2,社会の目,世間の目
これだけたくさんの自死により亡くなられた方への社会,世の中の視線はどうなのでしょうか? 社会の,世間の自死者への視線は決して好意的なものではありません。 そして,その視線は自死された方の家族である,自死遺族にも向けられるのです。 自死遺族の多くの方の場合,当然ですが何の準備もなく,慌しい中で葬儀が行なわれます。 そして,ほとんどの場合,その席上において,その死因についての話しがでることになります。 この葬儀についてですが,葬儀屋さんが,その一切を仕切ってくれることが多いです。 その場合,ほとんどの葬儀屋さんは, 「 死因を事実通りに,すべての方に伝える必要はないですよ。」 と,アドバイスしてくれるようです。 そのアドバイスに対して,どう行動したのか? すべてを告知したのか,告知しなかったのかに,良い悪いの区別はないし, どのような選択をしたとしても,苦しみ,辛さは残るのですが, そのアドバイスに添った葬儀を行なう方が多いようです。 悲しいですが,今の日本での「 社会の目 」の現状とは,そういうものなのだと思います。 そして,事実として公表することは,ほぼ間違いなく,批判的な言葉,視線にさらされます。 家族に対して,レッテルを貼られ,交際や結婚の障害にさえなることもあります。 そして,遺族を苦しめるのものは,悪意のない,けれど心をえぐる何気ない言葉でもあります。 それは,自死遺族が「自分があの時,こうしておけば違う結果になったのではないか・・・」 そんな自分自身への責め,後悔などの気持ちを持ち続けているからです。 どんな思いのこもった優しい言葉であったとしても,それを自分への責めに, また,故人への責めに捉えてしまえる段階が,少なからずあるのです。(過去ログ) どんなに自分を責めても,逝ってしまった大切な人は戻らないと知っていてもです・・・ この感情を言葉に表すことは難しいですね・・・ でも,多くの自死遺族の方は,同じように,この行き場のない思いに苦しまれています。 けれど,私はそんな「社会の目」であっても,一方的に否定する気持ちにもなれません。 それは,自らの意思で自らの命を断ち切るという行為を肯定しきることもできないからです。 もちろん,そうではなく,意識のある者が,自らの生き方の選択を,家族などと相談し決定する 「 尊厳死 」などの法制化,社会的な認知も広がりつつはありますが・・・ ですから,長い目で見たときには,社会を,世の中を,自らを取り巻く環境を恨むだけでは, 自身の心に平安が訪れることは少ないと,私は感じています。 そして,そのような心の弱りきった自死遺族に対して, 悪意に満ちた いろいろな触手が伸ばされることもあります。 言葉巧みに,その場しのぎのセールストークで購入を迫る悪意ある業者に騙されて, 苦い思いだけが残ったというお話・・・ 得体の知れない宗教勧誘に誘われて, 気がついたら,長期のローンを組まされていたというお話・・・ 宗教から抜けられなくて,困っているというお話・・・ ひとつづつあげていったら,切りがありません・・・ 確かに,どんな状況であれ,騙される側にも落ち度はあるのだと思いますが, それにしても,あまりにも,納得がいかない,怒りを覚えるお話をたくさんお聞きしてきました。 残念ながら,善意だけに満たされている世の中ではありません。 後で後悔しないためにも,できる限り冷静な判断力を維持できるような環境を維持することも, 苦しみの日々の中であったとしても,大切なことなのだろうと思います。 ※ 参考 : 「できるなら,どう接していただきたいか?」 メッセージへ |