今 を 見 つ め て


4,行き場のない想い


自死遺族が逝ってしまった大切な人に対して,愛しいという感情が少しでもあれば,
その自死という事実は,遺族にとって深い深い,底が見えないほどの悲しみを伴います。

それぞれの悲しみの深さなど,だれも推し量ることはできません・・・

そして,自死という選択を,その愛しい人がしたという事実。
その事実に対して,自らもなにかしらの関与していたという事実。


その関わりが大きければ,大きいほど,その悲しみも当然にして大きいのです。
そして,その関わりがあったという事実に対して,自らを責めます。
逆に、関わらなかったと言うことで、自らを責めたり、混乱される方もおられます。
しかし、根本には、やはり故人への思いに大きなものがあるのだと思います。


ああすれば・・・
こうしておけば・・・
あの時・・・

様々な想いが過去を巡ります・・・

果てしなく,自らを責め続けることも,少なくありません。


それは生きる地獄だと感じます。
自らの生きる意味すら,疑わしくなってきます。

何を信じたらいいのか・・・
誰を信じたらいいのか・・・


大切な人に裏切られた思いに,深い深い霧が自死遺族の心を覆います。
あらゆる価値観が一瞬にして,音を立てて崩れ落ちるのです。

しかし,時間の軸を逆転させることはできません。
逝ってしまった人は,どんなに想っても,もう決して帰っては来ないのです。



自死遺族は,様々な想いで,それぞれの立場で自らを責めます。

そして,自らに答えを見出すことができずに,その悲しみを怒りに変えて,
自分以外の、故人も含めたすべての対象に、怒りや憎悪を向ける時もあるのです。

その怒りは,その逝ってしまった人への深い感情の裏返しかもしれません。

もちろん、怒りの感情よりも、他の感情が勝る方がおられることも事実です。
また、怒りをその時感じていなくても、いったん落ち着いたある日、
突如として,噴出される方もおられます。



遺された家族の中ですら,故人が愛しいがゆえに,罵り合い,
責任を転嫁する言葉や行動が発されることすらあります。

お互いに答えのない問いをぶつけ合っているのですから,終わることはありません。
だれかが,その答えにたどり着くまで,いつ果てるともなく続くのです。

けれど,それは,だれが悪いという問題ではなく,故人が選択したことなのです。
これは,とてもとても悲しいことです。

逝ってしまった本人は,それで終わりなのかもしれない・・・

でも,遺された者は,その人の苦しみまで背負い続けるのです。
そして,傍らで見ているだけの者にも,その悲しみは広がるんです。


だれがなんと言おうと,どんな理由を並べたとしても,
自死とは,そんな一面を持ったものなのだと私は思っています。






かなり,重い話し,重い考え方を書き連ねてしまい,申し訳ありません。
けれど,「青い空の彼方」というサイトは,これで終わりではありません。

では,どうやって,今を生きていったらいいのか?
どう,これまでの現実を受け入れていったらいいのか?

もちろん,すべてに答えがあるわけでないし,
それぞれの人の答えは,それぞれの人の中にあるものだと思います。

この「青い空の彼方」の掲示板には,今まで声として発されることの少なかった
自死遺族のみなさんのたくさんの言葉,思い,願いが掲載されています。
言葉の連なりの中から,生まれてくるものが確かにあります。

それぞれの方が,それぞれのスピードで,ゆっくりと,焦らずに,
休めるながらでもいいし,後ろ向きの時があってもいいから,
「 それぞれの方の 今 を,みんなで考えながら,歩み続けていきたい 」
という願いそのものが,この「 青い空の彼方 」というサイトなのです。





コンテンツ「未来に向かって」では,同じ道を,すでに歩かれてきた方のお話しや,
悲嘆の作業(グリーフワーク)と呼ばれるものの考え方などを合わせて,
大きな道筋を,まだ完成品ではありませんが,いずれ紹介させていただきたいと思います。
現在は,サイト作成時(2001年8月)の初期もものであり,申し訳ありません。





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ちょっと 休憩します? 3



このコンテンツにて,論拠の一部として使用させていただいた
厚生労働省の主催による「自殺防止対策有識者懇談会」の
内容については,ここをクリックしてください。
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