忘れたことないからね!




5795 meipapaさんへ keiko 2003/06/03 21:36
女性 / 40歳台 / 子 / 3ヶ月以内 / 近畿

希薄に生きることで、傷つきたくない自分を守るしかない
そんな若いネット族の子たちにとって、
お嬢さんは、きっとすごい大きな存在やったと思う。
「希薄じゃない人生を、ビンビン生きて、自分で決めた」

私の後悔も、自責も、半端やないけど、
「娘が決めたことやから。」
そう、そう思う努力を、お薬とお経の力で続行中。

夫からは、お前の仕事は趣味やから、って厭味も言われるけど、
今日は、いつもより早く職場を出て、4軒店を回り、
欲しかった淡いクリームイエローのカーネーションをゲット。

旦那のための週末までの食材を揃え、
自分のためのシソのジュースを買うた。

最後に寄ったミニコープで、見つけた!
meipapaさん、桃が、出てたよ!
思わず、手が伸びて、買うてもた!
高かったわ。
せやけど、meipapaさんの言葉を思い出して、ちょっと無理して。
イチゴは終ってもたし、
トマトばっかしやったら、飽きるか、思て。

考えてみたら、大学に行く前の、家で一緒やった頃は、
将来どれほど学費かかるかわからへんし、
家のローンや、競馬好きの旦那の無駄遣い(月10万の浪費家)もあって、
桃なんか、買うたことなかった。
実家で、たま〜に食べるくらいやった。
農家育ちの旦那は、
「ビワなんか買って食べるな。イチジク買うやつはバカだ!」
うちの娘は、ビワを食べたこともほとんどないまま。
イチジクは、仕方ないから庭に植えて作っとった。

今日の悪魔のささやき「この桃、旦那にはお下がりもやらんとこかな…」

meipapaさんのおかげで、
うちの娘は、高級なはしりの桃を頂いてます。


5796 「ごめんなさい」と「ありがとうございました」 にゃん 2003/06/04 01:00
女性 / 20歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
昨夜の自分の投稿を読み返し、
なんだかとても自分中心な書きこみで
反省するところが多く、
恥ずかしくて耐え難くなり、削除しました。

ご不快な思いをさせてしまった方がいらしたら、ごめんなさい。
レスを下さった方、ありがとうございました。


5797 思いは同じ… angel☆kei 2003/06/04 02:18
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
いろんな投稿があっていろんな表現があって…。

その中には、まだ整理がつかずに自己中心的な言葉になってしまったりする場合もあります。

でも、ここはそれでいいと思っています。

今、穏やかな心でいられる私でさえも半年前には穏やかではなく、かなり整理がつかない部分もたくさんあったと思います。

どうか、その心のままに書き込んでください。

後で読み返したときに「こういう私もいたんだなぁ」って思えるようになればいいのだから…。

そして、気づいたときに「あの時はごめんね」って素直に謝ればいいんですよ。

…って、私まだ謝ってない(^^;)

今、言います。
「言いたい放題書いてごめんなさい」m(--)m

だから気にしないで書き込んでね。

それも、あなたなんだから…。


5798 愛子さんへ angel☆kei 2003/06/04 02:43
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
たくさん思い出してあげるのも供養のひとつですよ。

何百回のお経よりもどんなに徳の高いお坊さんにあげてもらうお経よりも...。

空の上で
「忘れないでね」って言ってるんですもの。

一緒に生きてきた記憶を思い出して語ってあげましょうよ。

お坊さんだった主人も言ってました。

俺があげるお経よりも忘れんことが一番の供養なんだから...って。

私たちがおばあさんになっても...ネ。


5799 はじめまして。 ren 2003/06/04 03:36
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
同じような境遇、思いをされた方の書き込みを拝見していて、
私も気持ちを記してみようと思い、これを書いています。

もう10年以上も経っているのにと思うのですが、一生この
痛みと一緒に過ごしていくんだろうなと思っています。

何故あんなことが起こったんだろう、何故もっと優しく接して
あげられなかったんだろう。鬱のこと、軽く考えていたつもり
は無いけれど、もっと理解してあげられていれば・・。
私は、本当に全く役に立たない子供だった。
考えはじめると、キリがない。何年経っても同じ後悔ばかり。

お父さん、最後にお母さんにあげたプレゼントのメッセージに
「いつまでも美しく・・」と書いてあったでしょう。
お母さんは今でもそのこと時々話して「きちんとしていないとね」
と服や髪に気を遣っていて、私は毎週買い物に付き合わされて
いるよ。(お店の人に顔覚えられてしまったよー)
お母さんは、末っ子の私といるのが一番楽らしく、「ずっと一緒に
暮らせたらね」と言うので、そうしようと決めました。 

私はお父さんに全然親孝行できなかったから、お父さんが一番
好きだったお母さんを大切にしていくね。絶対お母さんを一人
にはしないよ。頼りない娘だけれど、寂しい思いはさせない
から。安心してね。

置いていかれた…という怒りにも似た気持ちもあるけれど、また
いつか逢えるものね。いっぱい謝るし、怒らせてね。
平穏な気持ちになることはないだろうけれど、この痛みを上手く
ごまかしながら、一日一日もっときちんと過ごしていけるように
(今少し凹んでいるけれども)頑張るよ。



…長くなってごめんなさい。

同じ痛みを抱えていらっしゃる方々に、昨日よりは ほんの
僅かでも安らいだ今日が訪れますように。



5800 妻の心 Liebe 2003/06/04 06:23
女性 / 40歳台 / 弟 / 10年以内 / 関東
遺された奥様方の、消え行かない愛情を学びました。

初めまして、renさん。
お母様もそうやって日々美しくいようとなさっているんですね。
悲しみに涙する代わりに。

小僧さんのお母様の「引き算しても」この人しかいないという思い、
小僧さんにとっては幸せなこだわりなのかな、と
分からないなりに解釈しています。

angel☆keiさんをして
>暴力を振るった主人でも子供達をすごく愛していた主人を私は誇りに思っていますよ、これからもずっと…。
と言わしめる思い、
これが、悲しみや怒りを超えて、妻たちを支えていくんですね。
笑顔で子供たちを育てていける勇気になるんですね。
夫はずっとアクチュアルな存在であり続ける・・。
すごい大きな思いだと思います。

勝手な解釈で、全然間違ってたら、ごめんなさい。