7601 makoさん れんげ 2004/03/25 16:32
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
 makoさんのお母様はお彼岸がお命日だったのですね。
 1年たったのですね。
 私の母は秋のお彼岸の入りの前の日でした。
 亡くなる一ヵ月半ほど前から背中が痛くて寝たり起きたりでした。耳も悪く、視力もほとんどありませんでした。
それまでも病気で体のあちこちが痛く、本当に辛かったと思います。それでもがんばりやで、私と一緒に商売の仕事をしていました。一日中ほとんど母と二人きりで店ですごしていました。母と一緒の時間が大好きでした。そこに居てくれるだけでなんだか空気が明るくなるような感じでした。
 店に出られなくなってからも、母と一緒の時間が家族の誰と居るよりも長かったのに、私は母があんなにも苦しんでいたことに気付きませんでした。
口に出して「死にたい、生きていたくない」ということを言ったこともあるのに・・・。母は寝たきりになってしまうと思っていたのです。そうしたら私に迷惑がかかるって。自分がいなくなれば私が楽になると思っていたのだと思います。
 私はおこがましいとは思うけれども、母を守るために生きているのだと、思っていました。しかし、そのために溜まってしまうストレスを母に対して吐き出していました。暴言を浴びせ掛けたこともあります。いつも愚痴をいってしまいました。母には悪い事ばかりをしていました。そして、謝って、許してもらって。少し優しくして・・・。
 母は苦しかったと思います。
 私は自分のために母を死なせてしまいました。
 一年半たってもこの気持ちは変わりません。確かにこのごろはあまり泣かなくなりました。でもみぞおちのあたりに罪の意識と涙の塊が重苦しく、暗くあるのです。
 この気持ちは一生かわらないのでしょうか。
 生きているうちはもう母には決して会うことが出来ない、謝ることも出来ない。そう思うと絶望という文字しか頭に浮かんできません。
 それでも、遺された家族のために、身体の不自由な父のためにまだ生きていなくてはならない。
 人生ってどうしてこんなにも困難に満ちているんでしょう。
 長くて、暗くてごめんなさい。
 
 


7602 愁さんへ 月のうさぎ 2004/03/25 23:54
女性 / 30歳台 / 子 / 1年以内 / 関東
はじめまして。
本当に辛いですね...
私の娘は7ヶ月前に一人で逝ってしまいました。

私もまだ受け入れる事が出来ません。
“早く帰っておいで”って思ってしまいます。
外を歩けば娘を探している自分に気付き
悲しくなります。
娘の為にも前を向かなければと思っているのですけれど...

愁さん、一緒にゆっくりでも前に歩き出せたら...と思います。




7603 桜の花 花桜 2004/03/26 00:40
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
今日、ふと見上げると。
桜がひとつ、ふわりとほころんでいました。
実は、春が来るのが、桜を見るのが怖くて仕方ありませんでした。
でも寒い冬を耐えて、硬い殻からぷつっとほころんだ桜を見て。
ああ、私の気持ちもいつかこうなるのかもしれないな、と思いました。
いつになるのか分かりませんし、いつまでも心に罪悪感や悲しみ、
喪失感は消えないと思います。
けど、もしかすると、今この心の中にある妹への優しい思い出が
ふわりと花開く日が来るのかもしれないなと、思いました。
ああ、そういえば私のHN、花桜。
こんな気持ちを予想していたわけじゃありませんが・・・妹が私に
プレゼントしてくれた名前かもしれないですね。
妹のためにも、妹のやり残したことのためにも、私がやらなくちゃ。
少し、前向きな気持ちになった暖かい雨の日でした。

>ねねさん
ねねさんも、一歩、踏み出したんですね。
どんな一歩でも、自分がそれに意味を見出せたら。
きっときっと、後から思い出すと、大きな一歩なんでしょうね。
私たちは「命」の大きさを知っている。。。
だからこそ、今を大切に、今思ったことをやってみる。
これって、きっと私たちにとって必要なことなんですよね。
お互い、ゆっくりじっくり歩いて行きましょうね。

>わにさん
私も、夜が来るとほっとします。
そして朝になると「また一日が始まる・・・」と思ってしまいます。
母は「なんで目が覚めてしまったんだろう」といつも言っています。
朝と夜って、どんな人にも平等に訪れてしまう。
自分の状況が変わったのに、時間だけは今までとは変わらずに過ぎていく。
だから、辛いんですよね・・・。
本当に「普通」って、なんてありがたいんでしょうか。
今になって気付きます。





7604 月のうさぎさんへ 愁 2004/03/26 09:34
女性 / 40歳台 / 子 / 東日本
ありがとうございます
いつも思い出す事は楽しかった時の、息子の笑顔…
私は母親なのに、なぜ、守れなかったのかと
ずっ---とこの気持ちは変わりません
でも、後ろを振り返りながらも、前に向かって行きます
息子を抱きしめることは出来ないけれど…
いつも側に居ると思っています
一緒に前に進みましょう。。。



7605 れんげさん mako 2004/03/27 11:46
女性 / 40歳台 / 母 / 1年以内 / 関東
先日のお彼岸の20日は、八ヶ月目の命日でした。
言葉が足りなくてごめんなさい。

れんげさんの気持ち、読みながら途中で涙で見えなくなってしまいました。
何度も読み返しました、辛いです。
わたしの母も、わたしだけに「死んでしまいたい、息をするのも苦しい」
と言いました。 軽い口調で言うので、いやなこと言わないでくらいにしか
その時には受け取らなかったのです。
私が真剣に母の体の状態を考えてあげていたら、こうならなかった。
でも母ががまんをして今生きていたとしても、鈍感な私には今でも
気付かないで母の苦しい状態をわかってあげてなかったのだと思って
しまいます。
亡くなる一週間前くらいに久しぶりに外で食事にでも行ったら少しは
気分がよくなるんではないかと考えて車椅子を用意していました。
私がパートの仕事から帰って、「今日外に行ける?」と母に聞くと「具合が
とても悪いから行けない。」という日が続いていました。
亡くなった前日にも私が仕事から帰ってから行けるか聞くと今日も行けない
と言い、私も憂鬱になってくるのでスイミングプールへ出かけてしまいました。
スイミングから、九時頃帰ってくると母の部屋の明かりがついていれば
いつも声をかけるのですが、その日は暗くなっていたのでもう寝ていると
思いました。
翌日の朝パートに出かける前に母の顔を見たのが最後でした。

母の辛さもわからないでスイミングなんかへ出かけて行った鈍感な私なんす。
今ごろ母に心の中でいくら謝ってもどうしようもありません、辛いです。

母が家族の心配をしてくれて声をかけてくれるのに、自分のこともちゃんと
できいないくせに暇だから余計なお節介ばかり言ってとうるさいと思ったり、
私のほうもストレスがたまったりした時にいやなことを母に言ってしまって
けんかもしました、でも母の好きな食べ物を買ってきて親子だからすぐ仲直り
をしました。
母が家族に愛情を注いでいた分も、私は母に対して愛情をあげてなかったん
です。

れんげさんは、お母様が自分がいなくなれば楽になる、迷惑がかからなくなる、自分のために死なせてしまったと自分をとても責めていますが、
こんな別れ方をすれば、楽になるどころか、悲しませることになることは、
絶対にお母様は、わかっていたと思います、親子ですもの、自分がいなくなってしまった後には、子供がどんな気持ちになるかは亡くなる前にずいぶん
考えたと思います。
私の母も考えたと思います、でも体の辛い状態のほうが強く、こうして
しまったのだと思います。

そんな辛い状態を考えると、わかってあげなかった母に申し訳ない気持ちで
またいっぱいになりますよね。

家族以外の方がそう言ったとしても、ご自分からそんな考え方をしないで
ください、私もれんげさんの辛さがわかって辛すぎます。

どう言ったらいいのか頭の中がめちゃくちゃになってしまい、心をみだす
ようなことを言ったらごめんなさい。



7606 お久しぶりです momo 2004/03/27 13:48
女性 / 30歳台 / 妹 / 1年以内 / 西日本
ごぶさたしております。
すみません、、、甘えに来ました。泣き言です。。。

先日、お彼岸に法要をしていただきました。
その後、家族で、買うかもしれない分譲中のお墓を見に行きました。
なんだか淋しい場所で、良いとも悪いとも思えませんでした。
ここに、いつか父と、母と、妹のお骨を自分が一人で納めるのかな…
と思うと、それさえ済めばもうこの世にいる必要も無いと実感しました。

妹が亡くなってから7か月が過ぎました。
なんだか、早いような。変な気持ちです。
時間は過ぎていくのに、体の調子も心の調子も悪くなる一方です。
鬱、過敏性腸症候群、自律神経失調。。。
休みの日は毎日出来る限り布団に潜り込んでしまっています。
誰とも会いたくないし何もしたくない。
会社も少し休むことが増えてきてしまいました。

こんなんじゃいけない…と、わかってはいるのです。
こんな私を、妹は望んではいないだろうと、わかってる。
もっとしっかりしなければ。もっとちゃんと生きなくっちゃ。
…でも、絶望感は思ったより大きく、大きくて、大きくて、
これから先にほんの小さな幸せなイメージすら怖くて抱けません。
上手く泣くこともできなくなってきてしまいました。
体が壊れて、飲みたいのにお酒も飲むこともできなくなっちゃって。
酔うことすらできない。
なんだか、情けない限りです。
それでも、仕方ないのでその日が来るまでなんとか生きなければ…
と、今はそれだけで必死で生き続けています。

妹を助けてやれなかったのに、
今、自分が たすけて と 叫びたい心でいっぱいです…

泣き言ばかりですみません。


7608 momoさんへ 花桜 2004/03/27 21:16
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
はじめまして。
momoさん、私も同じ気持ちです。
心は行ったり来たりで、落ち着くところを探しています。
一緒に、歩いて行きましょう。
一緒に、苦しんでいきましょう。
お互いに、自分を許せる日を信じましょう。
いつか、きっと、そんな日が来ると信じましょう・・・!


7609 お墓参り ふー 2004/03/27 22:45
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 西日本
夫は告別式の後すぐお墓に納骨しました。小さな骨壷に入れられ小さなお墓に入った後胸が苦しくなりました。あんな小さな壷に入れられて小さなお墓に入るなんて狭い場所が恐い私にとって恐怖以外なにもありません。告別式の日が、夫がいなくなった日がフラッシュバックしそうです。だからお墓参りに行った事がありません。行く事ができないのです。でも、来月お墓参りにいきます。行かなくてはならないのです。平静でいられるでしょうか?私は冷たいのでしょうか?お仏壇に手を合わせるだけではいけないのでしょうか?考えただけで胸が苦しくなります。


7610 こんばんは ねね 2004/03/27 23:31
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 関東
みなさん、こんばんは。

momoさん、はじめまして。
本当なら兄弟で建てるはずのお墓だと思ってました。
なのに・・・。
父に『私と妹で建てるよ』と申し出ても、
どこから得た知識か知らないけど
『子が先に逝った場合は親が面倒みるんだって』と言って
断られました。そして少しのお金も受け取ってくれなかった。
私は両親が墓石を選んでいる時や仏壇を選ぶとき、
あえて一緒にいました。
ワザと明るくぶって『色んな種類の墓石があるんだね〜』とか、
『お父さんたちが逝った後はちゃんと私が引き取るから心配しないでね』なんて言ってました。
心の中では、こんなことを親にさせてしまったと、本当に辛かった。

momoさん、私も同じです。
『弟のことを助けられなかった』と言うより、
『守れなかった』、『救えなかった』という思いが強いです。
ただ・・。私はひどい人かもしれませんが、もしも私の弟が『助けて』と言えなくてこんな結果になったのなら、私は『助けて』と言いたい。
助けてくれる人がいることを、信じたい。
それと自分が『助けて』と言えるうちは、言いましょう。
私はここでいつも助けてもらってます。(感謝!)

関東地方は明日、桜が咲くようですね。
咲いていく桜がみなさんの心にほんの少しでも優しく映ることを
心からお祈りいたします。。。。


7611 眠れない日 ぽろりん 2004/03/28 02:03
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
後ろばかり見ていてはいけない、少しでも前を見たいと思います。
でも、眠れない日が多いです。
頭は痛いし、昼間は眠くなるのに目をつぶるのが少し怖い。
ずっと、思いだしてはふたをします。
きっと私がいてないのだと、ずっとそう思ってきたけどそのことにはふたをしたかった。
考えたくなかったのです。
でも、きっと私が悪い。
わかっているのです。
過労状態を知っていながら、おかしいなと思いながらそれでも優しくなかった。
もし、たった一人でも・・・多分それは私が優しかったら、理解していれば、夫は死ぬことはなかった。
それは、考えの外に置きたかった。
そのことを考えると進めないから。
でも、淋しくて眠れません。
とても淋しい。


7612 母の存在 ぶひぶひ。 2004/03/28 10:41
女性 / 30歳台 / 母 / 10年以上 / 関東
ずっと以前にこの掲示板に伺った者です。
最近、また気持ちが落ち着かなくなってしまって、こちらにお邪魔させていただきました。
甘えさせていただいてすみません。

私は母が15年前に自死しました。
母と私は双子のように仲が良くて一番大切な人でした。
それから私は「お母さん」という言葉に、存在にとても敏感になりました。友達の「うちのお母さんがね・・・」という何気ない日常会話にどれだけ絶望と孤独を感じ身が引き裂かれる想いがしたことでしょう。
そんな気持ちも勉強や仕事の忙しさにかまけて、心の隅に追いやってきました。そんな気持ちを直視したら、私はボロボロになって立ち直れないと思ったからです。死に際があまりにも壮絶だったので、10年近く母が私を愛してくれたことも、私が母を愛していることも思い出せないほどでした。
結婚して母と同じ主婦という立場にたつと、今まで避けてきた母への想い、自分の中のつらさ、悲しさ、怒り、罪悪感・・いろんなものと向き合わざるを得なくなってきました。
母は専業主婦で父の仕事の転勤で各地を転々とし、友達もできぬまま、うちこめるものもなく、心を病んで自死しました。
今でも、今だからこそ母に聞きたいことがたくさん出てきてしまいました。
私はもうそろそろ子供が産みたいと思います。
友人はみな当たり前のように実家に帰って産みます。
私の友達は誰ひとりとしてお母さんがいない人、ましてやお母さんが自死した人なんていません。
「やっぱりお母さんがいると安心だからね」と私の事情を知らない人は
簡単にそう言います。
女の子にとって、母親の存在ってなんて大きいんだろうと今更ながらに
絶望を感じます。
世の中にはもっと大変な状況の人やシングルマザーで子供を育てている人など苦労している人はたくさんいると思います。
出産に際して実家に頼ろうだなんて甘えた考えかもしれません。
自分で頑張ればなんとかなるのかもしれません。
でも自分に子供がほしいと思ったときに、母がいないこと、ましてや自死してしまったこと、加えて私は今の継母と仲がうまくいっていないため、帰れる実家がないことなどが重なってしまって、前に進みたいのに、進む勇気がもてません。きっと甘えているんだと思いますが、でもやっぱりつらいです。
楽しいはずの時期なのに、母のことばかり思い出してつらいです。
普通にお母さんがいて、甘えられる友達みんながうらやましいです。
絶望的にうらやましいです。
うらやましすぎて疎遠になってしまいました。
こんなにネガティブな思考になっている私が母親になれるのかと思います。
まったく見ず知らずのおばあちゃんが、「私が人生で一番悲しかったことは、お母さんが亡くなったことだ」と話してくれたことがあります。
私にはもう母がいないというと、一緒になって泣いてくれました。
私の気持ちをわかってくれたという嬉しさと同時に、
私は歳をとって死ぬまでこの悲しみを背負っていかなきゃならないのかという絶望を感じました。
こちらに投稿するのがふさわしくない内容だったら申し訳ないです。
どなたかに聞いていただきたくて、メールしました。
他に相談できるところがなくて。。
もし、これを読んでご気分を害される方がいたら本当に申し訳ないです。
心より謝ります。
もしふさわしくない内容でしたら、削除してください。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。


7614 春の日 ハル 2004/03/28 14:14
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
今日はとても暖かく、風もなく、春らしい穏やかな日です。こんな日は家族揃って、お花見に出かけるんでしょうね。日曜日は何だか、時間が経つのが、のろくって、いやになる。
この書き込み終えたら、子供3人連れて、食材の買い物に行こう。

ぶひぶひさん、はじめまして。長い間、苦しみ、辛いですね。ぶひぶひさんも母となる日がくると、一層お母さんの気持ちが見えてくるかもしれません。
子供は、必ずしも実家に帰らなくたって、母親がいなくたって、産めます。何も心配する事はないですよ。大丈夫よ。そこにはいなくても、あなたの幸せをお母さんは願い、見ています。それでも、淋しいよね、辛いよね。
私も一緒にいるから。ここに、いるからね。気を悪くされたら、ごめんなさい。


ぽろりんさんへ。あなたの書き込み、私の気持ちそっくりです。後悔してもし足りないです。どんなに、心が病んで孤独でも、たった一人、私がわかって、支えになっていれば、こんな事にはならなかった。それを思うと、暗闇へ、突き落とされ動けなくなります。自責の念にかられながらも、子供達を育てる為に、一歩二歩、進まなければ。ぽろりんさん、一緒に進みましょう。
時々動けなくなったら、またここで・・・。ここに来る、同じ痛みを持つ方々の声を聞き、励ましたい。逆に声をかけて欲しい。
私の気持ちをわかってくれるのは、ここなんですもの。


7615 ハルさん、ありがとうございます。 ぶひぶひ。 2004/03/28 15:54
女性 / 30歳台 / 母 / 10年以上 / 関東
ハルさん、ありがとうございます。
そうですよね。
こんな私でもちゃんと子供を産んでやっていけますよね。
出産、育児を経験されている方にそう言っていただけると、本当に心強いです。そして、自死遺族のつらさをわかってくださる方に言っていただけると、さらに勇気がいただけます。。
「母」になりたい気持ちと自死した「母」のこと、継母とうまくいかないことがごっちゃにからまってしまって、パニックになってしまっていました。

>私も一緒にいるから。ここに、いるからね。

この言葉が、こういってくださるハルさんのお気持ちが、
何よりも嬉しいです。
嬉しくて嬉しくて泣けてきます。
ああ、大丈夫だ、そう思えました。ひとりじゃないんだ、って。
本当にありがとうございます。
ハルさんも苦しいつらい気持ちを抱えながら、お子さんを育てて、
こうして励ましてくださって・・・・。
私なんてまだまだ子供ですね。私も心より祈ります。
ハルさんの痛みが少しでも和らぎますように。
こうして、相談できる場があって、本当に良かった。
管理人さん、ありがとうございます。
心が落ち着いてきました。
自分のことばかりで、ごめんなさい。


7616 こんにちは。 のぶゆき 2004/03/28 17:18
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 東北
momoさん、お久し振りです。

> それさえ済めばもうこの世にいる必要も無いと実感しました。

たとえその時、実感しても、「いやいや、そうでない」、と思える時もあるはずですよー。

> なんだか、早いような。変な気持ちです。

早く感じる時も、長く感じる時もありますよ。

> こんなんじゃいけない…と、わかってはいるのです。
> こんな私を、妹は望んではいないだろうと、わかってる。
> もっとしっかりしなければ。もっとちゃんと生きなくっちゃ。

わかっていても、そうできない焦燥感。つらいですよね。僕もよく苦しみます・・。

> これから先にほんの小さな幸せなイメージすら怖くて抱けません。

今は小さな幸せを望めなくても、小さな幸せが訪れた時に、それを感じられるように、心の窓を、少し開けておいて下さいね。

> なんだか、情けない限りです。

情けなくないよ、情けなくなんかないよ。

> 今、自分が たすけて と 叫びたい心でいっぱいです…

叫んでいいんだよ。叫んで、生きていこうよ。
泣いても、恥をかいても、格好悪くても、
生きてさえいれば、何かが見つかると、辿り着けると、
生きづらい自分に言聞かせて毎日を過ごしています。

バイクも、ダメですかー?
そろそろバイクの季節なので、僕も整備しなきゃ・・・。



7617 こんにちは 小僧 2004/03/28 18:31
女性 / 20歳台 / 父 / 10年以内 / 東北
のぶゆきさんに便乗して出てまいりました。
momoさん、小僧もmomoさんの「それさえ済めば・・」という言葉、頭のどこかにひっかかって残っていました。

小僧も(母が死んだら小僧はもう何も心残りが無いなあ・・・)ってずっと思っていた時期がありました。それくらい、その他の事にもう何も感じなくなっていたんだと思います。そして、そのおかげで、今日まで生きてもこれました。

momoさんの体と心が今、訴えているんだと思います。
体を休めること。心を休めること。
とっても大事です。
そうなって当たり前の事が起きたのです。
情けないことなんかないです。


生きているだけで
呼吸をしているだけで
精一杯なんだと思いますよ。


しっかり生きるとか
ちゃんと生きるとかは
一般的には良しとされるけど
心の体力が落ちているときは
とりあえず、保留、と自分に言い聞かせて
小僧は年月を重ねてきましたよ。


ぶひぶひ。さん、こんにちは。
小僧はぶひぶひさんと逆で、父と双子みたいに仲が良かったです。
だから、ちょこっと違うかもしれないけれど、どこかしら同じような気持ちがありました。

最初は他人の家の様子が眩しいくらい、とってもうらやましかったけど。
父が居ない期間をどうにかこうにかやってきたことを振り返ったら、ちょっと自分に自信が持てました。他の家ではお父さんがやってくれている事、小僧は別に自分でやれるもんねえ〜って。そうすると、父がどこかで感心してくれているような気がします。

母になりたいって気持ち、素晴らしいことだと思います。
ぶひぶひ。さんは、愛情深いお母さんになるんじゃないかと小僧は思いますよ。小僧もいつかはぶひぶひ。さんに続きたいです。

「人生で一番悲しいことは、父を亡くしたこと。」
これは小僧も同じだと思います。おそらく、この先も。
「人生で一番嬉しいことは、父の娘であったこと。」
同時に、こう思うこともあります。

ぶひぶひ。さんのお母様も、きっと実質的なお手伝いやアドバイスは出来なくとも、ぶひぶひ。さんの心にいて見ていてくれるような気がします。

今日は暑いくらいの日差しでした。
4月から新・スタートで、追い立てられるように
不用品やゴミの仕分けをしたり、予定の確認をしたりしてました。
盛岡の集いも、頭の隅で「う〜、う〜。」とうなっています。
見通しが付きましたら皆様にご連絡させて頂きたいと思っておりますので、
どうぞ、いましばらくお待ちください。

では

小僧でした。







7618 つらいけど・・・ ぽろりん 2004/03/28 18:43
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
ハルさんへ

そうなんですね。ハルさんが書いていた言葉も私の言葉のように感じました。
悲しい過労死。状況も似ていましたね。
私は、ほんの少し進みました。
時薬は、少しだけほんの少しでも効いてきました。
ハルさんは、まだまだ日が浅いから少しゆっくりできればいいと思いますよ。
これは、私の経験から・・・もがいても、もがいても苦しいから。
私は、しばらく抜け殻でした。
PCでこうして自分の気持ちを書くだけで救われました。
そして、誰かから声を掛けられると嬉しかったです。

ぶひぶひさんへ

はじめまして。子供を生むのは実家に行かなくても大丈夫よ。
今は便利になっているから。
でも、心細くて淋しいですよね。
私は上の子の妊娠中に母親が癌だと知りました。
とても絶望して、毎日泣いて暮らしました。
だから私も、母に頼る事なく出産育児しました。
相談はしてきたけれど。
相談できる人がいるだけでも違いますよね。
夫の死亡の半年位前に、長い闘病の末母は亡くなりました。
そのあとこんな事になって、頼りたかった母がいなくて淋しかった。
でも、生きていたらショック死しそうな出来事なので、どちらが良かったのかわかりませんが。
話がそれましたが、ハルさんがおっしゃっていたように大丈夫だよ。
と言ってあげたい。
でも、羨ましい気持ちすごくわかります。
違うかもしれないけど、私も夫婦揃っている人を見るのが羨ましいです。
一番感じるのは、父と子です。
父と子を見るのがとてもつらい。
何よりも・・・。
ぶひぶひさん、大丈夫。ここにいるみんなが多分同じように感じていると思うから。愚痴は言ってくださいね。


7619 管理人さんへ れんげ 2004/03/28 18:44
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
7607を投稿したれんげです。
出来たら削除してもらえますでしょうか。
やり方が分からなくて。
投稿してからずっと後悔しています。
わがまま言って申し訳ありません。

makoさん、もし私の書き込み読んでいらしたら、ごめんなさい。
きっと辛い思いをさせていると思います。
いろんなこと思い出してしまって夢中でキーボードを
たたいていましたが、後になって、
後悔しています。

読んで嫌な感じをもたれた方ごめんなさい。





7620 こんばんは ねね 2004/03/28 20:09
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 関東
みなさん、こんばんは。

今日『青い空の会』に参加しました。
とても勇気がいりましたが、行ってよかったと思ってます。
お話を聞いてくださった方々、
お話してくださった方々、
ありがとうございました。

勇気を出せたのも、この掲示板にいるみなさんのおかげです。
ありがとうございます。

自分のこともちょっと褒めたいので、
ご褒美に良い香りのする入浴剤を買いました。
今日はゆっくりお風呂に入って、一日を振り返ります。

振り返れるような一日を過ごせたことに、感謝いたします。



7621 管理人さんへU れんげ 2004/03/28 21:40
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
お手数をおかけいたしました。
どうもありがとうございます。


7622 れんげさん mako 2004/03/29 03:38
女性 / 40歳台 / 母 / 1年以内 / 関東
私が言ったことによって、ますます悲しい気持ちにさせてしまって本当に
ごめんなさい。

同じ母を亡くした気持ちはこれからも、れんげさんとずっといっしょだと
思います。

親はどんなに自分が辛い思いをしても子供には幸せになってほしいといつも
考えています、理屈ではそう言えるけど、でもやっぱり
母の人生をこんな形で終わらせてしまって、幸せに生きたいとも思わないし、
元気で長生きなんてしたいとも思わない、そう思ってしまいます。

いつか涙を流さないで母のことを思う時がくるのでしょうか。
そのときまでこれからも私は、なんでも聞いてもらいたいと思っています。

辛くなったときには、いっしょに泣かせてください。
同じ痛みをもったもの同士だからこそわかるのですから。

今夜はなんだか眠くありません、濃いお茶を飲んだからだと思います。
こんな場があるなんて、いいですよね、静かな夜でもひとりではない感じ
です。



7623 ぶひぶひ。さんへ ま〜 2004/03/29 08:45
女性 / 20歳台 / 母 / 1週間以内 / 関東
私はまだ結婚もしていないけど、ぶひぶひ。さんと同じように、出産で里帰りして母にいろいろ教えてもらったり、頼ることができないんだなぁと思っています。
丁度、母の四十九日で実家に帰省していた時、私と同い年のいとこと地元の同級生が、出産の為に里帰りをしていました。
それから数週間後のお盆に帰省した際には、数人の友人と、その同級生の出産祝いに伺った時、みんなが何気なく、「やっぱ実家はいいよねー。おじいちゃんおばあちゃん(父母)に気兼ねなくいろいろ頼れて」と言うのを聞いて、ひそかに心を痛めました。
一緒に住んでいる彼のところへ帰って、そのことを訴えると、「うちの母親に頼ればいい」と言ってくれて嬉しいけどそれじゃ意味がないんだ、と思ったりして…。

私が生前の母に最後に会ってから、今月で1年が過ぎてしまいました。
去年の春分の日の3連休、その頃仕事がとても忙しくて、現実逃避にどこかへ行きたくて、一人旅の経験もお金もなく、行ける所は実家くらいしかなくて、突然「明日、帰るから」って電話していきなり帰省した。
それまでお盆も正月も、滅多に帰らない私だったので、きっと驚いたと思う。
それから3ヶ月後に、母は亡くなった。
今年もこの時期はやっぱり忙しくて、お彼岸のこともすっかり忘れていました。
次に帰るのは、一周忌です。


7624 ありがとうございました。 TAKAYUKI 2004/03/29 12:25
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東
昨日、青い空の会(東京)に初参加しました。

誰にも打ち明けられない苦しい思いを
皆さんに聞いて頂き、心の重荷がすっと軽くなったような気がします。

残された者同士でしか理解し得ない複雑な想いや
苦しみ、悲しみを共有することで
こんなにも気持ちが軽くなるなんて思ってもみませんでした。

入室の時は閉ざしていた心も、退室の時には
みなさんが本当の仲間に思えました。
自分は一人じゃないんだ、そう感じました。

心から感謝の気持ちでいっぱいです。
今日も一日、精一杯生きたいと思います。





7625 makoさんへ れんげ 2004/03/29 18:21
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
ありがとうございます。
私が悲しくなったりするのは決してmakoさんのせいではありません。
自分であれこれ考えているうちに、思い出すことがいっぱいあって、
頭がごたごたしてしまうのです。
情けないです。
私もmakoさんのこと心配してたのに、かえってはげまして
もらっちゃって。。。

makoさんの書き込みを読んでいて、
私の母も決して私が苦しむことなんか望んでいなかったんだ、
と思いました。
本当は、この世に生んでくれた母に感謝して、
悲しい思いがあっても、一生懸命生きていくことが、
母に対する供養なのでしょう。
でも、なかなか前向きになれなくて、
幸せな人生なんか思い描けません。

いま、通っている病院で、少し前に、うつの薬が一種類増えました。
どうも、安定剤に頼りすぎているようなので、
このままではダメらしいのです。
私は自分ひとりで立ち直っていくことが無理なようで
今はあれこれ薬に頼っています。
安定剤とかを飲むと、
時々、気持ちが楽になって
悲しいけど、生きていくんだなあって思うことがあります。
でも薬が切れてくると、ずるずると落ち込んでしまって。。。

makoさんの書き込みを読んでいると、
いろんな思いや、状況が似ていて。。。
また、聞かせてください。
また、聞いてくださいね。






7626 れんげさんへ mako 2004/03/30 00:05
女性 / 40歳台 / 母 / 1年以内 / 関東
お返事ありがとうございます。

やっぱり、れんげさんの書き込みを読むと同じような気持ちに
なってしまいます。

同じ体の弱い母を亡くし、同じくらいの年代だからでしょうか。
たぶん、私のほうが年寄りだと思いますけど。

きょうは、遅いのでお休みなさい。


7627 makoさんへ れんげ 2004/03/30 00:54
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
寝る前にもう一度と思って開いてみました。
私は、私のほうが年上かなと思っています。
もしかして同い年かもしれませんね。
今夜はよくお休みになれるといいですね。
わたしももう寝ます。
おやすみなさい。


7628 ちょっと書かせて下さい こころ 2004/03/30 17:09
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 関東
東京は先ほどから雨が降ってきました
こんな寂しい日に 何で雨なんか降り出すのかなぁ〜と
恨めしく灰色の空を見上げました

3年前の今日は寒い金曜日でした
夕方 割と元気な声で母から電話がありました
ただ「寂しいね・・・」と言いました
私はその声をしっかり覚えてますが その時は軽く
聞き流してしまいました
その言葉の意味が 分からない大馬鹿な娘でした

次の日は 朝からぼたん雪が舞っていました
母が逝きました・・・・・

毎年 この日がくるのですね
何故か 昨年より辛いのです 
 
誰か助けて下さい・・・と言える歳でもありません
でも 一人で家にいるのが とても辛い

ここがあって 本当に良かった  みなさんありがとう


7629 こころさん れんげ 2004/03/30 17:30
女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 東日本
落ち着かなくて、ネットの中でずっとうろうろしていました。
雨になりましたね。
あの雪の日、覚えています。
「桜が咲いたのに、大雪」と
母の日記にありました。
それで思い出して、忘れられなくなりました。
私の母は一年半前の、秋に亡くなりました。
けれどなくなった年の春先からいろんな思い出が
ずっとあって、春、つらくて。。。


7630 こころさん ハル 2004/03/30 17:46
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
こころさん、はじめまして。雨は止みましたか?私のところは、昼から日が出てきました。
私は夫を亡くして、まだ2ヶ月過ぎたくらいです。まだ、はっきりとあちこちに、夫のおもかげや、匂いが感じられます。
辛くて、淋しくてどうしようもないです。でも、なんとか、生きています。

こころさんは、3年たつのですね。それでも、癒えぬ気持ちで、辛いのですね。大丈夫ですか?この時間が早く過ぎて、こころさんが落ち着けられる事を祈っています。

先は果てしなく長く、どこまでいっても会う事ができない事実に、心が潰されそうになります。この悲しみと、死ぬまで付き合っていかなければならないとは、私達の運命を呪ってしまいたくなります。

それでも、すこしでも笑える時間がもてるようになりたいです。


7631 晴天の霹靂(へきれき) interplanet alien 2004/03/30 19:32
男性 / 30歳台 / 妹 / 1週間以内 / 関東
はじめまして。
ついこの間妹を亡くしました。
突然の自死でした。
やっと葬儀が終ったばかりで、頭の中が混乱しています。
一週間前には普通に存在した人が骨になって帰ってくるなんて
とても不可解で、現実とは思えません。
そしてこのサイトを見つけて書き込みをしてるなんて、
本当に信じられません。
この先どうすればいいのか、
どうなってゆくのか、まったく見通しが立ちません。
兄妹けっこう仲が良かったし、
妹の遺した子供たちもいるし、
いろいろ思い出したり考えたりするとたまらないものがあります。


7632 momoさんへ わに 2004/03/30 20:38
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
私も全く同じ様な心境です。四十九日とか、お彼岸とか、何か仏事が済めば
ひと段落するのかと自分の中で淡い期待を抱いていましたが、そんな事は全くない、むしろ、喪失感ってじかんが経つ方が大きくなって辛い部分もありますね。

私はパートの主婦ですが、時間がある時は布団かぶって、寝ることばかり
考えています。これじゃいけないと思うけれど、それが一番今の私には楽でもあります。

 仕事先の理解ある上司に勧められて明日思い切ってカウンセリングを受けてきます。あまりのおちこみようにきっと見てられなかったのかなあって苦笑いしてしまいますが、大事な家族をなくしたのだから、当然ですよね。

何をどうしていったらいいのか分からなくてとても不安な毎日ですが、家族の助けを得ながら、どうやらこうやら過ごしております。

ぼちぼち行きましょうよ。


7633 ありがとう こころ 2004/03/31 00:29
女性 / 40歳台 / 母 / 3年以内 / 関東
何だか とても寂しくて書き込みしました
早速 レスを書いてくれたお2人本当にありがとう

雨はまだまだ降り続いています
雨音を聞きながら 母の命日を迎えています

>ハルさん まだ3ヶ月ですか・・・さぞかしお辛い事と
 お察し致します 私は3年経っても このザマです
 運命なんですよね これって。

>れんげさん そうですか・・あの日の事 お母様の日記に
 書かれてあったのですか あの日の事を覚えていて貰えて
 何故か嬉しいです
 
 明日から 5年以内なりますが 自分の中では 昨日の事の
 ように母の事 何一つ忘れたくないし忘れられません

 さっきフト考えました
 亡くなったと思うから辛いんだ・・・と。
 あり得ない事だけど どこか遠い所で元気に生きていると
 思って(思い込んで)生活してみたら どうなんだろう・・と

 自分を追い込まないで生きて行くには こういう嘘も有りかなと。
 


7634 又来る春に 永 2004/03/31 06:32
女性 / 50歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
雪がとけ緑が萌えだした頃突然一人で旅立ってしまいました
今年も又、その季節が近ずいて来る  悲しみの何倍もの後悔
ご免ねご免ね 許してね あなたがそんなに苦しんでいたなんて
洗濯物の量 お料理の量であなたの居なくなった事を感じなければ
なりませんでした 好意的に励ましてくれた「そのうち良い事あるよ」
その言葉にも生き残った自分だけ良い事あったってと反発を感じます
休日同年代の夫婦の連れ添った姿を見ると辛い 買い物袋をひとつ
持ってくれる人が私にはもういません 知らないまま逝った娘の二人目の孫がお腹に宿った事を聞かされても悲しみの方が大きくて喜べなかった 子育ても終わりこれから二人で老後の楽しみを描いていたのに
車での日本縦断 乳頭温泉 姫路城ももう一度行きたいな 四国にも
渡ってみたいな 沖縄も・・・
本当に一番大切なものをなくしてしまいました もう何も要らない
もう長生きなんかしなくていい こんなあなたを助けることが
出来なかった自分が食事をして生き延びている事にとても罪悪感と
嫌悪感を感じます あなたが毎年気にかけていたアツモリ草 今年は
いくつ花が付くでしょう


7635 ありがとうございます。 ぶひぶひ。 2004/03/31 10:02
女性 / 30歳台 / 母 / 10年以上 / 関東
返信を下さった方々、どうもありがとうございます。

小僧さん。

>父が居ない期間をどうにかこうにかやってきたことを振り返ったら、>ちょっと自分に自信が持てました。他の家ではお父さんがやってくれ>ている事、小僧は別に自分でやれるもんねえ〜って。そうすると、父>がどこかで感心してくれているような気がします。

小僧さんもつらい中、がんばってこられたんですね。
そうだ、私も母がやってくれていたこと、自分でできるようになったなぁ。これからもやっていけますよね?

>「人生で一番悲しいことは、父を亡くしたこと。」
>これは小僧も同じだと思います。おそらく、この先も。
>「人生で一番嬉しいことは、父の娘であったこと。」
>同時に、こう思うこともあります。

この言葉、小僧さんのお父さんが涙を浮かべて喜んでるだろうなと感じます。私も母のことを誇りに思っていると胸を張って言えるようになりたい。苦しいほど、つらいほどに母のことが大好きだったんだなぁということが、少しずつ肯定できるようになってきました。
そうですよね。私の心の中で母はきっと力になってくれますよね。


ぽろりんさんへ

大変な経験をなさってきたんですね。
妊娠中にお母さんを病気で亡くされて、ご主人様もだなんて・・・。
言葉がありません。
大丈夫だと言って下さって、ありがとう。
ここでそういって下さる言葉が、皆さんが下さる言葉が私の宝物です。
私の力になります。
母が言ってくれてるみたいに感じます。
母はいつも心配性の私に「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と言ってくれました。

ま〜さんへ

ま〜さんも私と同じ気持ちを持ったことがあるのですね。
出産時に実家に帰れる友達の言葉を聞いてうらやましいって。
つらいけど、わかってくれる方がいるだけで、心がホッとします。
私も主人も主人の実家の母も優しいので、いざとなったら助けてくれる
かもしれません。でもなにせ主人の実家は遠くて・・・・。
うちの実家はありますが、父の後妻がいるのですが、子供を生み育てた経験がなく、「私にはお母さんが生きているから、あなたの気持ちはわからない」とか「あなたが帰ってくると汚れて掃除が大変」とか兄が泊まりに行って、夜遅くまでテレビでも見ようものなら「私が眠れないじゃない」とひどい剣幕で怒るような人です。機嫌が悪いと、無視するし。
それでもきれいな人なので、周りはちやほやしています。
気にしなければいいのでしょうが、実母はなんでも私のことを第一に考えてくれて、私の痛みを自分のことのように想ってくれる優しい母だったので、つい比べてしまって、継母の言葉にいちいち傷つきます。
もっと強くなりたいですね。
もっと強くなりたい。
継母は父のことは一生懸命やってくれます。父は幸せそうです。
それでヨシとしなきゃいけませんね。
母(実母も継母も含めて)という存在から自立して、私はちゃんとやっていけると言える様になりたいです。まだ、16歳のあのときから、止まったままの私がいるから。

最後は愚痴になっちゃいました。
ここは気持ちをわかっていただける、母のような優しさがあります。
でも、書き込みするのはちょっと勇気が要ります。。。
みんな事情はそれぞれ違うから、私の言葉で誰かを傷つけてしまっているのではないかと、ちょっとどきどきしながら、キーボードをたたいています。
嫌な思いをさせてしまった方がいたら、ホントに申し訳ないです。
読んでくださった方、返信くださった方、ありがとうございました。
あー、また長くなっちゃった。。


7636 過労死 白いうさぎ 2004/03/31 10:33
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
多分過労死・・・
過労であることに間違いはなかった。
絶対におかしい、人間としての生活を奪った会社。
それなのに、死亡診断書は自○。
理由は、遺書のような走り書きがあったから。
そのことが大きなことだとは、思っていなかった。

過労だけで人は死なないでしょう。
たぶん、私が優しくなかったから。過労死と人には言っても、自分の心がそれを許せない。
自分が許せません。本当は・・・
でも、人には私のせいだとはもう言いません。
そういうと、夫婦の間で何があったのかは知らないけど・・・と言われるから。
自分では、反省というより、大きな後悔をしているけど、人に「何かあったの?」と言われるのはいやだから。


7637 白いうさぎさんへ 花桜 2004/03/31 12:54
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
<管理人様、もしこのメッセージが掲示板の主旨と違うようでしたら
 教えてください。すぐに削除します。どうしてもお伝えしたかったので・・・>

白いうさぎさん

過労自死・・・うちも、そんな疑いがあります。
ですから今相談をしています。
うちも、死亡診断書には「自○」、遺書がありました。
それで過労死ではないと言われたのは一昔前のお話。
現在はそれでも十分労災認定や勝訴している例がたくさんあります。
どうしても悔しい、彼の彼女の生きた証を残したい。
名誉を回復したい・・・そう思うのであれば、一度弁護士さんに
ご相談されてはいかがでしょうか。
その際には「労働」事案専門の方にお願いしなければ、やはり
自死ということでそれこそ、一昔前の判断をされかねません。
うちは5人目にして、やっと引き受けてもらえる方に出会えました。

一応、参考までに家族会のURLを入れておきますね。
<大阪過労死家族の会>
http://www.geocities.jp/kitazin2000/
こちらにメールで相談等できますので、最初はこちらにしてみては
いかがでしょうか?

過労だけでも、私は人は死ぬと今回思いました。
うつ病とはなんと怖い病気であるのかと痛感しました。
それでもやはり、自身をせめてしまうのは白いうさぎさんと同じなんですけど・・。
それを逃れる為に過労自死としたいのではないかと、夫に言われたりもしました。
けど、どうしても私は会社が許せない。
「妹さんは好きで働いていたんです」
と言い放った社長の顔を思い出すだけでも、吐き気がする。
妹が一所懸命働いていた、その証を勝ち取るには過労自死と認めさせるしかない。
そう思って、それだけを頼りに私は今、生きているのかなとも思います。



7638 過労。。。 ダイ 2004/03/31 13:38
女性 / 30歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
初めまして。白いうさぎさん。

主人が空に飛び立って2年半になります。
私は主人が出張に行って主人の異変に気付きました。
それから、5日間主人の苦しい精神的にきつい事を聞かされていました。「帰りたい」「会社を辞めたい」などを言っていました。
主人を迎えに行った時に警察の方が「過労自○だね。。。」と私に言いました。その時に改めて主人が仕事の事で相当悩んでいた事を知りました。主人が亡くなって1ヶ月位経ってから労災申請をしました。
申請をしてから1年、結果がでました。“不支給決定”でした。でも主人の名誉があります。このまま主人が居なくなってからの生活を守っていかなければなりません。どん底の私達に光はもう来ないのでしょうか?私は誰もが幸せになる権利は持っていると思います。そう思って1年半位前に県の労働局に審査請求を申し出ました。まだ結果は出ません。実際、労災申請は年々に増えています。自○の労災認定はとても難しいようです。まだまだこれからです。お互いにやっていきましょう。
私自身も労災は諦めません。

“働くもののいのちを守る会”という相談機関もあります。大体、何処の地域にもありますのでご相談されてはいかがでしょうか。。。
インターネットで検索するとあります。相談は無料です。





7639 噂 ハル 2004/04/01 00:11
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
今日は、身が凍る思いをしました。夫を亡くしてから、用事以外は、ほとんど家にこもってました。最近、パートにも復帰し、それでも、家と職場の往復で、近所の人と話す事はありませんでした。
夫の死因は、学校にも、町内にも事故という事になってたのに、今日会った人には、自○と知られていました。子供が一緒のお母さんです。
私は頭が真っ白になりました。何故知ってるの?何処まで知れわたっているの?
これから、授業参観や運動会など、人は好奇の目で私達、親子を見るのか?
子供達を守ってやれるのは、自分しかいない。
こんな事に負けたらいけない。って言い聞かせて、何とか、奮い立たせようとしています。
でも、つらい。お父さんが生きててさえくれたら・・・と実際は心が締め付けられる思いです。
こんな私の肩を優しく抱いてくれる人はいません。
たった一人で、この現実に向かっていかなくては。辛いです。


7640 ハルさん・・・ 花桜 2004/04/01 02:39
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
はじめまして。
ハルさん、大丈夫ですか?
心はつぶれていませんか?
私も今日、友人から「自○なんでしょ」と言われました。
何でこんな事に・・・そう思いました。
でも、受け入れるしかない。とも、思いました。

ハルさん、同じ気持ちの人間がここにいます。
あなたに共感できて分かち合える人間がここにいます。
きっときっと、この掲示板に来ている皆さん全員がそうです。
だから、安心して、眠ってください。ゆっくりと。
きっと明日には少しだけ元気になれると思います。
少しだけど、私の「微」パワーを送ります。
受け取ってもらえることを、願っています。
離れているけど、私はあなたの肩を抱いているつもりです。



7641 ハルさんへ ふー 2004/04/01 08:19
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 西日本
ハルさんの書き込みを読んで一昨年の私と一緒だと思ってレスしました。
私は自分から夫の死因を他人に言ったことはありませんでした。夫の死後誰に聞かれても「心筋梗塞」と言ってました。でも、後で噂でその人達も聞いたんでしょう、学校の行事などで会うと目をそらす人もいました。ショックでした。その人達は私を憐れんで、どう声をかけたらいいか分からないから目をそらしたと思います。私の心の中では嵐が吹き荒れてました。
でも、負けてなるものかという気持ちで今まで家族3人生きてきました。今ではその人達とも笑顔で話せることもできるようになりました。でも心の中は今でも嵐は吹き荒れてます。
でも子供達にも「心筋梗塞」という事にしてますので、どこから子供達の耳に真実が入るかいつもビクビクしてます。心無い大人の噂話をその人達の子供達が聞いているのではといつも考えては恐いです。
私もたった一人で辛い現実に立ち向かっている母親の一人です



7642 ハルさんへ みっちゃん 2004/04/01 08:22

はじめまして、私も主人のことは、病気で・・・と子供にも、まわりの人たちにも伝えてありますが。わかっているようです。
でも、私の耳には入ってきまさん。それもなんだか知らない所で話しがどんなふうに伝わっているかと思うと・・・怖いです。



7643 ハルさんへ みっちゃん 2004/04/01 08:48
女性 / 30歳台 / 夫 / 6ヶ月以内 / 関東
ハルさん、ごめんなさい。まだパソコンの使い方がよくわからなくて
途中で送信してしまいました。
私もまだ、必要以外は外に出ることができません。
でも、そろそろ仕事を見付けて、外に出ようとおもいます。
ごめんなさいね。なかなかうまくいえなくて・・・
ハルさんの苦しみは私も同じです。頑張らなくていいから
一つ一つ乗り越えていきませんか。


7644 ご意見聞きたくて。 みーこ 2004/04/01 13:49
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
もうずっと前のことなのに、時々、思い出します。そして、ほかの方からの、そうじゃないよ、という言葉が欲しくなります。

私は(ご存知の方も多数いらっしゃると思いますが)未成年のころ、父を自殺でなくしました。父は鬱でした。世間には死因を公表していません。
ある人が、世間話で、「自殺は家族の病理だ」といいました。5年も前のことです。そのとき、私は何も言いませんでした。その人は私の父が自殺だったなどとは知りませんし、その話をする気もなかったので。

でも、とても痛かった。。いまだにその言葉を思い出します。
ほかの方は、この言葉をどう受け取られますか?


7646 ぶひぶひ。さん みーこ 2004/04/01 15:05
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
ぶひぶひ。さん、はじめまして。
15年前、同じころですね。年代も同じぐらいでしょうか。10年以上経った方の投稿を見ると、つい書きたくなります。何年たっても、時々、つらくなりますよね。

私は幼いころ父とはべたべたに仲良しでしたが、思春期、父が打つをわずらい始めてからは最低な状態でした。それまでいろいろありました。父が死んだとき、ホッとしました。ホッとしたという自分が恐ろしく、その気持ちを受け止められませんでした。

10年以上経って、カウンセリングをちょっとの間だけ受けました。
そのとき初めてそのことを口にして、ようやく少し、開放されました。
それまで私の感情の一部は、10代前半でストップしてました。

その後、ふつうの(カウンセリングとかではない)場面である人に、その話をしました。その人は、病気でご両親をなくされた、私より10ほど年上の人ですが、「ホッとしていいんだよ」と。親が他界したとき、「ああ、もうこれで心配しなくていいんだ」、ってホッとした」と。

私は今、父と同種の仕事を始めかけています。ぶひぶひさんが、ご自分が結婚されてお母様のことをいろいろ思われるのと同じように、私は、仕事が同種、ということで、余計にいろいろ思うことがあります。

そして今、思うのです。
いろいろありました。
でも、父がいたから母がいて、母がいたから父がいて、(お互いに大切な人だった)そういう両親に育てられたから私たち子どもがいて、母が父の死後も家を守ってくれたから、私たち子どもは行き続けられ他のです。
父は、私の心の中に生き続けています。実際に生きていたころは、散々だったけれど、いとおしく思えるようになりました。家族の一員として、いつまでも、ずっと、私とともに、私の家族とともに、父は、心の中にいき続けます。
父に対して恥ずかしくない生き方をしないとなー。
これを書きつつ、そう思いました。
私の父は、決して完璧な、いい父親だったというわけじゃあありません。でも、確かに私たち子どもを大切には思っていた。
だから。





7647 誤字だらけですみません。 みーこ 2004/04/01 15:10
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
先ほどの投稿、誤字がいっぱい。ですみません。たぶん意味は分かっていただけると思いますが、。たとえば、「打つ」は、「鬱」の間違いです。。。。


7648 皆さん ありがとう ハル 2004/04/01 18:01
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
花桜さん、ふ〜さん、みっちゃんさん、ありがとうございます。涙がボロボロ流れてくるくらい、皆さんの気持ちが嬉しい。有難い、救われます。

誰に話したって、皆さんのような言葉は返って来ない。今日も仕事中、心が痛くて、悲鳴をあげていました。でも、どうする事もできない。
早く、帰って、ここに来たいと思っていました。

人の噂も何とか・・と言いますから、ここは何とか乗り越えなくっちゃ。
でも私、無理してるのかな。最近、胸が苦しさで、いっぱいになります。

パパに会いたい。パパがいた頃に戻りたい。パパに抱きしめてもらいたい。
皆んなには、そんな人がいるのに、私にはいない。
パパが死んじゃったから、私の心も死んじゃった。でも、子供達の為に心を取り戻さないと。



7649 みーこさんへ 白いうさぎ 2004/04/01 18:57
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内 / 日本国内
「自○は、家族の病理だ」って・・・なんですかそれ?
さぞ、その言葉を聞いたときのみーこさんはつらかったでしょう。
私は、そんな風に思いたくありません。世間の人はそう思うのかなー
とてもつらい言葉ですね。
私は、ある母子家庭相談で、死因を聞かれて「突然死です」と言ったら、「世の中には、あんたよりひどい目にあった人がいるよ。自殺だよ。どんな理由があっても、僕は男としてそんな卑怯な人間は許せないよ」と永遠と語られて胸がどきどきしました。
そんな日もあって、家族がどうのこうの・・・亡くなった者を知らないのにどうのこうの言われるのは本当にいやですね。


7650 花桜さん、ダイさんありがとう 白いうさぎ 2004/04/01 20:31
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内
過労死の裁判をするのは、たぶんできません。
夫の死因を子供や、近所の人に伏せたいから。
近所の人は、本当は知っているのだけれど、はっきり伝えたくないから。
前に、労働監督基準局に相談に行ったら、「近所の聞き込みからまず始める」と言われました。
びっくりしました。
結局私の住んでいる地区の監督署は、会社と同じ弱者に厳しいところでした。
ふんぞり返ったいやな職員でした。

一番は、私が自分を責めているからだと思います。
私のせいだと本当は知っているからだとおもいます。
人には言われたくないけど。

世界で一番愛していたのに

7651 どうして チョコ 2004/04/01 23:43
女性 / 30歳台 / 妹 / 1ヶ月以内 / 関東
妹を亡くして、1ヶ月になろうとしています。
まだ29歳でした。
美しくてで才能に溢れた、自慢の妹でした。
一人暮しをしていた妹は、年末に何もいわず突然実家に帰って
きていました。
両親が好きではないから家を出ていったのに、、、
私も結婚し、仕事もしているため忙しく、実家のすぐ近所に
住んでいるにもかかわらず、時々電話で話すくらいでした。
最後に会ったのは、亡くなる1ヶ月前でした。
風邪を引いて仕事を休んでいるというのに、勉強をしていました。
結婚しようと考えている人がいて、そのとき初めて写真を見せて
もらいました。
大学を中退した妹は、結婚したら大学に通いなおして
薬剤師の資格をとりたいと言って、独学で勉強をしていました。
1時間ほど話して帰ろうとしたら「もっといてよ」といわれました。
そのとき帰らなければ、何か私に言えたのかもしれない。
亡くなった日は実家の別階に住む祖母の誕生日でしたので、
仕事帰りに寄ったのですが、妹の部屋は閉めきってあり、
同居している高校生の弟に聞くともう寝ているらしいとの
ことでした。
実際は、私が祖母のところに行っている頃に亡くなっていました。
思い出すと本当に辛い。
妹に何もしてやれなかったことが辛いです。
遺書には「誰のせいでもない」と書いてありました。
1ヶ月近くたち、だんだん平静を取り戻しましたが、
今日も仕事に行けず、家にいました。





7652 大げさかもしれませんが。。。 まな 2004/04/02 00:25
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以内 / 日本国内
みなさん、こんばんわ。
パソコンがダウンしてしまい、こちらへお邪魔するのも久々な気がします。

実家の母から父が生前はいていたズボンなどをうちの主人にどうかという話があって、サイズとしてちょっと父の方が大きいようだけどはけるものは頂きますと主人も言うのでそれでいいかなと思ってました。

だけどやっぱり父のはいてたズボンなんですよね・・・。

「どう言ったってもう帰ってこないんだ」って母とこの数日前に話したんですが、やっぱりズボンとか見ると何とも言えない気持ちになりそうで。


7653 みなさんへ momo 2004/04/02 00:53
女性 / 30歳台 / 妹 / 1年以内 / 西日本
落ち込み続けていて未だずるずると這い上がれておりませんが、
みなさんのお返事に涙が止まらなかったです。
泣くことすら、最近は上手くできなかったので、とても救われました。
ありがとうございます。。。お返事遅くなってすみません。


☆花桜さんへ
ほんとにね、心が落ち着ける場所がありませんね。
うろうろと立ち往生しっぱなしです。
自分で作ってあげるしかないんでしょうけれど、まだ少し無理ですね。
うん、お互いゆっくり、一緒に歩いていきましょう。ありがとうございます。


☆ねねさんへ
私も、親の前だとねねさんとほぼ同じように振る舞ってしまってます(笑)
少しでも…なんというか。笑顔になってほしくて。くだらないことでも。
>もしも私の弟が『助けて』と言えなくてこんな結果になったのなら、
>私は『助けて』と言いたい。
>助けてくれる人がいることを、信じたい。

ひどい人なんかじゃないです。私、全然そんな発想できませんでした。
そうですね。私も助けてと、言いたい。ココでいつも助けていただいてますしね。
なんか、ハッとしました。ありがとうございます。


☆のぶゆきさん、小僧さんへ
お久しぶりです。ほんと…何度来ても、お二人にはいつも
おふたりそれぞれの、独特の、温かい言葉をかけていただいて、
本当に感謝です。おかげで気持ちが楽になりました。ホント。
おふたりからのレスを読んで、
ああ、自分はこう言って欲しかったんだ〜そっか〜…
と、大泣きしながら(笑)改めて気付きました。ありがとうございます。

のぶゆきさん、バイクにはそろそろ良い季節ですね。
私は先月の半ばくらいから、体調と天気の良い日だけ通勤に乗ってます(^-^)。


☆わにさんへ
レスありがとうございます。
時間が経つ方がつらい部分もある…ほんとにそうですね。
カウンセリング、始められたのですか?
私もずっと考えてはいるのですが、民間のとこは高いですよね…¥
病院がやっているところは、安めだけれど、平日しかしてなかったり。。
ゆっくり、探して、きっと出会うべき時にいいとこに出会えると、
のんびり構えつつ探そうと思っています。
はい、ぼちぼち行きましょう、ですね。ありがとうございます。



今回もみなさんに助けられ、
変なハナシですが嬉しくてありがたい気持ちでいっぱいです。
弱音以外のことも、たまには書きに来れるようになれればいいなぁ、
と思っています。
本当に、ありがとうございました。




7654 こんばんは にゃん 2004/04/02 01:05
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
「労災申請」の四文字を見たり聞いたりするたびに、
夫に対する後ろめたさから、胸がきりきりと痛む私です。

「自殺は家族の病理だ」?!?!?!

馬鹿なことを口にしないで欲しいと思いますね。
1年間に3万人もの方々がその尊い命を
自らの手で断っている現実があるというのに…
その現実が何年間続いているのか、その人はご存じないのでしょう。
ニュースも見なければ、新聞も読まないのかもしれません。
3万人の方々が平均4人の家族だとしたら
12万人もの方々が平凡な幸せを願い、懸命に築いてきたその家庭が
すべて病んでいるとでもその人は言うつもりでしょうか。

私は神さまにお会いしたことはありません。
だから神さまはどこかにいらっしゃるのかもしれませんが、
今のところ私はその存在を信じていません。
だってもし神様がいらっしゃるのなら、どうしてあんなに優しい夫を、
皆さんの大切な方々を守って下さらなかったのか…
どうして彼が自死を考えるようなことになる前に、
彼を追い詰めた彼の会社の人間たちを罰してはくれなかったのか、と
私は思ってしまうのです。

神さまが存在するとしたら、
3万人もの人が毎年自死を選んでしまうこんな悲しい出来事を
放っておくはずはないと思うのです。
もしも神さまが存在したとしても、
神さまにもままならないこの現実を小さな小さな人間の力で
どうすれば良いというのでしょう。
人の持つ力はそんな大きなものでも、魔法でもないのです。
そばにいても、どんなに愛していても、
人が人に出来ることには限界があるのです。

とは言っても、夫の自死に対して私は自身の責任がないとは
決して思いません。
むしろ一番罪深いのは私の存在だと考えています。
夫の人生の道筋を変えてしまったのは私だから。

けれども、
最後の最後に彼を救ってあげられたのは、
他ならぬ彼自身なのです。
私がどんなに泣き叫んでも、彼の心には届きませんでした。
疲れ切った彼の心が生きることを諦めてしまったのだから
たとえ神さまにだってもう救うことは出来なかったのでしょう。

悔しい、とても悔しい…
生きていて欲しかった、今も隣で笑っていて欲しかった…
一度でいい、「パパ」と呼ぶ可愛い息子の声を
彼に聞かせてあげたかったと、
息子に「パパ」と呼ばせてあげたかったと、
そう思います。

夫がこの世を去った時、
生まれてふた月にも満たなかった息子は2歳になり、
次第に言葉も増えてきました。
よろよろとつたい歩きをしていた1年前は一生懸命背伸びをしては
夫のお仏壇にいたずらばかりしていました。
今では「パパ、なむ〜。」と言いながら、お仏壇に向かって
その小さな手を合わせることが出来るようになりました。
そんな息子の成長が切なく、胸が痛みます。

自死を選ぶ人は卑怯だから死を選んだわけではありません。
愛する人を残してもこの世を去らなければならないほど
つらかったから、苦しかったから、どうしようもなくて
死以外の道が見えなくなってしまったのでしょう。

自死した人を責める権利がもしも誰かにあるのだとしたら
それはすべての責任を背負い、
深い悲しみの中で苦しみながら生きねばならない
遺された家族だけに許されるのではないでしょうか。
他人がとやかく言えることではないはずですよね。

人は自分が経験していないことは
人の思いを想像してみる以外にありません。
想像力と思い遣りの心が乏しい人の言葉などに
どうかこれ以上皆さんのお気持ちが傷つけられませんように…

私自身は夫のために労災を申請することも、
裁判を起こすこともしませんでした。

夫の葬儀の直後から、夫の勤務が激変してからの記憶をたどり、
少しでも証拠となりそうなちょっとしたことも見逃さないようにと、
はじめは闘うつもりで、泣きながら、救えなかった自分を責めながら、
必死にレポートをまとめました。
夫の会社にも何度も足を運びました。
ひどい言葉を浴びせられ、そのたび私の心の傷はさらに深くなりました。
労働基準監督署の認定基準の項目にも
私にとっては胸が痛くてたまらないものが幾つもありました。

私はたった一人の親として息子の前で笑っていたかったのです。
夫であり父親である彼がいないことは
どうしようもなく寂しく悲しいことだけれど、
それでも母と子で少しでも明るい方へ、穏やかな未来へと
歩んで生きたいと私は望み、考えに考え、
その結果、労災も裁判も私には出来ないと判断しました。

夫のために闘えなかったことを私はきっと死ぬまで悔やむでしょう。
それでも今を生きるために後悔を背負って生きることにしました。

答えは人それぞれに違います。
ご自身のその時その時の精一杯な思いが
一番正しい答えなのだと思います。

一度は闘おうとした私の、
あまり皆さんのお役に立たないかもしれない意見ですが、
労災申請をするにあたり、弁護士さんのご助力よりもまず、
会社の労務管理などを詳しく検証してもらうために
社会保険労務士の方のお力が必要であると思います。
ただし、社会保険労務士の方は一般的に企業寄りの立場の方が多く、
遺族の立場に立ってともに闘って下さる方を見つけることは
なかなか大変なことです。
裁判を起こす場合にお願いする弁護士さんについても
この分野に精通した方でないと難しいと思います。


ダイさん、どうかあまりご無理をなさらず、
けれどもご自身の信じる道を歩んで下さい。
何も出来ませんが、応援しています。
そして、きっときっと幸せになって下さい。


ハルさん、とてもおつらい思いをなさいましたね。

私も似たようなことがあり、ひどく落ち込んだことがあります。
でも私が落ち込んでいては余計に
心の中に土足で踏み込んでこられてしまうことになると思い、
から元気でもとにかく笑って、背筋を伸ばして、
とても小さなことかもしれないけれど、自分に出来る範囲のことを
一生懸命努力するようにしています。
そうしているうちにわかってくれる人はちゃんとわかってくれます。

子供の存在が救いであり、希望である反面、
守らなければならないものを抱えるつらさが現実にはありますが、
ハルさんは決して一人じゃありません。

今はまだまだおつらい時期だと思いますので、
お心のご負担になるようなことはなるべく避けてお過ごし下さい。
そして抱えきれないようなおつらいことがあった時には
我慢せずにたくさん、たくさん泣いて下さい。
そして言葉を綴ることで少しでもお気持ちが癒されますように。
この場所では皆さんがハルさんの心の声に耳を傾け、
ハルさんのお気持ちに寄り添っていますから。


白いうさぎさん、大切なのは今生きていらっしゃるご自身です。
心に深い傷を負い、ご自身が生きるために必要なことを
日々こなして行くだけでもとても大変なことと思います。
どうか、ご自分を責め過ぎないで下さいね。


おせっかいにゃんでした。
お久しぶりの皆さん、はじめましての皆さん、
これからもどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m


7655 おはようございます。 ふー 2004/04/02 08:06
女性 / 40歳台 / 夫 / 2年以内 / 西日本
今、私は労災の申請を終了し、後は認定を待っています。夫の49日が終わって夫の同僚(前組合の委員長、前々組合委員長)に労災の申請をしたいから協力して欲しいとお願いしました。かえってきた言葉は「今更、何を言ってるの?そんな事したら会社にも調査が入るから世間体も悪いし、何よりもそんな事したらマスコミもかぎつけるからあなたの子供達の耳にも入るんだよ。それでもいいの?」と脅しにも似た言葉をあびせられました。協力してもらえると思っていいた私はショックでした。テレビ局に勤めている知り合いにその事を相談すると「今はそんな時代では無いし取材するなら、マスコミはそんな事を言う労組を糾弾するよ」と言ってくれました。迷っていた私は労災を申請することを決めたのです。

私は労基署の担当者に恵まれていたと思います。会社から申請書への印鑑がもらえないと話すとわざわざ家に訪ねてきてくれて、それも担当者の休日の土曜日にいろいろと聞いてくれて印鑑が無くても大丈夫だからねと言ってくれました。4度程の聞き取り調査の度に「大丈夫ですか?子供達を抱えて大変ですよね」とも言ってくれまいした。近所への聞き込みもするのですか?との問いにも「必要あればしますけど、私はしません」と言ってくれました。

でも、申請をしてもしなくてもどんな結果がでても夫が帰ってこない事実はどんな事をしても変えられません。どんな結果がでても心の平穏は訪れない事も理解してます。申請したことも正解だったと言い切ることもできません。

あの時仕事を辞めさせていたら、もっと優しく接していたら、彼の心の安らぎを与えてあげられなかった事、更には私と結婚さえしなければ運命は変わっていたのかもと今でも後悔の毎日です。仕事のこともあるけど私にも夫に対する配慮が欠けていたのだと思います。あんなに優しい子供思いの夫が子供達の成長を見ずに自ら逝ってしまうなんて考えられません。ただ、ただ夫とお父さんと呼べなくなった子供達に申し訳ない気持ちで一杯です。



7657 みーこさんへ ぶひぶひ。 2004/04/02 09:37
女性 / 30歳台 / 母 / 10年以上 / 関東
みーこさん

返信ありがとうございます。
私は母が自死して16年目に入りました。
ホント、何年経ってもつらい部分がありますね。
特にあの当時はPCもなくこうして相談できるところもなかったので、
ただただ、自分の心に思い出に蓋をして鍵をかけることしかできませんでした。
私も16歳の頃の成長していないままの自分がいます。
あのときから時間がたっていない部分があるのです。
ずっと我慢して、我慢して、母が帰ってくるのを待っているような気持ち。こんなに我慢して頑張って生きてるのに、どうして母は帰ってきてくれないんだろう?なんて理不尽な想いでいっぱいになるときがあります。

みーこさんもお仕事を通して、お父さんを思われているのですね。
同業種ということは、きっとお父さんにいろいろ聞いてみたいこと、相談したいことも、お父さんの気持ちを思われることもたくさんあるでしょうね。ああ、私と気持ちが同じなんだなぁと思いました。同じ思いをされて、そして歩んでいる方を知ると力をもらえます。
きっと同じお仕事を選ばれたみーこさんをお父さんは誇らしく温かく見守っていらっしゃると思います。

>私の父は、決して完璧な、いい父親だったというわけじゃあありません。>でも、確かに私たち子どもを大切には思っていた。

そうですね。私の母も決して完璧な母だったわけではないけれど、私や兄のことをいつも自分のことのように心から想ってくれていたな。
私もそんな母を大切に想いたい。母の娘であることを誇りに思いたい。
ちょっと泣けてくるけど。

みーこさん、「自殺は家族の病理だ」なんて・・・そんな言葉を言われて、みーこさんの心の傷に塩をぬられたような気がしたことでしょう。
そんな言葉は真に受けてはいけないと思います。
それはその人が当事者じゃないから、言えること。
もしそういった人が私たちと同じ立場にたたされたら、そんなことは決して言えないと思うのです。
私もにゃんさんがおっしゃっているように、自死は確かに家族に責任がないわけではないけれど、最終的にその道を選んでしまったのは本人だと思います。
どんなに周りの人が言葉を尽くし、泣き叫んでとめても、つらくて苦しくて死以外の道が見えない状態に陥ってしまったんだと思います。
だからといって、仕方がない・・・という言葉で割り切れるものではない苦しみが私たちには残るのですが。

今朝は少し雨がふって・・・桜も散ってしまいますね。
私の母が亡くなったのは3月。春はちょっぴり憂鬱です。




7658 こんにちは ねね 2004/04/02 14:21
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 関東
みなさん、こんにちは。

momoさんへ
あれから掲示板にでてこないからどうしてるだろうかと、
気になってましたので声が聞けてよかったです。
『お布団とお友達』(笑)で、いいと思いますよ。
そう・・。
私の友達が言ってくれた、
『いつまで私はこうしているのだろう・・』ではなく、
『いつかが来るまで』で、いいんですよ。
ゆっくり・・ゆっくりね。


私は弟のことを恥ずべき行為をした、と思ったことがありません。
それと同時に、私が今前向きに生きられないのなら、
無理に前えを向く必要もないと思ってしまいます。
『今日』をなんとか過ごしたら、それで十分。
『明日』をなんとかできたら、それで十分。
その繰り返し・・。
思い出しては涙して。。。
振り返っては涙して。。。
足踏みしてる時間が、長かろうが短かろうが関係ない。。。
人生の迷路に迷いこんでしまっている。

そんな私自身を含め、
この掲示板に来られている方々に対し、
『恥ずかしい』だなんて
一ミリたりとも感じたことがありません。


なぜなら。
ここにいるみなさん、(もしくは自分だけかもしれません)が、
なんとかして『生きよう』としていることを感じられるからです。


本当に、本当に、励まされています。
みなさんの言葉に、自分が許される気がします。


今日は親戚が弟の墓参りに遠方から訪ねてくるからと、
その『接待』に実家に帰ります。
私は、弟には悪いけど、弟の思い出話なんて出来ないんです。
懐かしんだり、思い出したりするのは辛いんです。
今から緊張し、胃が痛い・・・。
疲れ果てて帰宅することになるでしょう。。

みなさん、また来ますので助けてください。


7659 仕事 ハル 2004/04/02 19:17
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
にゃんさんの書き込み、いつも読んでいて、元気をもらっています。
ここ最近は、マジ辛い。そういう時期なんでしょう。
私の仕事は、美容関係で、とても華やかです。今日は研修会があり、新しい商品についてでしたので、大規模で多勢のスタッフが集まりました。

皆んな、キラキラと輝いて、自信にみちあふれた女性ばかりです。私も以前はそうでした。でも、今は違う。暗く、皆んなの楽しそうな話題に、作り笑顔でついていくのが、疲れます。
内側から綺麗になるのには、愛する人の存在が不可欠です。夫は、私がこの仕事をして、綺麗にメイクして、スーツ姿をニコニコして喜んでいました。

私も夫が喜んで、私の事を誉めてくれるので、嬉しかった。定期的に研修会はあるんですが、夫の事を思い出して辛くなります。
もう、こんな姿も見てもらえない。駅まで送り迎えもしてもらえない。
同僚達は、旦那や彼氏の楽しい会話。家に帰ってどっと疲れました。

長女に「外で、沢山の人と会うと疲れる」と愚痴っても、聞いてるのか、聞いてないのか返事はないし。夫の遺影を見ながら、「何で死んじゃったのよ〜お!」って心の中で言いました。


7660 私も仕事 白いうさぎ 2004/04/02 23:32
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内
4月1日からフルタイム勤務になりました。
本当に、いっぱいいっぱいです。
子供を育てるために働かなくてはなりません。
仕事も新しい事に挑戦なので、帰ってから、家事、子供の事やる事が、抱える事が多くて子供を病院に連れて行くこと、自分の病院にかかることさえ難しく、労災の事は現実にはそんな時間は取れません。
私も、にゃんさんがおっしゃっていたように、そのことに後ろめたさみたいなものもあります。
出るかでないかわからないのに、相当の時間を使って呼び出しにおおじることができないのも現実です。
本当に、担当の監督署の人によるのでしょうか?
でも、仕方ないです。
私も、当面の安定を通りました。
とりあえず仕事をして精一杯生きることしか考えない事にしたけど、心はどうして揺れるんだろう。
これでいいのだろうか・・・ゆれてばかりです。
本当は。


7661 ありがとうございます。 みーこ 2004/04/02 23:38
女性 / 30歳台 / 父 / 10年以上
白いうさぎさん、にゃんさん、ぶひぶひさん。

ありがとうございます。
「自殺は家族の病理だ」
まるで他人事と思っているからこそいえるその
無神経な言葉。

家族に責任がまったくないのか、といえば、
そうとはいえないかもしれない、それでも、
家族を守ってくれる社会の力も弱かった。。
本人は、死以外考えられない状態になってしまっていた。

だから、家族を責める(ように聞こえた)その言葉を
自分の中に取り込まなくていいのですよね。
何度も確認しないと確信がもてなくなってしまうのです。

でも、なによりも、
他人のその言葉が、自分の生きるために何か役に立つのか。。
思い出すことによって、自分を傷つけ、
苦しめ、日々の生産性を低下させるだけ。
そんな役に立たないことは、自分から切り離したらいいんですよね。




7662 新しいことへの挑戦 TAKAYUKI 2004/04/03 00:57
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東
暇な時間があると、ろくな事を考えないものです。
仕事の合間のちょっとした時間。
いろいろ思い出したり、自分を責めてみたり、・・・疲れます。
そんな時、抗うつ剤や安定剤を飲んでも全く効果ありません。

天国の父も弟も大変な努力家でした。
私は父の死後16年間、母と弟を支えたい一心で必死に努力をしてきました。3人の絆は何よりも固いと信じていました。

8ヶ月前、弟が亡くなった時、なんで家族を裏切るんだという怒りで
いっぱいでした。
3人で16年歯を食いしばって、耐えてきたのに。

そう考えたらなんだか努力するのがむなしく感じました。
というより努力すると父や弟を思い出して辛くなるのです。
体を鍛えるのも、勉強するのも、思い出して辛いんです。
そして私は努力することをやめました。
少しでも時間があいたら、ぼーっとしながら
次は自分の番かな、なんてことを考えていました。
いや、母だけ残しては死ねないし。
そんなことを来る日も来る日も考えていました。

正直、二人も身内が自死すると
感覚もおかしくなります。

どうして神様はこんなにも試練を与えるのでしょうか。
立っているだけでもやっとなのに。

17年間吸い続けたタバコをやめました。

今月から新しい仕事を始めました。

新しいことへ挑戦することで
自分を高めることで
自分に課せられた運命に立ち向かうしかなさそうです。
いつかこの心の霧が晴れるまで。









7663 お父さん sie 2004/04/03 01:21
女性 / 20歳未満 / 父 / 6ヶ月以内 / 日本国内
私には何も分からない。
どうしてお父さんの写真に黒いリボンがかかっていたのか。
どうして最近話をしていないのか。
聞きたいことはたくさんあって。
でもお父さんは仕事が終わる時間になっても帰ってこない。

自殺と聞いたときに私はなんと言っていいのか分からなかった。
頭が真っ白になった。
まさかあんな強いお父さんがそんな手段を取ってしまうなんて。

お母さんは毎日泣いている。
だけど、私には何も出来ない。
なんとか励ましたいけれど。
お母さんの心の隙間を私には埋められない。
埋められるのはお父さんしかいないのに…。

にゃんさんの書き込みの言葉
「自死を選ぶ人は卑怯だから死を選んだわけではありません。
愛する人を残してもこの世を去らなければならないほど
つらかったから、苦しかったから、どうしようもなくて
死以外の道が見えなくなってしまったのでしょう。」
を見て、その通りだと思いました。

この考えかたを胸に、母を支えて生きていきたいと思います。





7664 おはようございます。 のぶゆき 2004/04/03 03:51
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 東北
momoさん、泣けれて、よかったですね。心のバランスがよくなってくる事を祈ります。
バイクのエンジンをかけようと思っていたら、雪になりました・・。
今年は雪が少なかったので、仕方がないです。
ここでは、寒く冷たい雪と、短い輝きの夏はセットですから、
良い季節を迎える為には、雪も受け入れないと・・・。(^^ゞ

にゃんさん、
>「たった一人の親として息子の前で笑っていたかった・・・」

僕は弟をなくす前から子育てで悩んでいて、疲れはてた夕方には、
子供に笑顔を見せられなくなる日が多くて悩み、夕方にはお酒を飲み、
イラ立つ神経をマヒさせる事が多かったです。
もっともっと、子供を受け入れられる、心が欲しかったでした。
仕事をしながら、子育てをされているお母さん方には、それだけで頭が下がります。
笑顔で接していたいお気持ち、痛い程感じます。
ご主人、きっと、自分の事でにゃんさんに闘われる事よりも、
お子さんとの穏やかな暮らしを選んでくれると思いますよ。
もし、闘って欲しかったとしたら、急いで逝かれなかったような気が、します・・。
きっと争い事が、嫌いだったのでは、ないでしょうか・・?
過日は、ありがとうございました。m(_ _)m



7665 どうしたらいいのか esukimo 2004/04/03 15:01
女性 / 20歳台 / 弟 / 1ヶ月以内 / 中部
 一人欠けて3人家族になってしまいました。いまだに信じられず、こうやってキーボードを打っていても涙が出てきます。今は後悔の念と、ただただ寂しいという思いしかないんです。正直な話、私はこちら側の人間になるなんて思いもしなかった。テレビに映っているニュースも他人事だった。それが今自分に降りかかってしみじみ世の中何が起こるか分からない。他人事なんかじゃないと感じました。
弟とはくだらない話ばかりで肝心の悩みを聞いてあげることができなかった。ごめんね。厳しいばかりのおねえちゃんだったね。私はあんたがいなくなってとてもさびしいよ。またふらっと起きてきたら「おそよう」って言いたい。でも言うことすらできないね。お母さんもお父さんも自分を責めているからそんなこと無いんだって言っているけど、慰めるのも疲れてきた。どうしたらいいんだろう。


7666 TAKAYUKIさん ハル 2004/04/03 17:34
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
私も夫が亡くなった日から、すっぱりタバコを辞めました。人が吸っていても、なんとも思わない。
お父さんも弟さんも、こんな事って!辛いですね。普通の精神ではいられないのは、当然です。一人になると、考えたくない事、例えば、亡くなる直前の事や、思い出したくない亡くなった日の状況などが、次々と頭をよぎります。

こんな残酷な試練が、私達に降りかかろうとも、私達まで、暗い道を歩んではなりませんね。
せめて、私達は、とびっきり、明るい道を進みたいものです。
こんな誰でもが経験する事ない、貴重な体験として、ひとつ成長しました。

人間は慣れる事ができるそうです。その日まで、どのくらいかかるかわからないけど、励ましあい、生きましょうね。


7667 1年 よう 2004/04/03 23:46
女性 / 20歳台 / 妹 / 1年以内 / 関東
妹とさよならして今日で1年になります。
その事があった日の翌日、私は学校の実習報告会に行きました。行くべき場所ではなかったのかもしれませんがなぜが行かなきゃと思い行きました。
それからどうしても学校(医療の学校です)に行くのがつらくて、越えなくてはいけない実習も直前で断念して退学しました。
今は自分が何していいのか分かりません。
さよならするの直前の彼女からの「〇んだら楽になれるかな」というメールに
対して向き合わなかった自分が嫌で悔しくなります。
私は自分の腕に傷をつけようとする自分より強くなりたい。
でも、同じ事を考えている友達にどう向き合ったらいいのか分からない。




7668 …………… にゃん 2004/04/04 06:41
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
私の書き込みは「癒しと語らいの掲示板」にふさわしくないものかもしれません。
書き始めておいて卑怯ですが、管理人さんのご判断で削除して頂いて構いません。

私はこれまで「青い空の彼方」や「自死遺族の部屋」で出会った皆さんに
ずいぶん助けて頂きました。
労災申請や裁判で闘えなかったことについても
何度も悔やみ、後ろめたい気持ちを抱えきれずに綴っては皆さんに励まして頂きました。
この掲示板にも同じようなことをこれまでにも幾度となく書きました。
「いいかげんにして。」と思われるかたもいらっしゃるかもしれませんね。

私が自分を責め続けてしまうのは、夫が過労による自死に追い込まれた根源が、
私のために転職をしたことに始まるからです。
そして最期に…夫が私に宛てて遺した走り書きの中に
「会社を訴えてくれ。」という一文があったからです。
のぶゆきさん、仰るように夫は争いごとを好まない、穏やかな人でしたが、
そんな人が最期に私が闘うことを望んでいたのです。
もちろんあの時の夫の状況では、私が彼の死後、
心の面でも生活の面でもどれほど追い詰められるかなんて冷静に考えられたはずもなく、
なんの判断力の働かない、疲れ切った状態で書かれた彼の思いではありますが。

おそらく夫がそんな言葉を遺したのは、夫が亡くなる前日の夜、
会社の上司から仕事上の範囲を超えるような精神的な圧力を掛けられていることや、
病院で手当てしてもらわなければならないほどの暴力を
これまでに何度も振るわれたことなどを、
「生き地獄だよ。」と、初めて打ち明けられた時、
それでも自分に責任のある仕事が幾つもあり会社を辞められないと言う夫に、
「そんな会社辞めていいよ。私が会社を訴えるから!」と私自身が言ったからでしょう。
それまで夫が怪我をして帰ってくるたび、不審に思って訪ねてみても、
「現場で転んでぶつかった。」などと嘘の説明しかしてくれませんでした。
慣れない育児にいっぱいいっぱいで寝不足が続く私に心配を掛けたくなかったと…
私は生まれて初めて労基署の電話番号を調べ、本気で夫のために会社と闘うつもりでした。

けれど翌朝、夫は「今日は取引先と約束がある。迷惑を掛けたくないんだ。」
そう言って出掛けて行きました。心配して見送る私に「じゃあね。」と言って。
夫が玄関を出た後も「いってきます。」ではなく「じゃあね。」と言った
夫のことが不安でたまらず、私は家の前まで出て行って
「いってらっしゃい!」と大きな声で、歩き始めた夫の後姿に声を掛け、
夢中で手を振りました。
振り返った夫は私に優しく笑ってくれました。
だから大丈夫だと思ってしまったのです。そのまま見送ってしまったのです。
また私と息子の元へ帰って来ると信じて…

同じ闘うのなら、私は生きている彼と共に闘いたかった…
遺されて彼の無念のために闘うのではなく、彼の心と命を守るために闘いたかった…

彼の会社の重役たちからは
「死ぬほど仕事が嫌だったなら、もう会社に来なければよかったんだ。
それだけのことなのに勝手なことをされて迷惑している。」と、言われました。
彼の上司の暴力のことを訴えても、
「多少のことはあったかもしれないが熱心な指導の一環。少々行き過ぎただけ」と…
病院に行くような怪我だったと話しても
「本人が転んでぶつかって怪我をしたと、そう説明していたんだから、
そうなんでしょう。」と、私をあしらうように笑いました。
そしてそれはすべて夫のせいだと、夫の営業成績が良くなかったために
彼の上司は夫に「指導」し、3ヶ月以上もの間、週に3日も4日も、
午前5時、6時に家を出て翌午前2時、3時に帰ってくるような、
たまの休日にも客先からの電話が携帯にかかってきては慌てて出掛けて行くような
そんな勤務をさせたと、私にそう「説明」しました。
労務管理の記録を見せてほしいと頼むと、彼自身がその日の営業先を書いた、
勤務時間の記録も何もない、ただの日報を見せられました。

「労災申請を出来るものならしてみればいい。」と言わんばかりに、
労基署の過労による自死の認定基準のパンフレットをご丁寧に送りつけて来ました。
その中にはチェック項目が幾つもあり、会社において自死の要因となり得た項目、
家庭において自死の要因となり得た項目が記されていました。
「家庭の中にも心当たりが幾つもあるんじゃないのか?」とあの重役たちから
言われているようでした。
事実その項目の中に私が耐え難いものがあったからです。
その項目にチェックが入り、労災が認定されたとしても
私はもっと苦しまなければなりませんでした。

私は夫が最後に望んだことすらかなえてあげることの出来ない妻です。
こんな私を妻にしたために夫は短すぎる人生を終えました。
けれど夫は遺した走り書きの中に「幸せな時間をありがとう。」とも書いてくれていました。

夫の死後、お線香をあげに来てくれた夫と私の共通の知人が
「○○さんはね、結婚したばかりの頃、私に言ったのよ?
『俺はにゃんと結婚できて本当に幸せだよ。にゃんと一緒の毎日はもちろん、
父親がもう一人増えて、初めてお母さんって呼べる人ときょうだいが出来た。
そしてもうすぐ父親になれるんだ。』って。」
その言葉を聞かされて、来る日も来る日も自分を責め続け、苦しんでいた私は
涙が止まりませんでした。
自分勝手だけれど、私にとって都合の良い言葉だけを受け入れて、
「会社を訴えてくれ。」という夫の遺したもうひとつの言葉には蓋をして生きている私は
本当に自分勝手だと思うけれど、
あのありがとうの言葉と、知人が教えてくれた夫の言葉が
夫に申し訳ない気持ちを抱えながらも、こんな私が生きて行ける支えになっています。


長々と失礼しました。
夫の三回忌までのこれからのひと月半、何度も大きな波が私の心を襲うのでしょう。
私は自分の弱さに勝つことができなかったけれど、
負けることのないように人生を歩んで行きたいと思います。



7669 あらためまして、おはようございます にゃん 2004/04/04 07:16
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
またまた、投稿。
うるさいですか?私。
不愉快な思いをなさった方がいらしたらごめんなさい。


ハルさん、
私の夫も男の人のわりに細かいことにとても良く気が付く人で
髪を切ったり、口紅の色を変えたりすると「すごく似合うよ。」とほめてくれました。
私も彼がほめてくれるのがくすぐったくて、でもとても嬉しかったな。

仰るように女性が綺麗でいるためには愛する人の存在は不可欠なのかもしれませんね。

でも、仕事に復帰してからは、
夫に先立たれて苦労したからフケたなんて陰口を言われたら悔しいから、
綺麗かどうかはともかくとして、なるべくきちんとお化粧しています。
最初は無理にしていたお化粧も、服選びも、
悲しい気持ちを隠すための仮面になってくれたり、
気合を入れなければならない時の心の助けになってくれたりします。

そう言えば、結婚して初めてのクリスマス、
「いつも綺麗でいてね。」と、ファンデーションを私のために買って来てくれた夫ですが、
彼は化粧品コーナー自体に生まれてから一度も行ったことがないような人だったので、
私はどちらかと言えば色が白いのに、その当時、街でよく見かけた、
いわゆる「ガングロ」のお嬢さんたちがつけそうな色を間違えて買って来てしまい、
ずいぶん凹んでいましたっけ…
あ、これは「思い出の掲示板」に書くべきだったかも…

今日、髪を切りに出掛けます。


白いうさぎさん、
時は流れ、人の心もずっと同じではありません。
その時々のご自分のお気持ちに正直になられたら、
それで良いのだと思います。
このHPであるかたが以前にそう仰って下さいました。
私も揺れ続けています。労災に関してはあと約3年の時間が残されています。
もしもどうしても闘わずにいられない気持ちになった時には闘うのかもしれません。
それはその時の私にしかわからないことです。
今の私にはまだわかりません。
まず今日のこと、そして明日のことを、出来ることから少しずつ、
ゆっくりとじっくりと歩んで行きましょう。


sieさん、
ご自身もとてもおつらいのですから、お母さまを支えようと
どうかご無理をなさらないで下さいね。
お父さまは強かったから、とても頑張ってしまう方だったから、
頑張り過ぎてしまったのでしょうね。
お母さまはあなたがそばにいて下さるだけで、お心を支えられていると思います。


esukimoさん、
私もそして皆さんも、出来ることならあなたの仰るところの
「こちら側の人間」にはなりたくありませんでした。
もちろんesukimoさん、ご自身もそうでしょう。
今とてもおつらいのでしょう。
言葉を選ぶ余裕などあるはずもない時期であること、
あなたがお若い方であることを踏まえた上で申し上げるのですが、
私にはその表現にいささか抵抗があります。
こんなことを申し上げて本当にごめんなさいね。

誰も特別な人ではありません。
逝ってしまった人たちも、遺された私たちも。
誰の身の上にでも起こり得ることなのだということを
私も夫を失うまでは知らずにいました。
少しお気持ちが落ち着かれたら、ご理解頂けるでしょうか…

ご自身の心が受けた傷も弟さんのいない寂しさもどうしたら良いのかままならない中で、
懸命にご両親を励ましておられるのですね。
お父さまは父として、そして弟さんと同じ男性としての立場で苦しんでおられ、
お母さまは母としてご自身のお腹を痛めた大切なお子さんを失い、
深く深く悲しんでおられることでしょう。
同じご家族の中でもそれぞれにおかれている立場はちがい、
悲しいことですが、支え合いたいのに時に傷つけ合ってしまったり、
少し時を経て、ふたたび寄り添い合える時期が訪れることもあります。

本当にお疲れになったでしょう。
sieさんにも申し上げたことですが、どうかご無理をなさらないで下さいね。
頑張り過ぎないで下さいね。


ようさん、
心のケアをして下さるお医者さまには罹っていらっしゃいますか?
お医者さまも人間ですから、ご自身との相性もあれば、
残念なことですが人格的にどうかな?と思うようなお医者さまもいないわけではありません。
私も今診て頂いているお医者さまに出会えるまでは、正直苦痛な思いもしました。
けれど、医療の力がご自分の心の助けになってくれることもあるのです。
必ずどなたかとご一緒に、そして決して一度や二度では諦めないで、
ご自分のお気持ちに合ったお医者さまを探してみてはいかがでしょうか。

大切な妹さんを亡くされて、心が深く傷ついて…
それだけようさんが受けた傷は深いのでしょうね。
でも私は、ようさんがご自身で腕を傷つけておられるという書き込みを目にして、
胸が痛くてたまりません。

私も自分を責めて、自分を罰せずにはいられなくて、
でも子供を遺して夫のもとに逝くことも出来なくて、
自分の腕の目立たないところに自分で思いっきり噛み付いていた時期がありました。
腕の痛みと引き換えに、心の痛みが和らぎはしないかと…
そういう精神状態が続き、目にするものがすべて夫のもとへ逝くための道具に
見えてしまうようになった時、これじゃいけないと我に返りました。
そんな時期、この「青い空の彼方」に出会うことができて、
少しずつ少しずつ歩んで来ることができました。

おつらい中でお友達のことを心配し、思い遣れる優しいようさんに、
私は幸せになって欲しい。
今すぐそんな気持ちになれなくて良いから、
今は何も頑張らずたくさん泣いていて良いから、
どうかご自身で腕を傷つけるのをやめられるよう、
医療の力を助けにすることを考えてみて下さいね。



7670 にゃんさん、ありがとうございます 白いうさぎ 2004/04/04 17:35
女性 / 30歳台 / 夫 / 1年以内
私は、今の所は子供たちを育てて、仕事をこなす事に精一杯です。
でも、気持ちは動くから労災の事は心の片隅にいつもあります。
一度は戦う気力を振り絞って、労働監督基準局に行きました。
何度も呼び出されました。
私が欲しかったのは、労災のお金じゃない。お金も大切だけど、こんなにただ働きさせて、過労に追い込んだ会社に謝罪して欲しかった。
無駄でした。
謝罪どころか、会えば会うほど憎しみが増し、「こんな事が、まかり通るのか?この人たちは人間か?」と思う態度。
労働局の人も変わりありませんでした。
同じような人たち・・・。
無力さを味わい、それよりも自分ができる事に力を注ごうと思いました。
にゃんさんのご主人とは逆で、主人は自分で転職を決めてしまいました。
事後報告だけでした。
たった2年前しか働けなかった。
どうしてなのか、私にもわかりません。
ただ疲れていた。本当に疲れていました。
だから、眠ってしまっただけだと思います。
実際にあの遺書?メモ?がなかったら、自○とはかかれなかったはずですから。
結婚して幸せだった。子供の顔がもう浮かばない・・・そんなことが書いてありました。
どうして、幸せならどうしておいていったの?
いくら考えても、疲れていて考えが途切れてしまったとしか思えません。

私も、揺れながらまだ考えています。
多分、戦う事はないと思いますが。守りたいものがあるから。
私の場合は、亡くなった主人より子供を守りたい。
なぜなら、私もしつこいけど、労働監督署のひとに、「近所の聞き込みからはじめる」と言われたから。
近所に聞かれたって、何も出てきませんよ。ただ、事実を突きつけられるのがいやなだけです。

労災は、2年以内じゃなかったですか?
私の記憶では、そうなのですが・・・どうなのでしょう。

にゃんさん、ありがとう。勇気がわきます。
私は、自分の道を歩きたいです。


7671 にゃんさんへ サコ 2004/04/04 22:12
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
にゃんさん、にゃんさんの書き込みを読ませて頂いて
涙が止まりません。
本当に、にゃんさんのお気持ちが手にとるように
感じられるからです。
今またお辛い日々の中にあるのではないですか?
どうして差し上げる事も出来なくて・・・・
にゃんさん、ご主人様はどんなにかにゃんさんを
愛し感謝のお気持ちをもたれていたかそう感じます.
にゃんすけ君も2歳になったのですよね?
どんなに大変な日々だったことか。
そして大変な日々は続いていきます。
どんな時もきっと御主人様はお二人を
見守っていてくださいますよ。
大丈夫ですよ。
にゃんすけ君のためにどうか
笑顔の似合うお母さんになってくださいね。
そして思いの丈をいっぱい吐き出してくださいね。
どなたもうるさいなんて思いませんよ。
にゃんさんの優しさにいつも心が和みます。
どうぞ御無理をなさいませんよう・
にゃんすけ君の成長を私も楽しみにしていますから・・・・・。 





7672 にゃんさん ハル 2004/04/04 23:20
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
にゃんさんに、どうやって励ましの言葉を送ろうかと、考えています。
自分をせめないで。私も同じ気持ちなので、どうにか、にゃんさんの心を救いたいのです。
ご主人は、にゃんさんと、一緒になって、とても幸せでした。これは、
はっきりと私にもわかります。
会社を相手に戦うとは、本当に大変な事ですね。でも、絶対に泣き寝入りはしたくない。
私は、はっきりした事がよくわからなく、夫も何も残してないので(見つけきらないのかもしれない)どうする事もできません。
でも、葬儀の時、夫の会社の人が焼香する度、にらみつける事しかできませんでした。夫が通院していた、心療内科に私は、今通ってますが、先生に夫の事を聞くと、仕事での悩みは言ってたけれど、悪口や恨む事は一切言わず、本当に男らしい方でした。と言われました。
夫と仕事を組んでいた人達に、どうしても一言言ってやりたいと義妹に言うと「兄ちゃんは、恨みつらみを持たないように努力したんだよ。私達が恨んだら兄ちゃんの努力が無駄になるよ」と言われ、会社に対しては
何も言ってません。これでいいのだろうか?と気持ちは揺れています。

にゃんさんのご主人、辛かったでしょうけど、にゃんさんと出会えて、愛しあった事に後悔はありませんし、絶対幸せだったと思います。
私の夫はどうだったのか。私の事は重荷だったのか。夫が死ぬほど辛かったぶん、これから、私は一人の悲しみに耐えなきゃいけないと思ってます。


7673 支離滅裂かも。。。 ダイ 2004/04/05 01:06
女性 / 30歳台 / 夫 / 3年以内 / 関東
労災。。。
申請して2年半が経ちます。まだ、認定はされていません。
これからどうやって行ったらいいのか。
子供達も日々成長するし、何も分からないうちに何とかなって欲しい。
裁判も今の所、動けないみたいだし。。。

子供達が大人になるまでは主人の事を知られたくない。
私自身も話せない。
でも、これからの生活、主人が居た証。。。
何故逝ってしまったのかだけは子供達に少しだけ触れさせたい。

「お父さんはね、お仕事が大変で居なくなっちゃったんだよ。」
せめてね、仕事が原因でなくなった事。

私自身にも非がないといったら嘘かもしれない。
専業主婦で毎日、幼い子供にかまけて旦那の事をほったらかしと言われたら反論は出来ない。本当にそうだったから。。。

2日続けて主人が夢に出てきた。以前みたいに泣きながら起きる私はいなくて、今の私はもう少し目を瞑っててその余韻を味わいたい。。。
笑顔で微笑む主人。。。少し悲しげな顔の主人。。。
ほんの少しそんな主人を抱きしめたいと思いながら布団にまたもぐりこんだ。
また来てね。。。^^

おう!!と言ってくれるのかな!?




7674 ハルさんへ。 TAKAYUKI 2004/04/05 08:57
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東

『こんな残酷な試練が、私達に降りかかろうとも、私達まで、暗い道を歩んではなりませんね。
せめて、私達は、とびっきり、明るい道を進みたいものです。
こんな誰でもが経験する事ない、貴重な体験として、ひとつ成長しました。
人間は慣れる事ができるそうです。その日まで、どのくらいかかるかわからないけど、励ましあい、生きましょうね。』

何度も何度もこのハルさんの言葉を読み返しました。
ハルさんに心から感謝します。

自分一人で思い悩んでいた頃、自分が世界一不幸に思えました。
一人でマイナスに考えると気が狂いそうになり、
父と弟の所に行きたいとも思いました。

でも今は少し周りを見る余裕が出てきました。
勇気を出して青い空の会にも参加してみました。
世の中には多くの仲間がいることを知りました。

「朝の来ない夜は無い」

私の好きな言葉です。
この長い長い夜が明けるまで、お互い生き抜きましょう。



7675 病院 ハル 2004/04/05 13:48
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
今日、病院だったんだけど、皆さんは、カウンセラーと話して気持ちが楽になったり、救われたりしますか?
私は最近、疑問に思います。先生には、何でも話すけれど、だからどうしたと言う感じです。私は、話してるうちに、いつも泣いてしまうんですが、先生はただだまって聞いている。今日なんかは、特にそうでした。
私は、救われたいので、何か言ってもらいたいのですが、私の話しを、うなづいて、聞いてます。
そして、そろそろ時間になり、次の受診日を決めて、終わり。
もう、あまり行く意味ないかな〜なんて思ってきているこの頃です。



7676 カウンセリング ぶひぶひ。 2004/04/05 14:26
女性 / 30歳台 / 母 / 10年以上 / 関東
そうなんですよね。
私はあまりカウンセリングを受けたことはありませんが、
少しだけ、心理学をかじりました。
カウンセラーというのはクライアントの話をただただ受容して
聞くものなんですよね。
そばによりそって話をきいて受け入れる。
カウンセラー自身の意見や主観は入れず、患者さんの鏡のように
患者さんの言葉を反覆して投げかえす。
そして患者さんが自ら答えを見つけていく過程を助ける存在だと
思います。
カウンセリングは有効なものだとは思いますが、私もハルさん同様、
物足りなさを感じ・・・・、どうしても意見や考えがほしくなってしまうんですよね。
私にとってはこちらのような掲示板のほうが、ホントの意味で共感していただけて、意見も伺えて、とても私の助けになっていると感じる今日この頃です。


7677 無力感 riri 2004/04/05 16:57
女性 / 20歳以上 / 姉 / 1ヶ月以内 / 日本国内
こんにちは。リリです。弟が3月19日に自殺しました。大学入学を控えていて、それがプレッシャーになっていたようです。しかしアパートをインターネットで調べ、ここが良いとか、死ぬ前日まで画材を買っていて、まったく自殺の予想がつきませんでした。凄く繊細な子で、一人で悩んでいたのかと思うと。。。私と弟は仲がよくありませんでした。自宅に引きこもりがちな弟は私にたいして引け目を持っていたようで話しかけてくれなかったり、こちらから話しかけても乱暴な言動になったりで近寄れず、母親を通して様子を見ていました。もっともっと聞き役に回りたかったです。メールアドレスを教えて大学に対してなに下記来たいことが有ったら送ってねと言いましたが1通も来ませんでした。無力感で今週末から学校が始まるというのになにも出来ません。どうしたらいいんだろう。学校には連絡済みでカウンセリングを受ける予定です。


7678 カウンセリング TAKAYUKI 2004/04/05 17:17
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東
確かにカウンセリングには私も疑問を持っています。
かれこれ3年通っていますが、
良くなったり、悪くなったりであまり効果を実感できません。
人によっては効果のある方もいると思いますが。

個人的な所感ですが、実経験のないカウンセラーよりは
(カウンセラーの方がいらっしゃったら気を悪くされないで下さい。否定をしているわけでは決してありませんので。。。)このHPや青い空の会のほうがよほど心が癒されます。

青い空の会で自分の思いを語った時、
経験の無い方からの100の励ましの言葉より
会の皆さんの無言のうなづきの方が
私には救いに思われました。



7679 takayukiさま わに 2004/04/05 17:23
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
すみません。文字変換できなくて・・・。でも、私いつもあなたのメールに
励まされています。ホンとにお辛いのに頑張っておられるなって・・・。私は母親なので、つい気になるのですが、お母さんはどうですか・・・。言葉が見つからず、ごめんなさい。
 
朝の来ない夜はない。私もその言葉が大好きで、いままで、しんどい時、いつも言い聞かせて来ました・・・。

でもまさかこんな大試練がくるなんて・・。ほんと人間って 分からないものですね。今こそその言葉を噛み締める時なのでしょうが、気が遠くなるような毎日です。でも、踏ん張らなくてはね。

ぶひぶひさんや、ハルさんがカウンセリングについて書いておられますが、今の私は自分の心によろいをかぶせたというのか、  泣く事も出来ないのです。かといって、心の中はもやもやがうずまいていて ・・。

きっかけは、上司に勧められてではあるけれど、とりあえず、どこにもぶつけられないこのもやもやを少しずつ吐き出せたらなあって思い、通い始めたばかりですが、しばらく行ってみようかなあと・・・。フルタイムで働く身ではなく、takayukiさんではないけれど考える時間が多いとろくな事考えないし・・。また、聞いてくださいね。

暗中模索という感じですが、何とか1日1日過ごせていけたらと・・・。

では、また・・・。



7680 リリさんへ。 TAKAYUKI 2004/04/05 17:42
男性 / 30歳台 / 弟 / 1年以内 / 関東
書き込みを見て、涙が止まりません。
今はさぞかしお辛いことと思います。
同時にまだ実感がないのではないでしょうか。
私は弟が8ヶ月前に21歳で自死しましたが、
まだ悪い夢を見ているようです。
父も16年前に自死で亡くしています。
今でも一生懸命、現実から逃げています。

かけてあげたい言葉はいくつもあるのですが
うまく表現できません。。。
ただ、リリさんと同じ経験、同じ気持ちを共有していることだけは
確かです。
私を含め、このHPの方々は皆、リリさんの味方です。
どうぞこのHPにまたいらっしゃって下さい。
きっと心の支えになるはずです。
それでは失礼します。


7681 わにさんへ。 TAKAYUKI 2004/04/05 18:11
男性 / 30歳台 / 弟 / 1年以内 / 関東
ご心配頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
わにさんの暖かい心が伝わってきました。

母は、私には一切弱いところを見せません。
ですが恐らく、私以上に心を痛めているはずです。
私も母の前では一度も弱いところを見せたことがありません。
母を守れるのは私だけになってしまったので。
一人のときは、布団をかぶって泣いてますけど(笑)。

私は父と弟の分まで
必ず生き抜く決意です。

共に歩んでいきましょう。
それではまた。。。




7682 わにさん ハル 2004/04/05 21:54
女性 / 30歳台 / 夫 / 3ヶ月以内 / 西日本
私も、心が固まってしまったというか、信じたくない気持ちが強く
あまり泣けないんです。毎日、泣いて暮らすんだろうと思っていたんですが。

泣けないのも辛いんですよね。感情をどこかで、セーブして、押し殺しているみたいです。我慢せずに、吐き出して、泣いて下さいと、何度も言われましたが、まだ、全て出し切れてないみたいです。

わにさん、どんなカウンセラーよりも、同じ苦しみを抱えている、ここのサイトにいる方々の言葉に勝るものはありません。

ここがなかったら、今の私はないでしょう。本当に助けられています。
いつの日か、全てを受け止め、前進している自分がいればいいなあと思います。


7683 皆さん、ありがとうとざいました にゃん 2004/04/05 23:28
女性 / 30歳台 / 夫 / 2年以内 / 関東
白いうさぎさん、
こちらこそ、苦しみや悲しみを背負いながらも
一生懸命に生きて行こうとなさっている白いうさぎさんに
勇気づけて頂いています。
ありがとうございます。

>労災は、2年以内じゃなかったですか?
>私の記憶では、そうなのですが・・・どうなのでしょう。

労災申請の時効についてですが…
白いうさぎさんにとってお答えした方が良いのか、
この問題にはもう触れない方が良いのか大変に迷いましたが、
私の知っている範囲での法律に基づく労災申請の時効については
下記の通りです。

●療養補償給付・療養給付の時効は2年
●休業補償給付・休業給付の時効は、休業する日ごとに
 その翌日から2年以内
●葬祭料・葬祭給付の時効は、労働者の死亡日の翌日から2年以内
●介護補償給付・介護給付は、介護を受けた月の翌月の1日から2年以内
●障害補償給付・障害給付は、傷病が治癒した日の翌日から5年以内
●遺族補償給付・遺族給付は、労働者の死亡日の翌日から5年以内

ケースバイケースの部分もあるかと思いますので
詳しくは事業所管轄の労働基準監督署への確認が必要になります。

余計なことだったかもしれません。
お気持ちを乱してしまったら本当にごめんなさい。

もちろんお金なんかじゃないですよね。
亡きご主人のお気持ちを思えばこそ、おつらい中で懸命に
向き合おうとなさったのですよね。
本当に、本当に苦しかったでしょう。

白いうさぎさんがお子さんを守ることを最優先にお考えになることは
とてもよくわかります。
白いうさぎさんとお子さんが穏やかなあたたかいお気持ちで
お過ごしになれるように、何もお役には立てませんが、
優しい未来が訪れてくれるよう、心から祈っています。


サコさん、
いつも本当にありがとうございます。
サコさんにお声を掛けて頂けると、心の痛みが和らいで、
自分勝手に背負っていた心の重荷が軽くなるような気がします。

自分で決めたことなのにそれでも気持ちは揺れ続け、
時だけが経ち、同じところをいつまでもぐるぐると回っているような
進歩のない自分がたまらなく嫌になります。

でも、大丈夫です。
サコさんや皆さんの優しさにまた助けて頂きました。
たくさんたくさん泣いて、流した涙の分、大雨のあとの空ように、
少しずつ陽の射してきた心で前へと進む元気を出せそうです。

サコさんもどうかご無理をなさいませんように。
いつも、いつでも優しいサコさんのことを心配しています。


ハルさん、ありがとうございます。
おつらいお気持ちでいらっしゃる時期のハルさんに
励まして頂いて、申し訳ないような気がします。
でもとてもありがたく、嬉しく思っています。

ハルさんのご主人、本当に素敵な方だったのでしょうね。
そのご主人がハルさんの幸せを願っておられないはずはありません。
どうかくれぐれも頑張り過ぎないで下さいね。


ここは優しい、ここはあたたかい…ほっとします。


心のケアをして下さるお医者さまは、
患者さんとシンクロ(同調)し過ぎないよう
ある一定の距離を保つように心がけておられるようです。
患者さんの悲しみや苦しみを患者さんと全く同じように
まともに受け止めてしまったとしたら、お医者さまは
その役割を果たすことが出来なくなってしまいますものね。

常に冷静でいなければならず、けれども受容する部分も必要で
そのバランスはとても難しく、デリケートで、
本当に大変なお仕事なのだろうな、と患者の一人としてそう思います。

いくら様々な知識をお持ちのお医者さまであっても、
心から共感し合えるという部分においては、
やはり同じ遺族の立場でないと難しいのでしょうね。


私にとってはお医者さまやお薬はなくてはならない存在です。
お薬がなくては日常をまともに過ごすこともままなりませんし、
妙な言い方ですが、お医者さまが仕事として接して下さる
そこに感情が介在することのない全くの他人であるからこそ、
家族や友人には心配を掛けてしまうのでは、とのみ込んでしまう言葉を
お医者さまにはお話しすることが出来ます。
診察の日は思いっ切り泣いて来るようにしています。

人と人ですから相性が合う、合わないという部分はあると思います。
おつらい気持ちをまた一から説明しなければならないのは苦痛ですが、
別のお医者さまやカウンセラーのかたとお話してみるのも
ひとつの手段かもしれませんね。


日ごろ気を張っているせいか、週末は気持ちが緩んで、
ひどく疲れていると鬱の症状がひどくなってしまう時があり、
私の投稿で嫌な思いをなさったり、
お気持ちが傷つけられたりした方がおられたら、
本当に、本当に申し訳ありません。


7684 ririさんへ グリーン 2004/04/06 06:36
女性 / 40歳台 / 子 / 2年以内 / 九州
はじめまして。私は14歳の息子を自死で亡くした母親です。
立場は違いますが、ririさんの辛い書き込みを読んで娘の
事を思いました。

当時高校3年の娘は受験の天王山と言われる夏休みで、志望校めざして
頑張っていました。
しかし、突然の弟の死、しかも自宅マンションからの飛び降りでした。

落ちたところはそばを流れる川の中で発見した時はもう、冷たくなっていました。それでも、主人と娘はズブ濡れになって必死で川から息子を引き上げました。

通夜、告別式、娘は泣いて泣いて泣いて・・・
私も娘を思いやる事ができないくらいの状態で。

告別式が終わり、息子が骨になったときから娘は全く、弟の名前を
口にしなくなりました。冷たいと思うくらい。今でもです。
ただ、ぼうーとして。
でも、お経をあげてくださる住職に食って掛かった事がありました。
お経で弟があの世へ逝けるなんて信じられないのでしょう。
今でも、仏壇に手を合わせることはしませんので・・・

高校も事情を知っているのは娘が信頼している1人の先生でした。
友達にも何も言っていません、1人の親友だけです。
卒業ができたのが不思議なくらいでした。
私と主人が必死で頼んだから、親孝行のつもりだったんでしょうか?

彼女に笑顔が戻ったのは1年くらい経ってからでしょう。
予備校に通い、また再び受験を目指して自分を取り戻したようでした。
そして、この春、第2志望にはなりますが、大学生になりました。
17、18,19歳、楽しいはずの年頃を、弟の自死で何を思い、考えたのか、親の私たちにも何にも言いません。
自分で耐え、自分で道を作っています。

ririさん、長い話を読んでいただいて有難うございました。
今は何も考えられないでしょう、辛いばかりでしょう。
ただ、耐えて下さい。道は自然とは開かないかも知れませんが
時間と共に歩いている自分に気づかれるかもしれません。

弟さんの分まで親孝行してあげてね、なんて言う人がいても無視。
自分をどうにかコントロールして生きていってください。

私たちもまだまだ、自分のことで精一杯です。
自分を大事にしてすこしづつ、歩いていってください。
いえ、一緒にゆっくりゆっくり、歩いて行きましょう。




7685 しんどい 花桜 2004/04/06 08:12
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
妹がいなくなって、もうじき3ヶ月になります。
両親は、「訴える」ことだけを支えに生きている状態です。
母は「お父さんがいなくなったら私は死ぬから。
あんたはダンナがいるからもういいでしょう」と言います。
そんな時、どう答えたらいいんでしょう?
何も言えない自分が、悔しくてなりません。
私に子供でもできれば少しでも気がまぎれるのかと思ったけれども・・・
孫なんかいらない、あんたの勝手にしなさい、と・・・。
「私の唯一の自慢だった娘が死んでしまった」
「私たちの将来を任せられる娘が死んでしまった」
と、聞かされるもう一人の娘はどう思うか、なんて。
考えないんでしょうね・・・今は、混乱しているだけ?
そう思いたいです。
でも、辛いです・・・。
ごめんなさい、グチばかりでした・・・ちょっと参っているので・・・。
どんな事を言われても、そうだねと聞いていることに疲れてしまいました。
両親を支えるのが、私の務めのはずなのに・・・。



7686 花桜さんへ わに 2004/04/06 10:37
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
本当にお辛いでしょうね。だって、花桜さん自身も当事者なのに・・・。

私は母親の立場なので、微妙ですが、うちは次女が自死して、長女、長男が
残されたわけです。

初めのうちは「こんなに辛いのは、自分がお腹を痛めた子だから」って
ひがみっぽくなった事もありました。でも、ある日長女が涙をいっぱい目に
ためて、妹の事で友人に傷つけられた事を訴えてきた時に、はっと思いました。

私だけが当事者じゃない、家族みんながボロボロなんだって・・・。

今、長女は就職活動も重なってかなりストレスを抱えています。「就職活動だけでも大変なのに、妹の事があるものね・・・。」時々、二人でぼやいたりします。

花桜さん、ご両親の心労を気遣うことも大事だけれど、時にご自分の本音を
ぶつけた方がいいと思いますよ。

孫なんか要らない、勝手にしなさい・・。
それは、あまりにひどい言葉だと思います.そのご両親を取り乱しているのだからって我慢なさっておられるのは、本当にしんどい、自分がもちませんよ。

時には、ご自分のしんどさを吐き出される事があってもいいんじゃないでしょうか。

ご両親もいつか気づかれると思うのですが・・・。御免なさい。僭越な事を
言って・・・。優しい方なんですね、花桜さんは・・。でも、ご自分の生活も
大事になさってください。


7687 にゃんさん・ririさんへ esukimo 2004/04/06 11:09
女性 / 20歳台 / 弟 / 1ヶ月以内 / 中部
にゃんさんへ
こんにちわ。少し落ち着いて自分の書いたこと読んでみました。
独り善がりだと、これを見た他の方達に嫌な思いをさせてしまったかもしれないと反省しています。ただ突然にしていなくなってしまった弟が今もどこからか出てくるんじゃないかと、前を見て進むべきなんですが思うようにいかなくて苦しかった。
弟が死んでからいろいろ家の問題も沢山出てきて目が回るような忙しさでした。いっそ気がおかしくなれば自分も楽なのに両親のことを考えるとしっかりしなきゃと思い今日に至っています。にゃんさんの言葉は私にはとても嬉しいものでした。私の気持ちを受け止めてアドバイス含め返事を頂けて有難かったです。どうか謝らないで下さい。にゃんさんもお体には気をつけてくださいね。

ririさんへ
初めまして。私も弟を亡くしました。3/11の事です。
ririさんの弟さんより歳は上です。大学4年生でした。どうやら留年するみたいだったんですがその事は亡くなってから分かりました。他にも原因はあったみたいですが・・・。私は弟とはよく話すほうでしたが肝心な事は何も聞かされないままでした。
本当に何をやっていたんだと、死につながるほど弟が悩んでいたなんて、何も感じ取れなかった、してやれなかった自分が情けないです。もうすぐ一ヶ月になりますが、自分の中の時間が止まったようで弟がいない時間をこれからずっと過ごしていくのかと思うと不安でなりません。
ririさんと自分が重なってしまい、投稿させていただきました。
すぐには無理かも知れませんが一日一日自分のペースで歩いていましょう。
私もまだ次の仕事が見つからず時間に追われている感じです。
でもマイペースにやっていこうと思っています。ririさんも今はカウンセリングを受けゆっくり過ごしてください。
またここでお会いできたら良いですね。


7689 今日は・・・ TAKAYUKI 2004/04/06 13:04
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東
弱音吐かせてください。
かなり精神状態が良くないです。
父も弟もうつ病で自死しました。
私も現在、うつ病と戦う毎日です。
普段は強気に振舞っていますが
時々自分も同じ道を辿るのではないか、と不安に襲われます。

母はあんなに気丈に頑張ってるのに
俺はなんて情けないんだ、と
自分を責めてしまいます。
どうすれば、いったいどうすれば
いいんだろう。。。
悔しい。本当に悔しい。
無力な自分が本当に情けない。

さっき、弟が飛び降りたビルを
ぼーっと眺めていました。
どんな気持ちであいつはあの非常階段をのぼっていったのかな。
弟の気持ちが知りたくて
何度もビルに上ってみようと思いました。
でも怖くて一度も上れませんでした。

つらい、つらい。
生きていることがこんなにつらいなんて。

どなたかこんな弱い私を
しかってください。


7690 こんにちは ねね 2004/04/06 13:24
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 関東
みなさん、こんにちは。

わにさん、はじめまして。
花桜さん。。。もう、朝から泣いちゃいましたよ!
わにさんに暖かい言葉をかけてもらってよかったね。
忙しくしている上に、ご両親への思いでいっぱい、いっぱいだよね。
でも『混乱』がひどくならないように。。
ここに来て、一休みしてみなさんからの暖かい言葉をうけましょうね。
ぬくもりを感じましょうね。


わにさん、私は三人兄弟の長女です。一番下の弟を亡くしました。
両親はなんとか元気にやってますが、やはり心の中は悲しみと自責の念と『なぜ???』でいっぱいかと思います。
私と妹は両親を心配して
花桜さん同様、『両親を支えるのが、私の務めのはずなのに・・・。』
とここまで突っ走ってきました。
自分の心に蓋をして、しっかり物の長女をやってきてました。


そしたら・・・。
私の心が疲れ果ててしまったのです。
疲れた心に気づいたら、今度は不安が押し寄せてきました。
両親の望みをかなえられなくなったらどうしよう・・。
両親の望みをかなえられない私は、
親から必要とされない親不孝なダメ人間になってしまう・・・と。
そしてこうも思うのです、両親はなんとかしっかりやってる、
妹にはダンナさんがいる、私のダンナもなんとかやれてる。。。
私は・・しっかりお姉ちゃんやっていけない私なんて、必要ない気がしました。消えたくなりました。
それじゃ弟と同じじゃないか!って。
でも違う、私は弟と同じになれない。
だって、消え方が分からないんですもの。
そんな思いが巡るようになったとき、自分でおかしいって思いました。
自分でおかしいって気づいているうちに、何とかしようと思い、
『心療内科』へ行きました。
先生に、軽いうつ症状が出てますよ、少し会社を休み
ゆっくりしましょうね、と言われました。
モチロン両親には内緒です。
余計な心配させたくなかったし、私のことまで自分たちのせいだと、
責めて欲しくありませんからね。



ところが先日、親戚が弟の供養のため実家に来てくれることになり、
私も手伝いに実家に帰ることになってました。
すでに私の心の中で、実家は『恐怖の館』となり、
両親の言葉は『恐怖の言葉』に思えてました。。。
しっかり親戚の相手しなきゃ、おとうさんに怒られる・・ような。


駄目でした。
もう少し頑張れば親戚も帰る〜というときだったのに!

それはほんのささいな事で、ちょっとした父のきつい一言でした。
父がみんなの前で私を叱ったのです。
『しっかりやらなきゃ駄目じゃないか』って。
私は父が恐ろしくなり、予想以上にパニックになりました。


私はもう、『しっかり』なんて出来なかったんです。


私の状況が分からない父にとっては、
変に取り乱した私を見ても尚、
『なんだあいつは、たいした話(頼んだことについて)
じゃないじゃないか!』と言ってました。
そりゃそうです。
知らせなかったんだから・・。


結局私はそのまま泣いて泣いて一人離れた部屋にいましたが、
親戚が帰った後、話しました。
弟が亡くなってから、私と妹がどんな気持ちで両親を支えていたか。
そんなときは自分たちの心のことなんてどうでも良かったことも。
それも本心です。両親を支えたいって、何の駆け引きなしに思ってましたから。そして、弟に対して思う自分の思いを。。。
でもそうこうしていたら、自分の心が疲れちゃったんだよ、〜って。
両親のせいじゃないし、両親に心配かけたくなかったから言わなかった病院のことも話しました。
理解してくれたようでした。。


弟を亡くした同じ家族でも、立場が違うと感じ方も、思い方も、心の整理の仕方も違うって事。両親は気づかなかったようでした。当然です。
自分のことでいっぱいいっぱいですよ。そんな両親を責めるつもりも全くありません。


わにさんが、娘さんとの会話。
『初めのうちは「こんなに辛いのは、自分がお腹を痛めた子だから」
ってひがみっぽくなった事もありました。でも、ある日長女が涙をいっぱい目にためて、妹の事で友人に傷つけられた事を訴えてきた時に、はっと思いました。私だけが当事者じゃない、家族みんながボロボロなんだって・・・。』
娘さん、本当に安心したことと思いますよ。


先日、『青い空の会』に私と同じ家族構成で、
息子さんを亡くされた方がいらっしゃいました。
私は辛くて弟のことは語れないのですが、
両親との今日を・・明日を・・・自分がしっかりやれるようにはどうしたらよいだろうか?・・みたいなことを話しているうちに涙してしまったのですが、その方が一言。
『頑張らなくていいのよ・・・』


涙が止まりませんでした。
今、思い出しても、泣けてくる。
『息子を亡くされた母』の立場の人が、そう言ってくれる・・。
許された気がしました・・。


でも、本当は。。。
本当は、自分の両親にその言葉、『頑張らなくていいよ』って
言って欲しいのだろうと思いました。
親不孝な甘ったれた娘です。


花桜さん
両親に自分の気持ちを伝えるのってすっごく難しいですよね。
でもね、花桜さんがいるから、健康な体と、心と、両親に対する思いやりがあるから、ご両親も甘えて辛くあたってしまうだろうし、
花桜さんの余裕があるのないのとは関係なしに、頼るのでしょうね。

『支えなくては・・!』と、歯を食いしばってしまうのも分かります。
ここに来て、両親ではなくてもわにさんのような方々にたくさんたくさん暖かく、ぬくもりある言葉をかけてもらって『なんとかやっていられる』なら、それはそれで心のバランスをとる手段だと思います。

わにさんが言ってくださったように、
花桜さん自身の『混乱』がひどくならないためにも、
話し合える時があると良いです。。。


長々とすみませんでした。
みなさんそれぞれ立場、環境が違うことも重々承知で書きました。
もしどなたかを傷つけるようなことがあるかもしれませんが、
お許しください。


7691 みなさんありがとうございます。 riri 2004/04/06 13:54
女性 / 20歳以上 / 弟 / 1ヶ月以内 / 日本国内
みなさんどうもありがとうございます。みなさんの書き込みを呼んで、辛い思いをしているのは自分だけじゃないということがわかりました。私は未だに悪い夢を見ているようで、あの時こうしていたら弟の自殺は防げた、防げたから弟は帰ってくるという錯覚に悩まされています。もういないんですね。お骨の入った箱を見て、あれが弟の体だったと思っていても今ひとつピンと来ません。そして酷い無力感。罪悪感。弟は亡くなる4日前に自分から心療内科に行っていました。たぶん鬱病と入学前の社会的な不安がピークになっていたのでしょう。薬が効き出す前に彼は逝ってしまいました。それほど鬱病が酷いとは私達家族は思ってもいませんでした。ショックです。インターネットで調べモノをしたり、愛犬の散歩に行ったり。絵を描いたりしていたからです。そんなに酷いのなら病院に入院させれば良かった。全てが分かったのは亡くなった後でした。どうして私に何も言ってくれなかったのだろう。メールを寄越してくれなかったのだろう。入学確定書を出す前日にどんな大学かどうか訊きに来ただけでした。期末試験に追われる私はどうしてもっと早く来てくれなかったんだろう、試験勉強の忙しさで、あまり話を聞いてやれなかった。なかなか腰をあげられなかったんだろうね。弟は小学校から中学時代はものすごく活発でスポーツの大会に出ていて明るい子で、ここ数年引き籠もりがちになっていて内向的になっていることに私は大学の寮に入っていたので弟があまり気がつかなかった。ごめんね。


7692 こんにちは ねね 2004/04/06 14:26
女性 / 30歳台 / 弟 / 6ヶ月以内 / 関東
みなさん、こんにちは。
再び、ねねです。

ririさん、はじめまして。
お気持ち、痛いくらい分かります。
今になってですが、私の家でも弟は心の病にかかっていたのかも・・・
と言ってます。
もしそうだとしたら、それに気づけなかったことに一緒に暮らしていた
両親が自分たちを責めるんじゃないかって心配してましたが、
両親の方からそう言い出したので、
それはそれで両親の様子を伺うしかありませんが・・・。

弟のことは未だに『なぞ』です。。。
兄弟仲良かったから・・。
それが『仲良かったのに・・』に変わってしまって辛いです。

共に、癒していきましょうね。
『一人ぼっちじゃない』って思えること、とても大切に思います。
ここに来て、みなさんに支えてもらいましょうね。


7693 こんにちは。 のぶゆき 2004/04/06 16:58
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 東北
僕の弟は、一度未遂をし、手が不自由になり、心の病もあったので両親と同居して、2年9ヵ月の療養をし、旅立ちました。
弟がなくなる3ヵ月前に、妻子を連れて久々に帰省し、孫の事で僕は両親とひどくもめました。その後同居していた弟は、父からのとばっちりを受けていたようでした。
なくなる少し前、目に見えて調子がよくなって来たとのFAXを、何度か母からもらっていましたが、それに対しての僕の感想は送って来ないで欲しいと母に言われていました。
母は弟の療養中から自身も、抗うつ剤を服用するようになりました。
梅雨の時期に、3日位あまり眠れなくなっていた事位しか、母から聞けておらず、弟の様子を詳しく尋ねる事は、「僕に、弟との接し方を責められている気になる」、と母が以前から言っていたので、できませんでした。

21ヵ月経った今、母は、「自分を責めても、責めからは何も生まれはしないから、責めずに運命だったと思い、諦めるようにしている。そうしなければ身がもたないから・・」と言っていました。
僕も運命が大きかったと思えます。彼には申し訳ないのですが、僕は自分の家族を守る事で(子育て中の専業主夫をしています)精一杯で、彼の再起を支えられませんでした。

ねねさん、はじめまして。何を苦にされても、旅立つ時には心が正常でなくなっているという話を聞いた事がありますよ。

ririさん、はじめまして。僕は、弟の未遂の数時間前に電話で話をし、様子が変なので、近くに住む両親に、「様子を見に行ってもらえないでしょうか?」と留守伝に入れておきましたが、その晩両親は、母の伯父の通夜に行っており、願いは届きませんでした。その後、遠くから弟の回復を祈りましたが、二度目も止められませんでした。無力感・罪悪感、わかりますよ。

TAKAYUKIさん、はじめまして。コラーッ!!なんてね。m(_ _)m 貴方が見つめるのは、ご自身の育った家族ばかりでなく、これから貴方が育てていかれるご家族の方も見つめて下さいね。不安にかられるお気持ち、少しながらお察しします。

花桜さん、はじめまして。けっして無理しないで下さいね。きっと今のあなただって、ぎりぎりの所でバランスを保とうとされていると思いますよ。ご両親と、少し距離を置かれてみる事はできないでしょうか・・?(^^ゞ

ようさん、はじめまして。リスカはリスクが大きすぎますよー。アムカの方がまだましですよー。(昔、アムカをしていたおじさんより)(;^_^A


7694 ねねさん takayukiさん わに 2004/04/06 17:03
女性 / 40歳台 / 子 / 6ヶ月以内 / 近畿
兄弟をなくすと言う事がこんなに辛いことなのかって思います。その上、
親を何とか支えなくてはなんて・・・本当にそのけなげさに頭が下がる思いです。うちの長女も私が不安定な事もあって、下宿に帰らず、実家の方にいてくれて本当にこの子にどれだけ助けられているのだろうってしみじみ思うのです。

その思いやりを当たり前のように思ってはいけないな・・・。ねねさんはきっと長女の気持ちを代弁してくださっているのだと深く思いました。有難うござ
います。家族、共同戦線張っていきたいものですね。

ねねさんも肩の力を抜いてぼちぼちなさってください。関西弁で夫がよく「ぼちぼちいこう」って言います。この「ぼちぼち」って言葉私好きで良く使います。頑張るとか、しっかりと言う言葉はしんどいですよね。

takayukiさん
 如何ですか?どういっていいのかは、分かりませんが、夜は眠れておられますか?知り合いに精神科関係者がいるのですが、睡眠って結構大切だと思います。寝れないと悲観的に考えちゃうし・・・。私よりずっとそういう方面もご存知の様なのででしゃばっていたらごめんなさい。もしも、夜、十分に睡眠を取られておられなかったら、再度行かれるのもひとつの方法では・・?

私自身、睡眠が取れなくて結構しんどいものですから、今はお薬を頂いてなんとか過ごしております。

しんどい時に弟さんの現場に行かれるのも却ってご自分を追い詰めたりはしませんか?ごめんなさい。どう声の掛けようもなくて・・・。本当に毎日がお辛いと思います・・・。



7695 TAKAYUKIさんへ サコ 2004/04/06 19:24
女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内 / 関東
はじめまして。
私は遺族の部屋の方に訪れる事が多いのですが、
思い出したようにこちらにも書き込みさせていただいています。
昨年1月に娘を亡くしましたサコと申します.
TAKAYUKIさん、お辛そうですね。
大きな波は前触れもなく襲ってきますよね。
そんなときは耐えるしかないのですが・・・
どうか考えすぎませんように。
人という字はお互いに支えあってなりたっていますよね?
TAKAYUKIさんがお母様を支えなくてはと
がんばりすぎませんように。
お互いが1日1日を生きて行く事で支えあえるのではないでしょうか?
お父様を亡くされどんなに辛い日々を送られたか。
そして今度は弟さんまでもほんとうにことばもありません。
TAKAYUKIさん、どうか少しでも穏やかな日々が
訪れます事をお祈り致します。
そしてゆっくりでいいではないですか?
少しづつ少しずつ歩いていきましょう。
本当にお辛い時は、心配するからという思いは不要ですよ。
お母様に話されて乗り越えてくださいね。
母親にとって子供が一人で苦しんでいる事ほど
つらいことはないのですから。
一人で苦しまないのも思いやりですよ。
気分を害されたらごめんなさいね。
私にも今年社会人となった娘がいますのでつい・・・・・。
では・・・御無理をなさいませんように。








7697 こんにちは 花桜 2004/04/06 20:08
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
皆様、こんにちは。今日は暖かな一日でしたね。
桜も満開で、嬉しいのか悲しいのか分からない気分で眺めてました。
自分のことながら、人の心って複雑ですよね。

■わにさん
「お母さん」からの言葉、有難うございました。
本当に嬉しいです。
両親は、きっとまだまだ落ち着いてなくって、わにさんの初めのお気持ち
>「こんなに辛いのは、自分がお腹を痛めた子だから」
こう思っているんでしょうね。
だから、姉である私には気持ちはわからない・・・と、思ってるのだと。
いつか私も苦しいんだと言うことが分かってくれる日が来る・・・そう信じます。

確かに昔から、言葉のきつい人達でした。だから心に余裕がない今、つい言ってしまうんでしょうね。

妹は両親の誇りでした。私は家族の落ちこぼれと言われていて。
私が代わりになったらよかったね、と何度か言ったことがありました。
何も答えてはくれませんでしたが・・・。
妹の職業にお前が就いてくれたらいいのに、今から学校へ行けとも
言われたりもしました。主人の悪口も言われたりして。
四十九日まで実家から会社に通ってくれた優しい主人のことまで
悪く言われるのは、本当に辛いです。

いつか、いつかは私の気持ちも分かってくれる日が来るのだと思います。
わにさん・・・お母さん、有難うございました。

■ねねさん
大変でしたね・・・でも心の中を言えて、ご両親にも分かってもらえてよかったですね。
私もいつか「爆発」しちゃいそうです。
でも、耐えられる今は我慢我慢です。それしか今はできません・・・。



7698 皆さんに救われました。。。 TAKAYUKI 2004/04/06 20:48
男性 / 30歳台 / 複数 / 複数 / 関東
のぶゆきさん、わにさん、サコさん。
書き込みありがとうございました。
何度も、何度も読み返しました。
すっと気持ちが軽くなりました。
心から感謝します。

皆さんから頂いた言葉を
忘れないように手帳に書き写しました。
ゆっくり、しかし着実に
この現実を受け入れ、乗り越えていきたいです。

本当に、本当にありがとうございます。


7699 こんにちはA 花桜 2004/04/06 22:30
女性 / 30歳台 / 妹 / 3ヶ月以内 / 西日本
再度です。さっき書いたのを間違えて消してしまったので・・・。

■のぶゆきさん
はじめまして。
温かいお言葉を有難うございます。本当に嬉しいです。
ギリギリの所で・・・そうなのかもしれません。
でも、両親から見ると、私は非常に気楽に過ごしているようです。
両親と距離を置く・・・それも考えましたが、私に罪悪感があって。
両親をほうっておくわけにはいかない・・・そう思ってしまいます。
でも、のぶゆきさんの言葉から、そうか私の精神もやはりギリギリなのか。。
と、思いました。
もう少し、自分のことも大切にしたいと思います。
本当に有難うございました。

■TAKAYUKIさん
はじめまして。
とっても、辛いですね。家族が、それも二人も・・・となると・・・
もうどんな言葉をおかけしていいか分かりません。
本当に辛いですよね。
辛い時には、しっかりとか、気丈にとか、しなくてもいいんだと思います。
私の両親は今、そんな状態です。
でも私はまだ、「しっかり」できるからしっかりしてるだけ。
出来る人がすればいいんだと、私は思います。
だから、TAKAYUKIさん、悲しいのなら、それでいいと思います。
自分を追い込むことはなさらないでください。
ゆっくり、じっくり、自分のペースで歩いて行きましょう・・・。

■ririさん
はじめまして。
兄弟姉妹を失うのって・・・すごい喪失感・・・ですよね。
だって、これから何十年も支えあっていける相手がいなくなったんですもの。
そして、両親よりも本音を言い合える相手だったから、なんで気付いてやれ
なかったのかという自責の念・・・気持ちをどうしていいのか、分かりません。
でも両親にとったら、子供を失う方が辛い、おそらくそう思っています。
だから両親を支えて、自分はお姉ちゃんでいないといけない。
辛くて悲しい気持ちを抑えて、両親を支える・・・しんどいですよね。
多分、ここはそんな気持ちが出せる場所なのだと思います。
私もここでしか、私の気持ちを素直に出せません。
お互いに、支え合っていきましょうね。お姉ちゃん同士・・・。


7700 おばんです。 のぶゆき 2004/04/06 22:56
男性 / 40歳台 / 弟 / 2年以内 / 東北
TAKAYUKIさん、さっきは文字数がいっぱいで言葉が足りませんでした、すみません。
付け加えさせて下さい。m(_ _)m

「これから貴方が育てていく家族」とは、貴方が、
お嫁さん・お子さん・お母さん(義父さん・義母さん)という
新しい家族を作るチャンスがある。という意味でした。
今はご自身も病と闘われ、辛い日も多々あるでしょうが、
希望を諦めないで欲しいと思いました。
最近、五木寛之さんの「不安の力」という本を買いました。
よかったら一緒に読んでみませんか?
僕も不安を払拭したくって、毎日遺族のサイトのお世話になっていますよ。(^^ゞ

チョコさん、はじめまして。

>何もしてやれなかったことが辛いです。

そうですね、何もできなかった事・・、旅立った人も辛かっただろうけれども、
残った人も辛いですよね・・。
弟の苦しみを抜きに考えれば・・、旅立つ前に話をしたかったです・・。
それでも、苦しむ彼の、替わりにはなれなかったのですが。

にゃんさん、ご主人の遺言を知らずに(当たり前かぁ)声をかけてしまい、
ほんとに、ごめんでした。
そう言ってもご主人、後から、闘われなくて、安心されたかもしれませんよね・・。
愛していればいる程、自分のかみさんが自分の事で傷つく姿を、見たくはなかったのでは・・、と思いました。
ご主人の心を鎮めることが出来るのも、
にゃんさんだけかもしれないですし・・。
難しいですよね・・、判断は。
絶対に、「ばちは当たる」と、信じています。
僕も最初は、「神も仏もない!!」、と思いましたが、
「神はけっして一人ではない」、と考えをあらためました。
今は、救う神もいると思っています。
明日は又、寒くなるそうですから、どうぞ暖かい格好をしてって下さいねー。(^^ゞ